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■2013/04/20 (Sat)
ここに掲載する写真は、すべて『ドラゴンクエストX』ゲームプレイ中に撮影された画像です。
すべてPhotoshopElementsによる画像処理が加えられています。


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撮影場所:ランガーオ山地


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撮影場所:グレン城下町


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撮影場所:グレン城下町


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撮影場所:ラニアッカ断層帯


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撮影場所:ラニアッカ断層帯


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撮影場所:ラニアッカ断層帯


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撮影場所:ミューズ海岸


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撮影場所:オルフェア地方西


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撮影場所:風車の丘


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撮影場所:キリカ草原


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撮影場所:アズラン地方


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冊絵場所:アズラン地方


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撮影場所:スイゼン湿原


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撮影場所:スイゼン湿原


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撮影場所:スイゼン湿原


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撮影場所:港町レンドア北


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撮影場所:オルフェアの町


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撮影場所:オルッパ地下洞窟


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撮影場所:ネタバレのため非公開


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撮影場所:ネタバレのため非公開


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撮影場所:ネタバレのため非公開


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撮影場所:ガタラ原野


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撮影場所:ガタラ原野


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撮影場所:ガタラ原野


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撮影場所:ガタラ原野


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撮影場所:港町レンドア北・ツボ錬金ギルド


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撮影場所:娯楽島ラッカラン・ランプ錬金ギルド


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撮影場所:ネタバレのため非公開
備考:パンツの色は黄色の縞々。

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撮影場所:ネタバレのため非公開


ドラゴンクエストX ベータテスト体験記/WiiU版 WiiU版『ドラクエX』概要記事はこちら

ドラゴンクエストX目覚めし冒険者の広場 ※ゲーム中に撮影した画像は、このサイトのマイページで確認できる。




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■2013/03/31 (Sun)
今回は趣向を変えて、WiiUのMiiverseで絵を描く過程を追っていこう。

2e8ef32a.jpegMiiverseとは?
WiiUを起動すると、テレビ画面にはいくつかのタイトルのサムネイルが浮かび上がり、その周囲に一杯のMiiが取り囲む。これが『わらわら広場』と呼ばれるスペースである。浮かび上がっているサムネイルは、WiiUで発売、あるいは配信しているタイトルで、このサムネイルをクリックすると3f33e4d6.jpeg中を覗くことができる。中はユーザー達が情報や意見をやりとりするコミュニティスペースとなっており、このコミュニティスペースが『Miiverseである。
ここでは100字のコメントと小さな画像を描くことができて、ちょっと見たところ、ツイッターに似たインターフェイスである。ツイッターとの相違点は、特定のゲームのコミュニティに特化したところ。それから「そうだね」ボタンが設置されており、特にコメントがなくてもこれを押すことで共感を示すことができるようになっている。ツイッターとフェイスブックの要素を少しずつ持っていると見ればいいだろう。
短いコメントでも、「そうだね」を押してもらえるとなかなか嬉しい気持ちになるものである。

71625b78.jpegMiiverseのサービスが始まって以来、案の定というか抜きん出た技術を持った絵師達が素晴らしい画像を投稿しはじめ、特定のコミュニティはほとんど絵師たちによる作品発表の場と化し、文字投稿の存在を圧倒してしまっている。pixivやニコニコ動画と同じような様相や傾向を持ち始めている、というべきだろうか。
しかしMiiverseはまだpixivやニコニコ動画ほど一部の権威的なユーザーの色に毒されておらず、芽吹いたばかりの文化の素朴さをまだ持っている。確かに一部の凄まじい技巧を持った絵師たちの投稿があるものの、まだそれほど排他性を目的とした批評などは育っておらず、ユーザーの感覚は穏やかで巧い絵も下手な絵もまあまあな絵も並列に並び、いっしょくたに楽しもうという印象が残っている。

将来的にはそういった穏やかさはなくなってしまうかもしれないが――今はこの穏やかさに積極的に参加して楽しみたい。


MiiVerseで絵を描く
というわけで、今回はこのMiiverseで絵を描いてみようと思う。
普段、ブログを読みに来ている人は(そんな人いるのか?)察しだと思うが、私は絵を描くようなタイプではないし、技術など全くない。平凡無個性的なキャラクターを何とか描けるくらいだろうか。
それでもある程度丁寧に描けばまあまあそこそこの絵くらい仕上げることはできるし、Miiverseではまあまあそこそこの共感をいただいている。
絵を描くとこは難しく、石にかじりつく覚悟の修行がなければ本当の意味で会得することはできないが、丁寧に形さえ整えて描けば誰でもまあまあそこそこの絵は描ける。その実証例を、説明つきでここで過程を追っていこうと思う。

3a976099.jpegまず完成形を。『けいおん!』の主人公平沢唯だ。
私は技術がないので、細かい描写はできない。Miiverseの中には、存在自体がオーパーツというくらいうまい人は一杯いるのだが、そういった絵を再現することはできない。しかしこの程度なら描けるし、おそらく誰にでも描けるだろうと思う。これ以上にうまい絵を描こうと思ったら、実質的な絵の修行と長い年月が必要だ。

















b0cba024.jpeg6ddba2fb.jpeg最初はざっくり輪郭線。
Miiverseにはレイヤーなどというものはない。ラフを積み重ねて壮大な絵巻を描くことはまず無理だ(できる人はできるが)。大雑把に形が見えてきたら、どんどん整えて完成形に持ち込んでいった方がいい。
Miiverseの絵師の中には、ラフもなしに、いきなり一発書きに近い感覚で絵を描く人もいるようだが、それは本当に絵のうまい人なので参考にしない。
ついでにツールと言えばペンと消しゴムだけ。拡大機能もない。最低限のツールしかない。使い勝手のいいツールとはいえない。





2f4c7875.jpeg13fe6a42.jpeg96c44ff8.jpeg最初は顔の輪郭線を。
じわじわと形を整えていく。
絵を描く際には必ずお手本を目の前に置くべきだ。普段から絵に親しみ慣れている人ならば問題ないが、私はそういったタイプではなく、お手本を目の前に置かないとまったく描けない。お手本を目の前に置き、元の描き手の癖をよくよく確かめながら絵を描いていけば、それなりにいい感じの絵ができる。輪郭線一つ取っても人によって随分癖があるので、たかが輪郭線と思わず、元絵をよく見てじっくり描き込んでいって欲しい。最初の一歩目から躓くことのないように。

40a418cc.jpeg645d0415.jpeg次に目を描く。目元はもっとも慎重に描くべき部分だ。ほんのちょっとの差で深刻なくらい絵の印象が変わってしまう。
Miiverseはあまり大きな画像は作れない。この辺りは、ほとんどドット画感覚で、ぎりぎりまでこだわって修正を入れたい。











6880505f.jpeg44f491b5.jpeg『けいおん!』キャラクターの目は、やや上くらい。最初のラフではずいぶん下にしてしまったので、位置に修正を入れながら描写していく。
目の中のタッチ線は、ちょっと描いてみたが、汚れにしか見えなかったので途中で消した。












c47cf8e2.jpeg目元を描いてから、やっぱり輪郭線がずれていたことに気付く。後にすると修正不能になるので、今のうちに直しておく。
よく目鼻口のバランスがおかしいことに気付くが、一つ一つを消していけば、どのパーツの位置がおかしいかわかる。バランスは大切だから、慎重に、位置を決めて。今回は正面顔だったので簡単に修正できた。
頬のタッチ線は、うまく再現できなかったので省略。










bc9da7d3.jpeg80988ad8.jpegf17cfdd3.jpeg髪の毛を描いていく。ここで私がよくやらかす失敗は、輪郭線と頭のラインがずれて、ヅラを被っているような絵にしてしまうことだ。今回は……まあまあうまくいったようだ。








3b35647d.jpeg745bc2b0.jpeg前髪と髪留めを描き終えたところで、眉毛と二重まぶたを書き忘れていたことに気付く。うっかり忘れるところだった。
髪留めを描くと何となくそれっぽくなる。
平沢唯といえばふんわりした髪のボリューム。顔が似ている憂を描き分ける時のポイントでもある。普段キャラクターを描く時よりも、頭を少し大きめに、ふわふわした印象を心がけて。
また仕上げの想定してラインを大きめに描いておく。







62e9e85e.jpeged1b725a.jpegd00a732f.jpeg服を描いていく。首からはじめて襟とネクタイを、ブレザーを描き込んでいく。原画のネクタイの丸みのある描き方をよく見て描く。少ししか見えないが、平沢唯の特徴である、丸みのある肩を意識して。
ブレザーは原画では黒に近い紺色。髪の毛よりさらに一段太い線で描いておく。




3e7d0c40.jpeg服がすっかり描けてから、首の後ろの髪を書き足していく。ラフで描けるならどちらでもいいが、体の線を確定してから描かないと位置が決められないので、今回の場合は体を描いて、それから髪の毛を描く。













f74d3921.jpegようやく線画が完成。髪の毛のディティールを書き足していく。















濃淡の表現にトーンを使用する人は多いが、私はこの技術をまったく使えない。トーンを作成する際、特別な道具を使用するわけではない。手動で規則正しくドットを打ち込んでいくのである。
しかし私はこの正確にドットを打っていく作業はまったく駄目である。どうしても狙ったポイントに点を打つことができず、この技術を習得することができなかった。(もはや誰もが当たり前のようにトーンを使用しているが、ここに日本人の手先の器用さを感じてしまう)
そこで点描である。点描、といっても、ちょんちょんちょんと点を打っていくだけでもので、技術とすら呼べない簡単な方法である。簡単な技術だが、点の打つ量次第で濃淡を表現でき、しかもMiiverseの画像はあまり大きくないので、全体を細かく点を打つのにさほどの時間も労力もかからない(“大きな画像が作れない”という問題がここで利点となって出てくる)。トーン技術のない人には点描はお勧めの技法である。

