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■2010/01/04 (Mon)
a16ca233.jpgb6a399b8.jpgまだ夜が開けた頃だ。古い小屋がぽつんと建つ平原。二人の男が剣を手に対峙していた。介添え人もいる。これは決闘だ。
戦いが始まった。一方的な展開で、すぐにでも勝敗が決まった。優勢だった男が、相手の腹部を刺し、勝利した。

8b6b23f0.jpgそれから数時間後。
騎兵隊の食卓に、トレアール将軍がただならぬ様子で飛び込んできた。
「誰か、フェロー中尉を知らないか! 第7騎兵隊のだ」
物凄い剣幕に、誰も声を上げない。
間もなく、騎兵隊の一人が「私が」と名乗り出た。デュベール中尉だ。
「今すぐフェローの家へ行き、“自宅に幽閉する”と言い渡したまえ! フェローは名誉のためと称0f90e5c8.jpgし、市長の甥を刺したのだ。幸い命に別状はないが、おかげで私は2時間も、市長に侘びをし続けたのだぞ」
デュベールはしぶしぶながら、フェローの家を目指す。
しかしフェローは外出中。今度はフェローが訪問しているマダム・デリオンの邸宅に向かった。
0f6212e2.jpg
マダム・デリオンの邸宅にフェローはいた。
「将軍から命令だ。すぐに自宅に帰って謹慎しろ」
伝言を終えて、これで役目も終わりだった。
だが、フェローは納得しなかった。
a9e7a7db.jpg「私に恥を掻かせるのが目的だな。私が心にかけている婦人の応接間を選び、幽閉を言い渡したのだ」
フェローの怒りは、すでに沸点に達している。デュベールが「落ち着け」という言葉も届かなかった。
「剣を取れ! 決闘だ!」
b9d8f5aa.jpgbe1bb3d1.jpg始まりは些細な感情のぶつかり合いに過ぎなかった。あまりにも小さな切っ掛けだったので、やがて本人たちも決闘の理由がわからなくなる。そのうちにも、なにやらイデオロギー的な理由が上乗せされ、決闘それ自体が目的となる。
454d6dc7.jpgこうして、デュベールとフェローの決闘が始まった。
始まりは些細な感情の行き違いに過ぎなかった。
だがこの決闘はいつまでも決着がつかず、まるで呪いのように二人を戦いに引きずりこむ。
d8c0ae48.jpg彫りが深く、眉がくっきりした美人。表情がはっきりと8d9eb1ee.jpg浮かぶ。この頃から女優の好みは変わっていないようだ。


a0c0098a.jpg『デュエリスト』はリドリー・スコット監督のデビュー映画である。
デビュー作品にはその作家のすべてが込められている、といわれるが『デュエリスト』はまさにその通りの映画だ。
光と影を操る美しい映像。古い時代を的確に、しかも美しく描く才能。残酷美。それから対決する二人。
499b0641.jpg『デュエリスト』にはリドリー・スコット映画のすべてが詰まっている。
496c6eea.jpgカメラの移動などが単純だ。目の前の構図やセットに気を取られすぎて、撮影した後にフィルムまで気が回らなかったのだろう。後期の激しくカメラが動く撮影法と較べると対照的だ。

b6251bcf.jpg同時に、欠点もこの当時からすでに現れている。
それは音楽だ。
『デュエリスト』の映像は美しいが、音楽に力を感じない。ただその場面に、解説的に伴奏がつけられるだけだ。何ら情緒を表現していない。
そもそもリドリー・スコットは映画に音楽をつける発想すらなかったようだ。それも音楽監督に説得されて初めて音楽の重要性を認識した。
だがその後も音楽の才能は開花しなかった。映像の天才と呼ばれるリドリー・スコットだが、音楽に関してはいつも音楽監督にまかせっきりで、演奏にも滅多に顔を出さないようだ。
85c368c3.jpgモノクロにするとますます絵画の印象が強くなる。ある場面では完全に静物画になっている。リドリー・スコットが絵画から映画を作っているとよくわかる事例だ。左のカットはまさにフェルメール。後期リドリー映画より絵画の印象は強い。



ea88f158.jpg『デュエリスト』はすべての面で未熟な映画だ。低予算作品であちこちに荒が見つかる。
それでもどの場面も詳細に描かれ、映像世界に没入させる力を持っている。
映画のカットというより、絵画の意識が際立って強い。ときにカットが、そのまま静物画にすらなってしまう場面もある。
すべてが未熟だがすべての始まりの作品だ。巨匠リドリー・スコットがこの才能をいかに育み、開花していったか。それはもはや語る必要もない。

