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■2016/05/08 (Sun)
創作小説■
第6章 イコノロギア
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6
ダイハツ・ムーブは高速道路に入っていた。高速道路の入口は深夜にも関わらず、明るく光を放っていた。ダイハツ・ムーブはインターチェンジを登りつつ、加速した。高速道路に入ると、ダイハツ・ムーブは順調な速度で走った。
「ルリお姉ちゃん、どうなったんやろ」
ツグミは左の窓をぼんやり眺めながら、呟いた。ダイハツ・ムーブの周囲に車の陰はなく、1人きりで走っているみたいだった。単調な防音壁の風景がずっと続き、オレンジの光がゆるやかに霞んで、鬼火の炎がふわふわと浮かんでいるように見えた。この世とあの世の端境に、迷い込んでいるように見えた。
「大丈夫や。今頃はかなちゃんに引き渡され、警察に救助されたはずや。あの子なら、ちゃんとやってくれるはずや」
ヒナは、かな恵への信頼を滲ませる。「かなちゃん」というのは、もちろんかな恵のことだ。プライベートな場では、かなちゃんと呼んでいた。
ツグミはやっと安心するような気分になった。
宮川が姿を消した。コルリが救助された。ヒナが解放された……。
これで一件落着じゃないか。ツグミはそう考えて、体から力が抜けるように思えた。
「これで全部おしまいなんやね。良かったわ。これで私たち、元通りの生活ができるんやね」
ツグミは解放された気分になって、両手を組み合わせて、ゆったりと背伸びした。
「それは違うで、ツグミ。元通りにもなってへんし、終わってもない。全部きっちりと終わらせへんと、また同じ形に戻るだけや」
しかしヒナは、むしろ声と表情を厳しくした。
「何で? もう終わりでええやん」
ツグミは困惑して反論した。
ヒナは厳しい顔のまま、首を横に振った。
「終わるときはな、宮川が死ぬか、逮捕されるかのどっちかや。あいつは絶対に許されへん。あいつを警察に逮捕させるんや。それまで絶対に終わらへんからな」
ヒナの言葉がどんどん激しくなっていく。
「ヒナお姉ちゃんは、まだ諦めてへんの?」
ツグミは、怒っているヒナがちょっと恐かった。
「当たり前や! こんなところで終われるか!」
ヒナは一気に感情を爆発させた。
ツグミはびっくりして首を引っ込めた。
ヒナはすぐに我に返った。
「ごめん。ツグミに怒鳴ったんちゃうで。本当ごめん」
ヒナの顔にかすかな自己嫌悪のようなものが浮かんでいた。指の先がまだ興奮を残していて、震えていた。
ツグミはヒナが怒鳴る場面なんて初めて見た。シートベルトを締めていなかったら、飛び上がっていたところだった。
しかし、ヒナから感じたのは怒りというより、心の解放だった。ちょっと恐かったけど、もしかしたらヒナ自身は今、自身の心の解放を求めて進もうとしているのではないか、という気がした。
そんなふうに思うと、ツグミはヒナを同情したい気持ちになったし、協力しようという考えに気持ちが定まり始めた。
「でも、どうするん? もう手がかりは何もないんやろ」
ツグミはうつむいて懸念を口にした。
「川村さんや。川村さんを見付け出すんや。川村さんが現れるところに、宮川は絶対に姿を現す。川村さんが最後の手がかりや」
ヒナの言葉は攻撃的だった。そんなふうに誰かに感情を向けるヒナを、ツグミは初めて見た。
「ヒナお姉ちゃんは、川村さんに会ったことあるん?」
ツグミは個人的興味で訊いてみた。
ヒナは顔を横に振る。
「ううん。一度も。でも作品は何度も見た。全部『合奏』やったけど。あれは見事やったわ。コンピューターに取り込んで画像を重ねてみても、誤差ゼロやからな。クラクリュール(※)までぴったりや。あんなの初めて見た。あまりに精度が高すぎて、研究員が匙を投げるほどやったからな。川村さんは本物の天才やで。1回、お目に掛かりたいわ。宮川はな、川村さんが作った贋作を見破るために、ああいう設備を作ったんや。それを鑑定したのが、私なんやけど」
つまり、ヒナは宮川の犯罪に、協力させられていたわけだ。ヒナは川村への尊敬の後に、少し自嘲的になった。
「それで、真画は見つかったん?」
ツグミは川村の武勇伝でも聞いているみたいで、心地よかった。
ヒナは答える前に、1度、溜め息をついた。
「宮川はこれまでに、4枚の『合奏』を手に入れた。精確な科学鑑定の結果――全て『真画』という判定が下された。贋物を示すものが何も出てこおへんかったんや」
ヒナの溜め息は感嘆だった。ツグミも唖然とした息を漏らした。
『合奏』がすでに4枚。しかも、全て『真画』という判定が下された。とてつもない話だった。
※ クラクリュール 年月を経た絵画の表面に現れる、こまかいひび割れのこと。絵具や乾燥剤が収縮することによって発生する。自然にできるものなので、人工的に作られたひび割れと、明らかに違う状態で現れる。そのため、真贋を見分ける時に重要な役割を果たす。物語中のように、クラクリュールまで完全一致させるのは不可能。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです
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