8fd536e0.jpeg5e9b997d.jpegでは実作。どこからでもいいので点を打っていく。髪の毛のラインを太めに描いたのは、点描で作った濃淡で線が埋没してしまわないようにである。線画だけだと太すぎに見えたラインも、点描を打っていくと馴染んでいく。












3e151cab.jpegc9159864.jpegd7da9625.jpegブレザーは髪の毛より濃い点描で。影部分を真っ黒に塗りつぶし、その濃さを基準に点を打っていく。襟の部分は制作の過程で見えなくなってしまうので、さらに太い線で縁取りをしておく。
光の当たる肩部分は点をやや少なめに。点の打ち方で濃淡を表現できる実例である。




9cfd740b.jpegfea45f28.gifいよいよ完成。光が当たる部分の点描を少し消して、シャツ部分の影を書き足して完成。
なかなかいい感じの絵ができあがったが、投稿すると身バレしてしまうので、ここまで来て全削除。
描くのにかかったのは1時間程度。むしろ、ブログ用にカメラで撮影した画像の歪みを修整するのに時間がかかった。

右は完成までの過程をGIF動画にしたもの。




絵を本格的に学ぼうと思ったら、何年もかけて修行しなければならない。
しかし、私が今回見せた程度の絵ならば、修行など必要なく、原画をよく見て丁寧に描けば誰にでも描けるものである。絵がうまくなりたいと思っている人に本格的な絵の指南はできないが、まあまあの絵を描くための大雑把な方法と、その実証を示すことくらいならできる。というか、私の力などそれくらいなものだ。
共感をもらえる絵を描きたいと思っている人は、もう少し丁寧に、自分がいま描いているものの形を正しながら。それだけでずいぶん変わるものである。

いい感じの絵を描き、それなりの共感をもらって、Miiverseをより楽しんでもらえば幸いである。






 

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■2013/03/09 (Sat)
これは私が『ドラゴンクエストX』ベータテスト(WiiU版)のプレイ中に体験した話である。
Wii版『ドラゴンクエストX』は未プレイである。

この記事はゲームのネタバレが大量に描かれている。


ゲームをスタートさせて、最初にプレイヤーがやらなくてはいけないのは、キャラクターメイキングである。プレイヤーの分身たる主人公の設定を作るのは当然であるが、その後さらに主人公の家族を創造する場面へと続いていく。主人公は両親をなくしている設定で、ここで選択できるのは唯一の家族である兄/姉/弟/妹の中から一つだけである。私はここで、“姉”を設定した(デフォルト設定は“妹”らしい)
私自身は小柄でピンクの髪をした少女にした。名前は、ここでは“ラケル”としておこう。女武闘家にするつもりだから、武道家になったときの衣装や設定に似合いそうな容姿や体型を選んだ。姉の名前はレアだ。

キャラクターメイキングが完了すれば、ゲームが始まる。
場所は鬱蒼たる森を小さく切り拓いて作られた村である。エテーネ村――と村人は呼んでいる。村の中心には森の木で組み立てられたモニュメントが建てられている。モニュメントはのこぎりを使わず木を丸太の状態のままで積み上げた素朴な作りで、色鮮やかなタペストリーが被せられている。
そんなモニュメントの前に立っていると、背後からラケルを呼びかける声が。姉のレアだ。振り向くと、大きな亀の甲羅に乗っているレアがいた。レアと一緒に乗っているのは、村の老巫女のアバだ。
巨大な亀は村の守り神である「カメさま」だ。レアと巫女アバの2人を載せてもまだ余裕のあるカメさまは非常に大きく、甲羅の高さはラケルの頭より少し上だ。
カメさまはずっと長い眠りに入っていて、ラケルがこのカメが目を覚ましているところは一度も見た経験はない。しかし今カメさまは、カメらしくゆったりしているものの、どっしりとした貫禄を背負ってのしりのしりと歩いていた。
レアが言うには、カメさま自身で乗っていい、と言ったらしい。さらにレアはラケルも載せようと手を伸ばすが――「ならん!」と巫女アバが気色ばんで反対する。なぜならばラケルは……。
ここで目を覚ます。夢だったのだ。現実のカメさまは眠りについた目を覚ます気配はない。それに村の問題児であるレアは巫女アバと一緒にカメさまの甲羅に乗るような間柄ですらない。
ラケルが目を覚ますと、すでにレアが何かしらの問題を起こしたところらしかった。ラケルはいつもしているように、姉のレアの後始末をするために、村の中を駆け回ることになる。

ゲームは主人公ラケルが目覚める場面から始まる。現実から異空間へプレイヤーを導く、セオリー通りの冒頭だ。
ベッドから身を起こし、まず周囲を見回して最初に思ったのは――でかい。何もかもがでかい。部屋の広さも、ベッドの大きさも、樽やその他の大きさも、果たしてここは巨人の国だろうか、というくらいに不釣り合いな大きさだった。
主人公をもっとも小さいサイズの設定にしたのがまずかったのだろうか。とにかく家の外に出るが、やはりでかい。軒下の隙間にうっかり入り込んでしまうのではないかと思うくらい、周囲の家は大きかった(軒下に入れないだろうか、と試したが無理だった)

主人公に最初に与えられた課題は、姉のレアがしでかした問題の後始末だった。錬金術に入れ込んでいるレアだったが、これでアバの「ハツラツ豆」を駄目にしてしまった。ハツラツ豆は村で最も偉大な権力を持つ巫女アバの好物で、これが失われたとなれば落雷は必死だ。そうなる前に、アバの機嫌を取る必要がある。肝心のレアは逃亡してしまったので、ラケルが一人でアバの元へ向かい、謝りに行くことに。
村で一番大きな建物である教会へ向かうが、アバは部屋で眠っているところだった。アバが目を覚ますまでの間、ラケルには別の課題が与えられる。「フカフカのもみガラ」と「干しどくけし草」の2つを村人からもらってくるようお使いを頼まれるわけだが、この過程でささやかなチュートリアルが挿入される。村人との会話で画面の見方や操作説明を。村の中を探索していくうちに、壺や棚の中、家の裏に置かれている宝箱を見つけるなどをして必要なアイテムを揃え、このゲーム特有のルールを身につけていく。
その後、ようやく巫女アバが目を覚ますが、今すぐにレアを連れてくるようにと指示される。ハツラツ豆の問題ではない、別の、何か重大な事件……いや予言を授かったのだとアバは言う。
レアが逃げるとしたら、いつもの場所だ。村の外に出て、草原を北東へ進んだ場所。「いしずえの森」と呼ばれている場所にレアはいるはずだ。ラケルは必要な装備を整えて、いしずえの森へと向かう。

村を出ると、周囲を高い崖に囲まれた、少し広めの庭園といった空間の草原が現れる。完全に自然のままの風景ではなく、草原の一部は切り拓かれて道が作られ、要所要所に村人が迷わないよう立て札が立てられている。草むらは背が高く、赤く色づく花がささやかな風に揺れている。そんな風景の中を、スライムがぴょんぴょんと飛び跳ねている。崖に囲まれているので眺めは狭いが、穏やかで牧歌的な風景だ。
時々襲いかかってくるスライムを蹴散らしながら草むらを進んでいくうちに、少しずつ経験値を蓄積させていく。そうしながら、やはりでかい、と思う。草むらはどれも背が高いし、花は南米の熱帯の中で育ったかのように大輪を咲かせている。遠景に見える木々はまあまあ手頃な大きさに見えるが、近寄ってみるとどれも異様に幹が太い。ここは巨人の国なのだろうか。いやそれとも原生林の時代の、奔放に育っていく自然の威容を表現しようとしたのだろうか……いや、草原には明らかに人間や文明の手が介入した痕跡があるのだが。
それはともかく、いしずえの森に到着する。ここは古い時代の遺跡が残る森である。高く育った草むらや茂みに紛れて、何か曰くありげな石碑が置かれている。そんな場所に姉のレアがいた。錬金術の失敗でハツラツ豆が失われたわけだが、レアは故意に悪さを起こしたつもりはなかった。次は必ず成功させる、とここで錬金術の研究を続けていたのだ。

