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■2009/03/30 (Mon)
劇場アニメ■
2067年。
日本は歴史上二度目となる鎖国体勢に突入する。
鎖国政策を敷く日本。これは、反日的なメッセージだろうか。それともSF少年の戯れだろうか。後者であると願いたい。
猛烈な吹雪の中を、SWORDの軍用飛行船が飛んでいた。
飛行船の中には、すでにフル装備の兵士たちが、突撃の合図を待って待機していた。
これから向かうフィラル山の屋敷で、各国の首脳が集って秘密会議が開かれる。
SWORDの任務は、この屋敷に突入し、秘密会議を阻止することであった。
ロボット社会に突入した近未来社会。だが、ライフサイエンスは禁止され、嫌悪の対象となっている。人間の善悪観が、個人の経験や哲学ではなく、法に依存していることがよくわかる。主人公ベクシルは機械に依存した生活を送り、機械に依存した仕事に従事しているが、なぜかロボットを嫌う。まるで、デジタルに依存しているのに、デジタル嫌いを公言する映画監督のようだ。
日本が鎖国政策を敷いて、すでに十年の年月が経過している。
この十年の間に、日本人と交流した者はおらず、日本へ渡航した者もいなかった。
その日本が、近年にわかに活動を始め、外国との接触を持ち始めていた。
中心となる人物は、日本人のサイトウと名乗る人物だ。
しかし日本がどんな目的を持っているのか、まだ誰も知らない。
アメリカ特殊部隊SWORDは、日本の動きを牽制するために、密かに鎖国状態の日本へ潜入する作戦を決行する。
線画のアニメでは、カットごとにキャラクターの線の構成やシルエットを変えるが、デジタルアニメーションはデジタルゆえに線画と同様の柔軟性を持てない。トゥーンシューダーアニメはパーパーアニメを志向しているが、まだ物まねをしている段階だ。
『ベクシル-2077 日本鎖国-』はトゥーンシューダー技術で制作されたデジタルアニメーションだ。
映像や物語に、際立った個性は感じられない作品だ。
SF作品にありきたりな展開に、わかりやすい人物配置。
作品世界の解説で前半30分を消費し、人物のドラマは後方に追いやられている。
注目されるデジタル技術は、いまだ実験段階の域を越えず、従来の撮影法を越える驚きや、美意識などは感じられない。
ペーパーアニメのように、線の動きに美意識は感じられないし、色彩の配置方法も鮮やかとはいいがたい。
キャラクターの動きは、体内に骨が感じられず、アニメーションのプロが演技をつけたとはとても思えない。
SFの中心テーマは、世界の解説であり、物語の展開はほとんど世界の解明に費やされる。解説が多くなりがちで、人間のドラマが後方に追いやられがちだ。世界構造の破壊であるアクションは、SF映画に見せ所だ。
物語の節々に挿入されるアクションは、唐突だが豪快な勢いで迫る。
激しくカメラが揺れ、仰々しいサウンドが全体を包み込む。
物語のおおよそは世界の解明に費やされ、人間のドラマは断片的にしか語られない。
退屈な対話と解説が延々続くなか、唯一映画が煌き、躍動し始めるのは、組立てを破壊するアクションの瞬間だけだ。
もし、破壊の映像にも退屈したら、この映画に見所はどこにもないだろう。
このジャンルのアニメーションもまだまだこれからだ。技術開発はもっと進むだろうし、優れたストーリー・アイデアが組み合わされば、誰もが認める傑作が生まれるだろうし、その可能性は感じる。それまで、もうしばし見守っていきたいジャンルではある。
低予算で、いかに高品質なデジタルアニメーションを制作するか。
『ベクシル-2077 日本鎖国-』は、あくまでもその実験段階のアニメーションである。
物語はトゥーンシューダー・アニメーションの約束事なのか、教科書どおりのSF作品だし、技術映画にも関わらず、制作者の挑戦的なものは感じられない。
映画としての美意識やイマジネーションも感じられない。
デジタル・アニメーションという試みは、始まったばかりなのだ。
クリエイター達の果てなき挑戦も、まだまだこれからだ。
作品データ
監督・脚本:曽利文彦
音楽:ポール・オークンフォールド 脚本:半田はるか
出演:黒木メイサ 谷原章介 松雪泰子 柿原徹也
