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■2010/01/22 (Fri)
映画:外国映画■
第2章 2つの塔
THE TWO TOWERS
THE TWO TOWERS
ボロミアの裏切りと死、ウルク=ハイたちの奇襲によって旅の仲間は離散した。フロドはサムだけを連れて使命を果たすために行ってしまった。
メリーとピピンの2人がフロドと間違えられてウルク=ハイたちに誘拐されてしまった。裂け谷で誓い合った使命は無駄だったのだろうか。いや、まだ使命は終わっていない。ウルク=ハイたちに誘拐されたメリーとピピンの2人を救い出すのだ。旅の仲間の解散はそれからでも遅くはない。
アラゴルンを筆頭にレゴラス、ギムリの3人が徒党を組んでラウロスの滝を去ったウルク=ハイ追跡を始めた。だが相手は疲れ知らずのウルク=ハイたちだ。追跡は休憩も食事もなしで幾日も続いた。
その途上でアラゴルンはウルク=ハイたちが踏み散らかした足跡に紛れるようにロリアンのブローチが落ちているのに気付く。メリーかピピンか、自分たちが追跡しているのを察して目印を残したのだ。
ウルク=ハイたちはローハン草原を横切って西へ、サルマンの待つアイゼンガルドに向うつもりだ。アラゴルンたちは休みなしの決死の強行軍を続けた。
だがその途上でアラゴルンは、ローハンの騎馬団が行く手から向かってくるのを目撃する。
「ローハンの騎士たちよ、何があった!」
呼びかけるとローハンの騎士たちはアラゴルンたちを取り囲み槍を突きつけた。アラゴルンは自分たちはサルマンのスパイではないと誤解を解き、誘拐された仲間を救い出すためにウルク=ハイの軍勢を追っていたと説明する。だがローハンの騎士の筆頭であるエオメルは昨晩その軍勢を襲い、一人残らず虐殺した末に、ローハンの習慣に乗っ取って積み上げて焼いたと答えた。
メリーとピピンは彼らの殺されたのか。アラゴルンたちは愕然と、行く手に吹き上がる黒い煙に目を向けた。
ローハンにも混乱が忍び寄っている。サルマンのスパイが方々を荒らし、実はエオメルもエドラスを追放されたばかりだった。蛇の舌グリマがセオデン王に取り入り、嘘を吹き込んで王を腑抜けにしてしまったのだ。
だがエオメルは単独で自分の部下達を引き連れ、ローハンを蹂躙する魔の軍勢を討伐する旅を続けていた。
アラゴルンたちはエオメルと分れてウルク=ハイの死体が積みあがる場所へ向った。確かにそこにメリーピピンの姿はなかった。
だがアラゴルンは争いの痕跡の中に小さな足跡を見つける。ここを這ったんだ。ここでロープを千切って立ち上がった。足跡はさらに続き、その向うのファンゴルンの鬱蒼とした森の中へと続いていた。
メリーとピピンは生きている。アラゴルンは森の中へ入っていき、その行方を探した。
その先で待っていたのは意外にもモリアの坑道でバルログと谷底に落ちたはずのガンダルフだった。
ガンダルフの戦いは谷底への落下中から始まっていた。剣を手に取り、もがくバルログに取り付き、その刃を振り落とした。間もなく最下層に沈む池に落ちた。バルログを包む炎は消えてスライム・バルログに変わった。
戦いの舞台は無限階段へと場所を移しどこまでも続いた。バルログもその戦いの最中に力を取り戻し、体から火を噴出させた。無限階段は雪山の先端で終わっていた。そこが戦いの最後の舞台だった。ガンダルフは激闘の末にバルログを打ち倒し、山腹へと叩き落した。
同時にガンダルフも力尽きて倒れた。ガンダルフを光が包む。死の世界がガンダルフの眼前に広がっていた。だがガンダルフは送り返された。務めはまだ終っていない。ガンダルフは白のガンダルフとして新しい力を与えられ、中つ国へと戻ってきた。
メリーとピピンの2人は森の住人エントの保護下に入り、中つ国でもっとも安全な場所で守られている。ガンダルフはアラゴルンたちを連れてエドラスへ行きを提案した。
