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■2009/09/09 (Wed)
映画:外国映画■
始まりはブロークバック・マウンテンだった。
イニスとジャックは、ブロークバック・マウンテンで羊の番をする仕事を請け負っていた。
羊の番の仕事を切っ掛けに、二人の男は出会った。

左:イニス
右:ジャック
二人は性格も生い立ちも違う。もちろん、同性愛者ではない。はじめはごくふつうの仕事の同僚、男友達という関係から始まった。
ブロークバック・マウンテンは美しい山だった。
鮮やかな緑に、小川が穏やかに流れ落ちている。
空の眺めを遮るものはなく、いつも層積雲が連なっていた。
一方で、厳しい環境の山だった。
肌寒くて、天候が崩れやすい。
それに常に狼やコヨーテに狙われる危険のある仕事で、ほぼ一日中、羊を見張っていなくてはならなかった。
人の絶えた風景。美しいが過酷な自然が二人の前に立ち塞がる。強い結束で結ばれた二人。その関係は、間もなくもっと深く、強力なものへと変質させる。
しかもブロークバック・マウンテンならば、どんな間違いも秘密も守られる。
そんな場所で、イニスとジャックは結ばれた。
初めはジャックが一方的に、強引に誘った。
イニスは、ジャックを拒否しようとした。しかし次の瞬間には、イニスも何かに憑かれるように、ジャックを受け入れていた。

「この関係は一夜限りで終わりだ」イニスとジャックはそう話し合う。だが、心が、体が二人を引き合い続ける。最も深い関係。いつしか互いの存在を渇望するようになっていた。
男同士にしか、わかりえない結びつきはいくらでもある。
男同士にしか通じない心の葛藤や、絆の深さ。
男と女では決して得られない、精神の結びつき。あるいは友情。
それがどこかで性的な気色を帯びて、肉体的に結びつける瞬間だってあるだろう。
そんな《ボーイズ・ラヴ》の瞬間が。

山を後にした二人は、ごく普通の伴侶を得て平凡な人生を取り戻そうとする。イニスもジャックも、お互いの関係を忘れようとしたが……。こうした映画の常だが、女性はあまり魅力的に描かれない。男性の魅力が強調的に描かれる。
映画の前半部分の舞台は、美しいブロークバック・マウンテンだ。
決して人が訪ねることのない場所。
どんな過ちも疑いも、大地が覆い隠してしまう場所。
決して秘密が明かされない場所。
イニスとジャックが結ばれるのは、そんな場所だ。
一度きりと決めた肉体関係。
だが、ブロークバック・マウンテンを去った後も、二人の同性関係は延々と続いていしまう。
美しすぎるブロークバックマウンテンの風景や記憶が、思い出をより幻想的なものへと変えていく。イニスとジャックは、あの思い出を引き出すように、互いを強く引き合わせてしまう。だが、それが二人を破滅に導く。
思い出という幻想に引き摺られ、最後まで思い出からの帰還に失敗した二人の物語である。
イニスとジャックを包む自然の光景は、どこまでも美しく、開放的に描かれる。
一方で、現実の社会は常に暗雲が立ち込め、どこかよそよそしい。
イニスとジャックの関係には、死の恐怖が付きまとっていた。もしイニスとジャックの関係が公になったら、きっと社会は二人を排斥しようとするだろう。
殺されるかもしれない。
イニスとジャックは、そんな危険を知りつつ、逢瀬を重ねる。
命の危険を冒しつつ、二人は結びつきをどこまでも強めていく。
現実の社会は、少しずつ二人を追い詰めて、望まぬ結果に引きずり込もうとしている。
だが二人の心は、未だにブロークバック・マウンテンに置き去りにしたままだった。
映画記事一覧
作品データ
監督:アン・リー 原作:アニー・プルー
音楽:グスターボ・サンタオラヤ
脚本:ラリー・マクマートリー 、ダイアナ・オサナ
出演:ヒース・レジャー ジェイク・ギレンホール
〇〇〇ミシェル・ウィリアムズ アン・ハサウェイ
〇〇〇ランディ・クエイド リンダ・カーデリーニ
〇〇〇アンナ・ファリス スコット・マイケル・キャンベル
