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■2012/10/30 (Tue)
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携帯電話、スマートフォンを中心に広がる新しいメディア、ソーシャルゲームが勢いを付け、任天堂やソニーが力を入れていた旧来型のコンシューマーゲームが押されつつある。
……というニュースをメディアで見かけるようになったのは最近の話ではない。テレビでE3や東京ゲームショウの特集が組まれると、任天堂やソニー、マイクロソフトのゲームは申し訳程度、あとはがっつりとグリーなどのソーシャルゲームを紹介し、あたかもゲームメディアの全てがソーシャルゲームに注目しているかのような報道をする。ネットメディアを見ても、ソーシャルゲールが若者を中心に大流行! 旧来型ゲームはもう終わり! という記事はあちこちで見られる。
確かにソーシャルゲームの市場は異様な規模で膨れあがり、ユーザー数は上昇気流に乗ったかのように数字を増やし続けている。
しかし、旧来型のゲームがそこまで苦境であるという話はあまり聞かない。2012年は確かに任天堂が赤字を出し、新聞やテレビに大きく取り上げられた。任天堂は過去20年のゲーム事業の中で、一度も赤字を出した経験がなかったからだ。新聞はこの一面だけを捉え、ゲーム市場の後退、新ハードのニンテンドー3DSがぜんぜん売れていない、旧来型ゲームはもう終わりだ、という記事を次から次へと書き立てた。
が、実際にはニンテンドー3DSは売れに売れまくっている。空前のヒットと呼ばれた旧ニンテンドーDSを上回る速度で売り上げを伸ばし、もちろんソフトもミリオンタイトルが多く、その後も話題作が途切れることなく準備されている。
本当に売れずに苦境に立っているのはPSVitaだけである(←なぜか新聞やテレビでは綺麗にスルーされる)。
しかし、それでもメディアは――より大きなメディアほどソーシャルゲームこそが新しい市場と流行の覇者だ、と書き立てる。だから改めて問いたい。
本当にそうだろうか?
ソーシャルゲームが、コンシューマーの市場を圧迫し、ユーザーを横取りされている……。
任天堂も「それは本当なのか?」と疑問に思い、調査会社に依頼してデータを作った。それが右の図である。いずれも2010年の任天堂カンファレンスで公開された。
ここで任天堂ゲーム機で遊んでいる人と、ソーシャルゲームで遊んでいる人との人数規模が提示された。この段階でも、ソーシャルゲームよりも任天堂のゲームで遊んでいるユーザーの方が圧倒的に多い。
さらに、ニンテンドーDSのユーザーのうち、ソーシャルゲームでも遊んでいるユーザーの数を引き出すと、21%という数字が出てきた。全体の2割である。たったの2割程度で、しかもその2割は、現役のニンテンドーDSユーザーであった。
この結果を示した上で、岩田聡社長は「両方遊ばれる方はゲームがお好きなのだと思います」と発言した。これ以上ないくらい的確な言葉だと思う。
→任天堂カンファレンス Q&Aセッション 2010年
ゲーム雑誌を出版しているエンターブレインもやはり同じような調査を実施したようである。
私がたまたま見つけたのは『ファミ通Bootleg』というよくわからない名前の雑誌の、鈴木みその漫画の1コマである。
具体的な数字は公開されていないが(別の雑誌では公開されたかも知れない)、ソーシャルゲームのユーザーは今までのゲームユーザーと全く別、コンシューマーゲームにまったく興味を示さなかった人達だから、お互いの市場を侵食することなく棲み分けている、と台詞の中にある。
しかしソーシャルゲームのユーザーはすでに3000万人(大本営発表)。人数規模だけの話をすると、コンシューマーゲームを追い抜いているばかりか、3000万人という数字が日本だけだとすると日本人口の4分の1がすでにソーシャルゲームのユーザーということになる。まさに誰も彼もソーシャルゲームで遊んでいるはずなのである。
ここで疑問がわき起こる。自分たちの周囲で、自分を含めてソーシャルゲームで遊んでいる、という人をお目にかかったことがない。私もないし、私の知人も、その知り合いの中にもソーシャルゲームをやっているという人は1人もいない。ゲームと言えば任天堂やソニーといったコンシューマーゲームである。
この疑問に、ごく普通に一般人が、調査会社などではなく自分でできる方法で調査をした。下に貼り付けたリンクがその結果である。必見の記事だ。
→3000万人の会員数を誇るグリー利用者があまりにも回りにいないので調べた結果、本当に住む世界が違ったという話
2ちゃんねる/ツイッター/Facebookなどでアンケートを実施した結果、グリーをやっている人の割合は5%という数字が出た。
5%!
しかもアンケート実施中の1時間おきに集計を出しているが、すべての時間でブレなしに5%という数字が出ている。これはもう、2ちゃんねる/ツイッター/Facebookのユーザーの中でグリーユーザーは5%と結論づけても誰も文句言わないだろう。
ただ、一度アカウントを作ったことがある、というユーザーは結構いた。アカウントを作ったものの退会できず、そのまま放置、というユーザーだ。ゲームは好きだし、何やら新しいゲームができたみたいだから気軽な気分でアカウントを作ってみよう……と思ったら退会できない。退会できず、面倒だから放置、というユーザーがかなりの数でいるようだ。この退会できなかった“スリープユーザー”を含めると、グリーのユーザーはなかなかの数でいる、ということになる。この数字を含めて発表するのは、果たしてどうなのだろうか。
様々なサイトに出てきた【具体的な数字】を俯瞰して見ると、どうにもこうにも……ソーシャルゲームが大流行! というのはいささか怪しいような気がしてきた。「ユーザー数3000万人!」と聞かされると確かに凄いと思うが、その背景となる様々なデータ見ると、3000万という数字がいかにも怪しい大本営発表にしか見えなくなってくるし、どうやら実際怪しい数字らしい。
むしろ次から次へと溢れ出す“問題”のほうが大きいようである。
→子供のゲーム代に1ヶ月1000万円 請求書に親が仰天
「ゲーム中のお金はゲーム中だけのお金である」……記事では「子供は」という枕詞付きで説明しているが、実際は多くの人がこう思っているはずである。「子供」だけでなく「親」も、だ。
ソーシャルゲームは無料で遊べる、安心なゲームである。ゲーム中で支払い請求されるお金は、ゲーム中で作られる仮想のものだ……。まさかそれが現実のお金だとは思わなかったのだろう。
もし任天堂やソニーのゲームで遊んだ経験のある子供なら、ゲーム中のお金が現実のものだとまず思わないだろう。ゲーム中のお金もまた仮想のものである、というのが過去のゲームでは当たり前だった。
親が認識不足なのは、ただただ知らなかったのだろう。テレビCMで「無料! 無料!」と連呼するのを見て、「ああ無料なら安心だわ。任天堂のゲームみたいにお金取られないのね」というふうに思ったのだろう。
実際には、ソーシャルゲームはありとあらゆる場面でお金が請求される。今以上にゲームを進みたければ、今以上にキャラクターを強くしたければ、お金を払い、お金を払い続けて維持しなければゲームを快適に進めない。ユーザー側にそういったメッセージを送り続けているのがソーシャルゲームの特徴であり、ビジネスモデルなのだ。任天堂やソニーのゲームよりも、よほどお金を消費するのがソーシャルゲームだ。
この認識が子供だけではなく、大人や親の中になかったのだろう。こういったトラブルはすでに数年前から続いているのにとどまる気配はない。本来マスコミが啓発すべきなのは、ソーシャルゲームのこういった危険な側面であり、トラブルが起きないようより認識を高めていくべきなのだったのだ。しかしそういった反省の声は今のところまったく聞こえてこない。
それでも、ソーシャルゲームは確かに多くのユーザーを獲得した。3000万人という数字は怪しいにしても、相応の市場を作っているのは確かである。
しかし、ソーシャルゲームの隆盛に怒りの声をあげる一つの業界があった。パチンコ業界である。
→痛いニュース パチンコ業界「モバゲーGREEは社会悪、全力でぶっ潰す」
ソーシャルゲームが挑戦しているのは旧来のゲーム業界である。マスコミの主張を信じると、ソーシャルゲームはコンシューマーゲームの市場を圧迫し、ユーザーがどんどんソーシャルゲームの方に流れている、筈である。
なのになぜパチンコ業界が怒り狂うのか?