サルマンが結成した魔の軍勢は手始めとしてローハンの制圧を目論んでいる。ローハンが落とされると人間の勢力は衰退著しいゴンドールを残すだけになってしまう。それを阻止するためにローハンを死守する必要があった。
一方フロドとサムは、エミン・ムイルの険しい地形を前に立ち往生していた。何日も彷徨っているが方角が定められず、同じ場所を堂々巡りして出口が見付からなかった。それに追跡してくる不穏な影があった。
ある晩、フロドとサムは眠った振りをして自分たちを追跡する何者かを待ち伏せた。現れたのは指輪に取り憑かれし者ゴラムだった。ゴラムを捕えたフロドとサムは、エルフのロープで縛り上げ道案内をさせる。
その途上で、ゴラムはフロドを旦那として「いとしいしと」に懸けて従うと誓った。これを信用したフロドはゴラムをロープから解放し、道案内をさせた。
やがてエミン・ムイルを脱出し死者の沼地に達した。そこは人間とエルフの連合軍がサウロンの軍勢と戦った神話の舞台だった。あれから数千年の歳月が流れているものの、いまだにその周辺の沼地は浄化されず、怨霊たちが犇く呪われた大地になっていた。
そんな場所を抜けてようやく黒門の前へと到着する。だが黒門はオークたちの厳重な見張りで一分の隙もなかった。黒門が通行不能とわかると、ゴラムは実は秘密の道があると告げる。
サムは反対したがフロドはゴラムを信用して南へと進路を改める。
その途上で、オリファントを連れた南方人の軍団を目撃する。しばらく見ていたフロドたちだったが、突然何者かが南方人たちを襲った。ファラミアを中心とする要撃隊だった。
フロドとサムは戦闘の中心から逃れようとしたが、ファラミアにスパイと疑われ、捕まってしまう。ファラミアはボロミアの兄で、オスギリアスを守る戦士であった。ファラミアはフロドが力の指輪を持っていると知ると、その身柄を拘束しゴンドールへと連れて帰ろうとした。
総制作費340億円、撮影は1年半に及ぶ大掛かりなものだったが、何と第1作目の公開で1050億円という莫大な利益を得た。第2部以降はどうやっても黒字になる。制作会社はクオリティアップのための追加撮影と新技術開発の追加予算を快く了承した。
第1部の緩慢さはどこへやら第2部『2つの塔』は激流の勢いで物語が滑走していく。壮大に思えた第1部は単にプロローグに過ぎず、もっと大きなドラマを描くための準備期間に過ぎなかったのだ。
物語の舞台はラウロスの大瀑布を抜けてローハン草原へと入っていく。そこから先は人間達の住処である。第1部におけるような妖精や小人たちの住まいではない。しかもそこはすでに戦いの気配が迫り、渾沌とした危険がまとわりついていた。
もはや小人が楽しい冒険を歌にして歌ったり、魔法のアイテムが絶体絶命の危機を救ってくれたりもしない。そこは「望みを失った」土地であるのだ。
第2部にはエントやオリファントといったデジタル・キャラクターが登場する。第1部の不安定な感じはなくなった。たった1年で技術面は驚くべき進歩を遂げた。また第1部で整い過ぎている印象のあったプロップ(小道具)は埃と油が擦りこまれ、俳優達も徹底的に汚れ、本物らしい質感を与えている。ただしレゴラスだけはエルフなのでまったく汚れない。
第1部が冒険物語だったのに対して第2部は戦いの物語である。主人公達には次々と容赦のない試練が突きつけられる。ワーグの斥候に空中はワイバーンが飛翔し、ウルク=ハイの大軍勢が結成されようとしている。
剣を振り回しての戦いばかりではない。エドラスの黄金館へ行くとサルマンの放ったスパイがセオデン王を悪の道へと唆そうとしている。旅の仲間たちは力だけでなく智恵も勇気も、その資質を極限まで試されようとしているのだ。
