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■2012/07/24 (Tue)
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天外魔境Ⅱ
2011年12月14日購入
プレイ時間:67時間15分
全キャラクター99段。
d07fb022.jpeg私にとって、いやPCエンジンユーザーならば、このゲームに特別な感慨を持たぬ者はいないだろう。『天外魔境Ⅱ』それはゲーム史における一つの伝説である。
当時、最大のバジェットを投入した前例のないスケールで、常識を覆す圧倒的な演出、史上最長のシナリオ、史上最大の広がりを持ったマップ、豪華声優出演陣、なにもかもが型破りな体制で制作されたそれは、ゲームと呼ばず一大叙事詩である。
それを20年ぶりに遊んでみると……想像以上にショボかった。う~ん、こんな感じだったっけ。20年の時間は埋められない。ゲームがいかに変わったか、よくよく思い知らされる作品である。
当 時、“桁外れ”と宣伝されて、実際その通りな豪華な予算と技術が注ぎ込まれたはずの作品なのに、いま遊んでみると、素人制作の同人ソフトにすら届かない ゲームだった。時代と技術がいかに変わったか、をしみじみと考えずにはいられない。「思い出補正」は実際のものに直面すると、瞬く間に崩壊する悲しいもの である。
それでも、史上最長のシナリオ、史上最大のマップは健在である。最近でも、ここまでの長さと広大さを持ったゲームはなかなかお目にかかることはできない。CDの容量(せいぜい700MB。これでも当時は「何でも入る」と言われていた)をムービーなどで水増しせず、限界ぎりぎりまで突っ込んだ執念には今でも圧倒されるものがある。(しかも、これでも相当に削ってなんとか無理矢理押し込んだそうだ)
声 優の演技にも注目だ。出演俳優は24人……だっただろうか。当時のゲームとしては、これでも多いほうである。しかし登場キャラクターは何人いるのだろう?  出演俳優の人数と登場キャラクター数が明らかに釣り合いとれていないので、新しいマップに入るたびに何らかの役で永井一郎さんの名調子が聞ける。ある意 味で贅沢な作品である。(絹役の井上あずみは……当時は注目の声優だったが、いま演技を聞き直すとひどい棒読み。当時は演技云々なんて何も考えてなかったなぁ)
ニ ンテンドーDSのスペックではなかなか再現できず、残念に思えたものもある。音楽である。『天外魔境Ⅱ』のもう一つの目玉は、当時ジブリアニメの音楽担当 で人気だった久石譲である。ニンテンドーDS版は久石譲のオーケストラを再現しようとした痕跡はあるものの、音割れが激しい。音が妙に弱々しい。知らない 人に聞かせても、オーケストラだと気付かないのではないだろうか。
ゲーム中音楽も、オリジナル版ではなくアレンジバージョンが使用されて残念だった。オリジナル版を知っていて、そちらに愛着を持っているからだろうが、音楽はやはりオリジナル版がいい。オリジナル版のほうが勢いがある。
『ファ イナルファンタジーⅢ』のリメイク版でも思ったことだが、音楽がアレンジ版になると、オリジナル版本来が持っていたメロディの強さが失われるように思え る。『ファイナルファンタジーⅢ』のほうは実はオリジナル版のサウンドトラックを持っているのだが、制限の厳しいファミコンの音源でありながら、制限を感 じさせない豊かさと力強さ見事に表現している。今でもたまに聞くくらいである。アレンジ版になると、なぜかその豊かさ、力強さが失われるのである。なんと なく全体がぼんやり曇っているような感じ。『天外魔境Ⅱ』の音楽にも同じようなものも感じた。
表現についても、時代の遍歴を感じさせずにはいられなかった。『天外魔境』シリーズはある種のエグさも個性だった。しかしリバイバル版ではオリジナル版が持っていた苦みが取りさらわれていた。
例えば石見の浜田村の豚……ここではある時、突然に豚が大量発生して、村人がありがたがってその豚をおいしくいただくのであるが、実は……。しかし、リバイバル版では毒も何もない表現に差し替えられていた。あれでは村人が感じたショックは伝わらない。
シー ンについても、変更のある場面があった。『天外魔境Ⅱ』の最大の名シーンといえば、絹が○○するあのシーンだろう。が、ここでも相当の変更があった。血が 出る瞬間は全て削除。音楽はシーンの長さに合わせてぴったりに作られているのだが、シーンが短くなったため、音楽が途中で終わってしまう。技術の変化で シーンがショボくみえるのも仕方ないことだが、途中でシーンが切り捨てられるのがあまりにも残念だった。
改竄はアイテムの名前にまで及んでいた。例えば「人肉切包丁」。言うまでもないが、呪われたアイテムである。装備してはならない。これがリバイバル版では「人」の文字が消えてただの「肉切包丁」。これでは呪われたアイテムだと思わず、普通に装備してしまうじゃないか。
もっ とも許せない変更は主人公卍丸の攻撃命中率である。とにかく当たらない。いくら攻撃しても敵にヒットしない。序盤の雑魚にすらなかなか攻撃が当たらず、そ のうちにもピンチに、という事態も珍しくない。カブキ団十郎が仲間になるまで、攻撃がなかなか当たらない、戦闘がなかなか進行しないことにひどいストレス を感じた。いったい何を考えて、卍丸の攻撃命中率をここまで低くしてしまったのだろうか。変更を提案した愚か者の首を絞めたくなる。
良かったと思うのはローディングゼロ(PCエンジンは読み込みが長い上に、よくエラーを出した)と、2画面である。下画面はPCエンジン版と同じ内容のもの、上画面は補助的なマップ画面やステータスの表示だったが、たかがこの程度でもありがたかった。何しろ、マップ画面に切り替える必要がない(天外魔境Ⅱはマップが尋常ではないくらい広大で、頻繁にマップ画面に切り替える必要があった)。そのぶんのストレスが取り払われる。
戦 闘中はステータスが表示されているわけだが、次の段までの残り経験値が表示されているのがありがたがった。「関係あるの?」と思われるかも知れないが、次 の目標を表示してくれることが、レベル上げのモチベーション維持に繋がった。何もなしにただ盲目的にレベル上げをせよ、といったら99段まで上げられず挫 折しただろう。
あまり壮大すぎる目標は圧倒されるだけである。確実に挫折する。目の前に確実に見える目標を設定し、それを目指していく。そうしないと、大きな目標に辿り着くことはまず無理である。挫折せずに目標を達成する方法、これはよくよく心得るべきである。




