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■2016/07/07 (Thu)
創作小説■
第7章 Art Loss Register
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16
ついにツグミは階段を登り切った。ちょっとした広場が現れ、小さな境内が建っていた。ツグミは広場の様子を見る前に、杖に寄りかかった。額の汗を拭って、何度も深呼吸をした。全身に血が凄い速度で巡っているのを感じた。体力の限界を、とっくに越えていた。
一呼吸置いてから、ツグミは改めて広場を見回した。広場というより草むらだった。境内は潰れかけて、自然の風景に溶け込みかけている。周囲を覆う木々は鬱蒼としていたけど、境内周辺の空間に立ち入るまいとしているかのように、向こうの方で留まっているようだった。
ツグミは後ろを振り返った。海の上に、太陽が丸い形をして浮かんでいた。もう輝きは弱く、僅かに海を照らしているだけだった。
広場は暗くなりつつあった。草の先に、露のように太陽の光が残っていた。
ツグミは草むらの中を進んだ。草に残っていた雨粒が、膝をぬらした。川村はどこだろう。約束の時間に、間に合わなかったのだろうか。
「川村さん! 川村さん! どこですか! 川村さぁん!」
ツグミは声を張り上げた。返事のように、風が森をざわざわと揺らした。
ここは人界の風景ではなかった。どこか魔物が潜むのが感じられた。あの世に迷い込んでいた。
ツグミは不思議と恐いと感じなかった。ひどく胸が高鳴っていた。感じていたのは恐怖でも期待でもなかった。
どんな感情なのか、ツグミ自身でもよくわからなかった。感情は昂ぶっているのに、気持ちは穏やかだった。
そんな時、ようやく境内から何者かの影が現れた。ツグミは振り返った。
――川村だった。
「やっと逢えたね」
川村の声には何ともいえない穏やかさがあった。どこか菩薩像に接するような静けさと穏やかさを湛えているように思えた。
川村の格好はあの時と全く変わっていなかった。よれよれのジーンズに、黒っぽい革のジャンパーを羽織っている。世捨て人のような雰囲気も、変わってなかった。ツグミが感じていた印象は気のせいでも勘違いでもなく、川村は思ったとおりの人だった。実在する人物だった。
ツグミは瞬発的に感情が沸点に達した。口を開いたが、何も言葉が出なかった。言いたい言葉はいくらでもあるはずなのに、何も言えなかった。
ツグミは感情を押し留めるように、首を振った。ようやくそれらしい言葉を見付けた。
「……川村さん。どうしてこんなことになったんですか。なんで?」
「最初に『合奏』を手に入れたのは、君のお父さんだった。太一さんは、大原眞人に相談した。『盗品絵画を全て返却したい』と。太一さんはあの時、身の危険を感じていた。あの商売から、身を引くつもりでいた。大原眞人は太一さんを受け入れ、資金を提供した。それで僕のところに依頼が来た。暗黒堂と宮川を欺くための贋作を作って欲しい、と」
川村は歩きながら説明した。
ツグミにとって、事件のミッシング・リングに当たる説明だった。当事者による、初めての証言だった。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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