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■2009/09/19 (Sat)
c0171387.jpgマゴリアムおじさんのおもちゃ屋に並ぶ玩具は普通の品ではない。すべてに魔法がかけられている。どの玩具も生命を持ち、子供を楽しませようと身を弾ませている。
そんな店の主であるマゴリアムおじさんは、まもなく243歳にる。マ7eadcc14.jpgゴリアムおじさんは生涯を通じてあらゆる玩具を創作し、あらゆる玩具を蒐集してきた。だが、それそろ引退する時がやってきた。魔法のおもちゃ屋から、そして人生から。
マゴリアムおじさんは、支配人であるマホーニーに店を譲ろうと考えているが……。

f3c83dc2.jpgマホーニーは少女時代、ピアノの天才と呼ばれていた。自身もピアノを職業にするつもりでいた。
でも才能は枯れてしまった。夢は半ばで挫折してしまった。
それでもマホーニーは作曲の夢だけは諦められなかった。それも枯52e0df47.jpgれ尽きた才能の前に、行き詰まり、自信を失っていた。
9f197128.jpgマホーニーはマゴリアムおじさんおもちゃ屋をうまく経営していた。店の玩具なら何でも知っている。どんな玩具にどんな魔力が込められているかも、それからマゴリアムおじさん独特のユーモアも理解している。
しかし自信喪失がマホーニーを追い詰めていく。いつしかマホーニーは、玩具に宿る魔法を信じられなくなっていった。
7ba63c73.jpg物質の洪水のような映画だ。物に依存した映画なのか、精神病理とは違った視点の精神性ついて語ろうとした映画なのか。その解釈は見る人によって様々だろう。ただ、見ると少々目が疲れる映画である。


bde835b3.jpg『マゴリアムおじさんのおもちゃ屋』はとにかく色彩豊かな映画だ。レッドを中心にブルー、イエロー。色彩の洪水だが、色同士は混濁せず、うまく譲歩しあって鮮やかな色調を作り出している。
色彩の洪水であると同時に、中心舞台であるおもちゃ屋もまた物質e11ca729.jpgの洪水だ。この映画のために、世界中のあらゆる場所から玩具が蒐集され、ディスプレイされる。
その圧倒的なディティールに眩暈すら感じる。画面は常に閉所恐怖症のように物まみれで、静止する瞬間なしに動き続けている。画面12ef5ba2.jpgの印象はあまりにも濃厚で、見終わる頃にはゲップが出そうな勢いだ。
もっとも、画面の色彩そのものは落ち着いた暖色系で、暖かな印象をもって描かれている。
71572e7a.jpg映画のもう一つのキーパーソンである、少年と会計士。人生には遊びも必要……アメリカ映画にありがちなテーマで目立ったものはない。アメリからしい享楽主義の精神がよく現われているといえるだろう。


7aed3b0d.jpg『マゴリアムおじさんのおもちゃ屋』において、色彩と玩具は単に背景ではない。俳優以上に、物語の状況と登場人物の精神状態について雄弁に解説している。
すべての玩具には魔法がかけられている――。この都合のよい設定0b2298be.jpgどおりに、物語の感情に合わせて、無数に陳列された玩具たちが騒ぎ、沈黙し、色彩を変化させる。
玩具一つ一つが重要な登場人物なのであり、玩具が映画の構造の一つとして機能しているのだ。
『マゴリアムおじさんのおもちゃ屋』は、俳優と同じくらい、物質と色彩、音楽を重要視する映画だ。本来背景におかれるべきものが、物語の進行を解説し、シーンの感情を決定付けている。俳優以上に感情豊かで、生命観溢れる装置だ。
36a909ed.jpg映画中にちらと登場する『ケロロ軍曹』。映画中に登場する玩具は世界中から蒐集されたものだ。ケロロ軍曹は日本代表という感じで登場する。アメリカのドラマにも登場したり、ケロロ軍曹は意外にも世界に広がっているのだろうか?

ea4594bc.jpg物語中に登場する玩具には魔法がかけられている。その魔法をかけるのは、もちろん人間の側である。つまり、この映画は玩具と人間に関わりを描いている。
玩具を“ただの”玩具と決め付けたとき、それはただの物質となる。玩具は人間の心理に対し、何ら影響を与えないだろう。子供に夢を与えたりもしないだろう。
玩具が玩具であり続けるには、人間の側による魔法が必要なのだ。
魔法を信じ、玩具の人形に話しかけたとき、玩具は玩具として輝き出す。それは人間と物質の関係〔=アニミズム〕を示唆するものである。