イニスとジャックは、ブロークバック・マウンテンで羊の番をする仕事を請け負っていた。
羊の番の仕事を切っ掛けに、二人の男は出会った。
右:ジャック
二人は性格も生い立ちも違う。もちろん、同性愛者ではない。はじめはごくふつうの仕事の同僚、男友達という関係から始まった。
鮮やかな緑に、小川が穏やかに流れ落ちている。
空の眺めを遮るものはなく、いつも層積雲が連なっていた。
一方で、厳しい環境の山だった。
肌寒くて、天候が崩れやすい。
そんな場所で、イニスとジャックは結ばれた。
初めはジャックが一方的に、強引に誘った。
イニスは、ジャックを拒否しようとした。しかし次の瞬間には、イニスも何かに憑かれるように、ジャックを受け入れていた。
男同士にしか、わかりえない結びつきはいくらでもある。
男同士にしか通じない心の葛藤や、絆の深さ。
男と女では決して得られない、精神の結びつき。あるいは友情。
それがどこかで性的な気色を帯びて、肉体的に結びつける瞬間だってあるだろう。
そんな《ボーイズ・ラヴ》の瞬間が。
映画の前半部分の舞台は、美しいブロークバック・マウンテンだ。
決して人が訪ねることのない場所。
どんな過ちも疑いも、大地が覆い隠してしまう場所。
決して秘密が明かされない場所。
イニスとジャックが結ばれるのは、そんな場所だ。
一度きりと決めた肉体関係。
だが、ブロークバック・マウンテンを去った後も、二人の同性関係は延々と続いていしまう。
思い出という幻想に引き摺られ、最後まで思い出からの帰還に失敗した二人の物語である。
イニスとジャックを包む自然の光景は、どこまでも美しく、開放的に描かれる。
一方で、現実の社会は常に暗雲が立ち込め、どこかよそよそしい。
イニスとジャックの関係には、死の恐怖が付きまとっていた。もしイニスとジャックの関係が公になったら、きっと社会は二人を排斥しようとするだろう。
殺されるかもしれない。
命の危険を冒しつつ、二人は結びつきをどこまでも強めていく。
現実の社会は、少しずつ二人を追い詰めて、望まぬ結果に引きずり込もうとしている。
だが二人の心は、未だにブロークバック・マウンテンに置き去りにしたままだった。
映画記事一覧
作品データ
監督:アン・リー 原作:アニー・プルー
音楽:グスターボ・サンタオラヤ
脚本:ラリー・マクマートリー 、ダイアナ・オサナ
出演:ヒース・レジャー ジェイク・ギレンホール
〇〇〇ミシェル・ウィリアムズ アン・ハサウェイ
〇〇〇ランディ・クエイド リンダ・カーデリーニ
〇〇〇アンナ・ファリス スコット・マイケル・キャンベル
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■2009/09/09 (Wed)
映画:外国映画■
しかし、雑誌の小さな記事を書くのと本を書くのとは勝手が違った。前金をもらったけど、車と家賃で大半は消えてしまった。
本の執筆はなかなか進まない。取材を始めて、図書館で得た知識がいかに無益か学んだ。図書館では、誰も人を殺さないからだ。
同棲しているアデール・コーナーズがうんざりした声で訴えた。アデールはプロカメラマンだがなかなか才能は認められない。だから、いま執筆している本に載せる写真を撮ってもらっていた。
アメリカ大陸の西の果て。当時カリフォルニアは楽園のように思われていた。暖かで穏やかな場所で、鬱屈する何かを劇的に変えてくれる場所。
ブライアンもできるならカリフォルニアで暮らしたいと考えていた。しかし、カリフォルニアへ行くまでのお金がない。
そこでブライアンは考えた。同乗者がいれば、カリフォルニアまでのガソリン代が半分になる。
さっそくブライアンは、掲示板に自分の要件を書いたメモを貼り付けた。
“求む。1週間のアメリカ横断ドライブ。歴史的殺人現場ツアーの同乗者を”
間もなく名乗り出たのはアーリー・グレイスとキャリー・ローリンの二人だった。
一見して貧しく、素行の悪そうな二人。ブライアンは二人を乗せてカリフォルニアまでの旅に出るが、間もなくアーリーこそが自分が探し求めていた殺人鬼であると判明する。
