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■2009/09/23 (Wed)
映画:外国映画■
マーキュリー・シューズはアメリカ最大のスポーツ・シューズ・メーカーだ。僕はその社員。シューズ・デザイナーだった。
会社に入っていくと、皆が僕を振り返った。部外者を見る目。異端者を見る目。
僕は微笑で返して、小さな声で呟く。
「大丈夫……大丈夫」
僕はこの会社に8年間務め、靴の研究に没頭し続けた。靴と簡単にいうが、靴は人と大地を繋ぐ。よりよい靴は、我々を高め、可能性を引き出してくれる。
僕には可能性があったし、可能性にかけていた。8年間、家族や友人に会わず、研究に研究を重ねてきた。最上の瞬間のために。
そうして、完成した。
魔法の靴。
雲の上を歩くような靴。
何もかもが成功しているように思えた。
ところが数日後、僕が作った靴はトラックの荷台に載せて戻ってきた。1台や2台だけではない。アメリカだけではなく、世界中に出荷した靴が会社に戻ってきてしまった。
だから僕は、社長に呼び出された。クビを告げられるための儀式みたいなものだ。
「正直お手上げだ。予想される我が社の損失は9億7200万ドル。とんでもない金額だよ。四捨五入すれば、10億ドルだ。君がデザインした輝かしく画期的なシューズは、今週大々的に売り出されて、たちまち世界的な嘲笑を浴びて返品の山。こんなメモが寄せられた。DSC会長のバーロウ氏からだ。“人々は期待のこの新製品を履くよりは、むしろ裸足に戻ることを望むだろう……”」
誰かが言った。“失敗と大失敗の間には、天と地の差がある”。
失敗とは成功しないこと。失敗は誰にでもある。だが大失敗は――大失敗は神話的なスケールの災厄を意味する。その神話は人々の噂のタネになり、聞く人に喜びを与える。――自分じゃなくてよかった、と。
僕は大失敗で人生から脱落した。僕は悟った。成功がすべて。“偉業”は関係ない。人生は成功を積み重ねていくことで紡がれていく。でも僕の人生は、大失敗で踏み外した。転落した。もう元いた場所に這い上がって、歩くことはできない。何もかもが変わってしまった。
それで僕のしたこと?
家に帰って、家具をみんなゴミ捨て場に放り出した。それから、バイクに包丁を巻きつけて、そのうえに乗った。
さあ死ぬぞ! あの世へのフライトだ!
そんなとき、電話が掛かってきた。
「ドリュー、悪い知らせがあるの。パパが死んだの。心臓発作よ。ママは取り乱している。兄さんが行って来て。長男でしょ。責任があるわ」
人生の終わり。そう思ったとき告げられたのは父の死だった。映画『エリザベスタウン』は二つのものが対立して描かれる。生と死。結婚と葬式。父と子。ドリューの立場はそのはざかいで、どっちつかずで彷徨っている。
主人公ドリューは有名なシューズメーカーに勤めていたが、大惨事を引き起こした責任を取って解雇。自殺を決意するが、それを一歩先に進むように、父の死を知らされる。
父が死んだのは、遠い伯父の家だった。ドリューは父の遺体を回収するために、飛行機に乗る。その仕事が終ったら、もちろん部屋に戻って自殺するつもりでいた。
そんなドリューの前に現れたのがフライトアテンダントのクレアだった。クレアは短い会話からドリューの心理状況を察し、エリザベスタウンへの地図と自分の電話番号を託す。
世界は常に動き続けている。人は物語の主人公となって、世界の動きに加わるだけだ。いつかその世界の動きから外されてしまうときがくるかもしれない。しかしそれは、その人生のベクトルが変化しただけだ。ひょっとすると新しい人生の始まりかもしれない。人生に正解はない。どの道を進むべきか、その人間に委ねられている。
自殺を決意した若者が、新たな人生の切っ掛けを得るまでの物語だ。
人生は一つの長い道である。だが、その道を最後まで行き進むだけが人生ではない。人生はいつか思いがけない節目を迎える瞬間がある。一つの道を何度も往復する場合もあるだろうし、ひょっとしたら別の道を見つけ出し、その方向へ移るかもしれない。
ドリューの場合は、大失敗と挫折を切っ掛けに、これまで進んできた道を断念した。それは、ドリューにとって受け入れがたい現実だった。
自殺を決意したドリューは生と死の境目に突入していく。誰もいない飛行機。使者のように現れるクレア。