実際の数字付きデータを示したサイトを見つけることはできなかったが、どうやらソーシャルゲームが市場を圧迫し、ユーザーを横取りしてしまっているのはパチンコ業界だったようだ。ソーシャルゲームのユーザーがどの程度パチンコのユーザーと接点を持っているかは、データがないので不明である。ここまでに取り上げたデータで、ソーシャルゲームのユーザーとコンシューマゲームのユーザーとは、ゲームの好みばかりではなく、生活圏においてもまったく接点がない、と証明されている。すると、ソーシャルゲームのユーザーが潜在的に好むタイプのゲームとはいったい何か?
それは想像することしかできないが、とりあえずパチンコ業界が怒りの声を上げるほどに影響はあるようだ。「それはオレ達が取るべきカネだ!」と。
とこんな記事が出てからわずか一ヶ月後、ソーシャルゲーム最大の稼ぎ頭(?)であった「コンプリートガチャ」が法的に禁止される。
→消費者庁がソーシャルゲーム『グリー』や『モバゲー』のコンプガチャ景品表示法で禁止と判断。中止要請へ
「パチンコ業界が怒り」という記事が出てから一ヶ月でこの動き。背景でどんなやりとりがあったかなど、私には知りようがない。もしかすると何もなかったかも知れないし、いや本当は何かあったかもしれないし。とにかく、「コンプリートガチャ」に規制が掛けられた。
と同時に、グリー、モバゲー、その他ソーシャルゲームを供給していたゲーム会社の株価が、ナイアガラかイグアスの滝のごとく奈落へと落ちた。「コンプリートガチャ」規制の影響は非常に大きかったようである。
ここまでの話でソーシャルゲームの性質、傾向がだいぶ見えてきただろう。まとめて箇条書きにすると、下のようになる。
①ソーシャルゲームはコンシューマーゲームの市場にほとんど影響を与えていない。
②ソーシャルゲームとコンシューマーゲームとは、ユーザーの人種がまったく違う。
③ソーシャルゲームは多額のお金を請求されるなどのトラブルが起きている。
④ソーシャルゲームの拡大で、パチンコ業界の市場に影響を与えている。
ちょっと付け足すとしよう。
ソーシャルゲームのもう一つの特徴、テレビCMである。
テレビ以外のメディアでソーシャルゲームの宣伝はあまり見かけないが、テレビではしつこいくらいに、うんざりするほど繰り返し繰り返しコマーシャルが放送される。どこにチャンネルを合わせても、ソーシャルゲームのCMが追いかけてくるといった具合だ。実際に今テレビの広告収入の第3位がグリーとなっているようだ。グリーやモバゲーは非常に大きなお金を掛けて、テレビでCMを連打している。
なぜテレビCMなのか? ゲームの宣伝ならゲーム雑誌など、ゲームユーザーが一番いるところにお金を掛けるべきだろう。しかしグリーとモバゲーが力を入れているのはテレビである。
一つだけ推測しよう。
「ソーシャルゲームのユーザーはテレビが好きなユーザーである」
なぜテレビでCMを打つのか、その理由を考えるとこうなる。
最近はテレビの視聴率は落ちた。私は“テレビのユーザーが減少している”と考えている。テレビを見ているのは、“テレビ特有のコンテンツ”を求める人達であって、それ以外の人達が切り捨てられたのだ。ゲームや映画、アニメ……わざわざテレビという一方的に供給されているメディアを選ばなくてもよくなった(テレビは自分たちを見限ったユーザーを取り戻すつもりはまったくないようである。むしろ彼らをあたかも犯罪者のように仕立てて糾弾する報道番組を次々と作り、自らの手で断絶を深いものにしている。テレビの制作者は、ひょっとして突き抜けたアホではないだろうか)。
しかしそれでもテレビのみのコンテンツを求めるユーザーというのはやはりいる。その【テレビのコンテンツを好むユーザーと、ソーシャルゲームのユーザーが一致】している。
だから「ソーシャルゲームのユーザーはテレビが好きなユーザーである」と推測できる。
またソーシャルゲームとコンシューマーゲームはゲーム性においてもまったく違う。
今ソーシャルゲームの主流はカード収集型のゲームである。どのゲームを見ても、だいたい同じような内容である。門外漢が見ても、あのゲームとこのゲームどう違うの? というぐらい似通っている。
これはソーシャルゲームが一つのゲームが流行ったらみんな真似をする傾向があるからであり、しかもグリーやモバゲーが類似ソフトを作ることを積極的に奨励しているからである。
そのカードの入手方法だが、全てのケースでユーザーの財力に関わってくる。ひたすら金を注ぎ込んでいれば、いつか目的のカードが出てくるかも知れない。もっとも、その確率は常に作り手側が操作し、プレイヤー側がストレスを感じていると思ったら緩く設定し、お金が出ていると感じたら締め付けを厳しくする。
ソーシャルゲームは言ってしまえば“お金が全て”なのである。
コンシューマゲームはプレイヤー本人の知恵と努力がどこまでも試されるゲームである。作り手が設計したパズルを解き、アクションをこなし、時にレベル上げアイテム収集、貯金などの忍耐力が試される。ただし電気代以外にお金は一切かからない。知恵と努力のせめぎ合い、“苦労”してその先にある“達成”を得るのがコンシューマーの特徴だ。
一方ソーシャルゲームは“苦労”はしない。お金さえあれば、いつでも常に最強でいられるのだ。コンシューマーから“苦労”を取り除いたものがソーシャルゲームと言うべきだろう。(現実世界と違い、自分より強い人間が常に周りにいるので、ソーシャルゲームのユーザーは勝つためによりお金を注ぎ込み続けねばならない)
ついでに、ソーシャルゲームには様々なカードゲームが登場し、様々な絵師が参加しているのだが、一部のゲームでは公式サイトで絵だけなら全て閲覧できるようである。ではあのカードにいったい何の価値があるのだろう? 実力のある絵描きが参加する理由は? ソーシャルゲームのユーザーはあのたまにしかお目にかかることができない美麗なカード……いやそこに描かれている絵を求めているわけである。しかしそれは公式サイトで手に入るのなら、彼らはいったい何を求めてゲームをやっているのだろう?