映画『カリフォルニア』の物語はいかにもホラー映画だ。たまたま乗せたヒッチハイカーが殺人鬼だった。ハリウッド製スラッシャー映画において、何度も繰り返し制作された王道パターンである。
BGMの少ない静かな印象。大袈裟に恐怖を煽り立てるような演出は少ない。ただただ、淡々と物語が流れていき、人間を描写していく。
ホラー映画ではないが、驚くような映像美も哲学的な啓蒙もない。映画は静かに物語を綴っていく。
物語の展開は、やや緩慢に思えるくらいだ。ブラッド・ピットが殺人鬼の役であるのは、すでに広告ポスターに書かれているから判明している。だが、その本性を見せるのは物語のずっと後半。そこに至るまで、映画は淡々とブライアンとアーリーの交流を描いていく。
人
正常と認定される人間には理解しがたい話らしいが、異常とされる人間は、社会の常識や習慣といったものがなかなか理解できない。
善悪の意識や観念も同様だ。
当然の社会規範や、当然のモラル。それから事象に対する感情の抱き方。
異常な人間は、一般の人間が思考せず「当然」と見過ごしてしまいそうなものに対しても、まったく違った感性で接する。異常な人間は教育されたとおりの感情を抱かず、自身の美意識で決断する。
だからこそ、異常者は違反行為を犯しても動揺しない。冷徹に、違反行為を遂行する。はっきりいえば、異常者にとって殺人は、食べる息をすると同じくらいのレベルでの“ただの行為”に過ぎないのだ。
アーリーはそういった種類の異常者だ。アーリーは盗みや殺人に罪の意識はまったくない。どんな社会制裁も、彼の行動や意識にまったくの影響を与えられない。
アーリーはただただどこまでも無軌道で、その無軌道な衝動を自身でも抑えようという発想がない。アーリーはひたすら思いつきと願望を実行するだけの人間である。
そんなアーリーを同じ車に乗せたブライアンは、間もなく地獄を知ることとなる。だがそれは、カリフォルニアという天国に辿り着くまでに、潜り抜けねばならない地獄なのかもしれない。
映画記事一覧
作品データ
監督:ドミニク・セナ
原案:スティーヴン・レヴィ ティム・メトカーフ 脚本:ティム・メトカーフ
撮影:ボジャン・バゼリ 音楽:カーター・バーウェル
出演:ブラッド・ピット デイヴィッド・ドゥカヴニー
〇〇〇ジュリエット・ルイス ミシェル・フォーブス
〇〇〇デヴィッド・ローズ ジョン・ダラガン
■2009/09/08 (Tue)
映画:外国映画■
ペベンシー四兄弟は、今もナルニアでの日々を忘れられず、英国での日常に馴染めないでいた。
ナルニアに戻れないだろうか。
地下鉄でそう考えていたとき、突然にルーシーは体に魔力を感じる。
ナルニアが呼んでいる。そう直感した四兄弟は手を繋ぎ、ナルニアを心で念じた。
次の瞬間には、四兄弟は美しい砂浜にいた。
ナルニアだ!
ペベンシー四兄弟は、大喜びで砂浜に繰り出す。
「あの廃墟はなんだろう?」あんな廃墟は、ナルニアにはなかったはずだ。
行ってみると、そこは城の跡だった。かつてペベンシー四兄弟が過ごしたケア・パラベル城だった。
し
あれから、どれだけの時間が流れてしまったのだろう。地下に、かつてペペンシー四兄弟が使っていた服や装備品が残されていた。
ペベンシー四兄弟は、城の周囲に何かないか散策してみた。
とそこに、小人を川の中に投げ込もうとしている男たちを発見する。
とっさに小人を救ったペベンシー四兄弟は、その小人からナルニアで1000年の時が過ぎ去ってしまったことを聞く。
ある夜。
テルマール人の王子、カスピアンの寝床に、家庭教師の老人が入ってくる。
その夜、カスピアン王子の叔父、ミラースの妻が息子を出産したのだ。
ミラースはこの機会にカスピアン王子を亡き者とし、自分の息子を王
刺客は、すでにカスピアンの元に迫っていた。
カスピアンは急いで準備し、夜の闇に紛れて城を脱出する。
カスピアンを狙う追っ手が、すぐに迫ってきた。
そのとき、カスピアンの目の前に、すでに伝説となったナルニア人が立ち塞がった。
ここはどこだろう?
