■ 最新記事
(08/15)
(08/14)
(08/13)
(08/12)
(08/11)
(08/10)
(08/09)
(08/08)
(08/07)
(08/06)
■ カテゴリー
お探し記事は【記事一覧 索引】が便利です。
■2012/07/24 (Tue)
ゲーム■
前回を読む
プレイ時間:67時間15分
全キャラクター99段。
私にとって、いやPCエンジンユーザーならば、このゲームに特別な感慨を持たぬ者はいないだろう。『天外魔境Ⅱ』それはゲーム史における一つの伝説である。
当時、最大のバジェットを投入した前例のないスケールで、常識を覆す圧倒的な演出、史上最長のシナリオ、史上最大の広がりを持ったマップ、豪華声優出演陣、なにもかもが型破りな体制で制作されたそれは、ゲームと呼ばず一大叙事詩である。
それを20年ぶりに遊んでみると……想像以上にショボかった。う~ん、こんな感じだったっけ。20年の時間は埋められない。ゲームがいかに変わったか、よくよく思い知らされる作品である。
当 時、“桁外れ”と宣伝されて、実際その通りな豪華な予算と技術が注ぎ込まれたはずの作品なのに、いま遊んでみると、素人制作の同人ソフトにすら届かない ゲームだった。時代と技術がいかに変わったか、をしみじみと考えずにはいられない。「思い出補正」は実際のものに直面すると、瞬く間に崩壊する悲しいもの である。
それでも、史上最長のシナリオ、史上最大のマップは健在である。最近でも、ここまでの長さと広大さを持ったゲームはなかなかお目にかかることはできない。CDの容量(せいぜい700MB。これでも当時は「何でも入る」と言われていた)をムービーなどで水増しせず、限界ぎりぎりまで突っ込んだ執念には今でも圧倒されるものがある。(しかも、これでも相当に削ってなんとか無理矢理押し込んだそうだ)
声 優の演技にも注目だ。出演俳優は24人……だっただろうか。当時のゲームとしては、これでも多いほうである。しかし登場キャラクターは何人いるのだろう? 出演俳優の人数と登場キャラクター数が明らかに釣り合いとれていないので、新しいマップに入るたびに何らかの役で永井一郎さんの名調子が聞ける。ある意 味で贅沢な作品である。(絹役の井上あずみは……当時は注目の声優だったが、いま演技を聞き直すとひどい棒読み。当時は演技云々なんて何も考えてなかったなぁ)
ニ ンテンドーDSのスペックではなかなか再現できず、残念に思えたものもある。音楽である。『天外魔境Ⅱ』のもう一つの目玉は、当時ジブリアニメの音楽担当 で人気だった久石譲である。ニンテンドーDS版は久石譲のオーケストラを再現しようとした痕跡はあるものの、音割れが激しい。音が妙に弱々しい。知らない 人に聞かせても、オーケストラだと気付かないのではないだろうか。
ゲーム中音楽も、オリジナル版ではなくアレンジバージョンが使用されて残念だった。オリジナル版を知っていて、そちらに愛着を持っているからだろうが、音楽はやはりオリジナル版がいい。オリジナル版のほうが勢いがある。
『ファ イナルファンタジーⅢ』のリメイク版でも思ったことだが、音楽がアレンジ版になると、オリジナル版本来が持っていたメロディの強さが失われるように思え る。『ファイナルファンタジーⅢ』のほうは実はオリジナル版のサウンドトラックを持っているのだが、制限の厳しいファミコンの音源でありながら、制限を感 じさせない豊かさと力強さ見事に表現している。今でもたまに聞くくらいである。アレンジ版になると、なぜかその豊かさ、力強さが失われるのである。なんと なく全体がぼんやり曇っているような感じ。『天外魔境Ⅱ』の音楽にも同じようなものも感じた。
表現についても、時代の遍歴を感じさせずにはいられなかった。『天外魔境』シリーズはある種のエグさも個性だった。しかしリバイバル版ではオリジナル版が持っていた苦みが取りさらわれていた。
例えば石見の浜田村の豚……ここではある時、突然に豚が大量発生して、村人がありがたがってその豚をおいしくいただくのであるが、実は……。しかし、リバイバル版では毒も何もない表現に差し替えられていた。あれでは村人が感じたショックは伝わらない。
シー ンについても、変更のある場面があった。『天外魔境Ⅱ』の最大の名シーンといえば、絹が○○するあのシーンだろう。が、ここでも相当の変更があった。血が 出る瞬間は全て削除。音楽はシーンの長さに合わせてぴったりに作られているのだが、シーンが短くなったため、音楽が途中で終わってしまう。技術の変化で シーンがショボくみえるのも仕方ないことだが、途中でシーンが切り捨てられるのがあまりにも残念だった。
改竄はアイテムの名前にまで及んでいた。例えば「人肉切包丁」。言うまでもないが、呪われたアイテムである。装備してはならない。これがリバイバル版では「人」の文字が消えてただの「肉切包丁」。これでは呪われたアイテムだと思わず、普通に装備してしまうじゃないか。
もっ とも許せない変更は主人公卍丸の攻撃命中率である。とにかく当たらない。いくら攻撃しても敵にヒットしない。序盤の雑魚にすらなかなか攻撃が当たらず、そ のうちにもピンチに、という事態も珍しくない。カブキ団十郎が仲間になるまで、攻撃がなかなか当たらない、戦闘がなかなか進行しないことにひどいストレス を感じた。いったい何を考えて、卍丸の攻撃命中率をここまで低くしてしまったのだろうか。変更を提案した愚か者の首を絞めたくなる。