映画記事一覧

作品データ
監督:リドリー・スコット 原作:ジョセフ・コンラッド
音楽:ハワード・ブレイク 脚本:ジェラルド・ヴォーン・ヒューズ
出演:キース・キャラダイン ハーヴェイ・カイテル
  クリスティナ・レインズ エドワード・フォックス
  ロバート・スティーヴンス アルバート・フィニー
  トム・コンティ ダイアナ・クイック

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■2010/01/04 (Mon)

bcfff6e3.jpg
男の掌が、黄金色に色づいた麦の穂先をなでていた。
男は古里を夢に見て、時間のはざかいを彷徨っていた。
   ここは何処か。戦いは終わったのか。平穏はいずこ。
      妻よ、子よ、そこにいるのか。

d9779b45.jpgfa7a583a.jpgマルクス・アウレリウス皇帝によるゲルマニア遠征は、最後の段階を迎えていた。
将軍マキシマスは、兵士を集結させて、使者が戻るのを待っていた。
e3104bbe.jpg0fd2d2b6.jpg交渉がまとまれば、平和が訪れる。
しかし戻ってきたのは、首のない使者を乗せた馬だった。
交渉は破断した。戦いが始まろうとして61f70bd3.jpg7a343af6.jpgいた。森の蛮族たちが姿を現し、獣のような雄叫びを上げていた。蛮族たちはすでに戦意で燃え上がっていた。
「私の合図で地獄の釜を開け」
d333972b.jpgdf3836e0.jpgマキシマスは戦士たちに指示を与え、自身は馬にまたがり森の中へと入っていった。
森に入ると、そこに騎士団たちが密かに集結し、整列していた。
間もなく戦いが始まった。森の外では鬨の声が上がっていた。火のついた矢が乱舞する。兵士たちが隊列を組んで蛮族の軍団とぶつかり合っていた。火の粉を散らすように、兵士の命が戦場に散っていった。
マキシマスは騎士団を引き連れ、炎に包まれる戦闘の中へと突入していった。

6b8c88c4.jpg戦いは勝利に終わった。
蛮族たちは鎮圧されマルクス・アウレリウスの敵は消え去った。渾沌の時代が終わり、間もなく平和が訪れようとしている。
しかし、マルクス・アウレリウスには懸念があった。自身は高齢で、す26f092a5.jpgでに死を予感していた。平和を得たローマを、誰かの手に託さねばならない。
腹黒い元老院か、先進的に未熟なコモドゥスか――。
マルクス・アウレリウスは、将軍マキシマスに帝位を譲る決断をする。

ddf68b2c.jpgコモドゥスは父からこの決定を聞き、激しく動揺した。
自身が皇帝になるはずだった。父は自分を、時期皇帝に任命してくれると信じていた。
コモドゥスは動揺と錯乱に揺り動かされ、衝動的にマルクス・アウレd04eaa5f.jpgリウスを殺害する。
その後コモドゥスは、何食わぬ顔で皇帝の座が自分に移されたと宣言した。

33d1386e.jpg3e688d67.jpgマキシマスはアウレリウスの死がコモドゥスの手による暗殺であると、すぐに察した。マキシマスは新皇帝であるコモドゥスに忠誠を述べず、01a501ca.jpg一瞥して去っていく。
コモドゥスはマキシマスを危険と判断して、反逆の罪を着せて処刑しようとする。
だがマキシマスは処刑人の手から逃れて、急ぎ古里の家族の下へ向った。自分が逃亡したと知られたら、間違いなく家族が人質にされa67ba84e.jpgるはず……。
マキシマスは休みなく馬を走らせ、故郷への道のりを急いだ。
しかし駆けつけたときには、農園に炎が吹き上がっていた。妻と子は、すでに殺されていた。
マキシマスはすべての気力を失い、妻と子の墓標を作り、その前で果てようとした。
そこに何者かが現れた。何者かはマキシマスの体を掴み、連れ去ってしまう。生きる気力もないマキシマスは、運命に流されるままに、連れ去られてしまう。
94880158.jpg1975bf5c.jpg俳優オリバー・リード(左)はこの映画の撮影中に事故死した。後半の出演シーンは、別のシーンのために撮影したものを台詞やカットを入れ替えたりして対話しているように見せかけた。
35035a2a.jpg舞台は、ローマだ。
かつて何度も映画の中で描かれてきた時代。知らぬ者がいない栄光の時代。
そのローマが、最新の技術と最高に才能によって再び映画のスク7826975a.jpgリーンに帰って来た。
しかも『グラディエーター』の主要な舞台となったのは、まさかのコロッセオだ。
誰もが知り、それでいて映画の中で描かれることのなかった、あのコa8281c99.jpgロッセオだ。
94800390.jpgモロッコのコロッセオは死の世界の象徴だ。プロキシモはマキシマスを死の世界から引き摺り戻した死神とdec1695e.jpgいったところだろう。

