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■2009/09/24 (Thu)
映画:外国映画■
カールシュタットの町は、夜毎に姿を現す悪霊に怯えていた。町の人たちは怯え、悪霊の正体は百年前に魔女焚刑に処された女性の霊に違いないと囁きあっていた。
そんな最中に、市長の召喚でグリム兄弟がカールシュタットの町へと
そうして、夜が訪れる。グリム兄弟は悪霊が現れる水車小屋に臨み、見事、悪霊を撃退してみせる。
が、すべてペテンだった。
悪霊の存在も、悪霊退治も、すべてグリム兄弟による自作自演だった。
そんなペテンも間もなく見破られて、グリム兄弟は、フランスの将軍ドゥラトンプに逮捕されてしまう。
グリム兄弟はただちに死刑が宣告されるが、代わりにある事件を解決できれば、恩赦を与えようと約束される。
ある事件とは、マルバデンの森で、9人の子供が失踪した事件だ。ドゥラトンプは、事件の正体はグリム兄弟と同じペテンと考え、その筋のプロであるグリム兄弟に事件を解決させようと考えていた。
実際のグリム兄弟は、6人兄弟で、いわゆる“グリム兄弟”と呼ばれる長男と次男は、ともに言語学者である。
現在では童話作家として認識されているが、もともともは研究の一環として、地方に眠る民間伝承を集めていたのである。
グリム兄弟が採話した童話集を、『グリム童話』と命名し出版したのも、グリム兄弟ではなく、出版社の人間である。
白雪姫やシンデレラ、蛙の王子様にランプツェル……。
様々な童話の原型が次から次へと現れて、寄り合わされていく。
『ブラザーズ・グリム』で描かれるグリム兄弟はフィクションだが、もしも童話採取の背景に、驚くような冒険があったとしたら?
映画『ブラザーズ・グリム』はそんな“もしも”を追いかけて描かれていく。
物語の構築はやや強引だし、次々に登場する異界のモンスターたちは真実味以上に、あまりにもいかがわしさたっぷりに描かれている。
童話が本来持っている奇怪のエネルギーを、テリー・ギリアムの感性がよりいかがわしさを増幅させて、命を与えている。
森の暗い影の向うに、平凡な人間が感知できない神秘の世界が眠っている。森の中は現在よりもっと暗く、恐ろしい気配に満ちた場所だった。
同時に信仰の舞台であり、ドルイドたちが祭儀を行う場所であった。
人々が恐れ、子供達の冒険の舞台であった森の物語は、現代人の感性ではもはやただのペテンでしかないのだ。
古い時代の物語が持っていた神秘や恐ろしさは、どこへ行ってしまったのだろう。
映画『ブラザーズ・グリム』での森は焼き払われ、愉快な祝祭の場面で、賑やかに幕を閉じてしまう。
映画記事一覧
作品データ
監督:テリー・ギリアム 原作:グリム兄弟(?)
