■ 最新記事
(08/15)
(08/14)
(08/13)
(08/12)
(08/11)
(08/10)
(08/09)
(08/08)
(08/07)
(08/06)
■ カテゴリー
お探し記事は【記事一覧 索引】が便利です。
■2009/08/25 (Tue)
映画:外国映画■
雨が降ると街が静かになる。人があまり外に出ないからか、雨が騒音を吸い取ってくれるからか。
せせらぎのような音がさらさらと流れ、時々、車が水溜りをはねる音が静けさを破る。
まるで街全体が何かを待ち構えるように、軒下で身を潜めている。もしかしたら、待ち構えているのは我々が想像もしない危険かもしれない。
映画『セブン』では、ほとんどのシーンで雨が降っている。まるで騒々しいロサンゼルスの喧騒を押し殺すように、小さな滝が流れる音が延々続いている。
眠らない街、ロサンゼルス。華やかなネオンが常に街を色鮮やかに照らし続ける大都市。
そんなロサンゼルスの街が、長く続く雨に静まり返っている。
だがそんな雨の中でも、やはり事件は起きている。声を押し殺すようにしながら、最もおぞましい事件は粛々と進行していた。
その日の朝、サマセットはある事件現場を訪ねていた。不倫のもつれによる、銃殺事件だ。サマセットは朝の身支度の延長のように、静かに事件現場を見ていた。
「子供は事件を見たのか?」
壁に飛び散った血痕を眺めながら、サマセットは初動捜査を担当した刑事に尋ねた。
「それがどうした? あんたが定年でよかったぜ、サマセット。子供が見たかだと? だから何だ。女房が人を殺した。子供の心配は仕事じゃない」
刑事は理解不能を示して奥へ引っ込んでしまった。
入れ違うように、若い刑事がサマセットの前にやってきた。
「サマセット刑事? ミルズ刑事です。着いたら、いきなりここへ行けと命じられて……」
着任したばかりの新米刑事だ。所在なげにしているが、何かしたいらしくうろうろと現場の様子を見ていた。
「電話でも話をしたが、質問がある。なぜ来た? なぜわざわざこの街に? それが不思議でな」
「きっとあんたと同じだ。好きで来たんだろう?」
サマセットはミルズを連れて外に出た。絶え間なく振り続ける雨で、ロサンゼルスの街が淡く煙っていた。
「知りもせんで……」
サマセットは呆れた気分で若者から目を逸らした。
「何が聞きたい?」
「簡単だ。君は喧嘩までしてここに来た。そんな奴は初めてだ」
「活躍したくてね。最初からあまり難癖つけないでくれ。あんたがボスだ」
ミルズは快活そうに飛び跳ねてみせた。サマセットは軽く微笑んだ。血の気だけは多そうだ。
「お前は黙って見ているだけでいい。7日間は大人しく見ていろ」
サマセットは言い置いて、事件現場から離れていった。
――あと7日間。そうすれば定年だ。
オープニングデザインは衝撃的だった。この作品を切っ掛けに、どの映画、ドラマでもオープニングデザインを採用するようになった。ただし、類似品模倣品を大量生産する結果となった。今でも、だ。
だが翌日の朝、事件が始まった。
月曜日。
最初の死体はギネス級のデブ男だった。男は両足を縛られ、銃を首に突きつけられた状態で、12時間食い続けていた。側にバケツが用意されて、ゲロを吐きながら延々食べさせられ続けていた。
死因は、膨張しきった胃を犯人が蹴ったために、内出血を起こしたのだ。デブ男はスパゲッティに顔を突っ込んだ状態で死亡。
現場にはGLUTTONY(グラトニー)と落書きが残され、さらにミルトンの『失楽園』を引用したメモが残されていた。
“地獄より光に至る道は長く険しい”
火曜日。
殺されたのはグールド弁護士だった。犯人は金曜日に法律事務所に忍び込み、グールド弁護士を土曜日から月曜にかけて殺害。全身を縛り、右手だけ自由を与えて包丁を握らせ、きっちり1ポンド分の肉を、自分の体から切り分けるように指示を与えていた。
グールド弁護士は腹の肉を裂いて、出血多量死。その血で、絨毯にGREED(強欲)の落書きをしていた。
絵画の裏を調べると、何者かの指紋で“HELP ME”とメッセージが残されていた。
