■ 最新記事
(08/15)
(08/14)
(08/13)
(08/12)
(08/11)
(08/10)
(08/09)
(08/08)
(08/07)
(08/06)
■ カテゴリー
お探し記事は【記事一覧 索引】が便利です。
■2009/08/25 (Tue)
シリーズアニメ■
前巻までのあらすじ(第9集より)
新政府の名により欧羅巴(ヨーロッパ)にオランダ兵法学びにゆくも、当地の流行戦術はアメリカ式のショック、アンド、アー。待ち受けていたのは地下鉄初乗り千円というユーロ高。日本政府PR漫画を現地で依頼するも、フランス新人漫画家の原稿料一枚90ユーロから、という事実に憤る。「某社で10年やったよりも高いじゃないか、ラセーヌの星に謝れ!」そんなかんじで望は巴里の屋根の下、欝になり、救いを求め奇想科学の世界に傾倒していく。街で行く人行く人にエスペラント語でランプ亡国論を唱え、セーヌ川にて自作の蒸気汽船「卑弥呼」で海上火災騒ぎを起こし、屈辱をバネにする「バネ男」としてロンドンの貴婦人たちを恐怖のどん底に叩きつけた。「欧米列強よ、恐るるに足らず! 亜細亜は私の科学が守る!」とパタゴニアのUFO基地を目指す。そんな時、祖国より「至急帰国サレタシミヤザキアオイ結婚」の電文が届く。
ああサプライズだよ、と私はうつろに呟くのであった
原作第153話 昭和83年9月17日
誰かが教室の扉を開けた。丸井は視線を感じて振り向く。すると教室の入口に、久藤が立っていた。原作第153話 昭和83年9月17日
「丸井さん、相談したいことがあるんだけど、放課後ちょっといいかな?」
「え! あ、……はい」
丸井は動揺しながら頷いた。久藤は軽く片目を閉じて合図を送ると、教室を去っていった。
でも丸井は、胸の動揺が収まらなかった。
どどどどどどど、どうしよう! そんな、私と久藤君が……。心の準備が!
間もなく放課後がやってきた。丸井は久藤と一緒に、廊下を曲がった先にあるバルコニーに出た。
「今度の読書週間のポスターなんだけど、白地に緑と緑字に白とどっちがいいかな?」
久藤は手に丸めたポスターを持ちながら、話を始めた。
「え……? あの、何の話をしているのでしょう?」
丸井は物凄い空振りをしてしまった後のように訊ねて返した。
「だから、相談があるって言ったでしょう? 丸井さん、美大目指しているんでしょ」
久藤は爽やか少年の微笑を湛えたまま、手に持っていたポスターを広げてみせた。読書週間のポスターだった。
丸井が教室に戻ってきた。
「呼び出されててっきり告られるかと思ったら、何事もなく、逆にサプライズ!」
過剰なサービスが氾濫する今の世の中、何も事件が起きないほうがむしろサプライズなのだ。
例えば、本当の誕生日に友人から――「みんなで飲んでいるから来いよ」と電話があって、てっきり祝ってもらえるものとのこのこと出かけていくも、フツーに飲んで、フツーにワリカンでお金を支払って、何もなくフツーにバイバイする感じ。
あるいは選挙前に、もう何年も会っていない友人から電話が掛かってきて、フツーに昔話をして、何事もなく切る感じ。
また、最近のコンサート。アンコールがなくてむしろサプライズ。
中央線、何の事故もなく定刻どおりやってくるとむしろサプライズ。
こんな生活して健康診断受けて、何事もなくてむしろサプライズ
深夜自転車で走っていて、警官とすれ違ったのにスルーされてむしろサプライズ。(リアルにありますよねぇ)
いろいろとありすぎる現代。過剰に事件が折り重なる今の日本。何事もなく、平静で平凡である現象こそが特別になっている。そんな逆転の時代を描き出す。そんな物語の最後に、マリアが言う。
「日本人わかってないな。この国の、何もない平和な日常が、サプライズなんだよ」
絵コンテ:板村智幸 演出:龍輪直征 作画監督:岩崎安利 色指定:石井理英子
告白縮緬組
原作第165話 昭和84年1月7日掲載
ある冬。登校中の千里は、交番の前で佇む糸色望に気付く。深い憂いを沈めた糸色先生の顔……。千里は何かが起きたと察して近付こうとした。原作第165話 昭和84年1月7日掲載
すると、望は交番の入口に、掌を手首を重ねて差し出した。
