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■2009/03/22 (Sun)
オリジナル・アニメ・DVD■
『ジーニアス・パーティー・ビヨンド』は、アニメーション制作会社STUDIO4℃が制作するアニメ短編集だ。
商業的、企業的作品としての色彩は弱く、作家それぞれのイメージを独自の方法で描き出している。
短編作品はどれも尺数自体は短いものの、表現はかつてなく自由で、突き抜けた独創性に溢れている。
1・GALA
物語の展開は、なかなか跳躍しているが、技法や表現は従来的な手法を踏襲しているので、親しみやすい作品になっている。やはり一本目だから、という配慮もあったのだろう。
ある朝、突然に、天から巨大な“何か”が降ってきた。
“何か”は地面を揺らし、土砂を巻き上げる。
森の住人達は目を覚まし、“何か”に殺到する。ただちに人々は混乱し、狂乱に取り付かれて“何か”を破壊しようとする。
コオニとハゴロモも、人々が集る場所へと駆けつける。
そこでコオニとハゴロモは、あの“何か”の中で目覚め、語りかけてくるものの存在に気付く。
5本の短編集の中で、もっとも馴染みのあるアニメーション・スタイルで描かれた作品だ。
キャラクターも演出技法も、一般的なアニメーションの表現と質感を踏襲している。
前衛的な短編作品が集る中で、もっとも落ち着いて見られる作品だ。
2・MOONDRIVE
とんがっているイメージだが、基本的には従来載せるアニメの手法の読み替えだ。物語もありがちな冒険アニメを踏襲しているので、構えてみることはない。
舞台ははるかな未来。月に街が築かれ、我々の住む世界と同じような生活が営まれていた。
ある場末のバーで、ジーコたちが集って、ため息をついていた。
この頃はどこもかしくも不況、不況。面白い話はどこにも転がっていない。
そんな時、マスターが、気になる情報を口にする。
西の外れの時計屋のジジイが、古い地図を手に入れたらしい。
宝の地図かもしれない。
ジーコたちは早速、地図を手に入れるために車に乗り込む。
一見すると冒険アニメふうだが、線は走り書きのように崩れ、レイアウトの枠線が残り、背景画の縁が見えてしまっている。
日本アニメーションにありがちな、つるりとしたセルの質感ではなく、あえて動画が汚され、色彩もはみ出し、独特の手触りを作り出している。
アニメは所詮、動画と背景画の合成でしかない、と手の内を明かしているような作品だ。
3・「わんわ」
子供の深層世界を、そのままの形で描き出そうとした、意欲作。物の大きさや、パースティクティブに一貫性を持たないのが、子供の物語らしい。絵柄が子供っぽいが、なかなか意欲的な作品だし、生と死を扱った物語は哲学的だ。
産婦人科の病室。
小さな男の子が、お母さんのベッドの上で、はしゃいでいた。
側にお父さんがいる。でも、看護婦から何か説明を聞かされ、暗くため息をついていた。
でも男の子は気にしないで、鬼のお面をかぶって遊んでいた。ベッドの上のお母さんが、優しく微笑んでいた。
と、突然に強い風が迫る。
窓が打ち破られ、部屋が崩壊する。
男の子が振り向くと、青鬼が現れ、お母さんを連れ去ってしまった。
男の子は、お母さんを救い出すために、冒険の旅に出る。
児童ものの絵本のような柔らかいパステルの線と色彩で描かれた作品だ。
映像も従来的なわかりやすいパースティクティブはなく、子供の心象風景をそのまま映像にしたかのようなイメージで描かれている。
4・陶人キット
まるで自閉症のイメージだ。イラストレーターで知られる田中達之がほぼ一人で、作画から美術までこなしている。一人で描いているから、ここまで個人的な作品が成立しえたのだ。
その部屋は、奇怪な機械と、夥しい数のぬいぐるみで埋め尽くされていた。
そんな場所に、女が一人で過ごしている。
女は冷蔵庫から“何か”を取り出し、ボウルに入れて溶き、もくもくと作業を始める。次に、ボウルの中のものを機械に入れて、機械を作動させる。
女は誰と接することはなく、言葉もなく、死んだような目で、毎日を過ごしている。
そんな部屋に、ある日、男が介入する。
「管理局の強制捜査を行います。心当たりは、おありですね」
完璧に制御された色彩、線画、空間表現。
もはやイラストレーションの世界だ。
