■ 最新記事
(08/15)
(08/14)
(08/13)
(08/12)
(08/11)
(08/10)
(08/09)
(08/08)
(08/07)
(08/06)
■ カテゴリー
お探し記事は【記事一覧 索引】が便利です。
■2013/01/15 (Tue)
シリーズアニメ■
花屋の《フローリスト・プリンセス》は今日も甘く穏やかな香りを店の外まで漂わせていた。
「や!」
私は店の入り口にぱっと顔を出す。
「あら」
店の人が、笑顔で振り返って手を上げた。
花屋の花瀬かおるさんはとても綺麗な人で、ふわふわした柔らかい金髪を首のところで留めて、くるくる巻いた房を肩の上に載せている。今日はピンクのエプロンをしていた。
「今日も寒いね~」
私はのんびりした気持ちで店の中へと入っていく。花屋の中は私とかおるさんだけだ。
「たまちゃん、学校今日までだっけ?」
穏やか声だけど、ちょっと太めなのは内緒だよ。
「そうだよ」
と側に置かれている花を振り向く。おやおやおや……。
「荷物置かせてね」
「どうぞ」
返事も待たずに私は店の奥に買い物袋を置き、元の花の前に戻ってくる。
「これ綺麗だね」
少しかがみ込んで花を覗き込む。なんて名前だろう。緑の茎が何本も伸びていて、その先に白い花弁をちらりと見せている。
「今日入ったのよ。夜になると、香りがするんだって」
かおるさんが説明してくれる。
「へえ」
私はさらに花に顔を寄せて見る。すると……、
何だろう? 花に混じって何かが刺さっている。白く痩せた何かで、淡い緑の茎とほどよい色合いで埋没している。でもそれは花ではなく、花よりは何やらふわふわした羽毛で全身を覆っていて……、
「ぐっは!」
突然、飛びついてきた。私の顔面に貼り付く。凄い勢いで、後ろ向きに倒れそうになる。
「わ~~~!」
びっくりして、とにかく声を上げた。手をばったばった振り回すけど、何も掴めない。こける、こける!
「やだ! たまちゃん大丈夫! 息、息できてる?」
妙に生暖かい闇の向こうで、かおるさんの声が低くくぐもって聞こえてきた。
い、息? ていうか、顔が、顔が、もぞもぞしたものが顔全体に張り付いていて、こ、このままだと……。
「はっくしょん!」
くしゃみが出ちゃった。勢いで、顔に張り付いた何かが飛んだ。
「びっくりした」
まだもぞもぞする鼻をこする。それから、さっきまで私の顔に張り付いていて、今は地面にぺたっと張り付いて……いや倒れてるのかな?……を覗き込んでみる。
トリ? トリなのかな?
太ったお月様みたいな体。立派なおムネ。両肩に大きな翼がついている。体全体は真っ白だけど、ピンクの房を頭に付けている。
オウム……には見えないよね。
「やだなに? お花と一緒に入ってきちゃったのかしら」
かおるさんが見知らぬ虫を見つけたような不安な顔をして鳥を覗き込む。
「トリ、かな?」
「トリ、よね」
意見を求めてみる。やっぱりかおるさんも、トリと認識しているみたい。でも、なんだろう? この何とも言えない違和感。
とりあえず、私はトリさんを両掌でそっと持って、自分の目の高さに持ち上げた。ちょっと、重いよ。
「ごめんね、トリさん。痛くなかっ……」
「駄目だぜ」
私が言うのを遮って、低い声が《フローリスト・プリンセス》の中に横たわった。
「へ?」
声の主を理解するのに、2秒3秒……。
「俺に惚れちゃ」
まただ。間違いない。トリさんが、黄色の嘴をぱちぱちさせて、人の言葉を喋っていた。そして、ぱちんと片目を閉じてみせる。なぜか、トリの睫の先から、ハートが散ったように思えた。
ぅわ!