「私が……、やりました」
重く、呟くような声だった。
「先生! いったい何をやらかしたんですか!」
千里は慌てて望の前に走り、声をかけた。
望が千里を振り返った。長い長い間を置いて、
「何も」
望の顔に、さっきまでの憂いも重い空気もなくなっていた。
「でも、今!」
それでも千里はまだ動揺が胸から去らず、望に身を乗り出した。
「いやこれは、自首トレです。――自首するトレーニングですよ」
「何でそんなことトレーニングする必要があるんですか!」
しれっと答える望に、千里は怒鳴って返した。望への心配が、一気に憤慨に置き換えられた気分だった。
望は、そんな千里を宥めるように、何かを諭すような顔を始めた。
「自ら罪を認めるのは難しいことです。その時、あなたは自首できますか? 何かの拍子で罪を犯してしまったとき、ハナから罪を認め、謝っておけば大事にならずに済んだのにということが多々あります! 非を認めることのできなくなった今の日本人には、このトレーニングが必要なのです!」
望の騒がしい説教を聞いてなのか、交番の制服警官が出てきた。
「で、あんたは何をやったんだ?」
「だから自首トレーニングですよ」
「何を言っとるんだキミは!」
当然の反応だ。
「先生、自首トレをするなら、犯した罪も想定しないと。イメージトレーニングです。」
千里は望の提案に納得して、ならばと自分からも意見を出した。
望むが少し考えるふうに宙を見上げた。その結果、
「私がやりました。ぷーん」
望は反省していないいたずら小僧のような顔をして、鼻に小指を突っ込んだ。
千里は呆れて溜め息をついた。
「大した罪を想定できていないな。それで自首トレになるか! もっと大罪を! 心の底から悔いる気持ちになって! ……私が、私がやりました! ぅわあああああ!」
千里は望を叱りつけると、全力の勢いで地面に額を落とし、嘆きの声を漏らした。
肩の温まらないうちに本気を出すのは怪我をする恐れがある。だから色んな事件に対し、予防線を張る意味でも自主トレは必要なのである。
例えば犯罪を犯したケースなど、自主トレの必要性が出てくる。一人だけ違うことを言ったり、話が2転3転して辻褄があわなくなってしまったり。
ところで、秘密などをカミングアウトするのを自首という場合がある。
例えば、カツラであると自首したり、
取っている新聞が宗教がらみだと自首したり、
浮気を自首したり、
特殊な趣味を自首したり、
某人気漫画ヒロイン(『かんなぎ』)が非処女であるばかりか、妊娠経験がある、とまでいきなり自首したり、
自首する側だけではなく、される側にとっても自主トレは大切なのである。
絵コンテ:龍輪直征 演出:清水久敏 作画監督:高野晃久 潮月一也 岩崎安利
色指定:石井理英子
最後の、そして始まりのエノデン
原作179話(正しくは160話) 昭和82年12月27日掲載
駅の照明が落ちた。その日の営業は間もなく終了である。だがそんな駅に、列車が一台滑り込んできた。原作179話(正しくは160話) 昭和82年12月27日掲載
――行き先不明のミステリートレイン。
糸色望と可符香の二人が連れ添って、列車に乗り込んだ。
「子供騙しです。行き先不明なんてわけないじゃないですか。他の列車のダイヤとの兼ね合いもあるのですから、最初から到着駅は決まっているはずなのです」
望は可符香と向かい側の座席に座ると、うつむきながら退屈そうに呟いた。
「世の中、そんなことばかりですよ」
望は顔を上げて、沈んだ顔と声で話を締めくくった。
可符香は向かいの席でしおらしく座って、望の話を聞いているようだった。その表情には、いつものぬくもりのある微笑み。
窓の外は照明はなく暗く沈んでいる。しかし、はっきりと移動を感じる。望は窓の外の闇に目を向けた。行き先不明なわけがない。しかしこの列車は、果てしない闇を潜り抜けて、どこに向かおうとしているのだろう。
ふと望の前に、スーツ姿の紳士が現れた。
「あの失礼ですが、学校の先生とお見受け致しました。アンケートにお答えいただきたいのですが」
と紳士は礼儀正しく話しかけてきて、アンケート用紙を差し出した。アンケート用紙には大きな文字で、
“テーマ 教育は死んだのか?”
