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■2009/07/02 (Thu)
映画:外国映画■
チャンセンとコンギルは、旅の芸人だった。
チャンセンは綱渡り芸を得意とし、コンギルは女形芸人として、愛らしさと美貌を振り撒いていた。
だが、コンギルはあまりにも美しすぎる女形だった。
その日も演目の終わりに、一座の親方がコンギルを貴族に差し出そうとしていた。
チャンセンは親方に反発し、コンギルを連れて一座を逃げ出してしまう。
女性がうらやむ美貌のコンギル。相方のチャンセンは、蓬髪に髭面。実にわかりやすい組み合わせだ。二人は物語の必要、不要に関わらず、スキンシップを繰り返す。二人男の情念による物語が根底にあるとわかる。
物語の中心にいるのは、美しい男性のコンギルだ。
体の線が細く、容姿は完璧に整い、微笑は男たちを魅了させる。
王も貴族も、コンギルに心を奪われ、好色な思いに捉われてしまう。
そんなコンギルを守ろうとするチャンセンとの絆は深い。
チャンセンとコンギルは手を繋いで、自分達の運命から逃走を図る。
自由を得た二人の前に、人の気配のない一面の野原が広がる。
男同士のあまりにも深い絆。閉鎖的な恍惚の光景が広がっている。
だが、そんな二人だけの絆に、邪な権力者達の欲望が滲み寄ってくる。
二人が逃亡を始めると、突如として美しく幻想的な野原が広がる。二人きりの空間がいかに幸福であるかを解説するシーンだ。それでも、二人は際どく性的な方向に進むのを避けている。二人はやがて美しい野原を後にし、生活のために猥雑な日常世界へ帰っていくが…。
チャンセンとコンギルは、大都会の漢陽へ行き、そこで芸人の仕事を見つけようと思いつく。
チャンセンとコンギルは、漢陽の街で新しい芸人一座に加わるが、人の集まりは芳しくない。
王の命令で大きな狩場が作られ、漢陽から人が減っているというのだ。
そこでチャンセンは「王をネタに芸をやろう」と思いつく。
都会に出て演目を始めるが、人の集まりはよくない。原因は王にあるそうだ。民は王に対する不満が強くなっているに違いない。ならば、王をネタに演目をすれば人が集る。チャンセンの狙い通り人は集まるが、それが原因で役人に逮捕されてしまう。
王をからかった演目は大成功だった。人々が集り、喝采が上がる。
だが突然、役人達が乱入し、チャンセンたちは囚われの身となってしまう。
王を侮辱した罪で、死刑だった。
とっさにチャンセンは、機転を利かせて宣言する。
「王に舞台を見せたい。王が笑えば、侮辱じゃない。王を笑わせてやる」
王は、チャンセン達の芸を気に入り、側に使えるように命じる。王が特に気に入ったのは、コンギルだったようだ。だが、あまりにも美しすぎるゆえに、王宮内の評判も、王妃への嫉妬も激しい。
映画『王の男』は16世紀の李氏朝鮮時代を題材にした物語だ。
だが、歴史物語が持つ風格や重々しさはどこにもない。
映像は全体に光が与えられ、カットの主張は不明だ。
セットは明らかなセットとして描かれ、映画への没入を拒もうとしている。
演技や台詞などは典型的な様式が踏襲され、テレビドラマを鑑賞しているような気分にさせる。
王はコンギルに、性的な欲望ではなく心情的な抱擁を求めていた。コンギルは、まもなく王の孤独に気付き、同情する。王のために、重臣が指示した演目を演じようとするが、それは政治闘争に利用されていた。
だが、美しい男性と、それを取り巻く欲望の物語としては、興味深い映像体験を提供する。
一人の美男子を巡って王が狂い、それを権力闘争に利用する重臣たちの政治劇。
愚かな王は、自身が重臣達の操り人形だとは知らない。
王宮はひとつの演劇空間なのであって、王は知らない間に、その主人公として祭り上げられている。
王にとって何もかもが、ひれ伏す重臣たちも、王妃の愛すらも薄ぺらな演劇に過ぎない。
だから王は、美男子を側に引きこみ、愛を得ようとする。
『王の男』は映画のもう一人の主人公である。
物語はやがて王の孤独に中心を移し、悲劇的な結末を迎える。
映画記事一覧
作品データ
監督:イ・ジュニク 原作:キム・テウン
音楽:イ・ビョンウ 脚本:チェ・ソクファン
出演:カム・ウソン イ・ジュンギ
チョン・ジニョン カン・ソンヨン
チャン・ハンソン ユ・ヘジン
チョン・ソギョン イ・スンフン