ある男が復讐を実現するまでの物語だ。
マキシマスは一度死んだ。雪の舞う森の中で、処刑人の手にか70432d91.jpgかり死んだ。
しかし怨念が男をあの世から引きずり戻した。
8070fd68.jpgローマ室内セットは以外にも1つしか作られていない。セット撮影の節約術の1つだ。家具や柱の位置を入れ替えて繰り返し撮影したわけだ。詳しく見ると、階段や壁の位置が一緒だ。よく確認して見たい。

6d8421ac.jpg生命が再生する瞬間、画面には異界のイメージと獣の声で満たされる。男はもはやかつての将軍ではない。獣として、剣闘士として甦ったのだ。復讐のために、死神から幾日かの猶予が与えられたのだ。
4b0feed3.jpgこの作品を切っ掛けにリドリー・スコット監督の作風は劇的に変わった。独特の美意識とエンターティメント性が融合し、ドラマが激しく展開する。この一作で、リドリー・スコットはマイナー監督から巨匠へと格上げされた。

8b70799a.jpg060cf68c.jpg映画において、ローマは常に最大級を約束する題材である。
壮大な建築。華麗な美術品。贅を凝らした調度品や衣装の数々。かつて世界の95768db5.jpg9c9bf2d6.jpg中心であった場所。世界で最も繁栄をもたらした場所。
たとえ虚構の映画の中ですら、ローマの再現は困難を極めた。巨大なセットが必eb8ba505.jpg71602059.jpg要だし、それを埋め尽くすエキストラ。衣装や俳優達の食事代。
ローマは壮大であるが故に、再現は困難を極めた。
3d05a488.jpg技術力の進歩が、ようやくローマを再現を実現させた。栄光のローマは映画の魔術によって、ほんの2時間だけ、輝きを持って再生されるのだ。

映画記事一覧

作品データ
監督:リドリー・スコット 音楽:ハンス・ジマー
脚本:デヴィッド・フランゾーニ ジョン・ローガン ウィリアム・ニコルソン
出演:ラッセル・クロウ ホアキン・フェニックス
  コニー・ニールセン オリヴァー・リード
  リチャード・ハリス デレク・ジャコビ
  ジャイモン・フンスー スペンサー・トリート・クラーク
第73回アカデミー賞 作品賞/主演男優賞/衣装デザイン賞/視覚効果賞/音響賞受賞
第58回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞/音楽賞受賞



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■2010/01/03 (Sun)
1184年 フランス
d4bd17fd.jpg

46006ad2.jpgバリアンは妻が自殺した罪で投獄されていた。キリスト教の理念では、自殺は大罪である。その夫であるバリアンも、同じ罪があるとして投獄されていた。
f18b8964.jpgバリアンの妻は墓地ではなく“十字路”に首を落とされた姿で埋葬された。その埋葬を取り仕切っていたのは、バリアンの弟である神父であった。
0178c1d0.jpg5eae20ac.jpg間もなくしてバリアンは釈放された。バリアンは村で唯一の鍛冶屋。教会の建設が進まないという理由だった。
バリアンは希望を失った顔のまま、鍛冶屋に戻りもとの生活を再開させた。
f46c21b2.jpg広大なセットに思えるが、実際に制作されたセットは1つだけだ。同じ場所を、角度と小物の配置を変えて何度も撮影している。デビュー以来、セット撮影が多かったリドリー・スコットらしい節約術だ。