びょびょびょ、と背筋に何かが走るのを感じて、私はぱっと立ち上がった。方向は、こっち。お店の外。間違いないように定めて――一気にダッシュ! トリを煉瓦敷きの上へ放り出した。
冒頭の場面。映像が始まって最初のカットだ。橋全体を捉えたロングショット。その橋を今まさに渡ろうとしている3人の女の子達が描かれている。女の子達の笑い声が遠くに聞こえる一方、ダイアローグが上に被せられている。特にこれといった必然性のない対話だ。
映画ではよく見かける冒頭場面である。しかし映画では、こういった場面は通常、モノローグ、映画のテーマを主人公の心情として吐露する独白だ。
これが『たまこまーけっと』では、ごくごく普通の対話。それに音楽が明るい。映像のイメージが黄昏時の場面ということもあり、さらにコントラストが重く出るフィルターが使われており、やや「趣のある画像」である一方、音楽も対話も、映像の重さを蹴散らす明るさで、対話の内容も実に脳天気だ。このファーストカットの明るさで、作品の方向性をいきなり決定的にしていると言えよう。
橋をわたる女の子達は、バトンで繋がってくるくるとはしゃいでいる様が描かれているが、これはすべて同じ動画用紙で描かれている。続く2カット目、3カット目も同じく3人の少女の演技の続きが描かれているが、やはり同じ動画用紙の中で描かれている。3人の女の子がバトンで繋がった状態で、釣られたり引っ張られたり駆け出したりといった動作が、的確な重さを持って描かれており、いきなり高レベルの動画が描かれる。
街の一角に落ちる光の筋。ここをジャンプして越えようとする3人の少女。
この女の子達の体がとにかく重い。アニメーションではこういった場面、生理的な気持ちよさを追求して現実より高く飛んだり、様式的な決めのポーズを強調して描かれたりするものだけど、『たまこまーけっと』ではアニメにありがちな外連味を排除し、あえてこの年頃の女の子の身体の重さ、バランスの悪さを描いている。
またわざとホームビデオ風の、感度の低いカメラを想定して描かれており、ざらつきのある光と影のコントラストが美しく、生っぽさを演出している。
駆け出す3人の女の子。数えて5カット目。ここで主人公の北白川たまこの顔がクローズアップで映る。
たまこを追いかけて駆け出す女の子達。常磐みどりと牧野かんなの2人。
走っている場面だが、かんなは何かが気になっているようで、フレーム正面より上を見ている。
「アニメはアニメーターが意識せずとも、ついキャラクターに意思が強く出過ぎてしまう」。コップを取ろうと思ったら、コップをじっと凝視してしまうのがアニメのキャラクターの演技上の弱点である。
しかしこの場面では、同じ方向を目指して走っているのに、必ずしも同じ方向を見ていない。それぞれのキャラクターを想定しながら、「そのキャラクターが見ていそうな方向」を見るように描かれている。また、牧野かんなというキャラクターをクローズアップで見せることができて一石二鳥である。
うさぎ山商店街の前でバトンを高く跳ね上げる。
もちろん、うさぎ山商店街の看板を見せるためだ。物語の中心的な舞台であるうさぎ山商店街の入り口を画面の中にきっちりと収め、ここが物語の主要舞台であることを解説し、また視聴者をその中へと誘う目的のために描かれたひと場面である。
オープニング・アニメーション。
商店街を舞台に、そこで暮らす人々の姿が順々に登場する。こういったカットの連続はアニメーションにおいてスタンダードな見せ方と言えるが、主人公北白川たまこがマジシャンとなって、ミュージカル風の仕立てで見せる方法は、どちらかといえば少し前のアイドルミュージックビデオ風である。“決め”のポーズの見せ方がいずれも様式的なアイドル風のスタイルでどこか懐かしい雰囲気がある。
キャラクターの登場や、動き出す風景など、アニメのオープニングらしい楽しいイメージが連続する。
オープニングシーン。スキップするたまこの足下をクローズアップする。ワイヤーで釣ったようなふわふわした足取りで妙に非現実的だが、その一方、スカートの動きはリアルである。膝に蹴られてスカートの布がめくれ上がり、皺の動きが後ろに流れていく。使われているカラーは2色だけだが、やや厚手の布の質感をしっかりと描いている。
こうした重量感のない動きはもちろんアニメーションの専売特許だが、実写で試みられた例は存在する。周囲の登場人物との動き、重さが合っておらず、しかも合成技術が未熟でブルーバックの切れ端がちらちらと見えて、不自然の固まりでしかなかったが。こういった超現実的な描写が平気な顔をして精密な背景のなかに登場し同居するのは、やはりアニメーションならではだ。
うさぎ山商店街をやや高めの、店の屋根の高さから描かれた全景。華やいだ賑やかさの中、たまこが雑踏に埋没している。
最近のアニメではなかなかお目にかかれない密度の高い街の風景だ。アーケード上部を覆う垂れ幕、“メリークリスマス”の垂れ幕で隠れ気味になっているが、大きな魚のオブジェ。人が消失点の奥の方までぎっちり描かれている。そこだけで世界が充足した、ある種の胎内的なイメージである。
花屋《フローリスト・プリンセス》でトリのデラ・モチマッヅィと遭遇する。たまこは大慌てで店の外に投げてしまうが。
この場面、立ち上がり、振り向きにかなりの動画枚数が消費され、動きの連なりがしっかり描かれている。
