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■2010/01/16 (Sat)
映画:外国映画■
そして見よ。
野獣は美女の顔を見上げた。
が、その首を絞めようと伸びた手はとどまり、
その日を境に野獣は抜け殻のようになった。
〇 ――古代アラビアの諺
野獣は美女の顔を見上げた。
が、その首を絞めようと伸びた手はとどまり、
その日を境に野獣は抜け殻のようになった。
〇 ――古代アラビアの諺
港に小さな蒸気船が碇泊していた。俳優代理業者の男が仕事の用事で、その蒸気船に乗り込もうとした。
だがそこを男が呼び止める。
「これは映画撮影隊の船か?」
「そうだが?」
「あんた、あの噂の旅行に行くのか? 旅を指揮する奴がイカレてるって話だぞ」
「カール・デナムか?」
今まさに男が会うつもりでいる映画監督の名前だ。
「その男だ。とにかく無鉄砲な奴らしい。相手がライオンであろうと容赦なしだそうだ。貨物のことも話題の1つだが、船の大きさにしては乗組員の数が多すぎるんだ。通常の3倍だぞ。どこに寝る場所があるんだか」
何やら噂が流れているらしい。こんな失業者だかわからない流れ者が通りがかりの誰かに話すくらい広まっているようだ。
俳優代理業者の男は、充分警戒して船に乗り込んだ。
カール・デナムはジャングル映画で知られる映画監督だ。この当時、ジャングルにカメラが分け入り、珍しい動物の生態や俳優が冒険する映画がちょっとした流行だった。カール・デナムはそういった種類の冒険映画でそこそこの名声を得た作家だった。
だが次回作には不穏な影が付きまとっていた。
カール・デナムはもともと徹底した秘密主義で知られているが、今回は蒸気船の船長にすら行き先を伝えていない。それどころか船乗りは屈強な男ばかりで、ガス爆弾を始めとして物々しい装備を搭載していた。
そんな撮影に、俳優業者は女優は手配できないと宣告した。そこはかとない危険を感じた。
「まるで生存者がいなかったみたいだな。ここにいる2人はご覧のとおり、2回の冒険を無事に帰ってきたぞ」
「女性がいるのでは話が違う」
船長が俳優代理業者に味方してカール・デナムに反対した。
「ではニューヨークは危険ではないのか? 今夜、彼女たちが遭遇する危険のほうがよっぽど危ない」
それは危険の種類が違う。このままカール・デナムと船に乗せると、自ら避けられない危険へと向っていくように思えた。
「頼むよ。明朝の夜明けには出港なんだ。理由があるんだ」
女優を手配しなくて正解だった。俳優代理業者はカール・デナムの申し出を拒否した。
「そんなことで挫けると思っているのか。いいか、俺は今までにない最高の映画を撮るんだ。後で後悔しても知らんぞ」
カーで・デナムは逆上して街へと出て行った。
そうしてカール・デナムが果物屋で偶然出会ったのがアン・ダロウだった。アンは俳優志望だったが出演はエキストラの経験だけ。しかも大恐慌の影響で職を失っていた。
だがカール・デナムにとってそんなのはどうでも良かった。カメラの前に立つ女優がいればそれでいい。カール・デナムはアンを連れて蒸気船を出発させた。
ニューヨークを離れて遥かなアジアの海域へと入っていった。スマトラの東。周囲に島影すら見えない場所までやってきた。
「約束だろう。ここまで来たら、行き先を告げると」
船長がデナムに切り出した。今まで行き先を告げていなかったのだ。
行き先はスマトラ沖を南西に向った場所。一般に流通している海図には決して掲載されない謎の場所だ。その島へ至る地図を見つけたのは、バーク船の船長だった。
「いいか。この島の人間がカヌーで海に流され、バーク船が発見した。たった1人の生存者もすぐ死んだ。その前にバーク船の船長は生き残りから島の詳細を聞きだし、位置を記録したのだ」
実際に存在するのかも怪しい幻の場所。そこには大昔の高度文明が残され、怨霊に捉われた土人たちが恐ろしい儀式を夜毎に催している。
だが注目すべきはその土人たちではない。滅んだ古代文明が築いた巨大な壁。その向うに、何かがいる――。その名は『コング』。
獣でも人間でもない、それでいて島の住民達を脅かし続ける謎の存在。迷信が作り出した神霊か?
