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■2009/09/09 (Wed)
映画:外国映画■
ブライアン・ケスラーは作家であった。だが、本を出版しているわけではない。ある雑誌に、連続殺人者の記事を書いたのが認められて、本になる話が舞い込んできた。
しかし、雑誌の小さな記事を書くのと本を書くのとは勝手が違った。前金をもらったけど、車と家賃で大半は消えてしまった。
本の執筆はなかなか進まない。取材を始めて、図書館で得た知識がいかに無益か学んだ。図書館では、誰も人を殺さないからだ。
ブライアンは本だけの知識で、殺人者を分析する。彼らは被害者であり、同情すべき存在である、と当初考えていた。
「ここを出てカリフォルニアに行きたい」
同棲しているアデール・コーナーズがうんざりした声で訴えた。アデールはプロカメラマンだがなかなか才能は認められない。だから、いま執筆している本に載せる写真を撮ってもらっていた。
――カリフォルニアか。
アメリカ大陸の西の果て。当時カリフォルニアは楽園のように思われていた。暖かで穏やかな場所で、鬱屈する何かを劇的に変えてくれる場所。
ブライアンもできるならカリフォルニアで暮らしたいと考えていた。しかし、カリフォルニアへ行くまでのお金がない。
そこでブライアンは考えた。同乗者がいれば、カリフォルニアまでのガソリン代が半分になる。
さっそくブライアンは、掲示板に自分の要件を書いたメモを貼り付けた。
“求む。1週間のアメリカ横断ドライブ。歴史的殺人現場ツアーの同乗者を”
ブラッド・ピットとデビッド・ドゥガヴニー共演作品だ。今ならもっと話題になりそうな組み合わせだ。デビッド・ドゥガヴニーは『X-FILE』シリーズが有名になりすぎてもうないかも知れない。
間もなく名乗り出たのはアーリー・グレイスとキャリー・ローリンの二人だった。
一見して貧しく、素行の悪そうな二人。ブライアンは二人を乗せてカリフォルニアまでの旅に出るが、間もなくアーリーこそが自分が探し求めていた殺人鬼であると判明する。
殺人者を演じるブラッド・ピット。ブラッド・ピットは美形だがそれを生かした作品は少ない。むしろ、異端者『ジェシー・ジェームズの暗殺』のような作品を好む。殺人者に何か思い入れでもあるのだろうか?
映画『カリフォルニア』の物語はいかにもホラー映画だ。たまたま乗せたヒッチハイカーが殺人鬼だった。ハリウッド製スラッシャー映画において、何度も繰り返し制作された王道パターンである。
だが、映画の組立てははっきりとホラー映画ではない。明らかに、映画監督はホラー映画を指向していない。
BGMの少ない静かな印象。大袈裟に恐怖を煽り立てるような演出は少ない。ただただ、淡々と物語が流れていき、人間を描写していく。
ホラー映画ではないが、驚くような映像美も哲学的な啓蒙もない。映画は静かに物語を綴っていく。
物語の展開は、やや緩慢に思えるくらいだ。ブラッド・ピットが殺人鬼の役であるのは、すでに広告ポスターに書かれているから判明している。だが、その本性を見せるのは物語のずっと後半。そこに至るまで、映画は淡々とブライアンとアーリーの交流を描いていく。
アーリーのような人間には、感情移入の感性がないのだろう。よく教育の問題にされがちだが、おそらく教育云々も、脳科学も関係ない。むしろ教育による脅迫は、子供に暴力的な観念を与えるだけだ。
人間は誰もが同じ考えを持ち、同じ社会意識を共有して生活していくのではない。
正常と認定される人間には理解しがたい話らしいが、異常とされる人間は、社会の常識や習慣といったものがなかなか理解できない。
まともな人間にとって、思考せずとも当然として受け入れられるあらゆる事象が、異常な人間にとって、一つ一つ「なぜ?」と問題提起し、解決していかないと当り前の日常すら受け入れられない。
善悪の意識や観念も同様だ。
当然の社会規範や、当然のモラル。それから事象に対する感情の抱き方。
異常な人間は、一般の人間が思考せず「当然」と見過ごしてしまいそうなものに対しても、まったく違った感性で接する。異常な人間は教育されたとおりの感情を抱かず、自身の美意識で決断する。
だからこそ、異常者は違反行為を犯しても動揺しない。冷徹に、違反行為を遂行する。はっきりいえば、異常者にとって殺人は、食べる息をすると同じくらいのレベルでの“ただの行為”に過ぎないのだ。
冒頭シーンで「反キリストは男の体に潜む7つの尻尾を持った女」と謎の台詞がある。カリフォルニアが楽園である一方、そこが地獄であると示す台詞だ。
アーリーはそういった種類の異常者だ。アーリーは盗みや殺人に罪の意識はまったくない。どんな社会制裁も、彼の行動や意識にまったくの影響を与えられない。
アーリーはただただどこまでも無軌道で、その無軌道な衝動を自身でも抑えようという発想がない。アーリーはひたすら思いつきと願望を実行するだけの人間である。
そんなアーリーを同じ車に乗せたブライアンは、間もなく地獄を知ることとなる。だがそれは、カリフォルニアという天国に辿り着くまでに、潜り抜けねばならない地獄なのかもしれない。
映画記事一覧
作品データ
監督:ドミニク・セナ
原案:スティーヴン・レヴィ ティム・メトカーフ 脚本:ティム・メトカーフ
撮影:ボジャン・バゼリ 音楽:カーター・バーウェル
出演:ブラッド・ピット デイヴィッド・ドゥカヴニー