しかし駆け出した途端、中コマが抜けたり、逆にちゃんと書かれているコマがあったりと不規則な動きで一気にカメラ正面へと向かってくる。また、走る足も、不自然に曲がって、ばたばたと足が左右に激しく動いている様子が描かれ、全体としてコミカルな一場面となっている。たまこがカメラ正面に接近した時の、大きく崩した顔にも注目である。
コマの操作こそがアニメーションの本質、という実体を明快に突いた動画である。
商店街を歩くたまこ。アタマの上には妙に気取ったポーズのトリ。たまこはやや下がり気味の目尻で細かい線の集合で描かれ、涙の線がくっきりした実線作画で描かれている。
「飼ってないよ」と手を振るが、まともに手が描かれているコマが実は少ない。ほとんどが左右にぶれ、“お化け”が描かれている。これでちゃんと動いて見えるところが、アニメーターのトリックである。
また、極端に崩したり、強調したりといった描写の多い『たまこまーけっと』らしい個性が見える場面となっている。
ここでは2つのカットを取り上げる。
左はトリがデラ・モチマッヅィと名乗った場面。右は1話の後半、もち蔵がたまこの背中を叩く場面。いずれもたまこが面白い顔をしている。
左の場面では、たまこの顔と掌が崩して描かれている。ほとんど別の作品の別のキャラ、というくらいにまで崩されて、コミカルな場面を強調している。手などはほとんど“もみじ”である。その一方、たまこの全身、あるいは他のキャラクターの描き方などのデッサンは正確で、このコントラストが楽しい画にさせている。
右の場面では、たまこは無表情。周囲のキャラクターは慌てたような必死な顔、影作画もしっかり描いておきながら、たまこだけがのっぺりとした簡素な絵で描かれ、ここも面白い場面になっている。背中を叩かれながら、ちゃんと全身と髪の毛が揺れるという丁寧な作画もポイントである。顔を崩さず描く方法は、同じ原画をトレスすれば問題なくできる。
『たまこまーけっと』では他の作品より、より大らかにアクションや表情が描かれ、リアルな演劇的な空間を描いた作品ではなく、もっと柔らかく接しやすい作品であるということがわかる。
夜の商店街。周囲の暗闇に対して、商店街の中は煌々とした光に包まれている。
実際の夜の商店街はもっと暗いものだが、この作品での商店街はどこまでも明るい。夜の場面であるがよそよそしさはなく、やはり胎内的な暖かさやぬくもりがそこに感じられる空間となり、居心地の良さを感じさせる。
銭湯の場面。またしてもトリを投げる場面。
トリを拾うまでは動画枚数を消費してしっかり描かれているが、トリを手にしてから1歩2歩……8歩分の動画が思い切ってなしで描かれている。すべて原画の動きだけで、表情が見えないだけに、キャラクターの動きだけで面白い雰囲気を描いている。おそらくは、「トリを投げる行為」を暴力的に見せないようにするための配慮だろう、と考えられる。もちろん、時間がなくて中割の時間を割いた、とかそういうものではない。
GIF動画を制作する過程で気付いたことだが、背景の下塗りにピンクが使われた。一度画用紙をピンク色に塗りつぶし、それから細部を描いたのだ。木の木目部分を見ていると、下塗りのピンクが見えてくる。絵全体に柔らかなピンクのイメージがあると思っていたが、単に配色の効果で現れたものではなく、下塗りの色のイメージが出たためだ。
主要舞台はうさぎ山商店街であるが、たまこの通う学校もなかなかこだわったディティールで描かれている。どっしりとした赤エレンがの趣のある校舎。
この場面は、すでにネットユーザーたちの調査によって《京都聖母学院小学校》であると明らかになっている。制服のデザインも、実はこの学校のデザインに近いものが採用されている。
エンディングに学校の一部が登場するが、いずれの場面も美しく、写真映えする建築物である。『けいおん!』に続いて、建築に対するこだわりはやはり強いようである。
体育館。一応の運動部で体育館に集まる3人だが、特にこれといった何かをするわけではなく、持ち込んだ餅を頬張りながら、特にこれといったテーマのない対話が始まる。
それぞれが勝手な演技で喋り出す感じで、きちんとした脚本のある場面ではなく、あたかもドキュメンタリー的な空気で少女達の日常の一部が描かれている。こうしたゆるさは、『らき☆すた』と『けいおん!』を経てどこか極まったものがある。
またキャラクターの描き方も、アニメにおいては、それぞれのキャラクターの個性を強調する場面ではあるが、『たまこまーけっと』では3人が3人ともごくごく普通の女の子として、アニメのキャラクターらしい主張はなく、あえて平坦に、平均的な表情が描かれているのが特徴だ。
餅屋「たまや」
たまこの祖父、北白川福の仕事場面。柔らかくしたもちの固まりちぎって一口分にする。短い場面だが、餅の粘り、ちぎれた餅が渦を巻く瞬間など、非常に細かく丁寧に描かれている。ちぎれる瞬間の「ぺちっ」の音もリアルに感じられていい。
手の動きはAセル。奥の体がBセル。止めでごまかさず、手の演技の連動して動かすところが細かい。
エンディングはオープニングとは対照的に、静的なイメージで描かれる。たまこが髪留めを外し、髪が肩に被さっている様子が新鮮だ。逆光で描かれて、髪の淵が真っ白に輝いている。露出高めの設定で、全体が白っぽく輝いた印象がある。アイドルビデオでよく見かける映像だ。ポーズもアイドルビデオ特有の様式が現れている。やはり感度低めのフィルムが想定された描写で、映像には意図的なざらつきが現れている。
少女の身体、やや俯きの目線、白い花、空、など少女特有のメランコリック、それからイノセントな輝きが強調された、ある種山田尚子監督の独断場と言うべき映像に仕上がっている。