いや、迷信は真実を映し出す。島には我々のかつて見た経験のない何かが存在している……。
「ストップモーションは自然であるがCGは不自然である」そう考える批評家はプロ素人問わず非常に多い。しかし冷静な立場でみればどちらも不自然である。もっと言えば映画それ自体が不自然である。ストップモーションが自然でCGが不自然という考えは単に刷り込みか経験値が足りないという話だ。(特撮が自然か不自然かという話をするならまず照明の存在が不自然だ、という指摘でもして欲しい)そもそもリアリティという言葉自体、言葉が作り出した幻想に過ぎない。
1930年――。
大恐慌の影響で世界が混沌とした不安に喘いでいた時代。文明の光は自ら作り出したシステムを前に頼りなげに揺れていた。世界はまだ闇に包まれた未知を領域を多く残していた。
『キング・コング』が制作された背景には、そんな真っ暗闇の不安と未知に対する恐怖のようなものがドロドロになって渦巻いていた。髑髏島に集落を作る不気味な土人や壁の向うに潜む巨大なモンスターたちはそんな時代の夢想――悪夢を形にしたものである。
世界旅行の時代が終わり、文明から遠く離れた未開地と思われる場所ですら、すでに旅行者の迎え方を心得てしまっている時代。だがひょっとしたらまだ人跡未踏の土地がどこかにあるかもしれない。我々が見落としている、驚くべき発見が世界に残されているかもしれない。
1930年代は真っ暗闇の不安と同時に、そんな期待を同時にどこかに残している時代だった。もしかすると、ペシミズムが蔓延する閉塞的な現代よりももっと楽天的だったかもしれない。
とにかく人々は現実の暗い不安を虚構の世界に求め、光と影である映画はその不安をあからさまな形で現出させてみせた。神獣キング・コングはそんな時代を象徴するような容赦のない力で我々を圧倒し、それでいて感情移入すべき哀れな存在として描かれた。キング・コングはどこまでも強く、容赦がなく、そして一途だった。だからこそ我々の心に残り、永遠の魂を与えられたのだ。
2005年版リメイク『キング・コング』はコングが登場するまでが長すぎると批判された。しかしオリジナル版『キング・コング』を見るとコングを見るまで40分もかかる。むしろリメイク版『キング・コング』はあれだけの物語をよく収まっているという印象がある。ところで「コング」を「ゴリラ」の英語名だと思っている人が多い。だが「ゴリラ」は英語名も学名も「ゴリラ」だ。「コング」はこの作品が作った造語だ。
映画『キング・コング』ははっきりと3つの舞台に分けられる。物語の準備期間である髑髏島に至るまでの展開。髑髏島に入ってからの冒険シーン。最後にニューヨークに戻ってからの壮絶なエンディング。
蒸気船での移動場面は緩慢に進んでいくが、髑髏島に入ってから一気に物語は急な勢いを持ち始める。怪しげな原住人に、想像絶する巨大怪物、冒険者の前に立ちはだかる障壁。次々に迫る艱難を前に、冒険の仲間たちが命を落としていく。
その展開の一つ一つを見ていると、意外にも最近の冒険映画とあまり変わらないと気付かされる。物語の進み方や、怪獣の登場、犠牲者の残し方。どれも最近の映画でも似た場面を見たような、過去の作品だというのに不思議なデジャビュを感じさせる。
ただ、展開の速度は現代の映画よりずっと早く進む。コングの足跡を見つける場面でも詳しい解説や判じ解きはないし、沼を前にする場面でも「よし筏だ!」と言った次のカットにはもう立派な筏が完成している。その合間に描かれる過程をごっそり省いてしまっている。もっと言えば、間に語られるべきドラマが何一つ語られていない。
冒険映画の文法はすでに作り出されていて、現代に至るまでその方法論は変わっていないようだ。現代は映像の手法が洗練され、描写の密度がどこまでも高詳細になり、過剰に装飾が施され、やはり人間の心理は詳しく掘り下げられるようになった。
それでも古い映画を見ると、本質的なところは実はあまり変わっていないのだと発見できる。