そんなレアを連れて、アバのもとへと戻る。アバはさらに村人全員を集め、眠っている時に得た予言を伝える。それは……村が滅び、村人全員が死ぬという破滅の予言だった。しかし、育みの大地を抜けて、その向こうの「清き水の洞窟」に咲いている「テンスの花」を手に入れられれば、破滅の悲劇を回避できるという。
さっそくレアとシンイの2人を伴って、洞窟を目指す冒険が始まった。
ここから本格的なゲームが始まる。敵と戦いながらレベルを上げ、ストーリーを進めていく。戦闘システムはややルックスが変わり、固定ターン制バトル方式ではなく、アクティブリアルタイムバトルとなっているが、コマンドを入力して行動を決めていくやり方には変わりなく、これまでのシリーズの経験があれば戸惑うことなくゲームに入っていけるはずだ。また戦闘の場面は、“特設の戦闘空間”ではなく、一旦画面は切り替わるもののマップフィールドのままだ。戦闘が終了すると、切り替えなしでそのままマップフィールドの移動シーンに戻る。戦闘中、カメラを動かして方向がわからなくなる場合がよくあるので、戦闘終了後、地図を見て方向を確認しよう。
ただし今回は、アナログスティックと十字キーの操作が分離しているキャラクターの操作はアナログスティックで、ウインドウのカーソル操作は十字キーで、と役割が分担している。これまではウインドウを開けばゲームは一時中断となっていたが、ウインドウを開いた状態でもアナログスティックでキャラクターを操作できて、ゲームを進行させることができる。さらにZLボタンが「オートラン」になっており、これを押すとキャラクターを自動的に前方へと走らせることができる。オートランの状態にして、少しアナログスティックで方向を調整してやれば、後はゲームを見ているだけでいい。
この操作体系がどんな時に有効かと言うと、オートランにした状態で、ステータスなどをじっくり確認する時だ。次のレベルまであとどれだけ経験値が必要なのか、今お金がどれだけあったか、現在のクエストは何があったかしら、等々。今までの『ドラクエ』だとウインドウを開いて、ゲームを一時中断状態にする必要があったが、『ドラクエX』はこれまで無駄にしていた一時中断の時間を、情報の確認する時間に割り当てることができる。またこの設計は、オンラインゲーム中にキャラクターを“走りポーズ”のままなど不自然な停止状態にさせないための配慮である。

敵は強力になっていくので、レベルを上げて装備を整えて準備万端にしなければならない。ここではレベル10が上限だ。仲間となる姉のレアとシンイはレベルアップしないし、こちらから直接指示を与えることはできないが、強力な味方だ。
要所要所に中ボスとなる強力な敵が待ち構えているが、これを蹴散らせて進み、「清き水の洞窟」へと突入する。敵はさらに強力になっていくから慎重に進める必要がある。仲間の体力が減ってきたら、一旦村に戻って回復させたほうがいいだろう。自分の家のベッドを調べれば、眠ることができる。
ようやく洞窟の最深部へ。明らかに文明的な香りのする、装飾が張り巡らされた古い扉を開けると、その向こうに、確かにテンスの花が咲いていた。広い部屋はかつて温室だったのか、足下には水が浸され、中央の空間へ飛び石が連なり、小さな離れ島となったそこにはテンスの花が一杯に咲き乱れていた。
ほっと安心したのも束の間、そこに魔導鬼ベドラーが出現する。魔導鬼ベドラーは口から漏れる青い息でテンスの花を燃やし尽くそうとする。そうはさせまいとラケル達が武器を手に魔導鬼ベドラーを攻撃した。
戦いが終わり、何とか残ったテンスの花を手に入れて清き水の洞窟を後にする。

洞窟を出ると、何か風景がおかしい。空は赤く黒く沈み、どこかで低く唸るような音がしている。それに森や草原が風の音だけを残して沈黙している。あれだけいた魔物の気配が、そこから忽然と消えてしまっている。何かが起きた……。そんな予兆で不安にかき乱されていると、唐突に雷が落ちた。村の方だ。自然の雷ではない。ラケル達は村を目指す。
村に辿り着くと、そこはすでに壊滅状態だった。忌まわしきデーモン達が跋扈し、村は焼かれ建物が崩れ、村人は虐殺されていた。村から吹き上がった黒煙が、沈みかける夕空の闇へとかき消えていく。その闇の中から、まさにその住人と呼ぶべき主が姿を見せていた。この者が魔物を扇動して村を焼くように指示したのだ。
すぐに魔物の群れがラケル達に気付いた。魔物は黒き魔法の渦を作り出し、ラケルたちが立っている場所をめがけて落とす。その落下地点に立っていたのは――レアだ。
ラケルはレアに手を伸ばす。シンイが振り向く。間に合わない――!
その時、何かが起きた。全てが停止していた。もくもくと勢いをつける黒煙が形を定め、飛び交っていた火の粉がその場所で留まっている。村を覆っていた魔物達の罵声も、激しい破壊の轟音も、その瞬間静止した。そんな只中でレアだけがただ一人、時の狭間に取り残されたように停止した時間を見ていた。
これはいったい……しかしその意味を解する間もなく、再び時が動き出す。ラケルとシンイには、魔力の渦で地面が吹っ飛び砂煙が巻き上がる寸前、レアの姿が消えたように見えた。
レアはどこかに転送されたのだ。きっと無事に違いない。そう救いを得たその直後、ラケルは次なる魔物の攻撃で命を落としてしまう……。
この魔物の襲撃場面は、リアルタイムムービーとレンダリングムービーの混合で描かれる。リアルタイムムービーとレンダリングムービーは、WiiUが高い表現力を持っているため、あまり違和感がない。全編レンダリングムービーで描けばいいのに、なぜ間にリアルタイムムービーを挟み込む必要があったのかといえば、主人公とその親族をプレイヤーの手でエディットしているからだ。まさかプレイヤーが作るであろう全てのパターンのムービーを用意するわけにはいかない。だからプレイヤーが創作したキャラクターが登場する場面だけはリアルタイムムービーである必要があったのだ。
そうすると、やはり細部の作り込みに違和感が出てきてしまう。特にクローズアップ。キャラクターの全体骨格はそれなりに密度の高いモデリングで描かれているのだが、キャラクターの顔の部分だけやけにドットの粗が目立つ。シンイは固定キャラクターだからレンダリングムービーでクローズアップしても当然崩れる部分はなく、あの点だけの目が高密度の空間の中に描かれるのだが、それが対比となってしまうので主人公キャラクターの作りがどうしても荒く見えてしまう。あの場面だけ、もう少し密度の高いモデリングを用意することはできなかったのだろうか。
すでに一昔前の技術による表現法とはいえ、レンダリングムービーとリアルタイムムービーの継ぎ目に違和感はなく、カットの流れ自体にストレスはなかった。

こうしてラケルは死亡する。しかしその魂は何者かに引き上げられ、天上の世界へと導かれていく。何者かの意思と力によって、ラケルは別の者の肉体を借りて復活することとなった。
ここで、選択肢が与えられる。
最初の選択肢は、復活する肉体。プレイヤーは5つの種族から素体を選択する。「オーガー」「ウェディ」「エルフ」「プクリポ」「ドワーフ」の5種だ。
6ffa7407.jpeg次にルックスのメイキング。最初のプレイヤーメイキングと同じ操作を、ここでも繰り返す。私はここで、姉のレアそっくりにキャラクターを作ってしまう。というのも、最初のキャラクターメイキングの後、実際にゲームが始まってみるとレアが主人公ラケルより可愛く見えてしまったからだ。それに、この設計が後々失った姉を求める孤独な少女のお話、というシスターコンプレクス的なテーマを物語に添えられるかも知れないと思った。
次に職業の選択だ。「戦士」「僧侶」「魔法使い」「武闘家」「盗賊「旅芸人」の5種。もともと武闘家の女の子を作るつもりだったので、この選択はオーガーで武闘家の一択。
この一連の選択を終えると、再びゲームが始まる……。

ラケルが再び目を覚ましたのは、雪を抱く冷たい大地だった。雪山の最中らしく、村を取り囲む岩肌は硬く冷たい。冷たい風はつぶてのように固まった雪をいつも交じらせていた。
ラケルは女に引き摺られて、村の入り口へとやってくる。ラケルは死亡していた。魔物の住み家となっている洞窟の入り口で、力尽きて倒れていたのだという。
いや、同じ時に死亡したオーガーの体を借りたのだ。死んだオーガーの周囲に、村人達が集まってくる。そこに、ラケルの魂が肉体に宿り、オーガーとなって復活する。
ここからオンラインゲームがスタートするベータテストはオフラインの選択はできない。ベータテストが始まった直後なので、同じように死から復活した“導かれし者“が村中に溢れ返っていた。
83abadbc.jpeg私が『ドラクエX』をスタートさせたのは、記録によれば3月6日の3時20分。オンラインに入ったのは4時頃だったと記憶している。みんな同じくらいの時間にベータテストのダウンロードを終えて、エテーネの村の事件を経てオンラインに入ってきたようだ。ランガーオの村は頭に初心者マークを付けたオーガーで一杯だったし、チュートリアルミッションを与えてくれる人の周囲はぐるりと人垣が取り囲んでいた。ある意味、シュールな光景である。
このチュートリアルでカメラを入手でき、これでゲーム中で撮影した写真をスクエア・エニックスのサイトで確認するととができるようになる。掲載される写真は、私がゲーム中で撮影した写真である。(→ドラゴンクエストXプレイヤー専用サイト/ゲーム中で撮影した画像や、ゲーム中の様々な情報はここで確認できる)
(みんな同じ発想だったのだろう、パワー系オーガーに戦士や武闘家を掛け合わす人は多かった。みんな背中に大剣背負い、あるいは腰に爪を吊していた。魔法使いや僧侶を選んだ人はいたが、少数派だった)

