■ 最新記事
(08/15)
(08/14)
(08/13)
(08/12)
(08/11)
(08/10)
(08/09)
(08/08)
(08/07)
(08/06)
■ カテゴリー
お探し記事は【記事一覧 索引】が便利です。
■2009/08/20 (Thu)
映画:外国映画■
16歳で、南北戦争に参加し、殺人と強盗の方法を学んだ。
除隊後、その経験を生かし、数々の強盗に17件の殺人を犯した。
そして、世界で最初の銀行強盗を成功させた男だった。
ジェシーは生きている間から、人々のヒーローだった。
毎日のように新聞はジェシーの悪事を書き、そのいくつかは物語にもなった。
そんなジェシーに憧れる若者がいた。
ボブ・フォードもその一人だった。
ボブは、ジェシーに憧れるあまり、彼の一団に加わり、列車強盗を働く。
ボ
もっと注目されるべきだ。もっと称賛されるべきだ、と思っていた。
しかし、現実のボブは、誰も注目しない。いつも、からかわれてばかり。
イメージの中の自分と、現実の自分。そのギャップが受け入れられない。
若い時には、誰もが陥る葛藤を、ボブは強く抱いていた。
誰もがジェシーを知りたいと思っていたし、ジェシーの周囲には人が集った。
ボブにとってジェシーは、憧れの存在である以上に、理想の自分だった。
ジェシーはボブの内面を冷徹に審査して、こう問いかける。
「俺みたいになりたいのか。俺になりたいのか」
現実は違った。
疑り深く、凶暴で、容赦のない男だった。
ジェシーは、誰も信頼していなかった。誰もが、自分を殺そうとしていると思っていた。一方で、殺してくれる誰かを待っていた。
間もなくジェシーは、ボブを恐れるようになる。
いつしかボブは、ジェシーを殺す計画を立てるようになっていた。
ボブは激しく葛藤していた。
ジェシーを愛しているのか、恐れているのか。
……彼に愛されたいたのか。
ボブは、孤独だった。愛されたかったし、信頼されたかった。
ジェシーは、何人殺そうとも、英雄だった。誰からも愛されていた。
ボブは、ジェシー自身になりたかった。
注目されるようになると、人は悲しい目で地平を眺め、死を望むようになる。
いつか誰かが殺しに来る。
そんな日を恐れながら、望みをもって待ち続けるのだ。
映画記事一覧
作品データ
監督 アンドリュー・ドミニク 原作 ロン・ハンセン
音楽 ニック・ケイヴ ウォーレン・エリス
出演 ブラッド・ピット ケイシー・アフレック
サム・シェパード メアリー=ルイーズ・パーカー
ジェレミー・レナー ポール・シュナイダー
PR
■2009/08/16 (Sun)
映画:外国映画■
空は、ガスの混じった雲が覆い、時々雷鳴をとどろかせている。
吹き上げたガスの塊が、炎になって燃え上がっている。
都市の上空を、三輪のスピナーが飛び交う。
そんな様子を、レプリカントの冷淡な瞳が見詰めている。
カメラはゆっくり空中を進み、都市の中央にたたずむ、巨大なピラミッド状建築の中へと入っていく……。
『ブレードランナー ファイナルカット』は、SFの古典名作『ブレードランナー ディレクターズカット最終版』にさらに手が加えられた新しいバージョンだ。
『ブレードランナー ディレクターズカット最終版』が原型とされているので、基本的な物語構成やカットの運びに変更はない。
『ブレードランナー ファイナルカット』はかつての映像をデジタル技術で洗浄され、映画監督の感性に可能な限り接近させた作品だ。
新たに洗浄された『ブレードランナー』の映像は、驚くほど鮮明だし、そこから得られる印象は鮮烈だ。
かつてぼやけて見えていた映像は、克明にディティールを描き出し、明暗の差はくっきりと浮かび上がり、色彩も音響もより鮮やかになった。
これが、リドリー・スコットが二十数年前に構想し、当時の技術では決して描き出せなかった映像なのだ。
『ブレードランナー』は、リドリー・スコット監督の評価を決定付けた作品だ。
その映像は、カットの全体に霧がかかり、何もかもが曖昧な空間に光が煌き、暗闇が深いところから迫ってくる。
リドリー・スコットは、この作品において、“光と闇の魔術師”と呼ばれるようになったのだ。
だがあの映像は、本当の『ブレードランナー』ではなかった。
『ブレードランナー ファイナルカット』の映像には、どこにも霧がかかっていなかった。何もかもが克明に描き出され、何もかもが鮮明に浮かび上がる。
