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■2010/01/04 (Mon)
映画:外国映画■
戦いが始まった。一方的な展開で、すぐにでも勝敗が決まった。優勢だった男が、相手の腹部を刺し、勝利した。
騎兵隊の食卓に、トレアール将軍がただならぬ様子で飛び込んできた。
「誰か、フェロー中尉を知らないか! 第7騎兵隊のだ」
物凄い剣幕に、誰も声を上げない。
間もなく、騎兵隊の一人が「私が」と名乗り出た。デュベール中尉だ。
「今すぐフェローの家へ行き、“自宅に幽閉する”と言い渡したまえ! フェローは名誉のためと称
デュベールはしぶしぶながら、フェローの家を目指す。
しかしフェローは外出中。今度はフェローが訪問しているマダム・デリオンの邸宅に向かった。
マダム・デリオンの邸宅にフェローはいた。
「将軍から命令だ。すぐに自宅に帰って謹慎しろ」
伝言を終えて、これで役目も終わりだった。
だが、フェローは納得しなかった。
フェローの怒りは、すでに沸点に達している。デュベールが「落ち着け」という言葉も届かなかった。
「剣を取れ! 決闘だ!」
始まりは些細な感情の行き違いに過ぎなかった。
だがこの決闘はいつまでも決着がつかず、まるで呪いのように二人を戦いに引きずりこむ。
デビュー作品にはその作家のすべてが込められている、といわれるが『デュエリスト』はまさにその通りの映画だ。
光と影を操る美しい映像。古い時代を的確に、しかも美しく描く才能。残酷美。それから対決する二人。
それは音楽だ。
『デュエリスト』の映像は美しいが、音楽に力を感じない。ただその場面に、解説的に伴奏がつけられるだけだ。何ら情緒を表現していない。
そもそもリドリー・スコットは映画に音楽をつける発想すらなかったようだ。それも音楽監督に説得されて初めて音楽の重要性を認識した。
だがその後も音楽の才能は開花しなかった。映像の天才と呼ばれるリドリー・スコットだが、音楽に関してはいつも音楽監督にまかせっきりで、演奏にも滅多に顔を出さないようだ。
それでもどの場面も詳細に描かれ、映像世界に没入させる力を持っている。
映画のカットというより、絵画の意識が際立って強い。ときにカットが、そのまま静物画にすらなってしまう場面もある。
すべてが未熟だがすべての始まりの作品だ。巨匠リドリー・スコットがこの才能をいかに育み、開花していったか。それはもはや語る必要もない。
映画記事一覧
作品データ
監督:リドリー・スコット 原作:ジョセフ・コンラッド
音楽:ハワード・ブレイク 脚本:ジェラルド・ヴォーン・ヒューズ
出演:キース・キャラダイン ハーヴェイ・カイテル
〇 クリスティナ・レインズ エドワード・フォックス
〇 ロバート・スティーヴンス アルバート・フィニー
〇 トム・コンティ ダイアナ・クイック
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■
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■2010/01/04 (Mon)
映画:外国映画■
〇男の掌が、黄金色に色づいた麦の穂先をなでていた。
〇男は古里を夢に見て、時間のはざかいを彷徨っていた。
〇 ここは何処か。戦いは終わったのか。平穏はいずこ。
〇 妻よ、子よ、そこにいるのか。

マルクス・アウレリウス皇帝によるゲルマニア遠征は、最後の段階を迎えていた。
将軍マキシマスは、兵士を集結させて、使者が戻るのを待っていた。

交渉がまとまれば、平和が訪れる。
しかし戻ってきたのは、首のない使者を乗せた馬だった。
交渉は破断した。戦いが始まろうとして
いた。森の蛮族たちが姿を現し、獣のような雄叫びを上げていた。蛮族たちはすでに戦意で燃え上がっていた。
「私の合図で地獄の釜を開け」

マキシマスは戦士たちに指示を与え、自身は馬にまたがり森の中へと入っていった。
森に入ると、そこに騎士団たちが密かに集結し、整列していた。