ゴラムの演技にはアンディ・サーキスの演技が素体に使われている。体の動きや表情の動き、俳優との接し方などが参考にされ、ホスト・プロダクションでアンディ・サーキスを抜き取りアニメーターがデジタルキャラクターを当てはめた。
またゴラムの手付けアニメーションを担当したデジタル・スタッフには日本人がいる。ハリウッド映画は何もかも外国人が作りし物、というイメージを抱きがちだが、実際にはデザイン、アニメーションの分野で多くの日本人が活躍している。
第2部において特筆すべきは飛躍的に進歩したデジタル技術である。その驚嘆すべき成果として登場したのがかのゴラムだ。まさにデジタル技術が生んだ子供、人間とテクノロジーの結婚が生んだ子供だ。
ゴラムはそれ以前にありがちな主人公達を襲ってくる怪物CGとあらゆる点で違う。ゴラムは人間と同じように言葉を話し、俳優と共演し、物語の語り部となるべき存在なのだ。
その驚くべき存在感はあまりにも生々しく、我々はゴラムと接すると共感と嫌悪を同時に抱く。あのゴラムを見ると、生命を持った生き物であると疑いなく信じさせるものがある。
我々はすでにゴラムを単にデジタルキャラクターとしてではなく、生身の人間と認識している。CGはもはや映画を彩る装飾品ではなく、俳優の1人として考えるべき時がやってきたのだ。
ゴラムの技術は文句なしの喝采を浴びてその年のアカデミー賞をもたらし、技術的問題を理由に凍結していた多くの映画の企画を再スタートさせた。ゴラムの影響は想像以上に大きく、映画の歴史を一歩前進させたのだ。
小説翻訳版では瀬田貞ニが考案した多くの和名が登場するが、劇場版は原語通りに修整された。しかし「つらぬき丸」や「飛蔭」「死者の沼地」といった言葉はなぜか和名の通り残された。
また忘れてはならないのは群集を統括する『マッシヴ』と呼ばれるシステムである。『マッシヴ』は集団をシュミレーションし、これまで多くのエキストラと手間、それから予算を必要としていた群集シーンをデジタル上で完璧に描いてみせるソフトだ。
これが活用されたのはウルク=ハイの軍勢だ。ウルク=ハイは訓練されたスタントに数時間かかるメイキャップを施し、鍛冶職人が鍛えた本物の甲冑を身に着けなければならない。
そうするとどう考えても人数的限界に直面する。メイキャップアーティストだけでも数百人が映画制作に参加していたが、それでもどう考えても数万人のウルク=ハイを描くには足りない。そんなときに活用されるのがマッシヴだ。
マッシヴの効果は絶大なものだった。角笛城での激しい戦いはほとんどマッシヴで描かれたものである。見分け方はクローズアップされた質感まではっきり見える映像が実写で、ロングサイズで群集を見せる構図がビガチュア+マッシヴだ。だがそんな見分けを考えさせないほどマッシヴで作られた映像は精巧で、戦闘の激しさは凄まじい力があった。
黄金館はスカンジナビアの伝承『ベーオウルフ』からほぼそのまま採用されている。『指輪物語』は多くの神話、伝承を元素に描かれている。特に『古エッダー』からの影響は大きく、ガンダルフや『ホビットの冒険』の登場人物の名前はほぼここから引用されている。
第2部は妖精世界の物語から人間世界への物語へと移行する。つまり我々の文化に近いところにやってくるのである。中心舞台となるローハンの自然は美しいがどこまでも過酷な厳しさを感じさせてくれる。エドラスの風景は歴史を感じさせる古さがあり、衣装も調度品も文化の高さを感じさせると同時にそれがまとっている匂いを感じさせる質感も持っている。
そこは人間の世界なのであり、すでに妖精世界ではないのだと思い知らされる。そんな世界を背景に、人間は髪をぼさぼさ服はぼろぼろ肌は泥だらけになって旅を続け、戦いの血生臭さを容赦なく描いている。背景となる文化が徹底して描かれ、戦いの描写は圧倒的な力強さを持ち、ふとするとファンタジー映画であると忘れて歴史映画に接しているような気分にさせる。