904adb68.jpg自殺した妻の罪は決して許されないのか――?
妻を亡くした悲しみ、キリスト教への疑問。バリアンは何も語らず、孤独のうちで苦悩にしていた。
そんなバリアンの元に旅の騎士団がやって来た。聖十字軍のゴッドフリーだ。
2c0f2ef2.jpgゴッドフリーはエルサレム王の直臣であり、戦地に戻れば百人の部下を持つ騎士であった。村の長はさっそくバリアンを迎え入れ、歓迎する。
だがゴッドフリーの目的は、バリアンにあった。ゴッドフリーはバリアンの鍛冶屋を訪ね、自分が父親であると告げる。そのうえで、共にエルサレムへ行こうと誘う。
しかしバリアンは、妻が眠るその土地を選ぶ。もうしばし妻といるその時間を――。
c3a224e6.jpg劇場公開版では存在すら感じさせなかったシビラの息子。『ブレードランナー』でもそうだったが、編集というものについて考えさせられる。基本的なあらすじは変わっていないが、どの場面を選択するかで実写の映画は大きく印象を変える。

ff01e537.jpg鍛冶屋の仕事は夜更けまで続いた。バリアンはもくもくと火花を散らし、鉄を叩き続けた。
そんなバリアンを神父が尋ねる。神父はバリアンの弟で、妻の埋葬を指示した男だ。神父はバリアンを疎ましく思っていた。
d63ac0e8.jpgだから神父は、バリアンを追い出そうとエルサレム行きを勧める。それでも頑ななバリアンに、神父はバリアンの妻を埋葬する時に、その首を落とし、十字架を奪ったと挑発する。
バリアンに、衝動の炎が宿った。
バリアンは弟を熱を持った鉄で串刺しにし、炎で焼き殺した。さらに妻の持ち物である十字架を取り戻すと、夜のうちに村を立ち去った。
bcc49959.jpg本作は『ラストサムライ』と同じように、イスラム側のスタッフに意見を伺いながら制作が進められた。結果として、イスラム側の視点や思想を多く取り入れた映画となっている。


c61f0275.jpg『キングダム・オブ・ヘブン ディレクターズ・カット』は2時間半の劇場公開作品よりさらに50分も追加された長大な映画だ。通して見ると3時間14分にも及ぶ。
もちろん劇場公開作品とは様々な部分で異なる。
バリアンの妻について詳細に語られるようになり、劇場63ea3619.jpg公開版では存在すら感じさせなかったシビラの息子も登場する。
劇場公開版の『キングダム・オブ・ヘブン』は、エルサレムの戦いを冒険物語として描いた作品だった。フランスの若者の下に父親と名乗る男が現われ、冒険の旅cf4bf8ef.jpgが始まる。冒険の最中に幾多の困難が待ち受け、若者はいつしか英雄として目覚める……。
劇場公開版『キングダム・オブ・ヘブン』を要約すると、そういった物語になる。
だが英雄物語というほどバリアンは目立った活躍をし8ea073ce.jpgないし、いわゆる冒険物語のように何かの褒美を得て古里に帰還する物語ではない。英雄叙事詩としてみると、ひどく違和感のある映画だった。
だから改めてディレクターズ・カット版を見ると、映画が冒険物語として描いたのではないとわかる。
ff38103c.jpgキリスト教とは何か?
信仰とは何か?
罪とは?
正義とは?
『キングダム・オブ・ヘブン ディレクターズ・カット』は劇場公開版よりもっと複雑で、深みのあるテーマを掘り下げていく。
879d2c0a.jpgキリストが貼り付けにされた丘で、バリアンは一晩過ごす。しかし特別な奇跡は起きない。バリアンは十字架を埋めて「君は地獄ではない。私の心に」と呟く。