音楽:ダリオ・マリアネッリ 脚本:アーレン・クルーガー
出演:マット・デイモン ヒース・レジャー
〇〇〇モニカ・ベルッチ ジョナサン・プライス
〇〇〇レナ・ヘディ ピーター・ストーメア
〇〇〇リチャード・ライディングス マッケンジー・クルック
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■2009/09/24 (Thu)
映画:外国映画■
奉天県の捕吏詰所で、劉隊長と金隊長が机を挟んで向き合っていた。
本拠地不明で、頭目すら明らかではない『飛刀門』。
劉は金に、牡丹坊に潜入し、調査するよう指示する。
かくして芸妓の小妹は『飛刀門』の刺客だった。金と劉の共同作戦によって、小妹の逮捕に成功する。
それで任務は終了だったが、劉はあえて小妹を逃がそうと提案する。小妹を囮にして頭目を捕らえようという作戦だった。
劉の作戦に賛同した金は、その夜、捕吏詰所を襲撃して小妹を牢獄から救出する。
誰もが計画を胸に秘め、謀に謀を重ねていく。
そんな中で、主人公の金だけが何も知らされずにいる。
金は鑑賞者に最も近い立場で、見えざる存在の勢力に対抗し、物語が持っている運命に翻弄される。鑑賞者は金とともに、次に迫る非情の運命を目撃する。
計画的に進行する謀も、愛によって狂い、奈落へと突き落とされていく。
『LOVERS』は愛と美の物語だ。
確かだった謀は、愛と美が絡みあい、思いがけない運命へと流されていく。
宣伝では、映画『LOVERS』は、流麗なアクションと頭脳戦が中心であると紹介された作品だ。だが映画が持っている本質は、圧倒的な美と情緒の映画だ。宣伝どおりにものを期待しようとすると、その落差に戸惑うかもしれない。
全体に様式的な美で満たされ、どの場面も絵画を鑑賞するかのよう
何もかもが美しい芸術映画。それでいて、圧倒的な身体能力が繰り出すエンターティメント映画だ。
映画記事一覧
作品データ
監督:チャン・イーモウ 音楽:梅林茂
脚本:チャン・イーモウ リー・フェン ワン・ビン
出演:金城武 チャン・ツィイー
〇〇〇アンディ・ラウ ソン・タンタン
■2009/09/24 (Thu)
映画:外国映画■
1997年8月31日。
パリのあるトンネル内で、ダイアナ元皇太子妃が死亡する。
ダイアナを乗せたハイヤーが、追跡するパパラッチを振り払おうとして、猛スピードでトンネル内に突っ込んだためだといわれている。

ダイアナ元皇太子妃の死には、疑問も多く、陰謀論が囁かれているが、とりあえず映画の鑑賞としては「フランスのトンネルで死亡した」という情報だけ頭に入れて鑑賞するのがよい。
ダイアナ元皇太子妃の死。
誰もが知る事件であり、誰もが知る人物の突然の不幸だった。
だが対照的に、当時批判の中心にいた王室の内部を知る者は少ない。
映画『クィーン』は英国王室を中心に、ダイアナ元皇太子妃死去のとき何が起きたかを描く。
折りしも、ダイアナの死はトニー・ブレアの首相就任と重なってしまった。事態はただちに政治の舞台に移され、慎重な判断と対応が必要になってしまった。ブレア首相の「国民のプリンセス」発言で支持される一方、王室への批判が高まる。
ダイアナ元皇太子妃の死亡は、王室にとっても大きな事件だった。
だがダイアナは、すでに私人であり、王室を去った人である。ダイアナ元皇太子妃を国葬にすべきか、遺族の意思を尊重して内輪だけの静かな葬儀にするべきか。
事件は王室が思っている以上に大きく、慎重な判断を選択せねばならなかった。
マスコミとは糸の切れた凧のようなものだ。
マスコミには中心的思想や信念がない。だが、大衆の代表者としての発言できる立場を持ち、大衆の意識を自由に誘導できるだけの力を持っている。ダイアナ元皇太子妃の死亡ニュースも、売り上げ増大のために扇動するだけ扇動して、責任は取らない。
世論の感情は膨れ上がる一方だった。
ダイアナ元皇太子妃の死亡に何の反応を見せない王室に、国民は怒りを募らせる。
ある者は、これみよがしに王室廃止論を叫び、ある者は暗殺を恐れて新体制側にすり寄ろうとする。
世論とは感情で動くものだし、それを操作して支持を集めるのが政治だ。ダイアナ元皇太子妃の死亡は、早くも政治に舞台を移し、政治利用されようとしていた。
王宮の前には、次々と献花が集る。シェリー夫人は王室廃止論者で、これみよがしに自身の理念を主張する。日本でも英国ほど騒がしくないが、皇族は意思論者は多く、他人ごとのように思えない。
王室廃止論者は、王室を「時代遅れの産物」と糾弾する。
「彼らは国民の税金を食いつぶして、働きもせず贅沢三昧の生活を送っている」
