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■2010/01/06 (Wed)
映画:外国映画■
あの冒険から、13年の月日が流れていた。
世界大戦を経て、オコーネル夫妻はロンドンの屋敷で優雅な日々を過ごしていた。
リックは釣りを趣味で始め、エヴリンは過去の体験を小説にして成功を収めていた。
何もかもが成功に満たされたと思える生活。しかし本当はリックもエヴリンも刺激のない毎日に退屈をしていた。
そんな時、外務省の役人がオコーネル家の屋敷を尋ねる。
“シャングリラの眼”と呼ばれる宝石を密かに上海に運んで欲しい、という仕事だった。
戦後の中国は混乱し誰もが“シャングリラの眼”を狙っていた。危険な任務になるかもしれない。
だが、リックとエヴリンは、退屈しのぎの冒険になると思い、宝石運びの仕事を引き受ける。

新たな冒険と息子の誕生。どことなく『インディ・ジョーンズ4』を思わせる。やはり同じジャンルの王道を目指していると、同じところに行き着いてしまうのだろう。
一方、中国の寧夏。
砂漠の発掘場に、巨像の顔面が姿を現していた。発掘現場を指揮しているのはリックとエヴリンの息子である、アレックスだった。
アレックスが探しているのは中国皇帝の墓だった。
間もなく、アレックスたちは砂漠の下に地下空間を発見する。そこにあったのは、無数の兵馬俑だった。
――ここに、皇帝の墓が隠されているに違いない。
アレックスはそう直感して、兵馬俑の中を進んでいく。兵馬俑の中心に秘密の地下室を見つけたアレックスは、そこで皇帝を象った像を発見する。
「ツタンカーメン以来の発見だ!」
アレックスは、興奮して叫ぶ。
しかしそのとき、秘密の地下室に仕掛けられた罠が動き出す。墓に隠れていた何者かがアレックスを襲った。
『カンフー・パンダ』と同じく中国が舞台となる。北京オリンピックに合わせた公開のためだ。政治だけでなく、映画など文化面も中国寄りになっている。ジェット・リーが演じる皇帝はほとんどデジタル・キャラクターだった。変身シーンは良くできているがやはりジェット・リーらしい肉体技を見たかった。
古代史のロマンと冒険活劇を組み合わせた映画の第3作目は、中国が舞台だ。もちろん正確な考古学の研究に基づく物語ではない。あくまでもこの作品は空想活劇である。
『ハムナプトラ』は映画らしい飛躍と独創性に満ち溢れた作品だ。
地下に隠された兵馬俑が魂を持って動き出し、皇帝の石像が自身の肉体を取り戻すために活動を始める。超人的な肉体技と神通力を備えた皇帝の印象は、過去作品にない強烈さだ。
しかも謎の組織や陰謀が加わり、物語は目まぐるしく動き出す。
それでいて誰にでもわかる、親しみやすい冒険活劇だ。
目まぐるしく展開するストーリー。冒険映画らしい突飛なシーンが羅列される。ご都合主義的な物語と取るか「スピーディーで痛快な作品」と受け取るべきか。論じる人の性格を判断するのに使えそうな映画だ。
古代史のロマン。冒険活劇。死霊の復活に、封印された太古の文明のエネルギー。謎の組織と陰謀。
どれもこれも、少年の心を弾ませるキーワードだ。
物語は冒険活劇の定石をうまく踏襲しているが、現代の技術が跳躍したイメージに高詳細に練りこまれたディティールを書き加えている。
冒険活劇は少年のための物語だが、詳細なディティールが年代を問わず楽しませる娯楽活劇へと進化させる。
誰もが安心して楽しめる日曜日のためのエンターティメントだ。
映画記事一覧
作品データ
監督:ロブ・コーエン 音楽:ランディ・エデルマン
脚本:アルフレッド・ガフ マイルズ・ミラー
出演:ブレンダン・フレイザー ジェット・リー
〇 マリア・ベロ ジョン・ハナー
〇 ラッセル・ウォン リーアム・カニンガム
〇 ルーク・フォード イザベラ・リョン
〇 アンソニー・ウォン ミシェル・ヨー
世界大戦を経て、オコーネル夫妻はロンドンの屋敷で優雅な日々を過ごしていた。
リックは釣りを趣味で始め、エヴリンは過去の体験を小説にして成功を収めていた。
