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■2009/08/24 (Mon)
映画:外国映画■
「今、世界には5億5000万丁の銃がある。ざっと12人に1丁の計算だ。残る課題は――1人1丁の世界」
夥しい薬莢の上に立つユーリー。いかにも典型的なサラリーマン風情といった感じだ。思考回路もサラリーマン的で、商品をいくら売っていくら儲けるしか考えがない。
ユーリーは、幼い頃、家族と一緒にアメリカに渡って来た。
20歳を過ぎるまで、ユーリーはその町が、人生の終点だと思っていた。
ある日、ロシア人レストランで、銃撃戦を目撃する。
ユーリーは、本物の銃撃戦に衝撃的なものを受け、武器での商売を思いつく。
『武器』は魅力的なアイテムである。形としても洗練され芸術的に美しく、自身の肉体を補強してくれそうな幻想を与えてくれる。だが魅力的ゆえに、『武器』は危険でもある。
ユーリーには、武器商人の才能があった。
商売を始めると、ユーリーは瞬く間に成功し、ライバルたちを次々と追い抜いていく。
やがて経済的にも豊かになり、ずっと片思いだったエヴァとも結婚。何もかもが順風に思えた。
しかし、インターポールのバレンタインが、ユーリーを執拗に追い始める。
成功に思えた仕事と暮らしが、少しずつ綻び、崩壊していく。
映画は断片的だが少年兵について触れられる。簡単に人を殺傷できる武器が大量に流通すると、どうなるか。兵士は大人である必要はなくなる。ユーリーの弟という設定のジャレット・レトだが、似ていない。
人間には、得手不得手というものがある。
才能が見出されると、どんな人も情熱的になり、仕事に熱中するようになる。
人には“天職”が必要だ。ユーリーの場合、それが武器商人だった。
武器を見る目利きとしての力。商売口上のセンス。危機を乗り切る、とっさのユーモア。
なにもかもが、武器商人に必要な才能だった。ユーリーは、潜在的にその才能を備えていた。
武器商人として成功していくと、自信とともに傲慢さを身につけていく。商人にモラルは問えるのか?右はアメリカの商人がレーニン像に尻を置いて稼ぎを計算している図。この映画中でも改心のショットだ。
事実に基づく映画だが、物語はやや非現実的に映る。
あまりにも物事がうまく行くし、ウクライナの武器庫へ入っていく場面は「まさか」と思う。
しかし、どの描写も事実らしい。冷戦終結後、格納庫の武器は大量に“どこかに”流出している。
映画は、戦争を題材にしているとは思えないくらい陽気で、リズミカルで、ユーモアに満ちている。前半だけ鑑賞すると、おしゃれな映画でも見ているような気分になる。
左はアメリカ軍が戦地で放置した大量の武器。右は武器の青空市に群がるアフリカ人たち。どこまで実際に基づいて描かれているのだろう、と思わせる場面だ。
だが、これはもう一つの戦争の実態を描いた作品だ。
“なぜ戦争はなくならないのか”
それは武器を売る人間がいるからだ。武器で大儲けできる人がいるからだ。
しかもそういう人達が、我々の頭上で政治を担っている。
国のトップにいる人達こそが、平和を望まぬのだ。
左のカットは多分、大きな十字架だろう。後半は売っている商品に対する罪悪の話になる。だが、もっとも大きな権力が、ユーリーの引退を決して認めない。巨大な力は、巨大な権力の中へ入っていく。
武器商人に必要なのは、多分、無関心と無知だ。
罪の意識や、後ろめたさ。そんなものがあると、当然だが戦争を商売になどできない。
銃撃戦を見るたびに、札束が舞う…。そんなイメージがないと、武器商人は務まらない。
彼らは、自分たちが決して危害を受けない場所で、戦争のたびにいくら儲かるのかそろばんを弾く。
いつか自分が売った武器が、自分を殺すかもしれない。
戦争と死は、彼らの手で広まり、いつか自分のところに返ってくる。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:アンドリュー・ニコル
音楽:アントニオ・ピント