良かったと思うのはローディングゼロ(PCエンジンは読み込みが長い上に、よくエラーを出した)と、2画面である。下画面はPCエンジン版と同じ内容のもの、上画面は補助的なマップ画面やステータスの表示だったが、たかがこの程度でもありがたかった。何しろ、マップ画面に切り替える必要がない(天外魔境Ⅱはマップが尋常ではないくらい広大で、頻繁にマップ画面に切り替える必要があった)。そのぶんのストレスが取り払われる。
戦 闘中はステータスが表示されているわけだが、次の段までの残り経験値が表示されているのがありがたがった。「関係あるの?」と思われるかも知れないが、次 の目標を表示してくれることが、レベル上げのモチベーション維持に繋がった。何もなしにただ盲目的にレベル上げをせよ、といったら99段まで上げられず挫 折しただろう。
あまり壮大すぎる目標は圧倒されるだけである。確実に挫折する。目の前に確実に見える目標を設定し、それを目指していく。そうしないと、大きな目標に辿り着くことはまず無理である。挫折せずに目標を達成する方法、これはよくよく心得るべきである。
プレイ時間:29時間42分
ネット評判があまりに良かったので、どんなものか是非やってみようと思ったのだが、これが詰まらなかった。
面白くなかった理由? それはRPG要素だ。
ゲームはスーパーファミコンで一通りの文法を完成させた後、ひたすらジャンルを複合化す る道を突き進み続けた。アクションゲームに、シュミレーションゲームやシューティングゲームやパズルゲームやRPGなどを継ぎ足して、いかにも前例のない 斬新なオリジナルタイトルの素振りをしたまがい物オリジナルソフトが何本も量産された。セガサターン、プレステーション期以後、ゲームが新しい感触を提供 し、それがジャンルとして確立した例は多分ないと思う。
その中でもRPG要素は良くない。RPG要素を継ぎ足した途端、レベルさえ上げればすべて の局面はゴリ押しできるようになってしまう。RPG要素を継ぎ足した瞬間、ゲームの作り手も受け手も“攻略法”なんてものを考えなくなる。必要ないから だ。レベルさえ上げれば、どんな敵も倒せるから、攻略できなければレベルを上げればいい、という発想になっている。
それに、プレイヤー自身がレベルアップした、という感覚を失わせてしまう。強くなっているのはゲーム中のキャラクターではなく、プレイヤー自身であるべきだ。
もう一つ『閃乱カグラ』が面白くなかった理由は、“爽快さ”を前面に押し出したゲーム性だ。 “爽快さ”を売りにしたゲームはプレステ2期あたりからじわじわと増えてきたわけだが、私はこの手のゲームが大嫌いだ。なぜならば、ボタンを連打すると、 確かに画面上にもの凄いエフェクトが次々と現れ、簡単な操作で大量の敵がばったばった倒れ、いかにも自分がもの凄い力を得たような錯覚を得ることができ る。
が、単調なのだ。ボタンを連打すれば、同じ感触で同じレベルの“爽快さ”が返ってくるが、これが快感に感じるのは、ゲームを始めた最初のうち でしかない。どんなにボタンを押しても同じように快感が返ってくるわけだから、瞬く間にその感覚が当たり前になり、何も感じなくなる。そうすると、ボタンを連打し続ける行為がただの作業にしかならなくなる。
し かもゲーム内容は起伏の全くない、似たような無個性的な敵がただわらわらと群がってくるだけ。いくら進めても、ステージに明らかに今までと状況が変わっ た、と思わせるような展開はやってこない。似たような平坦なステージが繰り返され、区別不能な敵キャラが次々と出てくるだけである。一応ストーリーに展開 があるものの、実際ゲームが始まったら、前のステージから何ら変化のない繰り返しのステージが続くだけである。
また、常に敵がわらわらと密集して 状況が混乱するので、もしもミッションに失敗しても何が起きたかよくわからない。どうして自分が敗北したのか、状況がわからないので反省のしようがない。 いっそ、画面を見ずにただひたすらボタンを連打しているだけでも、このゲームの場合はいいのである。
私はこのゲームもコンプリートするつもりで丹念にミッションを制覇していったのだが、第3章あたりで挫折してしまった。ゲーム自体が“爽快さ”を売りにしたただの“作業ゲー”でしかなく、しかもキャラクターが5人もいるから(隠しキャラクターを含めると6人)、同じ作業を5回繰り返さないと全ステージ制覇にならないのである。
レベルも簡単に上がるようになっており、第3章あたりまでくると全員最高レベルの50に達してしまう。もう上げようがないので、ゲームにそれ以上の楽しみを見つけられなくなる。
キャ ラクターはよくできている。いい絵描きが描いているし、それぞれの背景もしっかり練り込まれている。キャラクターの対話シーンでのモデリングも、動きが同 じパターンの使い回し、という点は気になるものの、原画のイメージをよく再現している。シリーズアニメ化が決定しているが、そこには納得である。
ただ、パッケージイラストのあの衣装が、忍者装束だと知った時は唖然とした。あれは忍者装束ではない。 普通の制服である。ジャージだろそれは、というのもある。「忍び転身!」と華麗に舞をみせつつ、制服から制服に変わる様を見て、私は茫然としていた。アニ メの世界における「異盛装」はあまり現実的ではない飛躍的な衣装――例えばドレスなどの明らかに「異盛装」とわかるコスチュームであり、「異盛装」をする ことでキャラクターは異界の力を借り、物語は現実とは違う特殊な局面に入るのである。が、『閃乱カグラ』で描かれた「異盛装」は現実世界にごく普通に、普 遍的にある衣装であって、「異盛装」とは言えない。それにそもそも、どう考えても忍者が身につけて忍びそうな格好にも見えない。「異盛装」ではなく、単に 着替えただけ。どうして誰も突っ込まなかったんだ? あと、この子達はセーラー服の方が絶対に似合っている。誰だ、ネクタイにしようと言ったのは。ネクタイで首を絞めてやる。
