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■2009/09/26 (Sat)
映画:外国映画■
それは、1940年の6月のできごとだった。
祭りの夜、ノアはある女の子を目にする。
アリー・ハミルトン。17歳の良家の娘だった。
ノアは、アリーに一目ぼれし、半ば強引に、アリーにデートの約束を決めさせる。
自由奔放なノアと、おしとやかに育てられたアリー。正反対の二人だったが、間もなく両思いの関係になる。
以来、ノアとアリーは毎日のように会い愛を育んでいった。
しかし、アリーの両親は、二人の恋愛を認めていなかった。
アリーの母親はノアを猛然と批判し、二人を別れさせるために突然の引越しを決める。アリーは遠いニューヨークの大学に通うことになってしまった。
ノアはアリーの引越しを知り、アリーの家へと急ぐが、すでに誰もいなかった。別れの言葉すら、告げられなかった。
ノアの恋心はそれで終わりにはならなかった。その後ノアは、1年かけて365通の手紙をアリーへ送る。しかし手紙は、アリーの母親が隠してしまい、アリーには届かなかった。
それからアリーは新たな出会いがあった。ロンとの出会い。新しい出会いと楽しい日々に、アリーは次第にノアとの思い出を忘れるようになっていた。
間もなくアリーはロンからのプロポーズを受ける。アリーの心は決まりつつあったが、ある日、アリーは新聞記事に偶然にもノアを見つけてしまう……。
恋愛映画に美しい陶酔的な映像は必須のものだ。『きみに読む物語』においても、二人の結びつきの強いシーンほど美しい映像で描かれる。
多くの場合、女性は奔放だ。古い恋の傷跡も、容易に乗り越えて新しい関係を求める。
一方男性は待つほうを選ぶ。男性はある一時に刻まれた強い思いをなかなか忘れられない。恋愛に限らず、男性は多くの場合で過去を引き摺り、過去に愛着を示す傾向を持っている。その対象が恋愛であった場合、男性はその女性を、あるいはそれに似た印象を求め続けるだろう。
その典型通りに、アリーはノアとの恋愛を忘れ、ノアはアリーを忘れられず、いつかアリーと住むための家を作り始める。
「忘れられない男」と「忘れてしまう女」の物語。老人は、老女が忘れてしまったかつての物語を語って聞かせる。ノアはアリーとの思い出を守るために家を作り始める。
物語は二つの時間軸が同時に進行される。過去の物語は、ノアとアリーを中心とした瑞々しい恋愛物語だ。もう一つの現在の物語は、認知症の老女と老女に物語を聞かせる老人の物語だ。
この映画には二つの物語が同時に進行している。間もなく二つの物語は折り重なり、一本の物語として収束していく。
映画記事一覧
作品データ
監督:ニック・カサヴェテス 原作:ニコラス・スパークス
音楽:アーロン・ジグマン 脚本:ジャン・サルディ
出演:ライアン・ゴズリング レイチェル・マクアダムス
〇〇〇ジーナ・ローランズ ジェームズ・ガーナー
〇〇〇ジェームズ・マースデン サム・シェパード
祭りの夜、ノアはある女の子を目にする。
アリー・ハミルトン。17歳の良家の娘だった。
ノアは、アリーに一目ぼれし、半ば強引に、アリーにデートの約束を決めさせる。
自由奔放なノアと、おしとやかに育てられたアリー。正反対の二人だったが、間もなく両思いの関係になる。
以来、ノアとアリーは毎日のように会い愛を育んでいった。
しかし、アリーの両親は、二人の恋愛を認めていなかった。
アリーの母親はノアを猛然と批判し、二人を別れさせるために突然の引越しを決める。アリーは遠いニューヨークの大学に通うことになってしまった。
ノアはアリーの引越しを知り、アリーの家へと急ぐが、すでに誰もいなかった。別れの言葉すら、告げられなかった。
ノアの恋心はそれで終わりにはならなかった。その後ノアは、1年かけて365通の手紙をアリーへ送る。しかし手紙は、アリーの母親が隠してしまい、アリーには届かなかった。
それからアリーは新たな出会いがあった。ロンとの出会い。新しい出会いと楽しい日々に、アリーは次第にノアとの思い出を忘れるようになっていた。
間もなくアリーはロンからのプロポーズを受ける。アリーの心は決まりつつあったが、ある日、アリーは新聞記事に偶然にもノアを見つけてしまう……。