“進歩的”な意識を自認する人間は、いつもそう主張する。
確かに王族は生まれながらにして富と権力が与えられている。国家が破綻しない限り、生活に困る事態はない。
だが、選択の自由がない。
個人的な意見を示すことも、目の前の事態から逃走する自由もない。常に公人として人々に取り囲まれ、周囲の人々を意識した振る舞いを示せねばならない。
王族は国家と国民の最も根源的な精神を体現する存在なのである。個人としての人間ではなく、存在自体が象徴なのだ。
車の故障で高原に取り残される女王。ふと、一人きりになる瞬間が訪れる。そんなときにふらりと現れる鹿。堂々として威厳をもった姿に、女王は心を打たれる。あのようにならねばならない、と。

映画『クィーン』で描かれるエリザベス女王は、中世の偉大な女王のような威厳さを備えた人物として描かれる。
どんなにマスコミが大袈裟に騒ぎ立て、世論がそれに揺り動かそうと
しても、王族としての気高さは決して失わず、英国人の精神を体現する。
エリザベス女王は静かに、かつて騎士道精神と紳士の国と呼ばれていた英国の精神を示す。そんなエリザベス女王の、静かな威厳を前にした人々は、改めて尊敬の念を取り戻す。
映画記事一覧
作品データ
監督:スティーヴン・フリアーズ
音楽:アレクサンドル・デスプラ 脚本:ピーター・モーガン
出演:ヘレン・ミレン マイケル・シーン
〇〇〇ジェームズ・クロムウェル シルヴィア・シムズ
〇〇〇アレックス・ジェニングス ヘレン・マックロリー
〇〇〇ロジャー・アラム ティム・マクマラン
パリのあるトンネル内で、ダイアナ元皇太子妃が死亡する。
ダイアナを乗せたハイヤーが、追跡するパパラッチを振り払おうとして、猛スピードでトンネル内に突っ込んだためだといわれている。
誰もが知る事件であり、誰もが知る人物の突然の不幸だった。
だが対照的に、当時批判の中心にいた王室の内部を知る者は少ない。
映画『クィーン』は英国王室を中心に、ダイアナ元皇太子妃死去のとき何が起きたかを描く。
ダイアナ元皇太子妃の死亡は、王室にとっても大きな事件だった。
事件は王室が思っている以上に大きく、慎重な判断を選択せねばならなかった。
マスコミには中心的思想や信念がない。だが、大衆の代表者としての発言できる立場を持ち、大衆の意識を自由に誘導できるだけの力を持っている。ダイアナ元皇太子妃の死亡ニュースも、売り上げ増大のために扇動するだけ扇動して、責任は取らない。
世論の感情は膨れ上がる一方だった。
ある者は、これみよがしに王室廃止論を叫び、ある者は暗殺を恐れて新体制側にすり寄ろうとする。
世論とは感情で動くものだし、それを操作して支持を集めるのが政治だ。ダイアナ元皇太子妃の死亡は、早くも政治に舞台を移し、政治利用されようとしていた。
「彼らは国民の税金を食いつぶして、働きもせず贅沢三昧の生活を送っている」
“進歩的”な意識を自認する人間は、いつもそう主張する。
だが、選択の自由がない。
個人的な意見を示すことも、目の前の事態から逃走する自由もない。常に公人として人々に取り囲まれ、周囲の人々を意識した振る舞いを示せねばならない。
王族は国家と国民の最も根源的な精神を体現する存在なのである。個人としての人間ではなく、存在自体が象徴なのだ。
映画『クィーン』で描かれるエリザベス女王は、中世の偉大な女王のような威厳さを備えた人物として描かれる。
どんなにマスコミが大袈裟に騒ぎ立て、世論がそれに揺り動かそうと
エリザベス女王は静かに、かつて騎士道精神と紳士の国と呼ばれていた英国の精神を示す。そんなエリザベス女王の、静かな威厳を前にした人々は、改めて尊敬の念を取り戻す。
映画記事一覧
作品データ
監督:スティーヴン・フリアーズ
音楽:アレクサンドル・デスプラ 脚本:ピーター・モーガン
出演:ヘレン・ミレン マイケル・シーン
〇〇〇ジェームズ・クロムウェル シルヴィア・シムズ
〇〇〇アレックス・ジェニングス ヘレン・マックロリー
〇〇〇ロジャー・アラム ティム・マクマラン
■2009/09/24 (Thu)
映画:外国映画■
エリア51の軍事基地を何者かが襲った。アメリカ軍に変装したソ連兵士たちだ。
ソ連兵士の筆頭イリーナ・スパルコは、軍事基地内に隠されたあるものを所望していた。かつてインディ自身が調査したミイラを収めた謎
ミイラを収めた箱は、なぜか強烈な磁力を帯びていた。インディは磁力の方向をたどり、すぐにミイラを収めた箱を発見する。
そうして全員がミイラに視線が集ったそのとき、インディは機転を利かして、危難から脱出する。
あの箱のミイラは、いったい何だったのか?
