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■2010/01/06 (Wed)
映画:外国映画■
遠い昔。これは、紀元前1万年の物語だ。
“マナク”とはマンモスのことだ。
多くの日本人はなぜかマンモスに憧れを抱いている。
ヤガル族は獣の王マナクを狩って暮らす一族だった。マナクを狩る行為は、単に食糧を得るだけではなく勇気を試される戦いでもあった。
ある狩りの日、ヤガル族の若者デレーはたった1人でマナクを倒す。この活躍でデレーは「一族の英雄」として認められ、美しきエバレットとの結婚を許される。
しかしデレーがマナクを倒せたのは偶然だった。デレーは自身が「本当の勇気」の持ち主でないと思い悩む。
そんな時、侵略者がヤガル族を襲った。侵略者達は一族の人たちを虐殺し、幾人か選んで連れ去ってしまった。
エバレットも侵略者に誘拐されてしまう。デレーはエバレットを救うために、仲間と共に旅を決意する。
ピラミッドはローランド・エメリッヒ映画『スターゲート』以来のモチーフである。ピラミッドは早くても紀元前2600年頃だから考証に誤りがある。このちぐはぐ感が奇妙な感覚を作っている。
誰にでもわかる、典型的な冒険映画である。
西洋的な父殺しの映画であり、エディプスの英雄が妻を得るまでの物語だ。
そんな使い古されたプロットを、今まで誰も見た経験のない場所を舞台することで、鮮烈な印象を与える。
物語の舞台は「紀元前1万年」とされているが、現実的な考証は基本的に無視されている。ある程度、紀元前1万年という時代は調査されたのだろうが、そこで得た知識や文化を足がかりに、作家独自のイマジネーションの力で増幅されている。
登場する部族はどれも洗練され、優れた社会能力を持った集団として描かれている。身を飾る装飾やメイクも実に美しい。
物語の背景は容赦なく厳しい。荒涼とした大地に横殴りに降りかかってくる吹雪。青く凍りつく空気。そんな厳しい風景も、作家は独自の感性で見詰め、美しくフィルムの中に描き出す。
考証に嘘がある――これが作品への没入感を妨げるのは確かだ。いっそ“地球に似た異世界”としてくれたほうが潔かった。怪物の造形や映像つくりはよくできていただけに惜しい気がする。
登場する怪物たちは、冒険映画になくてはならないメタファーだ。怪物は英雄の行く手を妨害し、試練を与える者たちだ。
その怪物たちの造形は実に素晴らしい。時代考証に誤りがあるとか、そもそも実在しないとかそういう議論は無粋だろう。なぜなら『紀元前1万年』という映画はファンタジー作品だからだ。ファンタジーに登場する巨人やドラゴンが実際に存在するかなど議論する者はいないだろう。
怪物たちは英雄達に容赦なく襲い掛かる。その動きは強調されすぎているが、それが不思議な実在感を与えている。かつて着ぐるみやストップモーションの怪物に胸躍らせて見ていた気分を甦らせてくれる。
作品の雰囲気は『スターゲート』に近い冒険映画。時代考証がおかしかったり地理的な設計がおかしかったり、没入感を妨げる要素が多い。“リアリティ”とは一時的にその世界に“真実”と思わせるためのものだが、考証がその効果をきちんと果たしていない。割り切ってしまえばそれはそれで楽しい映画なのだが。
映画の展開や結末は、どこまでも典型的である。典型的なハリウッド娯楽映画の類型に過ぎない。
典型的であるから、制作者は誰も知らない場所を舞台にすることで、新鮮な映像体験を呼び起こす必要があったのだろう。
現代の技術は古いプロットを、より美しく、鮮烈な形で甦らせた。かつての冒険映画にあった、血沸き肉踊る興奮を呼び覚ます映画だ。
映画記事一覧
作品データ
監督:ローランド・エメリッヒ
音楽:トマス・ワンダー
出演:スティーヴン・ストレイト カミーラ・ベル
〇 クリフ・カーティス ジョエル・ヴァーゲル
〇 アフィフ・ベン・バドラ