恋愛映画に美しい陶酔的な映像は必須のものだ。『きみに読む物語』においても、二人の結びつきの強いシーンほど美しい映像で描かれる。
多くの場合、女性は奔放だ。古い恋の傷跡も、容易に乗り越えて新しい関係を求める。
一方男性は待つほうを選ぶ。男性はある一時に刻まれた強い思いをなかなか忘れられない。恋愛に限らず、男性は多くの場合で過去を引き摺り、過去に愛着を示す傾向を持っている。その対象が恋愛であった場合、男性はその女性を、あるいはそれに似た印象を求め続けるだろう。
その典型通りに、アリーはノアとの恋愛を忘れ、ノアはアリーを忘れられず、いつかアリーと住むための家を作り始める。
「忘れられない男」と「忘れてしまう女」の物語。老人は、老女が忘れてしまったかつての物語を語って聞かせる。ノアはアリーとの思い出を守るために家を作り始める。
物語は二つの時間軸が同時に進行される。過去の物語は、ノアとアリーを中心とした瑞々しい恋愛物語だ。もう一つの現在の物語は、認知症の老女と老女に物語を聞かせる老人の物語だ。
この映画には二つの物語が同時に進行している。間もなく二つの物語は折り重なり、一本の物語として収束していく。
映画記事一覧
作品データ
監督:ニック・カサヴェテス 原作:ニコラス・スパークス
音楽:アーロン・ジグマン 脚本:ジャン・サルディ
出演:ライアン・ゴズリング レイチェル・マクアダムス
〇〇〇ジーナ・ローランズ ジェームズ・ガーナー
〇〇〇ジェームズ・マースデン サム・シェパード
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■2009/09/26 (Sat)
映画:外国映画■
18世紀のパリは、悪臭そのもののような都市だった。
下水は整備されておらず、汚物と汚水は路上に打ちすてられ、その汚物を踏んでしまわないためにハイヒールが必需だった。
ジョン=バティスト・グルヌイユが生まれたのは、そんな中でも悪臭のきつい、魚市場だった。
バティストの母親は、すでに四人の子供を屋台の下で生んでいた。だがすべての子供は、魚市場の酷い悪臭に自ら息を止めて死亡した。死亡した子供は、魚のはらわたと共に捨てられた。
だが、バティストは特別な子供だった。
バティストはそこに漂うすべての匂いに関心を持って交わり、生きる選択をした。
当時のパリは“悪臭の街”の象徴だった。オシャレな街として整備されるのはずっと後の話。バティスト少年の周囲には死が取り巻いている。この映画はあえてだと思うが死を重く描いていない。他人の死を重要視しないのがこの映画とバティストを描く上のテーマなのだろう。
バティストは孤児院に預けられ、成長して皮職人の親方に預けられた。
ある日、皮職人の親方は、バティストをパリの街に連れて行く。
バティストにとって、はじめて訪れるパリの往来。
そこでバティストはあらゆる香りに接し、はじめて“良い香りと悪い香り”の2種類あると自覚する。
“性の目覚め”ならぬ“香りの目覚め”だ。バティストはこの時の香りが忘れられず、この思い出を神聖視し始める。
パリの街で、バティストを惹きつけたのは、一軒の香水屋だった。
それ以上にバディストを惹きつけたのは、路地裏を歩く一人の少女だった。
バティストは香りの正体を知ろうと、少女を追った。
少女は、バティストに襲われると思い、悲鳴を上げる。バティストはとっさに少女を黙らせようとして、誤って殺してしまう。
その途端に、少女から匂いは消えていた。
バティストは少女の服を剥ぎ取り、詳しく調べるが、あの匂いはどこにもない。
これを切っ掛けに、バティストは究極の香りを作り、香りを永久に保存する方法に執着するようになる。
バティストの最初の師匠はダスティン・ホフマン。やはり鼻の大きさか?天才の思考は常に社会通念を越えるから天才なのである。時にタブーを犯すが、自身の理念のためなら恐れてはならない。
映画館には当然、匂いはない。
だから映画『パフューム ある人殺しの物語』は何度も対象に向かってクローズアップを繰り返す。
観客に、それが持っている匂いを連想させるためだ。
映画の主人公バティストが最も関心を持つのは、美女の香りである。