オンラインゲームが始まり、ランガーオ村でオーガーとして復活したラケルは、一通りのチュートリアルと情報収集を終えると、ある使命を携えて村の外に出ることになる。
するとそこは――合戦場だった。広がりのある雪原の風景のあちこちで戦闘が始まっていた。フィールド上には常に絶えずモンスターが配置されているわけだが、ベータテストを始めたばかりのプレイヤーが我先に経験値を得ようとモンスターに戦いを挑んでいたのだ。そこら中で血なまぐさい戦闘が、攻撃の音や怒号や悲鳴、レベルアップ音が混じり合って、フィールドと呼ばずむしろ戦場というべき光景へと変質していた。(エテーネ村で「周囲が大きい」と思った問題は、ここでは解消される。家のサイズやフィールドの植物の大きさは、“手頃”と思えるサイズになっていた。人間ではなくオーガーやその他亜種のサイズに合わせてデザインされていたようだ)
私も彼らの合戦へと飛び込んで戦場の兵士の1人となる。ここからオンラインゲームが始まるわけだが、ゲーム設計はいきなりシビアになる。何せ戦闘に勝利しても経験値と金が1しか手に入らない。いくら戦っても、なかなかレベルアップしないし貯金もできない。『ドラクエ』シリーズはRPGの中でもストレスなくサクサク進むのが特徴になっていて、エテーネ村での事件までは確かにこの『ドラクエ』シリーズの個性は受け継いでいたのだが、オンラインゲームが始まると途端に進行は緩慢になる。レベルが上がらず、話もなかなか進められない。これがオンラインゲームにおけるごくごく一般的な設計だ、と言われても何となく納得できない。レベルが上がらない、お金が貯まりにくい、という状況を作ってプレイヤーを長くオンライン上に拘束させようという運営側の某策のように勘ぐってしまう。もしも簡単に強くなってしまうことが問題だというのならば、イベント進行毎に、あるいは特定アイテムを使用しない限り上限にキャップが被せられる設計にすればいいのに、と思うのだが。
7a53ae68.jpegしかしこの状況がゲームマスターの設計であり、プレイヤー側に選択肢がないならば、あえてそれを受け入れよう(もしも異議があり、その異議に明確なビジョンがあれば自分で作る)。ゲームを進行させ、「ロンダの氷穴」へ。ここでオーガーのラケルは力尽きて倒れていたのだ。この最奥に「ルーラーストーン」を落としてしまっていて、これを回収するのが最初の仕事だ。
ロンダの氷穴に入ると、やはり同じ使命を持ったプレイヤーで一杯だった。そうなるのを見越してなのだろう、ダンジョン内には広々とした部屋が作られていて、そこが狩り場となっていた。狩り場となる部屋には、モンスターが絶えずポップされるようになっている。部屋は手前と奥とで2つあり、それぞれでモンスターの強さに差があるように作られていた。初心者は手前の部屋でレベル上げ、少し慣れてきたら奥の部屋でレベル上げ、とわかりやすい設計だ。
1ecb5b26.jpeg普通のオンラインゲームでは、よい狩り場を見つけたら誰にも知らせず独占するもの……そういうふうに言われているが、『ドラクエX』に限っては、みんなで共有したほうがゲームを有利に進められるようになっている。「おうえん」ができるからだ。戦闘中の他のプレイヤーに近づいて、「おうえん」をして戦闘を外から支援することができる。他のプレイヤーに「おうえん」をすれば、自分の戦闘にも「おうえん」をしてくれる。戦闘に相互互助の仕組みができあがっているのだ(「おうえん」をすると、「ありがとう!」と返す、ちょっとしたコミュニケーションが簡単に取れる仕組みもいい)。誰かの善意に頼り、頼られる、これはなかなかいいシステムだ。それに、モンスターはどんなにプレイヤーが大挙してダンジョンに入ってきても絶えずポップするだけの数はいるので、誰かに独占されたりすることもない。

63a6b953.jpegランガーオ村での事件を無事に終えて、ラケルは姉のレアの姿を求めて南へと向かう。ランガーオ村の長であるクリフゲーンから「一人前の証」と「鉄道パス」を手に入れているので、これがあればどの地域へ行ってもコミュニティの長と面会できるし、鉄道に乗ってどこへでも行ける。この2つを携えて、ラケルの旅はいよいよ本格的に始まる。
ランガーオ山地を南へ下っていき、獅子門前の集落へとやってくる。ここまで来ると、あれだけ一杯いた初心者プレイヤーは一気に姿が減る。広いフィールドを孤独に旅をして、ゲームを進めていく。
しかしこの辺りで、前述の悩みごとが大きく膨らんでくる。経験値と金がなかなか手に入らない。獅子門手前に登場する「おにこぞう」が手軽に倒せるモンスターなのだが、手に入るのが1体に付き経験値6、ゴールドが5。獅子門をくぐると、急にモンスターが強くなるからここでレベル上げする必要があるのだが、経験値5をちょっとずつ集積してもなかなかレベルアップには至らない。金も貯まらないから、なかなか新しい装備を整えるというわけにはいかない。レベル上げに時間を消費し、ゲームの進行はここで一旦停止してしまう。

e53f6608.jpegそれでもやっとグレン領内へ。グレン城へ到達すれば列車に乗ることができて、一気にプレイヤーの行動範囲は広がる。しかしグレン領内の敵の強力さといったら! しかもグレン領内は広大なので、最初は追跡してくるモンスターを回避しながら、何とかグレン城へ駆け込む、とった感じである(同じように走り抜けようとするプレイヤーを何度も目撃した)
獅子門周辺で集めた金で、グレン城の店でワンランク上の武具を整えて、キャラクターの力を底上げをする、という作業を繰り返しながら、ゆっくりイベントを消化していく。この辺りからストーリーの本筋とは関係ないサブミッションを色んな所から依頼されるようになる
しかし、この辺りで少しずつ進んでいたゲームは行き詰まってしまう。レベルアップさせたいが、経験値の多い強いモンスターには歯が立たない。レベルアップさせないと、話を進められない。お金が貯まらないとアイテムを買えない。この段階の頃にはグレン領内のモンスターとある程度戦えるようになっていたのだが、手に入る経験値は20、対してレベルアップに必要な経験値は1500~2000。入手ゴールドは相変わらず5だった。おにこぞう辺りから入手できるゴールドが増えなくなっていた。
そんな時、不意に「仲間の誘いが来ました」と画面上に現れる。本当に唐突だった。Xボタンを押せば返信ができる。ゲームを進めるチャンスかも知れない、と私はOKを出すが、果たして私を誘った人はいったいどこにいるのだろう? というより、いったいどういう切っ掛けで私を発見したのだろう? ここは今でもよくわからない。
チャットで連絡を取り合うと、仲間に誘った相手はグレン城内の鍛冶場にいた。私はこの時、グレン城下町の通りを走っていたから、まったくの見当違いの場所だ。本当にどうやって私を見つけたのだろう? とりあえず合流して、一緒に旅に出ることに。武闘家の私、戦士、盗賊、僧侶、とまあまあのバランスのメンバーだった。

36c3c4c3.jpegこうして、はじめてオンライン上でパーティーが結成された。NPCではない初めての人格を持った人間との協力関係である。
これ以降は、まず操作について、パーティーの中でリーダーを決めて、その人物に「ついていく」という選択をするとあとは自動的について行ってくれる。もしも行きたいところがあるのなら、アナログスティックを使えばわりと自由に動かせるし、何も操作しなかったら自動的にリーダーのところへ走っていってくれる。(この機能を使い、居眠りしていたことがしばしばあった、とここに告白しておこう)
交流については、ゲームパッドを触れれば画面がキーボードに変わり、いつでも何かしらのメッセージを送れるようになっている。Bボタンを押せば、あらかじめ登録していた台詞を簡単に送れる
ここで注意しておきたいのは、パーティーを組むと、専用チャット内での対話に切り替わり、そこでの対話が外に聞かれないようになっている。パーティー内の秘密を守るのに有効なシステムなのだが、戦闘中他のパーティーから「おうえん」などをされた場合、仲間内に向けて「ありがとう!」とメッセージを送ってしまう。これでは意味がない。他のプレイヤーに「ありがとう」を送る場合、Bボタンで登録した台詞を呼び出した後Yボタンで決定を押さねばならない。よくやりがちなミスで、「おうえん」をしても反応が返ってこないのは、こういう理由だ。
パーティーを組むと、戦闘は途端に楽になる。これまでなかなか倒せなかった敵も、4人パーティーとなればいとも簡単に倒せてしまう。
注意点はある。シンボルエンカウント制なのだが、仲間の誰かが敵のシンボルに触れると、戦闘が始まってしまう。仲間の1人がパーティーから離れたところでも戦闘の突入する場合があり、この時、他のメンバーが駆けつけてくるまで1人での戦闘になる。
離脱する時は、敵から離れて、戦闘が始まった場所を中心とする白線の外に出れば「戦闘離脱」と見なされるのだが、これは1人1人カウントされる。全員が白線の外まで逃亡しないと、「戦闘離脱」とは見なされない。白線内にまだ仲間がいる場合、戦闘離脱したメンバーは改めて白線内に入り、戦闘状態に戻ることができる。
パーティーを組んでいた時、こんなできごとがあった。
強敵に遭遇してしまい、勝てないと判断して逃亡しようとした。しかし、1人がメダパニを受け、その場から動けなくなってしまった。私や他のメンバーはすでに白線内に離脱していたのに、1人だけ取り残された状態だ。モンスターはその1人を集中攻撃だ。このままでは殺されてしまう。とっさに私たちは、白線内に戻り、持てる全ての力を持ってこのモンスターを攻撃、全MPを消費して撃破した。

