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久米田康治作品は、久米田康治自身の個人史である。
ほとんどの創作は、その創作について語られる時、物語やキャラクター、あるいは背景に流れるその当時の社会情勢などが中心に語られる。物語やキャラクター、当時の社会情勢、意識などが充分に解説され解釈を加えられ、それから“憶測”として作者の深層心理が考察される。作者がどうしてその場面を描いたのか、作者はどんな社会に接地して、どんな情報に精通し、どんな判断で題材を選択したのか。そうした諸々の断片をパズルのように組み合わせて、批評家は作家の人物像を作り出すのである。
かってに改蔵 3巻 (1)しかし久米田康治の創作は例外的である。なぜならば、久米田康治作品は、直接久米田康治自身について語っているからである。
久米田康治がどんな意識でその時代の現象に接し、漫画に取り入れようとしたのか。久米田康治が何を好み、何を嫌い、何を尊敬したのか――。そうした心理的なあらゆる傾向が、何もかも包み隠されず漫画の中で描かれ、キャラクターの口から直裁的に語られ、あるいは批評的に描写された。だから久米田康治作品は、久米田康治自身以外の何物でもない。作者自身の心理的な過程そのものが刻印されている。
『かってに改蔵』のDVDシリーズは、久米田康治のおよそ10年にわたる創作の過程を超特急で追いかけようという特殊な企画である。久米田康治のキャラクターの描き方や漫画のスタイルの変化。通常のシリーズ作品であれば、視聴者の混乱を避けてある程度の作家の変化やムラは刈り取られ、平均的な部分のみがピックアップされてアニメーションというメディアに落とし込んでいくのだが、『かってに改蔵』はむしろ変化の自体を克明に、ダイジェストとして描き、『さよなら絶望先生』へと続く久米田康治の作家としての過程を描いている。『かってに改蔵』の原作における作品スタイルがすでに『さよなら絶望先生』に近い形式を持っているために、『かってに改蔵 下巻』ではカット割りや箇条書きの出し方、擬音を女性声優でなぞるやり方まで、何もかもが『さよなら絶望先生』方式で描かれている。
『かってに改蔵』のDVDシリーズは、久米田康治という人物の過程を描き出した、極めて特殊な形態の“伝記”であるという見方もできる。
かってに改蔵 3巻 (14)前回『かってに改蔵 中巻』の記事を読んだ人は僅か数人……10人にも満たない人数だった。繰り返すが、10人を越えなかった。本当にこのDVDシリーズは売れたのだろうか、と心配になる数字である。『かってに改蔵』DVDの売れ行きが『さよなら絶望先生』のアニメ4期が断念された背景と関係しているのではないだろうか。

しかし、『かってに改蔵』の全シリーズをあまりにも端的にかいつまんで映像化されてしまったために、一見様にはあまりにも不親切な内容になってしまっている。原作では変化の過程が1週ごとに丹念に描かれてきたが、アニメではその過程がざっくり切り落として映像化してしまったために、熱心な原作読者でない限り、わかりづらい作品になってしまった(一度読んだことがある、という読者でも「?」な部分がたくさんあるだろう)
『かってに改蔵』は確かに1話完結のギャグ漫画であるが、その内容でやらかした多くの事件や現象はデフォルトされずに持ち越され、それがシリーズ全体における変化になっている。キャラクターなどはその一つで、DVDシリーズ上巻と下巻では同じキャラクターでも性格や描き方がまるっきり変わってしまっている。名取羽美の猟奇的な性格に変化したのはあまりにも有名であるが、実際には主人公である勝改蔵も随分違うキャラクターに変わった。坪内地丹などは、もはや人間以外の何かである。(地丹は変化の大きなキャラクターだったため、アニメ版では前半後半で設定が2パターン作られている)
この変化は中心的なキャラクターだけに留まらず、多くのサブキャラクターたちにも影響を与えている。
かってに改蔵 3巻 (10)そのうちの一つを見てみると、『かってに改蔵 下巻』の第6話Bパートにおいて唐突に登場する色黒の少年である。あの少年は坪内地丹の弟・砂丹である。地丹の弟は第1巻では地丹そっくりの肌の色が違うだけのキャラクターだったが、愛蔵版第10巻第14話226ページに再登場したとき、まるっきり別人のさやわかイケメンとして描きなおされた。
かってに改蔵 3巻 (11)また地丹の妹・牡丹もやはり当初地丹そっくりなキャラクターとして描かれていたが、愛蔵版第11巻第8話125ページにおいて再登場したとき、恥ずかがり屋のメガネっ子キャラとして設定が変更されていた。『かってに改蔵』には女の子キャラはまあまあいるのに、メガネキャラがいないという事態のために急遽書き改められたキャラクターである。
アニメ『かってに改蔵 下巻』の第5話Bパートで、山田さんが学園から立ち去るエピソードが描かれているが、実はこれ、次エピソードのための壮大なフリなのである。原作では「さよなら山田さん」の次に「帰ってきた山田さん」が描かれ、「感動的に去ったと思ったら、すぐに帰ってきた」という笑いになっているのである。かってに改蔵 3巻 (3)しかしアニメ版では、フリだけでオチが描かれず、ギャグ漫画らしくない不思議な後味で終わってしまった。アニメ版6話Bパートの背景にちらっと登場するのは、「原作では帰ってきたから」である。
ちなみにこの山田さんにちなんだエピソードは(原作では)この後しばらく続くことになり、山田さんの名前はじわじわと蝕まれてそのうちに山口さんに変わり、実はギャグ漫画の背景で、山田さん山口さんと砂丹の2人が悪と戦うバトル展開が描かれていたという事実が明らかになる。
かってに改蔵 3巻 (4)アニメ版第6話Aパートでは、地丹がなぜか奇妙なぬいぐるみ姿で登場する。原作を見ると、愛蔵版第12巻第4話64ページで無理矢理着ぐるみを着せられ縫い付けられるシーンが描かれている。それきり脱ぐことができなくなり、次のエピソードでもあの格好のままだった、というわけなのである。
かってに改蔵 3巻 (13)アニメ版第6話Bパートかってに改蔵 3巻 (2)で、名取羽美に生贄にされている少女が登場する。このキャラクターが最初に登場したのは愛蔵版第12巻第7話116ページである。名取羽美に対する恐怖のあまり、名取羽美の信者になってしまった少女である。その後何度か登場するものの、最後までキャラクター名は与えられなかった。
また、名取羽美は勝改蔵と同棲している。同棲が始まったのは愛蔵版第9巻第3話50ページからである。「勝」の表札の上に、「名取」の名前が貼り付けられてあるのは、そういう理由である。
泊亜留美もアニメでは一度だけしか登場せず、どんなキャラクターなのかわかりにくい。泊亜留美は地丹の後輩で、地丹が片思いをしてストーカーし続けていた相手である。『かってに改蔵』はキャラクターが年を取らない設定の漫画だが、泊亜留美だけは順調に年を取る設定で、初登場時は中学生、次に高校1年生になり、間もなく改蔵たちと同じ高校2年生に、最後には高校3年生になり改蔵たちより上級生になった。アニメ版に登場する泊亜留美は、すでに改蔵たちより一つ上の学年になっている設定である。
最後に、下巻に入り、またしても中巻とは違うキャラクターの描き方が試みられている。ちょっと見て明らかに違うのは瞳の描き方だ。中巻では瞳孔の黒を中心に置き、周辺に向かって何重かのグラデーションを作る方法で描かれている。下巻では、瞳孔の黒を中心に置き、中心地点より上をBLブラック、下部分のみに明るい色が使われるようになった。
原作を改めて確かめると、愛蔵版第11巻第19話でようやくこの描き方で定着したようだ。その以前のエピソードでもこの瞳の描かれ方は何度も試みられているが、移行期間と見られるエピソードがしばらく続いている。最初に瞳の描かれ方が変わったのは、おそらく愛蔵版第11巻第12話182ページ1コマ目の改蔵のクローズアップショットだろう。その後、徐々に瞳の描かれ方は新しいやり方に変わって行き、第19話で完全に以降完了したようだ。
ざっくりとした説明だが、『かってに改蔵 下巻』はこれだけの解説を前に置かないとわかりづらい作品である、と了解したほうが良いだろう。
かってに改蔵 3巻 (15)モブキャラとして出演し続けた新谷良子。『かってに改蔵 下巻』に入り、ついに名前のある役名を獲得したようだ。改蔵のクラスメイトである「しえちゃん」がそれだ。しえちゃんは原作初期から一応登場していたが、いつの間にか名前が与えられ、独立していたキャラクターに成長した。作品と同じように、新谷良子もそれなりの場所に着地したようである。