その向うに現われるのは、未知の世界。エリザベスタウンはいわば異界であり、ドリューは異界に迷い込んだ異邦人である。
ドリューは道に迷い、正しい道を探して彷徨し続ける。
ドリューが乗る飛行機は異界に向かう船を象徴している。だからあの場面には誰もいない。現実的な風景ではないからだ。その向うに現れた『エリザベスタウン』は、生と死がやわらかに拮抗する場所である。ドリューはそこで一時の休息をとり、人生を再生させようと進みだす。
映画『エリザベスタウン』には軽やかなリズムが全体を包んでいる。物語のトーンも、俳優の演技もみんな明るい。いかにもドラマしていますよ、という重苦しさはない。軽やかに、人生の瞬間を楽しむように物語が綴られていく。
映画の中心にあるのは、登場人物の言葉だ。画面の構成はほとんどが俳優の顔と、台詞で埋められている。
キャラクターが次々に現れ、言葉を重ねていく。言葉を重ねている最中でも、人物は決して静止しない。常に動き続けて、鑑賞者を退屈させない。躍動を始める人生を象徴するように、人物は常に動き、騒ぎ、声をあげて物語を綴る。
そうやって動き続けているうちに、沈んだ心理は躍動する映画のリズムに乗せられるように、新たな人生が見出し巡り始める。
一つ一つの言葉がうまく生きてドラマをつむぎだしている。どの言葉も希望的で、軽やかな気持ちで見られる映画だ。物語はご都合主義的なところはあるが、異界世界の物語だと思えば不思議ではなくなる。
もうお終いかもしれない……。
しかしそう思ったときこそ、新たな何かが発見される。その瞬間を描いた映画だ。
映画『エリザベスタウン』には何か始まるかもしれないという希望と、浮きだつような軽やかさに満ちている。
大きな挫折や憂鬱な気分に捉われているときにこそ、観たい映画だ。
ひょっとしたら違う何かが始まるかもしれない。そんな気持ちを信じられる作品である。
映画記事一覧
監督・脚本:キャメロン・クロウ
音楽:ナンシー・ウィルソン 撮影:ジョン・トール
編集:デヴィッド・モリッツ
出演:オーランド・ブルーム キルステン・ダンスト
〇〇〇スーザン・サランドン アレック・ボールドウィン
〇〇〇ブルース・マッギル ジュディ・グリア
〇〇〇ジェシカ・ビール ポール・シュナイダー
〇〇〇ゲイラード・サーテイン ジェド・リース
会社に入っていくと、皆が僕を振り返った。部外者を見る目。異端者を見る目。
僕は微笑で返して、小さな声で呟く。
「大丈夫……大丈夫」
僕はこの会社に8年間務め、靴の研究に没頭し続けた。靴と簡単にいうが、靴は人と大地を繋ぐ。よりよい靴は、我々を高め、可能性を引き出してくれる。
僕には可能性があったし、可能性にかけていた。8年間、家族や友人に会わず、研究に研究を重ねてきた。最上の瞬間のために。
そうして、完成した。
魔法の靴。
雲の上を歩くような靴。
何もかもが成功しているように思えた。
ところが数日後、僕が作った靴はトラックの荷台に載せて戻ってきた。1台や2台だけではない。アメリカだけではなく、世界中に出荷した靴が会社に戻ってきてしまった。
だから僕は、社長に呼び出された。クビを告げられるための儀式みたいなものだ。
「正直お手上げだ。予想される我が社の損失は9億7200万ドル。とんでもない金額だよ。四捨五入すれば、10億ドルだ。君がデザインした輝かしく画期的なシューズは、今週大々的に売り出されて、たちまち世界的な嘲笑を浴びて返品の山。こんなメモが寄せられた。DSC会長のバーロウ氏からだ。“人々は期待のこの新製品を履くよりは、むしろ裸足に戻ることを望むだろう……”」
誰かが言った。“失敗と大失敗の間には、天と地の差がある”。
失敗とは成功しないこと。失敗は誰にでもある。だが大失敗は――大失敗は神話的なスケールの災厄を意味する。その神話は人々の噂のタネになり、聞く人に喜びを与える。――自分じゃなくてよかった、と。
僕は大失敗で人生から脱落した。僕は悟った。成功がすべて。“偉業”は関係ない。人生は成功を積み重ねていくことで紡がれていく。でも僕の人生は、大失敗で踏み外した。転落した。もう元いた場所に這い上がって、歩くことはできない。何もかもが変わってしまった。
それで僕のしたこと?
家に帰って、家具をみんなゴミ捨て場に放り出した。それから、バイクに包丁を巻きつけて、そのうえに乗った。
さあ死ぬぞ! あの世へのフライトだ!