朴路美 大塚明夫 櫻井孝宏 森川智之
日本は歴史上二度目となる鎖国体勢に突入する。
鎖国政策を敷く日本。これは、反日的なメッセージだろうか。それともSF少年の戯れだろうか。後者であると願いたい。
猛烈な吹雪の中を、SWORDの軍用飛行船が飛んでいた。
飛行船の中には、すでにフル装備の兵士たちが、突撃の合図を待って待機していた。
これから向かうフィラル山の屋敷で、各国の首脳が集って秘密会議が開かれる。
SWORDの任務は、この屋敷に突入し、秘密会議を阻止することであった。
ロボット社会に突入した近未来社会。だが、ライフサイエンスは禁止され、嫌悪の対象となっている。人間の善悪観が、個人の経験や哲学ではなく、法に依存していることがよくわかる。主人公ベクシルは機械に依存した生活を送り、機械に依存した仕事に従事しているが、なぜかロボットを嫌う。まるで、デジタルに依存しているのに、デジタル嫌いを公言する映画監督のようだ。
日本が鎖国政策を敷いて、すでに十年の年月が経過している。
この十年の間に、日本人と交流した者はおらず、日本へ渡航した者もいなかった。
その日本が、近年にわかに活動を始め、外国との接触を持ち始めていた。
中心となる人物は、日本人のサイトウと名乗る人物だ。
しかし日本がどんな目的を持っているのか、まだ誰も知らない。
アメリカ特殊部隊SWORDは、日本の動きを牽制するために、密かに鎖国状態の日本へ潜入する作戦を決行する。
線画のアニメでは、カットごとにキャラクターの線の構成やシルエットを変えるが、デジタルアニメーションはデジタルゆえに線画と同様の柔軟性を持てない。トゥーンシューダーアニメはパーパーアニメを志向しているが、まだ物まねをしている段階だ。
『ベクシル-2077 日本鎖国-』はトゥーンシューダー技術で制作されたデジタルアニメーションだ。
映像や物語に、際立った個性は感じられない作品だ。
SF作品にありきたりな展開に、わかりやすい人物配置。
作品世界の解説で前半30分を消費し、人物のドラマは後方に追いやられている。
注目されるデジタル技術は、いまだ実験段階の域を越えず、従来の撮影法を越える驚きや、美意識などは感じられない。
ペーパーアニメのように、線の動きに美意識は感じられないし、色彩の配置方法も鮮やかとはいいがたい。
キャラクターの動きは、体内に骨が感じられず、アニメーションのプロが演技をつけたとはとても思えない。
SFの中心テーマは、世界の解説であり、物語の展開はほとんど世界の解明に費やされる。解説が多くなりがちで、人間のドラマが後方に追いやられがちだ。世界構造の破壊であるアクションは、SF映画に見せ所だ。
物語の節々に挿入されるアクションは、唐突だが豪快な勢いで迫る。
激しくカメラが揺れ、仰々しいサウンドが全体を包み込む。
物語のおおよそは世界の解明に費やされ、人間のドラマは断片的にしか語られない。
退屈な対話と解説が延々続くなか、唯一映画が煌き、躍動し始めるのは、組立てを破壊するアクションの瞬間だけだ。
もし、破壊の映像にも退屈したら、この映画に見所はどこにもないだろう。
このジャンルのアニメーションもまだまだこれからだ。技術開発はもっと進むだろうし、優れたストーリー・アイデアが組み合わされば、誰もが認める傑作が生まれるだろうし、その可能性は感じる。それまで、もうしばし見守っていきたいジャンルではある。
低予算で、いかに高品質なデジタルアニメーションを制作するか。
『ベクシル-2077 日本鎖国-』は、あくまでもその実験段階のアニメーションである。
物語はトゥーンシューダー・アニメーションの約束事なのか、教科書どおりのSF作品だし、技術映画にも関わらず、制作者の挑戦的なものは感じられない。
映画としての美意識やイマジネーションも感じられない。
デジタル・アニメーションという試みは、始まったばかりなのだ。
クリエイター達の果てなき挑戦も、まだまだこれからだ。
作品データ
監督・脚本:曽利文彦
音楽:ポール・オークンフォールド 脚本:半田はるか
出演:黒木メイサ 谷原章介 松雪泰子 柿原徹也
朴路美 大塚明夫 櫻井孝宏 森川智之
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