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■2012/07/26 (Thu)
ニンテンドー3DSの勝因

a2371348.jpeg実 売600万台をとうに越えて、ライバル機と目されていたはずのPSVitaをあたかも存在が小さすぎていつの間にか轢き潰していたことにすら気付かないく らいの後方へ引き離し、世間的に見ればニンテンドー3DSはかなり普及したと見なしていいかも知れない。とはいえ、デフレで消費者の気分が落ち込んでいる 最中、しかも一般マスコミによる足の引っ張り合いとしか思えないネガティブキャンペーンにより、いまいち盛り上がりに欠ける実情の今、勝利宣言は早すぎだ し軽率かも知れない(まだ1000万台達成していないし)。一般的にニンテンドー3DSの話題といえば、売り上げ不振で任天堂自体に大きな損害を与えた失敗ハード、という評価のようだし(主に一般マスコミの印象操作によるものだが)

とりあえずニンテンドー3DSは成功したと見なし、その勝因は何だろう、と考えた時、やはりソフトの充実さを保証したことにあると思う。ソフトの充実さとは2つの意味を持つ。ソフトの発売ラインナップ、それからソフト1本1本の中身についてだ。
任 天堂の最初の反省は、ここ最近の任天堂ハードでは任天堂ソフトしか売れなくなっていたという事実だ。ニンテンドー3DSはその改善から始まり、初めて実機 の発表となった2010年3月のE3の時は、「ニンテンドー3DSはこれだけのソフトメーカーが作品を制作します」という宣言から始まった。ソフトライン ナップの充実は、ある意味でニンテンドー3DS本体の品質や立体3D視よりよほど重要な意味を持っていたかも知れない。任天堂は間違いなくソフトメーカー として最高のものを作り続けたが、ユーザーの好みはもっと多様で、もっと多くの触感の違いを楽しみたいという意識を持っていた。ニンテンドー3DSの最初 の一歩は、まずより多くのソフトメーカーが多様なソフトを作る、という姿を見せること、次に一つ一つの品質を保証することであり、それは間違いなく成功 だった(おそらくソフトメーカー1社1社を訪問し、声を掛けて回ったのではないか、と私は想 像する。“根回し”というとなぜか悪い印象を持つ人は多いが、物事を始める前には大切なことである。何か大きな予定を決めて、全員でそれに向かって計画を 進め、最後に「よーいドン」の合図を出す。任天堂はそういった地道な呼びかけやお願いをして、今の状態を作り出したのだろう……という想像である)。ここ数年、1年に1本を買うか買わないか、くらいだった私が結構な数でゲームを買っているので、やはりゲームに対する印象がずいぶん変わったように思える。
私が購入したニンテンドー3DSソフトは、途中で放り出したものを除けばほとんどが20時間以上プレイしていた。ソフト1本の値段はおよそ5000円ほどであるから、充分娯楽としての責務を果たしているといえる。
私の一日のゲームプレイ時間はおよそ20分ほどだ(1時間を越えることは滅多にない)。 1本のゲームをコンプリートするまで20時間以上、40時間かかるものもある。およそ1ヶ月から2ヶ月ペースで新しいソフトを購入している。他の人も、お おむね同じくらいのペースではないかと思う。これまでに発売した話題作を取りこぼさず購入し、一つ一つじっくりコンプリートしていけば、全て消化するのに おそらく2年以上はかかるだろう。もちろんこれからもニンテンドー3DSはソフトを発売し続けるから、「ソフトの充実さ」という面ではすでに達成している といえる。