最 後に、このゲームは確か「3Dで飛び出すオッパイ」が売りだったはずなのだが……実際立体3D視を活用しているのはキャラクターの対話シーン、忍び転身の シーン、脱衣シーンの3つだけ。通常のゲーム中などは、3D機能が完全にオフになっている。何でこんな仕様にしたのかよくわからない。
どうやら続編が発売するようだが、私は買わない。どうせゲーム自体は、似たような(“爽快さ”で偽装された)作業ゲーだろうから。
バイト中、帰りのバスの中で読める本はないだろうか。文庫を入れていたら、紙が折れるしいつの間にか入り込んだ水分でヨレヨレになっているし。しかもバスの中は照明が暗く、文庫は読みづらい。
という時に、そういえばニンテンドーDSのダウンロードソフトに青空文庫があったはずだ、と思い出して購入。20作品入っているのでかなり長く読めるはずだ。500円なので値段も高くもない。
『ガリバー旅行記』が好きなので、久しぶりだから『ガリバー旅行記』を読もうと思ったが、第1ページ目で違和感。書棚の文庫と比較して(持っているわけだが)す ぐに違和感の正体に気付いた。『ちょっとDS文学全集』は抄訳版だったのだ。細かく比較したわけではないが、文庫版の3分の1くらいだろうか。文庫版を読 んでいるからストーリーを知っているのだが、この『ちょっとDS文学全集』から読んだ人には細かいところまでちゃんと伝わるだろうか。
もしもちゃ んと本を読みたい、という人にはお勧めできない。というより、教養の面からいってお勧めできない。私のような状況で、「ちょっと読みたい」という人には何 とかお勧めできそうだ。抄訳版でいいところといえば、話が余計な回り道なしでサクサク進むことだがら、電車やバスでの10分間で読む分にはいいだろう。
『ちょっ とDS文学全集』の中で一番面白かったのは『家なき子』だ。心象描写、状況描写の良さもあるのだが、それ以上に展開がいい。DSは1画面の文字数が少ない のだが、その文字数でおよそ200ページおきに主人公ルミが何かしらの危機を迎えるのである。何かしらの危機にぶち当たり、困難を経て幸運が必ずルミを救 い出す。だいたい200ページ前後のリズムで危機と幸運を繰り返し、一定の緊張感が続くように工夫されているのである。全体を通せば非常に長大だが、 200ページ前後が区切りなっているので読みやすい。
エンターテインメントとして優秀だし、少年ルミの成長物語としても感情移入できる内容になっ ている。前半は幸運が幼いルミを救い出す展開ばかりだが、後半は成長したルミが独力で問題を解決していく展開が感動的である。小さな区切りが連続している から、もしも映像化するならばシリーズ作品が相応しいだろう。原作が優秀だから、よほど監督が無能で、制作が見切り発車しない限り、良作ができるはずであ る。名作劇場の女体化ルミを見なかったことが今になって悔やまれる。
逆に面白くなかったのが『スペードの女王』。
まず文章が素 人。何を表現したいのか不明。物語の視点がどこなのかわからない。物語の半分過ぎたところで、ようやく主人公が判明する始末である。その物語もどこへ向 かっているのか不明で、わかりはじめてくるのがやはり中盤以後である。構成がガタガタで、読者にどんな物語を伝えたいのかわからない。
後半にかけ て、ひょっとしてそれまでをひっくり返す大展開でもあるのか、実は全てに意味があるのかも、と期待したものの、そういうものはまったくなかった。身もふた も希望もないバットエンドがただ突きつけられるだけだった。読み終わった時、結末のあまりのひどさに怒りすら覚えた。
プレイ時間:25時間38分
裏ステージ、マリオ/ルイージ両方でクリア。
ステージの構成が非常に良い。一つ一つのステージに個性があり、それぞれに違う解き方があり、しっかりアイデアを練り込んでいったのがよくわかる。『閃乱カグラ』で変な疲れ方をしたから、このゲームはいい気分転換になった。
し かし――ステージそのもの短すぎる。あっという間に終わってしまう。難易度もかなり低めで、しっかり遊びたいと思っても、ゲーム自体がそれに応えてくれな い。長くとも2分程度で一つのステージが終わってしまう。ゲーム全体を通せばそれなりにステージ数はあるのだが、全ステージを一気にクリアするとしてもあ まり時間はかからないだろう。ステージの構成は、一つ一つは確かに練り込まれているが、その一方でワールドごとの個性が薄れてしまっている。どうせなら、 1ワールドすべてに『ゼルダ』モチーフのものを作って欲しかった。
スターコイン収集というおまけ要素もあるのだが、その隠し方があまりにも簡単で、どことなく知育ソフトに接しているような感覚すらある。
全体を通して拍子抜け、喰い足りなさの残るゲームだった。
裏ステージの存在で、ある程度納得した。裏ステージはそこそこの難易度で楽しみがいがある。
簡単すぎる、短すぎる、という欠点はあるものの、スターコイン収集、各ステージでタイムを縮めていくなどの傍流の要素もあるので、まあまあそれなりに楽しめたかな、という気はする。
最終ステージ【8-王冠】の存在には参った。あまりにも場違いな凶暴難易度。なんとかマリオ/ルイージ両方でクリアできたものの、もう一度やろうという気にならない。変なところで両極端なゲームだった。