物語は、多くは語られない。一つの部屋があり、奇怪な機械と奇怪なキャラクターがそこにいる。それで全てだ。
映像のイメージはよそよそしく、誰かの介入を絶対に許さない。
決して広くもない場所に、絶対的イメージを完成させている。
ワンルーム完結するイラストレーションであり、ワンルームの美術だ。
5・時限爆弾
少女クウの声は、音楽家の菅野よう子が演じている。もともとエキセントリックな性格で、独特な声質の持ち主だが、アニメキャラクターの口パクと合わせると、まったく違和感がない。今後、声優業を続けるのだろうか。
草むらに、クウとシンの二人がいる。
「私は、ちょうちょを捕まえたいと思うのよ」
音楽が始まる。
イメージが、洪水のように押し迫ってくる。
この映像感覚は、言語での解説は不可能だ。
『時限爆弾』で描かれたイメージはあまりにも独創的で、我々の共通言語を完全に否定し、かつてない方向に跳躍している。
美術的なあらゆる表現や技法――光の表現や、質感の表現、パースティクティブといった技術の援用はあるが、その構成の手法は、我々が接した経験のないものだ。
物語の言語的な組み立ては完全に崩壊し、音楽的な文法すら独自の手法で完成させている。
『時限爆弾』の映像は、『時限爆弾』だけで完成され、完璧なレベルで完結しているのだ。
もはや、そのひとつを指し示そうにも、瞬間を引用して説明することすらできない。
完全な独自的空間、瞬間を作り出した奇跡のような作品だ。
膨大なイメージバレイヤリングされ、独自的なイメージを作り出している。解説しようにも、言語は既知のイメージしか伝えられないから、『時限爆弾』の伝えることはできない。言語的解説の余地を完全に無視した傑作だ。
『ジーニアス・パーティー・ビヨンド』における5本の短編はどれも独創的で、解説の難しい作品ばかりだ。
と同時に、日本アニメーションの技法を客観し、文法的な解体、再構築を試みている。
日本人の多くは、ペーパーアニメの手法がアニメのすべてだと思っているし、確かに日本のアニメはペーパーアニメの分野において、ずばぬけた表現力と技術力を持っている。
だが一方で、ペーパーアニメ特有の文法にあまりにも捉われすぎている。
日本アニメーション特有の言い回しに捉われすぎている。
あまりにも様式化された文法や技法は、表現の可能性をいたずらに限定するだけだ。
評判のよかった『ジーニアス・パーティー』の続編に当たる。今回も個性の濃い作品が並んでいる。作品完成度が高く、実験性が強いのも特徴だ。アニメの表現の可能性を考える切っ掛けになりそうだ。(でも売れるのだろうか…)
映画、アニメーションのおよそすべては、脚本による言語的物語組立てと、あるいは音楽的時間に支配され、その無限性は抑制されている。
物語を組み立てようとすれば、映画は通俗的な文法に抑制されるし、その分、作家のイメージは限定される。
アニメーションの自由さや奔放さは、現実世界のパースティクティブを写し取ることで、その可能性が限定される。
そんなあらゆる抑制から解放された時、アニメーションはどんな姿を見せるのか。
『ジーニアス・パーティー・ビヨンド』はそんな実験性を含む作品集だ。
どの作品も、通俗的な物語の限定性から解放され、それぞれの方法でイメージを展開させ、自己完結させている。
そのイマジナリィは、まったく新しく、誰も見た経験のない領域に達している。
映画とはどうあるべきか。映画の限界とはなんなのか。
そうした哲学的問いを考える切っ掛けになる作品集だ。
作品データ
「GALA」
監督・キャラクターデザイン:前田真宏
作画監督:前田真宏 窪岡俊之 音楽:伊福部昭
美術監督:竹田悠介 美術ボード:益城貴昌
出演:高乃麗 中村千鶴 江戸家小猫
「MOONDRIVE」
監督・キャラクターデザイン・作画監督:中澤一登
美術監督:西田稔 音楽:Warsaw Village Band
出演:古田新太 高田聖子 中谷さとみ 高山晃
「わんわ」
監督・キャラクターデザイン・作画監督:大平晋也
美術監督:野崎佳津
出演:鈴木晶子 水原薫 一条和矢 松本吉朗 堀越知恵
「陶人キット」
監督・キャラクターデザイン・作画監督・美術監督:田中達之
出演:佐野史郎 水原薫 大平修也 高橋卓生 高山晃
「時限爆弾」
監督・作画監督・キャラクターデザイン・森本晃司
音楽:Juno Reactor 美術監督:新林希文