出演:ニコラス・ケイジ イーサン・ホーク
ブリジット・モイナハン ジャレッド・レトー
イアン・ホルム ドナルド・サザーランド
夥しい薬莢の上に立つユーリー。いかにも典型的なサラリーマン風情といった感じだ。思考回路もサラリーマン的で、商品をいくら売っていくら儲けるしか考えがない。
ユーリーは、幼い頃、家族と一緒にアメリカに渡って来た。
20歳を過ぎるまで、ユーリーはその町が、人生の終点だと思っていた。
ある日、ロシア人レストランで、銃撃戦を目撃する。
ユーリーは、本物の銃撃戦に衝撃的なものを受け、武器での商売を思いつく。
『武器』は魅力的なアイテムである。形としても洗練され芸術的に美しく、自身の肉体を補強してくれそうな幻想を与えてくれる。だが魅力的ゆえに、『武器』は危険でもある。
ユーリーには、武器商人の才能があった。
商売を始めると、ユーリーは瞬く間に成功し、ライバルたちを次々と追い抜いていく。
やがて経済的にも豊かになり、ずっと片思いだったエヴァとも結婚。何もかもが順風に思えた。
しかし、インターポールのバレンタインが、ユーリーを執拗に追い始める。
成功に思えた仕事と暮らしが、少しずつ綻び、崩壊していく。
映画は断片的だが少年兵について触れられる。簡単に人を殺傷できる武器が大量に流通すると、どうなるか。兵士は大人である必要はなくなる。ユーリーの弟という設定のジャレット・レトだが、似ていない。
人間には、得手不得手というものがある。
才能が見出されると、どんな人も情熱的になり、仕事に熱中するようになる。
人には“天職”が必要だ。ユーリーの場合、それが武器商人だった。
武器を見る目利きとしての力。商売口上のセンス。危機を乗り切る、とっさのユーモア。
なにもかもが、武器商人に必要な才能だった。ユーリーは、潜在的にその才能を備えていた。
武器商人として成功していくと、自信とともに傲慢さを身につけていく。商人にモラルは問えるのか?右はアメリカの商人がレーニン像に尻を置いて稼ぎを計算している図。この映画中でも改心のショットだ。
事実に基づく映画だが、物語はやや非現実的に映る。
あまりにも物事がうまく行くし、ウクライナの武器庫へ入っていく場面は「まさか」と思う。
しかし、どの描写も事実らしい。冷戦終結後、格納庫の武器は大量に“どこかに”流出している。
映画は、戦争を題材にしているとは思えないくらい陽気で、リズミカルで、ユーモアに満ちている。前半だけ鑑賞すると、おしゃれな映画でも見ているような気分になる。
左はアメリカ軍が戦地で放置した大量の武器。右は武器の青空市に群がるアフリカ人たち。どこまで実際に基づいて描かれているのだろう、と思わせる場面だ。
だが、これはもう一つの戦争の実態を描いた作品だ。
“なぜ戦争はなくならないのか”
それは武器を売る人間がいるからだ。武器で大儲けできる人がいるからだ。
しかもそういう人達が、我々の頭上で政治を担っている。
国のトップにいる人達こそが、平和を望まぬのだ。
左のカットは多分、大きな十字架だろう。後半は売っている商品に対する罪悪の話になる。だが、もっとも大きな権力が、ユーリーの引退を決して認めない。巨大な力は、巨大な権力の中へ入っていく。
武器商人に必要なのは、多分、無関心と無知だ。
罪の意識や、後ろめたさ。そんなものがあると、当然だが戦争を商売になどできない。
銃撃戦を見るたびに、札束が舞う…。そんなイメージがないと、武器商人は務まらない。
彼らは、自分たちが決して危害を受けない場所で、戦争のたびにいくら儲かるのかそろばんを弾く。
いつか自分が売った武器が、自分を殺すかもしれない。
戦争と死は、彼らの手で広まり、いつか自分のところに返ってくる。
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作品データ
監督・脚本:アンドリュー・ニコル
音楽:アントニオ・ピント
出演:ニコラス・ケイジ イーサン・ホーク
ブリジット・モイナハン ジャレッド・レトー
イアン・ホルム ドナルド・サザーランド