第5話 バックトゥザTORAUMA
Aパート・イノセントワールド (愛蔵版第10巻第19話より/冒頭シーン愛蔵版第6巻第8話より)
かってに改蔵 3巻 (5)名取羽美は自転車を押して歩きながら、街の建物を見ていた。ふと商店街の一角が切り崩され、鉄骨むき出しの構造物が組み立てられているのが目に付いた。安全第一のプレートが掲げられ、高い防壁に囲まれ、いま建設の真っ最中といった様子だ。
「再開発か……」
ぼんやりと黄昏れるように言葉を漏らす。
「どうかしたの」
一緒に歩いていた彩園すずが尋ねる。
「昔ここらへん古い商店街があって、私たちの遊び場だったんです」
――それは昭和30年代頃の話。戦後の闇市を辛うじて抜け出せた商店街は、その時代ではそこそこの治安を維持し、人が多く行き交う活気に満ちた場所になっていた。ショウウインドウには新しい時代を象徴するようなテレビや洗濯機といった商品が並び始め、それが大量消費時代の幕開けを予感させていた……。
「まだ生まれてないっつーの! ダメよ、某長期連載ポリス漫画のマネしよーたって」
もとい、せいぜい90年代。この辺りは子供たちの格好の遊び場だった。
「懐かしいなぁ」
「どんな遊びするの?」
過去の思い出に浸り始める羽美に、すずが尋ねる。
「めちゃぶつけとか交差点ベースボールとか、けっこう危ないことして親や先生に禁止されたっけ……」
そんなふうに思い出しながら歩いていると、前方を少し行ったところに改蔵が歩いているのに気付いた。辺りを警戒するようにきょろきょろしながら、こそこそと商店街脇の路地へと忍び込んでいく。
何か怪しい。名取羽美と彩園すずの2人は改蔵の後をついて行くことにした。改蔵はやがて、いかにも怪しい雰囲気を孕んだ、重そうな鉄扉の向う側へと入っていく。その向うは“禁止された遊び”を懐かしむ場所だった……。

Bパート・サヨナラ山田サン (愛蔵版第11巻第13話より)
かってに改蔵 3巻 (6)「山田さんのためにカンパしてください」
改蔵が安っぽい箱を手に、クラスの一同に呼びかける。箱には「カンパ箱」と書かれた紙がセロテープでいかにも即席という感じに貼り付けられている。
「か、カンパって、まさか……」
しえちゃんが声を震わせながら尋ねる。他のクラスの女の子も、青ざめたり汗を浮かべたりして改蔵を見ていた。
「今まで気付かなかった僕の責任でもあるんです」
突然に、名取羽美が改蔵を殴る。血が点々と散った。改蔵の体が横向きになって吹っ飛び、扉にぶつかった。
紛らわしいが、“例のアレ”ではなかったようだ。
改めて解説すると、山田さんが学費を払えないため、学校を辞めなくてはならなくなったそうだ。
「いいの。私、学校を辞める」
しかし山田さんの言葉に深刻な影はなく、かといって努めて明るさを装うわけでもなく、無感情にそう言った。
実は山田さんには、もっと別の悩みがあった。山田さんには足りない物がある。
とある漫画家には才能がなかった。とある経営者には決断力がなかった。とある政治家には愛国心がなかった。山田さんには……人を好きなる心がなかった。

Cパート・アル意味、貝ニナリタイ。 (愛蔵版第14巻第1話より)
かってに改蔵 3巻 (7)それはとある冬の日のできごとだった。改蔵と羽美は、炬燵に体を潜り込ませながら、のんびりとテレビを見ていた。
「独占中継! おめでとうトニ・タワラちゃん!! 超豪華結婚披露宴!!」
テレビの画面に大きなテロップが画面全面に現れる。それに続いて、披露宴の様子が映される。赤絨毯の上を、真っ白なウェンディングドレスを身にまとった女と、白スーツの男が手を組んでしずしずと歩いていく。
そんな場面を見ながら。
「ぷっ! 自分デザインのウェンディングドレスって……!」
改蔵がさっそく突っ込む。しかし汗を浮かべながら。
「うそお! 8メートルのベールだってさ……!」
羽美も突っ込む。しかし言葉は震えている。
「ウェンディングケーキが地球ってさあ……」
「本人たち出演の再現ドラマって……」
突っ込みはさらに続くが、発言のたびに勢いは弱くなり、ついに何も言えなくなってしまった。
……そこまでやられたら、もう何も言えません。
何事も中途半端にすると叩かれたり悪口言われたりする。だったら徹底的な過剰さをそこに作り出してしまえば、もう誰も何も言わなくなるのではないだろうか。
ハルウララ人気だってそうだ。50~60連敗なら駄馬だ駄馬だとからかわれるが、100連敗もしたら、もう誰も文句言わない。むしろ応援すらしたくなるというもの。
テストの点数だって、中途半端に悪い点数だから叱られる。全科目堂々の0点だったら、親も諦めてくれるのではないか。
というわけで、ここにやりすぎて何も言われなくなった人たちがいる……。

第6話 孤独な女
Aパート・スレスレ★サーカス (愛蔵版第12巻第5話より)
かってに改蔵 3巻 (8)街にサーカスがやってきた! 広場に大きなテントが設置されて、人々が集まってくる。陽気なピエロが風船を配り、テントの周辺は賑やかな雑踏と笑顔で満たされていた。
テントの中に入っていくと、すでに素晴らしい技の数々が披露されている。定番の玉乗り、ナイフでジャグリング、空中ブランコ……。
「すごーい! すごーい!」
観客席に座る名取羽美が、子供のように興奮して声を上げる。その隣に座る改蔵は、退屈そうにピエロたちの技を冷淡に見つめていた。
次は細い綱の上を、一輪車が渡ろうとする。しかしその途上で、演者がふらふらとバランスを崩し始める。
それに異様な興奮を見せる羽美。
「しーっぱい! しーっぱい! しーっぱい!」
突然立ち上がり、拳を振り上げて叫び始める。
「やめてくださいお客さん! 縁起でもない!」
ピエロが羽美の前に飛び出してくる。しかし羽美は、しばらく一人で「に・く・へ・ん!」コールを続けるのであった。
という羽美は置いておいて、改蔵が鼻の先で嘲笑的な笑いを漏らした。
「綱渡り感に欠けるんじゃないかなぁって」
綱渡りというほど必要に迫られていない。本当の切迫感がそこに演出できていない。本当にギリギリスレスレの綱渡りとはどんなものなのか――改蔵はピエロをもう一つのサーカステントへと連れて行く。

Bパート・近ゴロ、オヘソ出サナイネ。 (愛蔵版第14巻第14話より)
かってに改蔵 3巻 (9)勝改蔵は名取羽美をちらちら見ながら、胸をときめかせていた。ただし顔はこわばり、一杯の汗が浮かんでいる。
「最近、羽美を見ていると、ドキドキしてしまうのです」
改蔵は彩園すずに身の内を告白する。
するとすずは、「あー」と感情のない言葉を長く漏らした。
「それは恋ね」
「恋! そんな! 俺が羽美を好きになるなんて。どうなってしまったんだ俺!」
改蔵は錯乱して部室を飛び出してしまった。
ダットンのアロンの実験によるところの、感情の誤認識である。恐怖心からくる心臓のドキドキと、恋のドキドキと感情が勘違いする現象である。「吊り場理論」という言葉でよく知られているあの現象である。(Wikipedia:吊り橋理論
それを知った羽美。
「ついに改蔵が私のことを好きになったの? 私を見るとドキドキして堪らないと言うのね!」
大喜びの羽美。しかし羽美は、より恐怖を与えると、そのぶん改蔵が自分を好きになってくれると解釈。そういうわけで、羽美による恐怖の虐殺と破壊が始まった……。

かってに改蔵 上巻
かってに改蔵 中巻

さよなら絶望先生《本家》目次ページへ

作品データ
総監督:新房昭之 監督:龍輪直征 原作:久米田康治
キャラクターデザイン:山村洋貴 メインアニメーター:岩崎安利
美術監督:飯島寿治 伊藤和宏 ビジュアルエフェクト:酒井基 色彩設計:滝沢いづみ
構成:東冨耶子 構成・脚本:高山カツヒコ 編集:関一彦
撮影監督:江藤慎一郎 音響監督:亀山俊樹 音楽:川田瑠夏
プロデューサー:宮本純乃介 アニメーションプロデューサー:久保田光俊
オープニング主題歌:水木一郎と特撮 エンディング主題歌:新☆谷良子
アニメーション制作:シャフト
出演:櫻井孝宏 喜多村英梨 斉藤千和 豊崎愛生 堀江由衣
    立木文彦 新谷良子 岩男潤子 永田依子 明坂聡美
    小野友樹 千々和竜策 中國卓郎 矢澤りえか MAEDAX
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「なぜ今さら?」
かつての原作愛読者を茫然とさせ、批評家たちを「?」と首を傾げさせ、作品を知らない世代ばかりか、原作者すらも置き去りにして進行するアニメシリーズの中巻がいよいよ登場である。
『かってに改蔵 中巻』は愛蔵版2巻~4巻とかなり広い範囲をベースに描かれている。初期の頃に提示した天才塾との対立という縦糸が後方に消えかかり、新たな方向性を獲得しようという時期である。この頃から我々のよく知る後期『かってに改蔵』に近い内容になり、羅列ネタや風刺といった、後の『さよなら絶望先生』に続くパターンの片鱗がかすかに見え始める頃である。