映画記事一覧

作品データ
監督・脚本:ザック・ヘルム
音楽:アレクサンドル・デスプラ アーロン・ジグマン
出演:ダスティン・ホフマン ナタリー・ポートマン
〇〇〇ジェイソン・ベイトマン ザック・ミルズ
〇〇〇テッド・ルジック マイク・リアルバ



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■2009/09/19 (Sat)
686ee655.jpg朝の6時37分。
アナは何となく気配を感じて目を覚ました。昨日の晩、夫のルイスと抱き合ったままの格好だった。
ふっとドアが開いた。誰かが廊下に立っている気配を感じた。
「ヴィヴィアンか。ヴィヴィアン、どうかしたのか?」
5355a258.jpgルイスが顔を上げて、ヴィヴィアンの姿を確認した。ヴィヴィアンは隣に住んでいる女の子だ。
こんな朝の早い時間に、どうしたのだろう。
アナも顔を上げて、ヴィヴィアンの姿を確認しようとした。
ヴィヴィアンの顔は真っ赤な血で塗りつぶされていた。
0127a63e.jpg「なんてこった! 救急車を!」
ルイスが飛び起きてヴィヴィアンの側に向かった。
その時だ。突然、ヴィヴィアンがルイスの首に噛み付いた。
「ルイス!」
アナもヴィヴィアンに飛びついた。引き離そうとしても、ヴィヴィアンの顎の力は強く、ルイスの首が噛み千切られてしまった。
ヴィヴィアンは、標的を変えてアナに襲い掛かろうとした。
アナはヴィヴィアンを突き飛ばした。ヴィヴィアンは廊下に吹っ飛ばされるが、さっと身を跳ね起こした。アナは寝室のドアを閉めて、鍵を閉めた。
ヴィヴィアンはドアに激突して、突き破ろうと激しく叩いた。
アナはベッドに倒れたルイスの側に飛んだ。
「ルイス、手を離して。血が止められない」
ルイスの首から、血がとめどなく溢れ出ていた。アナはルイスの手をのけさせて、枕カバーを当てて、とりあえずの応急処置をした。
それから、受話器を手に取り、911に電話した。しかし、回線が混雑中で、繋がらない。アナは半ば混乱しつつ、911を何度もプッシュした。
そうしていると、ルイスがふらりと立ち上がった。
「ルイス、傷は?」
アナは看護師だ。その経験からいって、致命傷だったはず。起き上がれるはずがない。
ルイスが振り向いた。だがその目は正気ではなかった。
ルイスがアナに飛びついてきた。アナはとっさに身をかわした。ルイスは壁に激突し、ベッド脇の棚を突き崩した。
ルイスは尚もアナに襲いかかろうとしていた。アナは車の鍵を手に取り、シャワールームへ飛び込んだ。鍵をかけて、浴槽に逃げ込む。
一瞬、沈黙した。
667a9c38.jpg夫は、夫はどうしたしまったんだ。ルイスはにわかに冷静を取り戻して、ドアの側に近付いた。
すると、いきなりドアがぶち破られた。ルイスが掴もうと飛びついてきた。
アナはシャワールームの奥に飛びつき、窓を開けた。だが、ルイスがアナの脚をつかんだ。アナはルイスを蹴り飛ばし、窓の向こう側に脱出した。
b5b4f7cb.jpgそれから、ようやく気付いた。
街が崩壊していた。あちこちで悲鳴が上がり、銃声が鳴っていた。正気をなくした人たちが、街の人間に襲い掛かっている。制御を失った車が、車道を暴走していた。
いったい何が起きたのか?
アナは考えるより先に、車に乗り込んだ。
8ef5842f.jpgゾンビ映画はかつてのような宗教的な説教くささ……ピューリタリズムの影響から逃れつつある。『ドーン・オブ・ザ・デッド』では宗教的な規範者や善良者が不自然に生き残る映画ではない。純粋に、強い者だけが生き残るサバイバル・ゲーム映画だ。もっといえば「宗教とゾンビ映画」という文脈で描いたホラー映画が見てみたい。