とお題が書かれていた。
「ん……。別にそうは思いませんけど。よくわからないし……」
望はアンケート用紙をちらと見て、退屈さを隠そうとせずに答えた。
「はあ? でも何か違和感を持つことはありませんか?」
「まあ、ないこともないですけど」
無理に考えを捻れば、そういうのを見付からないわけではない。望が考える様子を見せると、紳士は急に勢いを持ち始めた。
「そうですか、やはりおありなんですね。では、教育現場に何か問題をかかえていると……」
望はうんざりしながら紳士を見上げた。
「“教育は死んだ”そう言わせたいだけなのでは? あなたの中で、結論出ているじゃないんですか?」
望は強い視線で紳士を見詰めつつ、それでいて落ち着き払った言葉を突きつけた。
紳士はその顔に動揺と困惑を浮かべ、逃げるように姿を消した。
ようやく去ってくれた。望は姿勢を崩して、窓際に肘を乗せた。
――最近、やたら着地点の決まっている質問するケースが多い。すでに決定されている結論に着地したいがために、“意見”ではなく“同意”を求めるだけの質問。結局は「そう言わせたいだけだと」という質問。答えはすでに決まっているのに関わらず、質問をする人が増えている。
後ろの座席に、年頃の女が二人、向き合って座っていた。立ち聞きするつもりはないけど、可符香と見詰め合っているとなんとなく会話が耳に飛び込んできた。
「もう、本当に毎日ケンカ……。こんなんじゃ、カレシと別れた方がいいかな?」
「じゃあ、別れたら?」
「いや、でも、悪いところばかりでもないのよ。それに……」
「結論、出てるじゃない」
女の決定的な一言。質問していた女は、困惑と動揺を顔に浮かべたまま、姿を消した。
別の座席でも、対話が始まっているようだった。
漫画家「もうボク、漫画を描くのやめた方がいいですかね」
サンデー編集者「うん、やめれば」
漫画家「いや、でも、でもですね。次になに描こうかとかまったく決まっていないし、この歳で漫画描く以外の仕事ができるかというと、それも難しいし……」
サンデー編集長「何かお辛いみたいで。連載、まだ続けますか?」
漫画家「はい、もう少し頑張ってみようかと……」
サンデー編集長「そうですか。でも、余力のあるうちにやめるのも手だと思うよ。描いているほうも読んでいるほうも新鮮さが無くなるというのは不幸だと思うんだ」
互いに別々の結論が出ている場合もあるようだ。
間もなくミステリートレインが駅で停車した。望と可符香は自分の旅行ケースを持って下車した。
「降りるんですか?」
「ここは巨大なターミナル駅。ここから色んな方面へ行き先が決まっているミステリートレインが出ます」
望が説明した。ずらりと並ぶ線路に、様々なデザインの列車が停まっている。ミステリートレインと自称しつつ、どの列車も行き先は始めから決まっている。
-渋谷の若者は乱れている-
渋谷の若者は乱れているという結論に持っていきたいがために、そんな意見や人種ばかりを集めるテレビのインタビュー。
-ソーイチローの意見-
どんなに議論しても、結局は田原総一郎一人の意見にまとめられてしまう朝生。
-犯人はやつ-
「犯人はこいつだ」と結論付けたいがために、探偵気分で制作されたテレビの取材。
-アニメやゲームの原因-
最近の青少年のモラル崩壊、犯罪の凶悪化、あるいは増加(している、という仮定で)の原因は、アニメやゲームのせいだと結論付けたいために集まり、無駄な議論をする“有識者”会議。そこでは議論も仮定も異論も生まれない。なぜなら、始めの段階に結論、答は決まっているから。もし新しい事実がその道程に浮かび上がっても、決して目を向けようとしない。
思考力を失った、近代日本人。高等教育が全世代に行きわたり、高い知性と豊潤な知識を持ちながら、自身の才能をまったく生かそうとせず、安易で通俗的な回答にすがりよろうとする日本人。自身の力(頭)で何かを生み出す能力を失い、いつか近代文明による生活を失ったとして、その代償を誰が支払うのか。
……絶望した。答えの決まっているミステリートレインに。答えを押し付けたがる現代社会に。自身の力で答えを捜し歩き、見つけようとする努力をしない文明人に!