『かってに改蔵 中巻』において、キャラクターの設定が新たに書き直され、再調整が加えられる。
連載当初ではそれなりに普通の少女として描かれていたはずの名取羽美は、この頃から“友達がいない”あるいは猟奇的な性格が再設定される。後に“ヤンデレ”とカテゴライズされるキャラクターを確立しはじめる頃であり、『かってに改蔵 中巻』の中でその過程が描かれる。
かってに改蔵 2巻 (1)第1話Bパート『コノ子ノ七ツノオ祝イニ』では名取羽美の幼少期における凶暴な本質が描かれ、それが現在における猟奇的な性格と常識的な社会性が欠落するという性格の裏付けになっている。また幼少期のエピソードは、『かってに改蔵』シリーズにおける典型的な一つのパターンを形成する重要度の高いエピソードであり、『かってに改蔵』というシリーズ全体像を描く上にも避けて通れないエピソードだ。ちなにみ『コノ子ノ七ツノオ祝イニ』における「かーさーぷーたーはーがーすー」の台詞は声優喜多村英梨がどうしても声を当てたかった台詞であり、彼女にとって夢の叶った瞬間である(それだけに、見事な熱演であった)
かってに改蔵 2巻 (2)その一方で主人公である勝改蔵は、暴走しがちな名取羽美に翻弄されるキャラクターへと書き直される。妙な思い込みと妬みでエピソードの切っ掛けを作り、あるいはエピソードに変化を与える提示するなど、主人公としての存在感と重要度は相変わらず高いが、『上巻』で描かれた暑苦しいヒーロー然とした重さは消え去り(演技の面でも暑苦しさは消えた)、どこか子供じみていて、それでいてギャグ漫画原作らしいユニークなパーソナリティーを構築している。名取羽美や坪内地丹があまりにも個性的に際立っていくのに対して、勝改蔵は少々思い込みの激しいものの、ある程度の常識を持ち、目の前で起きている事件に対して驚いたり怯えたりなど平均的な反応を見せる良識的な性格を持つようになった。
かってに改蔵 2巻 (3)そして坪内地丹は、『上巻』を比較して明らかに頭身が低く縮まり、いよいよ人として社会的人格を崩壊させていく。第1話Aパート「どうしようラヴストーリー」ではすぐに図に乗る、すぐに勘違いする、その上であっという間に身を滅ぼすといったダメ人間のお手本のような性格を披露する。声優の演技面でも、『上巻』ではまだキャラクターの造形と声優のテンションの間にズレが見られ、何か掴みかねている違和感があったものの、『中巻』に入りようやく両者の気持ちは接近してきたようである。『中巻』の段階で話のオチをつける都合のいいキャラクターとしてのポジションを確立しており、これが切っ掛けとなり、間もなく“人ではない何か”へとシフトしていく。おそらく『下巻』においてその展望が見られると期待されるので、その過程にもぜひ注目したいところである。
(彩園すずだけは相変わらずなので解説を省略する。キャラクターとしてもポジションとしての鉄壁の地位を守っている。初登場時から変更の必要のない、完成したキャラクターだったのだろう)

キャラクターの描き方も、『上巻』と違うアプローチが試みられている。『上巻』では標準的で今日的なアニメーションのスタイルを踏襲して描かれていたが、『中巻』に入って線の量はざっくり切り落とされ、線や影塗りわけ、色彩はよりシンプルに描かれるようになった。キャラクターの頭がやや大きくデザインされ、頭身が少しずつ低く描かれていく。
かってに改蔵 2巻 (4)瞳の描かれ方にも注目したい。『上巻』ではハイライト、BLベタ、中間色、標準色と段階的に描かれていたが、『中巻』に入り、瞳の中央に瞳孔が丸く描かれ、それを中心に3段階のグラデーションが続く。ハイライトの描き方も小さく点のように描かれ、『上巻』ほどの主張はない。この瞳の描き方は『かってに改蔵』後期まで一貫した作画方法として継続されていく。
物語の描き方にも変化が多く、そろそろ『かってに改蔵』シリーズだけではなく、久米田康治の作風として定着する要素がいくつも見られる。かってに改蔵 2巻 (5)初期においては勢いの強かった下ネタは次第に自制的になり、物語を彩る変態たちはまだ登場し続けるが、ブリーフパンツという文明的な被服を獲得し、視聴に少し安心感を与えるようになった。特徴的である羅列ネタや、その当時の流行や世相を取り入れた風刺ネタはこの頃から顕著に見られるようになり、羅列ネタが次々と映像化され、あっという間に流れていく様子が楽しい(ただネタの大半が賞味期限切れなのが残念なところだ。若い世代はついていけないかもしれない)

だが、テレビアニメーションよりまだスケジュールに余裕が持てるはずのOADシリーズなのにも関わらず、作画にブレが多く見られるところが残念なところである。
かってに改蔵 2巻 (6)第1話Cパート『イツカギリギリスル日!?』20:31あたり。名取羽美のセーターの袖口の線が回転しているように見える。この線は本来、動いてはいけない部分である。これは完全に動画マンのミスである。なぜチェックは見落としたのだろう?

かってに改蔵 2巻 (7)同じく第1話Cパート。21:30あたり。手前に身を乗り出している名取羽美が、後ろに体を動かす。ここで原画と原画の間コマがごっそり抜け落ち、名取羽美が急に場所を移動したように見える。まさかの中割りの抜けである。ここで本来必要だったのは、およそ5枚程度の中割りだ。ここで「果たしてチェックは仕事していたのだろうか?」と疑問に思わずにはいられなくなる。また極端な広角レンズふうを意識したカットだが、天井が近すぎでしかもキャラクターと同じ歪みが描かれておらず、また彩園すずがひどく平面的で、まるで紙に描いた絵を角度をつけて貼り付けただけのように見える。
かってに改蔵 2巻 (8)第2話Aパート『ゴーイング娘』35:14あたり。カメラワークが変化する動画としてはそこそこに難しいカットだが、動画の最後、勝改蔵の指が突然縮んだように見える。これも動画マンのミスで、原画の始まりと終わりとしっかりと確かめずに中割りしたために起きたミスだ。下書き段階で気付いていれば、ほんの数分で修正できるミスだから、動画担当、チェックが気付かず見落としたのだろう。それに広角レンズふうに描かれたカットだが、やはり天井が近すぎである。
この他にも作画面におけるミス、絵画のブレは多く見られた。撮影による最終仕上げも、『上巻』の丁寧さと比較すると、もう一歩である。もう発売してしまった作品だから仕方ないが、『下巻』ではもう少し頑張ってもらいたいところである。

『かってに改蔵 中巻』は初期に描かれた諸要素を放り捨て、我々がよく知っている『かってに改蔵』のイメージに近付き、あるいは久米田康治が独自の作風を身につける過渡期を描いている。アニメ版『かってに改蔵』シリーズが、久米田康治の作風の変化と、試行錯誤の過程を追跡し、映像化しているのだということがよくわかる。『かってに改蔵』のアニメーションは迷いなく確実に『かってに改蔵』に接近して行き、久米田康治という作家の深層を抉り取っていくのだろう。
まあ、それはそれとして……売れてるのか、これ?

第1話 炎の幻影紅天女
Aパート ドウシヨウラヴストーリー(愛蔵版第3巻第13話)
かってに改蔵 2巻 (9)「我々に何か足りない要素があるとつねづね思っていたのですが……わかりました」
勝改蔵はいつにない慎重な口ぶりで切り出した。我々に足りないもの、あるいはこのシリーズに不足しているもの、それは――
「我々にはラブが足りないのです!」
思えばラヴコメとしてスタートしたはずのこの作品。今となっては誰一人ラヴを自覚する者のないラヴ劣等生、ラブ落第生である。このままラヴ不足が続けば、深刻な問題を引き起こす可能性もある。
と議論に燃え上がる科特部にとある人物がやってくる。元天才塾演劇コースラブ影先生である。ラヴ先生とは日本を代表する世界的ラヴ演出家である。受賞した作品は数知れず、ラヴ先生の手にかかればどんな物語もラヴに変換されるという。「ラヴとりじいさん」「ラヴすて山」「ラブカニ合戦」……いくつもの代表作を持った名演出家である。
そんなラヴ先生が科特部を尋ねた理由はただ一つ。科特部に天性のラヴの素質を持った少年がいたからであった。

Bパート コノ子ノ七ツノオ祝イニ(愛蔵版第4巻第13話)
かってに改蔵 2巻 (10)これは、勝改蔵が7歳の頃の思い出である。
「おかあさま、ボクはもう7歳なのですが、男子は5歳なのではないですか?」
神社に勝改蔵の母子が尋ねる。まだ利発で天才、神童と称えられていた頃の改蔵が不思議そうにしている。
そこに、神社の神主が現れる。
「七五三が7歳、5歳、3歳だけのものと思ったら、大間違いです。健康を願う全ての人に七五三を祝う権利があるのです! というわけで古来より当天才大社では、様々な年齢の七五三をお迎えしているのです」
ただし、誰もが祝う権利はあるものの、誰もが天神様の元までたどり着けるとは限らない。天神様に至る道には、様々な苦難に満ちた試練が待ち受けているのだ。そんな恐るべき場所に放り出されてしまった改蔵。
すると、道の途上に名取羽美が待ち構えていた。羽美も試練に出されたのだという。改蔵は羽美と2人で天神様を目指すが……。