プレイ時間:5時間50分
体験版で遊んで、あまりにも気になったので購入。初音ミクが可愛い。初音ミクがあまりにも可愛い。とにかく初音ミクが可愛い。これだけで私は満足だった。
私はリズムゲームが苦手で、「ホドヨク」までしか遊んでいないのだが、それでもとりあえずエンディングまで見せてくれる親切さがありがたがった(「ラクラク」でもエンディングまで行ける)。「トコトン」モードは私には無理。
このゲームはほとんど遊んでいないのだが、損な買い物とは思わない。時々ニンテンドー3DSに設置し、のんびりPVを見るのを楽しんでいる。
エンドクレジットのモーション・アクターの中に、小倉唯の名前を見つけた。たぶん声優の小倉唯だろう。まさかモーション・アクターまでやりこなすとは。まだ若いのに驚くべき才能である。
小倉唯には早く“当たり役”を見つけて欲しいところである。『神様のメモ帳』のアリス役は相応しいと思ったのだが、作品自体が不評だった(私は批判されるほど悪い作品だとは思わなかったが)。
プレイ時間:73時間37分
キャンペーンモード、難易度HELLクリア。レイドモードはぼちぼち攻略中。
私 の『バイオハザード』の思い出は、プレイステーション最初期に発売された第1作目の『バイオハザード』である。当時から『バイオハザード』は特別な作品と してすでに語られていた。今までになかったシーン作り、ゾンビ映画へのリスペクト、迫力のある緊張感、そういったフレーズが様々な批評誌に取り上げられて いた。
果たして『バイオハザード』とはいったいどんなゲームなのだろうか。
期待に胸膨らませて電源を入れた私に襲いかかったものは、ゾンビではなくただの失望だった。
ぺらぺらのビジュアル。のっぺりした光表現。凡庸な演出。ゾンビの質感はぺたっとしたいかにもCG製で、もっともらしさは皆無だ。対話シーンではただ手をひらひらさせる動きの繰り返しだ。冒頭の、素人が裏山で撮ってきたような実写ムービーは落胆を通り越して失笑が浮かんだ(きっと涼宮ハルヒが撮ったに違いない)。
もっとも許せなかったのは、攻撃がまったく敵に当たらないことだった。敵はすぐそこ、目の前にいるのにも関わらず、いくら弾を撃っても当たらない。微妙に左右調整しながら狙いを定めるのだが、どうしても当たらない。結局最初の1体目すら倒せず、弾切れになってしまった。
こんなゲームのどこに魅力があるのだ? 私にはまったくわからなかった。こんな駄作に時間を取られるくらいなら、低予算で制作された監督不明のその辺のゾンビ映画を見ていた方がまだ有意義だ。
あれから16年にもなるのか……。
『バイオハザード リベレーションズ』を手に取ったのはたまたま、ホラー成分が不足しているのを感じていたからだ。あれからどれくらい変わっただろうか、という興味は多少はあった。
『天外魔境Ⅱ』でも似たようなことを書いたのだが、時代が変わったな、という感慨だった。16年も時間があったら、技術や表現方法もまったく違う。当時は救いようのないぺらぺらのゲームだと思ったものが、ここまで進化しているとは想像もできなかった。
濃密な陰影表現。じわじわと期待を持たせる演出。潜水服を着込んだキャラクターの質感もいい。ニンテンドー3DSの性能の高さがよくわかる。主要な舞台は幽霊船の中だが、それでも広がりのあるストーリーで引きつけられるものがある(カプコン内に、巧舟以外でまともな脚本が書ける人間がいたことに驚いた。『鬼武者2』なんてものをうっかりやっていたから、「ゲーム屋には話を書かせてはならない」「ゲーム業界にはストーリーを批評できる人間がまだいない」と思っていた)。ゲーム性の変化も良かった。銃を構えた瞬間、即座にFPSになって、シンプルな標準で敵を狙う仕組みになっている(狙いやすい!)。 このゲームでも2画面の存在感は抜群だった。ほとんどの局面でウインドウを開く必要なく、画面をタッチするだけで簡単にアイテム交換ができる。小さいが マップ表示があるのもわかりやすくて良かった。操作方法にはやや癖があり、慣れるのに時間を要するが、それは批評する点でマイナスにはならない。
難易度が私にはちょうど良かった。まさかここまで長い期間をかけて、深くはまりこむとは思わなかった。鈴木史朗氏がなぜこのゲームに特別な愛着を見せるのか、今なら理解できるような気がする。これはかなりの良作である。
ただ……ゾンビが1体も登場しないのが残念だった。実はこの作品で、私はこのシリーズに登場するゾンビがゾンビではなく、ウイルスに感染した人や動物だと初めて知ったのである。
冒 頭の幽霊船に乗り込んだ直後の、暗く不気味な雰囲気は非常に素晴らしかった。何が来るかわからない、ゾクゾクとくるものがあった。が、その後はモンスター 達は当たり前のように姿を見せ、ただのモンスターパニックものになったのは残念だった。私の気分はホラーをやりたかったのだが。
このゲームは、質 のいい、大きなスピーカーに繋げて遊ぶと楽しみが倍加する。ニンテンドー3DSはスピーカーがいいと言われるが、それでもやはり低級品でも独立したスピー カーの質には敵わない。スピーカーに繋ぐと、低音部分が重さを持って部屋中に広がっていくのがわかるはずだ。音が変わると作品の質自体も変わるような気が するので、これはぜひお勧めしたい。
天外魔境Ⅱ
2011年12月14日購入プレイ時間:67時間15分
全キャラクター99段。
私にとって、いやPCエンジンユーザーならば、このゲームに特別な感慨を持たぬ者はいないだろう。『天外魔境Ⅱ』それはゲーム史における一つの伝説である。