“マナク”とはマンモスのことだ。
多くの日本人はなぜかマンモスに憧れを抱いている。
ヤガル族は獣の王マナクを狩って暮らす一族だった。マナクを狩る行為は、単に食糧を得るだけではなく勇気を試される戦いでもあった。
ある狩りの日、ヤガル族の若者デレーはたった1人でマナクを倒す。この活躍でデレーは「一族の英雄」として認められ、美しきエバレットとの結婚を許される。
しかしデレーがマナクを倒せたのは偶然だった。デレーは自身が「本当の勇気」の持ち主でないと思い悩む。
そんな時、侵略者がヤガル族を襲った。侵略者達は一族の人たちを虐殺し、幾人か選んで連れ去ってしまった。
エバレットも侵略者に誘拐されてしまう。デレーはエバレットを救うために、仲間と共に旅を決意する。
ピラミッドはローランド・エメリッヒ映画『スターゲート』以来のモチーフである。ピラミッドは早くても紀元前2600年頃だから考証に誤りがある。このちぐはぐ感が奇妙な感覚を作っている。
誰にでもわかる、典型的な冒険映画である。
西洋的な父殺しの映画であり、エディプスの英雄が妻を得るまでの物語だ。
そんな使い古されたプロットを、今まで誰も見た経験のない場所を舞台することで、鮮烈な印象を与える。
物語の舞台は「紀元前1万年」とされているが、現実的な考証は基本的に無視されている。ある程度、紀元前1万年という時代は調査されたのだろうが、そこで得た知識や文化を足がかりに、作家独自のイマジネーションの力で増幅されている。
登場する部族はどれも洗練され、優れた社会能力を持った集団として描かれている。身を飾る装飾やメイクも実に美しい。
物語の背景は容赦なく厳しい。荒涼とした大地に横殴りに降りかかってくる吹雪。青く凍りつく空気。そんな厳しい風景も、作家は独自の感性で見詰め、美しくフィルムの中に描き出す。
考証に嘘がある――これが作品への没入感を妨げるのは確かだ。いっそ“地球に似た異世界”としてくれたほうが潔かった。怪物の造形や映像つくりはよくできていただけに惜しい気がする。
登場する怪物たちは、冒険映画になくてはならないメタファーだ。怪物は英雄の行く手を妨害し、試練を与える者たちだ。
その怪物たちの造形は実に素晴らしい。時代考証に誤りがあるとか、そもそも実在しないとかそういう議論は無粋だろう。なぜなら『紀元前1万年』という映画はファンタジー作品だからだ。ファンタジーに登場する巨人やドラゴンが実際に存在するかなど議論する者はいないだろう。
怪物たちは英雄達に容赦なく襲い掛かる。その動きは強調されすぎているが、それが不思議な実在感を与えている。かつて着ぐるみやストップモーションの怪物に胸躍らせて見ていた気分を甦らせてくれる。
作品の雰囲気は『スターゲート』に近い冒険映画。時代考証がおかしかったり地理的な設計がおかしかったり、没入感を妨げる要素が多い。“リアリティ”とは一時的にその世界に“真実”と思わせるためのものだが、考証がその効果をきちんと果たしていない。割り切ってしまえばそれはそれで楽しい映画なのだが。
映画の展開や結末は、どこまでも典型的である。典型的なハリウッド娯楽映画の類型に過ぎない。
典型的であるから、制作者は誰も知らない場所を舞台にすることで、新鮮な映像体験を呼び起こす必要があったのだろう。
現代の技術は古いプロットを、より美しく、鮮烈な形で甦らせた。かつての冒険映画にあった、血沸き肉踊る興奮を呼び覚ます映画だ。
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作品データ
監督:ローランド・エメリッヒ
音楽:トマス・ワンダー
出演:スティーヴン・ストレイト カミーラ・ベル
〇 クリフ・カーティス ジョエル・ヴァーゲル
〇 アフィフ・ベン・バドラ
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