間もなく戦いが始まった。森の外では鬨の声が上がっていた。火のついた矢が乱舞する。兵士たちが隊列を組んで蛮族の軍団とぶつかり合っていた。火の粉を散らすように、兵士の命が戦場に散っていった。
マキシマスは騎士団を引き連れ、炎に包まれる戦闘の中へと突入していった。
戦いは勝利に終わった。
蛮族たちは鎮圧されマルクス・アウレリウスの敵は消え去った。渾沌の時代が終わり、間もなく平和が訪れようとしている。
しかし、マルクス・アウレリウスには懸念があった。自身は高齢で、す
でに死を予感していた。平和を得たローマを、誰かの手に託さねばならない。
腹黒い元老院か、先進的に未熟なコモドゥスか――。
マルクス・アウレリウスは、将軍マキシマスに帝位を譲る決断をする。
コモドゥスは父からこの決定を聞き、激しく動揺した。
自身が皇帝になるはずだった。父は自分を、時期皇帝に任命してくれると信じていた。
コモドゥスは動揺と錯乱に揺り動かされ、衝動的にマルクス・アウレ
リウスを殺害する。
その後コモドゥスは、何食わぬ顔で皇帝の座が自分に移されたと宣言した。

マキシマスはアウレリウスの死がコモドゥスの手による暗殺であると、すぐに察した。マキシマスは新皇帝であるコモドゥスに忠誠を述べず、
一瞥して去っていく。
コモドゥスはマキシマスを危険と判断して、反逆の罪を着せて処刑しようとする。
だがマキシマスは処刑人の手から逃れて、急ぎ古里の家族の下へ向った。自分が逃亡したと知られたら、間違いなく家族が人質にされ
るはず……。
マキシマスは休みなく馬を走らせ、故郷への道のりを急いだ。
しかし駆けつけたときには、農園に炎が吹き上がっていた。妻と子は、すでに殺されていた。
マキシマスはすべての気力を失い、妻と子の墓標を作り、その前で果てようとした。
そこに何者かが現れた。何者かはマキシマスの体を掴み、連れ去ってしまう。生きる気力もないマキシマスは、運命に流されるままに、連れ去られてしまう。

俳優オリバー・リード(左)はこの映画の撮影中に事故死した。後半の出演シーンは、別のシーンのために撮影したものを台詞やカットを入れ替えたりして対話しているように見せかけた。
舞台は、ローマだ。
かつて何度も映画の中で描かれてきた時代。知らぬ者がいない栄光の時代。
そのローマが、最新の技術と最高に才能によって再び映画のスク
リーンに帰って来た。
しかも『グラディエーター』の主要な舞台となったのは、まさかのコロッセオだ。
誰もが知り、それでいて映画の中で描かれることのなかった、あのコ
ロッセオだ。
モロッコのコロッセオは死の世界の象徴だ。プロキシモはマキシマスを死の世界から引き摺り戻した死神と
いったところだろう。
ある男が復讐を実現するまでの物語だ。
マキシマスは一度死んだ。雪の舞う森の中で、処刑人の手にか
かり死んだ。
しかし怨念が男をあの世から引きずり戻した。
ローマ室内セットは以外にも1つしか作られていない。セット撮影の節約術の1つだ。家具や柱の位置を入れ替えて繰り返し撮影したわけだ。詳しく見ると、階段や壁の位置が一緒だ。よく確認して見たい。
生命が再生する瞬間、画面には異界のイメージと獣の声で満たされる。男はもはやかつての将軍ではない。獣として、剣闘士として甦ったのだ。復讐のために、死神から幾日かの猶予が与えられたのだ。
この作品を切っ掛けにリドリー・スコット監督の作風は劇的に変わった。独特の美意識とエンターティメント性が融合し、ドラマが激しく展開する。この一作で、リドリー・スコットはマイナー監督から巨匠へと格上げされた。

映画において、ローマは常に最大級を約束する題材である。
壮大な建築。華麗な美術品。贅を凝らした調度品や衣装の数々。かつて世界の
中心であった場所。世界で最も繁栄をもたらした場所。
たとえ虚構の映画の中ですら、ローマの再現は困難を極めた。巨大なセットが必
要だし、それを埋め尽くすエキストラ。衣装や俳優達の食事代。
ローマは壮大であるが故に、再現は困難を極めた。