当時、映画中の背景と同じくジャングルや未開地を題材にした映画は多かった。『キング・コング』が作られる切っ掛けとなったのは同じくストップモーションを利用した『ロスト・ワールド』だ。特撮技術を多用した最初期の作品とされ、ハリウッド式エンターティメントの基礎を作った。
後半のニューヨークに入ると、『キング・コング』はほとんど無声映画になる。具体的な台詞や解説はなくなるし、なにより物語の中心は人間からキング・コングへと移っていく。物言わぬキング・コングが中心になるから当然、言葉以上にアクションが中心の映画になる。
人間の側から見ると、コングは恐ろしげな怪物でしかない。アン・ダロウは恐ろしげな怪物に追跡され、ドリスコルと必死の逃走劇を繰り広げる。
だがニューヨークに入って物語はキング・コングを中心に描くようになる。人間の美女に恋し、その姿をひたすら追い求める哀れな怪物の姿だ。
映画のラストで、コングはエンパイアステートビルへと登って行く。映画史上屈指の名シーンだ。そこにはもう逃げ場などどこにもないのに。なぜコングは当時のニューヨークで最も高い場所を目指したのか、なぜ美女をそこに連れて登ったのか。
言葉を持たないコングは自らの胸の内も何も語らない。ただただ人間の文明を凶暴な顔で睨みつけ、獣の声で吠えるばかりだ。
そんなコングに人間の攻撃が迫る。飛行機がコングに迫り、銃弾の嵐を浴びせかけようとする。この瞬間でも、視点は怪物を殺そうとする人間の側には移らない。人間はコングよりもっと冷酷な鉄の塊となり、非情に獣の王を攻撃する。
コングは文明の先端であらん限りの声を上げて、拳を振り上げる。だがその叫びは空しく轟くだけだった。マシンガンの銃撃がコングの咆哮をさらっていく。弾丸がコングの厚い毛皮を引き裂き、血を吹き出させた。
ついにコングは死ぬ。人間の文明に打ちのめされるかのように――獣の王は新しく君臨した鉄の王に戦いを挑み、一番高いところから叩き落されたのだ。
だがコングは我々の思い出の中に永遠に残された。獣の王の肉体は死んだが、その魂は永遠の輝きを得たのだった。
『キング・コング』2005年版 ピーター・ジャクソン監督
『キング・コング』2005年版 エクステンテッド・エディション
作品データ
監督:メリアン・C・クーパー アーネスト・B・シュードサック
脚本:ジェームス・クリールマン ルース・ローズ
撮影:エドワード・リンドン バーノン・L・ウォーカー
特殊効果:ハリー・レッドモンド・Jr 恐竜制作:マーセル・デルガド
特殊撮影:F・ウィリス・H・オブライエン レイ・ハリーハウゼン
音楽:マックス・スタイナー
出演:フェイ・レイ ロバート・アームストロング
〇 ブルース・キャボット フランク・ライチャー
〇 サム・ハーディー ノーブル・ジョンソン
1933年版と2005年版を比較する。
巷には2005年にリメイク版を制作したピーター・ジャクソン監督は原作を知らず、金儲けのために制作したと語られているが、実際にはその逆。ピーター・ジャクソンは無駄に溢れんばかりのオリジナル愛を『キング・コング』の映画に注ぎ込んだ。(「カントクは金儲けで作ってるし、特撮スタッフは就職活動で作っているだけ」と語ったのは井筒和幸。井筒監督に影響を受けすぎている批評家(プロアマ問わず)は多すぎる(しかも自覚症状なし)。日本人はああいった扇動的な力を持った人間の言葉を無条件にありがたがってしまうだけど、もう少し冷静になったほうがいい)
では1933年版の映像を見ながら、どこまでオリジナル版に忠実に作っているのか、両方の画像を比較しながら見ていくとしよう。
タイトルバック。
冒頭映画タイトル。タイトル文字から背景に書かれたものまで一緒。まさにそのまんまなタイトル。
ニューヨークのシーン。
これは2005年版オリジナル場面だ。というのも、1933年当時の世相なんて現代人のほとんどは知らないはず。当時の荒れた不況の様子や、劇場公開時ちょうどエンパイアステートビルが建設されたなど、改めて説明を込めて描く必要があった。
また、1933年版オリジナルでは不明瞭ではしょった部分も改めて詳細に書かれた。カール・デナムが女優を必要とした理由や「早く出港しなければならない」理由など。