足を描いたカットが多いが、性的なイメージではなく、足からその人間の全身、そこにこもった感情を連想させる手法である。山田尚子監督特有の演出手法である。山田尚子監督によれば、顔・表情を描くとわざとらしくなるが、足にその人間の自然な表情が出る、と言う。
左下、それぞれの足が描かれているが、なにげなくトンカチ。え?と思うが、猟奇的な意味はなく、大工の娘という設定を描いている。
右下の空の場面、もちろん背景美術スタッフの絵だが、撮影スタッフの見事な処理で、あたかも実写のような仕上がりになっている。撮影アニメは『中二病でも恋がしたい』に続いていい仕事をしている。
『たまこまーけっと』は商店街を舞台にしたアニメである。
山田尚子監督の前作である『けいおん!』は主要舞台は放課後の部室。それだけに、この場面、空間の演出に注意が注がれ、それ以外の風景は潔くばっさり切り落とされていた。続く第2期『けいおん!!』ではその空間を教室、あるいは学校の外まで広げ、ドラマの幅はゆるやかに広がっていった。
『たまこまーけっと』では主要な舞台が商店街だ。アニメ中の描写は圧巻だ。アーケードの下に並ぶ店の一つ一つ、その店の登場人物、店の外観、内装、ポップ、どこまでも詳細を究めた空間だ。アーケード下の風景は影はなく暖かく柔らかであり、また煌びやかに華やいだ美しさがある。
一方で、主人公を学生としているが、学校の場面は短く切り取られている。多くの学園ものアニメでは、通常4月から始まり、教室での営みや人物が中心に描かれる。しかし『たまこまーけっと』の主要舞台は学校ではない。第1話に授業の場面はなく、冒頭から終業式の後、帰宅する場面から描かれる。その後、バトン部の活動で体育館へ行く場面があるが、特に何かの活動をする場面はなく、ただ友達と喋っただけ。バトン部の部長は顔すら見せなかった。
学園ドラマだとすれば非常にイレギュラーな冒頭だが、『たまこまーけっと』の主要舞台は、あくまでも商店街。北白川たまこ、という学生を主人公としていながら、やや珍しい立ち位置の作品となった。
舞台となるうさぎ山商店街は非常に賑やかな場所だ。一人一人がキャラクターとしてしっかり自立し、店内、店外の描き方いずれも丁寧で細かい。商店街の人々、という密度の上にさらにモブ達が一杯に描かれ、映像の密度の重さはさらに極まってくる。
主人公たまこは、そういったうさぎ山商店街の人達からあたかも家族のように扱われ、接している。商店街そのものが、大きな家族世界、という描き方だ。商店街で一つの自己完結した、胎内的な穏やかさがそこに描かれている。たまこの同級生も、キャラクター作りの段階で親⇔子という繋がりが強く意識され、その出発点はやはりうさぎ山商店街だ。この物語では、うさぎ山商店街が世界の出発点なのである。
過去の京都アニメ作品は一貫して、日常のゆるやかさやぬくもりが描かれてきたが、『たまこまーけっと』では、中心に“商店街”を置き、商店街を中心とした“家族”の物語がテーマとして選ばれている。
日常の空間はどこまでも精緻な観察主義に基づいている。それだけに、アニメらしいファンタジーであるデラ・モチマッヅィの存在感が強烈に浮かび上がってくる。
考えてみれば、デラ・モチマッヅィは“よそ者”だ。この作品は商店街を一つの大きな家族として全てのキャラクターが繋がっているが、デラ・モチマッヅィだけはよそからやってきた異邦者、という扱いだ。トリの姿をしているが、実際にもこの世界における異物なのだ。
この異物としてのデラ・モチマッヅィが物語にどのような異変を与えるのか、あるいはただの客人として一時的に招かれ、何もせず去って行くだけの存在なのか。デラ・モチマッヅィとたまこを中心とした物語がどのように変節していくのか、楽しみに見たいところだ。
『たまこまーけっと』はキャラクターの柔らかさが大きな特徴だ。表情の作りが他のどの作品よりも豊かで楽しい。
場面によっては感度の低いフィルムを意識する場面があり、またキャラクターの身体の描き方はアニメらしからぬ現実主義が貫かれているが(キャラクターの描写や頭身の話ではなく、キャラクターの身体能力や重さについて)、作劇や表情の作り方、あるいは線の崩し方は漫画の特権というべき手法がいくつも使われている。時に大きく崩して、笑いを求めてくる。線の作りが自由で柔らかいのが『たまこまーけっと』の一つの特徴だ。
『氷菓』では現実的な空間の重さを演出するために、コミカルな場面でも線ががっちり描かれ、あるいは演劇的な空間が意識されてきた。しかし『たまこまーけっと』では空間よりも、キャラクターの線を、アニメーターの線の生理が活き活きと見えるように映像が設計されている。
商店街を舞台にした作品、というのは決して珍しいわけではない。この世のありとあらゆる森羅万象をテーマにできる日本の漫画の世界、商店街をメイン舞台にした作品が過去になかったわけではない。
それでも『たまこまーけっと』はこの作品でしかないアイデンティティを持ち、第1話の段階でこれを自然体で主張している。
『たまこまーけっと』特有のアイデンティティ、それはやはり《商店街という家族空間》であろう。この物語は誰に対しても優しく、暖かく、緩やかな受容に満たされている。深夜アニメとして放送しながら、この作品は一切人を選ばない。どんな性別、世代を拒絶しないのだ!(それだけに、なぜ深夜に放送したのか?と問いたくなる。7時のゴールデンタイムでも間違いなく人気作品になれたはずなのに)
