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■2009/09/24 (Thu)
映画:外国映画■
1997年8月31日。
パリのあるトンネル内で、ダイアナ元皇太子妃が死亡する。
ダイアナを乗せたハイヤーが、追跡するパパラッチを振り払おうとして、猛スピードでトンネル内に突っ込んだためだといわれている。
ダイアナ元皇太子妃の死には、疑問も多く、陰謀論が囁かれているが、とりあえず映画の鑑賞としては「フランスのトンネルで死亡した」という情報だけ頭に入れて鑑賞するのがよい。
ダイアナ元皇太子妃の死。
誰もが知る事件であり、誰もが知る人物の突然の不幸だった。
だが対照的に、当時批判の中心にいた王室の内部を知る者は少ない。
映画『クィーン』は英国王室を中心に、ダイアナ元皇太子妃死去のとき何が起きたかを描く。
折りしも、ダイアナの死はトニー・ブレアの首相就任と重なってしまった。事態はただちに政治の舞台に移され、慎重な判断と対応が必要になってしまった。ブレア首相の「国民のプリンセス」発言で支持される一方、王室への批判が高まる。
ダイアナ元皇太子妃の死亡は、王室にとっても大きな事件だった。
だがダイアナは、すでに私人であり、王室を去った人である。ダイアナ元皇太子妃を国葬にすべきか、遺族の意思を尊重して内輪だけの静かな葬儀にするべきか。
事件は王室が思っている以上に大きく、慎重な判断を選択せねばならなかった。
マスコミとは糸の切れた凧のようなものだ。
マスコミには中心的思想や信念がない。だが、大衆の代表者としての発言できる立場を持ち、大衆の意識を自由に誘導できるだけの力を持っている。ダイアナ元皇太子妃の死亡ニュースも、売り上げ増大のために扇動するだけ扇動して、責任は取らない。
世論の感情は膨れ上がる一方だった。
ダイアナ元皇太子妃の死亡に何の反応を見せない王室に、国民は怒りを募らせる。
ある者は、これみよがしに王室廃止論を叫び、ある者は暗殺を恐れて新体制側にすり寄ろうとする。
世論とは感情で動くものだし、それを操作して支持を集めるのが政治だ。ダイアナ元皇太子妃の死亡は、早くも政治に舞台を移し、政治利用されようとしていた。
王宮の前には、次々と献花が集る。シェリー夫人は王室廃止論者で、これみよがしに自身の理念を主張する。日本でも英国ほど騒がしくないが、皇族は意思論者は多く、他人ごとのように思えない。
王室廃止論者は、王室を「時代遅れの産物」と糾弾する。
「彼らは国民の税金を食いつぶして、働きもせず贅沢三昧の生活を送っている」
“進歩的”な意識を自認する人間は、いつもそう主張する。
確かに王族は生まれながらにして富と権力が与えられている。国家が破綻しない限り、生活に困る事態はない。
だが、選択の自由がない。
個人的な意見を示すことも、目の前の事態から逃走する自由もない。常に公人として人々に取り囲まれ、周囲の人々を意識した振る舞いを示せねばならない。
王族は国家と国民の最も根源的な精神を体現する存在なのである。個人としての人間ではなく、存在自体が象徴なのだ。
車の故障で高原に取り残される女王。ふと、一人きりになる瞬間が訪れる。そんなときにふらりと現れる鹿。堂々として威厳をもった姿に、女王は心を打たれる。あのようにならねばならない、と。
映画『クィーン』で描かれるエリザベス女王は、中世の偉大な女王のような威厳さを備えた人物として描かれる。
どんなにマスコミが大袈裟に騒ぎ立て、世論がそれに揺り動かそうとしても、王族としての気高さは決して失わず、英国人の精神を体現する。
エリザベス女王は静かに、かつて騎士道精神と紳士の国と呼ばれていた英国の精神を示す。そんなエリザベス女王の、静かな威厳を前にした人々は、改めて尊敬の念を取り戻す。
映画記事一覧
作品データ
監督:スティーヴン・フリアーズ
音楽:アレクサンドル・デスプラ 脚本:ピーター・モーガン
出演:ヘレン・ミレン マイケル・シーン
〇〇〇ジェームズ・クロムウェル シルヴィア・シムズ
〇〇〇アレックス・ジェニングス ヘレン・マックロリー
〇〇〇ロジャー・アラム ティム・マクマラン