さすがに当時のままだと現代人に伝わりにくいと判断された場面などが改められた。
ところでコングがエンパイアステートビルに登った理由だが、当時建設されたのを見た制作者が、「よしこれを映画中に出そう」と思い立ったからだ。
アン・ダロウとカール・デナムの出会いシーン。
少しやり取りは違うものの、ほぼそのまま描かれている。
この場面で注目したいのは帽子。同じ型ではなく、まったく同じものが使用されている。
また2005年版ではメリアン・C・クーパー監督がフェイ・レイを主演に映画を製作中という設定が作られた。だから『キング・コング』の虚構映画が製作されている背景で、本物の『キング・コング』が現実に行われていた、というパラレルワールド的な構造になっている。
航海シーンでのやり取り。
2005年版のドリスコルはまったくの別キャラクターとして、ほぼオリジナルキャラクターに書き換えられた。
だだし船のシーンのやり取りなど、映画俳優ブルース・バクスターと役割を分割しているようだ。ちょっと違うやり方で原作を再現した、といったところだろうか。
船員達の描写が2005年版ではやや詳しくなった。1933年版では名前も人格もない背景にいる人、という扱いだった。現代のカメラが、より人物をクローズアップするようになった、というのがよくわかる。
髑髏島の住人。
髑髏島の場面は劇場の余興の場面へと置き換えられた。確かに、1933年版当時のイメージで描かれた先住民の描写は、現代ではギャグにしか見えない。ココナッツで作られたブラや毛皮を着て踊る人たちなど、現代人の視点ではもはやコメディだ。それでも、衣装はほぼ一緒というのが無駄に細かいこだわりだ。音楽も一緒。
コング登場シーン。
概ね一緒だが、シチュエーションがやや違う。1933年版でコングを目撃したのはドリスコル。2005年版ではカール・デナムだ。ドリスコルもそうだが、後で全員がコングを目撃する場面でも、誰一人驚かなかった。2005年版『キング・コング』で足跡を発見した時、驚きとともに判じ解きが必要だったのはそういうところから。
ところで1933年版のコングの顔って……酔っ払いのオッサンのよう。
その後に作られた1970年代のコングは着ぐるみで、あきらかに中に人間が入っている動きだった。2005年版になってようやく生き物として描かれるようになった。スタッフの努力と研究意欲に尊敬と拍手だ。
ステゴザウルス登場。
冒険隊一行がはじめに出会う怪獣。2005年版ではフェルクタスという名前が与えられている。
1933年版は多分、ストップモーションで制作した怪獣をスクリーンに映し、それを前に俳優達が演技したのではないかと思う。正確な合成方法はわからないけど。
2005年版ではエクステンデットエディション(完全版)にのみ登場。ダイナミックに動くカメラの前に堂々と登場した。ピーター・ジャクソンがどのようにイメージを受け取り、膨らませていったかわかる場面。
筏下り。
2005年版ではエクステンデットエディションにのみ登場。1933年版ではブロントサウルスだったものが、2005年版ではオリジナル怪獣に変更されている。巨大な魚のような怪物だ。
2005年版ではブロントサウルスは別のシーンでダイナソー・チェイスを演じたので別の怪獣に役を譲ったのだろう。というよりブロントサウルスは温和な草食恐竜だし、『ジュラシック・パーク』で草食恐竜の印象を強めたから、正しい判断だっただろう。
コングVSティラノサウルス
映画史上に残る名対決の1つ。『キング・コング』の視聴経験はなくとも、このシーンを知っている、という人は多いはず。
このシーン、2005年版ではある程度グレードをプラスされたが、細かいところは一緒。構図であり、倒し方であったり。比較してみると成程と思う。
ちなみに2005年版ではティラノサウルスではなくバスタトサウルスとなっている。恐竜時代から6500万年経過し、その時間分をシュミレーションした形態だ。
ところで画像の整理していて気付いたのだが、1933年版と2005年版でコングの立ち位置が左右逆だ。どういった意味があるのだろう?