『たまこまーけっと』という作品は人に優しい(制作スタッフには厳しいが)。みんなが個性的で、攻撃的な人物はおらず、嫌いになりそうなキャラクターはいない。商店街の描き方が素晴らしい。商店街というふとすれば灰色に沈んだ街の風景の一つに過ぎなかったものが(アーケードの下はいつも影が落ちて、やや暗い)、煌びやかな美しさと柔らかさを持って映像の中で再構築された。
『たまこまーけっと』はコアなアニメユーザーによるアイドル的な人気だけを狙っていくのではなく、できればもっと多くの人に愛されるべき作品だ。
監督:山田尚子
シリーズ構成:吉田玲子 キャラクターデザイン・総作画監督:堀口悠紀子
美術監督:田嶋育子 色彩設計:竹田明代 撮影監督:山本倫
設定:鶴岡陽太 音楽:片岡知子 編集:重村健吾
アニメーション制作:京都アニメーション
製作:うさぎ山商店街
出演:北白川たまこ/州崎綾 常磐みどり/金子有希 牧野かんな/永妻樹里
○ トリ/山崎たくみ 北白川あんこ/日高里菜 大路もち蔵/田丸篤志
○ 朝霧史織/山下百合恵 北白川豆大/藤原啓治 北白川福/西村知道
○ 大路吾平/立木文彦 大路道子/雪野五月 花瀬かおる/小野大輔
「や!」
私は店の入り口にぱっと顔を出す。
「あら」
店の人が、笑顔で振り返って手を上げた。
花屋の花瀬かおるさんはとても綺麗な人で、ふわふわした柔らかい金髪を首のところで留めて、くるくる巻いた房を肩の上に載せている。今日はピンクのエプロンをしていた。
「今日も寒いね~」
私はのんびりした気持ちで店の中へと入っていく。花屋の中は私とかおるさんだけだ。
「たまちゃん、学校今日までだっけ?」
穏やか声だけど、ちょっと太めなのは内緒だよ。
「そうだよ」
と側に置かれている花を振り向く。おやおやおや……。
「荷物置かせてね」
「どうぞ」
返事も待たずに私は店の奥に買い物袋を置き、元の花の前に戻ってくる。
「これ綺麗だね」
少しかがみ込んで花を覗き込む。なんて名前だろう。緑の茎が何本も伸びていて、その先に白い花弁をちらりと見せている。
「今日入ったのよ。夜になると、香りがするんだって」
かおるさんが説明してくれる。
「へえ」
私はさらに花に顔を寄せて見る。すると……、
何だろう? 花に混じって何かが刺さっている。白く痩せた何かで、淡い緑の茎とほどよい色合いで埋没している。でもそれは花ではなく、花よりは何やらふわふわした羽毛で全身を覆っていて……、
「ぐっは!」
突然、飛びついてきた。私の顔面に貼り付く。凄い勢いで、後ろ向きに倒れそうになる。
「わ~~~!」
びっくりして、とにかく声を上げた。手をばったばった振り回すけど、何も掴めない。こける、こける!
「やだ! たまちゃん大丈夫! 息、息できてる?」
妙に生暖かい闇の向こうで、かおるさんの声が低くくぐもって聞こえてきた。
い、息? ていうか、顔が、顔が、もぞもぞしたものが顔全体に張り付いていて、こ、このままだと……。
「はっくしょん!」
くしゃみが出ちゃった。勢いで、顔に張り付いた何かが飛んだ。
「びっくりした」
まだもぞもぞする鼻をこする。それから、さっきまで私の顔に張り付いていて、今は地面にぺたっと張り付いて……いや倒れてるのかな?……を覗き込んでみる。
トリ? トリなのかな?
太ったお月様みたいな体。立派なおムネ。両肩に大きな翼がついている。体全体は真っ白だけど、ピンクの房を頭に付けている。
オウム……には見えないよね。
「やだなに? お花と一緒に入ってきちゃったのかしら」
かおるさんが見知らぬ虫を見つけたような不安な顔をして鳥を覗き込む。
「トリ、かな?」
「トリ、よね」
意見を求めてみる。やっぱりかおるさんも、トリと認識しているみたい。でも、なんだろう? この何とも言えない違和感。
とりあえず、私はトリさんを両掌でそっと持って、自分の目の高さに持ち上げた。ちょっと、重いよ。
「ごめんね、トリさん。痛くなかっ……」
「駄目だぜ」
私が言うのを遮って、低い声が《フローリスト・プリンセス》の中に横たわった。
「へ?」
声の主を理解するのに、2秒3秒……。
「俺に惚れちゃ」
まただ。間違いない。トリさんが、黄色の嘴をぱちぱちさせて、人の言葉を喋っていた。そして、ぱちんと片目を閉じてみせる。なぜか、トリの睫の先から、ハートが散ったように思えた。
ぅわ!
びょびょびょ、と背筋に何かが走るのを感じて、私はぱっと立ち上がった。方向は、こっち。お店の外。間違いないように定めて――一気にダッシュ! トリを煉瓦敷きの上へ放り出した。
冒頭の場面。映像が始まって最初のカットだ。橋全体を捉えたロングショット。その橋を今まさに渡ろうとしている3人の女の子達が描かれている。女の子達の笑い声が遠くに聞こえる一方、ダイアローグが上に被せられている。特にこれといった必然性のない対話だ。
映画ではよく見かける冒頭場面である。しかし映画では、こういった場面は通常、モノローグ、映画のテーマを主人公の心情として吐露する独白だ。
これが『たまこまーけっと』では、ごくごく普通の対話。それに音楽が明るい。映像のイメージが黄昏時の場面ということもあり、さらにコントラストが重く出るフィルターが使われており、やや「趣のある画像」である一方、音楽も対話も、映像の重さを蹴散らす明るさで、対話の内容も実に脳天気だ。このファーストカットの明るさで、作品の方向性をいきなり決定的にしていると言えよう。