『ドーン・オブ・ザ・デッド』は、ゾンビ映画の古典『ゾンビ』のリメイク作品である。
だが、『ゾンビ』の基本的骨格だけを残し、大胆なアレンジを加えている。
街に突然ゾンビが溢れ出し、生存者はショッピングモールに逃げ込む。そこで、ぎりぎりぎのサバイバルゲームが始まる。
新しい『ドーン・オブ・ザ・デッド』には、かつての消費社会に対する警鐘や、風刺といったメッセージ性はない。
ただ恐るべき怪物が目の前に迫り、いかに逃げおおせるか。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』は、強者だけが生き残れる、純粋な自然主義的サバイバル・ゲームとして復活した。
28440349.jpgゾンビ映画といえば、ショッピングモール。しかし消費社会への警鐘など一切ない。ゾンビ映画などで清貧の美徳など唱えても、観客は戸惑うだけだ。むしろ、溢れる物で何を達成するか、が現代人の思考やスタイルに求められている。この映画では、ショッピング・モールはただの場所とでしか描いていないが。

aa4f240c.jpg『ドーン・オブ・ザ・デッド』において、ホラー映画にまとわりついていた宗教の影は完全に消滅した。
かつてのホラー映画の背景にちらついていた、説教臭い啓発など『ドーン・オブ・ザ・デッド』のどこにもない。
かつて鮮明だったメッセージは、同じ内容をテレビが連呼した結果、7e454bd3.jpg中身のない抜け殻の教訓に身を落としてしまった。
毎日テレビで繰り返し聞かされているような愚昧な説教を、わざわざ映画観の5.1チャンネルの音響で聞きたいと思う者はいないのだ。
現代人の目は、はっきりと越えすぎている。あまりにも知性が高いし、平凡な人間でも鋭い感性を持っている。
そんな現代人が求めているのは、刷り込みを一段階アウフヘーベンする飛躍したビジョンだ。
文法が細分化し、様式が高度に洗練されてしまった現代。映像作家にできることは、もはやかつて見た映像の焼き直しか、パロディだけだ。
だからこそ、従来とはまったく違う、新しいスタンダートとなるべき感性が求められているのだ。
033ef1bd.jpg『ドーン・オブ・ザ・デッド』はエンディングを抜けば80分程度。この種の娯楽映画に思うことだが、もう少し尺度はあってもいいのではないかと思う。人物の描写やドラマの組立てが中途半端に放り出した感じがあって、どうしても拍子抜けになってしまう。じっくり描けば、ゾンビ映画でも今までと違った印象になるはず。映画は消費社会について警鐘はしていないが、作品自体がファーストフードのような消費物のように感じてしまう。
db180b9e.jpg『ドーン・オブ・ザ・デッド』でのゾンビは、全力疾走で追いかけてくる。
生きているときには制限がかけられていた筋肉は、限界まで引き絞られ、生きた人間の肉を求めて走る。
生き残るためには、全力で走らねばならない。
かつてのゾンビ映画では、同じ種類の緊張は決して得られない。
641d219a.jpgあまりにも愚鈍なゾンビや殺人鬼では、現代の観客には恐ろしくともなんともない。
よほどの間抜けか不注意ではない限り、簡単に逃げられるからだ。
かつての映画は、「シチュエーションの魔術」が映画にかけられていたから、我々は何となく納得3d71ea25.jpgして見ていたが、今の感性で見ると、シュールな映像にしか見えない。はっきり言えば、かつてのホラー映画の登場人物は、間抜けの集団だ。
だからこそ、『ドーン・オブ・ザ・デッド』でのゾンビは全力で走り、全力で逃げる。
限界まで走り、限界まで緊張する。
何もかも限界だからこそ、かつて経験したことのない、新しい種類のサバイバル・スペースが誕生するのだ。

映画記事一覧

作品データ
監督:ザック・スナイダー
音楽:タイラー・ベイツ 脚本:ジェームズ・ガン
出演:サラ・ポーリー ヴィング・レイムス
〇〇〇ジェイク・ウェバー メキー・ファイファー
〇〇〇タイ・バーレル マイケル・ケリー
〇〇〇ケヴィン・ゼガーズ リンディ・ブース