パリのあるトンネル内で、ダイアナ元皇太子妃が死亡する。
ダイアナを乗せたハイヤーが、追跡するパパラッチを振り払おうとして、猛スピードでトンネル内に突っ込んだためだといわれている。
ダイアナ元皇太子妃の死には、疑問も多く、陰謀論が囁かれているが、とりあえず映画の鑑賞としては「フランスのトンネルで死亡した」という情報だけ頭に入れて鑑賞するのがよい。
ダイアナ元皇太子妃の死。
誰もが知る事件であり、誰もが知る人物の突然の不幸だった。
だが対照的に、当時批判の中心にいた王室の内部を知る者は少ない。
映画『クィーン』は英国王室を中心に、ダイアナ元皇太子妃死去のとき何が起きたかを描く。
折りしも、ダイアナの死はトニー・ブレアの首相就任と重なってしまった。事態はただちに政治の舞台に移され、慎重な判断と対応が必要になってしまった。ブレア首相の「国民のプリンセス」発言で支持される一方、王室への批判が高まる。
ダイアナ元皇太子妃の死亡は、王室にとっても大きな事件だった。
だがダイアナは、すでに私人であり、王室を去った人である。ダイアナ元皇太子妃を国葬にすべきか、遺族の意思を尊重して内輪だけの静かな葬儀にするべきか。
事件は王室が思っている以上に大きく、慎重な判断を選択せねばならなかった。
マスコミとは糸の切れた凧のようなものだ。
マスコミには中心的思想や信念がない。だが、大衆の代表者としての発言できる立場を持ち、大衆の意識を自由に誘導できるだけの力を持っている。ダイアナ元皇太子妃の死亡ニュースも、売り上げ増大のために扇動するだけ扇動して、責任は取らない。
世論の感情は膨れ上がる一方だった。
ダイアナ元皇太子妃の死亡に何の反応を見せない王室に、国民は怒りを募らせる。
ある者は、これみよがしに王室廃止論を叫び、ある者は暗殺を恐れて新体制側にすり寄ろうとする。
世論とは感情で動くものだし、それを操作して支持を集めるのが政治だ。ダイアナ元皇太子妃の死亡は、早くも政治に舞台を移し、政治利用されようとしていた。
王宮の前には、次々と献花が集る。シェリー夫人は王室廃止論者で、これみよがしに自身の理念を主張する。日本でも英国ほど騒がしくないが、皇族は意思論者は多く、他人ごとのように思えない。
王室廃止論者は、王室を「時代遅れの産物」と糾弾する。
「彼らは国民の税金を食いつぶして、働きもせず贅沢三昧の生活を送っている」
“進歩的”な意識を自認する人間は、いつもそう主張する。
確かに王族は生まれながらにして富と権力が与えられている。国家が破綻しない限り、生活に困る事態はない。
だが、選択の自由がない。
個人的な意見を示すことも、目の前の事態から逃走する自由もない。常に公人として人々に取り囲まれ、周囲の人々を意識した振る舞いを示せねばならない。
王族は国家と国民の最も根源的な精神を体現する存在なのである。個人としての人間ではなく、存在自体が象徴なのだ。
車の故障で高原に取り残される女王。ふと、一人きりになる瞬間が訪れる。そんなときにふらりと現れる鹿。堂々として威厳をもった姿に、女王は心を打たれる。あのようにならねばならない、と。
映画『クィーン』で描かれるエリザベス女王は、中世の偉大な女王のような威厳さを備えた人物として描かれる。
どんなにマスコミが大袈裟に騒ぎ立て、世論がそれに揺り動かそうとしても、王族としての気高さは決して失わず、英国人の精神を体現する。
エリザベス女王は静かに、かつて騎士道精神と紳士の国と呼ばれていた英国の精神を示す。そんなエリザベス女王の、静かな威厳を前にした人々は、改めて尊敬の念を取り戻す。
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作品データ
監督:スティーヴン・フリアーズ
音楽:アレクサンドル・デスプラ 脚本:ピーター・モーガン
出演:ヘレン・ミレン マイケル・シーン
〇〇〇ジェームズ・クロムウェル シルヴィア・シムズ
〇〇〇アレックス・ジェニングス ヘレン・マックロリー
〇〇〇ロジャー・アラム ティム・マクマラン
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