〇〇〇ジュリエット・ルイス ミシェル・フォーブス
〇〇〇デヴィッド・ローズ ジョン・ダラガン
しかし、雑誌の小さな記事を書くのと本を書くのとは勝手が違った。前金をもらったけど、車と家賃で大半は消えてしまった。
本の執筆はなかなか進まない。取材を始めて、図書館で得た知識がいかに無益か学んだ。図書館では、誰も人を殺さないからだ。
ブライアンは本だけの知識で、殺人者を分析する。彼らは被害者であり、同情すべき存在である、と当初考えていた。
「ここを出てカリフォルニアに行きたい」
同棲しているアデール・コーナーズがうんざりした声で訴えた。アデールはプロカメラマンだがなかなか才能は認められない。だから、いま執筆している本に載せる写真を撮ってもらっていた。
――カリフォルニアか。
アメリカ大陸の西の果て。当時カリフォルニアは楽園のように思われていた。暖かで穏やかな場所で、鬱屈する何かを劇的に変えてくれる場所。
ブライアンもできるならカリフォルニアで暮らしたいと考えていた。しかし、カリフォルニアへ行くまでのお金がない。
そこでブライアンは考えた。同乗者がいれば、カリフォルニアまでのガソリン代が半分になる。
さっそくブライアンは、掲示板に自分の要件を書いたメモを貼り付けた。
“求む。1週間のアメリカ横断ドライブ。歴史的殺人現場ツアーの同乗者を”
ブラッド・ピットとデビッド・ドゥガヴニー共演作品だ。今ならもっと話題になりそうな組み合わせだ。デビッド・ドゥガヴニーは『X-FILE』シリーズが有名になりすぎてもうないかも知れない。
間もなく名乗り出たのはアーリー・グレイスとキャリー・ローリンの二人だった。
一見して貧しく、素行の悪そうな二人。ブライアンは二人を乗せてカリフォルニアまでの旅に出るが、間もなくアーリーこそが自分が探し求めていた殺人鬼であると判明する。
殺人者を演じるブラッド・ピット。ブラッド・ピットは美形だがそれを生かした作品は少ない。むしろ、異端者『ジェシー・ジェームズの暗殺』のような作品を好む。殺人者に何か思い入れでもあるのだろうか?
映画『カリフォルニア』の物語はいかにもホラー映画だ。たまたま乗せたヒッチハイカーが殺人鬼だった。ハリウッド製スラッシャー映画において、何度も繰り返し制作された王道パターンである。
だが、映画の組立てははっきりとホラー映画ではない。明らかに、映画監督はホラー映画を指向していない。
BGMの少ない静かな印象。大袈裟に恐怖を煽り立てるような演出は少ない。ただただ、淡々と物語が流れていき、人間を描写していく。
ホラー映画ではないが、驚くような映像美も哲学的な啓蒙もない。映画は静かに物語を綴っていく。
物語の展開は、やや緩慢に思えるくらいだ。ブラッド・ピットが殺人鬼の役であるのは、すでに広告ポスターに書かれているから判明している。だが、その本性を見せるのは物語のずっと後半。そこに至るまで、映画は淡々とブライアンとアーリーの交流を描いていく。
アーリーのような人間には、感情移入の感性がないのだろう。よく教育の問題にされがちだが、おそらく教育云々も、脳科学も関係ない。むしろ教育による脅迫は、子供に暴力的な観念を与えるだけだ。
人間は誰もが同じ考えを持ち、同じ社会意識を共有して生活していくのではない。
正常と認定される人間には理解しがたい話らしいが、異常とされる人間は、社会の常識や習慣といったものがなかなか理解できない。
まともな人間にとって、思考せずとも当然として受け入れられるあらゆる事象が、異常な人間にとって、一つ一つ「なぜ?」と問題提起し、解決していかないと当り前の日常すら受け入れられない。
善悪の意識や観念も同様だ。
当然の社会規範や、当然のモラル。それから事象に対する感情の抱き方。
異常な人間は、一般の人間が思考せず「当然」と見過ごしてしまいそうなものに対しても、まったく違った感性で接する。異常な人間は教育されたとおりの感情を抱かず、自身の美意識で決断する。
だからこそ、異常者は違反行為を犯しても動揺しない。冷徹に、違反行為を遂行する。はっきりいえば、異常者にとって殺人は、食べる息をすると同じくらいのレベルでの“ただの行為”に過ぎないのだ。
冒頭シーンで「反キリストは男の体に潜む7つの尻尾を持った女」と謎の台詞がある。カリフォルニアが楽園である一方、そこが地獄であると示す台詞だ。
アーリーはそういった種類の異常者だ。アーリーは盗みや殺人に罪の意識はまったくない。どんな社会制裁も、彼の行動や意識にまったくの影響を与えられない。
アーリーはただただどこまでも無軌道で、その無軌道な衝動を自身でも抑えようという発想がない。アーリーはひたすら思いつきと願望を実行するだけの人間である。
そんなアーリーを同じ車に乗せたブライアンは、間もなく地獄を知ることとなる。だがそれは、カリフォルニアという天国に辿り着くまでに、潜り抜けねばならない地獄なのかもしれない。
映画記事一覧
作品データ
監督:ドミニク・セナ
原案:スティーヴン・レヴィ ティム・メトカーフ 脚本:ティム・メトカーフ
撮影:ボジャン・バゼリ 音楽:カーター・バーウェル
出演:ブラッド・ピット デイヴィッド・ドゥカヴニー
〇〇〇ジュリエット・ルイス ミシェル・フォーブス
〇〇〇デヴィッド・ローズ ジョン・ダラガン
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