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■2009/09/18 (Fri)
529413e5.jpg物語の主要な舞台は、ロッキー山脈の麓に見える小さな町だ。
その日、森に出かけていた親子は、墜落する宇宙船を目撃する。
現場に駆けつけると、親子が見た経験のない材質の50d60880.jpg宇宙船が、そこに横たわっていた。
「保安官に知らせよう」
ただならぬ物を察知した親子は、急いで森を抜け出そうとした。
しかし、親子を幼生エイリアンが襲い掛かる。
407c583e.jpg光をふんだんに取り入れた画面作り。この種の怪物映画としては、なかなかに美しい画面作りだ。暗闇のシーンと、極端なコントラスをと作り出している。


ea63c2d9.jpg今回の舞台は、日常的な街である。
これまでのエイリアン/プレデター・シリーズは「非日常空間」が主要舞台であった。
宇宙空間や、ジャングル。エイリアン/プレデターは非日常空間に出現する、異形の怪物だった。
(『プレデター2』は、ロサンゼルスが舞台だったが、日常と接点を持つことはなかった)
18f8b831.jpg暗闇のシーンは、極端な闇で描かれる。シルエットすらはっきりしないが、粒子の荒いフィルムでぼんやりと質感のみを浮かび上がらせる。


eec0f031.jpg光と闇の描かれ方に、特徴がある映画だ。
日常の世界は、自然光がふんだんに取り入れられ、非常に美しい。
それに対し、夜や闇のシーンは、ほとんど何も見通せないくらいの闇が描かれる。娯楽映画の多くは、a4abc97a.jpg暗闇のシーンでも、光がやわらかく当たり、全体がぼんやりと浮かび上がるように描いている。
しかし、この映画が描く闇は、まさに「見えない闇」である。何が潜んでいるかわからない闇が、見る者の恐怖を煽り立てている。
67d6b3c3.jpgマッピング画像。『メトロイド・プライム』に酷似している。この頃はビジュアル面でゲームと映画の境界線を侵食しあっているので、似ていても不思議ではない。むしろ、よくあるできごとになりつつある。


1dd31480.jpg怪物映画としては意外なくらい、日常に焦点が当てられた映画だ。人々の暮らしや、人間関係が丹念に描かれている。
怪物映画としては、極めて珍しい傾向である。
しかし一方で、詳細に組まれた設定とは裏腹に、描3a122c0a.jpg写があまりにも不充分である。おそらく、もっと細かくドラマとして発展したかもしれない物語だが、その一部を軽く掠めただけで映画は終ってしまう。
映画はドラマの流れをすべて掬い上げる前に、エイリアン/プレデターの襲撃によって、それまでの組立てを無に返してしまう。
90aff8c5.jpg退役軍人である女(名前はわからなかった)。後半、物語の主導的立場を持つようになる。どことなくリプリーに似ている感じ。人物の掘り下げが中途半端なまま進行し、そのまま放ったらかしにするのが『AVP2』の弱いところだ。映画の骨格も骨を覆う肉も貧相なイメージが付きまとう。女軍人の名前や人物像がつかめないまま、というのがその一例。
f32a8da8.jpg映画はじわりじわりと非日常を侵食させていく。
前半の展開は、非常にゆったりとしている。前半30分は犠牲者もなく、具体的なアクションシーンも描かれない。しかし物語自体に停滞感はなく、物語は着実に進行させて行く。
153543ad.jpg非日常はやがて、日常の境界線を踏み越えていく。ある沸点に達すると、映画は急速に、極端なくらいのショックシーンを連発させる。
その境目の線の動きを丹念に描いたのは『エイリアン』の第1作目以来だろう。日常の生活があり、だからこそ、エイリアン襲撃の異常さが際立ってくる。一方で、尺度の短さがドラマを不十分にして、映画を薄っぺらく見せてしまっている部分もある。
その部分を差し置けば、『AVP2』は『エイリアン』第1作目に近づけようとした作品ではないだろうか。

映画記事一覧

作品データ
監督:コリン&グレッグ・ストラウス
脚本:シェーン・サレルノ 音楽:ブライアン・タイラー
編集:ダン・ジマーマン
クリーチャー造形:アマルガメイテッド・ダイナミクス・インク
出演:スティーブン・パスカル レイコ・エイルワース
〇〇〇ジョン・オースティン ジョニー・ルイス
〇〇〇アリエル・ゲイド クリステン・ヘイガー