第1部がファンタジーの世界観を魅せる作品であるのに対して、第2部は人間を描いた作品である。だから登場人物のクローズアップがより魅力的に生き生きと感じられる。物語にはご都合主義の権化である魔法の力に制限がかけられ、人間が決死の覚悟でぶつかり合い、ドラマを紡ぎ上げている。また自然の風景が中心となり、原作で記述されたどおりの平原や岩場、ファンゴルンの森といった舞台が次々に登場する。その風景の美しさに圧倒されると同時に、もはや『指輪物語』が空想物語であるとは思えなくなってしまう。
ローハンを舞台にした戦いの1つ1つは容赦のない迫力だ。甲冑を泥だらけにして血にまみれ、犠牲者を出しながらなおも戦い続ける。我々が目撃しているのはまさに歴史上の英傑たちの戦いなのだと思わせられる。
原作ではまずアラゴルンたちの物語、全てが終ってからフロドの物語と分割されていた。劇場版では時系列順に整理され、カットバックを使いながら進行していく。これが「何がおきるかわからない」緊張感を生み出し、物語に絶え間のない連続性を作り出している。
さらなる勢いを付けて滑走する『ロード・オブ・ザ・リング』の物語だがまだ全体の3分の2だ。本当のクライマックスへ向けて、ドラマはさらに過酷な局面へと入っていく。
戦士達はどこまでも深い渾沌の中へと躊躇いもなく飛び込んでいく。そこにあるのは戦いと死の無限の連鎖だ。自身も一瞬の隙で、あるいは躊躇いで、あるいは不運のために死んでしまうかもしれない。戦士達はいつでも恐ろしい障壁を前にして引き返す機会がある。
だが誰一人として引き返そうとしなかった。彼らは暗黒の狂気に捉われ、破壊と殺戮を望んでいたのか。それとも自らの死を希望していたのか。
いや違う。彼らは信じていた。この深い闇を抜けたそこに光が輝く瞬間があると。それは古里のためであり、そこで待つ子供たちのためであり、その背に世界の全てが背負わされている。
だから戦士達はどんなに傷つこうとも、側で仲間たちが倒れようとも、前に進むのを止めようとしない。自らの使命を知っているから。
目指す場所はこの世で最も暗く、醜い魔物が巣をつくり、冥界が口を開いて待っている場所だ。冥王のいるそこは地獄へと繋がっている。そんな恐怖を知りつつも、戦士達は決して引き返そうとしない。
――何を信じればいい?
望みを失ったこの世に、望みが失われた瞬間に。できるのはただ一つ、信じるだけ。希望を失わず耐えるだけ。命を懸けて戦うに足りる、尊い世界のために。
小さな望みはもっとも小さな者たちに託されて、使命は必ず果たされると信じ、戦士たちの旅はまだ続く。
第1章『旅の仲間』を読む
第3章『王の帰還』を読む
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作品データ
監督:ピーター・ジャクソン 原作:J・R・R・トールキン
脚本:フラン・ウォルシュ フィリパ・ボウエン
コンセプチュアルデザイナー:アラン・リー ジョン・ハウ
音楽:ハワード・ショア 主題歌:エミリアナ・トリーニ
撮影:アンドリュー・レスニー 編集:ジョン・ギリバート
衣裳:ナイラ・ディクソン リチャード・テイラー
出演:イライジャ・ウッド イアン・マッケラン
〇 ヴィゴ・モーテンセン ショーン・アスティン
〇 ビリー・ボイド ドミニク・モナハン
〇 オーランド・ブルーム ジョン・リス=デイヴィス
〇 ショーン・ビーン アンディ・サーキス
〇 ケイト・ブランシェット リヴ・タイラー
〇 マートン・ソーカス イアン・ホルム
〇 バーナード・ヒル ミランダ・オットー
〇 カール・アーバン デヴィッド・ウェンハム
〇 ブラッド・ドゥーリフ クリストファー・リー
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