技術力の進歩が、ようやくローマを再現を実現させた。栄光のローマは映画の魔術によって、ほんの2時間だけ、輝きを持って再生されるのだ。
映画記事一覧
作品データ
監督:リドリー・スコット 音楽:ハンス・ジマー
脚本:デヴィッド・フランゾーニ ジョン・ローガン ウィリアム・ニコルソン
出演:ラッセル・クロウ ホアキン・フェニックス
〇 コニー・ニールセン オリヴァー・リード
〇 リチャード・ハリス デレク・ジャコビ
〇 ジャイモン・フンスー スペンサー・トリート・クラーク
第73回アカデミー賞 作品賞/主演男優賞/衣装デザイン賞/視覚効果賞/音響賞受賞
第58回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞/音楽賞受賞
〇男は古里を夢に見て、時間のはざかいを彷徨っていた。
〇 ここは何処か。戦いは終わったのか。平穏はいずこ。
〇 妻よ、子よ、そこにいるのか。
将軍マキシマスは、兵士を集結させて、使者が戻るのを待っていた。
しかし戻ってきたのは、首のない使者を乗せた馬だった。
交渉は破断した。戦いが始まろうとして
「私の合図で地獄の釜を開け」
森に入ると、そこに騎士団たちが密かに集結し、整列していた。
間もなく戦いが始まった。森の外では鬨の声が上がっていた。火のついた矢が乱舞する。兵士たちが隊列を組んで蛮族の軍団とぶつかり合っていた。火の粉を散らすように、兵士の命が戦場に散っていった。
マキシマスは騎士団を引き連れ、炎に包まれる戦闘の中へと突入していった。
蛮族たちは鎮圧されマルクス・アウレリウスの敵は消え去った。渾沌の時代が終わり、間もなく平和が訪れようとしている。
しかし、マルクス・アウレリウスには懸念があった。自身は高齢で、す
腹黒い元老院か、先進的に未熟なコモドゥスか――。
マルクス・アウレリウスは、将軍マキシマスに帝位を譲る決断をする。
自身が皇帝になるはずだった。父は自分を、時期皇帝に任命してくれると信じていた。
コモドゥスは動揺と錯乱に揺り動かされ、衝動的にマルクス・アウレ
その後コモドゥスは、何食わぬ顔で皇帝の座が自分に移されたと宣言した。
コモドゥスはマキシマスを危険と判断して、反逆の罪を着せて処刑しようとする。
だがマキシマスは処刑人の手から逃れて、急ぎ古里の家族の下へ向った。自分が逃亡したと知られたら、間違いなく家族が人質にされ
マキシマスは休みなく馬を走らせ、故郷への道のりを急いだ。
しかし駆けつけたときには、農園に炎が吹き上がっていた。妻と子は、すでに殺されていた。
マキシマスはすべての気力を失い、妻と子の墓標を作り、その前で果てようとした。
そこに何者かが現れた。何者かはマキシマスの体を掴み、連れ去ってしまう。生きる気力もないマキシマスは、運命に流されるままに、連れ去られてしまう。
かつて何度も映画の中で描かれてきた時代。知らぬ者がいない栄光の時代。
そのローマが、最新の技術と最高に才能によって再び映画のスク
しかも『グラディエーター』の主要な舞台となったのは、まさかのコロッセオだ。
誰もが知り、それでいて映画の中で描かれることのなかった、あのコ
ある男が復讐を実現するまでの物語だ。
マキシマスは一度死んだ。雪の舞う森の中で、処刑人の手にか
しかし怨念が男をあの世から引きずり戻した。
壮大な建築。華麗な美術品。贅を凝らした調度品や衣装の数々。かつて世界の
たとえ虚構の映画の中ですら、ローマの再現は困難を極めた。巨大なセットが必
ローマは壮大であるが故に、再現は困難を極めた。
映画記事一覧
作品データ
監督:リドリー・スコット 音楽:ハンス・ジマー
脚本:デヴィッド・フランゾーニ ジョン・ローガン ウィリアム・ニコルソン
出演:ラッセル・クロウ ホアキン・フェニックス
〇 コニー・ニールセン オリヴァー・リード
〇 リチャード・ハリス デレク・ジャコビ
〇 ジャイモン・フンスー スペンサー・トリート・クラーク
第73回アカデミー賞 作品賞/主演男優賞/衣装デザイン賞/視覚効果賞/音響賞受賞