地下のシーン。
地下に落とされて不気味な昆虫から決死の逃亡をする。1933年版オリジナルにはなかったが、“制作される予定”はあったらしい。ピーター・ジャクソンはその“制作される予定”だった幻のシーンをリメイク版で復活させた。
おっぱいポロリVSお手玉
コングとの交流シーン。オリジナル版ではコングが美女の服を脱がし「ウホッウホッ」と興奮する。コングの人間的な部分を表した部分である。
しかしこれが、映画会社の人間が言う「この手の映画にはオッパイぽろりが付き物だ」という考え方に繋がった――かどうかわからないが、後のリメイク映画でコングが美女をオッパイぽろりさせるのは定番となってしまった。前後の展開とは無関係に、不用意にセクシーシーンが挿入されるのである。
2005年版ではその傾向を「セシル・B・デミルがぽろりなんか撮るか!」と反駁。アン・ダロウをコメディアンであった、という設定を作り出し、芸でコングの気を引くように変更した。
コングの捕縛。
1933年版のコングはガス爆弾一発で倒れるが、2005年版のコングはとにかく強い。
ガス爆弾からクロロフォルムへと変更されている。というかガス爆弾って何だろう?
気絶したコングを前にするカール・デナムの口上はそのまま。
「世界第8の不思議」
劇場にコングが連れ出される。構図の一部、シチュエーションなどほぼ忠実、コングが脱走する展開など同じ。
ただし、その切っ掛けや細かい過程はかなり変わっている。2005年版ではそこまでに描かれたドラマが展開に影響を与えている。
エンパイアステートビル。
エンパイアステートビル先端での対決。まさに映画史上最大の名シーンの1つ。
対決シーンは2005年版では当然、詳細に描かれるようになったものの、カットのいくつかはほぼそのまま描かれている。複葉機のふわふわした感じもそのまま。
一番大きく変わったのは「なぜコングはエンパイアステートの先端を目指したのか」。2005年版ではアン・ダロウと朝日を見るためだった、と説明された。アン・ダロウはコングに感情移入するように設定が変更され、心情迫る場面となった。
淡白に思えた1933年版に対し、2005年版のラストは名作映画のような結末。
もっとも、当時12歳だったピーター・ジャクソンは1933年版から2005年版にあるような余韻を味わったのだ。ピーター・ジャクソン少年の頭の中に入った1933年版の映像がアウトプットされた姿が2005年版なのだ。
しかし2005年版は“スッキリ”する結末なのは間違いないが、オリジナル版にあったような“多様な解釈”の可能性を削ぎ落としてしまったかもしれない。雄弁すぎるのも考え物かもしれない。
『キング・コング』2005年版 ピーター・ジャクソン監督
『キング・コング』2005年版 エクステンテッド・エディション
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