バティストは、少年時代の初恋を思い出すように、何度も美女を夢の中に見る。むき出しのうなじ。緩くウェーブを描いた赤毛。くっきりとした眉に、強く輝く眼差し……。
カメラは美女の身体にどこまでも接近していき、それが持っている香り以上に強烈なエロチズムを際立たせる。
映画中では赤毛が美人の記号として描かれる。トム・ティクヴァ監督は赤毛に何か思い入れでもあるのだろうか?もっとも『パフューム』はフェチ映画だからテーマと合っていてOK。
バティストは天才であるが、すぐに異常な人間であるとわかる。
バティストは美女ににじみ寄り、服を剥ぎ取って陰部にまで鼻を近づけるが、性欲に関心がない。バティストの関心は肉欲の部分には決して向かわず、あくまでも香りだけにこだわる。
美女が放つ香りを保存するために、手段を選ばない。
バティストは純粋なのだ。だから社会的規律が定める罰にも恐れを抱かない。ただ自身の目的だけが、バティストの行動全体を支配し、突き動かすのだ。
バティストは指も使わず、舌も使わない。ただ身体から際立つ香りだけで、美女の体をなぞり、探っていく。
そんなフェティシズムがバティスト少年の運命を決定付け、奈落へと突き落としていく。
映画記事一覧
作品データ
監督・音楽・脚本:トム・ティクヴァ 原作:パトリック・ジュースキント
音楽:ジョニー・クリメック ラインホルト・ハイル
脚本:アンドリュー・バーキン ベルント・アイヒンガー
出演:ベン・ウィショー ダスティン・ホフマン
〇〇〇アラン・リックマン レイチェル・ハード=ウッド
〇〇〇アンドレス・エレーラ サイモン・チャンドラー
〇〇〇デヴィッド・コールダー カロリーネ・ヘルフルト
下水は整備されておらず、汚物と汚水は路上に打ちすてられ、その汚物を踏んでしまわないためにハイヒールが必需だった。
ジョン=バティスト・グルヌイユが生まれたのは、そんな中でも悪臭のきつい、魚市場だった。
バティストの母親は、すでに四人の子供を屋台の下で生んでいた。だがすべての子供は、魚市場の酷い悪臭に自ら息を止めて死亡した。死亡した子供は、魚のはらわたと共に捨てられた。
だが、バティストは特別な子供だった。
バティストはそこに漂うすべての匂いに関心を持って交わり、生きる選択をした。
当時のパリは“悪臭の街”の象徴だった。オシャレな街として整備されるのはずっと後の話。バティスト少年の周囲には死が取り巻いている。この映画はあえてだと思うが死を重く描いていない。他人の死を重要視しないのがこの映画とバティストを描く上のテーマなのだろう。
バティストは孤児院に預けられ、成長して皮職人の親方に預けられた。
ある日、皮職人の親方は、バティストをパリの街に連れて行く。
バティストにとって、はじめて訪れるパリの往来。
そこでバティストはあらゆる香りに接し、はじめて“良い香りと悪い香り”の2種類あると自覚する。
“性の目覚め”ならぬ“香りの目覚め”だ。バティストはこの時の香りが忘れられず、この思い出を神聖視し始める。
パリの街で、バティストを惹きつけたのは、一軒の香水屋だった。
それ以上にバディストを惹きつけたのは、路地裏を歩く一人の少女だった。
バティストは香りの正体を知ろうと、少女を追った。
少女は、バティストに襲われると思い、悲鳴を上げる。バティストはとっさに少女を黙らせようとして、誤って殺してしまう。
その途端に、少女から匂いは消えていた。
バティストは少女の服を剥ぎ取り、詳しく調べるが、あの匂いはどこにもない。
これを切っ掛けに、バティストは究極の香りを作り、香りを永久に保存する方法に執着するようになる。
バティストの最初の師匠はダスティン・ホフマン。やはり鼻の大きさか?天才の思考は常に社会通念を越えるから天才なのである。時にタブーを犯すが、自身の理念のためなら恐れてはならない。
映画館には当然、匂いはない。
だから映画『パフューム ある人殺しの物語』は何度も対象に向かってクローズアップを繰り返す。
観客に、それが持っている匂いを連想させるためだ。
映画の主人公バティストが最も関心を持つのは、美女の香りである。