第58回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞/音楽賞受賞
■2010/01/03 (Sun)
映画:外国映画■
バリアンは希望を失った顔のまま、鍛冶屋に戻りもとの生活を再開させた。
妻を亡くした悲しみ、キリスト教への疑問。バリアンは何も語らず、孤独のうちで苦悩にしていた。
そんなバリアンの元に旅の騎士団がやって来た。聖十字軍のゴッドフリーだ。
だがゴッドフリーの目的は、バリアンにあった。ゴッドフリーはバリアンの鍛冶屋を訪ね、自分が父親であると告げる。そのうえで、共にエルサレムへ行こうと誘う。
しかしバリアンは、妻が眠るその土地を選ぶ。もうしばし妻といるその時間を――。
そんなバリアンを神父が尋ねる。神父はバリアンの弟で、妻の埋葬を指示した男だ。神父はバリアンを疎ましく思っていた。
バリアンに、衝動の炎が宿った。
バリアンは弟を熱を持った鉄で串刺しにし、炎で焼き殺した。さらに妻の持ち物である十字架を取り戻すと、夜のうちに村を立ち去った。
もちろん劇場公開作品とは様々な部分で異なる。
バリアンの妻について詳細に語られるようになり、劇場
劇場公開版の『キングダム・オブ・ヘブン』は、エルサレムの戦いを冒険物語として描いた作品だった。フランスの若者の下に父親と名乗る男が現われ、冒険の旅
劇場公開版『キングダム・オブ・ヘブン』を要約すると、そういった物語になる。
だが英雄物語というほどバリアンは目立った活躍をし
だから改めてディレクターズ・カット版を見ると、映画が冒険物語として描いたのではないとわかる。
信仰とは何か?
罪とは?
正義とは?
『キングダム・オブ・ヘブン ディレクターズ・カット』は劇場公開版よりもっと複雑で、深みのあるテーマを掘り下げていく。
バリアンの弟の神父は、そんなキリスト教の理念に従って義姉
バリアンが求めていたのは妻の魂の救済だった。
イエス・キリストは全ての人と魂に赦しを与えようとした。生まれ
そんなキリスト教が支配する世界に、本当に許しなどあるのか。
とゴッドフリーはバリアンに語って聞かせる。
身分に関係なく、生まれ持った才能と資質が試される場所。それこそがエルサレムだ。
バリアンはエルサレムへ行き、キリストの磔刑の丘ま
しかし、何も得られなかった。罪の許しもなかった。神秘体験もなかった。
エルサレムは父が語ったような理想世界ではなく、不法と不徳が支配する渾沌とした国だった。
エルサレムに、果たしてどんな価値があるのか?
次第にバリアンは、信仰心を失っていく。
「信心深いのも考え物です。“神の意思”と称する狂信者がいかに非道を
とホスピタラーはバリアンの頭と胸を示す。
人々を救うために、どれだけの勇気を発揮できるか。
エルサレムでは人間の地位ではなく、人間本来の資質と高潔さが推
それこそ、正しい“天国への道”なのだ。
待ち受ける困難は、人間としての資質を量るための試練だ。
決して自身の信念を曲げず、魂を汚す行為を犯さず、いかに人々を多く救えるか。
それは人間としての価値を試す戦いだった。
映画記事一覧
作品データ
監督:リドリー・スコット
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ 脚本:ウィリアム・モナハン
出演:オーランド・ブルーム エヴァ・グリーン
〇 リーアム・ニーソン ジェレミー・アイアンズ
〇 エドワード・ノートン デヴィッド・シューリス
〇 ブレンダン・グリーソン マートン・ソーカス
■2010/01/03 (Sun)
映画:外国映画■
サルトルの研究書を始め、1995年までに26冊の小説や戯曲、詩篇を発表した。
アイリスは奔放な性格の一方で、博識で知性が深く、戦後のイギリスを代表する女性作家であった。
ある晩、アイリスはレストランで夫のジョンとの対話中、自分が同じ言葉を繰り返していることに気付く。
兆候はゆっくりと、だがあるときを境に崖崩れのように迫ってきた。