Cパート イツカギリギリスル日!?(愛蔵版第3巻第3話)
かってに改蔵 2巻 (11)とあるファーストフードのお店。クラスで美人で有名な山田さんが、トレーにジュースとやきそばパンを乗せ、開いている席を探していた。
「あなたもギリギリに挑んでみませんか?」
不意に後ろから男が顔を寄せてきた。
驚いて振り返っている間に、男はカップにジュースを注ぎ込む。カップはぎりぎり一杯までジュースに満たされる。表面張力で辛うじて保っているけど、一歩でも動いたら、この均衡は崩れてしまう……。
「ギリギリ感を楽しみたまえ!」
「いやあぁぁ!」
男たちは山田さんのうなじを、腰を、太股をつんつんと撫でていく。山田さんは耐え切れず悲鳴を上げ、バランスを崩され、そして……。
「最近この界隈で、限界ギリギリを強要される事件が続発している」
電波が1本だけで、今にも切れそうな携帯電話。電池ギリギリで、セーブできないゲームボーイ。紙がぎりぎりのトイレットペーパー。布がぎりぎりの水着。
事件は拡大する一方だが、犯人は神出鬼没でなかなか姿を現さない。いったいどうすれば……。
「おびき出してみるか」
と彩園すずが提案したのは、棒倒しだった。

第2話 裏切りのサイエンス
Aパート ゴーイング娘(愛蔵版第4巻第21話)
かってに改蔵 2巻 (12)空気の読めない人がいます。
まだ人の少ない早朝の教室。女子生徒たちが暗くうつむいてひそひそと話をしている。
「お父さんの会社、倒産しちゃって……」
とそこに名取羽美が元気に飛び込んでくる。
「ねえねえ、今朝公園でずーっとスーツ着てブランコに乗っているおじさんがいてね。ありゃリストラね。家族にいえないのよ」
羽美は口元を隠しながら愉快そうに笑った。
空気の読めない人がいます。
「重症ですな。ここまで空気が読めないと……。友達ができないわけだな」
「なんですってええ!」
羽美が改蔵の首を掴む。
「失礼なこと言わないでよ! 読めるわよ空気くらい!」
羽美は改蔵を激しく揺らしながら訴えた。
果たして羽美は空気が読めないのか? 彩園すずの提案で、第3者に意見を聞いてみることとなった。すると次から次へと出てくる。羽美の「空気読めない武勇伝」の数々!
周囲から指摘された羽美は、「空気読めるようになってやる!」と叫びながら教室を飛び出してしまう。

Bパート 西から来た女(愛蔵版第2巻第14話)
かってに改蔵 2巻 (13)虎馬高校校門前。砂の混じった風にまぎれるように、女が一人立っていた。
「許さへんで、絶対に! あの女だけは!」
女は目をギラギラさせて呟きに怒りを込めた。その手には一枚の写真。写真には美しい少女が涼しげな微笑を浮かべていた――写真の少女は彩園すずである。女は写真の中で微笑む彩園すずに怒りの炎を向ける。
しかし女は、怒りの炎を抑え込んで一人考えに沈んでいく。
――あの女の周囲には極悪非道の取り巻きがいるらしい。迂闊には手を出されへん……。
考えながら、女は虎馬高校の廊下をうつむきながら歩く。ふと、掲示板の張り紙に気付いて足を止める。
《生徒会急募》
「これや!」
女はかすかな希望を見つけて声を弾ませた。
女はジュン。彩園すずと浅からぬ関係を持ち、因縁のライヴァルである――とジュンは思い込んでいる。

かってに改蔵 上巻
かってに改蔵 下巻

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作品データ
総監督:新房昭之 監督:龍輪直征 原作:久米田康治
キャラクターデザイン:山村洋貴 メインアニメーター:岩崎安利
美術監督:飯島寿治 伊藤和宏 ビジュアルエフェクト:酒井基 色彩設計:滝沢いづみ
構成:東冨耶子 構成・脚本:高山カツヒコ 編集:関一彦
撮影監督:江藤慎一郎 音響監督:亀山俊樹 音楽:川田瑠夏
プロデューサー:宮本純乃介 アニメーションプロデューサー:久保田光俊
オープニング主題歌:水木一郎と特撮 エンディング主題歌:新☆谷良子
アニメーション制作:シャフト
出演:櫻井孝宏 喜多村英梨 斉藤千和 豊崎愛生 堀江由衣
   立木文彦 新谷良子 岩男潤子 永田依子 高岡瓶々
   徳本英一郎 平田真菜 五十嵐亮太 小野友樹 浅科准平
   渡辺由佳
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もしかして、まだアニメ化を疑っている人いませんか?

どうしてこうなってしまったのか――。あれは10年前。ある作家の元に思いがけない知らせが届いた。
「おめでとうございます、先生! アニメ化です!」
あれは幻聴だったのか、エイプリルフールの悪戯だったのか。アニメ化の話題はそれきりふっつり途切れて、あたかも初めからそんな話などなかったかのように扱われ、ただちに人々の意識の中から忘却した。
思えばサンデー時代は苦難そのものであった。作家とは名ばかりでその地位は果てしなく低く、単に待っているだけの編集から軽く扱われ、虐げられ、苛められ、苦労して描きあげた原稿をなくされても謝罪の言葉など一つもなく、あのサンデーキャラ全員登場するはずのCMにすら『かってに改蔵』キャラは出させてくれなかった。期待していた印税は、辛うじて生活が維持できる程度しか入ってこず、編集のほうが作家よりはるかにお金をもらっているのが漫画業界における現実である。貯金を貯めて老後の備えなどできるはずもない。
作家とはただの期間工でしかない。売れればそのわずかな間だけチヤホヤされ、売れなくなると使用済みの紙くずみたいにポイッと捨てられてしまう。人情なんて一片もない酷薄な世界である。
久米田康治はそんな漫画業界の最底辺をひたすら低空飛行し続けてきた。編集からひたすら苛められ、罵倒を浴びせられ、原稿をなくされ、CM制作で無視され、講談社に移ったとたん小学館時代の全ての作品が絶版扱いにされ、それでも眼差しの奥に宿った輝きは失われず、どん底の真っ黒な沼の底からいつか夜空に輝く星たちのようになりたいと――下ネタ漫画で輝きたいと心の底から願い、恨み、妬み続けていた。
それが、どうしてこうなってしまったのか……。いうまでもない。何もかも小学館が悪いのである。
あの頃忘れられ、失われた夢は、すっかり忘れられたタイムカプセルを知らない誰かに拾われたかのように思いがけず開かれてしまった。『かってに改蔵』連載終了から7年の時を経て、まさかのアニメ化である。
久米田康治先生、おめでとうございます。

オチのない冗談はさておき、『かってに改蔵』の原作が完結してから実に8年。「なぜこんな時期に?」と首をかしげずにはいられない作品のまさかの映像化である。
アニメ『かってに改蔵』は原作初期をベースに描かれている。キャラクターは後期の、線の数を減らした洗練された表現ではなく、連載初期の線が多く、陰影を多用してキャラクターを立体的に見せようとしていた時期をベースにしている。カットの作りは全身を捉えた舞台風のロングサイズから極端なクローズアップへと何度もジャンプを繰り返しながら描かれている。色彩は連載初期のカラーページを意識した、まるでマーカーでべったり塗りたくったような原色そのままの色で描かれ、その上に様々なフィルターが丁寧に被せられている。暗いシーンでの影はセル調の実線が消えかける滲み出るようなブラックが施され、光の差し込むシーンでは色の境界線にブルーやグリーンが淡く溶け出すような処理が与えられている。ふとすると、キャラクターにも背景にも質感を持たない単調ともいえる色彩を、撮影の効果によってこの作品特有の不思議な風合いを持った映像に仕上げている。
かってに改蔵1巻 (1)次回予告では特にマーカーでべったり塗ったような色彩で描かれている。茶色ならべったりと茶色、緑ならべったりと緑。まるで絵の具をチューブから出してそのまま水に薄めもせず描いたような色彩である。当時の原作の色彩を忠実に再現している。
ちなみに1話と2話で次回予告の映像は微妙に変わっている。コマ送りをしてしっかり確かめたい場面だ。
その一方、オープニング・エンディングは後期の洗練されたタッチのほうが採用されている。アニメ本編、オープニング・エンディングとでまったく違う画風が試されているのに注目である。
またアイキャッチでは「現在の久米田康治」ふうのタッチで描かれている。