これが本当の『ブレードランナー』だったのだ。
我々は随分長い間、劣化した作品に満足し、曖昧だった映像を見てリドリー・スコットを知ったつもりになっていたのだ。
現代の技術はようやくリドリー・スコットの才能に追いつき、我々は本当の『ブレードランナー』を目撃する機会を得たのである。
『ブレードランナー』は、もうとっくに過去の遺物と思われていた作品である。
かつて『ブレードランナー』を繰り返し鑑賞し、自身の体内に取り込んでいった映画作家は少なくない。
“SFのオリジナル”という称号は、その後に氾濫したSF映画の中で繰り返し真似され、いくつものパロディが作られていくなかで形骸化していった。
この作品が、現代の若い観客に、どんな感動を与えられるだろうか。
『ブレードランナー ファイナルカット』は当時の映像と物語を、そのままの形で現代の観客に提示している。
また新たな世代が、繰り返し見る作品になるように。
『ブレードランナー ディレクターズカット最終版』の記事へ
映画記事一覧
作品データ
監督:リドリー・スコット
原作:フィリップ・K・ディック 音楽:ヴァンゲリス
脚本:ハンプトン・ファンチャー デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ
出演:ハリソン・フォード ルトガー・ハウアー
ショーン・ヤング エドワード・ジェームズ・オルモス
ダリル・ハンナ ブライオン・ジェームズ
ジョアンナ・キャシディ M・エメット・ウォルシュ
ウィリアム・サンダーソン ジョセフ・ターケル
■2009/08/16 (Sun)
映画:外国映画■
高層ビルはどこまでも高く聳え、煌くネオンが夜を遠ざけている。空は汚れ、絶えず酸性雨を降らしている。宇宙旅行へと誘うコマーシャルが喧騒の上で繰り返されている。
「開きました。いらっしゃい」
間もなくして、スシ・バーの親父が、日本語でデッカードを手招きした。
デッカードは、新聞紙で雨をよけながら、スシ・バーの屋根の下に入っていく。
スシ・バーの親父は、日本語で景気よく、座るように勧める。
「四つくれ」
「二つで充分ですよ」
「いや、四つだ。あと、うどんも」
すぐにうどんが運ばれてきた。デッカードはうどんの麺を手繰り、啜り始める。
すると、背後に何者かが現れた。判別不能の異国の言葉で、デッカードに話しかけてくる。
「逮捕するといってます。あなたはブレードランナー?」
「レプリが4匹、潜り込んだ。スペースシャトルを奪って、乗員を皆殺しにしおった。お前が処分しろ」
「俺は辞めた。ホールデンを使え」
「使ったさ。生きているうちはよかった。だが、お前には劣る。力を貸せ。命令だ」
こうしてデッカードは、ブレードランナーとして脱走レプリカントを追うことになった。
『ブレードランナー』の名を知らぬ者など、いるだろうか。
当時公開されたどの映画よりも刺激的で、今において最大の影響力を持つ作品だ。
誰もがSFといえば、この作品で見た光景を思い浮かべる。
クリエイターに「未来都市を描け」と指示したら、間違いなく『ブレードランナー』そっくりの画像を作り始めるだろう。
『ブレードランナー』が描いたイマジナリィは途方もなく強烈で、その映像体験を超える作品は、いまだに存在しない。
物語は典型的な探偵ものの構造を踏襲している。
淡々と事件を追う刑事と、逃亡する犯人。
刑事の側には、常にいわくつきの女の影がある。
『ブレードランナー』は通俗的な探偵ものよりも、さらに静かで、感情が抑制されている。
時々、点描のように挿入されるカットや、叙情的な音楽は、物語の解説役ではなく、シーンが持っている力を引き出すためだけに使われている。
“天使は焼け落ちた
〇 雷鳴とどろく岸辺
〇 燃え盛る地獄の火”
そのレプリカントは、詩を解する。
姿は人間そのもの。
あまりにも高性能すぎるロボットは、やがて感情を持つ。タイレル社は、安全措置として、レプリカントの寿命を4年に設定した。
感情に目覚めたロボットは、人間の都市を、どのように見詰めるだろう。
ロイ・バディーは自身を疑い、愛を交わし、間もなく迫る死に怯える。
人間とロボットの違いは?
ロボットでも、死に際には悲鳴を上げ、血を流す。
デッカードは、そんな様を目にして、間もなく自身を疑い始める。
“俺は、人間なのか? レプリなのか?”