閃乱カグラ -少女達の真影-
2012年3月8日購入
プレイ時間:29時間42分
ネット評判があまりに良かったので、どんなものか是非やってみようと思ったのだが、これが詰まらなかった。
面白くなかった理由? それはRPG要素だ。
ゲームはスーパーファミコンで一通りの文法を完成させた後、ひたすらジャンルを複合化す る道を突き進み続けた。アクションゲームに、シュミレーションゲームやシューティングゲームやパズルゲームやRPGなどを継ぎ足して、いかにも前例のない 斬新なオリジナルタイトルの素振りをしたまがい物オリジナルソフトが何本も量産された。セガサターン、プレステーション期以後、ゲームが新しい感触を提供 し、それがジャンルとして確立した例は多分ないと思う。
その中でもRPG要素は良くない。RPG要素を継ぎ足した途端、レベルさえ上げればすべて の局面はゴリ押しできるようになってしまう。RPG要素を継ぎ足した瞬間、ゲームの作り手も受け手も“攻略法”なんてものを考えなくなる。必要ないから だ。レベルさえ上げれば、どんな敵も倒せるから、攻略できなければレベルを上げればいい、という発想になっている。
それに、プレイヤー自身がレベルアップした、という感覚を失わせてしまう。強くなっているのはゲーム中のキャラクターではなく、プレイヤー自身であるべきだ。
もう一つ『閃乱カグラ』が面白くなかった理由は、“爽快さ”を前面に押し出したゲーム性だ。 “爽快さ”を売りにしたゲームはプレステ2期あたりからじわじわと増えてきたわけだが、私はこの手のゲームが大嫌いだ。なぜならば、ボタンを連打すると、 確かに画面上にもの凄いエフェクトが次々と現れ、簡単な操作で大量の敵がばったばった倒れ、いかにも自分がもの凄い力を得たような錯覚を得ることができ る。
が、単調なのだ。ボタンを連打すれば、同じ感触で同じレベルの“爽快さ”が返ってくるが、これが快感に感じるのは、ゲームを始めた最初のうち でしかない。どんなにボタンを押しても同じように快感が返ってくるわけだから、瞬く間にその感覚が当たり前になり、何も感じなくなる。そうすると、ボタンを連打し続ける行為がただの作業にしかならなくなる
し かもゲーム内容は起伏の全くない、似たような無個性的な敵がただわらわらと群がってくるだけ。いくら進めても、ステージに明らかに今までと状況が変わっ た、と思わせるような展開はやってこない。似たような平坦なステージが繰り返され、区別不能な敵キャラが次々と出てくるだけである。一応ストーリーに展開 があるものの、実際ゲームが始まったら、前のステージから何ら変化のない繰り返しのステージが続くだけである。
また、常に敵がわらわらと密集して 状況が混乱するので、もしもミッションに失敗しても何が起きたかよくわからない。どうして自分が敗北したのか、状況がわからないので反省のしようがない。 いっそ、画面を見ずにただひたすらボタンを連打しているだけでも、このゲームの場合はいいのである。
私はこのゲームもコンプリートするつもりで丹念にミッションを制覇していったのだが、第3章あたりで挫折してしまった。ゲーム自体が“爽快さ”を売りにしたただの“作業ゲー”でしかなく、しかもキャラクターが5人もいるから(隠しキャラクターを含めると6人)、同じ作業を5回繰り返さないと全ステージ制覇にならないのである。
レベルも簡単に上がるようになっており、第3章あたりまでくると全員最高レベルの50に達してしまう。もう上げようがないので、ゲームにそれ以上の楽しみを見つけられなくなる。
c27228e7.jpegキャ ラクターはよくできている。いい絵描きが描いているし、それぞれの背景もしっかり練り込まれている。キャラクターの対話シーンでのモデリングも、動きが同 じパターンの使い回し、という点は気になるものの、原画のイメージをよく再現している。シリーズアニメ化が決定しているが、そこには納得である。
ただ、パッケージイラストのあの衣装が、忍者装束だと知った時は唖然とした。あれは忍者装束ではない。 普通の制服である。ジャージだろそれは、というのもある。「忍び転身!」と華麗に舞をみせつつ、制服から制服に変わる様を見て、私は茫然としていた。アニ メの世界における「異盛装」はあまり現実的ではない飛躍的な衣装――例えばドレスなどの明らかに「異盛装」とわかるコスチュームであり、「異盛装」をする ことでキャラクターは異界の力を借り、物語は現実とは違う特殊な局面に入るのである。が、『閃乱カグラ』で描かれた「異盛装」は現実世界にごく普通に、普 遍的にある衣装であって、「異盛装」とは言えない。それにそもそも、どう考えても忍者が身につけて忍び1140c57a.jpegそうな格好にも見えない。「異盛装」ではなく、単に 着替えただけ。どうして誰も突っ込まなかったんだ? あと、この子達はセーラー服の方が絶対に似合っている。誰だ、ネクタイにしようと言ったのは。ネクタイで首を絞めてやる。
最 後に、このゲームは確か「3Dで飛び出すオッパイ」が売りだったはずなのだが……実際立体3D視を活用しているのはキャラクターの対話シーン、忍び転身の シーン、脱衣シーンの3つだけ。通常のゲーム中などは、3D機能が完全にオフになっている。何でこんな仕様にしたのかよくわからない。
どうやら続編が発売するようだが、私は買わない。どうせゲーム自体は、似たような(“爽快さ”で偽装された)作業ゲーだろうから。




ちょっとDS文学全集
2012年3月12日購入
バイト中、帰りのバスの中で読める本はないだろうか。文庫を入れていたら、紙が折れるしいつの間にか入り込んだ水分でヨレヨレになっているし。しかもバスの中は照明が暗く、文庫は読みづらい。
という時に、そういえばニンテンドーDSのダウンロードソフトに青空文庫があったはずだ、と思い出して購入。20作品入っているのでかなり長く読めるはずだ。500円なので値段も高くもない。
『ガリバー旅行記』が好きなので、久しぶりだから『ガリバー旅行記』を読もうと思ったが、第1ページ目で違和感。書棚の文庫と比較して(持っているわけだが)す ぐに違和感の正体に気付いた。『ちょっとDS文学全集』は抄訳版だったのだ。細かく比較したわけではないが、文庫版の3分の1くらいだろうか。文庫版を読 んでいるからストーリーを知っているのだが、この『ちょっとDS文学全集』から読んだ人には細かいところまでちゃんと伝わるだろうか。
もしもちゃ んと本を読みたい、という人にはお勧めできない。というより、教養の面からいってお勧めできない。私のような状況で、「ちょっと読みたい」という人には何 とかお勧めできそうだ。抄訳版でいいところといえば、話が余計な回り道なしでサクサク進むことだがら、電車やバスでの10分間で読む分にはいいだろう。

『ちょっ とDS文学全集』の中で一番面白かったのは『家なき子』だ。心象描写、状況描写の良さもあるのだが、それ以上に展開がいい。DSは1画面の文字数が少ない のだが、その文字数でおよそ200ページおきに主人公ルミが何かしらの危機を迎えるのである。何かしらの危機にぶち当たり、困難を経て幸運が必ずルミを救 い出す。だいたい200ページ前後のリズムで危機と幸運を繰り返し、一定の緊張感が続くように工夫されているのである。全体を通せば非常に長大だが、 200ページ前後が区切りなっているので読みやすい。
エンターテインメントとして優秀だし、少年ルミの成長物語としても感情移入できる内容になっ ている。前半は幸運が幼いルミを救い出す展開ばかりだが、後半は成長したルミが独力で問題を解決していく展開が感動的である。小さな区切りが連続している から、もしも映像化するならばシリーズ作品が相応しいだろう。原作が優秀だから、よほど監督が無能で、制作が見切り発車しない限り、良作ができるはずであ る。名作劇場の女体化ルミを見なかったことが今になって悔やまれる。

逆に面白くなかったのが『スペードの女王』。
まず文章が素 人。何を表現したいのか不明。物語の視点がどこなのかわからない。物語の半分過ぎたところで、ようやく主人公が判明する始末である。その物語もどこへ向 かっているのか不明で、わかりはじめてくるのがやはり中盤以後である。構成がガタガタで、読者にどんな物語を伝えたいのかわからない。
後半にかけ て、ひょっとしてそれまでをひっくり返す大展開でもあるのか、実は全てに意味があるのかも、と期待したものの、そういうものはまったくなかった。身もふた も希望もないバットエンドがただ突きつけられるだけだった。読み終わった時、結末のあまりのひどさに怒りすら覚えた。




スーパーマリオ 3Dランド
2012年4月5日購入
プレイ時間:25時間38分
裏ステージ、マリオ/ルイージ両方でクリア。
65d73e6b.jpegステージの構成が非常に良い。一つ一つのステージに個性があり、それぞれに違う解き方があり、しっかりアイデアを練り込んでいったのがよくわかる。『閃乱カグラ』で変な疲れ方をしたから、このゲームはいい気分転換になった。
し かし――ステージそのもの短すぎる。あっという間に終わってしまう。難易度もかなり低めで、しっかり遊びたいと思っても、ゲーム自体がそれに応えてくれな い。長くとも2分程度で一つのステージが終わってしまう。ゲーム全体を通せばそれなりにステージ数はあるのだが、全ステージを一気にクリアするとしてもあ まり時間はかからないだろう。ステージの構成は、一つ一つは確かに練り込まれているが、その一方でワールドごとの個性が薄れてしまっている。どうせなら、 1ワールドすべてに『ゼルダ』モチーフのものを作って欲しかった。
スターコイン収集というおまけ要素もあるのだが、その隠し方があまりにも簡単で、どことなく知育ソフトに接しているような感覚すらある。
全体を通して拍子抜け、喰い足りなさの残るゲームだった。
裏ステージの存在で、ある程度納得した。裏ステージはそこそこの難易度で楽しみがいがある。
簡単すぎる、短すぎる、という欠点はあるものの、スターコイン収集、各ステージでタイムを縮めていくなどの傍流の要素もあるので、まあまあそれなりに楽しめたかな、という気はする。

最終ステージ【8-王冠】の存在には参った。あまりにも場違いな凶暴難易度。なんとかマリオ/ルイージ両方でクリアできたものの、もう一度やろうという気にならない。変なところで両極端なゲームだった。




初音ミク Prject mirai
2012年4月23日購入
プレイ時間:5時間50分
7fb2b77f.jpeg体験版で遊んで、あまりにも気になったので購入。初音ミクが可愛い。初音ミクがあまりにも可愛い。とにかく初音ミクが可愛い。これだけで私は満足だった。
私はリズムゲームが苦手で、「ホドヨク」までしか遊んでいないのだが、それでもとりあえずエンディングまで見せてくれる親切さがありがたがった(「ラクラク」でもエンディングまで行ける)。「トコトン」モードは私には無理。
このゲームはほとんど遊んでいないのだが、損な買い物とは思わない。時々ニンテンドー3DSに設置し、のんびりPVを見るのを楽しんでいる。

エンドクレジットのモーション・アクターの中に、小倉唯の名前を見つけた。たぶん声優の小倉唯だろう。まさかモーション・アクターまでやりこなすとは。まだ若いのに驚くべき才能である。
小倉唯には早く“当たり役”を見つけて欲しいところである。『神様のメモ帳』のアリス役は相応しいと思ったのだが、作品自体が不評だった(私は批判されるほど悪い作品だとは思わなかったが)