ed647667.jpegパーティーを組んだことにより、ゲームの進行は確実に進みやすくなったのだが、しかし交流はなかなかうまくいかなかった。いま、メンバーはストーリーを進めたいのか、レベル上げをしたいのか、同じ場所にプレイヤーがいれば、直接対話できるし、その場の空気ができあがるのだが、ネットを介してだとなかなかうまく交流は深まらない。
その時その時で、誰かがメンバーに対して「○○へ行きましょう」「○○をしましょう」とメッセージを送らないといけない。これに反対すると議論が長くなってしまうし、パーティー解散の危機に陥る可能性があるとみんなわかっているので、同意するしかなくなってしまう。ゲームパッドがキーボードの代わりになり、かなり早くメッセージを書けるものの、それでも意思の疎通はスムーズとは行かず、面倒くさいと思うことが多かった。
トイレや食事で席を外す場合があり、こういう時は他プレイヤーを待たせてしまうことになる。トイレはぎりぎりまで我慢、食事も誰かが言い出すまで絶食である。
レベル上げやアイテム収集の場面に入ると、対話はなく黙々と敵を倒し続ける。RPGではよくありがちな風景だが、パーティーが生身の人間だと思うと、何となく気まずい。何かメッセージを送った方がいいのか、と思うが気の利いた台詞がすぐにでも出てくるわけではないし、それに戦闘中などの火急の場面でメッセージを送れるほど器用でもない。
他のメンバーにとっては必要なアイテム収集でも、私には必要ないということもあり、しかし他メンバーの都合に付き合わなければゲーム自体が進められないので、仕方なく付き合う、という場面もあった。逆に、私にとって必要な用事があっても、いつ切り出そうか、とタイミングを推し量らなければならない。これがまた面倒だった。
RPGは一人で気ままに行く場所を決めて、自分勝手に進めるもの。情報収集もアイテム収集も自分のペースで進めたい。これを他のプレイヤーとリアルタイムで共有する試みはなかなか難しいものがある。他プレイヤーのリズムに合わせて、常に他プレイヤーの動向に合わせてだから、単独で深くやり込んで、ゲームマスターが構築したゲームを充分に楽しみ尽くす、という面においては不向きだと言わざるを得ない。
パーティーを組むことは必ずしもネガティブな側面だけではない。上にも書いたように、戦闘などでピンチに陥った場合、救いの手を差しのべてくれる。もしもNPCだったら理不尽に見捨てられていただろう。(よほど高度なAIであれば話は別だろうけど)
交流を持てば知恵やアイテムといった様々なものを共有でき、ゲームの進行は確実にスムーズになる。『ドラクエX』は戦闘の「おうえん」システムだけではなく、「旅人バザー」というシステムがある。これを利用すれば自分で手に入れた/作ったアイテムを出品し、他のプレイヤーが出品したアイテムを購入することができる。これが店で買うより少し安いし、しかも少し強力だ。モンスターを倒すよりこちらを利用した方が確実にお金を稼げる。
『ドラクエX』は自力で攻略しようとするとかなり厄介だが(難易度が高いのではない)、他人の力を頼り、利用すると急にスムーズになる。「他力本願」を正々堂々と行使するゲームなのだ。
RPGがそれほど得意ではない、一人で進めていても飽きてしまう、という人にとっては、生身の人間が反応するオンラインゲームは理想的だろう。常に誰かに助けられて、誰かを助けて、といった関係を築きながら進めていけば、ラスボスを倒すことが最終目的ではなく、交流がゲームの命題となって挫折を経験せずに心満たされるゲームを続けられるだろう。
ただ私は特別エゴが強い性格なのだろう、他の誰かと一緒にゲームを進めるのは難しいようだ。

ac356144.jpeg2日間『ドラゴンクエストX』ベータテスト版をひたすらやりこんで、とりあえずレベル20まで進め、シナリオはベータテストが公開している終わりの所まで進んだ。レベルについては20が上限なのでこちらは打ち止めだが、まだ遊んでいないサブシナリオは大量に残っており、ベータテスト《“体験版”》とはいえ、かなり奥行きのあるボリュームだった。
ゲーム内容だが、確かに『ドラクエ』だった。鳥山明がデザインする世界観は壊されていないし、遊びやすさ、奥行きの深さ、長く遊ばせようとする工夫など、シリーズの個性や伝統は確実に継承されていた。『ドラクエ』シリーズのいいところを引き継ぎながら、オンラインゲームのフォーマットにうまく組み入れた、といったところだろう。外から見ると敷居の高そうなオンラインゲームだが、『ドラクエX』は非常に遊びやすく、わかりやすく、さらにオンラインゲームの難点である交流も簡単なところからできるように工夫されており、初心者にはぜひお勧めしたい作品だし、玄人でも遊び込める奥行きを持った作品になっている。特に戦闘の「おうえん」は画期的なアイデアだ。
読み込みは非常に早く、町からフィールドに移る時の読み込み時間はだいたい2秒以内。その読み込み時間中にちょっとしたテクニックやヒントが画面に現れるが、残念ながら2秒では読み切ることはできない。
映像は最近の先鋭化する欧米のゲームと比較すると、かなり見劣りする。HDゲーム機というだけに画面は高詳細だが、今時の前衛的なビジュアルを期待すると確実にがっかりするだろう。フィールドは平面的だし、似たようなパターンの繰り返しだ。特に引っ掛かるのは発光物などのエフェクトだろう。炎や光る地面などの発光だ。これが平面的に発光するエフェクトを上から貼り付けただけで、奥行きがまるで感じられない。
ビジュアルの構築に驚くようなビジョンはないものの、しかし入り込んでみると『ドラクエ』らしさを感じさせる空間が全体に満たされており、大人数で多層的に世界を構築していくその様相は、今まで以上に密度の厚い『ドラクエ』であるといえる。
音楽はWiiU版となってオーケストラ版にアップデートされている。そのメロディは素晴らしいのだが、オーケストラ特有の音色の豊かさは感じられず、やや平面的な印象に聞こえる。密度の高いゲーム画面を同時に表示する事情を考慮すると、これでもうまく圧縮しているといえるだろうか。
音響効果はオーケストラにアップデートされたメロディと比較すると、あまりにも平面的で時代遅れの感覚がつきまとう。どの音も安っぽく、平面的で、自然の音すら機械音的な固さが残ってしまっている。足音はどれも「カツ、カツ、カツ……」と機械音的な感覚だし、絵の広がりに対して音に奥行きが感じられない。どの足音も同じ方向から、環境の違いなど何も考慮せず節操なく音が与えられている。列車が頭上を通過する音は、あまりにも奇妙でらしからぬ音だったので、何の音なのかしばらくわからなかった。
『ドラクエX』の一番いいところは、ゲームパッドで遊べる設定だろう(もっとも、これはWiiUの設計だが)。ゲームパッドの画面はなかなか美しく、音はニンテンドー3DSより間違いなくいい。小さな画面だが、小さいとは思わなかった。私はナナオのモニターにゲームを映しているのだが(確かにナナオは質のいいものではないが)WiiUのゲームパッドのほうが画面が美しいとさえ思った。
ゲーム画面をゲームパッドに映して、自分はその時一番楽だと思う場所、姿勢でゲームを続ける。これが非常に楽だった。これまでの据え置き型ゲーム機は、どうしてもテレビの前に姿勢も視点も固定される。これがどうしても疲れて、長時間続けようという気にならなくなる私はゲームパッドで18時間くらい『ドラクエX』を続けてやっていたと思うのだが、ほとんど疲労を感じることはなかった。今までのテレビに表示する方法だと、疲れ切って同じように続けられなかっただろう。(今もこうして固定されたパソコンモニターに向かって文字を打っているのだが、正直かなり疲れる。こちらもWiiUのように「自分がその時楽と思える姿勢で」作業できるようにした方が、結果的に効率はよくなるのだろうか。真面目に考える必要がありそうだ)
ゲームパッドに触れればいつでもキーボード画面に切り替わる設計だし、小さな1画面だけど不足だとは思わなかった。ゲームパッドでのプレイがあまりにもいい感じなので、テレビを間借りしてのゲームが急速に過去のものに思えるようになってしまった。まだ伝送技術が不充分で反省点も多いが、このサイズのゲーム機にこれだけの密度の高い映像、ゲームが表示可能だと、ゲームに対する考え方は変わってくるし、またこの密度の高さは、最近“勢いを強めている”とマスコミが(熱心に/熱狂的に)宣伝協力するソーシャルゲームの映像を(追跡不能なくらい)大きく引き離すクオリティだった(ゲームの中身はそもそも別モノだから比較の仕様もないが)
しかし、やはり伝送技術の未発達さだ。私はあまり電波干渉のないところでのゲームプレイだったが、しばしば断線することがあった。WiiU本体によるフリーズで、やむなくコンセントを抜く、という荒療治を施すこともあった(パーティメンバーもしばしばWiiUのフリーズで、神隠しのごとく消失する現象が起きた)。『ドラクエX』はオートセーブシステムで、断線したその場所からゲームを再開できるようになっているのだけど、そもそもフリーズなどあってはならない現象である。今までのゲーム機では、こんな短期間でフリーズを何度も起こすなんてまずなかった。この一点だけでWiiUはまだ“未完成のゲーム機”という評価を下さねばならない。
また、『ドラクエX』はオンラインゲームゆえのトラブルが多かった。Miiverseはベータテスト版が公開された日に専用コミュニティが作られたが、ざっと見てみると「ダウンロードが終わらない」といった意見でひしめいていた。一晩待ってもダウンロードが終わらない。ダウンロードが始まってもすぐに断線して、なかなか進まない。私も4時間強かかったが、これでもまだ早かったほうらしい。
『ドラクエX』をダウンロードするために、WiiU内に保存された他のデータを消してしまった、という人もかなりいたようだ。他のデータと干渉して、『ドラクエX』がダウンロードできない、というのだ。3日目に入ってこの不具合は修正されたが、それまでに“被害”に遭った人はかなり多かったようだ。
『ドラクエX』は、あるいはオンラインゲームはまだまだ反省すべき問題を多く孕んでいるようである。