08d16c9c.jpg現実世界でもそうだが、キリスト教は自身の理念や思想に捉われ、原理主義に陥っている。人間同士を向き合うヒューマニズムはなく、かつてキリストが論じたような理想論など影も形もない。
a3859f21.jpgバリアンの旅の最中、キリスト教徒が道行く人々に、こう説教するのを見かける。
89879aa0.jpg人を殺すのは罪だ。だが異教徒を殺すのは罪にならない。天国への道だ
798c68be.jpg自殺と、同じ宗教の者を殺すのは罪になるが、異教徒の殺人を奨励している。
バリアンの弟の神父は、そんなキリスト教の理念に従って義姉69a8d05d.jpgの首を落とした。さらに兄も同罪として容赦なく投獄した。それがキリスト教の教義だから、それに従ったに過ぎない。
バリアンが求めていたのは妻の魂の救済だった。
イエス・キリストは全ての人と魂に赦しを与えようとした。生まれ75d10347.jpgながらにして罪を持った人間〔=原罪〕の業をたった1人で背負い、死に臨んでいった。だが現実のキリスト教は、どんな罪でも決して許そうとはしない。許す切っ掛けを決して与えない。
そんなキリスト教が支配する世界に、本当に許しなどあるのか。
6c3074eb.jpgバリアンは神とキリストを試すかのように弟を殺害する。妻と同じ地獄へ行くためだ。
a3b26510.jpg映画中に描かれたエルサレムの戦いは実際にあったが、物語そのものはフィクションだ。登場人物も歴史から取られているが、バリアンとゴッドフリーが親子であったという事実はない。

440f92a7.jpgエルサレムへ行けば、新しい世界が待っている――。
とゴッドフリーはバリアンに語って聞かせる。
身分に関係なく、生まれ持った才能と資質が試される場所。それこそがエルサレムだ。
バリアンはエルサレムへ行き、キリストの磔刑の丘ま38d7f4b2.jpgで行く。
しかし、何も得られなかった。罪の許しもなかった。神秘体験もなかった。
エルサレムは父が語ったような理想世界ではなく、不法と不徳が支配する渾沌とした国だった。
エルサレムに、果たしてどんな価値があるのか?
次第にバリアンは、信仰心を失っていく。
4c7182e7.jpg映画に攻城塔が登場するのは初めてではないが実際に動いたのはごく最近(参照)。近年はデジタルばかり注目されるが多くの点で撮影技術は進歩しているのだ。かつての映像作家が見たら悔しがるだろう(余談ながら雲もデジタルだ。実写映画にとって天候は1つの難関だった。雲を相手に1週間待った黒澤明なら現代の撮影法を喜んだだろう)
9fe362b4.jpg49d476b7.jpg僧侶であるホスピタラーは、バリアンに諭すように語る。
信心深いのも考え物です。“神の意思”と称する狂信者がいかに非道をca3da239.jpg行ったか見てきました。私が人を殺す者の目に見えたのは“狂信”です。“聖人”とは弱き者のために、勇気を持って正義を行う人々のことです。神が望む“善”というものは、ここと――ここに。善人かどうかは日々の行いが決めます
とホスピタラーはバリアンの頭と胸を示す。
6c71eb27.jpg難解なテーマを持った作品だ。冒険物語風のテイストを盛り込んだのは、物語に親しみを持たせるためだろう。だがディレクターズカットを見ると冒険映画ではないとわかる。愉快な娯楽活劇ではないし、興行的にも惨敗だった作品だが、見逃す愚は犯したくない。

41cce3af.jpg本当の信仰とは、盲目的に教会に従うことではない。それは“狂信”だ。映画は“信仰”と“狂信”の違いを語る。
人々を救うために、どれだけの勇気を発揮できるか。
エルサレムでは人間の地位ではなく、人間本来の資質と高潔さが推c5f0cede.jpgし量られる場所だ。それはこの渾沌としたエルサレムで、いかに善行を実践できるか、という意味だった。
それこそ、正しい“天国への道”なのだ。
待ち受ける困難は、人間としての資質を量るための試練だ。
985c9f70.jpgバリアンは、間もなく運命に向き合って戦う道を選ぶ。
決して自身の信念を曲げず、魂を汚す行為を犯さず、いかに人々を多く救えるか。
それは人間としての価値を試す戦いだった。

映画記事一覧

作品データ
監督:リドリー・スコット
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ 脚本:ウィリアム・モナハン
出演:オーランド・ブルーム エヴァ・グリーン
  リーアム・ニーソン ジェレミー・アイアンズ
  エドワード・ノートン デヴィッド・シューリス
  ブレンダン・グリーソン マートン・ソーカス



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■2010/01/03 (Sun)
f8bfc460.jpgジーン・アイリス・マードックは著名な作家として知られている。
サルトルの研究書を始め、1995年までに26冊の小説や戯曲、詩篇を発表した。
アイリスは奔放な性格の一方で、博識で知性が深く、戦後のイギリスを代表する女性作家であった。
21ba801e.jpg1612253a.jpgアイリス・マードックはイギリスでは著名な作家だ。日本でもいくつか著書が翻訳され出版されている。