橋をわたる女の子達は、バトンで繋がってくるくるとはしゃいでいる様が描かれているが、これはすべて同じ動画用紙で描かれている。続く2カット目、3カット目も同じく3人の少女の演技の続きが描かれているが、やはり同じ動画用紙の中で描かれている。3人の女の子がバトンで繋がった状態で、釣られたり引っ張られたり駆け出したりといった動作が、的確な重さを持って描かれており、いきなり高レベルの動画が描かれる。
街の一角に落ちる光の筋。ここをジャンプして越えようとする3人の少女。
この女の子達の体がとにかく重い。アニメーションではこういった場面、生理的な気持ちよさを追求して現実より高く飛んだり、様式的な決めのポーズを強調して描かれたりするものだけど、『たまこまーけっと』ではアニメにありがちな外連味を排除し、あえてこの年頃の女の子の身体の重さ、バランスの悪さを描いている。
またわざとホームビデオ風の、感度の低いカメラを想定して描かれており、ざらつきのある光と影のコントラストが美しく、生っぽさを演出している。
駆け出す3人の女の子。数えて5カット目。ここで主人公の北白川たまこの顔がクローズアップで映る。
たまこを追いかけて駆け出す女の子達。常磐みどりと牧野かんなの2人。
走っている場面だが、かんなは何かが気になっているようで、フレーム正面より上を見ている。
「アニメはアニメーターが意識せずとも、ついキャラクターに意思が強く出過ぎてしまう」。コップを取ろうと思ったら、コップをじっと凝視してしまうのがアニメのキャラクターの演技上の弱点である。
しかしこの場面では、同じ方向を目指して走っているのに、必ずしも同じ方向を見ていない。それぞれのキャラクターを想定しながら、「そのキャラクターが見ていそうな方向」を見るように描かれている。また、牧野かんなというキャラクターをクローズアップで見せることができて一石二鳥である。
うさぎ山商店街の前でバトンを高く跳ね上げる。
もちろん、うさぎ山商店街の看板を見せるためだ。物語の中心的な舞台であるうさぎ山商店街の入り口を画面の中にきっちりと収め、ここが物語の主要舞台であることを解説し、また視聴者をその中へと誘う目的のために描かれたひと場面である。
オープニング・アニメーション。
商店街を舞台に、そこで暮らす人々の姿が順々に登場する。こういったカットの連続はアニメーションにおいてスタンダードな見せ方と言えるが、主人公北白川たまこがマジシャンとなって、ミュージカル風の仕立てで見せる方法は、どちらかといえば少し前のアイドルミュージックビデオ風である。“決め”のポーズの見せ方がいずれも様式的なアイドル風のスタイルでどこか懐かしい雰囲気がある。
キャラクターの登場や、動き出す風景など、アニメのオープニングらしい楽しいイメージが連続する。
オープニングシーン。スキップするたまこの足下をクローズアップする。ワイヤーで釣ったようなふわふわした足取りで妙に非現実的だが、その一方、スカートの動きはリアルである。膝に蹴られてスカートの布がめくれ上がり、皺の動きが後ろに流れていく。使われているカラーは2色だけだが、やや厚手の布の質感をしっかりと描いている。
こうした重量感のない動きはもちろんアニメーションの専売特許だが、実写で試みられた例は存在する。周囲の登場人物との動き、重さが合っておらず、しかも合成技術が未熟でブルーバックの切れ端がちらちらと見えて、不自然の固まりでしかなかったが。こういった超現実的な描写が平気な顔をして精密な背景のなかに登場し同居するのは、やはりアニメーションならではだ。
うさぎ山商店街をやや高めの、店の屋根の高さから描かれた全景。華やいだ賑やかさの中、たまこが雑踏に埋没している。
最近のアニメではなかなかお目にかかれない密度の高い街の風景だ。アーケード上部を覆う垂れ幕、“メリークリスマス”の垂れ幕で隠れ気味になっているが、大きな魚のオブジェ。人が消失点の奥の方までぎっちり描かれている。そこだけで世界が充足した、ある種の胎内的なイメージである。
花屋《フローリスト・プリンセス》でトリのデラ・モチマッヅィと遭遇する。たまこは大慌てで店の外に投げてしまうが。
この場面、立ち上がり、振り向きにかなりの動画枚数が消費され、動きの連なりがしっかり描かれている。
しかし駆け出した途端、中コマが抜けたり、逆にちゃんと書かれているコマがあったりと不規則な動きで一気にカメラ正面へと向かってくる。また、走る足も、不自然に曲がって、ばたばたと足が左右に激しく動いている様子が描かれ、全体としてコミカルな一場面となっている。たまこがカメラ正面に接近した時の、大きく崩した顔にも注目である。
コマの操作こそがアニメーションの本質、という実体を明快に突いた動画である。
商店街を歩くたまこ。アタマの上には妙に気取ったポーズのトリ。たまこはやや下がり気味の目尻で細かい線の集合で描かれ、涙の線がくっきりした実線作画で描かれている。
「飼ってないよ」と手を振るが、まともに手が描かれているコマが実は少ない。ほとんどが左右にぶれ、“お化け”が描かれている。これでちゃんと動いて見えるところが、アニメーターのトリックである。
また、極端に崩したり、強調したりといった描写の多い『たまこまーけっと』らしい個性が見える場面となっている。
ここでは2つのカットを取り上げる。
左はトリがデラ・モチマッヅィと名乗った場面。右は1話の後半、もち蔵がたまこの背中を叩く場面。いずれもたまこが面白い顔をしている。