e59d047f.jpegその一方で、PS……えっとああ、Vitaの敗因はなんだろうか。それは、任天堂が保証したことを何一つ保証しなかったことだ。ずばり指摘すると、ソフトについてである。
PSVita のソフトといえば何があっただろうか。これといって目を引くようなラインナップがなく、話題になった作品と言えば何かあっただろうか。私は寡聞にして知ら ない。実際、過去に発売したタイトルを見ても、もうすぐ1年になろうとしているのに「これだけ?」と言ってしまうほどに少ない。頑張れば、個人で全て買い 集められそうな数である。
それに、ソフト一つ一つのボリュームにも問題があった。5000円で購入したのに、遊べるのは最初の1ステージだけ。続 きを遊ぼうと思ったらインターネットに接続し、必要なお金を払ってダウンロードするなり、ロックを解除するなりしなければならない。PSVitaソフトは このやや回りくどい商法により、エンディングを見るまで1万円以上かかるものもあるようだ。初期投資の5000円はちょっと高めの体験版を買ったようなも のである。
ソニー側の主張としては、これが中古対策、海賊版対策になるらしい。確かにその効果はあるかも知れないが、その商法でどれだけの数の ユーザーが納得するだろうか。家庭の事情でインターネットに接続できない人も多いだろう。もしも小売店で購入できるソフトが1ステージしか入っていない “体験版”ならば、ソフトの値段は500円くらいが妥当だろう(500円しか利益のないソフトを仕入れる店がどれだけあるか知らないが)
PSVitaはソフトのラインナップにおいても、ソフト一つ一つのボリュームにおいても、ユーザーに何も保証しなかった。これが決定的な敗因だろう。
こ の頃のソニーの神経症的な中古対策/海賊版対策/コピー対策には疑問しか感じない。例えばブルーレイ・ディスク。SONY ARccOSというソニーが開発したコピーガードは、強力すぎてソニー社製レコーダーでは再生不能だそうだ。ブルーレイへの不満は、常にネットに繋ぎ、最 新バージョンに更新しなければソフトが再生できない、ということにある。そこまでユーザーに不便を強いてまでガードかける必要があるのだろうか。

PSVitaは本体値段さえ下げれば普及台数が飛躍的に伸びるはずだ、という意見は多い。しかし、そうはならないだろう。ソフト面の体制が今のままだと、興味を持つユーザーがそもそも現れない。ユーザーが欲しいのは、ハードではなく多様なソフトのほうである。ハードのみが欲しいというのは大抵はその筋のコレクターだけである。
私個人の考えだが、PSVitaはそこまで高級品ではない。Wi-Fiモデルなら2万4980円。3Gならば2万9980円。ニンテンドー3DSがもともと2万5000円であったことを考えると、そこまで割高感はないはずだ。
他のゲームハードの値段と比較しても、
セガサターン 4万4800円
プレイステーション 3万9800円
ドリームキャスト 2万9900円
プレイステーション2 3万9800円
プレイステーション3 5万9980円
比較は全て据え置き型だが、どのゲーム機も3万円以上の値段で発売している。値段が特に問題になったわけではない。むしろ2万5000円という値段が高く感じるのは、今がそれだけデフレだからだ。

一 方の任天堂の商法がどこまで通用するか、実は私は疑問に感じている。デフレや東日本大震災といったマイナス要因が次々と覆い被さり、今後の普及台数に危機 感を覚えた任天堂は突如、ニンテンドー3DSを1万円値下げをしたが、これは相当に身を切る戦術ではないだろうか。ソフト1本1本の充実さを今後も保証し 続けるのは、作り手としての“誠実さ”の現れだろうが、どちらの面でも金銭的に相当つらいはずだ。どれだけ利益があるのだろう。どこかで突然クオリティの 低下が現れたりしなければいいのだが。

76db8c18.jpegPSVitaでも注目すべき部分はある。その驚嘆すべきグラフィック表示能力、それを支える精緻極まりない有機ELディスプレイだ。 PSVitaの画面を初めて見た時、携帯ゲームの画面とは思わなかったし、直撮りされた写真を見て、まずはめ込み画像だろうと思ってしまった。最初、ニン テンドー3DSは画面が美しい、と思ったが、PSVitaの画面を見た後ではそうは思わなくなってしまった。ニンテンドー3DSのディスプレイはもっと質 を上げるべきだ、とすら思った。
この性能差がどんな有意義な効果を持つかといえば、より高い表現能力を持ったゲームが制作できる、という意味だ。ニンテンドー3DSではまず描ききれないような映像表現が、よりハードルの高い構造を持ったゲームが、PSVitaならば可能だ。
例えば、PSVitaのロンチタイトルであった『アンbc196f25.jpegチャー テッド』は、ニンテンドー3DSでの発売はあり得なかっただろう。ニンテンドー3DSの表現能力では、『アンチャーテッド』のような映像表現はやや難し い。またニンテンドー3DSで発売された『初音ミク Prject mirai』はねんどろいどをモデルとした可愛らしいルックスを持つ作品だが、実は六 等身初音ミクをニンテンドー3DSでうまく描けなかったから、という裏話がある。PSVitaで発売され6ab02769.jpegる『初音ミク Project DIVA f』は六等身の初音ミクが自由自在に鮮やかな踊りを繰り広げる。もちろん、リアルタイムムービーだ。あの映像を見た後だと、さすがにPSVitaの能力が羨ましく思うし、ああいった表現ができるという優位性は今後もしばらく消えないだろう思う。
PSVitaの実力なら、据え置きハードで制作されるグラフィック中心のゲーム、例えば『アサシングリード』シリーズや『TheLastofUs』なんてゲームの移植もあるかも知れない。