いっそ、お金を消費する行為自体が楽しい、と言ってくれた方が私にとって明快なのだが。
とりあえず、2つの特徴を書き足そう。
⑤ソーシャルゲームのユーザーはテレビが好きなユーザーである
⑥ソーシャルゲームとコンシューマゲームとではゲームの方向性がまったく違う。
さて。
ソーシャルゲームはコンシューマゲームとまったく違う性質を持っていて、好むユーザーも全く違うし、市場にも全く接点がない。ソーシャルゲームの市場拡大で怒るのはパチンコ業界でだった。ソーシャルゲームはお金を消費し続けないとゲームを進行することもそれ以前に状態を維持することもできない。莫大な支払いを請求されるトラブルが続発している。
以上がソーシャルゲームの特徴である。コンシューマーゲームとはまるで本質が違う。むしろ賭博性が強く依存度の高いパチンコに近いと言えるかもしれない。
ではここまで見えてきた特徴をまとめて、ソーシャルゲームのある本質を大きな文字で書いてみよう。
ソーシャルゲームのライバルはコンシューマーゲームではなく、パチンコであった。
ソーシャルゲームが近いのはパチンコである。しかもそれは年齢問わず誰でも接することができる。そういうものを世の母親達は積極的に子供にソーシャルゲームを与えている。
正直なところ、あまり健全な状態とは思えない。
「コンシューマーゲームだって色んなトラブル抱えてきたじゃないか。ゲームソフト欲しさに恐喝が起きたり、そうそう少年犯罪が増えたのは任天堂のゲームのせいだ!」
こう反論する人はいるだろう。確かに人気ゲームソフトを巡って恐喝事件は起きたが、それは今となっては昔々の話だし、その実例は2件くらいだったかな? しかもそれはゲーム自体で起きた事件ではない。その周辺の社会状況で起きた事件だ。
またゲームによって少年犯罪が増えた、というデータはない。むしろ少年犯罪はファミコン登場以来激減している(これは警察発表のデータから明らかになっている)。「凶悪化した」という話を証明する事件も起きていない。もしも関連があるとしたら、少年犯罪減少に大きな貢献をしているということになる。これを認める人はいないが。
ゲーム自体で何千件といった問題を引き起こしているのは、ソーシャルゲームの方である。冷静な判断ができるならば、親は子供に任天堂やソニーのゲームを買い与えるべきなのである。
それにしても奇妙である。
ソーシャルゲームは薄っぺらいし、普通に新聞を読んでいたらソーシャルゲームにまつわる問題やリスクについても知る機会はあるはずだ。しかしソーシャルゲームのユーザーは積極的に任天堂やソニーを避けて、ソーシャルゲームを求めているのである。新聞知識はなくても、ソーシャルゲームとコンシューマーゲーム、二つのゲームを遊び比べてみれば、性質の違いはたちどころにわかるはずである。
なぜだろう?
理由を考えると、①コンシューマゲームに対する偏見、②教養のなさが同時に考えられる。
①のコンシューマゲームに対する偏見。今、親世代と呼ばれる人達はファミコン直撃世代である。ゲームのことは今の子供達よりよほどよく知っている。私は自分の体験記と照らし合わせて、セガマークⅢからゲームの歴史について語ることができる。
しかし私の同世代の人達はみんな同じようにゲームに夢中だったわけではない。ここには私のような“表の世界”(実際の世界)を体験した人と同時に、コインを裏返したかのような“裏の世界”(ヴァーチャルの世界)でしかゲームと接しなかった一群がいる。それは旧世代やマスコミが喧伝した「ゲームを有害なものと信じている人達」の世界である。
私のような人間は、ゲームというのを直に触れて、それがどういうものなのか体験を通じて深く知ることができた。一方で現実のものに触れず、そのすぐ後ろで見ていたはずなのに、それが何なのか知る切っ掛けがなかった人達がかなりいる。そういう人達は旧世代やマスコミが空想の中で作り出した「ゲームに対するあらゆる危険性」あるいは「ゲームと接することで将来に対して有害な結果をもたらす」という歪んだ情報を洪水のように浴びて、ついに“テレビと現実”の区別ができなくなった。そういう屈折した人達は、ファミコンに夢中になる同世代の背中を見て、冷ややかな目線を送ると同時に、「ゲームに飲まれていない自分」という優越に酔いながら子供時代を過ごしてきた。
そういう人達が大人になり、親になり、やがてゲームに興味を持つ子供と接するようになった。その時彼らはこう考えた。
「任天堂のゲームは危険だ。お金ばかりかかるし、成績が落ちて不良になるかもしれない」
昔、ゲームセンターはなぜか不良の溜まり場と言われていた。不思議な話である。(ヤンキーはゲームなんてやらない)
そんな時、若い親世代の前に現れたのがソーシャルゲームである。ソーシャルゲームはまず「無料」でゲームを始められる。リビングの一角を占領することもない(ゲーム機は配線がごちゃごちゃに絡まって見た目にも美しくない)。テレビの視聴を阻害されることもない。テレビでは親しみのある有名な芸能人がしきりに勧めているものだからきっといいものに違いない。……多分そう考えたのではないだろうか。
この偏見は、知識のなさに繋がる。
ソーシャルゲームはもの凄くお金がかかるのである。それこそ、1本のソーシャルゲームでゲームハード1台分+ソフト数本分を軽くこえるくらいお金がかかる。
ソーシャルゲームはキャラクターを強くするにも、ゲームを進めるにもありとあらゆる進行にお金が必要になるのである。最近では、およそゲームの進行とは無関係なカード収集に際限なくお金が吸い取られていく。お金がかからないわけがない。月の支払いが数百万とかそういう金額が当たり前になってしまう。
コンシューマゲームは不安。でもソーシャルゲームなら安心。そういう間違った考え方が、そもそも根底にあるから、こういうトラブルが起きる。
②は教養のなさだ。“教養”は“知識”と違う。知識は最近はグーグルで検索すれば簡単に手に入る。教養とは様々な経験を通じて手に入るもので、ものの良し悪しや美や醜を見分ける感性、あるいはそれらを具体的に語るための言語能力のことである。この“教養”のなさが、ソーシャルゲームの罠にかかりやすい原因だろう。
ソーシャルゲームは薄っぺらい。実際のプレイ動画を見たが、しょぼいどころではないグラフィックとサウンド、リズム感のない展開(ファミコン時代のゲームだって大した映像じゃなかったじゃないか、と反論されそうだが違う。ファミコンの時代でも良いゲームというのは快適にゲームを進めるために、あるいはゲーム中の物語に引き込むために、デザイナーによるありとあらゆる調整が加えられていた。ソーシャルゲームにはそれがなく、ただ静止した画像が工夫もなくそこに現れるだけだ。それがソーシャルゲームが初期ファミコンにも及ばない理由だ)。それに、これといって具体的なストーリーがあるわけでもないらしい。そもそも「あまりゲームをやらない人」に向けて作られているから、そこで展開していくドラマというものがないらしく、もちろんレベル上げという過程を経て強くなっていくという体験もない。すべて現実のお金で解決、進行していく、というわけだ。もしも「物語」なるものがあったとしても、ソーシャルゲームのユーザーはそれを理解して感情移入するだけの感受性を持たない。
