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■2016/08/09 (Tue)
第14章 最後の戦い

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27
 最後の呪文が、ソフィーの口から放たれた。キール・ブリシュトを取り囲んだ、魔法のリングが一斉に弾けた。目も眩まんばかりの輝きが荒れ野を覆った。暗黒の砦が、明るい光に浮かび上がる。

 その瞬間、全ての者が動きを止めていた。音もなかった。戦士達が剣を振り上げた格好で止まっていた。獣が吐き出した炎も、その瞬間で静止していた。噴き上げた砂煙の一粒一粒も、空中で止まっていた。
 ソフィーを狙った鎚も、その頭に直撃する間近で止まっていた。
 そして鎚の落下地点に、ソフィーの姿はなかった。

 ソフィーは全てが静止した空間の中を、たった1人で走っていた。
 完全なる静寂。音もなく、誰かの息づかいもなく、気配すらない。そんな中を、ソフィーは走る。この静寂の中では、自身の足音にも、吐き出す呼吸にも音はなかった。
 ソフィーはキール・ブリシュトの奥へ奥へと潜り込んでいった。オークの行方を求めた。その足跡を追うのは容易だった。オークの歩いた後には、凄まじい殺戮の痕が残されていた。ソフィーはそれを道しるべに、キール・ブリシュトの廊下を進んだ。
 ゆっくりと時は動き出そうとしていた。足音がソフィーを追いかけてくる。影が足下に浮かび始めている。魔人の目が、側を通り抜けるソフィーに気付いて、ぴくぴくと動いていた。
 早く! もっと早く!
 ソフィーはキール・ブリシュトの廊下を走った。闇の宮殿を奥へ奥へ。
 やがて禍々しい気配が行く手に現れた。静止した世界でもはっきりとわかる。悪魔の王だ。
 ソフィーは悪魔の居城に飛び込んでいった。階段を駆け上っていく。
 そこに、オークはいた。
 オークの全身はぼろぼろだった。鎧など朽ちてないに等しかった。今や膝を折り、無気力に頭上を仰いでいた。
 そのオークの頭上に、今まさに悪魔の王が足を振り上げていた。
 ――オーク様!
 声は出なかったけど、ソフィーは叫んだ。すぐに声が追いかけてくる。静止した瞬間が終わろうとしていた。
 ソフィーはオークに飛びついた。
 同時に、時が回り始めた。


 ドスン!
 悪魔の王が、床を踏み抜いた。建物全体が揺れて、悪魔の王はバランスを崩してそこに倒れかけた。
 その拍子に床が抜けた。凄まじい土煙を噴き上げて、巨体が階下へと落ちていく。
 オークは――オークは間一髪、その一撃を逃れていた。ソフィーともつれ合って、地面に転がっていた。幸いにも、オークとソフィーにいる場所は崩落から免れていた。

オーク
「……ソフィー?」

 オークは信じられないといった顔だった。

ソフィー
「オーク様……私……私、どこまでもあなたの側に……」
オーク
「…………」

 5日ぶりの再会に、ソフィーは愛する男の胸にすがりついた。
 だがそこは悪魔の根城であり、悪魔の御前だった。
 悪魔の王は、階下に落ちた怒りをぶちまけるように唸り声を上げた。階下に落ちたせいで、むしろ目の高さがちょうどオークとソフィーの2人と同じになっていた。

ソフィー
「オーク様、これを……」

 ソフィーはすっくと立ち上がると、持っていた剣をオークに差し出した。

オーク
「……まさか」
ソフィー
「エクスカリバーです。イーヴォール様が命をかけて修復しました」

 オークは剣を受け取り、鞘を払った。まさしくエクスカリバーだった。輝く刃に、朽ちた痕はなく、生み出されたばかりのように瑞々しい光に満ちていた。本来の主の手に戻り、エクスカリバーはますます力強く光を放つ。
 その恐るべき神の剣が目の前に現れ、悪魔の王は初めて怖じ気づくように引き下がった。

オーク
「しかし悪魔の王は名前が封じられています。名前がわからぬ者は斬れない。きっとこの剣の攻撃も……」
ソフィー
「いいえ。私がおります。私にはわかります。『真理』を持つ者の前ではどんなものでも姿を隠すことも、偽りを抱くことはできません」

 言いながら、ソフィーは悪魔の王の前に進んだ。
 悪魔の王は聖女が近付く度に、身の危険を感じるようにじりじりとさがった。唸る声にも力がない。
 全てが明かされる時だった。ソフィーは峻厳なる目で、偽りの影を見詰めた。

ソフィー
「闇の住者よ、偽りの衣を脱ぎ捨てて、真の姿を晒すがいい!
 ルシファー!

 悪魔の王を覆っていた闇が震えた。凄まじい光が溢れ、闇の衣が一瞬のうちに剥がれ落ちていった。天井が砕け、崩れ落ちた天井の向こうで、魔法のリングが凄まじい速度で回転しているのが見えた。その光の下で、悪魔の王=ルシファーは真の姿を現す。
 その姿は途方もなく巨大だった。圧倒的な肉の塊だった。頭にはいくつも悪魔を縫い付けたように、数十の頭が並んでいた。首には森林のような角が生えて、動く度に折り重なってざわざわと音を立てていた。口は何もかも飲み込むほど大きく引き裂かれている。恐ろしく巨大な足は、柱のように地面に落ちる。背中には、無数の翼が生えていた。
 ありとあらゆる異形の複合体。そう呼ぶしかない不快な姿だった。

オーク
「これが……悪魔の王の本当の姿」
ソフィー
「闇を葬る神の剣が我が手に。今や悪魔の王を守る者はありません。さあオーク様、戦ってください! 最後の戦いです!」
オーク
「うむ!」

 オークはエクスカリバーを身構えた。魔法の鞘が手負いのオークを瞬時に癒やし、神々しき剣がオークに新たな力が与えていた。
 オークが走った。ルシファーが唸りを上げた。巨大な体を揺らし、オークを踏みつけようとする。
 ソフィーは杖からいくつもの光を放った。光の粒が、ルシファーの前で弾ける。空間が真っ白に輝き、ルシファーが怯んだ。
 目標を失ったルシファーの体が、建物の壁を崩壊させる。オークはルシファーの巨体に飛び乗った。
 ルシファーはオークを篩い落とそうと身をよじらせた。だが頭上の魔法のリングが、その動きをとどめさせた。ソフィーの魔法が、悪魔の王の動きを封じる。
 それでも悪魔の王は動いた。後ろ足で立ち上がり、巨体を持ち上げた。オークは慌ててその体にしがみつく。
 ルシファーの巨体がゆらりと反転した。ずしんと落下する。衝撃が山脈全体に響く。瓦礫が水飛沫の如く刎ね飛んだ。
 オークは再び走った。ソフィーが魔法の光を放つ。ルシファーは再び立ち上がろうとしていた。
 そこに、一瞬の隙を見出していた。
 オークがルシファーの頭に飛びつく。その額に埋められた宝石の前に立った。エクスカリバーを振り上げる。
 神の剣が、ルシファーの額に深く突き刺さった。悪魔の王が悶絶の叫びを上げる。大きく身をよじらせた。
 オークがルシファーの頭から落ちた。数十メートル下の奈落へと転落する。ソフィーが飛び出した。オークを救い出そうと手を伸ばす。
 ――そして。

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