バイオハザード リベレーションズ
2012年5月14日購入
プレイ時間:73時間37分
キャンペーンモード、難易度HELLクリア。レイドモードはぼちぼち攻略中。
e70014cb.jpeg私 の『バイオハザード』の思い出は、プレイステーション最初期に発売された第1作目の『バイオハザード』である。当時から『バイオハザード』は特別な作品と してすでに語られていた。今までになかったシーン作り、ゾンビ映画へのリスペクト、迫力のある緊張感、そういったフレーズが様々な批評誌に取り上げられて いた。
果たして『バイオハザード』とはいったいどんなゲームなのだろうか。
697593c6.jpeg期待に胸膨らませて電源を入れた私に襲いかかったものは、ゾンビではなくただの失望だった。
ぺらぺらのビジュアル。のっぺりした光表現。凡庸な演出。ゾンビの質感はぺたっとしたいかにもCG製で、もっともらしさは皆無だ。対話シーンではただ手をひらひらさせる動きの繰り返しだ。冒頭の、素人が裏山で撮ってきたような実写ムービーは落胆を通り越して失笑が浮かんだ(きっと涼宮ハルヒが撮ったに違いない)
もっとも許せなかったのは、攻撃がまったく敵に当たらないことだった。敵はすぐそこ、目の前にいるのにも関わらず、いくら弾を撃っても当たらない。微妙に左右調整しながら狙いを定めるのだが、どうしても当たらない。結局最初の1体目すら倒せず、弾切れになってしまった。
こんなゲームのどこに魅力があるのだ? 私にはまったくわからなかった。こんな駄作に時間を取られるくらいなら、低予算で制作された監督不明のその辺のゾンビ映画を見ていた方がまだ有意義だ。

あれから16年にもなるのか……。
『バイオハザード リベレーションズ』を手に取ったのはたまたま、ホラー成分が不足しているのを感じていたからだ。あれからどれくらい変わっただろうか、という興味は多少はあった。
『天外魔境Ⅱ』でも似たようなことを書いたのだが、時代が変わったな、という感慨だった。16年も時間があったら、技術や表現方法もまったく違う。当時は救いようのないぺらぺらのゲームだと思ったものが、ここまで進化しているとは想像もできなかった。
濃密な陰影表現。じわじわと期待を持たせる演出。潜水服を着込んだキャラクターの質感もいい。ニンテンドー3DSの性能の高さがよくわかる。主要な舞台は幽霊船の中だが、それでも広がりのあるストーリーで引きつけられるものがある(カプコン内に、巧舟以外でまともな脚本が書ける人間がいたことに驚いた。『鬼武者2』なんてものをうっかりやっていたから、「ゲーム屋には話を書かせてはならない」「ゲーム業界にはストーリーを批評できる人間がまだいない」と思っていた)。ゲーム性の変化も良かった。銃を構えた瞬間、即座にFPSになって、シンプルな標準で敵を狙う仕組みになっている(狙いやすい!)。 このゲームでも2画面の存在感は抜群だった。ほとんどの局面でウインドウを開く必要なく、画面をタッチするだけで簡単にアイテム交換ができる。小さいが マップ表示があるのもわかりやすくて良かった。操作方法にはやや癖があり、慣れるのに時間を要するが、それは批評する点でマイナスにはならない。
難易度が私にはちょうど良かった。まさかここまで長い期間をかけて、深くはまりこむとは思わなかった。鈴木史朗氏がなぜこのゲームに特別な愛着を見せるのか、今なら理解できるような気がする。これはかなりの良作である。
ただ……ゾンビが1体も登場しないのが残念だった。実はこの作品で、私はこのシリーズに登場するゾンビがゾンビではなく、ウイルスに感染した人や動物だと初めて知ったのである。
冒 頭の幽霊船に乗り込んだ直後の、暗く不気味な雰囲気は非常に素晴らしかった。何が来るかわからない、ゾクゾクとくるものがあった。が、その後はモンスター 達は当たり前のように姿を見せ、ただのモンスターパニックものになったのは残念だった。私の気分はホラーをやりたかったのだが。
このゲームは、質 のいい、大きなスピーカーに繋げて遊ぶと楽しみが倍加する。ニンテンドー3DSはスピーカーがいいと言われるが、それでもやはり低級品でも独立したスピー カーの質には敵わない。スピーカーに繋ぐと、低音部分が重さを持って部屋中に広がっていくのがわかるはずだ。音が変わると作品の質自体も変わるような気が するので、これはぜひお勧めしたい。



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■2012/07/24 (Tue)
2011年2月26日にニンテンドー3DSが発売され、すでに1年が過ぎている。タイトルもかなり出そろってきた、ということもあるし、ここいらで私が個人的に実際に遊んだタイトルを列挙しようと思う。


すれちがいMii広場
プレイ時間:9時間13分
ニンテンドー3DS本体に最初から入っているソフトである。このシンプルなゲームを、誰がここまで長く遊ぶであろう、と想像できただろうか。

69679dac.jpegところで、「ゲームの面白さとは何か?」と尋ねられた時、どう答えるべきだろうか。「ゲームそれ自体の品質」――という回答は間違いなく正解で、異議を唱える者は少ないだろう。ゲーム制作を専門にする人ならば、品質という言葉の中身について、もう少し突っ込んだ解説を加えてくれるだろう。
しかし、私は以前からこの回答は7割くらいが正解、と考えている。というのも、ゲームを得たばかりで夢中になって遊んでいた子供時代のことを思い出すと、ゲームに対する接し方がもう少し違ったように思い出されるからだ。
誰かの家に集まって、わーわー言いながら、誰かが持ってきた未知のソフトをファミコンに差し込んで「何だこれ! 何だこれ!」といちいち驚いたり、笑ったりしていたあの時の感動。「ゲームの面白さ」の原体験を遡っていくと、そういう風景に辿り着くように思えるのである。
それで、一つ一つのゲームについて、そこまでしっかり遊び込んだような記憶もない。当時のゲームは見た目も中身も悲しいまでに貧相で、一方の子供であった私にそれらをきちんと批評するだけの知恵も経験値もない。それでも、あの時代が何よりも輝かしいもののように記憶しているのは、やはりそういうのがとびきり楽しかったからだ。
だから「ゲームの面白さとは何か?」と尋ねられた時、7割くらいはゲーム自体の品質、あとの3割くらいは誰かと接して大騒ぎする時間、と私は答えるようにしている。
もっとも、そういう友人も、それだけのゆとりある時間も私にはもうないのだけど。
「人と接すること」「誰かと接すること」。『すれちがいMii広場』は不完全であるものの、誰かに触れられて楽しい、という瞬間を取り戻してくれたように思える。
『すれちがいMii広場』はすれちがい通信とMiiを利用したシンプルなゲームで終わってしまっているのが残念だ。すれちがい通信とMiiを利用した、もっと奥行きのあるソフトを遊んでみたい。




ドラゴンクエスト6
2011年4月4日購入
プレイ時間:80時間53分
主要8キャラクターのみオールレベル99。8キャラクターのみ全職業コンプリート。
fb64d887.jpeg私にとって、スーパーファミコン最後のドラクエであった『6』は思い出深い作品。間違いなくスーパーファミコン最大のボリューム、最長のシナリオ。そろそろ新ハードの足音が聞こえ始めた時代だというのに、こf97472b8.jpegこまで練り込んだゲームに圧倒されたし、ずいぶん愛着も感じた。スーパーファミコン版もかなりしっかり遊んだはずだが、それでもまだ奥行きがあり、作り手がプレイヤーに様々なものを要求してくるゲームに、唖然としたものである。
ある時、そういえば『ドラクエ6』がニンテンドーDSで発売されたんだっけ、と思い出して購入。懐かしい思い出に浸ろう、というわけである。
しかし……何だろう、スーパーファミコンの『ドラクエ6』はこうであっただろうか? 妙な違和感があるように思えた。他のシリーズ作品に対して、冒頭からやや難易度が高め。シナリオもこうだっただろうか。当時はあのシナリオにずいぶん感情移入して進めたのだが、当時ほどの感動は得られなかった。
う~ん、思い出補正だったのかなぁ。『ドラクエ4』や『ドラクエ5』のリメイク版は、当時の印象からほとんど変わらなかったのに。
特に、結末はあんな感じだっただろうか。エンディングがどうしても尻切れトンボな感じで物足りない。ひょっとして、裏エンディングに行けば、何か違いがあるのかも、と思ってレベル99まで上げて裏ボスを倒すもののエンディングに変化はなし。
やっぱり思い出は思い出なのだろうか。

いまいち関係のない話だが、ある時ネットで「トルネコは使えない! 何であんなデブが導かれし者だったんだ?」という話題が盛り上がっていた。ざっと読んだものの誰も正解を書くことができなかったようなので、ここで補足しておこうと思う。
トルネコは強い!
証拠として、レベル99データの画像を張り込んでおく。一目してわかると思うが、全てのデータでライアンよりも強い。レベルアップ時の確率、と指摘されそうだが、私は3つのデータ全てをレベル99まで上げたが結果は同じだった。防御力もあるので、前衛の盾として、肉弾戦の切り込み役として、充分に活躍するキャラクターである。しかもトルネコは、敵のアイテムを盗むという特殊スキルを持っている。おかげで資金の足しになる武器防具や、確率は低いものの「力の種」や「守りの種」なども手に入れてくれる便利キャラでもある。
もっとも、(ルックスを含め)あらゆる面で鉄壁のアリーナには及ばないが。
43e0a909.jpeg




ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D
2011年6月21日購入
プレイ時間:46時間
すべてのハートのかけら収集済み。ボスオンパレードのみクリアできず。条件厳しすぎ……。ミラーモードはプレイせず。
26bfb08b.jpeg名作とは『ゼルダの伝説 時のオカリナ』のことである。ゲーム、ビジュアル、サウンド、演出、すべてにおいて比類なき傑作。そろそろ辞書に、名作の指し示すものとして『ゼルダの伝説 時のオカリナ』について書き加えるべきである。
その名作が、ニンテンドー3DSに復活。しかも当時よりビジュアルはより美しく刷新。NINTENDO64の時はハードの01166ac1.jpeg性能限界のため、全体に雲がかかったようなぼやけた印象だったものが(あれはあれで美しかったが)、何もかもくっきりして、ハイラル平原の奥の奥までくっきりと見渡せるようになった。NINTENDO64とニンテンドー3DSの性能差に示すためのいい材料になっている。
やはり2画面表示はよかった。「ゲームの問題」と言えば、「ウインドウを開くこと」である。「ウインドウを開く」とゲームは完全ストップとなる。メイン画面は一時的に隠され、そのぶんゲームの進行はゲームの中心から遠ざかってしまう。ゲームが複雑になっていく過程で、この「ウインドウを開く」行動が確実にストレスになっていた。ゲームが複雑になるとウインドウ画面自体がやや重く、開くまでに時間がかかったり、しかもそれを頻繁に開かなければならないとなると、ゲームそのもののリズムを崩してしまう。NINTENDO64版の『時のオカリナ』の欠点を挙げろと言われれば、間違いなく「ウインドウを開くこと」であった。『ゼルダ』シリーズの基本であるが、何度もウインドウを開き、閉じなければならない。頻繁に繰り返す必要のあるアイテム交換、複雑すぎるために何度も確認しなければならないマップ。そのたびに、ゲームは一時中断になるのである。
しかし、2画面表示のおかげで、このストレスがかなり緩和された。2画面のおかげで、ウインドウを開閉する回数は確実に減った。
ニンテンドー3DSはNINTENDO64と比較してボタン数は少ないが、タッチスクリーンにアイテムをストックし、それをタッチして使えるのでむしろ操作を快適にしてくれた。マップ表示がデフォルトなのも嬉しい。マップ画面を開く面倒がなくなった。視線さえ動かせばいいのである。
『時のオカリナ』は2画面になることで、確実にゲームの完成度を上げたと言える。
ただ音楽だけは当時のまま。“完全再現”といえば完璧な作りなのだが、せっかくだからニンテンドー3DSの性能を利用した豪華な音源を聞いてみたかった。特に音響面は最近のゲームとしてはあっさりしすぎ。ガノン城崩壊シーンの破壊音が「ポコン! ポコン!」って……。




ゴーストトリック
2011年9月5日購入
プレイ時間:13時間42分
c070373e.jpeg冒頭の場面で、いきなり主人公死亡。物語はたった一晩だけ。
という始まり方で、どんなふうに物語が進むのだろう。しかも“たった一晩で終わる物語”。これだけで読者を満足させるだけの厚みのある物語を作れるのだろう? ハードル高く作りすぎていないだろうか。
懸念づくしでゲームを始めたものの、最後にはひれ伏していた。巧舟のシナリオは完璧だった。作り手側として制約だらけに思えた基本設定をうまく利用し、まさかあれほどの世界観を押し広げてくるとは。ストーリーとゲームルールの連携も見事である。このゲームでしかあり得ない独自性を持ち、ゲームルールと物語がきちんと意義をもって調和している。平面的に作られたビジュアルも個性的で美しく、これも見事だ。ゲームが終わるまでに何度も「巧い!」と声を上げたくなる作品であった。
巧舟はゲーム作家として、シナリオライターとして最高の仕事を果たした。旧来のジャンル(型番)を少々豪華にしただけのゲームしか作れない自称“クリエイター”連中は、『ゴーストトリック』を遊んでみるべきである。
ゲームクリア後に特にこれといってオマケもなし、ゲームそれ自体で勝負を挑んでくる。この切り詰めたシンプルさも気に入った。




パイロットウイングス リゾート
2011年9月15日購入
30659ee1.jpegプレイ時間:20時間15分
ダイヤモンドミッション以外コンプリート
このゲームの印象を説明すると、ただただふわ~と飛んでいることの気持ちよさだろうか。ただゆったりと飛び、眼下に見下ろす風景が流れていくのを見るのが楽しい。
といっても、ミッションの途中からゲームはかなり複雑になり、あまりゆったりとした気分になれなくなってくるのが残念だったが。欲を言えば、何の制約もなしに延々と空を飛んでいるだけの別モードが欲しかったかな、と思う。




スターフォックス64 3D
2011年10月25日購入
プレイ時間:21時間44分
ノーマルモードで全ステージ勲章獲得。ハードモードはほとんど遊ばず。
93076939.jpeg世間一般的にNINTENDO64は負けハードと呼ばれ、あまり盛り上がらなかった、と評されるが、実際にはなかなかの名作タイトルが発売されていた。『スターフォックス64』もその一つ。任天堂はコナミのようにシューティングゲームを制作してきた歴史もないのに、どうしてここまでの良タイトルを作れたのだろう、と不思議に思う(そのコナミはシューティングゲームを作らなくなったけど)
『スターフォックス64』もNINTENDO64時代から飛躍的にビジュアルが進化。細かいディティールがくっきりして見易くなった。惑星ゾネスで角の立つ波に機体が押し返される感じがかなりくっきりしたように思える。ニンテンドー3DSには振動パックなどないだが、映像だけで説得させられるものがある。オールレンジモードで敵・味方の区別が付きやすくなったのもありがたい。NINTENDO64の時は敵味方かまわず打ち落としていたような記憶がある。
NINTENDO64の時代、私はこのゲームを半年近くプレイ、間違いなくハードモード全ステージ勲章獲得したと思うのだが、ニンテンドー3DS版のほうは、どうしてもうまく行かなかった。夢中になって遊んでいた記憶も、指先が覚えてくれていなかったのだろう。実はニンテンドー3DS版を遊んで初めの頃、「機体が動く感触はこうだっただろうか?」と妙な違和感があった。時間がたつと、あれほどやりこんで指に染みついたと思っていたものもあっさりと消えてしまうのである。それが何だか寂しく思えてしまった。
このゲームも『ゼルダの伝説 時のオカリナ』と同じく音楽面は“完全再現”を謳っている。確かに“完全再現”には嘘偽りはないものの、やはりショボい。要塞破壊シーンの音が「ポコン! ポコン!」って。ダンボールのお屋敷を破壊したような印象である。“音”の面でもニンテンドー3DSの性能を見せて欲しかった。




マリオカート7
2011年12月4日購入
プレイ時間:36時間13分
全コース星3つ獲得済み。
032a19bd.jpegよく練りこまれたコース設計、Miiを含めた多彩なキャラクター、細かいカスタマイズ、旧作を再現したクラシックコース。どこまでも遊び込めるボリューム、遊び甲斐のあるゲーム設計。シリーズ最高傑作ではないだろうか。
特にMiiをゲーム中に使用できるのがいい。マリオやルイージと同じ性能だが、やはり自分と同じ顔をしたキャラクターがゲーム中で走っているのを見ると、感情移入の度合いが違う。このゲーム89006af6.jpegを遊んだ後、もっとゲームの中にMiiを取り入れるべきだ、と真剣に考えるようになった。RPGなどの主人公にMiiが使えると、はまり具合も違うのではないかと思う。
私が最も遊び込んだ『マリオカート』シリーズはNINTENDO64版。クラシックコースでNINTENDO64版が再現されていたが、ここでもコースの奥行きがくっきり映し出されるのに感動した。今さらになって、あそこのディティールは本来こうなっていたのか、と思ってしまった。
1周だけで終わるコースもいい。どうして今までやらなかったんだろう。3周廻るのはよく考えるまでもなく“繰り返し”であるわけだから、どうしてもある時に面倒くさく感じることがある。しかし1周だけならば、しかもその1周がそれだけ遊び込める内容ならば、ありではないか、と。そう思っていたものが『マリオカート7』で実現した。

誰に勧めても問題ない作品である。ハードユーザーもライトユーザーもどちらも確実に取り込めて、同じライン上でほとんど不公平なく双方が楽しめるゲームである。誰かと集まって大騒ぎしながら楽しみたい時は、この作品を選ぶべきである。
しかし贅沢を言うならば……やはりダウンロードコンテンツで追加コースが欲しい。ダウンロードコンテンツを想定した作りになっていないから無理らしい、というのが残念だ。