当時、最大のバジェットを投入した前例のないスケールで、常識を覆す圧倒的な演出、史上最長のシナリオ、史上最大の広がりを持ったマップ、豪華声優出演陣、なにもかもが型破りな体制で制作されたそれは、ゲームと呼ばず一大叙事詩である。
それを20年ぶりに遊んでみると……想像以上にショボかった。う~ん、こんな感じだったっけ。20年の時間は埋められない。ゲームがいかに変わったか、よくよく思い知らされる作品である。
当 時、“桁外れ”と宣伝されて、実際その通りな豪華な予算と技術が注ぎ込まれたはずの作品なのに、いま遊んでみると、素人制作の同人ソフトにすら届かない ゲームだった。時代と技術がいかに変わったか、をしみじみと考えずにはいられない。「思い出補正」は実際のものに直面すると、瞬く間に崩壊する悲しいもの である。
それでも、史上最長のシナリオ、史上最大のマップは健在である。最近でも、ここまでの長さと広大さを持ったゲームはなかなかお目にかかることはできない。CDの容量(せいぜい700MB。これでも当時は「何でも入る」と言われていた)をムービーなどで水増しせず、限界ぎりぎりまで突っ込んだ執念には今でも圧倒されるものがある。(しかも、これでも相当に削ってなんとか無理矢理押し込んだそうだ)
声 優の演技にも注目だ。出演俳優は24人……だっただろうか。当時のゲームとしては、これでも多いほうである。しかし登場キャラクターは何人いるのだろう? 出演俳優の人数と登場キャラクター数が明らかに釣り合いとれていないので、新しいマップに入るたびに何らかの役で永井一郎さんの名調子が聞ける。ある意 味で贅沢な作品である。(絹役の井上あずみは……当時は注目の声優だったが、いま演技を聞き直すとひどい棒読み。当時は演技云々なんて何も考えてなかったなぁ)
ニ ンテンドーDSのスペックではなかなか再現できず、残念に思えたものもある。音楽である。『天外魔境Ⅱ』のもう一つの目玉は、当時ジブリアニメの音楽担当 で人気だった久石譲である。ニンテンドーDS版は久石譲のオーケストラを再現しようとした痕跡はあるものの、音割れが激しい。音が妙に弱々しい。知らない 人に聞かせても、オーケストラだと気付かないのではないだろうか。
ゲーム中音楽も、オリジナル版ではなくアレンジバージョンが使用されて残念だった。オリジナル版を知っていて、そちらに愛着を持っているからだろうが、音楽はやはりオリジナル版がいい。オリジナル版のほうが勢いがある。
『ファ イナルファンタジーⅢ』のリメイク版でも思ったことだが、音楽がアレンジ版になると、オリジナル版本来が持っていたメロディの強さが失われるように思え る。『ファイナルファンタジーⅢ』のほうは実はオリジナル版のサウンドトラックを持っているのだが、制限の厳しいファミコンの音源でありながら、制限を感 じさせない豊かさと力強さ見事に表現している。今でもたまに聞くくらいである。アレンジ版になると、なぜかその豊かさ、力強さが失われるのである。なんと なく全体がぼんやり曇っているような感じ。『天外魔境Ⅱ』の音楽にも同じようなものも感じた。
表現についても、時代の遍歴を感じさせずにはいられなかった。『天外魔境』シリーズはある種のエグさも個性だった。しかしリバイバル版ではオリジナル版が持っていた苦みが取りさらわれていた。
例えば石見の浜田村の豚……ここではある時、突然に豚が大量発生して、村人がありがたがってその豚をおいしくいただくのであるが、実は……。しかし、リバイバル版では毒も何もない表現に差し替えられていた。あれでは村人が感じたショックは伝わらない。
シー ンについても、変更のある場面があった。『天外魔境Ⅱ』の最大の名シーンといえば、絹が○○するあのシーンだろう。が、ここでも相当の変更があった。血が 出る瞬間は全て削除。音楽はシーンの長さに合わせてぴったりに作られているのだが、シーンが短くなったため、音楽が途中で終わってしまう。技術の変化で シーンがショボくみえるのも仕方ないことだが、途中でシーンが切り捨てられるのがあまりにも残念だった。
改竄はアイテムの名前にまで及んでいた。例えば「人肉切包丁」。言うまでもないが、呪われたアイテムである。装備してはならない。これがリバイバル版では「人」の文字が消えてただの「肉切包丁」。これでは呪われたアイテムだと思わず、普通に装備してしまうじゃないか。
もっ とも許せない変更は主人公卍丸の攻撃命中率である。とにかく当たらない。いくら攻撃しても敵にヒットしない。序盤の雑魚にすらなかなか攻撃が当たらず、そ のうちにもピンチに、という事態も珍しくない。カブキ団十郎が仲間になるまで、攻撃がなかなか当たらない、戦闘がなかなか進行しないことにひどいストレス を感じた。いったい何を考えて、卍丸の攻撃命中率をここまで低くしてしまったのだろうか。変更を提案した愚か者の首を絞めたくなる。
良かったと思うのはローディングゼロ(PCエンジンは読み込みが長い上に、よくエラーを出した)と、2画面である。下画面はPCエンジン版と同じ内容のもの、上画面は補助的なマップ画面やステータスの表示だったが、たかがこの程度でもありがたかった。何しろ、マップ画面に切り替える必要がない(天外魔境Ⅱはマップが尋常ではないくらい広大で、頻繁にマップ画面に切り替える必要があった)。そのぶんのストレスが取り払われる。