何もかもが成功に満たされたと思える生活。しかし本当はリックもエヴリンも刺激のない毎日に退屈をしていた。
“シャングリラの眼”と呼ばれる宝石を密かに上海に運んで欲しい、という仕事だった。
戦後の中国は混乱し誰もが“シャングリラの眼”を狙っていた。危険な任務になるかもしれない。
だが、リックとエヴリンは、退屈しのぎの冒険になると思い、宝石運びの仕事を引き受ける。
砂漠の発掘場に、巨像の顔面が姿を現していた。発掘現場を指揮しているのはリックとエヴリンの息子である、アレックスだった。
アレックスが探しているのは中国皇帝の墓だった。
――ここに、皇帝の墓が隠されているに違いない。
「ツタンカーメン以来の発見だ!」
アレックスは、興奮して叫ぶ。
しかしそのとき、秘密の地下室に仕掛けられた罠が動き出す。墓に隠れていた何者かがアレックスを襲った。
『ハムナプトラ』は映画らしい飛躍と独創性に満ち溢れた作品だ。
しかも謎の組織や陰謀が加わり、物語は目まぐるしく動き出す。
どれもこれも、少年の心を弾ませるキーワードだ。
冒険活劇は少年のための物語だが、詳細なディティールが年代を問わず楽しませる娯楽活劇へと進化させる。
誰もが安心して楽しめる日曜日のためのエンターティメントだ。
映画記事一覧
作品データ
監督:ロブ・コーエン 音楽:ランディ・エデルマン
脚本:アルフレッド・ガフ マイルズ・ミラー
出演:ブレンダン・フレイザー ジェット・リー
〇 マリア・ベロ ジョン・ハナー
〇 ラッセル・ウォン リーアム・カニンガム
〇 ルーク・フォード イザベラ・リョン
〇 アンソニー・ウォン ミシェル・ヨー
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■2010/01/06 (Wed)
映画:外国映画■
父は牧師であり、フライ・フィッシングの達人だった。ノーマンとポール兄弟は幼い頃から父にブラックフット川に連れられて、釣りを学んだ。
父は聖書の教えのように、ノーマンとポールにフライ・フィッシングを教えた。
やがてノーマンとポールは成長する。
時代は1次世界大戦に突入し、モンタナの町から男達が消えた。
夜が明けた頃、滝に近い川の流れにボートを浮かべた。。川の流れは速く、勢いも強い。やはり危険かもしれない。
ボートが滝を目指して進み始めた――。
間もなくしてノーマンは東部のダートマス大学へ入学した。ダートマス大学への進学ははモンタナの田舎牧師の息子にとって新しく輝く世界だった。
何もかも、違う人生を歩んだように思えたノーマンとポール。
背後に山を抱いた、静かな川の流れ。
ノーマンとポールがいつもフライ・フィッシングに訪れる場所だ。
川辺の風景はどんなときも変わらない調子で漂い続け、訪ねる人を優しく迎える。
物語の中では、様々な事件や葛藤が描かれる。
兄弟喧嘩や、恋愛、無謀な挑戦、第1次世界大戦……。
現実世界の猥雑さも、ブラックフット川に戻るとすべてが浄化されていく。
ノーマンとポール兄弟の父親の教えは、偉大なる大地とともに過ごすことだ。世界との調和。自然との調和。美との調和。牧師である父親にとって、フライ・フィッシングは聖書そのものの世界だ。
どんなに古里を遠く離れていても、釣り竿を握り、ブラックフット川の流れの中に入ると、気持ちはいつもの場所に戻る。
そこは人間の精神と、魂を繋ぎとめる風景だ。
ノーマンとポールは、釣りを通して、絆を結びつけていく。
例え命が永遠ではなくとも、ブラックフット川の風景が永遠を残し続ける。
映画記事一覧
作品データ
監督:ロバート・レッドフォード 原作:ノーマン・マクリーン
音楽:マーク・アイシャム 脚本:リチャード・フリーデンバーグ
出演:ブラッド・ピット クレイグ・シェイファー
〇 トム・スケリット ブレンダ・ブレシン
〇 エミリー・ロイド スティーヴン・シェレン
〇 ニコール・バーデット マイケル・カドリッツ
■2010/01/06 (Wed)
映画:外国映画■