「さて、我々はこれからどうしますか?」
いつの間にか、駅の列車はあらかた行ってしまったようだった。雪がちらちらと降り始めている。ひっそりと残った照明に、雪の白い色彩が浮かび上がっていた。そんな静けさの中、望は可符香と二人きりだった。
「先生もそろそろ、どの女性を選ぶか、結論を出してみてはどうですか?」
可符香は望に優しい微笑を浮かべながら、提案をした。
「そうですね。誰がいいでしょう?」
望は可符香の微笑を愛おしく思いながら、微笑で返した。
そんな望に、可符香は可愛らしく首を傾げて、少し間を置いた。
「結論、出ちゃっているんじゃないですか?」
望は可符香の表情に少し困惑を感じた。でもそれを振り払うように、頷いた。
そうだ。結論は出ている。どの列車に乗るかも。
望は行き先のわからないミステリートレインに乗るつもりはなかった。もう、心では決心していた。あの終着駅に行く、と……。
あの法案は通るのか/執行猶予はつくのか/年金払ったほうがいいのか/電車、バスを利用するより自転車を買ったほうがいいのか/四期はあるのか/このサブタイトルネタを誰か読んでいるのだろうか
公演:劇団イヌカレー
『懺・さよなら絶望先生』第7回の記事へ
『懺・さよなら絶望先生』第9回の記事へ
さよなら絶望先生 シリーズ記事一覧へ
作品データ
監督:新房昭之 原作:久米田康治
副監督:龍輪直征 キャラクターデザイン・総作画監督:守岡英行
シリーズ構成:東富那子 チーフ演出:宮本幸裕 総作画監督:山村洋貴
色彩設計:滝沢いづみ 美術監督:飯島寿治 撮影監督:内村祥平
編集:関一彦 音響監督:亀山俊樹 音楽:長谷川智樹
アニメーション制作:シャフト
出演:神谷浩史 野中藍 井上麻里奈 谷井あすか 真田アサミ
小林ゆう 沢城みゆき 後藤邑子 新谷良子 松来未祐
矢島晶子 後藤沙緒里 根谷美智子 堀江由衣 斎藤千和
上田耀司 水島大宙 杉田智和 寺島拓篤 高垣彩陽
立木文彦 阿澄佳奈 中村悠一 麦人 MAEDAXR
この番組はフィクションです。実在するリーマン・ブラザーズ、JISマーク、アジア号とは一切関係ありません。
モグピープルを……さのすけを探せ!
今回発見できたのはこの場面だけ。左上隅の、網棚の中。後で繰り返し見たときに気付く場合があるから、他にもあると思う。
背景の記事。左下隅の広告欄に“第5回さのすけを探せ 終了”とある。原作と書かれた位置を同じ。
週刊誌記事の見出しも気になるところだが、面倒くさいのでスルー。
さのすけが見つからなかった代わりに、ちょっとこちら。
久藤が持っているポスターの絵。原作で新たな隠れキャラクターとして確立しつつある。出自は原作第17集・168話。経費節減のエピソードで登場したロボット。本来は青い色で両頬に三本の髭、四次元ポケットが取り付けられるはずだったが、経費削減でそのすべてを省略してしまったロボット。ちなみに原作では、違うデザインのドラえもんもどきが描かれていた。
そのほか気になったもの
今回は京都アニメネタがちらほら。この場面では、背景に『消失』の文字。現在放送中の『涼宮ハルヒの憂鬱』を指しているのだろう。
京都アニメネタ2本目。
堂々と『けいおん!』の文字。自首トレーニングのエピソードで、どうも内容と噛み合っていない気がする。
右の新聞記事、「疑惑探偵…来年の4月…」は何を意味しているのだろう。
京都アニメネタ3本目。
手前の列車のプレートに『エンドレス』の文字。やはり『エンドレスエイト』を意味しているのだろう。確かにあの作品は、行き先がわかっている状態で、8週間も引き伸ばされたのだが。ちなみに、この書き込みは原作にはない。
今度はシャフトの内輪ネタ。
おそらく構成T本人によるいたずら書き。「シャフトのラジオは俺に任せろ 構成T」
ご安心ください。そもそも志願者はいませんから。