だが、現代の目線で見ると、『ブレードランナー』は継ぎ接ぎだらけの映画と言わねばならない。
チープで簡単に壊れるセットや、あからさまなデジタル合成。
リドリー・スコットは、そんなガラクタの山すら、見事なほど美しい都市として描き出している。
粒子の荒い映像も、ガスで覆いつくされた都市も、何もかもリドリー・スコット特有の美意識を作り出す手助けをしている。
それも今やありきたりの映像でしかない。
当時の人々を驚愕させた描写の数々は、現代の技術の前では何の感動も呼び起こさない。
かつて“SFのオリジナル”と呼ばれた『ブレードランナー』。未だに、世界の芸術家が越えられない壁。
だが、時代は『ブレードランナー』を追い越してしまった。
この映像が、今の若い人達にどの程度の感動を与えるというのだろう。
『ブレードランナー ファイナルカット』の記事へ
映画記事一覧
作品データ
監督:リドリー・スコット
原作:フィリップ・K・ディック 音楽:ヴァンゲリス
脚本:ハンプトン・ファンチャー デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ
出演:ハリソン・フォード ルトガー・ハウアー
〇 ショーン・ヤング エドワード・ジェームズ・オルモス
〇 ダリル・ハンナ ブライオン・ジェームズ
〇 ジョアンナ・キャシディ M・エメット・ウォルシュ
〇 ウィリアム・サンダーソン ジョセフ・ターケル
■2009/08/16 (Sun)
映画:外国映画■
だが、実際には3番目だ。
2番目に賢い生き物は、もちろんイルカだ。
イルカは、地球の滅亡を何年も前から知っていて、何度も人間に警告を送ってきた。
だが人類は、イルカたちのメッセージを誤解し続けた。イルカが水中を走り、飛び上がってボールを叩くのは、餌のためだ、と。
とうとうイルカは人類を見限り、地球を去る決断をした。
イルカたちは2階連続の宙返りと輪くぐりを決めてみせた。
だけど、このメッセージも誤解されてしまった。
本当の意味は、
“さよなら。魚をありがとう”
アーサーはある朝、自分の家の前にブルドーザーの振動が迫るのに気付いた。ブルドーザーが自分の家を破壊するつもりなのだ。アーサーは慌てて家の前に飛び出し、ブルドーザーの前に立ち塞がった。
「デントさん、抗議するならもっと早くしないと。建設計画は1年前から役所に提示されていたんですよ」
工事主任は、アーサーに呆れつつも事務的に伝えた。
アーサーは何も知らなかった。いつの間にかご近所がいなくなっていた事実に。それから、バイパス工事の事実に。
そんなアーサーの前に、親友のフォードが大慌てで走ってくる。
フォードはアーサーを近所のパブに連れて行きながらそう教えた。
アーサーはやはり知らなかった。親友のフォードが、実は地球人ではなかった事実に。
「実は、あと12分後で地球は消滅するんだ。君は命の恩人だ。だから今度は、僕が君を助ける」
地球はもうすぐ滅亡する。
実は宇宙バイパス工事のために、地球取り壊しが決まっていたのだ。この事実は、ケンタウルス座アルファ星の事務所に50年も掲示されていた。何も知らなかったのは、地球人だけだった。
フォードはまさに地球が木っ端微塵に破壊される寸前、アーサーをつれて宇宙空間へと飛び出していく。
あまりにも唐突で意外なプロローグで始まる映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』。
地球は映画開始十数分であっけなく消滅し、宇宙空間を漂流する物語へと移っていく。
そこから展開されるストーリーは、どの瞬間を区切りとっても奇想天外であり、秀逸だ。
あまりにもユニークなキャラクターたち。決してユーモアを失わない物語展開。
コメディ作品だが、安易に作っていない。コメディといえば、パロディと考えられがちだが、『銀河ヒッチハイク・ガイド』は過去のどのSF映画に似ていないし、誰も考え付かなかったような独創性に満ちている。
純粋なるオリジナル作品である。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』の物語は、不条理と不合理に満ちている。
冒頭の主人公アーサーの家が取り壊される場面からして不条理だが、不条理はそれだけでは終らない。親友が宇宙人だったこと、さらにあっけなく地球が破壊されてしまうこと。
だが、不条理を突き抜けて、いつのまにか道理に合った物語を発見していく。
世界はなんなのか。どうして構築されているのか。その秘密は。