戦 闘中はステータスが表示されているわけだが、次の段までの残り経験値が表示されているのがありがたがった。「関係あるの?」と思われるかも知れないが、次 の目標を表示してくれることが、レベル上げのモチベーション維持に繋がった。何もなしにただ盲目的にレベル上げをせよ、といったら99段まで上げられず挫 折しただろう。
あまり壮大すぎる目標は圧倒されるだけである。確実に挫折する。目の前に確実に見える目標を設定し、それを目指していく。そうしないと、大きな目標に辿り着くことはまず無理である。挫折せずに目標を達成する方法、これはよくよく心得るべきである。
閃乱カグラ -少女達の真影-
2012年3月8日購入プレイ時間:29時間42分
ネット評判があまりに良かったので、どんなものか是非やってみようと思ったのだが、これが詰まらなかった。
面白くなかった理由? それはRPG要素だ。
ゲームはスーパーファミコンで一通りの文法を完成させた後、ひたすらジャンルを複合化す る道を突き進み続けた。アクションゲームに、シュミレーションゲームやシューティングゲームやパズルゲームやRPGなどを継ぎ足して、いかにも前例のない 斬新なオリジナルタイトルの素振りをしたまがい物オリジナルソフトが何本も量産された。セガサターン、プレステーション期以後、ゲームが新しい感触を提供 し、それがジャンルとして確立した例は多分ないと思う。
その中でもRPG要素は良くない。RPG要素を継ぎ足した途端、レベルさえ上げればすべて の局面はゴリ押しできるようになってしまう。RPG要素を継ぎ足した瞬間、ゲームの作り手も受け手も“攻略法”なんてものを考えなくなる。必要ないから だ。レベルさえ上げれば、どんな敵も倒せるから、攻略できなければレベルを上げればいい、という発想になっている。
それに、プレイヤー自身がレベルアップした、という感覚を失わせてしまう。強くなっているのはゲーム中のキャラクターではなく、プレイヤー自身であるべきだ。
もう一つ『閃乱カグラ』が面白くなかった理由は、“爽快さ”を前面に押し出したゲーム性だ。 “爽快さ”を売りにしたゲームはプレステ2期あたりからじわじわと増えてきたわけだが、私はこの手のゲームが大嫌いだ。なぜならば、ボタンを連打すると、 確かに画面上にもの凄いエフェクトが次々と現れ、簡単な操作で大量の敵がばったばった倒れ、いかにも自分がもの凄い力を得たような錯覚を得ることができ る。
が、単調なのだ。ボタンを連打すれば、同じ感触で同じレベルの“爽快さ”が返ってくるが、これが快感に感じるのは、ゲームを始めた最初のうち でしかない。どんなにボタンを押しても同じように快感が返ってくるわけだから、瞬く間にその感覚が当たり前になり、何も感じなくなる。そうすると、ボタンを連打し続ける行為がただの作業にしかならなくなる。
し かもゲーム内容は起伏の全くない、似たような無個性的な敵がただわらわらと群がってくるだけ。いくら進めても、ステージに明らかに今までと状況が変わっ た、と思わせるような展開はやってこない。似たような平坦なステージが繰り返され、区別不能な敵キャラが次々と出てくるだけである。一応ストーリーに展開 があるものの、実際ゲームが始まったら、前のステージから何ら変化のない繰り返しのステージが続くだけである。
また、常に敵がわらわらと密集して 状況が混乱するので、もしもミッションに失敗しても何が起きたかよくわからない。どうして自分が敗北したのか、状況がわからないので反省のしようがない。 いっそ、画面を見ずにただひたすらボタンを連打しているだけでも、このゲームの場合はいいのである。
私はこのゲームもコンプリートするつもりで丹念にミッションを制覇していったのだが、第3章あたりで挫折してしまった。ゲーム自体が“爽快さ”を売りにしたただの“作業ゲー”でしかなく、しかもキャラクターが5人もいるから(隠しキャラクターを含めると6人)、同じ作業を5回繰り返さないと全ステージ制覇にならないのである。
レベルも簡単に上がるようになっており、第3章あたりまでくると全員最高レベルの50に達してしまう。もう上げようがないので、ゲームにそれ以上の楽しみを見つけられなくなる。
キャ ラクターはよくできている。いい絵描きが描いているし、それぞれの背景もしっかり練り込まれている。キャラクターの対話シーンでのモデリングも、動きが同 じパターンの使い回し、という点は気になるものの、原画のイメージをよく再現している。シリーズアニメ化が決定しているが、そこには納得である。
ただ、パッケージイラストのあの衣装が、忍者装束だと知った時は唖然とした。あれは忍者装束ではない。 普通の制服である。ジャージだろそれは、というのもある。「忍び転身!」と華麗に舞をみせつつ、制服から制服に変わる様を見て、私は茫然としていた。アニ メの世界における「異盛装」はあまり現実的ではない飛躍的な衣装――例えばドレスなどの明らかに「異盛装」とわかるコスチュームであり、「異盛装」をする ことでキャラクターは異界の力を借り、物語は現実とは違う特殊な局面に入るのである。が、『閃乱カグラ』で描かれた「異盛装」は現実世界にごく普通に、普 遍的にある衣装であって、「異盛装」とは言えない。それにそもそも、どう考えても忍者が身につけて忍びそうな格好にも見えない。「異盛装」ではなく、単に 着替えただけ。どうして誰も突っ込まなかったんだ? あと、この子達はセーラー服の方が絶対に似合っている。誰だ、ネクタイにしようと言ったのは。ネクタイで首を絞めてやる。
