ナルト、サスケ、サクラの三人が、空き地でカカシ先生の到着を待っていた。
ナルトたちに、新たな任務があるらしい。
だが、例によって具体的な説明はなく、ナルトたちはカカシから、映画『風雲姫』を見ておけ、とだけ指示されていた。
そんなナルト達の前に、さまさかの『風雲姫』の主役、富士風雪絵が姿を現す。
富士風雪絵は、何者かに追われ、逃走していた。
ナルトたちは、雪絵を救い出すために、追手たちに戦いを挑む。
どのカットも、非常に細かく、こだわりが現れている。演技空間はどのカットも奥の奥まで描かれ(左のカットの、天井照明まで描かれるのに注目)、ちらと見えるモブまでしっかりと演技が付けられている。
今回の任務は、女優・富士風雪絵を護衛して、次なる撮影現場である雪の国へと無事に送り届けることだった。
間もなくして、女優・富士風雪絵は仮の姿であると判明する。
富士風雪絵は、実は今は滅びた雪の国の正当なる後継者だったのだ。
映画撮影はカモフラージュに過ぎず、真の目的は、雪の国復興のために、雪絵を祖国に連れ戻すことだった。
しかし、そんな雪絵の前に、悪の手先である雪忍ドトウが立ち塞がる。
『NARUTO』は、走り動画にこだわりがある。様々な走りポーズを見せるが、多くのシーンでは前傾姿勢になり、疾走するように駆ける。独特の走りポーズは同制作スタジオ作品の『忍空』から継承されたものだ。この走りポーズが、現実にはない、風を切るような素晴らしい移動感と爽快感を生み出している。
映画『NARUTO-ナルト- 大活劇!雪姫忍法帖だってばよ!!』は大人気ナルトシリーズの記念すべき劇場版一作目である。
その完成度は非常に高く、アクションは圧倒的で、次々と繰り広げられる忍術戦に、観客を飽きさせず引き込んでいく。
どのアクションも力が強く、キャラクター達は人並みはずれた速さで疾走し、高く跳躍する。
ほとんどの場面は厳密なパースティクティブが設定され、キャラクター達はあえて重力の影響を受けている。
だが、その重力をあえて受けつつ疾走する姿が、実に清々しく、動きの一つ一つは美しい。
アクションの一コマだ。ほんの一瞬だが、仕事に妥協がないのがわかる。激しいアクションが連発するが、キャラクター達はレイアウトのパースティクティブの上に設置し、一定の重力感とディティールを常に保ちながらアクションしている。こうした卓越した表現技法は、日本以外のどの国籍でも制作不能だっただろう。
一方で絵画の豪快さと対照的に、物語は単調だ。
物語の展開に大きな転調はなく、まるで滑り落ちるように真直ぐ映画が終わってしまう。
映画関係者や悪の忍者ドトウといった、魅力的なキャラクターが多いが、あまりに捻りのないステレオタイプとして描かれている。
動画の圧倒的な印象に対して、物語にやや物足りなさが残る。
本作は“エフェクト”の映画として見るべきである。どのアクションも、最も豪快に躍動するのは、実は“エフェクト”だ。作画には“エフェクト監督”なる立場の人もいる。もし、これから鑑賞する場合は、エフェクトの動きにも注目してもらいたい。また、注目すべきは製作スタッフである。中心的な製作スタッフは、いずれもアニメ業界を代表する第一級の人達ばかりだ。続くシリーズにはない豪華さである。
それでも、NARUTOには、余りある魅力を多く含んでいる。
力強いアクションや、個性的なキャラクター達。
そんなキャラクター達が超人的アクションを見せる度に、我々は大地から解き放たれたカタルシスを感じずにいられない。
日本において(あるいはアジア文化圏で)は、古くから民話や神話の中に、子供のヒーローを多く描いてきた。
桃太郎や金太郎、一寸法師、少年牛若丸の武勇伝。
戦後を経てアメリカ文化が流入してきた後でも鉄腕アトムやドラゴンボールの孫悟空といったキャラクター達が子供達の一番人気だった。
NARUTOはそういった伝統の上に創造された物語である。
子供の身体が超人的な力を持ち、重力に思い切り反発して疾走し、跳躍する。
NARUTOが持っているカタルシスの根源は、もっと古くから根付いた、我々の精神にあるのだ。
監督:岡村天斎 原作:岸本斉史
脚本:隅沢克之 総作画監督:田中比呂人
キャラクターデザイン:西尾鉄也 メカニックデザイン:荒牧伸志
コンセプトデザイン:遠藤正明 美術監督:高田茂祝
色彩設計:水田信子 撮影監督:松本敦穂
絵コンテ:岡村天斎 川崎博嗣 演出:照井綾子
アニメーション制作:スタジオぴえろ
出演:竹内順子 杉山紀彰 中村千絵 井上和彦
甲斐田裕子 磯部勉 鈴置洋孝 唐沢潤
金子はりい 西川幾雄 高瀬右光
大塚周夫 石塚英彦 美山加恋