出演:菅野よう子 小林顕作 藤田昌代 徳留志津香 堀越知恵
アニメーション制作:スタジオ4℃
商業的、企業的作品としての色彩は弱く、作家それぞれのイメージを独自の方法で描き出している。
短編作品はどれも尺数自体は短いものの、表現はかつてなく自由で、突き抜けた独創性に溢れている。
1・GALA
物語の展開は、なかなか跳躍しているが、技法や表現は従来的な手法を踏襲しているので、親しみやすい作品になっている。やはり一本目だから、という配慮もあったのだろう。
ある朝、突然に、天から巨大な“何か”が降ってきた。
“何か”は地面を揺らし、土砂を巻き上げる。
森の住人達は目を覚まし、“何か”に殺到する。ただちに人々は混乱し、狂乱に取り付かれて“何か”を破壊しようとする。
コオニとハゴロモも、人々が集る場所へと駆けつける。
そこでコオニとハゴロモは、あの“何か”の中で目覚め、語りかけてくるものの存在に気付く。
5本の短編集の中で、もっとも馴染みのあるアニメーション・スタイルで描かれた作品だ。
キャラクターも演出技法も、一般的なアニメーションの表現と質感を踏襲している。
前衛的な短編作品が集る中で、もっとも落ち着いて見られる作品だ。
2・MOONDRIVE
とんがっているイメージだが、基本的には従来載せるアニメの手法の読み替えだ。物語もありがちな冒険アニメを踏襲しているので、構えてみることはない。
舞台ははるかな未来。月に街が築かれ、我々の住む世界と同じような生活が営まれていた。
ある場末のバーで、ジーコたちが集って、ため息をついていた。
この頃はどこもかしくも不況、不況。面白い話はどこにも転がっていない。
そんな時、マスターが、気になる情報を口にする。
西の外れの時計屋のジジイが、古い地図を手に入れたらしい。
宝の地図かもしれない。
ジーコたちは早速、地図を手に入れるために車に乗り込む。
一見すると冒険アニメふうだが、線は走り書きのように崩れ、レイアウトの枠線が残り、背景画の縁が見えてしまっている。
日本アニメーションにありがちな、つるりとしたセルの質感ではなく、あえて動画が汚され、色彩もはみ出し、独特の手触りを作り出している。
アニメは所詮、動画と背景画の合成でしかない、と手の内を明かしているような作品だ。
3・「わんわ」
子供の深層世界を、そのままの形で描き出そうとした、意欲作。物の大きさや、パースティクティブに一貫性を持たないのが、子供の物語らしい。絵柄が子供っぽいが、なかなか意欲的な作品だし、生と死を扱った物語は哲学的だ。
産婦人科の病室。
小さな男の子が、お母さんのベッドの上で、はしゃいでいた。
側にお父さんがいる。でも、看護婦から何か説明を聞かされ、暗くため息をついていた。
でも男の子は気にしないで、鬼のお面をかぶって遊んでいた。ベッドの上のお母さんが、優しく微笑んでいた。
と、突然に強い風が迫る。
窓が打ち破られ、部屋が崩壊する。
男の子が振り向くと、青鬼が現れ、お母さんを連れ去ってしまった。
男の子は、お母さんを救い出すために、冒険の旅に出る。
児童ものの絵本のような柔らかいパステルの線と色彩で描かれた作品だ。
映像も従来的なわかりやすいパースティクティブはなく、子供の心象風景をそのまま映像にしたかのようなイメージで描かれている。
4・陶人キット
まるで自閉症のイメージだ。イラストレーターで知られる田中達之がほぼ一人で、作画から美術までこなしている。一人で描いているから、ここまで個人的な作品が成立しえたのだ。
その部屋は、奇怪な機械と、夥しい数のぬいぐるみで埋め尽くされていた。
そんな場所に、女が一人で過ごしている。
女は冷蔵庫から“何か”を取り出し、ボウルに入れて溶き、もくもくと作業を始める。次に、ボウルの中のものを機械に入れて、機械を作動させる。
女は誰と接することはなく、言葉もなく、死んだような目で、毎日を過ごしている。
そんな部屋に、ある日、男が介入する。
「管理局の強制捜査を行います。心当たりは、おありですね」
完璧に制御された色彩、線画、空間表現。
もはやイラストレーションの世界だ。
物語は、多くは語られない。一つの部屋があり、奇怪な機械と奇怪なキャラクターがそこにいる。それで全てだ。
映像のイメージはよそよそしく、誰かの介入を絶対に許さない。
決して広くもない場所に、絶対的イメージを完成させている。