……と随分ネガティブに話を進めてきたが、ゲームの内容はこれまでの通りの『ドラクエ』だった。ビジュアルがどうこうというより、コントローラーを持ってキャラクター操作した時にどんな印象を持つか。そこが気持ちいいか気持ち悪いか、わかりやすいか難しいか、簡単かやり込めるのか、そういった感覚的なもの、感性的なものは間違いなく『ドラクエ』だった。番外編ではなく、ちゃんと『ドラクエ』のナンバリングを受け継ぐ指感覚やストーリー、世界観、システムを持っているゲームだった。一言で済ませてしまうと「面白かった」のだ。それもかなり。ここは強調しておこう。『ドラクエX』は面白い!
しかしやはり敷居の高いオンラインゲームの性格が障害となって、残念ながらあまり広がっていないのが実際である。やはり誰かとコミュニケーション取らなくてはならないというのは億劫だ。誰かとコミュニケーションを取らねばならない、と思った瞬間が億劫だ。そう考えさせるオンラインゲームは確かに、スタートラインに立たせるのが難しい。
またお金の問題が大きい。『ドラクエX』はクレジット支払いだが、子供には難しい仕組みだろう。子供には難しい仕組み(で親には目の敵にされる)で子供のユーザーを取り込めないのは確実にマイナスだ。
せめて、このベータテスト版を『体験版』として公開し続けて、これ以降遊ぼうと思ったらお金を払う、というシステムなら、一度は試してみようかしら、と思う機会になるかも知れない。時々でも期間限定の無料期間を設けるのもいいかもしれない。これを判断するのはメーカーだが。
『ドラクエX』はかなり面白い。しかしオンラインゲームゆえに広がりを持てないのが残念なところだ。WiiUで新規に始めたユーザーが、このまま製品版へと自然に移っていく可能性に期待しよう。

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ドラゴンクエストX 写真集 ゲームプレイ中に撮影したものが掲載されている。






 

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■2013/02/09 (Sat)
ファミコンの時代。私はまだ子供で、当時のゲームは理不尽なくらい難解で、まともにクリアできたゲームはほとんどなかった。自分がそこそこにゲームができるようになった、という実感が持てるようになったというのは、だいぶ後になってからの話で、ファミコン初期の時代というのは、せいぜい冒頭の場面でうろうろしているだけで、中盤以降の展開を知っているゲームなんていうのはほとんどない。かなりいい加減にゲームをやっていたな、というのが後で思う印象である。ちゃんとエンディングまでたどり着けるようになったのは、スーパーファミコン以降の話ではないだろうか。
そんなふうにゲームをやり流してきたわけだが、それでもその後も頭の中に残り、時々は思い出して気になっているソフトというのが何本かある。


『ゴーストバスターズ』

ファミコンのソフトである。ゲームが始まると、マップ画面らしき街の俯瞰画像が現れる。で――何も起きないのである。十字キーを押してもAボタンBボタンを押しても何も起きない。そうこうしているうちに、マシュマロマンが登場し、街を徹底的に破壊してゲームオーバーになる。
(※マシュマロマンというのは、映画『ゴーストバスターズ』のラストに登場する巨大モンスターのこと)
プレイヤーは茫然である。いったい何が起きた? 
おそらく……いや、まず間違いなく、このマシュマロマンによる破壊を阻止するのがこのゲームの目的だろう。しかし、どう進めていいのか皆目検討もつかない。ゲームソフトの持ち主に聞いても、このゲームはどう進めていいかわからないという。完全にお手上げだった。
一度だけ、マップ画面に表示されている建物に入れたことがあったが、いったい何をしていいかわらず、何もしないままにやはりマシュマロマンが登場してゲームオーバーだった。
当時のゲームというのは、今のゲームのような懇切丁寧なガイドやチュートリアルがあったりするわけではない。『ゴーストバスターズ』のように、いきなりプレイヤーをゲームに放り出し、その後は何もかもほったらかし、なんてゲームは珍しくない。野球を知らない人に、ルール説明もなしにいきなりゲームをやらせるようなものである。当時はほぼ全てのゲームがそんな有様だった。だから「武器を買ったら装備しろ」と説明してくれる『ドラゴンクエストⅠ』は驚愕の親切設計だったのだ。(今さらながら、何の説明もされずに、やってみれば直感的にゲームのルールが理解できるように作られていた『スーパーマリオブラザーズ』がいかに偉大だったか、と感心させられる)
当時はみんな子供だったから、ゲームの箱や説明書をちゃんと保管する人はまずいない。というか、当時の思い出でゲームの取扱説明書なんて読んだ記憶すらない。ずいぶん小さなメモ帳のようなものだった、というふうに記憶しているが(説明書の形状すら記憶していないとは!)
ファミコン最初期というのは、ゲームの作り手にもプレイヤーにも共通したゲームルールというものがなかった。今は全てのゲームはジャンルで細分化され、「このジャンルのゲームなら、だいたいこういうアクションをすれば良い」というふうに、それまでの記憶の中で蓄積された感覚をあてはめれば、だいたい正解に行き着けるようになっている。しかし昔のゲームというのは、そういった感覚(共有言語?)すらまだ構築されていなかった。ゲームは信じられないくらいいい加減で混沌としていて、ゲームプレイヤーはひどく苦労しながら、目の前に提示されたゲームはどんなものなのか、どうやって進めるべきなのか、ゲームの作り手はどのように考えて設計したのか、ゲーム中の言語のようなものを解読しながら進めていかねばならなかった。まさに道なき道を進んでいる感じだった。
そのぶん、自由があったのは確かだけど。混沌とした自由だった。
『ゴーストバスターズ』は当時のゲームの中でもあまりに意味不明なソフトだった。それゆえに、今でも何かの拍子にふと思い出すゲームである。

と、これを書いている最中、何気なく検索をかけてみると、『ゴーストバスターズ』のプレイ動画を発見した。
え?! このゲーム3分くらいで終わるの? なんか……がっかりだ。



『ドラキュラⅡ 呪いの封印』

ファミコン・ディスクシステムで登場したゲームである。ヒット作『悪魔城ドラキュラ』の続編で、アクションゲームにRPG要素が組み合わされた、当時としては画期的な作品である。ゲームは昼と夜に分割され、夜になると街中であってもゴーストが登場して襲いかかってくる。また「血の涙」などの名曲は、このゲームが初出である。当時の音源をいま聞いても、思わず聞き惚れてしまう名曲である。
RPG要素、昼と夜の構成、今では当たり前すぎて何とも思わないかも知れないが、この当時では前衛的な“発明”ですらあった。
しかし私は、このゲームもほとんど進行させられずに終わった。冒頭の街を出ても、そこにあるのは茫漠と続く横スクロールのアクションゲームで、進んでいくと湖で行き止まってそれ以上進めないようになっている。
いったい、どうすればいいのだ? 子供の知恵でずいぶん色々試してみたが、結局何もできないまま進めるのを諦めてしまった。目的もなくゴーストを相手にレベル上げをしていたような記憶がある。
そういえば当時のゲームは、重要な説明が英語表示だった例が多かった。あの時代だから、ゲームプレイヤーといえばほとんど小学生。小学生相手に英語で説明する、今にして思えばいったい何を考えているんだ、と尋ねたくなるような話である。『ドラキュラⅡ』は……ああそうか、カタカナ表記だったっけ。

ゲーム最初期の時代というのは、作り手と受け手の間に共通した言語や方法といったものがまだなかった。そういうものを、まさに手探りで模索していた時代だった。
それだけに、今にして思えば「いったい何を考えてこんな設計にしたのだ?」と問いたくなるようなゲームやそんな局面は多くあった。
そういった「いったい何を考えて」を最初から最後まで満載させたゲームこそ『たけしの挑戦状』である。今は「クソゲーの殿堂」「クソゲーの神」と謎の尊称で名前が挙げられる作品であるが、『たけしの挑戦状』がクソゲーとして扱われるのは、ゲームとして当り前のように掲げられる文脈の全てを無視したから、あるいはそういった文脈を知らない人がうっかり作ったからだ。「こうすれば面白いんじゃない」と北野武流の芸人感覚の笑いを求めて作ったのではないか、と私は想像する。
『たけしの挑戦状』を文脈のない作品の代名詞として取り上げたものの、後に名作と呼ばれる多くの作品のなかにも、文脈から外れた解き方はいくつもあったように思える。「いや、そんなのわかんねぇから」といいたくなるような局面だ。
逆に、後に常識になる文脈をいち早く取り入れ、あるいはその作品で文脈そのものを提示(そして文脈から外れた理不尽は決して犯さない)した作品こそ古典名作と呼ばれるのだろう。