物忘れは急速に多くなり、ちょっとした出来事にも動揺し、混乱
病院で検査を受けると、アイリスは“認知症”の診断が下される。
アイリスはイギリスを代表する作家にして哲学者だったが、その例外になはれなかった。
アイリスは次第に言葉を失い、思考する手段をなくす。
だが変わっていくアイリスにジョンは動揺し、苛立ち、怒りをぶつける。もはやアイリスは、知的でユーモアのセンスのある、作家のアイリスではない。
アイリスはやがて記憶のすべてを失い、人格まで変わってしまう。
それでも、愛はとどまり続けるのか。
ジョンにとって、アイリスの介護はまさに試練だった。
その愛情に偽りはないのか、真実のものなのか。
作家時代のアイリスは、常に言葉の重要性について語り続けてきた。
人間の意識は言葉によって制限され、品格を維持する。あるいは、言葉は人間の深層をなにひとつ指し示さない。
だがアイリスは、“愛”だけは唯一の言葉であると信じていた。
アイリスを支え、作家たらしめていたのは、言葉だ。それが失われた時、アイリスの本質はどのように変異するのか。
“愛”は言葉のない世界でも存在しえるのか。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:リチャード・エアー 原作:ジョン・ベイリー
音楽:ジェームズ・ホーナー 脚本:チャールズ・ウッド
出演:ジュディ・デンチ ジム・ブロードベント
〇 ケイト・ウィンスレット ヒュー・ボネヴィル
〇 エレノア・ブロン アンジェラ・モラント
■2010/01/03 (Sun)
映画:外国映画■
スピード・レーサーの兄、レックスは一流のカー・レーサーだった。あらゆるレースに出場し、伝説的なレコー
だがある夜、レックスは突然に家を出て行く。弟のレーサーにマッハ号を預けて……。
その後のレックスは、人格が変わったように攻撃的な
スピード・レーサーは成長し、兄レックスに匹敵する選手となった。そんなレーサーに、スカウトの誘いがひっきりなしにやってくる。
だがレーサーは「家族を裏切れない」と契約を断る。
神聖なるレースの背後に蠢く、企業原理、暗黒街の陰謀――。
画像のすべてがどぎつい極彩色で塗り固められ、異様なハイテンションで物語が展開する。『マトリックス』で描かれたような静けさと孤高の哲学はどこにもない。まるで子供のお絵かきのように、キッチュ
それでも、『スピード・レーサー』は第一級のエンターティメントだ。
『スピード・レーサー』の感性は、かつて誰も見たことも経験した
確かに当時のアニメーションの色彩や雰囲気は現代のリアリズムと肌が合わない。
ウォシャウスキー兄弟は、当時のアニメーションが持っ
映画の良し悪しを判断する根拠に、よく“リアリティ”という言葉が引き合いに出される。しかし“リアリティ”という刷り込みは、現代の作家にとって制約の一つになりつつある。
従来的な撮影法と文法を几帳面に踏襲すれば、間違いなく“リアルな映画”が描けるだろう。しかし、それ以上のイマジネイションには決してたどり着けない。
だからこそ、『スピード・レーサー』は従来の手法を過去のものと見做し、まったく新しい撮影方を実験し、開拓した。
デジタルの魔力は、現実世界におけるあらゆるパースティクティブを跳躍して、直裁的に作家のイメージに刻印する。
『スピード・レーサー』の映像は、時間や空間を自由に飛び越えて、物語を独自の方法で構築する。
映画技法の限界と、デジタルとの融合。
それが映画を我々の知らない世界へと誘おうとしている。
『スピード・レーサー』はある意味で、孤高の哲学が描いた作品だ。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:ラリー・ウォシャウスキー&アンディー・ウォシャウスキー
音楽:マイケル・ジアッキノ 撮影:デヴィッド・タッターサル
出演:エミール・ハーシュ クリスティナ・リッチ
〇 マシュー・フォックス スーザン・サランドン
〇 ジョン・グッドマン キック・ガリー
〇 RAIN(ピ) 真田広之