木曜日。
指紋の鑑定結果、アランという名の男が捜査線上に浮かび上がった。アランは麻薬、強姦、少女暴行などの前科があるが、グールド弁護士の口ぞえで釈放されていた。
ロス市警はアランをグールド弁護士殺しの犯人と特定、スワットを組織してアランの自宅に突入させる。
しかしそこにいたのは、ベッドに縛り付けられ衰弱しているアランだった。
側には写真が置かれ、アランがベッドに縛り付けられ、全身の筋肉が衰弱していく過程が一枚一枚記録されていた。ベッドの上には、SLOTH(怠惰)と落書き。グールド弁護士事務所に残されていた指紋はアランの右手指のものだが、アランの右手は切り落とされていた。またアランは、舌を切り取られていた。
そんな状態だが、アランは辛うじて生きていた。ただし、全身は衰弱し、脳は軟化。事件について聞きだせる状態ではなかった。
土曜日。
娼婦の女が殺された。犯人は娼婦屋敷へ行き、行為中の二人を拳銃で脅迫。男に異様に巨大で先に刃物がついた張り型を装着させ、娼婦とセックスさせる。娼婦は張り型で子宮を引き裂かれ、内臓をえぐられて死亡。
個室の入口に、LUST(肉欲)の落書き。
日曜日。
犯人から電話で告白。駆けつけると、女がベッドの上で横たわり死亡。
女は犯人から顔を切り刻まれ、そのうえに包帯が巻かれていた。一方の掌には睡眠薬が糊付けにされ、もう一方の手には電話が握らされていた。
「助けを呼べば醜い顔で生きられる。嫌なら自分で死ね」という犯人のメッセージだった。女は自殺を選んだ。
残りはあと二人。地獄のような1週間が終る。その最後に、いったい何が起きるのか……。
デビッド・フィンチャーにとって『セブン』は散々だった『エイリアン3』のリベンジ作品だった。1千枚の企画書を提出し、プロデューサーを説得したらしい。
映画『セブン』はホラー映画であるし、監督自身そう公言してる。
だがハリウッド製ホラー映画の定石は一切踏襲していない。観客を驚かすような音はなく、ショックシーンへの強引なジャンプカットもない。
どの事件も衝撃的だが、あくまでも事件として、静かに淡々と語られていく。カメラワークは決して近寄りすぎず、ロングサイズを維持したまま、観察している刑事の視点で語られていく。
その後の事件解説も、考証に基づいて冷淡なくらい警察の行動が静かに綴られていく。
デビッド・フィンチャー監督は、通俗的なジャンル的表現に頼らず、独自の方法と観察眼で、事件の過程を一つ一つ追跡し、じっくり熟成させて映画を練り上げている。
この作品で、デビッド・フィンチャー監督とブラッド・ピットは初めて顔を合わせた。この作品の後も、ベストコンビの関係は変わらず、ヒット作傑作を次々と制作している。
映画『セブン』は非常に静かだ。ハリウッド映画お得意のクラシック調の伴奏音楽は最小限に抑えられている。
風景の描き方もとことん色彩が抑えられ、モノクロ映画の印象で描かれている。色彩と光の洪水のような常にお祭り状態のロサンゼルスの風景を、どこまでも陰鬱に、何かを炙り出すような暗い映像で描かれている。
映画『セブン』には2流監督がついやりがちな安っぽいハッタリ表現は一切ない。
映像も音も徹底的に抑えられ、それでいて映画には平坦さがなければ緊張を失う隙など1コマもない。まるで沈黙するような静けさ、寡黙さが全体に漂っている。
デビッド・フィンチャー監督は演出の力と緻密に練りこまれた考証、それから感性の強さだけで映画と観客に挑戦し、それらすべてにおいて完全勝利している。
「衝撃のラスト15分」を売り文句にする映画は山ほどあるが、本当に衝撃的だったのはこの映画だけだ。この映画の静けさを比較できるのはただ一本だけ、『シャイニング』だろう。
ロサンゼルスには毎日のように凶悪殺人事件が起きている。ロサンゼルスでは昔からそうだった。いや、人間は旧約聖書の時代から、暴力とは切り離せない宿命にあった。
一方で人間には、事件が起きるとそれを追いかけたがる習性を持っている。
警戒心のため? 好奇心のため?