バティストは、少年時代の初恋を思い出すように、何度も美女を夢の中に見る。むき出しのうなじ。緩くウェーブを描いた赤毛。くっきりとした眉に、強く輝く眼差し……。
カメラは美女の身体にどこまでも接近していき、それが持っている香り以上に強烈なエロチズムを際立たせる。
映画中では赤毛が美人の記号として描かれる。トム・ティクヴァ監督は赤毛に何か思い入れでもあるのだろうか?もっとも『パフューム』はフェチ映画だからテーマと合っていてOK。
バティストは天才であるが、すぐに異常な人間であるとわかる。
バティストは美女ににじみ寄り、服を剥ぎ取って陰部にまで鼻を近づけるが、性欲に関心がない。バティストの関心は肉欲の部分には決して向かわず、あくまでも香りだけにこだわる。
美女が放つ香りを保存するために、手段を選ばない。
バティストは純粋なのだ。だから社会的規律が定める罰にも恐れを抱かない。ただ自身の目的だけが、バティストの行動全体を支配し、突き動かすのだ。
バティストは指も使わず、舌も使わない。ただ身体から際立つ香りだけで、美女の体をなぞり、探っていく。
そんなフェティシズムがバティスト少年の運命を決定付け、奈落へと突き落としていく。
映画記事一覧
作品データ
監督・音楽・脚本:トム・ティクヴァ 原作:パトリック・ジュースキント
音楽:ジョニー・クリメック ラインホルト・ハイル
脚本:アンドリュー・バーキン ベルント・アイヒンガー
出演:ベン・ウィショー ダスティン・ホフマン
〇〇〇アラン・リックマン レイチェル・ハード=ウッド
〇〇〇アンドレス・エレーラ サイモン・チャンドラー
〇〇〇デヴィッド・コールダー カロリーネ・ヘルフルト
■2009/09/26 (Sat)
映画:外国映画■
その日、33年間キャスターを務めたベテラン、ピーターが引退する。
ニュースリポーターであるブルースは、同僚のエバンと、キャスターの座を争っていた。
ブルースは、自分がキャスターの座に就けると、信じて疑っていなかった。
しかし、上司が指名したのは、エバンだった。
新しいニュースキャスターの座はブルースかエバンのどちらかであった。上司の選択はエバンだった。嫉妬に狂ったブルースは本番中に暴言を撒き散らし、放送局をクビになる。
何もかもがうまく行かない。
ブルースは、天に向かって神を罵る。
「天罰を落としてみろ! クビになっちまえ! ちっとも仕事をしないのは、あんただけだ!」
そんなブルースの前に、まさかの神が現れる。
神はブルースに自分の力を授け、バカンスに行ってしまう。
「自分の代わりに、神の仕事をやってみろ」と言い残して。
“天井”から脚立で降りてくる神。ユーモアがあって面白い場面だ。それにしても、モーガンフリーマンは映画を選ばない人だ。
ジム・キャリーの前に、モーガン・フリーマンの神が現れる。
超越的なストーリーは、いかにもアメリカン・コメディ的な展開で始まる。大袈裟な身振りに、コミック的な演技。分かりやすい物語。人を選ばず、誰でも理解できる映画だ。
ブルースは神の力を得るが、その奇跡の一つ一つがあまりにも馬鹿馬鹿しい。
赤いスープを『十戒』のように二つに割ったり、尻から猿を出現させたり。
そんな不条理さも、神様が登場してしまった時点で、容認せねばならない。すでに映画が置かれている状況は、条理的な認識を徹底的に逸脱しているのだ。
脇役扱いだったスティーヴン・カレル。しかし続編『エバン・オールマイティ』の主役の座を手に入れ、『ゲット・スマート』などをヒットさせ、今やコメディ俳優の代表になりつつある。ある意味、ジム・キャリーの座を乗っ取ったといえる(ジム・キャリーのギャラ高額化も問題の一つなのだが)。
意外性のあるコメディに思えるが、物語としては典型的な結末に向かっていく。
愚か者が善に目覚め、悔悛していくストーリーだ。
突飛な展開が連続していくように思えるが、物語の骨は、類型的な説教物語を形式として踏襲している。
放蕩と、改心。ピューリタズム的精神が、背後に見えてくる。実にキリスト教国家にふさわしい物語だ。
赤いスープを『十戒』のごとく二つに割る。あまりにも馬鹿馬鹿しくて笑えた。ブルースは利己的人間だが、考えるスケールが限りなく馬鹿馬鹿しく、しかも無害だ。このようなどーでもいい馬鹿馬鹿しいシーンが連発する映画だと思えばいい。