3bcfb3b2.jpg
ある晩、アイリスはレストランで夫のジョンとの対話中、自分が同じ言葉を繰り返していることに気付く。
兆候はゆっくりと、だがあるときを境に崖崩れのように迫ってきた。
c90d5d0b.jpg別の日のインタビュー番組の出演中に、アイリスは唐突に自分の言葉を失い、インタビューアの質問もわからなくなる。そのとき以来、自分が何をしているのか、外出しても何の用事だったのかわからなくなる。
物忘れは急速に多くなり、ちょっとした出来事にも動揺し、混乱5d16d2e0.jpgするようになった。
病院で検査を受けると、アイリスは“認知症”の診断が下される。
81262f9c.jpg若き日のアイリスを、ぽっちゃり美人のケイト・ウィンスレットが演じる。プライベートでの食生活がわかりやすく映画に現れる女優だ。『アイリス』でも裸を披露するが、かなり太っている。


ed68ab23.jpgどんなに優れた知性も豊かな知識も、いつかその人間とともに失われてしまう。
アイリスはイギリスを代表する作家にして哲学者だったが、その例外になはれなかった。
アイリスは次第に言葉を失い、思考する手段をなくす。
6b857986.jpg世界はゆっくりと霞んでいき、アイリスの自我は、自身の内部世界に閉ざされていく。
414a0834.jpgジョン役のジム・ブロードベントとヒュー・ボネヴィル。印象が非常に似ているので、若い姿、老いた姿に違和感がなかった。アイリスの認知症に気付いたジョンは、アイリスに言葉を思い出させようと常にノートを持たせる。

94a8bdc9.jpg夫のジョンは、献身的にアイリスの介護を続ける。
だが変わっていくアイリスにジョンは動揺し、苛立ち、怒りをぶつける。もはやアイリスは、知的でユーモアのセンスのある、作家のアイリスではない。
アイリスはやがて記憶のすべてを失い、人格まで変わってしまう。
それでも、愛はとどまり続けるのか。
ジョンにとって、アイリスの介護はまさに試練だった。
その愛情に偽りはないのか、真実のものなのか。
d1552388.jpg若い頃のアイリスは、ジョンと交際中でも別の男性とセックスする奔放な女性だった。若い頃、老いた頃と2つの時代が交差するが、どちらもジョンによるアイリスへの愛情を試す試練として描かれる。



作家時代のアイリスは、常に言葉の重要性について語り続けてきた。
人間の意識は言葉によって制限され、品格を維持する。あるいは、言葉は人間の深層をなにひとつ指し示さない。
だがアイリスは、“愛”だけは唯一の言葉であると信じていた。
アイリスを支え、作家たらしめていたのは、言葉だ。それが失われた時、アイリスの本質はどのように変異するのか。
“愛”は言葉のない世界でも存在しえるのか。

映画記事一覧

作品データ
監督・脚本:リチャード・エアー 原作:ジョン・ベイリー
音楽:ジェームズ・ホーナー 脚本:チャールズ・ウッド
出演:ジュディ・デンチ ジム・ブロードベント
  ケイト・ウィンスレット ヒュー・ボネヴィル
  エレノア・ブロン アンジェラ・モラント



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■2010/01/03 (Sun)
1f2608f3.jpg8年前のあの事件から、すべてが始まった。
スピード・レーサーの兄、レックスは一流のカー・レーサーだった。あらゆるレースに出場し、伝説的なレコー0ebf740e.jpgドを打ち立てていった。
だがある夜、レックスは突然に家を出て行く。弟のレーサーにマッハ号を預けて……。
その後のレックスは、人格が変わったように攻撃的な84a69505.jpgレースをするようになった。危険な妨害運転で事故を誘発し、何人もの選手を出場停止にした。その末にレックスは、カーサー・クリストの雪山のコースで、事故死を遂げる。
bae651da.jpgレースの映像は『F-ZERO GX』に酷似しているがまったくの別物。さらに『マリオカート』を足した感じだ。ギミックの1つ1つがほどよくぶっ壊れていて、楽しすぎる映画だ。