それはよくわからない。ただその事件がより凶暴でセンセーショナルであればあるほど、人間は気分を高揚させ、好奇心を掻き立てさせる。
警察を職業に選ぶ人間には、その習性が普通の人より少し強く、訓練のせいなのか特殊な方向へと向かわせてしまうのだろう。
事件、死体、流血……。そこで何が起きたのか、犯人は誰なのか。警察はそれら全て暴き立て、そこから一切の疑問の余地がないようにしないと気が治まらないのだろう。
まるでドキュメンタリーのように事件を追っていく。監督が猟奇事件に興味を持つ切っ掛けになったのは、幼少期、ゾディアック事件の中心となった土地に住んでいたからという。
人間には社会的な正気と、そうではない狂気の二つの部分があり、人間の意識はそのどちらかで常に左右ふらふらと揺れている。その境界線が崩れた結果として、人を殺したりなどの事件が起きるのだろう。
人間は教訓話で語られるような善人でもなければ、自立的な存在でもない。その社会性がほんの少し揺るがされると、簡単に境界線をまたいでしまう。人間の社会は完全ではないし、社会性もまた完全ではないし、だからこそ故障のようにどこかに欠陥を示す。
そういった例は稀であるが、ロサンゼルス規模の過密都市で警察をやっていれば、毎日、毎時間、毎秒といった速度でそういった類の事件に接してしまう。
だからサマセットはうんざりしていた。
サマセットはロサンゼルスという地獄から、警察であるという悪夢から逃れたいと思っていた。
しかし、地獄から天国に至る道は、あまりにも険しく遠い。
映画『セブン』は7日間で全てが終わる映画だ。その最後で、果たしてサマセットは地獄を脱出し、天国に抜けられたのだろうか。
参考資料(ウィキペディア)
神曲 失楽園 カンタベリー物語 七つの大罪
ダンテ・アリギエーリー ジョン・ミルトン
ジェフリー・チョーサー トマス・アクイナス
映画記事一覧
監督:デヴィッド・フィンチャー
音楽:ハワード・ショア 脚本:アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
撮影:ダリウス・コンジ 編集: リチャード・ブランシス=ブルース
オープニング・デザイン:カイル・クーパー
出演:ブラッド・ピット モーガン・フリーマン
グウィネス・パルトロー ジョン・C・マッギンレー
リチャード・ラウンドトゥリー R・リー・アーメイ
マーク・ブーン・Jr ダニエル・ザカパ
アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー ジョン・カッシーニ
ケヴィン・スペイシー
せせらぎのような音がさらさらと流れ、時々、車が水溜りをはねる音が静けさを破る。
まるで街全体が何かを待ち構えるように、軒下で身を潜めている。もしかしたら、待ち構えているのは我々が想像もしない危険かもしれない。
映画『セブン』では、ほとんどのシーンで雨が降っている。まるで騒々しいロサンゼルスの喧騒を押し殺すように、小さな滝が流れる音が延々続いている。
眠らない街、ロサンゼルス。華やかなネオンが常に街を色鮮やかに照らし続ける大都市。
そんなロサンゼルスの街が、長く続く雨に静まり返っている。
だがそんな雨の中でも、やはり事件は起きている。声を押し殺すようにしながら、最もおぞましい事件は粛々と進行していた。
その日の朝、サマセットはある事件現場を訪ねていた。不倫のもつれによる、銃殺事件だ。サマセットは朝の身支度の延長のように、静かに事件現場を見ていた。
「子供は事件を見たのか?」
壁に飛び散った血痕を眺めながら、サマセットは初動捜査を担当した刑事に尋ねた。
「それがどうした? あんたが定年でよかったぜ、サマセット。子供が見たかだと? だから何だ。女房が人を殺した。子供の心配は仕事じゃない」
刑事は理解不能を示して奥へ引っ込んでしまった。
入れ違うように、若い刑事がサマセットの前にやってきた。
「サマセット刑事? ミルズ刑事です。着いたら、いきなりここへ行けと命じられて……」
着任したばかりの新米刑事だ。所在なげにしているが、何かしたいらしくうろうろと現場の様子を見ていた。
「電話でも話をしたが、質問がある。なぜ来た? なぜわざわざこの街に? それが不思議でな」
「きっとあんたと同じだ。好きで来たんだろう?」