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■2009/09/17 (Thu)
11705ef4.jpg突然、銀行が襲われた。襲撃者は安物のスーツにピエロのお面。銀行の正面からだけじゃない。襲撃者は銀行を複数箇所から襲撃し、警報機と電話線の繋がりを切り、金庫をこじ開ける。
fb02f445.jpg計画的な犯行だ。しかし間もなく、襲撃者達は仲間同士で殺し合いをはじめる。
「ボスが用済みを殺せってさ。分け前が増える」
「そうか。偶然だな。俺も言われた」
殺し合いに殺し合いを重ね、ついにはたった一人になってしまった。
「仲間を殺して得意か?」
銀行員の一人が襲撃者の生き残りを罵った。
「お前もボスから同じ目に遭わされるぞ。昔の悪党は信じていた。名誉とか敬意ってものをな。今時の悪党はどうだ? 信念はあるか!」
c087bfb5.jpgピエロお面の襲撃者は銀行員に近付き、その口に手榴弾を押し込んだ。
「俺の信念はこうだ。“死ぬような目に遭ったやつは――イカれる”」
襲撃者がピエロお面を脱いだ。その下に現れたのは、――まるでピエロのような粗末なメイクをした男だった。

映画を取り巻く状況は冒頭から急激に動き始めている。
f97a8c6b.jpgジョーカーが押し入って盗み出した金は、ゴッサムシティを牛耳るマフィアの金だった。かつて覆面捜査官が麻薬取引に使った紙幣で、マネー・ロンダリングされるはずの金だった。その金をジョーカーが盗み出した結果、警察も検察もマフィアの金の存在に気付いた。
73db8367.jpgハービー・デント検事は着任したばかりの検察官だった。ハービー・デント検察官は純粋な正義漢で、着任時に悪党との戦いを宣言。言葉通りにマフィアの黒幕を裁判所に引きずり出し、正面からの戦いに挑んだ。
ハービー・デント検事は組織犯罪に戦いを挑むジム・ゴードン警部補と同調し、各銀行への捜査令状を発行。ゴッサムシティ・マフィアの根絶を狙った。

51f6c1b9.jpgだがマフィアの動きも油断なく早かった。ジム・ゴードンがマフィアの金が預けられている銀行に踏み込んだ。だが、すでに金は持ち出された後だった。
事件の中核にいるのは、中国人のラウ。そこまでわかっていたが、し746bf355.jpgかしラウはすでに金を国外に持ち出し、自身は香港へと高飛びしていた。
警察の権限ではもう手出しできない――頼れるのはただ一人、バットマンだけだった。

その一方で、マフィアの内部にも葛藤があった。バットマンとハービー・デント二人の活躍で、マフィアの活動は限られつつある。いつしか中国人のボスに頼るようになっていた。
そこに現れたのは、本物のキチガイ――ジョーカーだった。
ジョーカーのおかげで、隠し持っていた自分たちの貯金が警察に暴かれてしまった。資金と活動場所を奪われ、組織の衰退を予感していた。
そんなマフィアの集会に、ジョーカーが堂々と姿を見せた。
1a75727e.jpg「1年前に時計を戻そう。泣く子も黙るあんたらはには警察も検事も手を出せなかった。なのに、どうした? タマでも落としちまったか? まあいい。俺は知っている。なぜ“グループ・セラピー”を白昼に開いているか。なぜ夜を恐れるのかを。2f4f92fa.jpg――バットマンだ。バットマンにあんたらの悪業が暴かれちまったからさ。デントは始まりに過ぎない」
「どうするつもりだ?」
「簡単だ。バットマンを殺す。だがタダじゃやらない。全資金の半分をよこせ」
7cb03b43.jpg奇抜なデザインのバットポット。批評家の一部は奇抜すぎてCGだと思った人がいて「CGであるから不自然だ」と批判。しかし危険なシーン以外ほとんど実写だ。この頃は「見たことがないものは全部CG」と判断する人が多く「CGだからダメだ」という通念が浸透している。デジタルは単に手法の一つでしかない。違和感は経験値のなさだ。
5816a2a3.jpg映画『ダークナイト』はコミック原作作品であるが、その実体は明らかに犯罪映画だ。『ダークナイト』に描かれた風景は、あまりにも現実的で、これまでのコミック原作作品の刷り込みを軽々と飛躍する。作り手はお手軽なコミック映画を制作しようなど思っていない。観客が本当に驚き、戦慄する物語であり、映像だ。
4786ea45.jpgコミック作品原作としては極めて重厚に作られた世界観。ディティールの描き方にしても犯罪映画が意識されている。それが次第に崩壊していき、独特のコミック世界へと移行していく。