最 後に、このゲームは確か「3Dで飛び出すオッパイ」が売りだったはずなのだが……実際立体3D視を活用しているのはキャラクターの対話シーン、忍び転身の シーン、脱衣シーンの3つだけ。通常のゲーム中などは、3D機能が完全にオフになっている。何でこんな仕様にしたのかよくわからない。
どうやら続編が発売するようだが、私は買わない。どうせゲーム自体は、似たような(“爽快さ”で偽装された)作業ゲーだろうから。
ちょっとDS文学全集
2012年3月12日購入バイト中、帰りのバスの中で読める本はないだろうか。文庫を入れていたら、紙が折れるしいつの間にか入り込んだ水分でヨレヨレになっているし。しかもバスの中は照明が暗く、文庫は読みづらい。
という時に、そういえばニンテンドーDSのダウンロードソフトに青空文庫があったはずだ、と思い出して購入。20作品入っているのでかなり長く読めるはずだ。500円なので値段も高くもない。
『ガリバー旅行記』が好きなので、久しぶりだから『ガリバー旅行記』を読もうと思ったが、第1ページ目で違和感。書棚の文庫と比較して(持っているわけだが)す ぐに違和感の正体に気付いた。『ちょっとDS文学全集』は抄訳版だったのだ。細かく比較したわけではないが、文庫版の3分の1くらいだろうか。文庫版を読 んでいるからストーリーを知っているのだが、この『ちょっとDS文学全集』から読んだ人には細かいところまでちゃんと伝わるだろうか。
もしもちゃ んと本を読みたい、という人にはお勧めできない。というより、教養の面からいってお勧めできない。私のような状況で、「ちょっと読みたい」という人には何 とかお勧めできそうだ。抄訳版でいいところといえば、話が余計な回り道なしでサクサク進むことだがら、電車やバスでの10分間で読む分にはいいだろう。
『ちょっ とDS文学全集』の中で一番面白かったのは『家なき子』だ。心象描写、状況描写の良さもあるのだが、それ以上に展開がいい。DSは1画面の文字数が少ない のだが、その文字数でおよそ200ページおきに主人公ルミが何かしらの危機を迎えるのである。何かしらの危機にぶち当たり、困難を経て幸運が必ずルミを救 い出す。だいたい200ページ前後のリズムで危機と幸運を繰り返し、一定の緊張感が続くように工夫されているのである。全体を通せば非常に長大だが、 200ページ前後が区切りなっているので読みやすい。
エンターテインメントとして優秀だし、少年ルミの成長物語としても感情移入できる内容になっ ている。前半は幸運が幼いルミを救い出す展開ばかりだが、後半は成長したルミが独力で問題を解決していく展開が感動的である。小さな区切りが連続している から、もしも映像化するならばシリーズ作品が相応しいだろう。原作が優秀だから、よほど監督が無能で、制作が見切り発車しない限り、良作ができるはずであ る。名作劇場の女体化ルミを見なかったことが今になって悔やまれる。
逆に面白くなかったのが『スペードの女王』。
まず文章が素 人。何を表現したいのか不明。物語の視点がどこなのかわからない。物語の半分過ぎたところで、ようやく主人公が判明する始末である。その物語もどこへ向 かっているのか不明で、わかりはじめてくるのがやはり中盤以後である。構成がガタガタで、読者にどんな物語を伝えたいのかわからない。
後半にかけ て、ひょっとしてそれまでをひっくり返す大展開でもあるのか、実は全てに意味があるのかも、と期待したものの、そういうものはまったくなかった。身もふた も希望もないバットエンドがただ突きつけられるだけだった。読み終わった時、結末のあまりのひどさに怒りすら覚えた。
スーパーマリオ 3Dランド
2012年4月5日購入プレイ時間:25時間38分
裏ステージ、マリオ/ルイージ両方でクリア。
ステージの構成が非常に良い。一つ一つのステージに個性があり、それぞれに違う解き方があり、しっかりアイデアを練り込んでいったのがよくわかる。『閃乱カグラ』で変な疲れ方をしたから、このゲームはいい気分転換になった。
し かし――ステージそのもの短すぎる。あっという間に終わってしまう。難易度もかなり低めで、しっかり遊びたいと思っても、ゲーム自体がそれに応えてくれな い。長くとも2分程度で一つのステージが終わってしまう。ゲーム全体を通せばそれなりにステージ数はあるのだが、全ステージを一気にクリアするとしてもあ まり時間はかからないだろう。ステージの構成は、一つ一つは確かに練り込まれているが、その一方でワールドごとの個性が薄れてしまっている。どうせなら、 1ワールドすべてに『ゼルダ』モチーフのものを作って欲しかった。
スターコイン収集というおまけ要素もあるのだが、その隠し方があまりにも簡単で、どことなく知育ソフトに接しているような感覚すらある。
全体を通して拍子抜け、喰い足りなさの残るゲームだった。
裏ステージの存在で、ある程度納得した。裏ステージはそこそこの難易度で楽しみがいがある。
簡単すぎる、短すぎる、という欠点はあるものの、スターコイン収集、各ステージでタイムを縮めていくなどの傍流の要素もあるので、まあまあそれなりに楽しめたかな、という気はする。
最終ステージ【8-王冠】の存在には参った。あまりにも場違いな凶暴難易度。なんとかマリオ/ルイージ両方でクリアできたものの、もう一度やろうという気にならない。変なところで両極端なゲームだった。
初音ミク Prject mirai
2012年4月23日購入プレイ時間:5時間50分
体験版で遊んで、あまりにも気になったので購入。初音ミクが可愛い。初音ミクがあまりにも可愛い。とにかく初音ミクが可愛い。これだけで私は満足だった。