総合して言うと、ゲームとしての底が浅いのである。しかしソーシャルゲームを手に取ってしまう人達というのはそれを見分けるだけの教養が欠落している。だから課金地獄というソーシャルゲームの罠に飲み込まれていくのだ。
「どんなものだろう?」と興味半分に覗いてみるのもいいだろう。しかしまともに“教養”ある者ならば、すぐにでもソーシャルゲームの底の浅さに気付いて手を引くだろう(実際ここで手を引いた人はかなりいるようだが、退会できず放置、らしい)。手を引くことができなかったのはやはり“教養”のなさである。
もしもソーシャルゲームをコンシューマゲーム並の手間暇を掛けて制作したら? おそらくソーシャルゲームのユーザーは頭が追いつけなくてゲームを進めることができないだろう。躓くたびにお金を払って進行する、その方がソーシャルゲームのユーザーにとってわかりやすい。ソーシャルゲームのユーザは、苦労をかけてゲームを進行させる、というストレスに耐えることはできないだろう。それだけ“教養”が欠落しているからだ。また「物語」を読み解くほどの感受性……いや台詞を読み通すだけの理解力と忍耐力に欠ける。
後付けだが、ソーシャルゲームの特徴を一つ付け足そう。
⑦もしもコンシューマーゲーム並の複雑さを持ったソーシャルゲームが登場しても、ソーシャルゲームのユーザーは理解することができない。
最後にもう1つ。
マスコミがソーシャルゲームを応援する理由は何だろうか。理由は簡単。多額の広告料を得ているからである。さらにマスコミは、自分たちが宣伝するものは世界のあらゆるところで流行していると思い込む習性があるらしい。
ゲーム以外の話をするが、2007年頃から、マスコミは異常なほど自民党を叩き、露骨な民主党支持を始めた。それがピークに達したのが2009年頃。時の総理麻生太郎の「言い間違いがあった」「漢字が読めない」「高級バーで酒を飲んでいる」「母の命日に墓参りに行った」などなど、もはや「子供のいじめ」のような報道を始めた。
何故だったのか。総務省が公開している政治資金収支報告書を見れば一目瞭然だった。民主党は博報堂(テレビと深い関係を持つ広告代理店)に多額のお金を送っていた。お金をもらっていたから支持していただけなのである。
民主党の問題点は政権を取る以前から明らかだった。明らかに実現不能なマニフェストの数々。さらにマニフェストに書かれていない、外国人移民を誘致する計画……。しかしこれの問題をテレビや新聞といったマスコミは全く報じず、民主党に対する好意的・肯定的ニュースを流し続けた。今でもその傾向はあまり変わらない。
マスコミは何かしらの偏った思想を持っているわけでも(かなり左寄りだが)、マスコミ自体を操る何かがいるわけではない。ただただどんちゃん囃子を歌い国民を右往左往させ、いつの間にか自分が自分のどんちゃん囃子で踊ってしまっている。自分たちが始めたキャンペーンなのに、すぐにそのことを忘れて、あたかも別の何かを問題の原点として持ってきてそれを叩き始める。そうすることに悪意も悪気も感じていない。シンプルな一言で済ませてしまうと……馬鹿なのである。
ニンテンドー3DSの詳細が発表された2010年のE3の時、一般マスコミは不満げな顔をしてこう吐き捨てた。
「何だ任天堂はソーシャルやらないのか。終わったな」(頑張って探しましたが、この発言のソース見つけられませんでした)
この時の発表は確かニコニコ生放送でも配信されたが、満足度90%越えの大評判だったと記憶している。
マスコミがソーシャルゲームを応援して、東京ゲームショーの話題になると任天堂やソニーを取り上げず、グリーやモバゲーばかり持ち上げるのは、相応のお金をもらっているからである。しかしマスコミはその事実を綺麗に忘れて、「今すべての世代で男女問わずソーシャルゲームに夢中! 素晴らしい!」と考えてしまうのである。
マスコミがそういう性質で動いている、とまず我々はきちんと了解すべきなのである。
最近でもこういう記事を見かけた。
→「ゲームショウ大入りでも、内部は崩壊秒読み状態! コンシューマーゲーム信仰と嫌儲思考がゲーム業界を滅ぼす!?」
大雑把に要約すると、「今ゲームの中心はソーシャルゲーム! なのにゲームの作り手はコンシューマを好んでコンシューマのゲームを作りたがる。これじゃゲーム業界が駄目になる!」といった内容である。
ここまでに書いてきたように、ソーシャルゲーム優勢の報道は幻想である。ソーシャルゲームとコンシューマーゲームとではユーザーの性質が全く違う。データで掲げた通りである。しかも底が浅く、ある意味お金を吸い上げるだけのシステムであるソーシャルゲーム。ある種の理想を持った若者だったら、コンシューマ一択は当然である。
10月26日。スペインで最も権威ある賞であるアストゥリアス皇太子賞で、宮本茂が受賞した。
→『スーパーマリオ』開発者らに受賞 スペイン皇太子賞
非常に名誉ある賞である。
しかしこのニュースが最初に報告されたのは、半年近く前の5月24日である。どの新聞も、どのニュース番組も、この輝かしき名誉を報道することはなかった。なぜならそれがマスコミだからだ。
……というニュースをメディアで見かけるようになったのは最近の話ではない。テレビでE3や東京ゲームショウの特集が組まれると、任天堂やソニー、マイクロソフトのゲームは申し訳程度、あとはがっつりとグリーなどのソーシャルゲームを紹介し、あたかもゲームメディアの全てがソーシャルゲームに注目しているかのような報道をする。ネットメディアを見ても、ソーシャルゲールが若者を中心に大流行! 旧来型ゲームはもう終わり! という記事はあちこちで見られる。
確かにソーシャルゲームの市場は異様な規模で膨れあがり、ユーザー数は上昇気流に乗ったかのように数字を増やし続けている。
しかし、旧来型のゲームがそこまで苦境であるという話はあまり聞かない。2012年は確かに任天堂が赤字を出し、新聞やテレビに大きく取り上げられた。任天堂は過去20年のゲーム事業の中で、一度も赤字を出した経験がなかったからだ。新聞はこの一面だけを捉え、ゲーム市場の後退、新ハードのニンテンドー3DSがぜんぜん売れていない、旧来型ゲームはもう終わりだ、という記事を次から次へと書き立てた。
が、実際にはニンテンドー3DSは売れに売れまくっている。空前のヒットと呼ばれた旧ニンテンドーDSを上回る速度で売り上げを伸ばし、もちろんソフトもミリオンタイトルが多く、その後も話題作が途切れることなく準備されている。
本当に売れずに苦境に立っているのはPSVitaだけである(←なぜか新聞やテレビでは綺麗にスルーされる)。
しかし、それでもメディアは――より大きなメディアほどソーシャルゲームこそが新しい市場と流行の覇者だ、と書き立てる。だから改めて問いたい。
本当にそうだろうか?