一見、不可解に思える現象の数々にも、追求すればどこかに理由が見付かる。まるで哲学の問いを解くように。不条理と不合理に規則性を与え、一つ一つに理由を見出せば、意外な宇宙の秘密が発見されるかもしれない。
不合理に答えが与えられた時、映画は意外なくらい感動的ですっきりと収まったエンディングへと向かっていく。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』にはいわゆるSF映画にありがちなシチュエーションは何もない。凶暴なモンスターなど登場しないし、無理矢理こじつけたような危機の連続などもない。
コメディ映画と思って油断してはならない。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』はコメディ映画だからといって小さくは収まらないし、通俗的な道徳につづまって終るような映画ではない。想像を越えた奇想天外な作品であり、超大作SF映画を軽く越えるスケール感を持った傑作であり、それでいて、まったく無意味な作品だ。
新しい種類の映像体験を提供する作品である。
物語中に登場する謎のメッセージ『42』。ウィキペディアの記述があまりにも面白いので、ぜひどうぞ。
ついでに、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のウィキペディア記事も。
映画記事一覧
監督:ガース・ジェニングス 原作・脚本:ダグラス・アダムス
脚本:キャリー・カークパトリック 撮影:イゴール・ジャデュー=リロ
出演:サム・ロックウェル モス・デフ ズーイー・デシャネル
マーティン・フリーマン ビル・ナイ ジョン・マルコヴィッチ
ワーウィック・デイヴィス アラン・リックマン スティーヴン・フライ
イアン・マクニース ヘレン・ミレン アンナ・チャンセラー
■2009/07/02 (Thu)
映画:外国映画■
チャンセンとコンギルは、旅の芸人だった。
チャンセンは綱渡り芸を得意とし、コンギルは女形芸人として、愛らしさと美貌を振り撒いていた。
だが、コンギルはあまりにも美しすぎる女形だった。
その日も演目の終わりに、一座の親方がコンギルを貴族に差し出そうとしていた。
チャンセンは親方に反発し、コンギルを連れて一座を逃げ出してしまう。

女性がうらやむ美貌のコンギル。相方のチャンセンは、蓬髪に髭面。実にわかりやすい組み合わせだ。二人は物語の必要、不要に関わらず、スキンシップを繰り返す。二人男の情念による物語が根底にあるとわかる。
物語の中心にいるのは、美しい男性のコンギルだ。
体の線が細く、容姿は完璧に整い、微笑は男たちを魅了させる。
王も貴族も、コンギルに心を奪われ、好色な思いに捉われてしまう。
そんなコンギルを守ろうとするチャンセンとの絆は深い。
チャンセンとコンギルは手を繋いで、自分達の運命から逃走を図る。
自由を得た二人の前に、人の気配のない一面の野原が広がる。
男同士のあまりにも深い絆。閉鎖的な恍惚の光景が広がっている。
だが、そんな二人だけの絆に、邪な権力者達の欲望が滲み寄ってくる。
二人が逃亡を始めると、突如として美しく幻想的な野原が広がる。二人きりの空間がいかに幸福であるかを解説するシーンだ。それでも、二人は際どく性的な方向に進むのを避けている。二人はやがて美しい野原を後にし、生活のために猥雑な日常世界へ帰っていくが…。
チャンセンとコンギルは、大都会の漢陽へ行き、そこで芸人の仕事を見つけようと思いつく。
チャンセンとコンギルは、漢陽の街で新しい芸人一座に加わるが、人の集まりは芳しくない。
王の命令で大きな狩場が作られ、漢陽から人が減っているというのだ。
そこでチャンセンは「王をネタに芸をやろう」と思いつく。

都会に出て演目を始めるが、人の集まりはよくない。原因は王にあるそうだ。民は王に対する不満が強くなっているに違いない。ならば、王をネタに演目をすれば人が集る。チャンセンの狙い通り人は集まるが、それが原因で役人に逮捕されてしまう。
王をからかった演目は大成功だった。人々が集り、喝采が上がる。
だが突然、役人達が乱入し、チャンセンたちは囚われの身となってしまう。
王を侮辱した罪で、死刑だった。
とっさにチャンセンは、機転を利かせて宣言する。
「王に舞台を見せたい。王が笑えば、侮辱じゃない。王を笑わせてやる」