サマセットはミルズを連れて外に出た。絶え間なく振り続ける雨で、ロサンゼルスの街が淡く煙っていた。
「知りもせんで……」
サマセットは呆れた気分で若者から目を逸らした。
「何が聞きたい?」
「簡単だ。君は喧嘩までしてここに来た。そんな奴は初めてだ」
「活躍したくてね。最初からあまり難癖つけないでくれ。あんたがボスだ」
ミルズは快活そうに飛び跳ねてみせた。サマセットは軽く微笑んだ。血の気だけは多そうだ。
「お前は黙って見ているだけでいい。7日間は大人しく見ていろ」
サマセットは言い置いて、事件現場から離れていった。
――あと7日間。そうすれば定年だ。
オープニングデザインは衝撃的だった。この作品を切っ掛けに、どの映画、ドラマでもオープニングデザインを採用するようになった。ただし、類似品模倣品を大量生産する結果となった。今でも、だ。
だが翌日の朝、事件が始まった。
月曜日。
最初の死体はギネス級のデブ男だった。男は両足を縛られ、銃を首に突きつけられた状態で、12時間食い続けていた。側にバケツが用意されて、ゲロを吐きながら延々食べさせられ続けていた。
死因は、膨張しきった胃を犯人が蹴ったために、内出血を起こしたのだ。デブ男はスパゲッティに顔を突っ込んだ状態で死亡。
現場にはGLUTTONY(グラトニー)と落書きが残され、さらにミルトンの『失楽園』を引用したメモが残されていた。
“地獄より光に至る道は長く険しい”
火曜日。
殺されたのはグールド弁護士だった。犯人は金曜日に法律事務所に忍び込み、グールド弁護士を土曜日から月曜にかけて殺害。全身を縛り、右手だけ自由を与えて包丁を握らせ、きっちり1ポンド分の肉を、自分の体から切り分けるように指示を与えていた。
グールド弁護士は腹の肉を裂いて、出血多量死。その血で、絨毯にGREED(強欲)の落書きをしていた。
絵画の裏を調べると、何者かの指紋で“HELP ME”とメッセージが残されていた。
木曜日。
指紋の鑑定結果、アランという名の男が捜査線上に浮かび上がった。アランは麻薬、強姦、少女暴行などの前科があるが、グールド弁護士の口ぞえで釈放されていた。
ロス市警はアランをグールド弁護士殺しの犯人と特定、スワットを組織してアランの自宅に突入させる。
しかしそこにいたのは、ベッドに縛り付けられ衰弱しているアランだった。
側には写真が置かれ、アランがベッドに縛り付けられ、全身の筋肉が衰弱していく過程が一枚一枚記録されていた。ベッドの上には、SLOTH(怠惰)と落書き。グールド弁護士事務所に残されていた指紋はアランの右手指のものだが、アランの右手は切り落とされていた。またアランは、舌を切り取られていた。
そんな状態だが、アランは辛うじて生きていた。ただし、全身は衰弱し、脳は軟化。事件について聞きだせる状態ではなかった。
土曜日。
娼婦の女が殺された。犯人は娼婦屋敷へ行き、行為中の二人を拳銃で脅迫。男に異様に巨大で先に刃物がついた張り型を装着させ、娼婦とセックスさせる。娼婦は張り型で子宮を引き裂かれ、内臓をえぐられて死亡。
個室の入口に、LUST(肉欲)の落書き。
日曜日。
犯人から電話で告白。駆けつけると、女がベッドの上で横たわり死亡。
女は犯人から顔を切り刻まれ、そのうえに包帯が巻かれていた。一方の掌には睡眠薬が糊付けにされ、もう一方の手には電話が握らされていた。
「助けを呼べば醜い顔で生きられる。嫌なら自分で死ね」という犯人のメッセージだった。女は自殺を選んだ。
残りはあと二人。地獄のような1週間が終る。その最後に、いったい何が起きるのか……。
デビッド・フィンチャーにとって『セブン』は散々だった『エイリアン3』のリベンジ作品だった。1千枚の企画書を提出し、プロデューサーを説得したらしい。
映画『セブン』はホラー映画であるし、監督自身そう公言してる。
だがハリウッド製ホラー映画の定石は一切踏襲していない。観客を驚かすような音はなく、ショックシーンへの強引なジャンプカットもない。
どの事件も衝撃的だが、あくまでも事件として、静かに淡々と語られていく。カメラワークは決して近寄りすぎず、ロングサイズを維持したまま、観察している刑事の視点で語られていく。
その後の事件解説も、考証に基づいて冷淡なくらい警察の行動が静かに綴られていく。