エピソードは、映像化作品としては非常に勇気のあるエピソードが選抜されている。後期の『さよなら絶望先生』に続く社会風刺漫画としての要素はまだ片鱗としてわずかに見える程度でしかなく、むしろ下ネタ漫画として油の乗った、まさに第1の絶頂期ともいえるエピソードを中心に採用している。
具体的に描写するとこのブログがうっかり成人指定にされてしまいそうな、テレビのような公共的なメディアでは絶対放送できないような描写が次から次へと繰り出されていく。有り体に表現すれば、チンコである。それも子供チンコではなく、悶々と欲求のはけ口を求める成人チンコである。成人チンコが次から次へと見る者を唖然とする数で描写され、クローズアップされ、その後に作品特有の微妙な笑いを後方に残して去っていく。この頃の久米田康治が描く変態たちは、全裸がデフォルトで、ブリーフという文明的な被服はまだ獲得する前であった。
「どうせテレビ放送は絶対不可能だし、映像を買う人はそれなりの理解のある人のはずだ」という開き直りっぷりが清々しい心地よさを残していく。(ビデオの最初に、「このビデオグラムはテレビ放送バージョンとは違う……」云々の注意書きが挿入される。あれもギャグなのだろうか)
かってに改蔵1巻 (2)キャラクターは漫画原作の1巻~2巻をベースに描かれている。名取羽海はまだ普通の女の子だった頃で、坪内地丹はびっくりするほど頭身が高く描かれる。いずれにしても、まだ人として真っ当な時期で、勝改蔵と天才塾の一同に振り回されていた頃だ。
女性キャラクターは特にバストを強調的に描かれている。彩園すずはともかく、このタッチのお陰で羽海も(それなりに)スタイルのいい女の子のように見える。

アニメ『かってに改蔵』は徹底した原作至上主義が貫かれた作品である。原作どおりの台詞に、原作どおりの展開。原作で提示された以上のものは何もなく、イレギュラーは徹底的に排除された映像作品である。「原作ストーカー」と新房昭之に評された龍輪直征らしいデビュー作品に仕上がっている。どこまでも原作通りで、原作に忠実であろうとする、原作原理主義の性格が映像に浮かび上がってくる。まさに『かってに改蔵』の原作が好きな人が制作し、原作が好きな人のために映像化された作品である。


第1話 覚醒めた男
Aパート 詩ってるツモリ!?(愛蔵版第1巻第4話)
かってに改蔵1巻 (3)ある日の科特部。いつものように部員たちが、何かをするわけでもなくぼんやりとくつろいでいた。
ふと、彩園すずが坪内地丹の背中に何か張られているのに気付く。
「あら地丹くん。そのポエム、どうしたの?」
ポエム? 手鏡で背中を映してみると、確かにポエムがそこに貼り付けられていた。
「ああ、をとうとよ/君をヌク/君下多毛ことヌカれ」
地丹だけではなかった。勝改蔵は顔にポエムが、名取羽海は太股にポエムが書かれていた。
これはきっと奴らの仕業に違いない。「叫ぶしびんの会」と呼ばれる謎の詩人集団。そしてそれは科特部の敵に違いない……。
とそんな科特部の前に、件の「叫ぶしびんの会」の一同が堂々と姿を現す。

Bパート 走り出したら止まらない!?(愛蔵版第2巻第2話)
かってに改蔵1巻 (4)唐突に、構内に悲鳴が轟いた。科特部に飛び込んできたのは、美人で有名なクラス委員の山田さんであった。
「私……妄想されたんです!」
それはその日の登校時の出来事であった。美人で有名なクラス委員の山田さんの前に、全裸の男が突然現れて――、
「お前をオレの中で妄想してやる!」
と宣言。全裸の男は美人で有名なクラス委員の山田さんをニタニタと歪めた眼差しでじっと見つめながら妄想をはじめ、興奮したあえぎ声を漏らし、全身に汗を染み出し、その最後に――どうやら絶頂に達したようだった。
というわけなのだが、特に触られたりしたわけじゃないから、罪にも問えない。
これは伝説の妄想族「吐鬼女嬉」の連中に違いない。そしてそれは、科特部の敵だろう。勝改蔵は、「吐鬼女嬉」と戦うために、彼らが現れそうな場所に待ち伏せを張る。

Cパート 学校の海パン(愛蔵版第1巻第8話)
かってに改蔵1巻 (5)その学校には、古くから伝わる怪奇の伝承があった。北校舎のずっと閉鎖されたままのプール。そこで昔、生徒が溺れたそうだ。しかし、その死体が浮かび上がらず、ただ血まみれになった海パンだけが後に残されていた、という……。


第2話 美しき男たちの品格
Aパート フランスはどこだ!?(愛蔵版第1巻第6話)
かってに改蔵1巻 (6)「先輩! 改蔵先輩お久しぶりです!」
改蔵が街を歩いていると、唐突にサッカーユニフォームの男が声をかけてきた。改蔵の古くからの知り合いで、いま流行りの高校生Jリーガーであった。
しかし彼は、ワールドカップ代表選抜に外された直後であった。
「残念だったな、代表入り」
「どーせ僕のパスは理解されないんです……」
サッカーユニフォームの男は愕然とうなだれた。
仕方がなかった。今の日本代表では彼のキラーパスに合わせられない。なぜならば、彼がキラーパスを放つと……。

Bパート ファッション大魔王!?(愛蔵版第1巻第21話)
かってに改蔵1巻 (7)最近街で、怪事件が流行っているらしい。その名も、「連続セーラー服エリ立て魔」。その正体を掴むべく、オカルト専門の科特部が集まっていた。
とそんなところに、美人で有名なクラス委員の山田さんの悲鳴が雑踏を切り裂く。駆けつけてみると、美人で有名なクラス委員の山田さんのエリが逆立ちした格好でぱりぱりに固められていた。
「フフフ……。本来、セーラー服とはそのようにエリを立てて着こなすのだ」
不意に不敵で不気味な笑い声が耳に飛び込んでくる。颯爽と現れた男こそ「連続セーラー服エリ立て魔」の犯人、オシャレ先生マリオであった。

かってに改蔵 中巻
かってに改蔵 下巻

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作品データ
総監督:新房昭之 監督:龍輪直征 原作:久米田康治
キャラクターデザイン:山村洋貴 メインアニメーター:岩崎安利
美術監督:飯島寿治 伊藤和宏 ビジュアルエフェクト:酒井基 色彩設計:滝沢いづみ
構成:東冨耶子 構成・脚本:高山カツヒコ 編集:関一彦
撮影監督:江藤慎一郎 音響監督:亀山俊樹 音楽:川田瑠夏
プロデューサー:宮本純乃介 アニメーションプロデューサー:久保田光俊
オープニング主題歌:水木一郎と特撮 エンディング主題歌:新☆谷良子
アニメーション制作:シャフト
出演:櫻井孝宏 喜多村英梨 斉藤千和 豊崎愛生 堀江由衣
   立木文彦 堀内賢雄 新谷良子 小野友樹 永田依子
   紗倉のり子 徳本英一郎 樋口智透 渡部由佳
   畑健二郎 MAEDAX
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9971d3d6.jpg雨が冷たく降り注いでいた。のんちゃんは通りの端でボロボロになって倒れ、雨を全身に浴びていた。
「どんな教育受けてんだ、まったく。親の顔が見たいぜ」
乱暴な言葉が無情に投げかけられる。雨の音に混じって、ピチャピチャと遠ざかっていく足音が聞こえた。
のんちゃんは薄く目を開けて、固くざらついたアスファルトのでこぼこを見詰めた。細かな石の溝の間を、雨が流れて行くのが見えた。
雨の冷たさが全身に広がっていく。落雷の音が、雨雲の中でごろごろと轟いていた。

7c7ab155.jpgあれから数日が過ぎて――。
のんちゃんは全身包帯まみれ、右腕を吊った格好で砂浜を歩いていた。体の状態はまだ思わしくなく、左脚をずるずると引き摺り、引き摺った跡が砂浜に長く尾を引いていた。右手の買い物籠の中には長ネギが一本入れられている。頭の上にはPちゃんが大人しく止まっていた
海風がごうごうと唸りを上げている。砂浜に鉛色の波がゆらりと押し寄せてくる。空気はどこか暗く淀んで、かすかな灰の匂いを混じらせていた。
7f8b1e98.jpgeadab531.jpgふと、波際に黒い一団が固まっているのが見えた。黒々とした影が小さく群がり、踊っているように見えた。町のごろつきらしい。一人が屈みこんで、石の鏃の付いた棒状のものを手にしていた。
のんちゃんは気にしないで、ごろつきの側を通り過ぎようとした。
すると、ごろつきの一人が顔を上げ、のんちゃんを振り返った。
1b1cd318.jpg「ミイラ男だ!」
はっと声を強張らせた。顔と体が恐怖で固まったと思うと、棒を放り出して走り去ってしまった。それに釣られるように、ごろつきの仲間たちも去ってしまった。
ごろつきたちが去ると、砂浜に小さな影が残された。目を合わせる2075f839.jpgと、小さなカメだった。
「わー、ミイラ!」
カメは怯えた声を上げて、頭を抱えてぶるぶると震えていた。
しかし、何も応答がないのにふっと我に返り、ちらっとのんちゃんを見上げた。
15336a93.jpg「ミイラじゃないよ。のんちゃんだよ」
のんちゃんの頭の上で、Pちゃんが代わりに答えた。
カメは驚きを浮かべ、それからほっとした感じに溜め息を吐いた。
「……なんだ。ヒドイ国ですね、ここは。いじめっ子ばかりだ。でも、あなたは良い人。命の恩人です。どうです? 私の国に来ません62293b75.jpgか? こんな国、さっさと捨てちゃいましょう」
カメは安心したのか、饒舌になって語り始めた。
のんちゃんは、何も返事しないで、踵を返し左脚を引き摺って歩き始めた。
「あちらは地上の楽園。絵にもかけない美しさです。明日もこの海岸e1e6f647.jpgにいます」
カメは調子を強めて、のんちゃんの背中に向って語り続けた。
のんちゃんはいくらか気にするように歩調を緩めて、何も答えずカメの言葉を聞いた。
「ずっと待っていますから」
カメの声が、海風に消え入りそうになりがら細く聞こえてきた。