なにひとつ明かされないまま、インディはFBIに監視されるようになる。
だが学部長が教室に入ってきて、インディのオフィスにFBIが調査に入ったと告
大学を追われたインディは、別の大学に職を求めて列車に乗った。
とそこに、プラットホームにバイクに乗った青年が現れる。
「おい、おっさん! ジョーンズ博士だろ。オックスリー博士を知ってるだろう」
ちなみに、冒頭のパラマウントのロゴタイトルが多分19年前のものだ。こういう気遣いがスピルバーグ&ルーカスらしい。
青年はマットと名乗り、オックスリー博士の危機をジョーンズに伝える。マットは、オックスリーから謎めいた手紙を受け取っていた。
古代コイホマ語で書かれた、暗号だらけの手紙だった。
インディは手紙の暗号を解明し、オックスリーを探してメキシコへ飛ぶ。
こうして、インディ・ジョーンズの新たな冒険が始まった……。
19年間沈黙し続けたインディ・ジョーンズ・シリーズの第4作目だ。
当時の気風や軽快さは少しも変わっていない。インディ・ジョーンズはすっかり年をとって、初老の男となってしまったが、運動能力に少しも衰えがない。
当時のスタイルを変えず、軽やかにアクションをこなし、コミカルに振る舞いつつもどんな危機も必ず乗り越える。
冒頭十数分で、我々の気分は19年間の時間を、インディと共に軽く飛び越えてしまうのだ。
人々はヒステリックに共産主義の影に怯え、アメリカ全土に赤狩りが横行し、黄金時代と呼ばれた華々しさに翳りが見え始める。
そんな時代を舞台にしたインディ・ジョーンズにも、どこかに暗い影が漂い始めている。東西冷戦はファンタジーとして描くには、あまりにも現代に接近しすぎているのだ。
それに、ミステリーの中心は宇宙人や超能力といった疑似科学だ。そんな忘れられかけたものを引っ張り出して、別の視点から光を当てようとするのが、いかにもインディ・ジョーンズらしい。
だが疑似科学もファンタジーとして描くには、やはり現代に接近しすぎている。
東西冷戦も、疑似科学を題材にしたSFミステリーも、インディ・ジョーンズ・ファンタジーとして描くには、あまりにもまだ早すぎだった。
『インディ・ジョーンズ4』に感じるのは、新鮮味や驚きよりも、どちらかといえば“古臭さ”だったように思える。
映画の多くの技法や文法は、当時のままだ。
もちろん撮影用のカメラは最新のものだし、デジタル撮影もある。高詳細に描かれるディティールなど、現代の〔過剰装飾時代映画〕の特徴だ。
それでもフィルムに投影されるほとんどのものは、当時のまま描かれている。言葉のやり取りも、アクションの描き方も、俳優を取り巻くビビッドな色彩も、なにもかもが当時を回想させる小道具だ。
『インディ・ジョーンズ』は、古典映画とするには、まだ最近過ぎる映画だ。だが映画の制作者達は、当時の表現手法を、スタイルとして頑固に守り続けている。そうした頑固さが、我々をどこか懐かしい気持ちにさせる。
映画記事一覧
作品データ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
製作総指揮:ジョージ・ルーカス キャスリーン・ケネディ
音楽:ジョン・ウィリアムズ 脚本:デヴィッド・コープ
出演:ハリソン・フォード シャイア・ラブーフ
〇〇〇レイ・ウィンストン カレン・アレン