cbe56f7c.jpg『ダークナイト』の物語は、複雑なパースティクティブが立体的に交差している。警察とマフィアの戦いを中心としながら、警察と警察、検察と検察、それらの対立の一方で警察とマフィアの繋がりという暗部も描いている。
29e85e63.jpgそうした複雑さを、躊躇なく、観客が追いつけないかもしれない懸念を無視して、丹念に描き出している。
映像感覚はどこまでも現実的に、高詳細に描かれ、いかにもコミック原作然とした跳躍した部分は少ない。スーパーヒーローが登場し、デウスエキスマキナ的パワーで事件解決、とはいかない。警察とマフィアの戦い、感情と暴力のぶつかり合いを正面から描き、犯罪映画らしい緊張感のある画面と物語構成を作り出している。
5ed74e45.jpg『ダークナイト』でのバットマンは、あくまでも大きな状況の中のいち断片に過ぎない。状況を変える影響力も弱く、主人公としての存在感、主体性は弱い。


d47dd541.jpg現実的な『ダークナイト』だが、拍子抜けなくらい落差が現われる瞬間がある。
それはバットマンの存在である。
バットマンが登場し、秘密アイテムを駆使してアクロバットな活劇を見せる瞬間、『ダークナイト』7013fbe1.jpgは犯罪映画としての緊張感を失い、コミック映画に引き戻される。バットマンが登場するたびに、『ダークナイト』は映画の性質を別なものに変質させてしまうのだ。
もちろん、バットマンの存在は魅力的だ。警察も検察も法的に手が出せなくなった瞬間、バットマンが超法規的活劇によって悪が封じられる。秘密アイテムも、今作においては非常に現実的な設計で描かれている。バットマン・スーツにしてもより機能的で、現実にありえそうなディティールで描かれている(疑似科学みたいなものだが)。
しかしバットマンはコミックヒーローなのである。犯罪映画の主人公ではない。
『ダークナイト』には二つの違う映画が同居している。コミックヒーロー映画と、犯罪映画だ。バットマンは犯罪映画としての『ダークナイト』に深く介入せず、飽くまでコミックヒーローという立場のまま、犯罪者の動きを周辺から監視している。
ccf74ec3.jpg残念なことに、『ダークナイト』のジョーカーが俳優ヒース・レジャーの遺作となった。直接原因は睡眠薬と坑欝剤を一度に服用した結果だが、その背景にどんな事情があったのか不明なままだ。『ダークナイト』のジョーカー役が相当のストレスだったのでは、と伝えられている。
5723e1b3.jpg『ダークナイト』の中心人物は誰か――言うまでもなくジョーカーだ。
ジョーカーといえば、かつてジャック・ニコルソンが演じた強烈なキャラクターだ。ジャック・ニコルソンのもともとの凶悪そうな容貌もあって、あ59d023ee.jpgの怪演を上回るキャラクターはないだろうと考えられていた。
だが『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーの存在感は、ジャック・ニコルソンを完全に忘れさせた。あまりにも圧倒的。夢に見そ821f25a6.jpgうなくらい強烈だった。
ジョーカーはコミック・ヒーローのキャラクターだが、犯罪映画としての『ダークナイト』とコミック映画としての『ダークナイト』の両方に調和したキャラクターだ。二つの『ダークナイト』の中心的存在であり、そのどちらの状況、社会に対して決定的な影響力を持っていた。
ジョーカーは犯罪者達を突き動かし、一般の社会に対してもこう囁く。
「お前は俺と一緒だ。さあ、引き金を引け。楽になるぞ」と。
ジョーカーには世界をそのものを変容させる力を持っている。それは、本来主人公にのみ許された特権であるはずだった。
だからこう表現すべきである。『ダークナイト』の主人公はジョーカーであると。
09bce701.jpg最終回シチュエーションの多い映画だ。次回作の可能性を徹底的に潰してしまっている。しかし実は続編が予定されている。バットマンとキャットウーマンのロマンスが中心になるらしいが……またしてもキャットウーマンは冷や飯くわされそうだ。