211756e1.jpg翌日の昼頃。のんちゃんはカレーを食べていた。
何気なしにテレビを点ける。流れてくる情報は暴力、殺人、詐欺、虐待――。
事件が陰惨であるほどに、ニュースキャスターが生き生きと言葉を弾ませる。
不意にのんちゃんは、幼い日の出来事を思い出した。突然の暴力。いきなり迫った包丁の刃。自分の身代わりで犠牲になった母親――。何の意味のない暴力、そして犠牲。
のんちゃんは耐え切れず外に飛び出した。この国を捨ててしまおう。そう思って。
99de7c62.jpgしかし海岸に辿り着くと、風景は一変していた。地面が強烈な力で捲れ上がり、ひびが走っている。周囲の建物が瓦礫の山と化して、電線と絡み付いていた。
異変の中央へ進むと、海岸線が深く抉られ、昨日のごろつきがボロボロになって倒れているのが見えた。不快な灰の臭いが昨日よりもd0429a84.jpg強く漂ってきた。
茫然としているそこに、ドシンと地面が揺れた。はっと振り向くと、巨大な鉄の杭が、ゆっくり移動するのが見えた。いや、それは脚だった。4本の鉄の杭のような巨大な脚を持った怪物が、町の中心地を目指して歩いていた。
ebe590af.jpg低く唸る獣の声が、地面をじりじりと震わせている。脚が動くたびに、地面がズシンと振動の尾を残した。
町が怪物に襲われている。助けなきゃ。
のんちゃんは持っているスプーンを振り上げた。スプーンの先端で光が砕けた。周辺の瓦礫が衝撃に吹っ飛んだ。
のんちゃんの戦いが始まった――。


『海からの使者』は作家《のすふぇらとぅ》がたった一人で6年の歳月を費やして制作された、わずか8分の個人製作アニメーションである。
作品についての解説を始める前に、まず《のすふぇらとぅ》の人となりを見ていきたいと思う。
《のすふぇらとぅ》が運営するサイト、《活動漫画館》には次のように紹介文が掲載されている。
西暦19××年とある小島に誕生。高校時代、文化祭用共同製作アニメに3年連続で参加。3作目で監督を担当(各3~5分のペーパーアニメ)。専門学校時代は広告・イラストを学び、映画研究会でちょっとだけ活動する。後に広告制作会社に就職、グラフィックデザイナーになったが、特にパッとした活躍もせぬまま、志し半ばで田舎に戻ってきてしまう。現在は小さな八百屋をやってます。
上に書いてある通り、《のすふぇらとぅ》はプロのアニメーション作家ではなく、アニメーション作家を志した経歴もなく、それに相当する職業経験もない。多少の絵心はあり、デザインを学び広告制作会社に就職するが、これといった実績もなく、間もなく淡路島の実家に戻ってしまっている。アニメーションを描く土台となる経験は、高校時代に描いたほんの数分のペーパーアニメが全てである。
現在はありふれた町の青果店を営んでおり、作家としてではなく、ごく普通の人として日常を過ごしている。アニメーションの制作は青果店の経営とは無関係の、息抜きか趣味のようなところから始まり、《のすふぇらとぅ》本人によれば、現在においてもそれをプロの職業にするつもりはないと明言している。
c5e72d1c.jpg物語は作者が日常を過ごしている淡路島が舞台となっている。観覧車のプレート、巨大仏像、デパート、バスの表示、マンホールの紋様。淡路島ならではのものがたくさん登場する。コマ送りにして一つ一つをじっくり確かめたい。


d54f8576.jpg76635f3c.jpgアニメーションを作る切っ掛けとなったのは、《のすふぇらとぅ》が当時遊んでいたチャットの仲間たちを、軽く笑わせてやろう(あるいは驚かせてやろう)という悪戯心のようなものであったようだ。《活動漫画館》にはその最初期の作品が今も掲b963e63f.jpga63b8bd2.jpg載されている。チープだが何ともいえない味わいと面白みのある、かわいらしい作品である。GIFアニメの形式で描かれた作品で、このGIF形式は最近のハイクオリティ作品においても同様に採用されている。
初期の作品はペンタブレットではなく、マ4f222f67.jpg4bad1851.jpgウスでふらふら形を歪ませながらどうにか作った作品であるために、落書きのような画像である。《のすふぇらとぅ》はパソコン操作を知悉していたわけではなく、そんな作品でも相当の時間と労力を重ねて、何7286f6d3.jpgc1e7056b.jpgとかようやく構築したようである。
それ以後も《のすふぇらとぅ》は、例えばレタススタジオのような本格的なアニメーションツールを手に入れることもなく、あくまでもGIFにこだわり続け、GIF形式のままいかに精度を高められるか、いかに迫力のあるカットを作り出せるか、その研究に一人のめりこんでいく。
その後は急速な勢いで作品のクオリティを高めていく。最初のGIFアニメを発表してからわずか10年。落書きのようだった作品は、前例のない勢いで技術を向上させ、画力を上達させ、ついには『海からの使者』という途方もない傑作を作り上げるのである。
その驚くべき画力の向上、そして作品の完成度。まさに「奇跡の作家」と呼ぶべきである。
2e1a5531.jpgクレータは威力の大きさを示す記号である。《のすふぇらとぅ》作品には初期から爆発オチとして登場する、おなじみのモチーフである。
アクションの最中には繰り返しサブミニナルが使われ、《のすふぇらとぅ》作品にとっておなじみのキャラクターがちらちらと登場する。DVD完成版はサブミニナルは控えめになっているが、それでもコマ送りで探す楽しみはある。

fe5b6d7d.jpg『海からの使者』は短編『雨に抱かれて』の続編に当たる作品である。
少女ルカが父親らしき男から暴力を受けている。とっさに飛び出し、助けようとするのんちゃんだったが、ルカに「お父さんを、いじめないで」と止められてしまう。激昂した男は、容赦なくのんちゃんを攻撃する。それでものんちゃんは、反撃しないで攻撃を受け続けた。
293ac857.jpg「どんな教育受けてんだ、まったく。親の顔が見たいぜ」
男はそんな言葉を吐き捨てて、そこから去っていく。
その事件を切っ掛けに、のんちゃんは暗澹と考え込むようになった。暴力とは何か。なぜ人は暴力を振るうのか――。脳裡に浮かび上がるのは、母親が殺されたあの事件。通り魔に突然襲われて、母親を失ったのんちゃん。あの暴力に何の意味があったのか? いや何の意味もなかった。ただ襲われて、死と悲しみが後に残っただけ。
のんちゃんは自身の秘められた能力を封印し、暴力から逃れようと考えた。
そんなとき、出会ったカメから、海の向うの暴力のない世界へ行こうと誘われる。迷うのんちゃんだったが、テレビから溢れる暴力のニュースから逃れるように、カメのもとへと走る。
050fd1ae.jpgだがそこにあったのは、荒々しく抉られた地面と、ボロボロになって倒れている男たちだった。それから、突然に怪物が出現し、町が蹂躙されようとしていた。
のんちゃんは襲われている町の人々の中に、あのルカの姿を見つける。のんちゃんは町を守るためために、ルカを救い出すために、封印したはずの力を解放し怪物と対峙する。
8f8e335c.jpg『海からの使者』には完成まで6年の歳月が費やされ、それまで何度も同じシーンに手直しが加えられた。最も変わったのはヒロインのQちゃんかもしれない。DVDには2008年版のQちゃんも収録されているので、見比べてみると面白い。この違いは、《のすふぇらとぅ》が「萌えキャラクターの書き方」という教科書を買い、練習したためと言われている。ところで、Qちゃんはいつの間に女の子になったのだろう?