〇〇〇ケイト・ブランシェット ジョン・ハート
〇〇〇ジム・ブロードベント イゴール・ジジキン
■2009/09/23 (Wed)
映画:外国映画■
会社に入っていくと、皆が僕を振り返った。部外者を見る目。異端者を見る目。
僕は微笑で返して、小さな声で呟く。
僕はこの会社に8年間務め、靴の研究に没頭し続けた。靴と簡単にいうが、靴は人と大地を繋ぐ。よりよい靴は、我々を高め、可能性を引き出してくれる。
僕には可能性があったし、可能性にかけていた。8年間、家族や友人に会わず、研究に研究を重ねてきた。最上の瞬間のために。
そうして、完成した。
魔法の靴。
雲の上を歩くような靴。
何もかもが成功しているように思えた。
だから僕は、社長に呼び出された。クビを告げられるための儀式みたいなものだ。
失敗とは成功しないこと。失敗は誰にでもある。だが大失敗は――大失敗は神話的なスケールの災厄を意味する。その神話は人々の噂のタネになり、聞く人に喜びを与える。――自分じゃなくてよかった、と。
それで僕のしたこと?
さあ死ぬぞ! あの世へのフライトだ!
そんなとき、電話が掛かってきた。
「ドリュー、悪い知らせがあるの。パパが死んだの。心臓発作よ。ママは取り乱している。兄さんが行って来て。長男でしょ。責任がある
主人公ドリューは有名なシューズメーカーに勤めていたが、大惨事を引き起こした責任を取って解雇。自殺を決意するが、それを一歩先に進むように、父の死を知らされる。
父が死んだのは、遠い伯父の家だった。ドリューは父の遺体を回収
そんなドリューの前に現れたのがフライトアテンダントのクレアだった。クレアは短い会話からドリューの心理状況を察し、エリザベスタウンへの地図と自分の電話番号を託す。
人生は一つの長い道である。だが、その道を最後まで行き進むだけが人生ではない。人生はいつか思いがけない節目を
ドリューの場合は、大失敗と挫折を切っ
自殺を決意したドリューは生と死の境目に突入していく。誰もいない飛行機。使者のように現れるクレア。
その向うに現われるのは、未知の世界。エリザベスタウンはいわば異界であり、ドリューは異界に迷い込んだ異邦人である。
ドリューは道に迷い、正しい道を探して彷徨し続ける。
映画の中心にあるのは、登場人物の言葉だ。画面の構成はほとん
キャラクターが次々に現れ、言葉を重ねていく。言葉を重ねている最中でも、人物は決して静止しない。常に動き続けて、鑑賞者を退屈させない。躍動を始める人生を象徴するように、人物は常に動き、騒ぎ、声をあげて物語を綴る。
もうお終いかもしれない……。
しかしそう思ったときこそ、新たな何かが発見される。その瞬間を描いた映画だ。
映画『エリザベスタウン』には何か始まるかもしれないと
大きな挫折や憂鬱な気分に捉われているときにこそ、観たい映画だ。
ひょっとしたら違う何かが始まるかもしれない。そんな気持ちを信じられる作品である。
映画記事一覧
監督・脚本:キャメロン・クロウ
音楽:ナンシー・ウィルソン 撮影:ジョン・トール
編集:デヴィッド・モリッツ
出演:オーランド・ブルーム キルステン・ダンスト
〇〇〇スーザン・サランドン アレック・ボールドウィン
〇〇〇ブルース・マッギル ジュディ・グリア
〇〇〇ジェシカ・ビール ポール・シュナイダー
〇〇〇ゲイラード・サーテイン ジェド・リース