左の場面では、たまこの顔と掌が崩して描かれている。ほとんど別の作品の別のキャラ、というくらいにまで崩されて、コミカルな場面を強調している。手などはほとんど“もみじ”である。その一方、たまこの全身、あるいは他のキャラクターの描き方などのデッサンは正確で、このコントラストが楽しい画にさせている。
右の場面では、たまこは無表情。周囲のキャラクターは慌てたような必死な顔、影作画もしっかり描いておきながら、たまこだけがのっぺりとした簡素な絵で描かれ、ここも面白い場面になっている。背中を叩かれながら、ちゃんと全身と髪の毛が揺れるという丁寧な作画もポイントである。顔を崩さず描く方法は、同じ原画をトレスすれば問題なくできる。
『たまこまーけっと』では他の作品より、より大らかにアクションや表情が描かれ、リアルな演劇的な空間を描いた作品ではなく、もっと柔らかく接しやすい作品であるということがわかる。
夜の商店街。周囲の暗闇に対して、商店街の中は煌々とした光に包まれている。
実際の夜の商店街はもっと暗いものだが、この作品での商店街はどこまでも明るい。夜の場面であるがよそよそしさはなく、やはり胎内的な暖かさやぬくもりがそこに感じられる空間となり、居心地の良さを感じさせる。
銭湯の場面。またしてもトリを投げる場面。
トリを拾うまでは動画枚数を消費してしっかり描かれているが、トリを手にしてから1歩2歩……8歩分の動画が思い切ってなしで描かれている。すべて原画の動きだけで、表情が見えないだけに、キャラクターの動きだけで面白い雰囲気を描いている。おそらくは、「トリを投げる行為」を暴力的に見せないようにするための配慮だろう、と考えられる。もちろん、時間がなくて中割の時間を割いた、とかそういうものではない。
GIF動画を制作する過程で気付いたことだが、背景の下塗りにピンクが使われた。一度画用紙をピンク色に塗りつぶし、それから細部を描いたのだ。木の木目部分を見ていると、下塗りのピンクが見えてくる。絵全体に柔らかなピンクのイメージがあると思っていたが、単に配色の効果で現れたものではなく、下塗りの色のイメージが出たためだ。
主要舞台はうさぎ山商店街であるが、たまこの通う学校もなかなかこだわったディティールで描かれている。どっしりとした赤エレンがの趣のある校舎。
この場面は、すでにネットユーザーたちの調査によって《京都聖母学院小学校》であると明らかになっている。制服のデザインも、実はこの学校のデザインに近いものが採用されている。
エンディングに学校の一部が登場するが、いずれの場面も美しく、写真映えする建築物である。『けいおん!』に続いて、建築に対するこだわりはやはり強いようである。
体育館。一応の運動部で体育館に集まる3人だが、特にこれといった何かをするわけではなく、持ち込んだ餅を頬張りながら、特にこれといったテーマのない対話が始まる。
それぞれが勝手な演技で喋り出す感じで、きちんとした脚本のある場面ではなく、あたかもドキュメンタリー的な空気で少女達の日常の一部が描かれている。こうしたゆるさは、『らき☆すた』と『けいおん!』を経てどこか極まったものがある。
またキャラクターの描き方も、アニメにおいては、それぞれのキャラクターの個性を強調する場面ではあるが、『たまこまーけっと』では3人が3人ともごくごく普通の女の子として、アニメのキャラクターらしい主張はなく、あえて平坦に、平均的な表情が描かれているのが特徴だ。
餅屋「たまや」
たまこの祖父、北白川福の仕事場面。柔らかくしたもちの固まりちぎって一口分にする。短い場面だが、餅の粘り、ちぎれた餅が渦を巻く瞬間など、非常に細かく丁寧に描かれている。ちぎれる瞬間の「ぺちっ」の音もリアルに感じられていい。
手の動きはAセル。奥の体がBセル。止めでごまかさず、手の演技の連動して動かすところが細かい。
エンディングはオープニングとは対照的に、静的なイメージで描かれる。たまこが髪留めを外し、髪が肩に被さっている様子が新鮮だ。逆光で描かれて、髪の淵が真っ白に輝いている。露出高めの設定で、全体が白っぽく輝いた印象がある。アイドルビデオでよく見かける映像だ。ポーズもアイドルビデオ特有の様式が現れている。やはり感度低めのフィルムが想定された描写で、映像には意図的なざらつきが現れている。
少女の身体、やや俯きの目線、白い花、空、など少女特有のメランコリック、それからイノセントな輝きが強調された、ある種山田尚子監督の独断場と言うべき映像に仕上がっている。
足を描いたカットが多いが、性的なイメージではなく、足からその人間の全身、そこにこもった感情を連想させる手法である。山田尚子監督特有の演出手法である。山田尚子監督によれば、顔・表情を描くとわざとらしくなるが、足にその人間の自然な表情が出る、と言う。
左下、それぞれの足が描かれているが、なにげなくトンカチ。え?と思うが、猟奇的な意味はなく、大工の娘という設定を描いている。
右下の空の場面、もちろん背景美術スタッフの絵だが、撮影スタッフの見事な処理で、あたかも実写のような仕上がりになっている。撮影アニメは『中二病でも恋がしたい』に続いていい仕事をしている。
◇
『たまこまーけっと』は商店街を舞台にしたアニメである。
山田尚子監督の前作である『けいおん!』は主要舞台は放課後の部室。それだけに、この場面、空間の演出に注意が注がれ、それ以外の風景は潔くばっさり切り落とされていた。続く第2期『けいおん!!』ではその空間を教室、あるいは学校の外まで広げ、ドラマの幅はゆるやかに広がっていった。