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■2011/03/08 (Tue)
2月の半ばに入った頃だった。私もネット予約に敗北し、発売日にニンテンドー3DSを手に入れるのは無理か、と諦めていたのだが、ふと何気なく近所のゲームショップに出かけると「ニンテンドー3DS予約受付中」の張り紙があった。さっそく店に入り、店員に聞いてみる。
「ニンテンドー3DSの予約受付まだやっていますか?」
「ええ、まだやっていますよ」
「発売日に手に入りますか」
「予約されたら確実に手に入ります」
というわけで、何の苦労もなく発売日にニンテンドー3DSを手に入れた。ネットが駄目ならば、リアル店舗を訪ねてみるべきかもしれない。どうしても手に入らない、と思っていた貴重な品も、案外簡単に手に入るかもしれない(予約なしでも買えたらしい)転売屋に天誅!
発売日に同時購入したロンチタイトルは次の3本。
『Nintendogs+cats&Newフレンズ』
『スーパーストリートファイター4 3D』
『リッジレーサー3D』

本当なら、一つ一つのソフトを取り上げて詳しく記事を書きたいところだが、一本一本をしっかりプレイする時間もなく、記事にする時間もないので、短く要約して書きたい。

『ARゲームズ』
本機にあらかじめプリセットされたゲームの中でも期待していた作品。「マトあて」「タマつき」「つり」「らくがき」「キャラさつえい」「Miiさつえい」の6種類のゲームが遊べる。「マトあて」「タマつき」は回り込んだり覗き込んだり、携帯ゲームなのに全身を使ったアクティブな遊びが極めて新鮮。ゲームとしては難易度が低く、ショートゲームといった感じなので、やりこむ深度は浅い。
「キャラさつえい」は有名な任天堂キャラクターを現実空間の中に出現させ、3Dカメラによる撮影ができる。おそらくこれは、新しいカードやデータの更新などで、様々なキャラクターを登場させられるのではないかと思う。アニメキャラクターなども登場させられるはずなので、キャラクタービジネスにとって新しいチャンスだろう。とりあえず、『ラププラス3D』はこのARカードを利用した何かをやってくれるはずだ。

『顔シューティング』
こちらも本機にあらかじめプリセットされているゲーム。顔写真を取り込み、それをゲーム中の敵にして遊ぶゲームである(ちゃんと目と口を認識するので、笑ったり怒ったりといった表情を作ったりする)。このゲームはジャイロセンサーが利用され、プレイヤーは立ちあがって360度、上や下に本機を向けて敵を探し、撃破していかなければならない。周りに何もない場所を探してプレイすることをお勧めする。難易度は決して高くないものの、ちゃんと攻略法を考えないとクリアできないようになっており(ミニゲームだが、ここはさすが任天堂)、それにかなり運動になる。連続で3ステージほど遊んだが、それだけでも息が上がってしまった。ちょっとしたダイエットになりそうなゲームである。新しい顔写真を取り込めば次のステージに進めるというルールなので、さっそく家族全員の顔写真を撮らせてもらった。ちなみに、撮影対象は別に人間である必要はないらしい。
こちらはなかなか楽しいゲームで、しばし夢中になってプレイした。
余談だが、バイオハザードシリーズは絶対にこのジャイロセンサーを採用するに違いない、と思っていたが予想が外れてしまった。ニンテンドー3DS本機を前後左右に動かし、ゾンビがどこから迫ってくるかわからない、というゲームだったら面白いと思っていたのだが。

『Nintendogs+cats&Newフレンズ』
想像以上にふわふわである。3D表示にすると、子犬の顔の凹凸もはっきりと識別できるくらいちゃんと立体に見える。ただし、子犬の3Dモデリングの完成度に比べて、部屋内部のディティールはあっさりしている。
Nintendogs+cats&Newフレンズは一日のうちにできる内容が限定されており、長時間遊べば遊ぶほど何か得になるゲームではない。毎日少しずつ、まったりと子犬と仔猫との一時を楽しむゲームである。
たぶんヘビーユーザーには向かないゲームだと思うが、忙しい合間にちょっと遊びたい人、あるいはふわふわした子犬や仔猫と遊びたい人にはお勧めだ。ちなみにゲームをはじめて最初は子犬しか選択できず、仔猫を得るのは数日間のゲームプレイが必要だ(長時間プレイしても、ゲームがある程度以上進行し過ぎないように設計されてる)
ところで個人的な話だが、現在私は仕事が忙しく、ゲームで遊ぶ時間がなかなか取れない。『Nintendogs+cats&Newフレンズ』を数日間放置し、久しぶりにプレイしたら、喉はカラカラ、お腹がすいてやせ細った愛犬の姿が……。妙なところでリアルなゲームである。毎日少しずつでも様子を見なくてはならないようだ(時間がないのに、いったいどうしろと……)

『スーパーストリートファイター4 3D』
私が格闘ゲームをプレイするのは『ストゼロ』以来である。久しぶりに格闘ゲームを手にしたわけだが――波動拳が出せなくなっていた。昇竜拳などはたまにまぐれで出る程度。まず波動拳の練習からはじめなければならず、アーケードモードもいまだ最弱難易度から抜け出せない。例によって、親指の腹を真っ赤に腫らせているところだ。
というわけで、当然、他機種版の『ストリートファイター4』をプレイしておらず、比較記事などは書けるわけないので、ここではなくヘビーユーザーによる記事を参考にするべきだろう(対戦相手になってくれる人もいないし)
プレイ動画などで見かけたものより、背景のディティールが減少したように見える(これについては後述する)

『リッジレーサー3D』
リッジレーサーシリーズをプレイするのは、多分『リッジレーサー2』以来。というわけで、こちらもシリーズを統括した詳しい記事を書くことはできない。ヘビーユーザーの記事を参考したほうがいいだろう。ゲーム自体は非常に楽しく、グランプリモードのEVENT2以降は3Dを意識した高低差の極端に激しいコースが中心となり、アトラクション的な楽しみが加わってくる。ただ、ややポリ欠けの多さが気になるところだ。
ゲーム批評ではないが、リッジレーサーを遊ぶ際には視点変更し、主観視点にすることをお勧めする。あの臨場感は2Dゲーム機では絶対に体験できない。3Dゲーム機ならではの特権だ。
某ネット記事(ニコニコニュース:レースゲームの醍醐味が3Dによって昇華された!『リッジレーサー3D』インプレッション)に、「コーナーをドリフトする瞬間、振動演出が加わり、3D効果が薄れる」と書かれていたが、これは多分、ニンテンドー3DS本機を左右に傾けてしまったたためだろう。ゲームプレイ中、緊張してボタンを押しているとゲーム機を左右に傾けてしまうことがよくある。確かにゲームプレイ中、ついつい左右に傾けてしまう瞬間はあるものの、落ち着いてまっすぐに構えてゲームプレイすれば「ドリフトの瞬間に3D効果が薄れる」ということはまずない。ちなみに「振動演出」は多分、ニトロエンジンのことだろう。プレイし始めて最初の頃、カーブを曲がるときにL・Rボタンを押してしまうのだ。後で少し触れるが、ニンテンドー3DSの3D表現は、左右方向からの視角に極端に弱いという弱点を持っている。
ちなみに今回購入した3本の中で、『リッジレーサー3D』が一番のお気に入りだ。「映像が美しくない」という不評が多く(美しくないのは事実だし、3Dによる立体感もいまいち)、確かにポリ欠けなど引っかかるところは多いものの、実際に3本通してプレイしてみると『リッジレーサー』が一番面白かった。