そんなとき、電話が掛かってきた。
「ドリュー、悪い知らせがあるの。パパが死んだの。心臓発作よ。ママは取り乱している。兄さんが行って来て。長男でしょ。責任があるわ」
人生の終わり。そう思ったとき告げられたのは父の死だった。映画『エリザベスタウン』は二つのものが対立して描かれる。生と死。結婚と葬式。父と子。ドリューの立場はそのはざかいで、どっちつかずで彷徨っている。
主人公ドリューは有名なシューズメーカーに勤めていたが、大惨事を引き起こした責任を取って解雇。自殺を決意するが、それを一歩先に進むように、父の死を知らされる。
父が死んだのは、遠い伯父の家だった。ドリューは父の遺体を回収するために、飛行機に乗る。その仕事が終ったら、もちろん部屋に戻って自殺するつもりでいた。
そんなドリューの前に現れたのがフライトアテンダントのクレアだった。クレアは短い会話からドリューの心理状況を察し、エリザベスタウンへの地図と自分の電話番号を託す。
世界は常に動き続けている。人は物語の主人公となって、世界の動きに加わるだけだ。いつかその世界の動きから外されてしまうときがくるかもしれない。しかしそれは、その人生のベクトルが変化しただけだ。ひょっとすると新しい人生の始まりかもしれない。人生に正解はない。どの道を進むべきか、その人間に委ねられている。
自殺を決意した若者が、新たな人生の切っ掛けを得るまでの物語だ。
人生は一つの長い道である。だが、その道を最後まで行き進むだけが人生ではない。人生はいつか思いがけない節目を迎える瞬間がある。一つの道を何度も往復する場合もあるだろうし、ひょっとしたら別の道を見つけ出し、その方向へ移るかもしれない。
ドリューの場合は、大失敗と挫折を切っ掛けに、これまで進んできた道を断念した。それは、ドリューにとって受け入れがたい現実だった。
自殺を決意したドリューは生と死の境目に突入していく。誰もいない飛行機。使者のように現れるクレア。
その向うに現われるのは、未知の世界。エリザベスタウンはいわば異界であり、ドリューは異界に迷い込んだ異邦人である。
ドリューは道に迷い、正しい道を探して彷徨し続ける。
ドリューが乗る飛行機は異界に向かう船を象徴している。だからあの場面には誰もいない。現実的な風景ではないからだ。その向うに現れた『エリザベスタウン』は、生と死がやわらかに拮抗する場所である。ドリューはそこで一時の休息をとり、人生を再生させようと進みだす。
映画『エリザベスタウン』には軽やかなリズムが全体を包んでいる。物語のトーンも、俳優の演技もみんな明るい。いかにもドラマしていますよ、という重苦しさはない。軽やかに、人生の瞬間を楽しむように物語が綴られていく。
映画の中心にあるのは、登場人物の言葉だ。画面の構成はほとんどが俳優の顔と、台詞で埋められている。
キャラクターが次々に現れ、言葉を重ねていく。言葉を重ねている最中でも、人物は決して静止しない。常に動き続けて、鑑賞者を退屈させない。躍動を始める人生を象徴するように、人物は常に動き、騒ぎ、声をあげて物語を綴る。
そうやって動き続けているうちに、沈んだ心理は躍動する映画のリズムに乗せられるように、新たな人生が見出し巡り始める。
一つ一つの言葉がうまく生きてドラマをつむぎだしている。どの言葉も希望的で、軽やかな気持ちで見られる映画だ。物語はご都合主義的なところはあるが、異界世界の物語だと思えば不思議ではなくなる。
もうお終いかもしれない……。
しかしそう思ったときこそ、新たな何かが発見される。その瞬間を描いた映画だ。
映画『エリザベスタウン』には何か始まるかもしれないという希望と、浮きだつような軽やかさに満ちている。
大きな挫折や憂鬱な気分に捉われているときにこそ、観たい映画だ。
ひょっとしたら違う何かが始まるかもしれない。そんな気持ちを信じられる作品である。
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監督・脚本:キャメロン・クロウ
音楽:ナンシー・ウィルソン 撮影:ジョン・トール
編集:デヴィッド・モリッツ
出演:オーランド・ブルーム キルステン・ダンスト
〇〇〇スーザン・サランドン アレック・ボールドウィン
〇〇〇ブルース・マッギル ジュディ・グリア
〇〇〇ジェシカ・ビール ポール・シュナイダー
〇〇〇ゲイラード・サーテイン ジェド・リース
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