ソーシャルゲームが、コンシューマーの市場を圧迫し、ユーザーを横取りされている……。
任天堂も「それは本当なのか?」と疑問に思い、調査会社に依頼してデータを作った。それが右の図である。いずれも2010年の任天堂カンファレンスで公開された。
ここで任天堂ゲーム機で遊んでいる人と、ソーシャルゲームで遊んでいる人との人数規模が提示された。この段階でも、ソーシャルゲームよりも任天堂のゲームで遊んでいるユーザーの方が圧倒的に多い。
さらに、ニンテンドーDSのユーザーのうち、ソーシャルゲームでも遊んでいるユーザーの数を引き出すと、21%という数字が出てきた。全体の2割である。たったの2割程度で、しかもその2割は、現役のニンテンドーDSユーザーであった。
この結果を示した上で、岩田聡社長は「両方遊ばれる方はゲームがお好きなのだと思います」と発言した。これ以上ないくらい的確な言葉だと思う。
→任天堂カンファレンス Q&Aセッション 2010年
ゲーム雑誌を出版しているエンターブレインもやはり同じような調査を実施したようである。
私がたまたま見つけたのは『ファミ通Bootleg』というよくわからない名前の雑誌の、鈴木みその漫画の1コマである。
具体的な数字は公開されていないが(別の雑誌では公開されたかも知れない)、ソーシャルゲームのユーザーは今までのゲームユーザーと全く別、コンシューマーゲームにまったく興味を示さなかった人達だから、お互いの市場を侵食することなく棲み分けている、と台詞の中にある。
しかしソーシャルゲームのユーザーはすでに3000万人(大本営発表)。人数規模だけの話をすると、コンシューマーゲームを追い抜いているばかりか、3000万人という数字が日本だけだとすると日本人口の4分の1がすでにソーシャルゲームのユーザーということになる。まさに誰も彼もソーシャルゲームで遊んでいるはずなのである。
ここで疑問がわき起こる。自分たちの周囲で、自分を含めてソーシャルゲームで遊んでいる、という人をお目にかかったことがない。私もないし、私の知人も、その知り合いの中にもソーシャルゲームをやっているという人は1人もいない。ゲームと言えば任天堂やソニーといったコンシューマーゲームである。
この疑問に、ごく普通に一般人が、調査会社などではなく自分でできる方法で調査をした。下に貼り付けたリンクがその結果である。必見の記事だ。
→3000万人の会員数を誇るグリー利用者があまりにも回りにいないので調べた結果、本当に住む世界が違ったという話
2ちゃんねる/ツイッター/Facebookなどでアンケートを実施した結果、グリーをやっている人の割合は5%という数字が出た。
5%!
しかもアンケート実施中の1時間おきに集計を出しているが、すべての時間でブレなしに5%という数字が出ている。これはもう、2ちゃんねる/ツイッター/Facebookのユーザーの中でグリーユーザーは5%と結論づけても誰も文句言わないだろう。
ただ、一度アカウントを作ったことがある、というユーザーは結構いた。アカウントを作ったものの退会できず、そのまま放置、というユーザーだ。ゲームは好きだし、何やら新しいゲームができたみたいだから気軽な気分でアカウントを作ってみよう……と思ったら退会できない。退会できず、面倒だから放置、というユーザーがかなりの数でいるようだ。この退会できなかった“スリープユーザー”を含めると、グリーのユーザーはなかなかの数でいる、ということになる。この数字を含めて発表するのは、果たしてどうなのだろうか。
様々なサイトに出てきた【具体的な数字】を俯瞰して見ると、どうにもこうにも……ソーシャルゲームが大流行! というのはいささか怪しいような気がしてきた。「ユーザー数3000万人!」と聞かされると確かに凄いと思うが、その背景となる様々なデータ見ると、3000万という数字がいかにも怪しい大本営発表にしか見えなくなってくるし、どうやら実際怪しい数字らしい。
むしろ次から次へと溢れ出す“問題”のほうが大きいようである。
→子供のゲーム代に1ヶ月1000万円 請求書に親が仰天
「ゲーム中のお金はゲーム中だけのお金である」……記事では「子供は」という枕詞付きで説明しているが、実際は多くの人がこう思っているはずである。「子供」だけでなく「親」も、だ。
ソーシャルゲームは無料で遊べる、安心なゲームである。ゲーム中で支払い請求されるお金は、ゲーム中で作られる仮想のものだ……。まさかそれが現実のお金だとは思わなかったのだろう。
もし任天堂やソニーのゲームで遊んだ経験のある子供なら、ゲーム中のお金が現実のものだとまず思わないだろう。ゲーム中のお金もまた仮想のものである、というのが過去のゲームでは当たり前だった。
親が認識不足なのは、ただただ知らなかったのだろう。テレビCMで「無料! 無料!」と連呼するのを見て、「ああ無料なら安心だわ。任天堂のゲームみたいにお金取られないのね」というふうに思ったのだろう。
実際には、ソーシャルゲームはありとあらゆる場面でお金が請求される。今以上にゲームを進みたければ、今以上にキャラクターを強くしたければ、お金を払い、お金を払い続けて維持しなければゲームを快適に進めない。ユーザー側にそういったメッセージを送り続けているのがソーシャルゲームの特徴であり、ビジネスモデルなのだ。任天堂やソニーのゲームよりも、よほどお金を消費するのがソーシャルゲームだ。
この認識が子供だけではなく、大人や親の中になかったのだろう。こういったトラブルはすでに数年前から続いているのにとどまる気配はない。本来マスコミが啓発すべきなのは、ソーシャルゲームのこういった危険な側面であり、トラブルが起きないようより認識を高めていくべきなのだったのだ。しかしそういった反省の声は今のところまったく聞こえてこない。
それでも、ソーシャルゲームは確かに多くのユーザーを獲得した。3000万人という数字は怪しいにしても、相応の市場を作っているのは確かである。
しかし、ソーシャルゲームの隆盛に怒りの声をあげる一つの業界があった。パチンコ業界である。
→痛いニュース パチンコ業界「モバゲーGREEは社会悪、全力でぶっ潰す」
ソーシャルゲームが挑戦しているのは旧来のゲーム業界である。マスコミの主張を信じると、ソーシャルゲームはコンシューマーゲームの市場を圧迫し、ユーザーがどんどんソーシャルゲームの方に流れている、筈である。
なのになぜパチンコ業界が怒り狂うのか?