シャフト内輪ネタ2。
画像を縮小してしまったのでわかりにくいと思う。「SHAFT」と書かれた表札の家の張り紙に「できなければごめんなさいでいいじゃない ふじい」と書かれている。この場合の「ごめんなさい」はリアルに会社が傾くのでやめましょう。
背景の黒板に、「友愛」「西松」「故人献金」の張り紙が大量に。言うまでもなく「民主党」に絡んだ書き込み。もうすぐはじまる選挙を意識しているのだろう。皆さんも意見はあると思うが、だったらまず選挙に行きましょう。
シャフトいじめ。
またしてもタイトルのエピソード数を間違えた「最後の、そして始まりのエノデン」。原作179話とあるが、正しくは160話。このカット、背景に160話と書かれている。こちらが正しい話数。
サンデー編集者と原作者、久米田康治のやりとり。「リアルな会話」と注釈があったから、ほぼこの通りの会話が実際にあったのだろう。ここからは個人意見なので隠し文字。サンデーに関連する問題は、漫画家雷句誠の訴訟を切っ掛けに、ぼろぼろと明らかになった。だが、雷句誠の発言を追っていくと、そもそもサンデー編集部(小学館?)の社員教育に問題があるのでは、という気がする。作家に対する敬意がない、あからさまに敵意のある作家への発言、行動……。もし接客業だとした場合、そんな店員がいれば確実に店長から厳しい叱責があるはずだろう。言葉遣いは社会行動の基本中の基本だし、さらにいえば雑誌を支えてくれる作家を丁重に扱うのは当り前の話。それができていないわけだから、社員教育を何一つ行っていないのだろう。それ以前に、ちゃんと面接して人材を選択したのかが疑問。サンデーから作家、読者が逃げている状態が続いている。呼び戻すためには連載作品以上にまず内部改革は必要だ。
先送り駅。
……終点なんですね。
先細り駅に佇む、漫画家、久米田康治。「そんなことないよ」と読者に言わせたくて書いたのだろうか。右隅に、「弟子」と書かれている。どうやらこちらは登り調子のようだ
少しだがエンディングに変更が加えられた。今回の最終エピソード、「最後の、そして始まりのエノデン」をイメージしたカットだ。
今週の加賀愛と小森霧
「何事?」と思うかもしれないが、「絶望先生」関連のブログ記事で、加賀愛と小森霧だけやたらクリック数が多いと気付いたので、ちょっとまとめてみた。以前の「加賀愛を探せ」が地味に好評だったので、今後しばらくやっていこうかと。この二人、人気高すぎです。他のキャラクターについても、できるだけ可愛い瞬間を選んでいるはずなのにな……。
最後の、そして始まりのエノデン
今回エピソードの三本目、『最後の、そして始まりのエノデン』は作画、演出ともに「劇団イヌカレー」が担当した。(あくまでも“公演”と表記されているが)これまでに短いインサートカットや、オープニングシーンを担当するケースはあったが、1エピソードすべてを描いたのはこれが多分、初めてだ。
走り書きのような線に、滲んだ色彩。セルアニメーションにはない独特のざらつきが作品全体に漂う。ミステリートレインという題材とうまく調和し、この作品、あるいはこの作家でしかありえない幻想的な空気を生み出している。『ギャグマンガ史上最もスタイリッシュ』という過多書きにぴったりなイメージの展開である。
ちなみに、当ブログはアップロード可能な容量を気にして、いつもはかなり小さな画像で載せるのだが、今回に限り大きめサイズでアップロードした。
絶望絵描き歌
左:寺島拓篤右:後藤沙緒里
寺島拓篤はすでに人間を描こうという努力を怠っている。これは人間ではなく家だ。しかも、家に対し手前のチューリップが極端に大きく描かれすぎている。
後藤沙緒里は辛うじて人間の形となった。どうやら、最後の「かまぼこできた」で、本当に蒲鉾を書くのが内部で流行しているらしい
エンドカード
PR