当時そこは、スペインの統治下であり、キリスト教の宣教師が何人も派遣されていた。
だが滝の向うはガラニ族の領域であり、宣教師を拒み、多くの殉教
ガブリエル神父は、一人きりで滝の向うへ行き、ガラニ族と接触。音楽の演奏でガラニ族の心を惹きつけ、布教を成功させる。
メンドーザは冷酷な奴隷商人だった。先住民の奴隷取引で生計を立てていた。
ある日、メンドーザは女性を巡る争いで弟を殺してしまう。ガブリ
ガラニ族はメンドーザを重荷を解放し、罪を許して受け入れた。
神父となったメンドーザは、ガラニ族の人々に尽くし、村に教会を建設する。
しかし思わぬ運命が、メンドーザを戦いに引き戻す。
自然の光景が美しい映画だ。
まだ誰も手を加えていない自然が目の前に迫り、登場人物たちに試練を与える。
自然の光景はただ美しい場所ではなく、険しく冷酷な場所だ。先住民たちにとって神聖な場所であり、宣教師たちにとっては試練の場所だ。
俗界とガラニ族とを区切る険しい滝は、彼らを守る障壁であると同時に俗世界と神秘の世界を隔てる境界線である。
文明は神秘の感性を喪い、一方的で理不尽な侵略を企てる。立ち入りを禁じた神が祭られた場所は汚れた足で踏み汚され、神秘の力を与えられた司祭は解釈を押し付けることでその魔力を取り去ろうとする。さかしらな文明は異文化における神聖さや宗教的厳粛さを決して認めない。精神の不在こそ文明が喪ったものである。
色彩の感覚が素晴らしい。画面のほとんどがイエローやグリーンに統一され、余計な色彩は排除している。この色彩が、場面によっては
整理された色彩が自然の美しさを際立たせ、まるでターナーの絵画を鑑賞しているかのような印象を与える。
大作ドラマだが台詞の数は比較的少ない。登場人物はその場所に佇み、行動を引き起こすがその前後となる解説はほとんどない。言葉以上に行動で物語を伝え、風景で見る者の心を掴む映画だ。
先住民達の言葉にも余計な解説はつけていない。表情ややりとりで状況を伝えようとしている。
ときどき挿入されるナレーションは、物語の変化を解説するだけで、それ以上に登場人物を代弁しようとはしない。
物語の前半は冷酷な男の物語だ。奴隷商人が殺人の罪を悔い、人生を改める。
自然の風景は男の精神を浄化するものとして描いている。
だが、後半は様相を変える。
教会の教義がぶつかり合いや、教区の分配による闘争の物語になる。自然は征服の対象であり、あるいは守るべきものの対象となり、結果として戦いの舞台となる。
罪を犯したものに許しを与え、精神を消化する宗教。一方で、宗教は政治闘争の具でしかない。映画は宗教の――キリスト教の2つの側面を冷徹な目で写し取り、対比していく。
西洋宗教の光と陰。雄大な自然の風景は、そんなすべてを飲み込み、浄化していく。
映画記事一覧
作品データ
監督:ローランド・ジョフィ
音楽:エンニオ・モリコーネ 脚本:ロバート・ボルト
出演:ロバート・デ・ニーロ ジェレミー・アイアンズ
〇 レイ・マカナリー エイダン・クイン
〇 シェリー・ルンギ リーアム・ニーソン
カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞
アカデミー撮影賞受賞
ゴールデングローブ賞脚本賞受賞
■2010/01/06 (Wed)
映画:外国映画■
多くの日本人はなぜかマンモスに憧れを抱いている。
ヤガル族は獣の王マナクを狩って暮らす一族だった。マナクを狩る行為は、単に食糧を得るだけではなく勇気を試される戦いでもあった。
そんな時、侵略者がヤガル族を襲った。侵略者達は一族の人
エバレットも侵略者に誘拐されてしまう。デレーはエバレットを救うために、仲間と共に旅を決意する。
西洋的な父殺しの映画であり、エディプスの英雄が妻を得るまでの物語だ。
物語の舞台は「紀元前1万年」とされているが、現実的な考証は
物語の背景は容赦なく厳しい。荒涼とした大地に横殴りに降りかかってくる吹雪。青く凍りつく空気。そんな厳しい風景も、作家は独自の感性で見詰め、美しくフィルムの中に描き出す。