実際の数字付きデータを示したサイトを見つけることはできなかったが、どうやらソーシャルゲームが市場を圧迫し、ユーザーを横取りしてしまっているのはパチンコ業界だったようだ。ソーシャルゲームのユーザーがどの程度パチンコのユーザーと接点を持っているかは、データがないので不明である。ここまでに取り上げたデータで、ソーシャルゲームのユーザーとコンシューマゲームのユーザーとは、ゲームの好みばかりではなく、生活圏においてもまったく接点がない、と証明されている。すると、ソーシャルゲームのユーザーが潜在的に好むタイプのゲームとはいったい何か?
それは想像することしかできないが、とりあえずパチンコ業界が怒りの声を上げるほどに影響はあるようだ。「それはオレ達が取るべきカネだ!」と。
とこんな記事が出てからわずか一ヶ月後、ソーシャルゲーム最大の稼ぎ頭(?)であった「コンプリートガチャ」が法的に禁止される。
→消費者庁がソーシャルゲーム『グリー』や『モバゲー』のコンプガチャ景品表示法で禁止と判断。中止要請へ
「パチンコ業界が怒り」という記事が出てから一ヶ月でこの動き。背景でどんなやりとりがあったかなど、私には知りようがない。もしかすると何もなかったかも知れないし、いや本当は何かあったかもしれないし。とにかく、「コンプリートガチャ」に規制が掛けられた。
と同時に、グリー、モバゲー、その他ソーシャルゲームを供給していたゲーム会社の株価が、ナイアガラかイグアスの滝のごとく奈落へと落ちた。「コンプリートガチャ」規制の影響は非常に大きかったようである。
ここまでの話でソーシャルゲームの性質、傾向がだいぶ見えてきただろう。まとめて箇条書きにすると、下のようになる。
①ソーシャルゲームはコンシューマーゲームの市場にほとんど影響を与えていない。
②ソーシャルゲームとコンシューマーゲームとは、ユーザーの人種がまったく違う。
③ソーシャルゲームは多額のお金を請求されるなどのトラブルが起きている。
④ソーシャルゲームの拡大で、パチンコ業界の市場に影響を与えている。
ちょっと付け足すとしよう。
ソーシャルゲームのもう一つの特徴、テレビCMである。
テレビ以外のメディアでソーシャルゲームの宣伝はあまり見かけないが、テレビではしつこいくらいに、うんざりするほど繰り返し繰り返しコマーシャルが放送される。どこにチャンネルを合わせても、ソーシャルゲームのCMが追いかけてくるといった具合だ。実際に今テレビの広告収入の第3位がグリーとなっているようだ。グリーやモバゲーは非常に大きなお金を掛けて、テレビでCMを連打している。
なぜテレビCMなのか? ゲームの宣伝ならゲーム雑誌など、ゲームユーザーが一番いるところにお金を掛けるべきだろう。しかしグリーとモバゲーが力を入れているのはテレビである。
一つだけ推測しよう。
「ソーシャルゲームのユーザーはテレビが好きなユーザーである」
なぜテレビでCMを打つのか、その理由を考えるとこうなる。
最近はテレビの視聴率は落ちた。私は“テレビのユーザーが減少している”と考えている。テレビを見ているのは、“テレビ特有のコンテンツ”を求める人達であって、それ以外の人達が切り捨てられたのだ。ゲームや映画、アニメ……わざわざテレビという一方的に供給されているメディアを選ばなくてもよくなった(テレビは自分たちを見限ったユーザーを取り戻すつもりはまったくないようである。むしろ彼らをあたかも犯罪者のように仕立てて糾弾する報道番組を次々と作り、自らの手で断絶を深いものにしている。テレビの制作者は、ひょっとして突き抜けたアホではないだろうか)。
しかしそれでもテレビのみのコンテンツを求めるユーザーというのはやはりいる。その【テレビのコンテンツを好むユーザーと、ソーシャルゲームのユーザーが一致】している。
だから「ソーシャルゲームのユーザーはテレビが好きなユーザーである」と推測できる。
またソーシャルゲームとコンシューマーゲームはゲーム性においてもまったく違う。
今ソーシャルゲームの主流はカード収集型のゲームである。どのゲームを見ても、だいたい同じような内容である。門外漢が見ても、あのゲームとこのゲームどう違うの? というぐらい似通っている。
これはソーシャルゲームが一つのゲームが流行ったらみんな真似をする傾向があるからであり、しかもグリーやモバゲーが類似ソフトを作ることを積極的に奨励しているからである。
そのカードの入手方法だが、全てのケースでユーザーの財力に関わってくる。ひたすら金を注ぎ込んでいれば、いつか目的のカードが出てくるかも知れない。もっとも、その確率は常に作り手側が操作し、プレイヤー側がストレスを感じていると思ったら緩く設定し、お金が出ていると感じたら締め付けを厳しくする。
ソーシャルゲームは言ってしまえば“お金が全て”なのである。
コンシューマゲームはプレイヤー本人の知恵と努力がどこまでも試されるゲームである。作り手が設計したパズルを解き、アクションをこなし、時にレベル上げアイテム収集、貯金などの忍耐力が試される。ただし電気代以外にお金は一切かからない。知恵と努力のせめぎ合い、“苦労”してその先にある“達成”を得るのがコンシューマーの特徴だ。
一方ソーシャルゲームは“苦労”はしない。お金さえあれば、いつでも常に最強でいられるのだ。コンシューマーから“苦労”を取り除いたものがソーシャルゲームと言うべきだろう。(現実世界と違い、自分より強い人間が常に周りにいるので、ソーシャルゲームのユーザーは勝つためによりお金を注ぎ込み続けねばならない)
ついでに、ソーシャルゲームには様々なカードゲームが登場し、様々な絵師が参加しているのだが、一部のゲームでは公式サイトで絵だけなら全て閲覧できるようである。ではあのカードにいったい何の価値があるのだろう? 実力のある絵描きが参加する理由は? ソーシャルゲームのユーザーはあのたまにしかお目にかかることができない美麗なカード……いやそこに描かれている絵を求めているわけである。しかしそれは公式サイトで手に入るのなら、彼らはいったい何を求めてゲームをやっているのだろう?