ワンルーム完結するイラストレーションであり、ワンルームの美術だ。
5・時限爆弾
少女クウの声は、音楽家の菅野よう子が演じている。もともとエキセントリックな性格で、独特な声質の持ち主だが、アニメキャラクターの口パクと合わせると、まったく違和感がない。今後、声優業を続けるのだろうか。
草むらに、クウとシンの二人がいる。
「私は、ちょうちょを捕まえたいと思うのよ」
音楽が始まる。
イメージが、洪水のように押し迫ってくる。
この映像感覚は、言語での解説は不可能だ。
『時限爆弾』で描かれたイメージはあまりにも独創的で、我々の共通言語を完全に否定し、かつてない方向に跳躍している。
美術的なあらゆる表現や技法――光の表現や、質感の表現、パースティクティブといった技術の援用はあるが、その構成の手法は、我々が接した経験のないものだ。
物語の言語的な組み立ては完全に崩壊し、音楽的な文法すら独自の手法で完成させている。
『時限爆弾』の映像は、『時限爆弾』だけで完成され、完璧なレベルで完結しているのだ。
もはや、そのひとつを指し示そうにも、瞬間を引用して説明することすらできない。
完全な独自的空間、瞬間を作り出した奇跡のような作品だ。
膨大なイメージバレイヤリングされ、独自的なイメージを作り出している。解説しようにも、言語は既知のイメージしか伝えられないから、『時限爆弾』の伝えることはできない。言語的解説の余地を完全に無視した傑作だ。
『ジーニアス・パーティー・ビヨンド』における5本の短編はどれも独創的で、解説の難しい作品ばかりだ。
と同時に、日本アニメーションの技法を客観し、文法的な解体、再構築を試みている。
日本人の多くは、ペーパーアニメの手法がアニメのすべてだと思っているし、確かに日本のアニメはペーパーアニメの分野において、ずばぬけた表現力と技術力を持っている。
だが一方で、ペーパーアニメ特有の文法にあまりにも捉われすぎている。
日本アニメーション特有の言い回しに捉われすぎている。
あまりにも様式化された文法や技法は、表現の可能性をいたずらに限定するだけだ。
評判のよかった『ジーニアス・パーティー』の続編に当たる。今回も個性の濃い作品が並んでいる。作品完成度が高く、実験性が強いのも特徴だ。アニメの表現の可能性を考える切っ掛けになりそうだ。(でも売れるのだろうか…)
映画、アニメーションのおよそすべては、脚本による言語的物語組立てと、あるいは音楽的時間に支配され、その無限性は抑制されている。
物語を組み立てようとすれば、映画は通俗的な文法に抑制されるし、その分、作家のイメージは限定される。
アニメーションの自由さや奔放さは、現実世界のパースティクティブを写し取ることで、その可能性が限定される。
そんなあらゆる抑制から解放された時、アニメーションはどんな姿を見せるのか。
『ジーニアス・パーティー・ビヨンド』はそんな実験性を含む作品集だ。
どの作品も、通俗的な物語の限定性から解放され、それぞれの方法でイメージを展開させ、自己完結させている。
そのイマジナリィは、まったく新しく、誰も見た経験のない領域に達している。
映画とはどうあるべきか。映画の限界とはなんなのか。
そうした哲学的問いを考える切っ掛けになる作品集だ。
「GALA」
監督・キャラクターデザイン:前田真宏
作画監督:前田真宏 窪岡俊之 音楽:伊福部昭
美術監督:竹田悠介 美術ボード:益城貴昌
出演:高乃麗 中村千鶴 江戸家小猫
「MOONDRIVE」
監督・キャラクターデザイン・作画監督:中澤一登
美術監督:西田稔 音楽:Warsaw Village Band
出演:古田新太 高田聖子 中谷さとみ 高山晃
「わんわ」
監督・キャラクターデザイン・作画監督:大平晋也
美術監督:野崎佳津
出演:鈴木晶子 水原薫 一条和矢 松本吉朗 堀越知恵
「陶人キット」
監督・キャラクターデザイン・作画監督・美術監督:田中達之
出演:佐野史郎 水原薫 大平修也 高橋卓生 高山晃
「時限爆弾」
監督・作画監督・キャラクターデザイン・森本晃司
音楽:Juno Reactor 美術監督:新林希文
出演:菅野よう子 小林顕作 藤田昌代 徳留志津香 堀越知恵
アニメーション制作:スタジオ4℃
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