ba02bfd6.jpgあれから8年……。
スピード・レーサーは成長し、兄レックスに匹敵する選手となった。そんなレーサーに、スカウトの誘いがひっきりなしにやってくる。
aef4919d.jpgローヤルトン工場社長、アーノルド・ローヤルトンもレーサーをスカウトしようとする一人だった。ローヤルトン社長は、レーサーを自分の工場へと案内し、契約に合意するように迫る。
だがレーサーは「家族を裏切れない」と契約を断る。
1f14d98b.jpgするとローヤルトン社長は、態度を豹変させ、過去50年のレースがすべて自分達の手による八百長であると明かす。そのうえに「今後、レースに出られなくしてやる」と脅迫する。
神聖なるレースの背後に蠢く、企業原理、暗黒街の陰謀――。
94b4cec2.jpgレーサーはあえてレースに挑戦し、八百長試合を打ちのめそうとする。
2b272cce.jpg映像はあまりにも前衛的かつ先鋭的。何の偏見なしに鑑賞するのは、やや上級者向けな感じもある。某作家が、「ガキの妄想をすごいCGで描いた」とあったが的確だと思う。色々思うところはあるが“考えるな感じろ”だ。
36b1c3bd.jpg映画『スピード・レーサー』は冒頭から強烈だ。
画像のすべてがどぎつい極彩色で塗り固められ、異様なハイテンションで物語が展開する。『マトリックス』で描かれたような静けさと孤高の哲学はどこにもない。まるで子供のお絵かきのように、キッチュd978d626.jpgで毒々しいジャンクフード的な映像が連続する。
それでも、『スピード・レーサー』は第一級のエンターティメントだ。
『スピード・レーサー』の感性は、かつて誰も見たことも経験した76ac4c2b.jpgことのない領域に突入している。
bca89758.jpg場面が絵巻物のようにレイアリングされていく。現実的なパースティクティブを超越し、作り手のイメージを強烈に刻印する。強烈だが、それだけに挑発的だ。

33028f23.jpg『スピード・レーサー』は今時のリメイク映画にありがちな“現代的”なアレンジをあえて拒んだ映画だ。
確かに当時のアニメーションの色彩や雰囲気は現代のリアリズムと肌が合わない。
ウォシャウスキー兄弟は、当時のアニメーションが持っd8de8de7.jpgていた感性を一切改変せず、現代のテクノロジーの力でむしろ強烈さを倍増させて映像化した。日本のアニメに詳しいウォシャウスキー兄弟らしい思い切りだし、完成された映画には、アニメに対する愛情を一杯に感じる作品になった。
f801740c.jpg映画の“リアリティ”とはあくまでも“映画内リアリティ”であって、現実世界とは別物だ。映画のリアリティとは“映画内原理主義”ともいうべきものであって、映画のリアリティなどはっきり言えば幻想だ。リアリティという言葉が生み出した“錯覚”と言うべきだろう。リアリティのみが映画の価値を計る物差と信じている人こそ、この挑発的な映画を見て欲しい。
映画の良し悪しを判断する根拠に、よく“リアリティ”という言葉が引き合いに出される。しかし“リアリティ”という刷り込みは、現代の作家にとって制約の一つになりつつある。
従来的な撮影法と文法を几帳面に踏襲すれば、間違いなく“リアルな映画”が描けるだろう。しかし、それ以上のイマジネイションには決してたどり着けない。
だからこそ、『スピード・レーサー』は従来の手法を過去のものと見做し、まったく新しい撮影方を実験し、開拓した。
デジタルの魔力は、現実世界におけるあらゆるパースティクティブを跳躍して、直裁的に作家のイメージに刻印する。
『スピード・レーサー』の映像は、時間や空間を自由に飛び越えて、物語を独自の方法で構築する。
映画技法の限界と、デジタルとの融合。
それが映画を我々の知らない世界へと誘おうとしている。
『スピード・レーサー』はある意味で、孤高の哲学が描いた作品だ。

映画記事一覧

作品データ
監督・脚本:ラリー・ウォシャウスキー&アンディー・ウォシャウスキー
音楽:マイケル・ジアッキノ 撮影:デヴィッド・タッターサル
出演:エミール・ハーシュ クリスティナ・リッチ
  マシュー・フォックス スーザン・サランドン
  ジョン・グッドマン キック・ガリー
  RAIN(ピ) 真田広之



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