ペベンシー四兄弟ではなくとも、変わり果てたナルニアに戸惑いを覚える。
ナルニアは、かつてのような夢の王国ではなかった。
タムナスさんもビーバーさんもいないし、創造主アスランも姿を消した。
魔法で満ちた森は、今は沈黙し、動物は言葉を語りかけてくれない。
かつてのような、何でも受け入れてくれそうな温かみは、ナルニアにはもうない。
前作のように、唐突にサンタクロースが現れ、魔法の武器が授けてくれそうな雰囲気もない。
そこはすでに、人間達が世界する、神秘も奇跡もない世界だった。
ペベンシー四兄弟が留守にしていた1000年の間に、人間たちが森を切り開き、そこからあらゆる神秘を取り除き、魔法の力を迷信に変えてしまった。
大地が失われて石の城がそこに現れ、人間達は自分達の政治闘争に明け暮れている。
森の小人や喋る動物たちは、そんな人間達に怯えながら、森で息を潜めて隠れている。
現実に戻ったペベンシー四兄弟も、今のナルニアに魔法の力を信じられなくなっていた。
ただルーシーだけが魔法の存在を信じ、アスランの帰還を信じていた。
ファンタジーは、実は現実世界のあちこちに散らばっている。
だが、それは小さな断片だし、感受性の弱い我々は魔法の力になかなか気付かない。
だから作り手は、魔法の断片を集めて、芸術的な感性で集めたものを縒り合わせる。
ファンタジーは、映画や漫画やゲームの中で結集される。
我々は、日常から峻別された映画や漫画やゲームに接して、ようやくここではない向うの世界に没入する。
異世界を冒険するためには、心を異世界へと飛び立たせねばならない。
我々は、ペベンシー四兄弟と共に、ナルニアの国を願い、ナルニアへと飛び立つ。
だから我々の心は、今度はペベンシー四兄弟と共に、人間達と戦う。森の神秘と魔法の力を取り戻すために。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:アンドリュー・アダムソン 原作:C・S・ルイス
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
脚本:クリストファー・マルクス スティーヴン・マクフィーリー
出演:ジョージー・ヘンリー スキャンダー・ケインズ
〇〇〇ウィリアム・モーズリー アナ・ポップルウェル
〇〇〇ベン・バーンズ ピーター・ディンクレイジ
〇〇〇ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ セルジオ・カステリット
〇〇〇ワーウィック・デイヴィス コーネル・ジョン
〇〇〇ケン・ストット リーアム・ニーソン
■2009/09/07 (Mon)
映画:外国映画■
スペインの領土は、キリスト教徒と、ムーア人との争いで、分断されていた。
ビバールの貴族であるロドリゴは、ムーア人との戦いに勝利し、その王を捕虜とする。
捕虜の命を助け、解放する。
すると捕虜であったムーア人の王は、ロドリゴに“エル・シド”の称号を授け、忠誠を誓う。
しかし、捕虜の解放はスペイン王の反逆であった。
ゴルマス伯爵は謁見場において、ロドリゴを反逆罪として告発する。
さらにゴルマス伯爵は、弁護に訪れたロドリゴの父を殴打し、侮辱す
その日の夜、ロドリゴはゴルマス伯爵の前に現れる。
ロドリゴは、剣を手に、父を侮辱した謝罪を求める。
ゴルマス伯爵は、強情に謝罪を拒否。
ゴルマス伯爵の娘シメンは、ロドリゴと結婚を誓い合っていた。
それもゴルマス伯爵殺害によって、引き裂かれてしまう。
その後間もなく、フェルディナン王が死亡する。
すると二人の王子が、互いの領有権を巡って争いを始める。
どちらも譲れずに決別。国は、二人の王子のために分裂してしまった。