ジム・キャリーはゴムのような顔面で、自在に感情を表現する。アニメーションにありがちな身振り手振りを、デジタルの手助けなしに身体で具現化する。
コメディ映画の精神を、身体で表現する俳優である。だがジム・キャリーの優秀さは、ただのコメディアンに納まらない部分にある。映画のポイントをよく理解し、要所要所に素晴らしい演技を見せる。
いかにもなアメリカン・コメディだが、見所のある作品である。
映画記事一覧
作品データ
監督:トム・シャドヤック 音楽:ジョン・デブニー
脚本:スティーヴ・コーレン マーク・オキーフ
〇〇〇スティーヴ・オーデカーク
出演:ジム・キャリー モーガン・フリーマン
〇〇〇ジェニファー・アニストン フィリップ・ベイカー・ホール
〇〇〇キャサリン・ベル スティーヴン・カレル
ニュースリポーターであるブルースは、同僚のエバンと、キャスターの座を争っていた。
ブルースは、自分がキャスターの座に就けると、信じて疑っていなかった。
しかし、上司が指名したのは、エバンだった。
新しいニュースキャスターの座はブルースかエバンのどちらかであった。上司の選択はエバンだった。嫉妬に狂ったブルースは本番中に暴言を撒き散らし、放送局をクビになる。
何もかもがうまく行かない。
ブルースは、天に向かって神を罵る。
「天罰を落としてみろ! クビになっちまえ! ちっとも仕事をしないのは、あんただけだ!」
そんなブルースの前に、まさかの神が現れる。
神はブルースに自分の力を授け、バカンスに行ってしまう。
「自分の代わりに、神の仕事をやってみろ」と言い残して。
“天井”から脚立で降りてくる神。ユーモアがあって面白い場面だ。それにしても、モーガンフリーマンは映画を選ばない人だ。
ジム・キャリーの前に、モーガン・フリーマンの神が現れる。
超越的なストーリーは、いかにもアメリカン・コメディ的な展開で始まる。大袈裟な身振りに、コミック的な演技。分かりやすい物語。人を選ばず、誰でも理解できる映画だ。
ブルースは神の力を得るが、その奇跡の一つ一つがあまりにも馬鹿馬鹿しい。
赤いスープを『十戒』のように二つに割ったり、尻から猿を出現させたり。
そんな不条理さも、神様が登場してしまった時点で、容認せねばならない。すでに映画が置かれている状況は、条理的な認識を徹底的に逸脱しているのだ。
脇役扱いだったスティーヴン・カレル。しかし続編『エバン・オールマイティ』の主役の座を手に入れ、『ゲット・スマート』などをヒットさせ、今やコメディ俳優の代表になりつつある。ある意味、ジム・キャリーの座を乗っ取ったといえる(ジム・キャリーのギャラ高額化も問題の一つなのだが)。
意外性のあるコメディに思えるが、物語としては典型的な結末に向かっていく。
愚か者が善に目覚め、悔悛していくストーリーだ。
突飛な展開が連続していくように思えるが、物語の骨は、類型的な説教物語を形式として踏襲している。
放蕩と、改心。ピューリタズム的精神が、背後に見えてくる。実にキリスト教国家にふさわしい物語だ。
赤いスープを『十戒』のごとく二つに割る。あまりにも馬鹿馬鹿しくて笑えた。ブルースは利己的人間だが、考えるスケールが限りなく馬鹿馬鹿しく、しかも無害だ。このようなどーでもいい馬鹿馬鹿しいシーンが連発する映画だと思えばいい。
ジム・キャリーはゴムのような顔面で、自在に感情を表現する。アニメーションにありがちな身振り手振りを、デジタルの手助けなしに身体で具現化する。
コメディ映画の精神を、身体で表現する俳優である。だがジム・キャリーの優秀さは、ただのコメディアンに納まらない部分にある。映画のポイントをよく理解し、要所要所に素晴らしい演技を見せる。
いかにもなアメリカン・コメディだが、見所のある作品である。
映画記事一覧
作品データ
監督:トム・シャドヤック 音楽:ジョン・デブニー
脚本:スティーヴ・コーレン マーク・オキーフ
〇〇〇スティーヴ・オーデカーク
出演:ジム・キャリー モーガン・フリーマン
〇〇〇ジェニファー・アニストン フィリップ・ベイカー・ホール
〇〇〇キャサリン・ベル スティーヴン・カレル
■2009/09/26 (Sat)
映画:外国映画■