すでに書いたとおり、『海からの使者』はこれまでの作品と同様に、GIFアニメの形式で描かれている。現代のディスプレイで作品を見ると、『海からの使者』の映像は鮮明とはいえず、線にドット単位のがたつきが見て取れる。冒頭のゆるやかに展開していく映像を見ると、最近の高品質の映像作品には遠く及ばないものがある。
だが、その印象も後半のアクションが始まった瞬間、一変する。躍動するキャラクター、破壊される街、次々と迫ってくる戦闘機と爆撃、容赦なく繰り出される暴力。
圧倒されるようなアクションが矢継ぎ早に展開され、荒削りに思えた映像が、野獣のような迫力を放って眼前に迫ってくる。このわずか8分のアクションのために、《のすふぇらとぅ》は6年という歳月を費やして、見事に描写してみせたのである。
『海からの使者』の小さな物語である。ドラマとしての躍動は小さく、驚くような展開もなければ言葉の一つ一つに感動的な何かが込められているわけではない。ただただ痛快にして豪快なアクションがそこにあるだけである。
e3021f81.jpg《のすふぇらとぅ》はアニメーションの職業作家ではないから、カットの一つ一つの完成度が必ずしも高いというわけではない。線の精度にも限界があり、背景画を見ると大雑把に線が引かれているのがわかる(看板文字も手書きである)。そもそも劇場やDVDでの鑑賞を前提としない、あくまでもGIFアニメであるから、画面の精度もそこまで高くはない。
しかし『海からの使者』の映像にはプリミティブな感動が込められている。物語の蓋然性や道理はさて置くとして、キャラクターが自由に重力から解放され、町の構造を叩き壊し、怪物との素手の対決を挑む。そこに何の意味があるのか、なんて問うのは野暮である。
その瞬間現れる何ともいえない心地よさと痛快さ。それから恍惚。ただただ巨大な2者が対峙し、ぶつかり合い、破壊の描写が連続するだけの映像である。だが我々は、そこに圧倒されるような剥き出しの快楽を見出すのである。初源の動画快楽に感覚が一気に引き戻され、その中に飲み込まれて恍惚が溢れ出す。そんな感動を与えてくれる秀逸な作品である。
945e82ac.jpg謎のカメが怪物となり、町を破壊する物語である。カメはのんちゃんを楽園に誘おうとする。その正体は何なのか。ほんの数コマだが、甲羅にハングルが書かれているのが確認できる。これがカメと楽園の正体だ。
背景にちらちらと「9条改正反対」「のんちゃんは違憲」などの書き込みがあり、意外と今日的なテーマを取り入れているのがわかる。

243839ad.jpgところで、プロとアマチュアの境界線はどこにあるのだろうか?
大雑把に言えば、職業として仕事を引き受け、それで生活しているのがプロである。だから、そうではないのがアマチュアだ。
しかし、世間一般ではなぜかプロの仕事がより上等で、アマチュアが下等であると見做そうとしている。プロと比較すると、アマチュアの仕6f7d0150.jpg事は精度が低く、さらに公共性に欠けるものと考えられている。
「プロは特別優秀であるから、アマチュアに敗北することは決してない」
特にアニメーションという分野では、制作方法があまりにも複雑で予算規模が大きいために、プロであることの地位は絶対的に守られて76375ce4.jpgいた。アニメーションというジャンルそれ自体が、プロの絶対性を保障していたわけである。
だが、高度に発達したコンピューターの手を借りることによって、プロの絶対性は少しずつ、それでいて確実に揺らぎつつある。というか、プロであることのプライドが、そろそろ根拠のない傲慢さと見栄に変85a254cf.jpgわろうとしている。
d754cd49.jpg竹熊健太郎によるドキュメンタリー『淡路島に孤高のアニメ作家を尋ねて』。冒頭3分、ドキュメンタリーの流れとはまったく無関係に淡路島観光の映像が流れる。微妙な笑いと脱力感を加える、いつもの竹熊節308cd4d2.jpgである。

「素人の作品は所詮、素人に過ぎない。あれはオリジナル作品とは言わない」
プロとしてのプライドにこだわりたい人の多くは、上のように言うだろ22717cc5.jpgう。確かにその指摘は間違いではない。ニコニコ動画やユーチューブで発表されている多くの個人製作アニメーションは、キャラクターや物語展開を商業作品から引用している。代表的なものでいえば初音ミクや東方プロジェクト。『機動戦士のんちゃん』シリーズを見ると、のんちゃんと対立する敵に『機動戦士ガンダム』のシャアが堂々と登場2b698ae3.jpgし、宇宙の場面には宇宙戦艦ヤマト、その乗組員にはなぜか藤子不二夫作品のパーマンたち。のんちゃんが死の淵を彷徨うシーンには、『エヴァンゲリオン』の綾波レイが登場し、シーンの印象も台詞も『エヴァンゲリオン』をそのまま引用している。
のんちゃんというキャラクターのオリジナル性は、落書きの中から偶656bc2e8.jpg発的に発生したものであって、物語やドラマという見通しがあって生まれたキャラクターではない。どの個人製作アニメーションを見ても同様で、ドラマという終局面を見据えてキャラクターが創作された前例は、多分まだない。借り物のキャラクターが物語のない世界で漠然とした印象を振り撒いているだけである。それは少々動きの付いたイラa641659a.jpgストレーションでしかない。
どの個人製作アニメーションも物語の展開が弱く、ドラマとしての力強さをそこに見出すことはできない。そのキャラクターと物語という繋がりから生まれる感動がない(という以前に、そもそもキャラクターが借り物に過ぎない)。その作品だからこそ現れる、あるいはその作品188a7363.jpg/作家でしか到達し得ない独自性というものを、個人製作アニメーションはまだ見出せないでいる。エピソードをいくつも重ねてその向うにある結末を求めていくような作品は、やはり商業的な規模を持ったシリーズ作品に限られる。
だからといって、プロが制作する商業アニメーションの地位が安泰とはまったく思わない。商業アニメは、商業アニメであるがゆえの詰まらなさを抱えている。
商業アニメもどことなく似たり寄ったりのキャラクターやストーリを作り出しているのではないだろうか。商業的であるがゆえに、むしろ作品の品質は横並びに整理され、ある程度の水準や画風などの流行から、誰もその向うに踏み出せないでいるのではないか。商業的なリサーチの末に「今の流行はこういうキャラクターとストーリーだから」と時代が持っている流れに隷属させ、作家が本来持っているエネルギーを封じてしまっているのではないだろうか。あるいは過剰に発達した公共性(欲求ばかりが増大する消費者の傲慢さを慰めるために)が作家のパーソナリティを封じ込めてしまっているのではないか。
気付けばどの作品を見ても、いつもお目にかかるキャラクターがいたりする。動画を見ると、止めに口パクと目パチがほとんどだ。どこかぼんやりした印象で、『海からの使者』で得たような痛快さと感動を持った力強い動画には、なかなかお目にかかれない。
最近制作されたアニメーションのほとんどが12話~13話という短い期間で終わってしまい、ドラマとしての大きなダイナミズムを見出す前に終わってしまう。それに、物語の終局に対して、特に蓋然性のない放送回数を消化するだけのエピソードも多く見られる。そもそも目標地点が低く設定され、作り手による挑戦や冒険精神が感じられない。はっきり言えってしまえば、ただ仕事をしているだけだ。
果たしてそんな商業アニメが、全ての面において個人製作アニメを上回っているといえるのだろうか。今後もプロは、アマチュアよりも絶対に上である、という優位性をどこまで保っていられるだろうか。それまでの優位性を、勘違いの尊大さに発展しないことを祈るばかりである。
ec8c58e6.jpgホームページ『活動漫画館』にはこれまでのほとんど全ての動画作品が並んでいる。一応の長編連続ものとして『機動戦士のんちゃん』が今現在も製作中だ。物語中には『ガンダム』のシャアや宇宙戦艦ヤマトなどが登場する。作者の歩んできた足跡がよくわかる作品だ(最近のアニメ作品は全く知らないらしい)。『海からの使者』を深く理解するためには、こちらのシリーズも見ておきたい。『機動戦士のんちゃん』シリーズもいつかDVD化するのだろうか。
商業アニメと個人製作アニメの境界線は、ゆるやかに混じり合おうとしている。品質という側面でいうと、個人製作アニメは集団制作アニメに肩を並べつつある。将来的には追い抜かないとも限らない。もし宮崎駿クラスの天才が個人製作アニメの世界に現れたら、アニメに対する認識は間違いなくひっくり返ってしまうだろう(というか、宮崎駿があと50歳若く、コンピューター操作を偏見もなく理解していれば、確実に歴史的な傑作を残しただろう)。そんな事態を直面するまで、アニメの業界は個人製作アニメの存在を韜晦し、あるいは見下し続けるのだろうか。
個人アニメの分野はまだ発展の余地を残している。集団制作アニメの弱点は、優れた個人のエネルギーが何となくチームの平均値の中に埋没してしまうことにある。しかし個人製作アニメは、天才が作れば天才的な作品ができあがる。アレクサンドル・ペドロフの『老人と海』がその実例だ。
もしも商業アニメの退屈さが素人作品の品質を下回った時、そしてアニメユーザーの目線が商業アニメから個人製作アニメに移った時、業界は大きなパラダイムシフトの直面し、自身の創作について改めて見直す切っ掛けを作るだろう。
その時に、安直に「売れるから」という理由だけで、集団制作アニメの体勢を放棄してしまわないように、と未来のアニメ会社の経営者たちに念を送るばかりである。日本のアニメーションの実体は、あの集団制作のシステム構築にこそあるのだ、ということを忘れてはならない。
何にしても、我々はもしかしすると大きな変化を前にしているのかもしれない。『海からの使者』はそんな予感を与えてくれる作品であった。



ホームページ『活動漫画館
ブログ『のす日和
 →当ブログが採り上げられました。

たけくま書店 通販部
※ 現時点でDVDはアマゾンなどで手に入らないので、上のリンクからお買い求め下さい。

ようこそタコシュへ:DVDのすふぇらとぅ『海からの使者』
※ しばらく『たけくま書店 通販部』は営業停止するそうです。『海からの使者』DVDはこちらでお買い求め下さい。