登場する怪物たちは、冒険映画になくてはならないメタファーだ。怪物は英雄の行く手を妨害し、試練を与える者たちだ。
怪物たちは英雄達に容赦なく襲い掛かる。その動きは強調されすぎているが、それが不思議な実在感を与えている。かつて着ぐるみやストップモーションの怪物に胸躍らせて見ていた気分を甦らせてくれる。
現代の技術は古いプロットを、より美しく、鮮烈な形で甦らせた。かつての冒険映画にあった、血沸き肉踊る興奮を呼び覚ます映画だ。
映画記事一覧
作品データ
監督:ローランド・エメリッヒ
音楽:トマス・ワンダー
出演:スティーヴン・ストレイト カミーラ・ベル
〇 クリフ・カーティス ジョエル・ヴァーゲル
〇 アフィフ・ベン・バドラ
■2010/01/06 (Wed)
映画:外国映画■
妖精の世界を見つけるには、生身の人間のままであってはならない。
肉体を捨てて、自ら妖精にならねばならない。
アーサーはおばあちゃんと二人きりで暮らす10歳の少年だった。
二人で暮らす家には広い庭があって、アーサーにとって空想の世界を育む場所だった。おじいちゃんが書いた本の中の妖精た
ちが、現実に存在する場所だった。
アーサーとおばあちゃんの平穏な日常が脅かされようとしていた。おばあちゃんには多くの借金があったのだ。すでに電気が止められ、電話も通じない。あと2日の間にまとまったお金を支
払わないと、家を立ち退かねばならなかった。
そんな時アーサーは、広い庭のどこかにおじいちゃんがルビーを隠していると聞かされる。
ルビーのありかを知るには、妖精の世界を通らねばならなかっ
た。
アーサーはおじいちゃんが隠した秘密の暗号を解き、妖精世界へ足を踏み入れる。
しかしそこは、邪悪なマルタザールに脅かされる場所だった。
アーサーは、妖精世界の平和のために、ルビーを得るために、戦いの旅に赴く。
“鍵”は実にファンタジックなアイテムだ。“鍵”は未知なる場所への扉を開けてくれるという期待がる。空想世界へ行くには必ず鍵が必要だ。しかし人間には妖精世界を発見できない。夢想世界の住人……自ら妖精にならなければならない。少年は妖精の世界に変えることで、妖精世界へと入っていく。
少年の意識の中では、現実と空想の世界は混同され、まだ分離されていない。現実世界の知識も生活に役立つものではなく、空想遊びの道具になる。
子供が異世界への冒険に招請されるのは、常に生活の危機に直面
した時だ。深層心理学がそう解説しているし、すべての冒険物語は危機の直面から始まっている。
少年は心の平穏を手にするために、さらに厳しい危難と受難が待ち受ける場所に行くのだ。
空想世界への招請の切っ掛けは冒険心によるものではない。現実の危機に直面した時、はじめてその扉は開かれる。望んで空想世界に行けるものではないし、大抵は望まぬうちに妖精世界に迷い込んでしまう。そしてその向うにはもっと危険なものが待ち受けている。
現実世界の危機は常に見えにくいし、現実を捉えるのは難しい。現実を捉えようという努力はあらゆる哲学者が失敗してきた試みである。
だが空想世界の危機は具体的な形を持って迫ってくる。醜い怪物た
ちや、おぞましい暗黒の支配者。
空想世界では現実世界では決して試されないすべてが試される。
体力、知力、それから勇気。
その危難と受難に自ら挑み、達成した者にこそ、財宝が与えられるのだ。
妙にエッチな空気を振り撒くセレニア姫。もっとも空想世界の姫君は、少年が抱く性の象徴だ。空想世界の少女は、現実的なものを無視して構築した理想の女性像そのものだ。2次元の美少女が魅力的なのは、それが理想像だから当然だ。2次元美少女に魅力を感じないという人は、単に理想がないだけだろう。
映画の中で描かれる妖精世界の造形は、美しく、不思議な手触りがある。
空想世界の風景をまずミニチュアで作り、そのうえにデジタルのキャラクターを合成しているためだ。
何もかもをデジタルに頼らない工夫で、あの独特の手触りの感触を作り出している。