『たまこまーけっと』では主要な舞台が商店街だ。アニメ中の描写は圧巻だ。アーケードの下に並ぶ店の一つ一つ、その店の登場人物、店の外観、内装、ポップ、どこまでも詳細を究めた空間だ。アーケード下の風景は影はなく暖かく柔らかであり、また煌びやかに華やいだ美しさがある。
一方で、主人公を学生としているが、学校の場面は短く切り取られている。多くの学園ものアニメでは、通常4月から始まり、教室での営みや人物が中心に描かれる。しかし『たまこまーけっと』の主要舞台は学校ではない。第1話に授業の場面はなく、冒頭から終業式の後、帰宅する場面から描かれる。その後、バトン部の活動で体育館へ行く場面があるが、特に何かの活動をする場面はなく、ただ友達と喋っただけ。バトン部の部長は顔すら見せなかった。
学園ドラマだとすれば非常にイレギュラーな冒頭だが、『たまこまーけっと』の主要舞台は、あくまでも商店街。北白川たまこ、という学生を主人公としていながら、やや珍しい立ち位置の作品となった。
舞台となるうさぎ山商店街は非常に賑やかな場所だ。一人一人がキャラクターとしてしっかり自立し、店内、店外の描き方いずれも丁寧で細かい。商店街の人々、という密度の上にさらにモブ達が一杯に描かれ、映像の密度の重さはさらに極まってくる。
主人公たまこは、そういったうさぎ山商店街の人達からあたかも家族のように扱われ、接している。商店街そのものが、大きな家族世界、という描き方だ。商店街で一つの自己完結した、胎内的な穏やかさがそこに描かれている。たまこの同級生も、キャラクター作りの段階で親⇔子という繋がりが強く意識され、その出発点はやはりうさぎ山商店街だ。この物語では、うさぎ山商店街が世界の出発点なのである。
過去の京都アニメ作品は一貫して、日常のゆるやかさやぬくもりが描かれてきたが、『たまこまーけっと』では、中心に“商店街”を置き、商店街を中心とした“家族”の物語がテーマとして選ばれている。
日常の空間はどこまでも精緻な観察主義に基づいている。それだけに、アニメらしいファンタジーであるデラ・モチマッヅィの存在感が強烈に浮かび上がってくる。
考えてみれば、デラ・モチマッヅィは“よそ者”だ。この作品は商店街を一つの大きな家族として全てのキャラクターが繋がっているが、デラ・モチマッヅィだけはよそからやってきた異邦者、という扱いだ。トリの姿をしているが、実際にもこの世界における異物なのだ。
この異物としてのデラ・モチマッヅィが物語にどのような異変を与えるのか、あるいはただの客人として一時的に招かれ、何もせず去って行くだけの存在なのか。デラ・モチマッヅィとたまこを中心とした物語がどのように変節していくのか、楽しみに見たいところだ。
『たまこまーけっと』はキャラクターの柔らかさが大きな特徴だ。表情の作りが他のどの作品よりも豊かで楽しい。
場面によっては感度の低いフィルムを意識する場面があり、またキャラクターの身体の描き方はアニメらしからぬ現実主義が貫かれているが(キャラクターの描写や頭身の話ではなく、キャラクターの身体能力や重さについて)、作劇や表情の作り方、あるいは線の崩し方は漫画の特権というべき手法がいくつも使われている。時に大きく崩して、笑いを求めてくる。線の作りが自由で柔らかいのが『たまこまーけっと』の一つの特徴だ。
『氷菓』では現実的な空間の重さを演出するために、コミカルな場面でも線ががっちり描かれ、あるいは演劇的な空間が意識されてきた。しかし『たまこまーけっと』では空間よりも、キャラクターの線を、アニメーターの線の生理が活き活きと見えるように映像が設計されている。
商店街を舞台にした作品、というのは決して珍しいわけではない。この世のありとあらゆる森羅万象をテーマにできる日本の漫画の世界、商店街をメイン舞台にした作品が過去になかったわけではない。
それでも『たまこまーけっと』はこの作品でしかないアイデンティティを持ち、第1話の段階でこれを自然体で主張している。
『たまこまーけっと』特有のアイデンティティ、それはやはり《商店街という家族空間》であろう。この物語は誰に対しても優しく、暖かく、緩やかな受容に満たされている。深夜アニメとして放送しながら、この作品は一切人を選ばない。どんな性別、世代を拒絶しないのだ!(それだけに、なぜ深夜に放送したのか?と問いたくなる。7時のゴールデンタイムでも間違いなく人気作品になれたはずなのに)
『たまこまーけっと』という作品は人に優しい(制作スタッフには厳しいが)。みんなが個性的で、攻撃的な人物はおらず、嫌いになりそうなキャラクターはいない。商店街の描き方が素晴らしい。商店街というふとすれば灰色に沈んだ街の風景の一つに過ぎなかったものが(アーケードの下はいつも影が落ちて、やや暗い)、煌びやかな美しさと柔らかさを持って映像の中で再構築された。
『たまこまーけっと』はコアなアニメユーザーによるアイドル的な人気だけを狙っていくのではなく、できればもっと多くの人に愛されるべき作品だ。
監督:山田尚子
シリーズ構成:吉田玲子 キャラクターデザイン・総作画監督:堀口悠紀子
美術監督:田嶋育子 色彩設計:竹田明代 撮影監督:山本倫
設定:鶴岡陽太 音楽:片岡知子 編集:重村健吾
アニメーション制作:京都アニメーション
製作:うさぎ山商店街
出演:北白川たまこ/州崎綾 常磐みどり/金子有希 牧野かんな/永妻樹里
○ トリ/山崎たくみ 北白川あんこ/日高里菜 大路もち蔵/田丸篤志
○ 朝霧史織/山下百合恵 北白川豆大/藤原啓治 北白川福/西村知道
○ 大路吾平/立木文彦 大路道子/雪野五月 花瀬かおる/小野大輔
PR