972a7311.jpeg解せないのが、PSVitaの宣伝方法だ。「大きな画面!」はこれは明らかにライバル機であるニンテンドー3DSを意識したフレーズだ が、携帯ゲームの画面サイズなど五〇歩百歩である。どうでもいい。しかもその優位性は、ニンテンドー3DSLLが発売されることによって消滅した。本来 PSVitaは性能の高さを、その性能の高さで何を表現できるか、をアピールし挑戦すべきだった。それを何一つ主張できなかったこともPSVitaの敗因 だ。
(それに、CMで任天堂機と比較するゲームハードは、確実にいって敗北する)

任 天堂ハードでは本当の名作はあまり発売されない、というジンクスがある。有名シリーズの「決定版」「完全版」といったものはすべて任天堂ハード以外のハー ドから発売されている。どうしてそうなるかよくわからない。わからないが、事実として「名作」は任天堂ハードを避ける傾向がある。
任天堂ハードで発売される作品といえば、なぜか色んなものが省略された小型版である。ビジュアル、サウンド、ゲーム性、任天堂ハードで発売されると、なぜか別ハードで発売される時よりも生彩さに欠けるのだ。
例 えばゲームキューブで発売された『バーチャファイターキッズ』のように、子供向けにルックスを可愛らしくして、もともと複雑な魅力を持っていたはずのオリ ジナルのゲーム性を一気に削ぎ落とし、なにやら残念な作品になっている場合がある。『初音ミク Prject mirai』に対して不満はないが、ある意 味でその系譜にある作品であるといえる。
サードパーティーが本気を出すソフトは、いつも任天堂以外のハードの時なのだ。黄金期と讃えられるスーパーファミコンの時ですら、異様な濃さをもった名作はPCエンジンで発売されていた。

そういう視点で行くと、PSVitaはまだまだこれから、どこかの段階でいきなり化けるハードかも知れない。ハードの売り上げは低空飛行し続けつつもある一定水準から落ちる予兆はないし、今後まだまだ期待すべき所はあると見なしていいのかも知れない。“かも”だが。

もっとも、任天堂は別にソニーと競い合うつもりもないのかも知れないが。



 
 

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混迷の第五次ハード戦争

いよいよ任天堂、ソニー、マイクロソフトの3社から“次世代ハード”が発表される時がやってきた。
その前に、ちょっと時計の針を戻して、プレイステーション2が発売された2000年当時を振り返ってみよう。

プレイステーション2が発売してから間もなく、業界内で密やかな悲鳴が上がっていた。
「プレステ2の性能があまりにも高くて、ソフトを制作できない」
今の価値観で見ると「あの程度で?」と思われるかも知れないが、当時プレステ2の性能はほとんどオーパーツの状態だった。
実際プレイステーション2が発売してその後、ソフトは一向に出揃わなかったし、出ても前プレイステーションとどう違うんだ、と言いたくなるようなものばかりだった(実情を言うと、プレイステーションで開発していたものを、時流だから、という理由でプレイステーション2で発売していたのだ)。プレイステーション2で開発する能力はないし、プレイステーション2という豊かな表現能力をうまく活用したアイデアを出せる人も少なかった。プレイステーション2で制作するだけの十分な予算もない。結果的に、結構な数でサードパーティが振り落とされた。(まあ、力のない3流メーカーが篩いにかけられただけだと思えばいいが)
それでもプレイステーション2が順当な売り上げを伸ばせたのは、当時話題だったDVDが再生できるからだった。プレイステーション2、最初期は3万9800円。DVD再生機と見なしても、格安だったのだ(今ではDVD再生機くらい1万円以下で買えるのが普通だが)
プレイステーション2の初期は、ゲーム機と言うよりDVD再生機だった。当時カプコンのとあるプロデューサーは、「あれはゲーム機ではない」と任天堂機に独占的に作品を発表する、と宣言した(その後、あっさりと撤回して同じタイトルの“完全版”をプレイステーション2で販売した)
(私だけの考えだが、プレイステーション3がプレイステーション2ほどに売れなかったのは、ブルーレイ・ディスクに需要がなかったからだ)
そして次にやってきたのはプレイステーション3だ。その圧倒的すぎる映像表現能力。リアルタイムムービーですら、ほとんど実写と区別できないような画面が表示可能。
私がその映像を見た時、「これはヤバイぞ」と思った。案の定、プレイステーション3発売後、大手以外は見事に全滅だった。プレイステーション3で真っ当なゲームを作れるのは、資金力と人材がすでにある大手に限られていた。表現能力の上限幅を上げることによって、実際には多くのソフトメーカーが追いつけず振り落とされたのだ。