そんな最中、イスラム教徒のユサフはこれを機会に、とスペイン進行を計画していた。
“エル・シド”は実在の人物だが、その実像はやや神話めいている。
死しても馬にまたがり、敵の軍勢を蹴散らしたとか、愛用した剣は、妖精が鍛えたエクスカリバーと同じ由来を持つ剣であるとか、そうした伝説がいくつも語り継がれている。
映
チャールトン・ヘストンやソフィア・ローレンといった名優が共演する。
実物大の城のセットを製作し、煌びやかな衣装に、豪華な装飾品や、調度品の数々。夥しい数の群集。
デジタル技術のない時代、目に映るすべてを人間の力だけで制作した。紛れもなく、映画史上最大規模の作品だ。
ただし、難点は、敵として登場とするイスラム教徒の描き方だ。
残虐な性格で、イスラムの軍勢は黒ずくめで、いかにも悪者の軍団という感じだ。しかも、イスラム教徒なのに英語を話している。
映画史に残る傑作だが、この当時の特色が難点だ。
映画の中のエル・シドは、伝説上の人物ではなく人間として描かれる。
ただし、とてつもなく高潔な英雄だ。
例え王であろうとも、誠実でなければ従おうともしない。
真に国のために、決して腐敗と結びつかず、たった一人でも戦いを挑もうとする。
そんな人物の姿に、民衆は、王よりエル・シドの元に集結する。
エル・シドは、後に伝説として語り継がれる人物だ。
しかしその生き様は、生きている頃から、素晴らしい輝きを放っている。
この映画も同じように、永久に輝きを放ち続けるだろう。
ウィキペディアの『エル・シド』の記述
ウィキペディアの『レコンキスタ』の記述(この物語はレコンキスタの時代を背景に描かれている)
映画記事一覧
作品データ
監督:アンソニー・マン 音楽:ミクロス・ローザ
脚本:フレドリック・M・フランク フィリップ・ヨーダン
出演:チャールトン・ヘストン ソフィア・ローレン
〇〇〇ジュヌヴィエーヴ・パージュ ジョン・フレイザー
〇〇〇ゲイリー・レイモンド ハード・ハットフィールド
■2009/09/07 (Mon)
映画:外国映画■
エンロンの起源は、20世紀初頭まで遡れるが、エンロンとして設立されたのは1985年だ。
規制緩和によってパイプライン買収を繰り広げ、急成長を遂げた企業である。
だが2001年、エンロンは突然に破綻する。
21000名になる全社員が一斉に解雇され、負債総額は310億ドル。年金基金から20億ドルが喪失した。
そのとき、何が起こったのか。
ドキュメンタリー『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』は崩壊のプロセスを詳らかに追跡していく。

エンロンの崩壊。様々な人の証言で綴られていく。ドキュメンタリーのつくりとしては平均的、平凡。映像の構造的な部分より、エンロンという巨大企業が崩壊する様に注目していきたい。
始まりは1985年。
ケン・レイは規制緩和の波に乗り、エンロンを設立。全米のパイプラインの買収を重ねた。
天然ガスの価格規制が撤廃されれば、必ず商機が訪れると信じていた。
1987年、エンロン石油はトレーダーによる投機取引を開始。
エンロンの企業成績は天井知らずに上昇していった。
間もなくベテラン・トレーダーたちが、高収益を続けるエンロンを不審に思うようになった。
調査を始めると、すぐにでも横領、海外口座、ニセ帳簿、あらゆる不正がエンロンから出てきた。

左がエンロン本社。今もこの周辺は廃墟らしい。右はブッシュ大統領(当時)。他ならぬエンロンを擁護していたのはブッシュ家だった。またしてもブッシュ家。犯罪の陰に女と金、というが、アメリカの場合「犯罪の陰に金とブッシュ」か?