『ドラキュラⅡ』も……動画を見つけたけど、あれ? ぜんぜん理不尽な謎解きとかもないぞ? 当時の私はなんで解けなかったのだろう。



『リンクの冒険』

リベンジを試みたゲームもある。ディスクシステムで発売したゲーム『リンクの冒険』がそれだ。
『リンクの冒険』は同じくディスクシステムで発売した『ゼルダの冒険』の続編である。俯瞰のマップ画面を移動し、エンカウントすると横スクロールのアクション画面に切り替わるアクションRPGである。ナムコの『テイルズ』シリーズを斬新だと思っている半端な連中は、このゲームをプレイして膝から崩れるといい。
私はこのゲームを、最初のボスである「馬面」のところまで進んだが、そこが限界だった(馬面、というのは馬の頭をした大男のボスのこと。正式な名前を知らないので、「馬面」と呼んでいる)。冒頭で挫折した多くのゲームの一つである。
2004年、ゲームボーイアドバンス「ファミコンミニ」シリーズでリバイバルした時、真っ先に購入した。もちろんあの時のリベンジをするつもりでだ。
改めて当時のゲームを遊んでみると、色んな意味でシビアだった。私はコンピュータの仕組みはよくわからないのだが、ゲームはボタンを押せば常に反応するものではない。反応する瞬間と、そうでない瞬間とがある。最近のゲームでは、常に何かしらのボタンを押すとスムーズで確実に反応するように設計されているが、昔のゲームはそういうわけにはいかなかった。私の頭の中では「ここだ!」というタイミングで剣を振ったつもりだが、反応していない、ということが頻繁にあった。『リンクの冒険』もそういう意味でシビアなゲームだった。攻撃したつもりが、ジャンプしたつもりが、実際にはぜんぜんその通りに動いてくれない。
“当たり判定”も厳しかった。プレイヤーのつもりでいえば「当たっていない」しかし当たっていると判定されることが多かった。敵の攻撃は、少し大袈裟なくらいに確実にかわす。最近のゲームは、むしろ甘めに判定されるようになっているが、当時はどのゲームもこの判定という部分は厳しかった。
ゲームボーイアドバンス版の『リンクの冒険』は順調に進めることができた。攻略法などは一切見ない。難易度は高いが、ちゃんとやってみると理不尽なものではない。『リンクの冒険』も有効なガイドはほとんどなく、プレイヤーの聡明さにすべてを委ねられていた。「○○の街へ行け」なんて誰も教えてくれない(考えてみればノーヒントが当たり前の当時のゲームは理不尽だったような)。今の状況で何が可能でどこへ行けるのか、一つ一つ手にとって確かめて進めていく。後に名作と呼ばれる『ゼルダ』シリーズと同じやり方を実践していけば、確実に進めていけるのである。順調のボスを撃破し、ハートのかけらを集め、なかなか悪くない感じに進んでいた。
が――デスマウンテンで挫折してしまった。
デスマウンテンは尋常ではないくらい長く、過酷な難易度を持つ洞窟である。しかも分岐が多く、複雑である。敵も多く、どれも強い。それでも、私は果敢に挑み、進んでいった。全ての分岐を注意深く確かめ、たった一つの正解を探りながらゲームを進んだ。デスマウンテンに突入して2時間くらいが経過しただろうか。いよいよ終わりだ、ゴールに到達するはずだ――しかし私が行き着いたのは行き止まりだった。横スクロールのアクションシークエンスが終わり、俯瞰マップ画面に切り替わったそこは、四方八方行き場のない行き止まりだった。
なぜだ? どこで道を間違えた? どこから道を間違えていた? どこからやり直さねばならないのだ?
これまでの道のりは――もちろん覚えていない。どこをどう歩いてきたのか、そこまで丁寧にマッピングする性質ではない。どこまで戻って、間違いを確認しなければならないのか、見当もつかない。私の脳内のアリアドネの糸は完全に混乱し、道を見失っていた。私はこの瞬間、『リンクの冒険』を諦めてしまった。昔のゲームはやっぱり難しかった。
この挫折の体験は貴重である。「人はどこで、どうやって挫折するのか」その克明な記録になった。ゲームでなくても、小説や漫画でも途中で挫折してしまう人は多い。人はどうして挫折するのか。現在位置がわからなくなってしまった時、状況が掴めなくなった時、状況の確認があまりにも煩雑で途方もないもの、というふうに思わせてしまった時、人は挫折する。これは物作りにおいて重要な問題であるから、自分の失敗をしっかり記憶し、いつか他人の失敗に直面した時、いつでもフォローできる知恵や手法を考えておかねばならない。



昔のゲームは意味不明なものが一杯あった。ゲームのオールドユーザーは最近の懇切丁寧なわかりやすいゲームを指して、「今のゲームプレイヤーは簡単なものしか知らない。昔はもっと難しかった」などとと語るが、昔のゲームは(操作体系が洗練されておらず)単に理不尽なだけで、しかも実際にエンディングまで到達できた人なんてほとんどいなかったはずだ。
当時、エンディングを見たことのあるゲームというのは、ほとんどが裏技でいきなりエンディングかその直前にジャンプする方法を試みたもので、それまでの経過がどんなもので、ラストボスがどんな姿をしていてどんな攻略法が必要なのか、まともに知っている作品なんてろくにないはずだ(当時は簡単にエンディングに飛べる裏技がだいたいのゲームにも搭載されていた)
「自分はゲームエリートだ」と固く信じる老害ゲームユーザーは、その当時の自身の戦歴がいかにボロボロだったかろくに覚えていない。実際は遊んだ、といっても適当に遊び流しただけで、せいぜい序盤で行き詰まってそこから先にどんな展開があるのか何も知らない。思い出だけはいつも美しい、というわけだろうか。
“ほとんどのゲームは手も足も出ず、ただ単に画面上に変わった反応があるのが面白かったから遊んでいただけ”これが本当のところだろう。最近のゲームの方が確実に出来はいいはずである。

それにしても思い返してみると、挫折したゲームのいかに多いことか。クリアしていないゲームの怨霊で、我が身が崩れそうである。
失敗や挫折の記憶というものは、なかなか消えるものではない。今ではネットで「正解の道」を紹介した動画に行き当たり、特に失敗や挫折を気にせずにいられるかもしれない(実際、今回記事を書きながらネットで検索したら、エンディングまでのプレイ動画が簡単に見つかった)
しかしあの時代は、ちょっとした失敗や挫折が、解決の手段がなくずっと頭の中に残り、もやもやしてすっきりせず、中には私のようにふっと思考の中に吹き上がってくるタイプの人間もいる(簡単に忘れられる、という人も結構いるようだが)
挫折したゲームの記憶は、クリアしたゲームより深く記憶の中に根付いている。実に鬱陶しい。クリアしたゲームは美しいが、しっかりやり込んだはずなのに挫折したゲームの記憶は負の記憶である。
失敗や挫折の記憶は、多分どーでもいい、何の価値もないものだが、しかし何かを“忘れない”ようにするための一つの方法だし、もしかしたら知らないところで何かを始めようとする原動力になっているかも知れない……と肯定的に話を終えよう。






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■2012/07/26 (Thu)
ニンテンドー3DSの勝因

a2371348.jpeg実 売600万台をとうに越えて、ライバル機と目されていたはずのPSVitaをあたかも存在が小さすぎていつの間にか轢き潰していたことにすら気付かないく らいの後方へ引き離し、世間的に見ればニンテンドー3DSはかなり普及したと見なしていいかも知れない。とはいえ、デフレで消費者の気分が落ち込んでいる 最中、しかも一般マスコミによる足の引っ張り合いとしか思えないネガティブキャンペーンにより、いまいち盛り上がりに欠ける実情の今、勝利宣言は早すぎだ し軽率かも知れない(まだ1000万台達成していないし)。一般的にニンテンドー3DSの話題といえば、売り上げ不振で任天堂自体に大きな損害を与えた失敗ハード、という評価のようだし(主に一般マスコミの印象操作によるものだが)