c8f88960.jpg『ダークナイト』の魅力は犯罪映画としての堅牢なディティールだが、その威力を倍加しているのは確実にジョーカーだ。
ジョーカーは圧倒的存在感で世界に対する影響力を持っているが、しかし何ら主体性を持っていない。彼はただの野良犬に過ぎない。映aecc85a7.jpg画中で、本人の口からそう語られる。
ただ気まぐれに吠えて、気まぐれ状況を混乱させるだけ。ただのキチガイぴえろだ。
『ダークナイト』の物語は、途中からどこに流れていくのかわからなくaa007b56.jpgなってしまう。いったいどんな結末に向かっているのかわからない。なのに、強烈な緊張感が常に全体を支配している。
それはジョーカーがなんの蓋然性も達成目標も持っていないからだ。だから映画は、ジョーカーに引き摺られるように、渾沌とした闇の中を4ad0d05c.jpg這い進み始める。
ジョーカーは不敵に笑いながら、世界に向かって語り始める。
「マフィアはバットマンを殺せば、以前に戻れると思っていた。だが戻りやしない。お前が変えたからだ――永遠に。世間のモラルや倫理なんてものは、善人の戯言だ。足元が脅かされりゃ、ポイ。たちまちエゴむきだしになる。見せてやるよ。いざって時、いかに文明人とかいう連中が争いあうか――」
当初、ジョーカーはマフィアの連中に「バットマンを殺す」と宣言した。だが、はじめから殺す気などなかった。というかバットマンを殺すと、自分の存在意義が無になってしまう。バットマンがいなければ、自分はただの変態男に過ぎない、とジョーカーは冷静な部分で理解している。
ジョーカーの動機は、バットマンを殺そうと行動することで、社会がどのように変質し、人間の世界が混乱するか――人々が狂気に狂うさまを見て、愉しみたかっただけだ。それがジョーカーという人間であり、ジョーカーはジョーカーのやり方で、世界そのものを具体的方法で啓蒙したのだ。
自分のような人間が世界に注目されるように。そして世界が元通りにならないように。世界の視点、ベクトルを自分の都合のいい方向に転換させたのだ。
71fc54ec.jpg「たった一人のヒーロ-が世界を救う」から「ヒーローも世界のいち断片に過ぎない」へ。人間が世界に圧倒され、際立った個性すら埋没される。ヒーローですら、世界は救えなくなった……。ひょっとしたら、時代の影響があるのかもしれない。

犯罪映画としての世界が変質し、混乱が深まっていくと、不思議とコミックヒーローとの距離が接近していく。世界が超現実の領域に踏み込み、むしろコミック的な状況に突入していく。
次第に、犯罪映画という風景の中から、ジョーカーとバットマンの二人が際立ち始める。そうなると映画はクライマックスに向けて、ジョーカーVSバットマンという構造を完成させていく。ジョーカーがひたすら世界を引っ掻き回した結果、犯罪映画はバットマンの存在を必要とし始めたのだ。
『ダークナイト』は「何が起きるかわからない」という緊張感を久し振りに感じた映画だった。
強烈なキャラクターに、重厚なディティールを持った描写。状況のなにもかもが、大きな歯車のひとつに過ぎない。しかし、次第に状況は変質していき、バットマンとジョーカーという変質者を2大ヒーローとして浮かび上がらせていく。
『ダークナイト』はコミック原作映画としての、新しい境地を踏み込んだ作品だ。

映画記事一覧

作品データ
監督:クリストファー・ノーラン
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード ハンス・ジマー
脚本:ジョナサン・ノーラン クリストファー・ノーラン
出演:クリスチャン・ベイル マイケル・ケイン
〇〇〇ヒース・レジャー ゲイリー・オールドマン
〇〇〇アーロン・エッカート マギー・ギレンホール
〇〇〇モーガン・フリーマン エリック・ロバーツ