王は、チャンセン達の芸を気に入り、側に使えるように命じる。王が特に気に入ったのは、コンギルだったようだ。だが、あまりにも美しすぎるゆえに、王宮内の評判も、王妃への嫉妬も激しい。
映画『王の男』は16世紀の李氏朝鮮時代を題材にした物語だ。
だが、歴史物語が持つ風格や重々しさはどこにもない。
映像は全体に光が与えられ、カットの主張は不明だ。
セットは明らかなセットとして描かれ、映画への没入を拒もうとしている。
演技や台詞などは典型的な様式が踏襲され、テレビドラマを鑑賞しているような気分にさせる。

王はコンギルに、性的な欲望ではなく心情的な抱擁を求めていた。コンギルは、まもなく王の孤独に気付き、同情する。王のために、重臣が指示した演目を演じようとするが、それは政治闘争に利用されていた。
だが、美しい男性と、それを取り巻く欲望の物語としては、興味深い映像体験を提供する。
一人の美男子を巡って王が狂い、それを権力闘争に利用する重臣たちの政治劇。
愚かな王は、自身が重臣達の操り人形だとは知らない。
王宮はひとつの演劇空間なのであって、王は知らない間に、その主人公として祭り上げられている。
王にとって何もかもが、ひれ伏す重臣たちも、王妃の愛すらも薄ぺらな演劇に過ぎない。
だから王は、美男子を側に引きこみ、愛を得ようとする。
『王の男』は映画のもう一人の主人公である。
物語はやがて王の孤独に中心を移し、悲劇的な結末を迎える。
映画記事一覧
作品データ
監督:イ・ジュニク 原作:キム・テウン
音楽:イ・ビョンウ 脚本:チェ・ソクファン
出演:カム・ウソン イ・ジュンギ
チョン・ジニョン カン・ソンヨン
チャン・ハンソン ユ・ヘジン
チョン・ソギョン イ・スンフン
チャンセンは綱渡り芸を得意とし、コンギルは女形芸人として、愛らしさと美貌を振り撒いていた。
だが、コンギルはあまりにも美しすぎる女形だった。
その日も演目の終わりに、一座の親方がコンギルを貴族に差し出そうとしていた。
チャンセンは親方に反発し、コンギルを連れて一座を逃げ出してしまう。
物語の中心にいるのは、美しい男性のコンギルだ。
体の線が細く、容姿は完璧に整い、微笑は男たちを魅了させる。
王も貴族も、コンギルに心を奪われ、好色な思いに捉われてしまう。
そんなコンギルを守ろうとするチャンセンとの絆は深い。
チャンセンとコンギルは手を繋いで、自分達の運命から逃走を図る。
自由を得た二人の前に、人の気配のない一面の野原が広がる。
男同士のあまりにも深い絆。閉鎖的な恍惚の光景が広がっている。
だが、そんな二人だけの絆に、邪な権力者達の欲望が滲み寄ってくる。
チャンセンとコンギルは、大都会の漢陽へ行き、そこで芸人の仕事を見つけようと思いつく。
チャンセンとコンギルは、漢陽の街で新しい芸人一座に加わるが、人の集まりは芳しくない。
王の命令で大きな狩場が作られ、漢陽から人が減っているというのだ。
そこでチャンセンは「王をネタに芸をやろう」と思いつく。
王をからかった演目は大成功だった。人々が集り、喝采が上がる。
だが突然、役人達が乱入し、チャンセンたちは囚われの身となってしまう。
王を侮辱した罪で、死刑だった。
とっさにチャンセンは、機転を利かせて宣言する。
「王に舞台を見せたい。王が笑えば、侮辱じゃない。王を笑わせてやる」
映画『王の男』は16世紀の李氏朝鮮時代を題材にした物語だ。
だが、歴史物語が持つ風格や重々しさはどこにもない。
映像は全体に光が与えられ、カットの主張は不明だ。
セットは明らかなセットとして描かれ、映画への没入を拒もうとしている。
演技や台詞などは典型的な様式が踏襲され、テレビドラマを鑑賞しているような気分にさせる。
だが、美しい男性と、それを取り巻く欲望の物語としては、興味深い映像体験を提供する。
一人の美男子を巡って王が狂い、それを権力闘争に利用する重臣たちの政治劇。
愚かな王は、自身が重臣達の操り人形だとは知らない。
王宮はひとつの演劇空間なのであって、王は知らない間に、その主人公として祭り上げられている。
王にとって何もかもが、ひれ伏す重臣たちも、王妃の愛すらも薄ぺらな演劇に過ぎない。
だから王は、美男子を側に引きこみ、愛を得ようとする。
『王の男』は映画のもう一人の主人公である。
物語はやがて王の孤独に中心を移し、悲劇的な結末を迎える。
映画記事一覧
作品データ
監督:イ・ジュニク 原作:キム・テウン
音楽:イ・ビョンウ 脚本:チェ・ソクファン
出演:カム・ウソン イ・ジュンギ
チョン・ジニョン カン・ソンヨン
チャン・ハンソン ユ・ヘジン
チョン・ソギョン イ・スンフン