いっそ、お金を消費する行為自体が楽しい、と言ってくれた方が私にとって明快なのだが。
とりあえず、2つの特徴を書き足そう。
⑤ソーシャルゲームのユーザーはテレビが好きなユーザーである
⑥ソーシャルゲームとコンシューマゲームとではゲームの方向性がまったく違う。
さて。
ソーシャルゲームはコンシューマゲームとまったく違う性質を持っていて、好むユーザーも全く違うし、市場にも全く接点がない。ソーシャルゲームの市場拡大で怒るのはパチンコ業界でだった。ソーシャルゲームはお金を消費し続けないとゲームを進行することもそれ以前に状態を維持することもできない。莫大な支払いを請求されるトラブルが続発している。
以上がソーシャルゲームの特徴である。コンシューマーゲームとはまるで本質が違う。むしろ賭博性が強く依存度の高いパチンコに近いと言えるかもしれない。
ではここまで見えてきた特徴をまとめて、ソーシャルゲームのある本質を大きな文字で書いてみよう。
ソーシャルゲームのライバルはコンシューマーゲームではなく、パチンコであった。
ソーシャルゲームが近いのはパチンコである。しかもそれは年齢問わず誰でも接することができる。そういうものを世の母親達は積極的に子供にソーシャルゲームを与えている。
正直なところ、あまり健全な状態とは思えない。
「コンシューマーゲームだって色んなトラブル抱えてきたじゃないか。ゲームソフト欲しさに恐喝が起きたり、そうそう少年犯罪が増えたのは任天堂のゲームのせいだ!」
こう反論する人はいるだろう。確かに人気ゲームソフトを巡って恐喝事件は起きたが、それは今となっては昔々の話だし、その実例は2件くらいだったかな? しかもそれはゲーム自体で起きた事件ではない。その周辺の社会状況で起きた事件だ。
またゲームによって少年犯罪が増えた、というデータはない。むしろ少年犯罪はファミコン登場以来激減している(これは警察発表のデータから明らかになっている)。「凶悪化した」という話を証明する事件も起きていない。もしも関連があるとしたら、少年犯罪減少に大きな貢献をしているということになる。これを認める人はいないが。
ゲーム自体で何千件といった問題を引き起こしているのは、ソーシャルゲームの方である。冷静な判断ができるならば、親は子供に任天堂やソニーのゲームを買い与えるべきなのである。
それにしても奇妙である。
ソーシャルゲームは薄っぺらいし、普通に新聞を読んでいたらソーシャルゲームにまつわる問題やリスクについても知る機会はあるはずだ。しかしソーシャルゲームのユーザーは積極的に任天堂やソニーを避けて、ソーシャルゲームを求めているのである。新聞知識はなくても、ソーシャルゲームとコンシューマーゲーム、二つのゲームを遊び比べてみれば、性質の違いはたちどころにわかるはずである。
なぜだろう?
理由を考えると、①コンシューマゲームに対する偏見、②教養のなさが同時に考えられる。
①のコンシューマゲームに対する偏見。今、親世代と呼ばれる人達はファミコン直撃世代である。ゲームのことは今の子供達よりよほどよく知っている。私は自分の体験記と照らし合わせて、セガマークⅢからゲームの歴史について語ることができる。
しかし私の同世代の人達はみんな同じようにゲームに夢中だったわけではない。ここには私のような“表の世界”(実際の世界)を体験した人と同時に、コインを裏返したかのような“裏の世界”(ヴァーチャルの世界)でしかゲームと接しなかった一群がいる。それは旧世代やマスコミが喧伝した「ゲームを有害なものと信じている人達」の世界である。
私のような人間は、ゲームというのを直に触れて、それがどういうものなのか体験を通じて深く知ることができた。一方で現実のものに触れず、そのすぐ後ろで見ていたはずなのに、それが何なのか知る切っ掛けがなかった人達がかなりいる。そういう人達は旧世代やマスコミが空想の中で作り出した「ゲームに対するあらゆる危険性」あるいは「ゲームと接することで将来に対して有害な結果をもたらす」という歪んだ情報を洪水のように浴びて、ついに“テレビと現実”の区別ができなくなった。そういう屈折した人達は、ファミコンに夢中になる同世代の背中を見て、冷ややかな目線を送ると同時に、「ゲームに飲まれていない自分」という優越に酔いながら子供時代を過ごしてきた。
そういう人達が大人になり、親になり、やがてゲームに興味を持つ子供と接するようになった。その時彼らはこう考えた。
「任天堂のゲームは危険だ。お金ばかりかかるし、成績が落ちて不良になるかもしれない」
昔、ゲームセンターはなぜか不良の溜まり場と言われていた。不思議な話である。(ヤンキーはゲームなんてやらない)
そんな時、若い親世代の前に現れたのがソーシャルゲームである。ソーシャルゲームはまず「無料」でゲームを始められる。リビングの一角を占領することもない(ゲーム機は配線がごちゃごちゃに絡まって見た目にも美しくない)。テレビの視聴を阻害されることもない。テレビでは親しみのある有名な芸能人がしきりに勧めているものだからきっといいものに違いない。……多分そう考えたのではないだろうか。
この偏見は、知識のなさに繋がる。
ソーシャルゲームはもの凄くお金がかかるのである。それこそ、1本のソーシャルゲームでゲームハード1台分+ソフト数本分を軽くこえるくらいお金がかかる。
ソーシャルゲームはキャラクターを強くするにも、ゲームを進めるにもありとあらゆる進行にお金が必要になるのである。最近では、およそゲームの進行とは無関係なカード収集に際限なくお金が吸い取られていく。お金がかからないわけがない。月の支払いが数百万とかそういう金額が当たり前になってしまう。
コンシューマゲームは不安。でもソーシャルゲームなら安心。そういう間違った考え方が、そもそも根底にあるから、こういうトラブルが起きる。
②は教養のなさだ。“教養”は“知識”と違う。知識は最近はグーグルで検索すれば簡単に手に入る。教養とは様々な経験を通じて手に入るもので、ものの良し悪しや美や醜を見分ける感性、あるいはそれらを具体的に語るための言語能力のことである。この“教養”のなさが、ソーシャルゲームの罠にかかりやすい原因だろう。