それでもエンロン会長ケン・レイはトレーダー達を解雇しなかった。
挑発的な人間を好むケン・レイは、1990年頃、スキリングという名の男をエンロンに雇う。
スキリングは《時価会計》という概念を考案。監査法人と規制当局の承認を得て、正式に《時価会計》が導入された。
《時価会計》とは、将来の発生する利益を、現在時点で計上する方法のことだ。
つまり、未来のことだから、自由に操作可能なわけだ。
この《時価会計》魔術を得たエンロンは、インドに巨大発電所を作り、オンライン帯域の販売をはじめ、莫大な利益を上げる。
だが、“利益を出したことにした”だけであって、実際の利益はゼロに等しかった。
それでも、エンロン社員たちは《時価会計》の魔術に気付かず、毎年数百ドルのボーナスを受け取っていた。

傲慢で強欲。エゴの塊のような人間が荒廃していく様が描かれいく。右はエンロンをネタにした『シンプソンズ』の一コマ。なんでもネタにしてしまうのは、さすがにシンプソンズ。日本の作家で同じ度胸があるのは久米田康治くらいだ。
不正な方法で大きく膨らみすぎた企業が、あるとき突然崩壊する。
“儲け”に取り付かれた彼らは、利益に熱中するあまり、自分達の危機に気付かない。
気付いた時には遅すぎで、傷は大きすぎて回復不能だった。
エンロンの21000名になる社員はある日、突然全員解雇され、莫大な財産は、瞬時にしてゼロになってしまった。
ドキュメンタリー『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』は企業の崩壊とともに、人間性の崩壊を描いていく。
人間はどこまで強欲になり、どこまで傲慢になり、どこまで堕ちてゆくのか。
自尊心の塊のようだった人間が突然崩壊する瞬間。その時、人間はどんな表情を見せるのか。どんな心の傷を負うのか。
ウィキペディアに詳しい情報があります。
映画記事一覧
作品データ
監督:アレックス・ギブニー
撮影:マリーズ・アルバルティ 編集:アリソン・エルウッド
規制緩和によってパイプライン買収を繰り広げ、急成長を遂げた企業である。
だが2001年、エンロンは突然に破綻する。
21000名になる全社員が一斉に解雇され、負債総額は310億ドル。年金基金から20億ドルが喪失した。
そのとき、何が起こったのか。
ドキュメンタリー『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』は崩壊のプロセスを詳らかに追跡していく。
始まりは1985年。
ケン・レイは規制緩和の波に乗り、エンロンを設立。全米のパイプラインの買収を重ねた。
天然ガスの価格規制が撤廃されれば、必ず商機が訪れると信じていた。
1987年、エンロン石油はトレーダーによる投機取引を開始。
エンロンの企業成績は天井知らずに上昇していった。
間もなくベテラン・トレーダーたちが、高収益を続けるエンロンを不審に思うようになった。
調査を始めると、すぐにでも横領、海外口座、ニセ帳簿、あらゆる不正がエンロンから出てきた。
それでもエンロン会長ケン・レイはトレーダー達を解雇しなかった。
挑発的な人間を好むケン・レイは、1990年頃、スキリングという名の男をエンロンに雇う。
スキリングは《時価会計》という概念を考案。監査法人と規制当局の承認を得て、正式に《時価会計》が導入された。
《時価会計》とは、将来の発生する利益を、現在時点で計上する方法のことだ。
つまり、未来のことだから、自由に操作可能なわけだ。
この《時価会計》魔術を得たエンロンは、インドに巨大発電所を作り、オンライン帯域の販売をはじめ、莫大な利益を上げる。
だが、“利益を出したことにした”だけであって、実際の利益はゼロに等しかった。
それでも、エンロン社員たちは《時価会計》の魔術に気付かず、毎年数百ドルのボーナスを受け取っていた。
不正な方法で大きく膨らみすぎた企業が、あるとき突然崩壊する。
“儲け”に取り付かれた彼らは、利益に熱中するあまり、自分達の危機に気付かない。
気付いた時には遅すぎで、傷は大きすぎて回復不能だった。
エンロンの21000名になる社員はある日、突然全員解雇され、莫大な財産は、瞬時にしてゼロになってしまった。
ドキュメンタリー『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』は企業の崩壊とともに、人間性の崩壊を描いていく。
人間はどこまで強欲になり、どこまで傲慢になり、どこまで堕ちてゆくのか。
自尊心の塊のようだった人間が突然崩壊する瞬間。その時、人間はどんな表情を見せるのか。どんな心の傷を負うのか。
ウィキペディアに詳しい情報があります。
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作品データ
監督:アレックス・ギブニー
撮影:マリーズ・アルバルティ 編集:アリソン・エルウッド