サンチャゴ老人は、すでに84日間、魚が釣れていなかった。
少年が一緒に行きたいと申し出るが、
サンチャゴ老人は「お前さんの船は、今ついている」と断る。
その夜も、サンチャゴ老人は一人きりで舟に乗る。
85日目の船出だった。
魚がつれなかった日数を、壁に書き付けているサンチャゴ老人。
冒頭のアフリカ旅行の場面は原作にはない部分だ。物語の背景にある広大さを予感させるためのプロローグだ。
夜が明けて、海と空が果てなく広がる。
もう、人の気配はどこにもない。老人の孤独な戦いが、すでに始まっていた。
そんな時、ふと釣り糸の一つが反応を示した。
来たか。
大きい。とてつもなく大きい。それに、凄まじい力だった。
一匹の魚は、老人を引き倒し、小さな舟を引きずろうとする。
それは、老人が今までに見た経験のない巨大な魚だった。
一人の老人と、一匹の魚の戦いが、始まろうとしていた。
『老人と海』はオイルアニメーションと呼ばれる技法で制作されている。日本のセルアニメーションと違って、曖昧な中間色を塗り重ねることによって像を浮かび上がらせる。暗闇のシーンほど光と陰が際立ち、オイルアニメーションの効果をはっきりとさせている。
『老人と海』それは、一人の老人と一匹の魚の終わりなき戦いを描いた物語だ。
老人と魚を取り囲むのは、茫漠とした海だけだ。
一人と一匹がただひたすら対峙する。
それだけの物語だが、その両者に漲る緊張感は、かつてなく重く、力強い。
アニメ版『老人と海』は、原作よりさらに過酷で、精神の戦いとして描かれている。腕相撲のシーンは原作にない部分だが、物語の精神性をよく物語っている。カジキマグロとの戦いは体力、精神の限界を飛び越えて、やがて戦士として、互いの力を認め合うようになる。
老人は、あの魚を殺すことに、幸福を感じていた。
「星を殺さなくていいだけ、幸せだ。海で暮らして、本当の兄弟を殺すことができるんだ」
老人が対峙しているのは、名のない一匹の獣だ。
文明も知恵もない。
だが、彼らはどこまでも凶暴で、それでいて気高い。
老人はそんな獣をすぐ側に迫り、その槍で獣の魂を殺せるのだ。
この茫漠たる海で対峙しているのは、もはや老人と魚ではない。
戦士と戦士による、精神の戦いだ。
老人とカジキマグロ。言葉なき相手だが、いつの間にか絆のようなもので結ばれる。ともに泳ぎ、ともに命を削って殺しあう。戦士としての絆だ。
もちろん、原作にこの場面はない。ただ、大自然とたった一人で対峙するというテーマがより強調された場面だ。
アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』を知らぬ者などいない。
だが、アレクサンドル・ペドロフが描く『老人と海』は、今までに我々が目にした経験のないアニメーションだ。
アレクサンドル・ペドロフが描くアニメーションには、どの瞬間にも美しく、まるで古典芸術でも見ているかのような感動をもたらす。
技法としては、ガラスの板をセルに見立てて、アクリル絵具で画像を作りだす。
このアクリル絵具を指で少しずつずらしながら撮影することで、アニメーションを作るわけだ。
日本のアニメーションのように、キーとなる原画制作や、タイムシートはない。
それでもアレクサンドル・ペドロフが制作するアニメーションは、絵画としても動画としても完璧だ。
圧倒的な絵画を前にして、我々はもはや溜息をつくだけしかできない。
この作品を鑑賞していると、様々な絵画や、画家の名前が浮かぶ。光と陰の描き方は暗いバロック絵画を思わせるし、海のシーンは印象派のようだし、激しいアクションはロマン主義絵画のようだ。おそらく、アレクサンドル・ペトロフが背負う芸術文化そのものが画像に現れたのだろう。
『老人と海』は、ただ老人が巨大な魚と出会い、戦うだけの物語だ。
ふとすると、単調な映像になりかねない題材だ。
だが、アレクサンドル・ペドロフが描くアニメーションはあまりにも美しい。
老人の終わりなき戦いの顛末を、老人と同じだけの情熱で描き出している。
どの瞬間もあまりにも美しく、どの瞬間も途方もなくドラマチックだ。
これを越える美しい映像を、果たして今後見る機会はあるだろうか。
作品データ
監督・脚本・作画:アレクサンドル・ペトロフ
原作:アーネスト・ヘミングウェイ 音楽:ノーマンド・ロジャー
出演:三國連太郎 松田洋治
第72回 アカデミー賞短編アニメ賞受賞