デビッド・フィンチャー監督は、通俗的なジャンル的表現に頼らず、独自の方法と観察眼で、事件の過程を一つ一つ追跡し、じっくり熟成させて映画を練り上げている。
この作品で、デビッド・フィンチャー監督とブラッド・ピットは初めて顔を合わせた。この作品の後も、ベストコンビの関係は変わらず、ヒット作傑作を次々と制作している。
映画『セブン』は非常に静かだ。ハリウッド映画お得意のクラシック調の伴奏音楽は最小限に抑えられている。
風景の描き方もとことん色彩が抑えられ、モノクロ映画の印象で描かれている。色彩と光の洪水のような常にお祭り状態のロサンゼルスの風景を、どこまでも陰鬱に、何かを炙り出すような暗い映像で描かれている。
映画『セブン』には2流監督がついやりがちな安っぽいハッタリ表現は一切ない。
映像も音も徹底的に抑えられ、それでいて映画には平坦さがなければ緊張を失う隙など1コマもない。まるで沈黙するような静けさ、寡黙さが全体に漂っている。
デビッド・フィンチャー監督は演出の力と緻密に練りこまれた考証、それから感性の強さだけで映画と観客に挑戦し、それらすべてにおいて完全勝利している。
「衝撃のラスト15分」を売り文句にする映画は山ほどあるが、本当に衝撃的だったのはこの映画だけだ。この映画の静けさを比較できるのはただ一本だけ、『シャイニング』だろう。
ロサンゼルスには毎日のように凶悪殺人事件が起きている。ロサンゼルスでは昔からそうだった。いや、人間は旧約聖書の時代から、暴力とは切り離せない宿命にあった。
一方で人間には、事件が起きるとそれを追いかけたがる習性を持っている。
警戒心のため? 好奇心のため?
それはよくわからない。ただその事件がより凶暴でセンセーショナルであればあるほど、人間は気分を高揚させ、好奇心を掻き立てさせる。
警察を職業に選ぶ人間には、その習性が普通の人より少し強く、訓練のせいなのか特殊な方向へと向かわせてしまうのだろう。
事件、死体、流血……。そこで何が起きたのか、犯人は誰なのか。警察はそれら全て暴き立て、そこから一切の疑問の余地がないようにしないと気が治まらないのだろう。
まるでドキュメンタリーのように事件を追っていく。監督が猟奇事件に興味を持つ切っ掛けになったのは、幼少期、ゾディアック事件の中心となった土地に住んでいたからという。
人間には社会的な正気と、そうではない狂気の二つの部分があり、人間の意識はそのどちらかで常に左右ふらふらと揺れている。その境界線が崩れた結果として、人を殺したりなどの事件が起きるのだろう。
人間は教訓話で語られるような善人でもなければ、自立的な存在でもない。その社会性がほんの少し揺るがされると、簡単に境界線をまたいでしまう。人間の社会は完全ではないし、社会性もまた完全ではないし、だからこそ故障のようにどこかに欠陥を示す。
そういった例は稀であるが、ロサンゼルス規模の過密都市で警察をやっていれば、毎日、毎時間、毎秒といった速度でそういった類の事件に接してしまう。
だからサマセットはうんざりしていた。
サマセットはロサンゼルスという地獄から、警察であるという悪夢から逃れたいと思っていた。
しかし、地獄から天国に至る道は、あまりにも険しく遠い。
映画『セブン』は7日間で全てが終わる映画だ。その最後で、果たしてサマセットは地獄を脱出し、天国に抜けられたのだろうか。
参考資料(ウィキペディア)
神曲 失楽園 カンタベリー物語 七つの大罪
ダンテ・アリギエーリー ジョン・ミルトン
ジェフリー・チョーサー トマス・アクイナス
映画記事一覧
監督:デヴィッド・フィンチャー
音楽:ハワード・ショア 脚本:アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
撮影:ダリウス・コンジ 編集: リチャード・ブランシス=ブルース
オープニング・デザイン:カイル・クーパー
出演:ブラッド・ピット モーガン・フリーマン
グウィネス・パルトロー ジョン・C・マッギンレー
リチャード・ラウンドトゥリー R・リー・アーメイ
マーク・ブーン・Jr ダニエル・ザカパ
アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー ジョン・カッシーニ
ケヴィン・スペイシー
PR