チャンセンは綱渡り芸を得意とし、コンギルは女形芸人として、愛らしさと美貌を振り撒いていた。
だが、コンギルはあまりにも美しすぎる女形だった。
その日も演目の終わりに、一座の親方がコンギルを貴族に差し出そうとしていた。
チャンセンは親方に反発し、コンギルを連れて一座を逃げ出してしまう。
女性がうらやむ美貌のコンギル。相方のチャンセンは、蓬髪に髭面。実にわかりやすい組み合わせだ。二人は物語の必要、不要に関わらず、スキンシップを繰り返す。二人男の情念による物語が根底にあるとわかる。
物語の中心にいるのは、美しい男性のコンギルだ。
体の線が細く、容姿は完璧に整い、微笑は男たちを魅了させる。
王も貴族も、コンギルに心を奪われ、好色な思いに捉われてしまう。
そんなコンギルを守ろうとするチャンセンとの絆は深い。
チャンセンとコンギルは手を繋いで、自分達の運命から逃走を図る。
自由を得た二人の前に、人の気配のない一面の野原が広がる。
男同士のあまりにも深い絆。閉鎖的な恍惚の光景が広がっている。
だが、そんな二人だけの絆に、邪な権力者達の欲望が滲み寄ってくる。
二人が逃亡を始めると、突如として美しく幻想的な野原が広がる。二人きりの空間がいかに幸福であるかを解説するシーンだ。それでも、二人は際どく性的な方向に進むのを避けている。二人はやがて美しい野原を後にし、生活のために猥雑な日常世界へ帰っていくが…。
チャンセンとコンギルは、大都会の漢陽へ行き、そこで芸人の仕事を見つけようと思いつく。
チャンセンとコンギルは、漢陽の街で新しい芸人一座に加わるが、人の集まりは芳しくない。
王の命令で大きな狩場が作られ、漢陽から人が減っているというのだ。
そこでチャンセンは「王をネタに芸をやろう」と思いつく。
都会に出て演目を始めるが、人の集まりはよくない。原因は王にあるそうだ。民は王に対する不満が強くなっているに違いない。ならば、王をネタに演目をすれば人が集る。チャンセンの狙い通り人は集まるが、それが原因で役人に逮捕されてしまう。
王をからかった演目は大成功だった。人々が集り、喝采が上がる。
だが突然、役人達が乱入し、チャンセンたちは囚われの身となってしまう。
王を侮辱した罪で、死刑だった。
とっさにチャンセンは、機転を利かせて宣言する。
「王に舞台を見せたい。王が笑えば、侮辱じゃない。王を笑わせてやる」
王は、チャンセン達の芸を気に入り、側に使えるように命じる。王が特に気に入ったのは、コンギルだったようだ。だが、あまりにも美しすぎるゆえに、王宮内の評判も、王妃への嫉妬も激しい。
映画『王の男』は16世紀の李氏朝鮮時代を題材にした物語だ。
だが、歴史物語が持つ風格や重々しさはどこにもない。
映像は全体に光が与えられ、カットの主張は不明だ。
セットは明らかなセットとして描かれ、映画への没入を拒もうとしている。
演技や台詞などは典型的な様式が踏襲され、テレビドラマを鑑賞しているような気分にさせる。
王はコンギルに、性的な欲望ではなく心情的な抱擁を求めていた。コンギルは、まもなく王の孤独に気付き、同情する。王のために、重臣が指示した演目を演じようとするが、それは政治闘争に利用されていた。
だが、美しい男性と、それを取り巻く欲望の物語としては、興味深い映像体験を提供する。
一人の美男子を巡って王が狂い、それを権力闘争に利用する重臣たちの政治劇。
愚かな王は、自身が重臣達の操り人形だとは知らない。
王宮はひとつの演劇空間なのであって、王は知らない間に、その主人公として祭り上げられている。
王にとって何もかもが、ひれ伏す重臣たちも、王妃の愛すらも薄ぺらな演劇に過ぎない。
だから王は、美男子を側に引きこみ、愛を得ようとする。
『王の男』は映画のもう一人の主人公である。
物語はやがて王の孤独に中心を移し、悲劇的な結末を迎える。
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作品データ
監督:イ・ジュニク 原作:キム・テウン
音楽:イ・ビョンウ 脚本:チェ・ソクファン
出演:カム・ウソン イ・ジュンギ
チョン・ジニョン カン・ソンヨン
チャン・ハンソン ユ・ヘジン
チョン・ソギョン イ・スンフン
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