とりあえずニンテンドー3DSは成功したと見なし、その勝因は何だろう、と考えた時、やはりソフトの充実さを保証したことにあると思う。ソフトの充実さとは2つの意味を持つ。ソフトの発売ラインナップ、それからソフト1本1本の中身についてだ。
任 天堂の最初の反省は、ここ最近の任天堂ハードでは任天堂ソフトしか売れなくなっていたという事実だ。ニンテンドー3DSはその改善から始まり、初めて実機 の発表となった2010年3月のE3の時は、「ニンテンドー3DSはこれだけのソフトメーカーが作品を制作します」という宣言から始まった。ソフトライン ナップの充実は、ある意味でニンテンドー3DS本体の品質や立体3D視よりよほど重要な意味を持っていたかも知れない。任天堂は間違いなくソフトメーカー として最高のものを作り続けたが、ユーザーの好みはもっと多様で、もっと多くの触感の違いを楽しみたいという意識を持っていた。ニンテンドー3DSの最初 の一歩は、まずより多くのソフトメーカーが多様なソフトを作る、という姿を見せること、次に一つ一つの品質を保証することであり、それは間違いなく成功 だった(おそらくソフトメーカー1社1社を訪問し、声を掛けて回ったのではないか、と私は想 像する。“根回し”というとなぜか悪い印象を持つ人は多いが、物事を始める前には大切なことである。何か大きな予定を決めて、全員でそれに向かって計画を 進め、最後に「よーいドン」の合図を出す。任天堂はそういった地道な呼びかけやお願いをして、今の状態を作り出したのだろう……という想像である)。ここ数年、1年に1本を買うか買わないか、くらいだった私が結構な数でゲームを買っているので、やはりゲームに対する印象がずいぶん変わったように思える。
私が購入したニンテンドー3DSソフトは、途中で放り出したものを除けばほとんどが20時間以上プレイしていた。ソフト1本の値段はおよそ5000円ほどであるから、充分娯楽としての責務を果たしているといえる。
私の一日のゲームプレイ時間はおよそ20分ほどだ(1時間を越えることは滅多にない)。 1本のゲームをコンプリートするまで20時間以上、40時間かかるものもある。およそ1ヶ月から2ヶ月ペースで新しいソフトを購入している。他の人も、お おむね同じくらいのペースではないかと思う。これまでに発売した話題作を取りこぼさず購入し、一つ一つじっくりコンプリートしていけば、全て消化するのに おそらく2年以上はかかるだろう。もちろんこれからもニンテンドー3DSはソフトを発売し続けるから、「ソフトの充実さ」という面ではすでに達成している といえる。

e59d047f.jpegその一方で、PS……えっとああ、Vitaの敗因はなんだろうか。それは、任天堂が保証したことを何一つ保証しなかったことだ。ずばり指摘すると、ソフトについてである。
PSVita のソフトといえば何があっただろうか。これといって目を引くようなラインナップがなく、話題になった作品と言えば何かあっただろうか。私は寡聞にして知ら ない。実際、過去に発売したタイトルを見ても、もうすぐ1年になろうとしているのに「これだけ?」と言ってしまうほどに少ない。頑張れば、個人で全て買い 集められそうな数である。
それに、ソフト一つ一つのボリュームにも問題があった。5000円で購入したのに、遊べるのは最初の1ステージだけ。続 きを遊ぼうと思ったらインターネットに接続し、必要なお金を払ってダウンロードするなり、ロックを解除するなりしなければならない。PSVitaソフトは このやや回りくどい商法により、エンディングを見るまで1万円以上かかるものもあるようだ。初期投資の5000円はちょっと高めの体験版を買ったようなも のである。
ソニー側の主張としては、これが中古対策、海賊版対策になるらしい。確かにその効果はあるかも知れないが、その商法でどれだけの数の ユーザーが納得するだろうか。家庭の事情でインターネットに接続できない人も多いだろう。もしも小売店で購入できるソフトが1ステージしか入っていない “体験版”ならば、ソフトの値段は500円くらいが妥当だろう(500円しか利益のないソフトを仕入れる店がどれだけあるか知らないが)
PSVitaはソフトのラインナップにおいても、ソフト一つ一つのボリュームにおいても、ユーザーに何も保証しなかった。これが決定的な敗因だろう。
こ の頃のソニーの神経症的な中古対策/海賊版対策/コピー対策には疑問しか感じない。例えばブルーレイ・ディスク。SONY ARccOSというソニーが開発したコピーガードは、強力すぎてソニー社製レコーダーでは再生不能だそうだ。ブルーレイへの不満は、常にネットに繋ぎ、最 新バージョンに更新しなければソフトが再生できない、ということにある。そこまでユーザーに不便を強いてまでガードかける必要があるのだろうか。

PSVitaは本体値段さえ下げれば普及台数が飛躍的に伸びるはずだ、という意見は多い。しかし、そうはならないだろう。ソフト面の体制が今のままだと、興味を持つユーザーがそもそも現れない。ユーザーが欲しいのは、ハードではなく多様なソフトのほうである。ハードのみが欲しいというのは大抵はその筋のコレクターだけである。
私個人の考えだが、PSVitaはそこまで高級品ではない。Wi-Fiモデルなら2万4980円。3Gならば2万9980円。ニンテンドー3DSがもともと2万5000円であったことを考えると、そこまで割高感はないはずだ。
他のゲームハードの値段と比較しても、
セガサターン 4万4800円
プレイステーション 3万9800円
ドリームキャスト 2万9900円
プレイステーション2 3万9800円
プレイステーション3 5万9980円
比較は全て据え置き型だが、どのゲーム機も3万円以上の値段で発売している。値段が特に問題になったわけではない。むしろ2万5000円という値段が高く感じるのは、今がそれだけデフレだからだ。

一 方の任天堂の商法がどこまで通用するか、実は私は疑問に感じている。デフレや東日本大震災といったマイナス要因が次々と覆い被さり、今後の普及台数に危機 感を覚えた任天堂は突如、ニンテンドー3DSを1万円値下げをしたが、これは相当に身を切る戦術ではないだろうか。ソフト1本1本の充実さを今後も保証し 続けるのは、作り手としての“誠実さ”の現れだろうが、どちらの面でも金銭的に相当つらいはずだ。どれだけ利益があるのだろう。どこかで突然クオリティの 低下が現れたりしなければいいのだが。

76db8c18.jpegPSVitaでも注目すべき部分はある。その驚嘆すべきグラフィック表示能力、それを支える精緻極まりない有機ELディスプレイだ。 PSVitaの画面を初めて見た時、携帯ゲームの画面とは思わなかったし、直撮りされた写真を見て、まずはめ込み画像だろうと思ってしまった。最初、ニン テンドー3DSは画面が美しい、と思ったが、PSVitaの画面を見た後ではそうは思わなくなってしまった。ニンテンドー3DSのディスプレイはもっと質 を上げるべきだ、とすら思った。
この性能差がどんな有意義な効果を持つかといえば、より高い表現能力を持ったゲームが制作できる、という意味だ。ニンテンドー3DSではまず描ききれないような映像表現が、よりハードルの高い構造を持ったゲームが、PSVitaならば可能だ。
例えば、PSVitaのロンチタイトルであった『アンbc196f25.jpegチャー テッド』は、ニンテンドー3DSでの発売はあり得なかっただろう。ニンテンドー3DSの表現能力では、『アンチャーテッド』のような映像表現はやや難し い。またニンテンドー3DSで発売された『初音ミク Prject mirai』はねんどろいどをモデルとした可愛らしいルックスを持つ作品だが、実は六 等身初音ミクをニンテンドー3DSでうまく描けなかったから、という裏話がある。PSVitaで発売され6ab02769.jpegる『初音ミク Project DIVA f』は六等身の初音ミクが自由自在に鮮やかな踊りを繰り広げる。もちろん、リアルタイムムービーだ。あの映像を見た後だと、さすがにPSVitaの能力が羨ましく思うし、ああいった表現ができるという優位性は今後もしばらく消えないだろう思う。
PSVitaの実力なら、据え置きハードで制作されるグラフィック中心のゲーム、例えば『アサシングリード』シリーズや『TheLastofUs』なんてゲームの移植もあるかも知れない。

972a7311.jpeg解せないのが、PSVitaの宣伝方法だ。「大きな画面!」はこれは明らかにライバル機であるニンテンドー3DSを意識したフレーズだ が、携帯ゲームの画面サイズなど五〇歩百歩である。どうでもいい。しかもその優位性は、ニンテンドー3DSLLが発売されることによって消滅した。本来 PSVitaは性能の高さを、その性能の高さで何を表現できるか、をアピールし挑戦すべきだった。それを何一つ主張できなかったこともPSVitaの敗因 だ。
(それに、CMで任天堂機と比較するゲームハードは、確実にいって敗北する)

任 天堂ハードでは本当の名作はあまり発売されない、というジンクスがある。有名シリーズの「決定版」「完全版」といったものはすべて任天堂ハード以外のハー ドから発売されている。どうしてそうなるかよくわからない。わからないが、事実として「名作」は任天堂ハードを避ける傾向がある。
任天堂ハードで発売される作品といえば、なぜか色んなものが省略された小型版である。ビジュアル、サウンド、ゲーム性、任天堂ハードで発売されると、なぜか別ハードで発売される時よりも生彩さに欠けるのだ。
例 えばゲームキューブで発売された『バーチャファイターキッズ』のように、子供向けにルックスを可愛らしくして、もともと複雑な魅力を持っていたはずのオリ ジナルのゲーム性を一気に削ぎ落とし、なにやら残念な作品になっている場合がある。『初音ミク Prject mirai』に対して不満はないが、ある意 味でその系譜にある作品であるといえる。
サードパーティーが本気を出すソフトは、いつも任天堂以外のハードの時なのだ。黄金期と讃えられるスーパーファミコンの時ですら、異様な濃さをもった名作はPCエンジンで発売されていた。

そういう視点で行くと、PSVitaはまだまだこれから、どこかの段階でいきなり化けるハードかも知れない。ハードの売り上げは低空飛行し続けつつもある一定水準から落ちる予兆はないし、今後まだまだ期待すべき所はあると見なしていいのかも知れない。“かも”だが。

もっとも、任天堂は別にソニーと競い合うつもりもないのかも知れないが。



 
 

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