空想世界には人生のすべてがある。誕生、戦い、性、財宝、別離……。人生のすべてを凝縮させた濃密な世界、という例えもある。ファンタジーは現実よりも現実的な感性に満ちた場所である(現実はむしろ非現実的だ)。だがそんな世界の創造は、作り手にとっても危険が一杯に待ち受けている冒険なのである。
ところで、空想世界の創造は非常に難しい。
空想の世界は想像する限り無限であるが、その一方で、作り手の実力を容赦なく試されてしまう。
作り手の実力や、知識、まだ誰も発見していないアイデア。
それらすべてを結集させ、空想世界に説得力を持たせられなければ、作り手は三流のレッテルを貼り付けられてしまう。ファンタジーは現実世界のどの風景とも似てはいけないし、過去のどの創作作品の系譜に属してもならない。もしどこかに一片でも隙があれば、読者は
ただちに興醒めしてしまう。玄人である批評家はもっと容赦なくこき下ろすだろう。
“ファンタジーは子供向けだから、どの描写も通俗的でよい”なんて言い訳は通用しない。ほとんどの作り手はファンタジーを通俗的なイ
メージで埋め尽くし、「どうせ子供のものだから」と妥協している。創造の努力を始めから放棄している。だがそんな言い訳をしているうちはファンタジーの名作と肩を並べることは決してできず、どうでもいい駄作の中に埋もれるだろう。
空想世界の創造は作り手にとって最も楽しい創作行為だが、最も難しい冒険であるのだ。
さて、『アーサーとミニモイの不思議な国』はそんな課題をどう乗り越えているだろうか。
映画記事一覧
作品データ
監督・原作:リュック・ベッソン
音楽:エリック・セラ 脚本:リュック・ベッソン セリーヌ・ガルシア
出演:フレディ・ハイモア ミア・ファロー
〇 ペニー・バルフォー マドンナ
〇 デヴィッド・ボウイ スヌープ・ドッグ
〇 ジミー・ファロン ロバート・デ・ニーロ
肉体を捨てて、自ら妖精にならねばならない。
二人で暮らす家には広い庭があって、アーサーにとって空想の世界を育む場所だった。おじいちゃんが書いた本の中の妖精た
アーサーとおばあちゃんの平穏な日常が脅かされようとしていた。おばあちゃんには多くの借金があったのだ。すでに電気が止められ、電話も通じない。あと2日の間にまとまったお金を支
そんな時アーサーは、広い庭のどこかにおじいちゃんがルビーを隠していると聞かされる。
ルビーのありかを知るには、妖精の世界を通らねばならなかっ
アーサーはおじいちゃんが隠した秘密の暗号を解き、妖精世界へ足を踏み入れる。
しかしそこは、邪悪なマルタザールに脅かされる場所だった。
アーサーは、妖精世界の平和のために、ルビーを得るために、戦いの旅に赴く。
子供が異世界への冒険に招請されるのは、常に生活の危機に直面
少年は心の平穏を手にするために、さらに厳しい危難と受難が待ち受ける場所に行くのだ。
だが空想世界の危機は具体的な形を持って迫ってくる。醜い怪物た
空想世界では現実世界では決して試されないすべてが試される。
体力、知力、それから勇気。
その危難と受難に自ら挑み、達成した者にこそ、財宝が与えられるのだ。
空想世界の風景をまずミニチュアで作り、そのうえにデジタルのキャラクターを合成しているためだ。
何もかもをデジタルに頼らない工夫で、あの独特の手触りの感触を作り出している。
空想の世界は想像する限り無限であるが、その一方で、作り手の実力を容赦なく試されてしまう。
作り手の実力や、知識、まだ誰も発見していないアイデア。
“ファンタジーは子供向けだから、どの描写も通俗的でよい”なんて言い訳は通用しない。ほとんどの作り手はファンタジーを通俗的なイ
さて、『アーサーとミニモイの不思議な国』はそんな課題をどう乗り越えているだろうか。
映画記事一覧
作品データ
監督・原作:リュック・ベッソン
音楽:エリック・セラ 脚本:リュック・ベッソン セリーヌ・ガルシア
出演:フレディ・ハイモア ミア・ファロー
〇 ペニー・バルフォー マドンナ
〇 デヴィッド・ボウイ スヌープ・ドッグ
〇 ジミー・ファロン ロバート・デ・ニーロ