「ゲームは3Dを獲得することで、確実にその性質を変化させる」と私は考えている。ゲームはポリゴン技術を獲得したことによって、ゲーム中世界を立体的に表現することを可能とし、さらにゲーム機自体の表現能力の向上、あるいは作家の表現手法・方法の進歩によって、より複雑で濃密な別世界へと直裁的にプレイヤーを引き込む力を得た。ポリゴンを得ることによって、それまで平面状の座標軸を操作させるだけのゲームから、作家が意図した完全な別世界の中をキャラクターが自由に走り、戦い、空を飛ぶスペースへとゲームを進化させた。ポリゴンによる立体表現は、明らかにゲームの次元を一段階止揚させたのである。
しかしその一方で、ゲームは一つのジレンマに悩ませることになったのである。“距離感”である。
例えば、目の前に立っているゾンビはあと何歩で自分と接触するのか、あと数歩の距離にあるはず穴は実際どれくらいの距離なのか。主観視点によるゲームは特にこの“距離感”による問題に捉われ続けた。現実問題ならば何ら問題にならないごく当たり前の“距離感”の認識に対して、ゲームプレイヤーはひどく困惑し、ゾンビの接近を正確に推し量ることができず無防備にその牙と爪によってズタズタにされ、あるいは目の前にある穴に間抜けに片足を突っ込んでしまっていた。
ポリゴンによる立体表現は、むしろゲームプレイを犠牲にしている。ゲームの映像表現がどんなに優れた技術と感性で進化し、無限と思える奥行きを獲得しても、結局はカメラを操作し古典的な横スクロールの視点に固定した上でゲームを進行させている。
なぜそうなってしまうのか。それは表現上はどんなに立体的であっても、最終的にアウトプットされる映像は2次元でしかないからだ。
例えば映画にありがちな場面だが、俳優の2人が向き合って殴りあう場面があるとする。大抵の場合、カメラは殴る側の背後に回り、殴られる俳優の顔面を捉える。そして、一方が殴り、もう一方が殴られた振りをして吹っ飛ぶ。この時、もちろん俳優の拳は当たっていない。最低でも20センチ。50センチ近くも離れている場合もあるという。最近のアクション映画の格闘シーンは、俳優の動きもカメラの動きも非常に複雑になっているが、この原則は今も変わっていない。どんなアクション映画でも、カメラはこれから殴ろうとする俳優の背後に素早く視点を移動し、相手俳優は殴られた振りをして吹っ飛ぶ。
なぜそんなふうに見えてしまうのか。それは最終的にアウトプットされる画面が2次元だからだ。2次元だから距離が圧縮され、20センチや50センチといった距離を感じさせなくしてしまう。
ゲームにおいてもこの原則は一緒だからこそ、大きなジレンマであった。ただ映像を鑑賞するだけならば、俳優同士の距離感など気にせずとも楽しめるのだが(というか気付かない場合がほとんど)、ゲームとしてある仮想3次元空間を移動したり敵と戦ったりする場合は“距離感が圧縮される”ことが大きな障害になってしまう。距離感が圧縮されてしまうから、間もなく迫ってくるカーブのタイミングを正確につかめず、あるいは届くと思って振りかざした剣が敵に当たらず空振りしてしまう(『ゼルダの伝説 時のオカリナ』敵に当てるつもりで剣を振ったもののなかなか当たらず、ジャンプ切りしたら敵本体に接触してダメージ……みんな一度はやったはずだ)
ゲームの作り手は、“距離感が圧縮される”現象の前に苦闘し、その打開策として、概ね2つの方法を採用してきた。カメラの高さをキャラクターからやや離れて上方から捉えるか、あるいは世界をポリゴンで構築する一方、ゲームの進行自体は古典的な横スクロールの形式を採用するかの2つだ。
だがニンテンドー3DSは、あからさまな立体を描くことで、これまで困難であった“2次元変換された立体空間”への認識を感動的なまでに容易にしてくれた。我々はもう、作り手が複雑に構成した立体空間を前にしても困惑することもないだろう。どこが出っ張っていてどこが引っ込んでいるか、ポリンゴンに貼り付けられたテクスチャー(むしろ邪魔な陰影表現)に惑わされて、「この壁は果たして上れるのだろうか?」などと悩む必要はなくなった(と思う)。これまでは向かってくる敵の攻撃を大げさにキャラクターをのけぞらせて避けていたものが、3Dディスプレイなら動きを最小限にし、敵の剣をすんででかわし、反撃に転じる、というようなゲームプレイも玄人でなくてもできるようになるかもしれない。3Dディスプレイの採用は、ゲームのビジュアルに華を添えるだけではなく、ゲームキャラクターに実在感を与えるだけでもなく、それ以上にゲームプレイにおいて革命的な変化を与える。ゲームの攻略それ自体に影響を与えられるのだ。
ここ十数年、ゲームは同じ思考方法を延長させ、ひたすらビジュアルだけを進化させてきた。それは間違いなくゲームをゴージャスにさせてきたが、批判的に捉えれば、それは決定的な変化とは言い切れなかった。ゲームという構造を何一つ変える力はそこになく、ビジュアルがゴージャスなゲームは、本質的な変化も革命も止揚も引き起こさなかった。
だが我々はニンテンドー3DSにおいて、あからさまな変化を目にした。ニンテンドー3DSというゲーム機によって、ゲームの本質は確実に変わるのである。

批判的な意見も多いが、私は映像における3Dを肯定的に捉えている。
映画と技術は決して切り離せない関係で結ばれている。いや映画の本質は技術である、と言い換えてもいい。口うるさい大批評家様の意見によれば「映画の本質は、脚本の素晴らしさと俳優の演技、それが芸術的な感性で結ばれたときだ」と語るだろう。それは間違ってはいないし、反対する気もない。しかしそれは、ソフト制作的な面での話であって、ハード的な側面を一切無視している。映画を決定的に変化させるのは、あくまでもハード的な側面で革命を起こした時なのだ。
151ed51e.jpg例えば、映画がトーキーになり肉声を獲得し、テクニカラーが採用され自然の風景が画面上に再現され、カメラがクレーンと結びつき構図はよりダイナミックに縦横無尽に動くようになり、次にデジタルの導入で、超現実的なキャラクターと生身の俳優を競演させることに成功した。最近の映画の傑作である『アバター』や『ロード・オブ・ザ・リング』などは、どちらも数年早いと決して作ることはできなかった。技術という地平が少しずつ物語に追いつくことで、あの驚くようなビジュアルが実現したのである。
7ca70f44.jpg口うるさい大批評家様は、いつも無邪気にこう連呼する。「もっと新しい作品を!もっと斬新な作品を!」「最近の作品はどれも似たり寄ったりだ!」。
黙れ、と言いたくなる。新しい発想や才能がそう簡単に見つかるはずもない。見つからないこそ、作り手は苦労して「これこそは!」という題材を必死に探しているのだ。という以前に、“同じ人間である限り、どんなに国籍や人種が変わろうとそこに共通する精神構造が見出され、それらが考え、作り出そうとする創作物にはどこかしらに共通する構造が必ず見出される”のである。つまり本当に斬新な物語を目にしたいのであったら、自分努力で宇宙に出て火星人でも連れて来い、とう話である。
だからこそ技術的な平面を一段止揚させ、映画の印象を変えつつ同じ映画を作る(技術的な本質を変えつつ、同じものを作る)ことは、新しい映画を提供するという方法論に間違いはない。例えば(技術的な)エポックメイキングと賞賛される『アバター』などは、ストーリーだけを抜き出すと、似たような映画を過去作品のインデックスの中からいくらでも見出せる。映画という括りを外し、小説、民話、神話といった範疇から似たような構造、アイデアを持った作品を探せば、信じられないくらいたくさん見つかるだろう(どんな物語も、別の物語と比較するとどこかに必ず共通点が見出される。そんな当たり前の事実を知らず、ほんの少しの類似を見つけ出しては「パクリだ!謝罪しろ!」と大騒ぎする大批評家様は自ら無知を表明しているようなものだ)。絶対的唯一の個性を求めるなど、高望みでしかないのだ。そういうものは人間ではなく神様に求めておくれ(最近は神様の創造物にも「マンネリかな?」と思うようにすらなってきたが。南米奥地の希少性の高いトカゲを見ても「似たようなデザインをどこかで見たな……」という印象しかなくなってしまった。神様の創造物に驚くことがなくなってしまった)
と長い前置きを書きながら、私は全ての映画を3D化するべきとも思っていない。特に過去作品の映画を3D化することはあまりにも愚かしい行為である。
というのも3D以前の映画の全ては、平面で表現することを前提としたトリック映画だからだ。
例えば先にあげた俳優同士の殴り合いのシーン。20~50センチ離れてもパンチが当たったように見えるのは、平面だからだ。他にも映画にありがちなシーンといえば、大きな洋館の中に入っていくと、どこまでも続く壮大に長い廊下が出現する。あるいはロボット格納庫にずらりと並ぶ待機中のロボット軍団。ほとんどの場合、この長い廊下やロボットの群れは「マット画」と呼ばれる精巧な「絵」である。「このCG全盛の今の世の中に、時代遅れのマット画なんて」と思う人は多いと思うが、マット画は今現在も現役の映画手法である。CGよりもずっと早く安く手軽でしかも上質に制作できるマット画とマット画アーティストは、現場において非常に重宝する存在である。
以上のような平面を前提とした表現をそのまま3Dで鑑賞すると、当たり前のようだがあらゆる不具合が出現する。例えば、永遠と続く廊下やずらりと並ぶロボットは、誰がどう見ても平面状に描かれたマット画でしかないと気付いてしまう。俳優同士の殴り合いは、実は当たっていないという事実に気付かれてしまい、せっかくの俳優の演技やアクション監督の努力を台無しにしてしまう。
俳優同士の殴り合いのシーンは、実際の3D映画撮影における一つの問題となっており、解決策として、拳を相手の体ぎりぎりまで接近させる、あるいは本当に当てるしかない、という事態になっている。主演級スターの顔に痣を作るわけにはいかないから(次の撮影が脚本の次のシーンとは限らないので、撮影進行に不具合が生じる)、殴られる瞬間のシーンだけ代役を立てて背面から撮影したり、顔を殴る行為そのものをなしにしてしまったり。とにかく、この初歩的問題が解決されるまで、主演俳優の顔面が殴られるシーンは、映画からなくなりそうだ(多分デジタル上で距離感を変換できるようになるのだろう)
過去のあらゆる映画を、3D変換してしまうテレビなどが開発されているが、愚の骨頂としかいいようがない。そんなことをすれば、映画に込められたあらゆるマジックがたちどころに解き明かされてしまい、映画の世界から夢と幻が消えてなくなってしまう。俳優同士がどんなに素晴らしい演技で対峙していても拳が当たっていない事実に気付いてしまうし、初歩的な遠近法の応用で撮影された『ロード・オブ・ザ・リング』は小人や人間といった人種が交じり合う妖精世界の物語ではなく、ただの遠近法で撮影された映画に過ぎないとわかってしまう。3Dテレビは決して夢のアイテムではないのだ。
3Dが有効な影響力を与えるのは、映画ではなくゲームである。ゲームは3Dによって確実にその本質を変化させるが、映画、あるいは映像全般においてはそれほど決定的ではないと考えられる。3Dを前提に制作された映画ならば、その有効性を充分に発揮できるかもしれないが、すべての映像作品が3Dである必要はない。特に毎日ぼんやりと見ているニュース番組やバラエティ番組が3Dになったとしても、その事実に何の意味があるのか、とむしろ問いたくなる。どうでもいいよ、と思うし、3Dテレビの購入を見送っているほとんどのユーザーはこの「別にどうでもいいよ」という心境なのだろう。実際に3Dテレビを購入したところで、ほとんどの番組、あるいはDVD、ブルーレイは3Dに非対応であるのだから、まさしく無駄な買い物ということになってしまう。3Dが本質を変化させられるのは、映画ではなくゲームであるのだ。