私はリズムゲームが苦手で、「ホドヨク」までしか遊んでいないのだが、それでもとりあえずエンディングまで見せてくれる親切さがありがたがった(「ラクラク」でもエンディングまで行ける)。「トコトン」モードは私には無理。
このゲームはほとんど遊んでいないのだが、損な買い物とは思わない。時々ニンテンドー3DSに設置し、のんびりPVを見るのを楽しんでいる。
エンドクレジットのモーション・アクターの中に、小倉唯の名前を見つけた。たぶん声優の小倉唯だろう。まさかモーション・アクターまでやりこなすとは。まだ若いのに驚くべき才能である。
小倉唯には早く“当たり役”を見つけて欲しいところである。『神様のメモ帳』のアリス役は相応しいと思ったのだが、作品自体が不評だった(私は批判されるほど悪い作品だとは思わなかったが)。
バイオハザード リベレーションズ
2012年5月14日購入プレイ時間:73時間37分
キャンペーンモード、難易度HELLクリア。レイドモードはぼちぼち攻略中。
私 の『バイオハザード』の思い出は、プレイステーション最初期に発売された第1作目の『バイオハザード』である。当時から『バイオハザード』は特別な作品と してすでに語られていた。今までになかったシーン作り、ゾンビ映画へのリスペクト、迫力のある緊張感、そういったフレーズが様々な批評誌に取り上げられて いた。
果たして『バイオハザード』とはいったいどんなゲームなのだろうか。
期待に胸膨らませて電源を入れた私に襲いかかったものは、ゾンビではなくただの失望だった。
ぺらぺらのビジュアル。のっぺりした光表現。凡庸な演出。ゾンビの質感はぺたっとしたいかにもCG製で、もっともらしさは皆無だ。対話シーンではただ手をひらひらさせる動きの繰り返しだ。冒頭の、素人が裏山で撮ってきたような実写ムービーは落胆を通り越して失笑が浮かんだ(きっと涼宮ハルヒが撮ったに違いない)。
もっとも許せなかったのは、攻撃がまったく敵に当たらないことだった。敵はすぐそこ、目の前にいるのにも関わらず、いくら弾を撃っても当たらない。微妙に左右調整しながら狙いを定めるのだが、どうしても当たらない。結局最初の1体目すら倒せず、弾切れになってしまった。
こんなゲームのどこに魅力があるのだ? 私にはまったくわからなかった。こんな駄作に時間を取られるくらいなら、低予算で制作された監督不明のその辺のゾンビ映画を見ていた方がまだ有意義だ。
あれから16年にもなるのか……。
『バイオハザード リベレーションズ』を手に取ったのはたまたま、ホラー成分が不足しているのを感じていたからだ。あれからどれくらい変わっただろうか、という興味は多少はあった。
『天外魔境Ⅱ』でも似たようなことを書いたのだが、時代が変わったな、という感慨だった。16年も時間があったら、技術や表現方法もまったく違う。当時は救いようのないぺらぺらのゲームだと思ったものが、ここまで進化しているとは想像もできなかった。
濃密な陰影表現。じわじわと期待を持たせる演出。潜水服を着込んだキャラクターの質感もいい。ニンテンドー3DSの性能の高さがよくわかる。主要な舞台は幽霊船の中だが、それでも広がりのあるストーリーで引きつけられるものがある(カプコン内に、巧舟以外でまともな脚本が書ける人間がいたことに驚いた。『鬼武者2』なんてものをうっかりやっていたから、「ゲーム屋には話を書かせてはならない」「ゲーム業界にはストーリーを批評できる人間がまだいない」と思っていた)。ゲーム性の変化も良かった。銃を構えた瞬間、即座にFPSになって、シンプルな標準で敵を狙う仕組みになっている(狙いやすい!)。 このゲームでも2画面の存在感は抜群だった。ほとんどの局面でウインドウを開く必要なく、画面をタッチするだけで簡単にアイテム交換ができる。小さいが マップ表示があるのもわかりやすくて良かった。操作方法にはやや癖があり、慣れるのに時間を要するが、それは批評する点でマイナスにはならない。
難易度が私にはちょうど良かった。まさかここまで長い期間をかけて、深くはまりこむとは思わなかった。鈴木史朗氏がなぜこのゲームに特別な愛着を見せるのか、今なら理解できるような気がする。これはかなりの良作である。
ただ……ゾンビが1体も登場しないのが残念だった。実はこの作品で、私はこのシリーズに登場するゾンビがゾンビではなく、ウイルスに感染した人や動物だと初めて知ったのである。
冒 頭の幽霊船に乗り込んだ直後の、暗く不気味な雰囲気は非常に素晴らしかった。何が来るかわからない、ゾクゾクとくるものがあった。が、その後はモンスター 達は当たり前のように姿を見せ、ただのモンスターパニックものになったのは残念だった。私の気分はホラーをやりたかったのだが。
このゲームは、質 のいい、大きなスピーカーに繋げて遊ぶと楽しみが倍加する。ニンテンドー3DSはスピーカーがいいと言われるが、それでもやはり低級品でも独立したスピー カーの質には敵わない。スピーカーに繋ぐと、低音部分が重さを持って部屋中に広がっていくのがわかるはずだ。音が変わると作品の質自体も変わるような気が するので、これはぜひお勧めしたい。
ブレイブリーデフォルト体験版
ゲームを始めて……あれ? なにもできない。なんだこりゃ。
「サイトからAR用の画像をダウンロードし、プリントしてください」……面倒くせぇ!
しょうがないな。画像をプリントして、広い場所に置いてニンテンドー3DSで読み込ませると……うおおおおおおおおおお!
購入決定
続き【ニンテンドー3DSの勝因/混迷の第5時ハード戦争】を読む
PR