そんな間隙に飛び込んできたのがアメリカのゲームソフトメーカーだった。プレイステーション3はより豊かな映像表現が可能な一方、ゲーム開発には莫大な予算がかかる。考えてみれば、そういった大量投資、大量投入が一番得意なのはアメリカだった。プレイステーション3は日本のメーカーからチャンスを奪い、アメリカにとって一番得意な戦術が可能なフィールドを用意しただけだったのだ。
アメリカは発想力は弱いものの、贅沢にお金を投資し、世界から人材をかき集めるノウハウを持っている。日本からも、才能ある人材はどんどん引き抜かれていくだろう。このやり方で勝てる国はそうそうないし、日本ではまず勝ち目はない。戦争でも映画でも負けた。ゲームなら勝てる、などと言うホラ吹きは閻魔に舌でも抜かれてろ

任天堂のやりかたは、まあまあ賢明だったといえる。
任天堂はすでにWiiUの概要を発表しているが、映像表現能力は従来のゲーム機から少々よくなったかも、という程度。ゲーム機としての特徴は映像表現ではなく、液晶タブレット付きのコントローラーのほうにある。
ゲーム機は常に一つの画面を凝視し続けるものである。その常識を少々横へ逸らし、ゲームのプレイ領域を広げよう、というのが目論見のようだ。ゲームの“面”を、正面のディスプレイだけではなく、もう一つ手元に広げよう、という考え方だ。
この発想はなかなか面白い。2画面の有用性は、すでにニンテンドーDSで充分証明されている。2つめの画面にアイテムやマップを表示してくれると、非常に便利でゲームをストレスなく進行させられる。
さらにこの液晶タブレット付きコントローラーはただの2つめの画面ではなく、正面のディスプレイに対して、領域を拡大する能力を持っている。このコントローラーで正面のディスプレイでは表示されていない背後を確認したり、ディスプレイにかざすことで別の何かが浮き上がってくる効果を演出することもできる。さらに液晶タブレットにアイテムを表示し、プレイヤーが画面に向けて何かしらの仕草をすれば武器が飛ぶような仕掛けもできる。
ゲーム+コントローラーという一面的な遊びから、面を増やし遊べる領域を拡大する。ただただゲーム機の映像表現の性能を上げるだけではなく、遊ぶ領域を拡大していく。WiiUは任天堂の思想そのものを具現化していると言えるだろう。

2012年E3での任天堂カンファレンスは印象的だった。「新しいハードはこんな凄い映像表現が……」という、この種の新ハード発表会でありがちなフレーズを使わなかった。あくまでも、「ゲームと周辺社会の関係性」が強調されていた。任天堂はソニーとマイクロソフトと目指している地点がまったく違うのだ。

が、このWiiUの構想がゲームユーザーの理解を得られているか、といえば甚だ疑問である。ネットで見ることのできる様々な意見を見ても、「何の意味があるのかわからない」という声が圧倒的多数である。
構想を理解されないまま発売に至っても、ハードメーカが思うような売り上げも得られないだろう。WiiUは任天堂が期待するほどに広まらず、苦戦するのではないか。今は丹念にWiiUの個性をユーザーに説明を続け、それと平行してニンテンドー3DSの時のように、「WiiUではこれだけ多様なソフトが遊べます」といったアピールを続ける必要があるだろう。
このまま突っ込めば、第5次ハード戦線には勝者はいませんでした、という結果になりかねない。