ところでニンテンドー3DSはこれまで任天堂が発売してきた携帯ゲーム機と比較すると、やや高めの値段に設定されている。2万5000円。過去の任天堂携帯ゲーム機の値段は、ややバラつきがあるものの1万円~1万5000円の範囲に抑えられてきた。もっとも高かったニンテンドーDS-LLが1万8000円である。任天堂の携帯ゲーム機が2万円を越えたことはたぶん前例がなかったはずだ。
任天堂の携帯ゲーム機がやや低めに設定されていたのは、子供でも何とかなる値段設定にするため、あるいは据え置き型ゲーム機を「ゲームの主役」と位置づけた上で、携帯ゲーム機はその付属品、あるいはオマケという認識だったからかもしれない(全部私の思い込みだが)。実際にこれまでの携帯ゲーム機は据え置き型ゲーム機とは比べようもないくらい機能面で低く、制作されるゲームソフトも、据え置き型ゲーム機で製作されるゲームと比較するとやはりボリュームは少なめだった。据え置き型ゲーム機で制作される有名シリーズ作品が携帯ゲーム機で制作されるときは、決して「本家シリーズ」ではなくあくまでも「番外編」という扱い。据え置き型ゲーム機のストーリーを「本流」とする小さな「サブストーリー」というポジションが携帯ゲーム機の立場だった。
据え置き型ゲーム機に対する「オマケ」。小さなゲーム機。それがこれまで携帯ゲーム機が背負ってきた宿命のようなものだった。
だがニンテンドー3DSの値段は2万5000円。これは、これまで任天堂が発売してきた据え置き型ゲーム機と同じ値段である。ニンテンドー3DSのポテンシャルがそこまで高い、ということへの自信と主張であると考えられる(実際ニンテンドー3DSはゲーム機本体だけでもこれでもかと色んな要素が一杯に詰め込まれている。恐ろしく贅沢な代物、という印象だった)。それ以上に感じられるのが、携帯ゲーム機の質的変化――いやポジションの変化である。
これまでは据え置き型ゲーム機がゲームの主役だった。高いマシンスペックと膨大なデータ量を記録できる記録メディア。そして、そのポテンシャルの高さを最大限に利用したゲーム。そういうものは、携帯ゲーム機では実現できない質量的な“大きさ”が必要だった。
が、技術の進歩は質量的な大きさを、より小さなものの中にぎっしり押し込めてしまった。携帯ゲーム機でも高いマシン性能と膨大なデータを蓄積できる記録メディアを獲得し、かつては絶対不可能だった映像表現も携帯ゲーム機でも問題なく可能になってしまった。しまもニンテンドー3DSには、据え置き型ゲーム機にない2画面と3Dディスプレイという強力な武器を持っている。「大は小を兼ねる」ではなく、「小が大を包括する」時代がやってきたのである。
ニンテンドー3DSならば、完璧主義の天才肌監督によるこだわりのゲームを制作することだってできるだろうし、実際に制作されるだろう。対戦も通信機能の発達でストレスなく行えるから、画面を分割する必要もない。もう家族に背中を睨まれながら、あるいはゲームそのものに敵意を向けられながら居間のテレビを間借りしなくてもいいのだ。ゲームの中心は据え置き型ゲーム機から携帯ゲーム機に中心軸を移したのだ。もしも今の現状で一人用RPG超大作を据え置き型ゲーム機で出そうとするならば、「空気を読めよ」という冷ややかな水をぶっ掛けられるだけだろう。携帯ゲーム機でも超大作RPGの制作は充分可能だ。
(テレビの存在価値は、もうアニメと映画だけで充分だ。オンエアされているほとんどの番組に見るべきものがないのなら、テレビはゴミとして廃棄してしまったほうがいいだろう。テレビがあると部屋が狭くなる。アニメと映画だけならば、コンパクトなプロジェクターを買い、真っ白な壁面に映像を映すだけでいい)
とは言うものの、据え置き型ゲーム機がまったく必要なくなるとも思っていない。パブリックな場所を複数人で興じ、その楽しさや興奮をその場にいる全員で共有する場合はやはり据え置き型ゲーム機の出番だろう。例えばパーティーゲームや、複数人で競うことを前提で設計されたアクションゲームやレースゲーム
一人で淡々と一つのゲームに集中し、道を究めていく場合は携帯ゲーム機だ。例えばRPGやシューティングゲーム、シミュレーションゲーム、レコードを競い合うタイプのレースゲーム
据え置き型ゲーム機はよりパブリックなポジションを強めていく一方、携帯ゲーム機は一人きりで攻略やレベル上げ、レースゲームのタイム更新といったより個的な感心を強めていくゲームに特化していくだろう。要はそれぞれの立場をより明確に切り分けていく、というわけだ。
性能面にこだわってゲーム機を選択する時代は終わった。これからは「どんな方向性のゲームを遊びたいか」でゲーム機を選択するようになるだろう。作り手にとっては、「どんな方向性のゲームを作りたいか」で発売するゲーム機を選択する。パブリックな場所を共有する意義があり、なおかつあのリモコンコントローラーを有効に使えるアイデアがあるならばWiiだろう。それ以外のゲームを作るならばニンテンドー3DSを選択するべきだろう。なにしろマシンスペックが高く、しかも全てのゲームが3D表示になるので、空間表現にこだわった作品ならばニンテンドー3DSのほうがプレイヤー側としてはありがたい。
ユーザー、制作者、双方がどんな基準でゲームを選択し、制作し、購入するか。ニンテンドー3DSはその区別をはっきりと付けさせるゲーム機だ。まさにゲームに対する考え方を一段階変えさせるゲーム機だ。