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■2009/09/17 (Thu)
2bb807ea.jpg998bc959.jpg宝石商のゲートを、四人のラビが潜り抜けた。
「話は聞いているか。文字通り受け取っては駄目だ。アダムとイヴの物語00794c1a.jpgは、道徳的寓話だ。実話のはずがないだろう。素敵な物語だが、所詮、作り話に過ぎない。カトリック教は誤解が多い。ギリシャ語訳の旧約聖書は“若い女”を“処女”と誤訳している。原書のヘブライ語の綴りが似ていたからだ。“処女に我らの息子が宿る”という預言も誤りだ。34b96352.jpg処女という言葉が誤解を招いた。処女が子供を宿すわけがない……」
四人のラビはくどくどと議論を交わしながらエレベーターに乗り、廊下を進み、そのあいだ喋り続けていた。ところがオフィスに入った途端、突然四人のラビはコートを脱ぎ捨てて正体を明か71e44430.jpgした。
銃で武装した強盗団だ。
ラビに扮装した強盗団は、宝石商のオフィスから86カラットの大粒ダイヤを強奪し、脱走する。

416d05c1.jpg「ボリス。フォーフィンガー・フランキーがでかいダイヤを持っている。ダイヤは腕に繋いだケースの中だ。銃を買いに、お前916a7e49.jpgのところに行かせた。何? 自分でダイヤを盗めって? アメリカ人が死ねば、俺が疑われる。ボリス、俺の兄弟だろ。頭を使え。ゴタゴタfe9b1cbf.jpgはごめんだぞ。殺したりしたら怪しまれる。奴がロンドンに滞在するのは、ほんの数日だ。手早く動け。ああ、そうだ。一つ情報を教えておく。奴は賭博中毒だ」

300c1473.jpgターキッシュは闇ボクシングのプロモーターだった。
いつも一緒のトミーは、幼なじみの相棒9430e0ea.jpgだ。
「あんなボロトレーラーがオフィスじゃあな。新しいのを買って来い」
「俺が?」
「お前は目が利く。夏休みをトレーラーで過ごしたいだろ。安いのを見f9da2750.jpgつけてくるんだ」
とターキッシュはトミーに一万ドルを手渡し、“パイキー(流浪民)”の元へと行かせた。
d04bf6ee.jpg主演はジェイソン・スティサムだが、映画のポスターはDVDパッケージにはブラッド・ピットのものが採用された。これは当時、ジェイソン・スティサムがあまり有名ではなく、ブラッド・ピットのほうが注目されるだろうと考えられたためだ。

f62ded69.jpg映画『スナッチ』は犯罪映画であり、群像劇映画である。
登場人物が次から次へと登場し、物語が錯綜する。
物語の中心に置かれているのは86カラットの大粒ダイヤだ。このダイヤを手に入れるために、それぞれの登場人物達が、それぞれの立場で東奔西走する。
『スナッチ』は犯罪映画だが、どこかしらユーモラスだ。
登場人物はみんな真剣だし、暴力も振るうが、一方でキャラクターとしての癖は強すぎで、奇怪な撮影方法がかつて見た経験のない映画に変質させている。
647b6f17.jpg「犯罪映画」というより「変人奇人映画」。かなりどぎついバイオレンスのある暴力映画だが、ユーモアのあるキャラクターのおかげで現実的になりすぎず、あまりストレスにならない。作家の奇怪な感性を愉しみたい映画だ。


映画の特徴は前衛的な撮影方法と編集方法だ。
間延びした長回しが続いたかと思うと、突然異様な速度で場面が移り変わる。
まったく関連のない別の場所、別のエピソードへ物語が飛び移り、解説を始める。
だが全体を通して不思議な一貫性を持ち、見ている側が物語を見失うことはない。
映画全体に漂う、奇怪なキャラクターがかもし出す不思議なユーモアで、不愉快さも感じない。
ありえないような事件が次々と起こり、謀はことごとく裏切られて、事件は予想もつかない結末へと巡る巡る。
86カラットのダイヤはどこへ行き、誰に手に渡るのか?
映画も物語も、奇怪なくらい前衛的な感性で描かれた映画だ。

映画記事一覧

作品データ
監督・脚本:ガイ・リッチー 撮影:ジョン・マーフィ
出演:ジェイソン・ステイサム ベニチオ・デル・トロ
〇〇〇デニス・ファリナ ヴィニー・ジョーンズ
〇〇〇ブラッド・ピット レイド・セルベッジア
〇〇〇アラン・フォード マイク・リード



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