そろそろソニー、マイクロソフトの両方から新しいゲームハードの発表があるが、未確認の断片的な情報をより合わせると、新ハードでは人間を表現すると目に見えない毛穴まで描画することができて、世界観の表現は街とか国とかヌルいこと言わず、惑星一個分丸ごとデザインできるという。
誰がそこまで作るのか知らないが
少なくとも、日本のソフトメーカーはそれだけの能力を使いきれないだろう。ソニーを含めて。ソニーにそんな優秀なゲームが作れるとは思えない。どうにもよりアメリカ優位なゲーム機を自虐的に提供しているとしか思えないのだが。

それでも、ソニーが任天堂、マイクロソフトより一歩先んじるチャンスはあるかも知れない。それはゴーグル制作技術である。
私は以前から、据え置きタイプ、携帯タイプ、リモコンコントローラー、キネクトこの次に来るのはゴーグルタイプだと思っている。しかもそのゴーグル制作技術において、ソニーは他メーカーより先んじている……はずだ。
もちろんゴーグルは人間の視界全体を覆うものではなくてはならない。現在発売されているゴーグルはせいぜい200インチ相当、というくらいだが、まずこの概念から改めて、人間の視野120度全体をカバーできるようではならない。ジャイロ機能は絶対に搭載だ。外カメラも欲しい。プレイヤーが振り向いた方向に、画面も同時に動くようにすべきだ(下を見ると、自分の体が見えるわけである)。ディスプレイは高品質の有機ELで。立体3D視などがあると、より没入感が高まるだろう。
次のゲームハードではより精密な画像が描けるのだから、より没入感を高めるために視界全体を覆ってしまうゴーグルは必須だろう。ゲームの世界が意識(視界)の全体を覆うのだ。理想を言えば、コントローラー横に(メモリーカードのように)一つ一つゴーグルの差し込み口を設置すべきだ。
ゴーグルを付けて二人協力プレイなんてやったら盛り上がるだろう。後ろを振り向くと、仲間が自分の後についてきている。親プレイヤーは敵の居る場所を示し、ジェスチャーで「右へ行け」「いや、左に抜け道があるぞ、こっちから行く」といったやりとりをする。
もちろん現実のプレイヤーは隣に座っているのだが、ゲーム中の空間ではまったく違う、別の空間にいると意識しながらゲームは進行するのだ。
もしもネットを介した集団プレイとなると、より楽しみは増えるかも知れない。辺りを見回して、「自分の周囲に仲間は○○人いる……この人数ならば」とか考えたり、「ひょっとして孤立してしまったのか」と不安を感じたり、今までにないゲーム感覚が得られるはずだ。

もしゴーグルタイプのゲームが実現した場合、ソニーはまずエロを解禁すべきだろう。超高密度なグラフィック機能に、視界全体を覆うゴーグル、これにエロが加われば……。
これ以上コメントする必要はあるか? なにまだしっくり来ない?
ゴーグルを付けると、あなたの目の前に理想の女性(二次)が裸で現れ、あなた自身に絡みついてくるのだ。もうおわかりだろう?
そんなゲーム機が出たら1千万台どころではあるまい。


時代の流れかも知れないが、ゲームの話題をしてもユーザーはどこか白けた印象がある。ゲームが嫌いなわけではない。ゲームで遊びたいと思っている。でも、シリーズものばかりで飽きた。じゃあ、なにがやりたいんだ? それに答えられる人がいない。自分がどんなゲームを望んでいるのか、自分でわからないのだ。
より高密度な映像が出てくるゲームで楽しみたいのか? いやそうじゃない。だったら映画を見るよ。
ではそこから横に逸らした、任天堂のようなゲームで楽しみたいのか? いやそうじゃない。任天堂の発想はよく理解できない。
面白いゲームがやりたい、と彼らは言うが、それが実際どんなゲームを指すのか、誰も具体的な提示ができない。メーカーも、ユーザーが何を求めているか手探りで、とりあえず従来のものから直線的に性能を上げ、一方で、誰も提唱できないのならこちらからドンッと提唱してみせようと試みようとしている。
ゲームはどこかで目指すべき地図を見失ったのだ。かつてはシンプルだった。ただゲーム機の性能さえ上げれば良かった。しかしその競争は、プレイステーション2辺りで一度ピークに達してしまった。
ゲームはこのまま人々の話題から外されて、静かにフェードアウトしていくのか。大きくなりすぎて自滅するのだろうか。これからの生き残りは、今までの生き残りとはもうちょっと違う性質の、ハードの能力などとかそういう話ではなく、人々の印象にどう残っていくのか、そんな競争になっていくような、そんな気がする。
とりあえず私の期待はゴーグル+エロで。




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