本体仕様と同じくらい興味深かったのは、あまりにも豪華なソフトラインナップである。任天堂がゲーム業界における主導的立場を失って以来、ソフトメーカーは様々な理由で任天堂を離れていった。別のゲーム機のほうが販売台数が多く、より高い商業的利益が見込める。別のゲーム機のほうが性能が高く、それと比較すると任天堂ゲーム機の性能はやや不安がある。そうなると、わざわざ任天堂機で発売する理由があまりないという結論になる。
ところが、ニンテンドー3DSには多くのソフトメーカーが戻ってきている。任天堂ゲーム機とはまったく縁のなかったナムコの『リッジレーサー』、性能面の問題で任天堂ゲーム機を避けてきた『メタルギアソリッド』、かつて「これからは任天堂ゲーム機を中心にゲームを出す!」と宣言しておきながら、あっさりと裏切った『バイオハザード』シリーズの帰還。他にも『デッド・オア・アライブ』『ストリートファイター』『テイルズ・オブ~』シリーズ、もちろん任天堂開発による人気シリーズ(『ゼルダの伝説 時のオカリナ』!)も発売ラインナップに含まれている。ゲームキューブやWiiにはなかった豊富さと幅の広さ。任天堂にとってもゲーム業界にとっても黄金期である、スーパーファミコン時代の再来を予感させる。古いゲームユーザにとってはこれだけでも感動的な事件だ。
任天堂はゲーム機の傑作と呼ばれたゲームキューブの商業的失敗以来、ゲーム作りのスケールを大幅に縮小し、開発の視点をコアゲームユーザーから軽薄短小と呼ばれるライトユーザーに移し始めた。《タッチジェネレーション》、初期においては「軽薄短小」と呼称されたゲーム群である。これまでのゲーム作りと販売方法に限界を感じていた任天堂は、むしろこれまでゲームに接したことのない多くの人たちにゲームの良さを知ってもらい、手に取ってもらおうと考えた。
この戦略は着実に成功を収め、ゲーム人口は飛躍的に増大。この深刻な不況下にも関わらず、任天堂の黒字はWii発売後3倍近くまで飛翔している(もし今のような経済不況、デフレ下でなければ? と思うととんでもない業績である)。「軽薄短小」構想は大成功であった。
しかし、軽薄短小は軽薄短小なのである。軽薄短小ユーザーは流行に乗せられて2万5000円のゲーム機を買ったものの、それ以上に入れ込むことはしなかった。一つのゲーム機をしっかりやり込もうとはせず、新しい情報を仕入れて別のソフトメーカーや作家の作品に触れようという考えを持たず、飽きたらポイッ。テレビラックの横に放置したまま、旧型ビデオデッキと共にそこにあったことすら意識しないようになる。軽薄短小は物事の良し悪しを自力で判断することができないし、しようともしない。ただその一時だけ大騒ぎできる道具さえあればいい。軽薄短小はどんなに素晴らしい芸術が目の前にあっても、無関心に通り過ぎるだけ。どんなに優れた栄養を与えても、少しも健康状態がよくならない痩せた肉体のようなものなのである。軽薄短小はいつまでたっても軽薄短小。だから軽薄短小なのだ。
ニンテンドーDSとWiiはこの絶対的多数派である軽薄短小ユーザーを大幅に獲得したが、その一方で本当にゲーム好きである少数のユーザーから見放されていった。サードパーティーも任天堂ゲーム機から遠ざかっていき、気付けば「任天堂ソフトしか売れていない」という状況になっていた(本体売り上げは飛躍的に伸びたものの、ソフト売り上げは思ったほど伸びていない)。売れているのは『脳トレ』とどこかのお笑い番組とタイアップした安っぽいゲームだけである。ネットコミュニティでは、ニンテンドーDSを所持していること自体が失笑の対象になってしまった。
批評家の意見を借りれば、確かにどの作品も別のゲームハードで一度発売された作品のリメイクやシリーズ作品ばかりである。だが「注目度」という要素だけを抜き出せば破壊力は抜群である。ほとんどのコアゲームユーザーは、ニンテンドー3DSというゲーム機自体ではなく、ソフトラインナップのほうが遥かに魅力的で、これだけを動機に購入を決めるだろう。持っているユーザー人口が多くなれば、ゲーム会社の経営者はそのゲーム機で作品を出そう、という考え方を持つようになる。これまで「プレ……プレなんとかがたくさん売れてるからプレなんとかで開発する」と言っていたのと同じ理屈だ。
ニンテンドー3DSは間違いなく高い売り上げを獲得するだろう。それも爆発的に。その後も一過性の流行に終わらず、息の強いペースで必要とされ続けるだろう。そうすれば金玉混在の無数のゲームがニンテンドー3DSに集まってくるようになる。バグ満載のどうしようもない駄作も出るだろうし(それはそれで愛好家に素晴らしい話題を提供してくれるだろう)、今まで誰も考えたことのない奇怪な作品も出るだろう。それに、あくまでも携帯ゲーム機である。低い予算で、アイデア勝負の作品も期待できる。もちろん、天才的な作家がひたすらこだわりぬいた芸術的なゲームも出るだろう。ニンテンドー3DSは様々なタイプの作家の要求に応えられるだけの高いスペックを持っている。
XBOX360やプレなんとかはハイスペックすぎて、ハリウッド的に言えばブロックバスター作品でなければメーカーもユーザーも受け入れられない状況になっている。例えば『桃太郎電鉄』のような伝統あるシリーズは、「ビジュアルが相応しくない」という理由でソニーはプレなんとかでの発表をお断りしている。XBOX360やプレなんとかはゲーム云々を議論する前に、映像表現にゴージャスにしないとユーザーから安っぽく見られる場合があり特に『ファイナルファンタジー7』を切っ掛けにゲームにはまり込んだユーザーに多い考え方だ)、映像に金と労力のほとんどを消費し、ゲームの本質的側面を疎かにしてしまう傾向が少なからずある(見た目は確かに豪華だけど、ビジュアル面をマイナスすれば「これファミコンでも開発可能だよね?」というゲームはたくさんある。見た目は豪華だけど、中身は8ビットゲーム。そういうゲームって実は多い。ゲーム自体も、見た目は確かに豪華だが、実は同じボタンをひたすら連打しているだけで全ステージクリアできてしまうものもある)
そこで携帯ゲーム機である。携帯ゲーム機であるというフットワークの軽さが、映像表現だけに捉われない、より柔軟なゲームクリエイトを可能にしてくれるだろう――と期待したい。

ニンテンドー3DSにおける弱点は、どう考えてもバッテリーの少なさだ。たったの3時間。バックライトを抑えるなどをすれば5時間ほど持つ、という仕様だが、それでもたったの5時間である。ゲームで遊ぶにはあまりにも不安定な短さだ。
次のモデルチェンジがニンテンドー3DSLiteになるのかLLになるのかわからないが(現時点でかなり小さいが)その時にはバッテリーを見直されていることを強く希望したい。
それから、これは構造的問題なのかもしれないが、3D立体視野角度があまりにも狭い。ゲーム機に対してほぼ真正面、近づけすぎても駄目、遠ざけすぎても駄目、35センチ前後というかなり限定的な範囲を推奨している。
ゲームプレイ中、複雑なコマンドを入力しようとボタンを押している最中、どうしてもゲーム機本体を傾けて画面が2重にぶれてしまう瞬間がある。リッジレーサーの話題で「コーナリング中に画面が2重にぶれる」というのを挙げたが、これは「そういう演出」なのではなく、プレイ中、本体をある一定以上傾けてしまったせいだ。3Dに見える範囲があまりも狭いために起きてしまう現象だ。昇竜拳すらまともに出せない人間(つまり私)が『スーパーストリートファイター4』のような複雑なコマンドが必要なゲームをプレイすると、しょっちゅう画面がぶれる。この3D視角の問題は構造的な問題で難しいのかもしれないが、次のモデルチェンジの時には是非とも改善、3Dに見える視角を大幅に広げてほしいところだ。
少し蛇足になるが、ニンテンドー3DSは「3Dで見せること」を新たに考える必要があるのかもしれない。というのも『スーパーストリートファイター4』の背景ビジュアルが、少しあっさりしているように見えたからだ。おそらく別の3Dではない画面で見ると、ごちゃっとした密集感を表現しているように見えるのだろうが、立体になることでそれぞれのパーツの間に「ゆとり」が生まれ、2Dで見るほどの密集感が失われてしまっていた。それは間違いなく3Dであることの「売り」なのだが、2Dで表現していた時のように見せられない、という問題もあるのかもしれない。……まあ2Dで見せたい場合は、2Dで作ればいいという話なのだが。

ニンテンドー3DSは6歳以下の幼児には3D機能を使わせないように注意喚起している。本家サイトでもそう注意喚起されているので、ここでもそれにならいたいと思う。
しかし、実際にはどんな年齢でも3D視聴は視力に何ら影響はない、という見解もある。いずれにしても、確たる根拠がまだ出揃っているとは言いがたいので、とりあえずは6歳以下という規制には従うべきだろう。
最後に私個人的な見解である。私の場合、ニンテンドー3DSで遊んだ後、ちょうど「ステレオグラム」で遊んだ後のような感じになり、非常に目がスッキリした感じになる。読書の合間にニンテンドー3DSで遊べば、確実に目の疲れが解消されている
これがどういう状況なのか、いまいちよくわからない。ニンテンドー3DSをプレイすると、短時間でも激烈な目の痛みを感じるという人のほうが圧倒的多数である。確かに私も、3D映画『アバター』を視聴したとき、最初の1時間ほどはひどく苦労したのを覚えている。どの空間にピントを合わせるべきか、特に3D映画は俳優の演技と字幕が違う距離に出てくるので、かなりの疲労感があった(ただし激痛というのはなかった)。が、途中から慣れてきたのか、字幕と俳優の演技の両方を見ることに苦労はなくなった。そういった経験があるからなのか、ニンテンドー3DSの画面には何ら苦労なく見ることはできた。数時間連続で遊んでも、眼精疲労というのはまるで感じない。
もしかしたら、慣れの問題なのかも知れない。ゲームがポリゴン表現を獲得したはじめの頃、3D酔いする人が多数報告された。3次元空間の中を目まぐるしく動くキャラに目と頭が追いつかず、車酔いしたような状況になるのである。これもポリゴン表現が一般的になるにつれて、3D酔いを訴える人は確実に減っていき、今では3D酔いを口にする人はいなくなった。ポリゴン表現に慣れたのか、あるいはゲームそのものからリタイアしたのかのどちらかだろう。私は3D酔いしたことはない。
現時点で、「ニンテンドー3DSをプレイすると視力がよくなったように感じる」という人は少数だがいるようである。それはあくまでも少数派であるし、目が痛いという人のほうが圧倒的多数だ。そもそも小さな画面を首と手の位置を固定して、しかもかなり強烈なバックライトを浴びているのだから、目に良いはずなどないのである。それに、その人間がもともと持っている目の性質(例えば両目の視力の差)によって3Dがまったく見えない、それが原因で視力悪化の原因になる、などがあるようである。3Dで遊ぶことは、まだある程度の警戒が必要かも知れない。


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