ソーシャルゲームは薄っぺらい。実際のプレイ動画を見たが、しょぼいどころではないグラフィックとサウンド、リズム感のない展開(ファミコン時代のゲームだって大した映像じゃなかったじゃないか、と反論されそうだが違う。ファミコンの時代でも良いゲームというのは快適にゲームを進めるために、あるいはゲーム中の物語に引き込むために、デザイナーによるありとあらゆる調整が加えられていた。ソーシャルゲームにはそれがなく、ただ静止した画像が工夫もなくそこに現れるだけだ。それがソーシャルゲームが初期ファミコンにも及ばない理由だ)。それに、これといって具体的なストーリーがあるわけでもないらしい。そもそも「あまりゲームをやらない人」に向けて作られているから、そこで展開していくドラマというものがないらしく、もちろんレベル上げという過程を経て強くなっていくという体験もない。すべて現実のお金で解決、進行していく、というわけだ。もしも「物語」なるものがあったとしても、ソーシャルゲームのユーザーはそれを理解して感情移入するだけの感受性を持たない。
総合して言うと、ゲームとしての底が浅いのである。しかしソーシャルゲームを手に取ってしまう人達というのはそれを見分けるだけの教養が欠落している。だから課金地獄というソーシャルゲームの罠に飲み込まれていくのだ。
「どんなものだろう?」と興味半分に覗いてみるのもいいだろう。しかしまともに“教養”ある者ならば、すぐにでもソーシャルゲームの底の浅さに気付いて手を引くだろう(実際ここで手を引いた人はかなりいるようだが、退会できず放置、らしい)。手を引くことができなかったのはやはり“教養”のなさである。
もしもソーシャルゲームをコンシューマゲーム並の手間暇を掛けて制作したら? おそらくソーシャルゲームのユーザーは頭が追いつけなくてゲームを進めることができないだろう。躓くたびにお金を払って進行する、その方がソーシャルゲームのユーザーにとってわかりやすい。ソーシャルゲームのユーザは、苦労をかけてゲームを進行させる、というストレスに耐えることはできないだろう。それだけ“教養”が欠落しているからだ。また「物語」を読み解くほどの感受性……いや台詞を読み通すだけの理解力と忍耐力に欠ける。
後付けだが、ソーシャルゲームの特徴を一つ付け足そう。
⑦もしもコンシューマーゲーム並の複雑さを持ったソーシャルゲームが登場しても、ソーシャルゲームのユーザーは理解することができない。
最後にもう1つ。
マスコミがソーシャルゲームを応援する理由は何だろうか。理由は簡単。多額の広告料を得ているからである。さらにマスコミは、自分たちが宣伝するものは世界のあらゆるところで流行していると思い込む習性があるらしい。
ゲーム以外の話をするが、2007年頃から、マスコミは異常なほど自民党を叩き、露骨な民主党支持を始めた。それがピークに達したのが2009年頃。時の総理麻生太郎の「言い間違いがあった」「漢字が読めない」「高級バーで酒を飲んでいる」「母の命日に墓参りに行った」などなど、もはや「子供のいじめ」のような報道を始めた。
何故だったのか。総務省が公開している政治資金収支報告書を見れば一目瞭然だった。民主党は博報堂(テレビと深い関係を持つ広告代理店)に多額のお金を送っていた。お金をもらっていたから支持していただけなのである。
民主党の問題点は政権を取る以前から明らかだった。明らかに実現不能なマニフェストの数々。さらにマニフェストに書かれていない、外国人移民を誘致する計画……。しかしこれの問題をテレビや新聞といったマスコミは全く報じず、民主党に対する好意的・肯定的ニュースを流し続けた。今でもその傾向はあまり変わらない。
マスコミは何かしらの偏った思想を持っているわけでも(かなり左寄りだが)、マスコミ自体を操る何かがいるわけではない。ただただどんちゃん囃子を歌い国民を右往左往させ、いつの間にか自分が自分のどんちゃん囃子で踊ってしまっている。自分たちが始めたキャンペーンなのに、すぐにそのことを忘れて、あたかも別の何かを問題の原点として持ってきてそれを叩き始める。そうすることに悪意も悪気も感じていない。シンプルな一言で済ませてしまうと……馬鹿なのである。
ニンテンドー3DSの詳細が発表された2010年のE3の時、一般マスコミは不満げな顔をしてこう吐き捨てた。
「何だ任天堂はソーシャルやらないのか。終わったな」(頑張って探しましたが、この発言のソース見つけられませんでした)
この時の発表は確かニコニコ生放送でも配信されたが、満足度90%越えの大評判だったと記憶している。
マスコミがソーシャルゲームを応援して、東京ゲームショーの話題になると任天堂やソニーを取り上げず、グリーやモバゲーばかり持ち上げるのは、相応のお金をもらっているからである。しかしマスコミはその事実を綺麗に忘れて、「今すべての世代で男女問わずソーシャルゲームに夢中! 素晴らしい!」と考えてしまうのである。
マスコミがそういう性質で動いている、とまず我々はきちんと了解すべきなのである。
最近でもこういう記事を見かけた。
→「ゲームショウ大入りでも、内部は崩壊秒読み状態! コンシューマーゲーム信仰と嫌儲思考がゲーム業界を滅ぼす!?」
大雑把に要約すると、「今ゲームの中心はソーシャルゲーム! なのにゲームの作り手はコンシューマを好んでコンシューマのゲームを作りたがる。これじゃゲーム業界が駄目になる!」といった内容である。
ここまでに書いてきたように、ソーシャルゲーム優勢の報道は幻想である。ソーシャルゲームとコンシューマーゲームとではユーザーの性質が全く違う。データで掲げた通りである。しかも底が浅く、ある意味お金を吸い上げるだけのシステムであるソーシャルゲーム。ある種の理想を持った若者だったら、コンシューマ一択は当然である。
10月26日。スペインで最も権威ある賞であるアストゥリアス皇太子賞で、宮本茂が受賞した。
→『スーパーマリオ』開発者らに受賞 スペイン皇太子賞
非常に名誉ある賞である。
しかしこのニュースが最初に報告されたのは、半年近く前の5月24日である。どの新聞も、どのニュース番組も、この輝かしき名誉を報道することはなかった。なぜならそれがマスコミだからだ。
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