舞台となるリッチモンド高校は、生徒の成績が悪く、荒れた学校だった。
カーターはそんな学校のバスケットコーチに招待される。
カーターは、まず生徒たちに、ルールを課す。
“練習の5分前に集合すること”
“成績は、2.3以上修めること”
そのルールに納得がいかない部員たちが、次々とチームから抜けてしまう。
残ったチームだけで練習を続け“リッチモンド対ハーキュリー”戦で、勝利を獲得する。
チームメイトはそれぞれ問題を抱えていた。クルーズの場合は麻薬の売人。まず驚いたのは、アメリカの若者の自堕落な姿。規律を一方的な強制だと否定し、流れるままに身を落としていく。……日本の若者も無関係ではない。
クルーズはチームを抜けた一人だった。
勝利に喜ぶチームメイトを見たクルーズは、チームに戻りたいと思うようになっていた。
クルーズはカーターに謝り、再びチームに戻れるようお願いする。
カーターは厳しく「ならば金曜日までに腕立て2500回とダッシュ1000本だ」と条件をつける。
やがて金曜日になるが、クルーズはカーターの課した条件を達成できなかった。
すると、チームメイトが協力を申し出た。
「彼の分を、自分たちでやる」と。
「そこまで強引な指導する必要は……」とあらすじを見て思ったが、相手はそれ以上にやる気なしの集団。これが自由主義なのか、と思ってしまった。
それ以後も、カーターのチームは順調に連戦連勝を続けていく。
しかし、学業の面がまったく守られていなかった。大半が成績不良、出席日数不足だった。
カーターは部員たちが要求する成績を達成できるまで体育館を閉鎖にし、試合も中止にさせる。
生徒の忍耐力のなさに驚いたが、保護者の責任能力のなさにも驚かされた。体育館閉鎖のシーンでは「教育者としての能力が疑われる。閉鎖をやめるべきだ」と自分たちのやる気のなさを言い訳。日教組はアメリカ生まれなのだろか?
わかりやすい青春スポーツ・ムービーだ。
難しく構える必要はどこにもない。
ストーリーに見る者を動揺させたり、不安がらせる要素は全くない。最後には期待通りのエンディングが待っている。実に行儀のいいエンターティンメントだ。
見る者も、単純に物語の感情に身を委ねればいいだろう。
映画記事一覧
作品データ
監督:トーマス・カーター
出演:サミュエル・L・ジャクソン リック・ゴンザレス
〇〇〇ロブ・ブラウン ロバート・リチャード
〇〇〇アシャンティ アントウォン・タナー
カーターはそんな学校のバスケットコーチに招待される。
カーターは、まず生徒たちに、ルールを課す。
“練習の5分前に集合すること”
“成績は、2.3以上修めること”
そのルールに納得がいかない部員たちが、次々とチームから抜けてしまう。
残ったチームだけで練習を続け“リッチモンド対ハーキュリー”戦で、勝利を獲得する。
チームメイトはそれぞれ問題を抱えていた。クルーズの場合は麻薬の売人。まず驚いたのは、アメリカの若者の自堕落な姿。規律を一方的な強制だと否定し、流れるままに身を落としていく。……日本の若者も無関係ではない。
クルーズはチームを抜けた一人だった。
勝利に喜ぶチームメイトを見たクルーズは、チームに戻りたいと思うようになっていた。
クルーズはカーターに謝り、再びチームに戻れるようお願いする。
カーターは厳しく「ならば金曜日までに腕立て2500回とダッシュ1000本だ」と条件をつける。
やがて金曜日になるが、クルーズはカーターの課した条件を達成できなかった。
すると、チームメイトが協力を申し出た。
「彼の分を、自分たちでやる」と。
「そこまで強引な指導する必要は……」とあらすじを見て思ったが、相手はそれ以上にやる気なしの集団。これが自由主義なのか、と思ってしまった。
それ以後も、カーターのチームは順調に連戦連勝を続けていく。
しかし、学業の面がまったく守られていなかった。大半が成績不良、出席日数不足だった。
カーターは部員たちが要求する成績を達成できるまで体育館を閉鎖にし、試合も中止にさせる。
生徒の忍耐力のなさに驚いたが、保護者の責任能力のなさにも驚かされた。体育館閉鎖のシーンでは「教育者としての能力が疑われる。閉鎖をやめるべきだ」と自分たちのやる気のなさを言い訳。日教組はアメリカ生まれなのだろか?