作品データ
監督・脚本・演出・作画・編集:のすふぇらとぅ
音楽:佐藤綾子 SE:細江慎治 編集協力:うもとゆーじ
プロデュース・販売:竹熊健太郎(たけくま事務所)
制作:活動漫画館
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『ジーニアス・パーティー・ビヨンド』は、アニメーション制作会社STUDIO4℃が制作するアニメ短編集だ。
商業的、企業的作品としての色彩は弱く、作家それぞれのイメージを独自の方法で描き出している。
短編作品はどれも尺数自体は短いものの、表現はかつてなく自由で、突き抜けた独創性に溢れている。

1・GALA
86058bca.jpg995ff1d8.jpg物語の展開は、なかなか跳躍しているが、技法や表現は従来的な手法を踏襲しているので、親しみやすい作品になっている。やはり一本目だから、という配慮もあったのだろう。

ある朝、突然に、天から巨大な“何か”が降ってきた。
“何か”は地面を揺らし、土砂を巻き上げる。
森の住人達は目を覚まし、“何か”に殺到する。ただちに人々は混乱し、狂乱に取り付かれて“何か”を破壊しようとする。
コオニとハゴロモも、人々が集る場所へと駆けつける。
そこでコオニとハゴロモは、あの“何か”の中で目覚め、語りかけてくるものの存在に気付く。
5本の短編集の中で、もっとも馴染みのあるアニメーション・スタイルで描かれた作品だ。
キャラクターも演出技法も、一般的なアニメーションの表現と質感を踏襲している。
前衛的な短編作品が集る中で、もっとも落ち着いて見られる作品だ。

2・MOONDRIVE
0b64a15c.jpg1d211384.jpgとんがっているイメージだが、基本的には従来載せるアニメの手法の読み替えだ。物語もありがちな冒険アニメを踏襲しているので、構えてみることはない。

舞台ははるかな未来。月に街が築かれ、我々の住む世界と同じような生活が営まれていた。
ある場末のバーで、ジーコたちが集って、ため息をついていた。
この頃はどこもかしくも不況、不況。面白い話はどこにも転がっていない。
そんな時、マスターが、気になる情報を口にする。
西の外れの時計屋のジジイが、古い地図を手に入れたらしい。
宝の地図かもしれない。
ジーコたちは早速、地図を手に入れるために車に乗り込む。
一見すると冒険アニメふうだが、線は走り書きのように崩れ、レイアウトの枠線が残り、背景画の縁が見えてしまっている。
日本アニメーションにありがちな、つるりとしたセルの質感ではなく、あえて動画が汚され、色彩もはみ出し、独特の手触りを作り出している。
アニメは所詮、動画と背景画の合成でしかない、と手の内を明かしているような作品だ。

3・「わんわ」
be27f0cc.jpgf90a6901.jpg子供の深層世界を、そのままの形で描き出そうとした、意欲作。物の大きさや、パースティクティブに一貫性を持たないのが、子供の物語らしい。絵柄が子供っぽいが、なかなか意欲的な作品だし、生と死を扱った物語は哲学的だ。
産婦人科の病室。
小さな男の子が、お母さんのベッドの上で、はしゃいでいた。
側にお父さんがいる。でも、看護婦から何か説明を聞かされ、暗くため息をついていた。
でも男の子は気にしないで、鬼のお面をかぶって遊んでいた。ベッドの上のお母さんが、優しく微笑んでいた。
と、突然に強い風が迫る。
窓が打ち破られ、部屋が崩壊する。
男の子が振り向くと、青鬼が現れ、お母さんを連れ去ってしまった。
男の子は、お母さんを救い出すために、冒険の旅に出る。
児童ものの絵本のような柔らかいパステルの線と色彩で描かれた作品だ。
映像も従来的なわかりやすいパースティクティブはなく、子供の心象風景をそのまま映像にしたかのようなイメージで描かれている。

4・陶人キット
253f4178.jpgf76575be.jpgまるで自閉症のイメージだ。イラストレーターで知られる田中達之がほぼ一人で、作画から美術までこなしている。一人で描いているから、ここまで個人的な作品が成立しえたのだ。

その部屋は、奇怪な機械と、夥しい数のぬいぐるみで埋め尽くされていた。
そんな場所に、女が一人で過ごしている。
女は冷蔵庫から“何か”を取り出し、ボウルに入れて溶き、もくもくと作業を始める。次に、ボウルの中のものを機械に入れて、機械を作動させる。
女は誰と接することはなく、言葉もなく、死んだような目で、毎日を過ごしている。
そんな部屋に、ある日、男が介入する。
「管理局の強制捜査を行います。心当たりは、おありですね」
完璧に制御された色彩、線画、空間表現。
もはやイラストレーションの世界だ。
物語は、多くは語られない。一つの部屋があり、奇怪な機械と奇怪なキャラクターがそこにいる。それで全てだ。
映像のイメージはよそよそしく、誰かの介入を絶対に許さない。
決して広くもない場所に、絶対的イメージを完成させている。
ワンルーム完結するイラストレーションであり、ワンルームの美術だ。

5・時限爆弾
98e22fb1.jpg9681b120.jpg少女クウの声は、音楽家の菅野よう子が演じている。もともとエキセントリックな性格で、独特な声質の持ち主だが、アニメキャラクターの口パクと合わせると、まったく違和感がない。今後、声優業を続けるのだろうか。
草むらに、クウとシンの二人がいる。
「私は、ちょうちょを捕まえたいと思うのよ」
音楽が始まる。
イメージが、洪水のように押し迫ってくる。
この映像感覚は、言語での解説は不可能だ。
『時限爆弾』で描かれたイメージはあまりにも独創的で、我々の共通言語を完全に否定し、かつてない方向に跳躍している。
美術的なあらゆる表現や技法――光の表現や、質感の表現、パースティクティブといった技術の援用はあるが、その構成の手法は、我々が接した経験のないものだ。
物語の言語的な組み立ては完全に崩壊し、音楽的な文法すら独自の手法で完成させている。
『時限爆弾』の映像は、『時限爆弾』だけで完成され、完璧なレベルで完結しているのだ。
もはや、そのひとつを指し示そうにも、瞬間を引用して説明することすらできない。
完全な独自的空間、瞬間を作り出した奇跡のような作品だ。
694a1f55.jpg1e537e54.jpg膨大なイメージバレイヤリングされ、独自的なイメージを作り出している。解説しようにも、言語は既知のイメージしか伝えられないから、『時限爆弾』の伝えることはできない。言語的解説の余地を完全に無視した傑作だ。
『ジーニアス・パーティー・ビヨンド』における5本の短編はどれも独創的で、解説の難しい作品ばかりだ。
と同時に、日本アニメーションの技法を客観し、文法的な解体、再構築を試みている。
日本人の多くは、ペーパーアニメの手法がアニメのすべてだと思っているし、確かに日本のアニメはペーパーアニメの分野において、ずばぬけた表現力と技術力を持っている。
だが一方で、ペーパーアニメ特有の文法にあまりにも捉われすぎている。
日本アニメーション特有の言い回しに捉われすぎている。
あまりにも様式化された文法や技法は、表現の可能性をいたずらに限定するだけだ。
71acd723.jpg40698cbd.jpg評判のよかった『ジーニアス・パーティー』の続編に当たる。今回も個性の濃い作品が並んでいる。作品完成度が高く、実験性が強いのも特徴だ。アニメの表現の可能性を考える切っ掛けになりそうだ。(でも売れるのだろうか…)
映画、アニメーションのおよそすべては、脚本による言語的物語組立てと、あるいは音楽的時間に支配され、その無限性は抑制されている。
物語を組み立てようとすれば、映画は通俗的な文法に抑制されるし、その分、作家のイメージは限定される。
アニメーションの自由さや奔放さは、現実世界のパースティクティブを写し取ることで、その可能性が限定される。
そんなあらゆる抑制から解放された時、アニメーションはどんな姿を見せるのか。
『ジーニアス・パーティー・ビヨンド』はそんな実験性を含む作品集だ。
どの作品も、通俗的な物語の限定性から解放され、それぞれの方法でイメージを展開させ、自己完結させている。
そのイマジナリィは、まったく新しく、誰も見た経験のない領域に達している。
映画とはどうあるべきか。映画の限界とはなんなのか。
そうした哲学的問いを考える切っ掛けになる作品集だ。
 
作品データ
「GALA」
監督・キャラクターデザイン:前田真宏
作画監督:前田真宏 窪岡俊之 音楽:伊福部昭
美術監督:竹田悠介 美術ボード:益城貴昌
出演:高乃麗 中村千鶴 江戸家小猫

「MOONDRIVE」
監督・キャラクターデザイン・作画監督:中澤一登
美術監督:西田稔 音楽:Warsaw Village Band
出演:古田新太 高田聖子 中谷さとみ 高山晃

「わんわ」
監督・キャラクターデザイン・作画監督:大平晋也
美術監督:野崎佳津
出演:鈴木晶子 水原薫 一条和矢 松本吉朗 堀越知恵

「陶人キット」
監督・キャラクターデザイン・作画監督・美術監督:田中達之
出演:佐野史郎 水原薫 大平修也 高橋卓生 高山晃

「時限爆弾」
監督・作画監督・キャラクターデザイン・森本晃司
音楽:Juno Reactor 美術監督:新林希文
出演:菅野よう子 小林顕作 藤田昌代 徳留志津香 堀越知恵
アニメーション制作:スタジオ4℃

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