わかりやすい青春スポーツ・ムービーだ。
難しく構える必要はどこにもない。
ストーリーに見る者を動揺させたり、不安がらせる要素は全くない。最後には期待通りのエンディングが待っている。実に行儀のいいエンターティンメントだ。
見る者も、単純に物語の感情に身を委ねればいいだろう。
映画記事一覧
作品データ
監督:トーマス・カーター
出演:サミュエル・L・ジャクソン リック・ゴンザレス
〇〇〇ロブ・ブラウン ロバート・リチャード
〇〇〇アシャンティ アントウォン・タナー
■2009/09/26 (Sat)
映画:外国映画■
ルワンダの首都キガリには、ツチ族とフツ族による深い対立があった。
とくにフツ族は、ツチ族に対する深い怒りを恨みを抱えていた。
フツ族たちは、自らラジオ番組を持ち「奴らは人殺しだ!」と人々を煽り立てていた。
ポールはツチ族に賄賂を贈って穏便に済ませていた。あくまでもビジネスのためであり、両族を巡る問題にそこまで関心を持っているわけではない。
主人公であるポール・ルセサバギナはフツ族だった。
ポールは、ホテルの支配人として両方に折り合いをつけて生活をしていた。
時に、関係を円満に進めるために、フツ族や兵士に賄賂を贈ることもあった。
フツ族はラジオで呼びかけ、過激なデモを繰り返し、多くの人に「反ツチ族」感情を煽り立てていた。同時に武器を整え虐殺の準備を着々と進ませていた。国連は平和的解決を望んでいたが、その希望は潰える。
そんなルワンダにも平和の兆しがあった。ハビャリマナ大統領による和平協定だった。
この協定が結ばれれば、ツチ族とフツ族による対立は解消されるはずだった。
大統領が和平を結んだその日、あちこちで混乱が起きていた。大統領が暗殺されたのだ。フツ族が計画していた虐殺も、同時に始まる。ポールは隣人のツチ族が襲われ、殺されようとも無関心でいた。関わるべきではない、と。
しかし協定が結ばれようとしていたその日、大統領が暗殺される。
同時に、フツ族による大虐殺が始まった。
公然と銃を手に民家を押し入り、家に火をつけ、住人を撃ち殺す。
ホテルに到着するポール。翌日になると、多くのツチ族がホテルになだれ込んできた。ポールはそのすべてを「ホテルの客」として受け入れていく。間もなくホテルはフツ族に取り囲まれてしまう。ポールは国連に救助を求めるが……。
ポールは、家族を連れて、ホテルに戻ろうとしていた。ホテルに行けば国連の兵士たちが守ってくれるはずだった。
しかしその途上で、ポールはフツ族の兵士に止められてしまう。
ポールは、とっさに「10万フランで、彼らを見逃してくれ」と訴える。
国連の決定は「ホテルに滞在している白人だけ救助する」だった。避難しているツチ族は放置。ここでも白人優位主義の考えが見えてくる。物語はポールと白人記者のジャックの視点で描かれる。ジャックにはルワンダで起きている事件を世界に知らせようと色々手を尽くす。
ようやく到着したホテルだったが、次々と難民が集ってきた。そこに逃げ込めば国連の保護が得られる。誰もが助けを必要としていた。
ポールは彼ら難民を「ホテルの客」として受け入れていく。
ルワンダ虐殺は3ヶ月の間に80万人が殺されたとされている。虐殺にはラジオを聞いた民間人も参加し、充分な準備の上だが、中心的な武器といえば山刀である。やはり参加者の規模が多かったのだろう。
ホテル・ルワンダは娯楽映画だ。しかし、多くの問題とアフリカで起きている現実の一幕を提示している。
アフリカで起きている虐殺や民俗浄化。その一片を映画は描き出す。
その多くを知りながら、我々は無関心である。あるいは知っていても広く知らせようとしない。国連すら、深く関わろうとせず問題を放置してしまう。
映画『ホテル・ルワンダ』はそんな一端を知る、良き切っ掛けとなる映画だろう。
『ルワンダの涙』の記事へ
映画記事一覧
作品データ
監督:テリー・ジョージ
音楽:ルパート・グレグソン=ウィリアムズ アンドレア・グエラ
脚本:テリー・ジョージ ケア・ピアソン
出演:ドン・チードル ソフィー・オコネドー
〇〇〇ホアキン・フェニックス ニック・ノルティ
〇〇〇デズモンド・デュベ デヴィッド・オハラ
とくにフツ族は、ツチ族に対する深い怒りを恨みを抱えていた。
フツ族たちは、自らラジオ番組を持ち「奴らは人殺しだ!」と人々を煽り立てていた。
ポールはツチ族に賄賂を贈って穏便に済ませていた。あくまでもビジネスのためであり、両族を巡る問題にそこまで関心を持っているわけではない。
主人公であるポール・ルセサバギナはフツ族だった。
ポールは、ホテルの支配人として両方に折り合いをつけて生活をしていた。
時に、関係を円満に進めるために、フツ族や兵士に賄賂を贈ることもあった。
フツ族はラジオで呼びかけ、過激なデモを繰り返し、多くの人に「反ツチ族」感情を煽り立てていた。同時に武器を整え虐殺の準備を着々と進ませていた。国連は平和的解決を望んでいたが、その希望は潰える。
そんなルワンダにも平和の兆しがあった。ハビャリマナ大統領による和平協定だった。
この協定が結ばれれば、ツチ族とフツ族による対立は解消されるはずだった。
大統領が和平を結んだその日、あちこちで混乱が起きていた。大統領が暗殺されたのだ。フツ族が計画していた虐殺も、同時に始まる。ポールは隣人のツチ族が襲われ、殺されようとも無関心でいた。関わるべきではない、と。
しかし協定が結ばれようとしていたその日、大統領が暗殺される。
同時に、フツ族による大虐殺が始まった。
公然と銃を手に民家を押し入り、家に火をつけ、住人を撃ち殺す。
ホテルに到着するポール。翌日になると、多くのツチ族がホテルになだれ込んできた。ポールはそのすべてを「ホテルの客」として受け入れていく。間もなくホテルはフツ族に取り囲まれてしまう。ポールは国連に救助を求めるが……。
ポールは、家族を連れて、ホテルに戻ろうとしていた。ホテルに行けば国連の兵士たちが守ってくれるはずだった。
しかしその途上で、ポールはフツ族の兵士に止められてしまう。
ポールは、とっさに「10万フランで、彼らを見逃してくれ」と訴える。
国連の決定は「ホテルに滞在している白人だけ救助する」だった。避難しているツチ族は放置。ここでも白人優位主義の考えが見えてくる。物語はポールと白人記者のジャックの視点で描かれる。ジャックにはルワンダで起きている事件を世界に知らせようと色々手を尽くす。
ようやく到着したホテルだったが、次々と難民が集ってきた。そこに逃げ込めば国連の保護が得られる。誰もが助けを必要としていた。
ポールは彼ら難民を「ホテルの客」として受け入れていく。
ルワンダ虐殺は3ヶ月の間に80万人が殺されたとされている。虐殺にはラジオを聞いた民間人も参加し、充分な準備の上だが、中心的な武器といえば山刀である。やはり参加者の規模が多かったのだろう。
ホテル・ルワンダは娯楽映画だ。しかし、多くの問題とアフリカで起きている現実の一幕を提示している。
アフリカで起きている虐殺や民俗浄化。その一片を映画は描き出す。
その多くを知りながら、我々は無関心である。あるいは知っていても広く知らせようとしない。国連すら、深く関わろうとせず問題を放置してしまう。
映画『ホテル・ルワンダ』はそんな一端を知る、良き切っ掛けとなる映画だろう。
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作品データ
監督:テリー・ジョージ
音楽:ルパート・グレグソン=ウィリアムズ アンドレア・グエラ
脚本:テリー・ジョージ ケア・ピアソン
出演:ドン・チードル ソフィー・オコネドー
〇〇〇ホアキン・フェニックス ニック・ノルティ
〇〇〇デズモンド・デュベ デヴィッド・オハラ