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■2010/08/10 (Tue)
2・基本の構造を作る

物語創作に当たり、作り手はまず作品のベーシックである原理を示さねばならない。
『鋼の錬金術師』におけるベーシックは『錬金術』と呼ばれる特殊能力である。この『錬金術』が『鋼の錬金術師』という作品の大きな特色であり、物語全体に一貫した連なりを与えている。
『鋼の錬金術師』はこの『錬金術』というモチーフをとことん追い込んで、その上で物語構築をしている。物語中で頻繁に繰り返されるアクションは全て『錬金術』のアイデアを応用したものであるし、物語の展開にも常に『錬金術』が係わってくる。そもそも物語の切っ掛けとなった《人体練成》も『錬金術』によるものの結果であるし、『錬金術』のメタファーは傍流に入っても、《キメラ》や《真理》など、物語に重要な影響力を持ち続けている。
また『錬金術師』は物語上における歴史的な広がりすら与えた。その世界における大きな発端、それから現在に至るまでの系譜の中に、常に『錬金術』が係わっているという大きな連なりを作り出した。
素晴らしいのは『錬金術』に哲学的テーマを与えた発想力である。《人体練成》で倫理の問題に正面から直視し、これだけで『鋼の錬金術師』を特別な作品に押し上げてしまった。さらに物語最後まで重要な意味を与えた「全は一、一は全」という禅問答的な問いかけがある。物語中頻繁に繰り返す「等価交換」と同じ意味なのだが、「全は一、一は全」はそれよりずっと意味が深く、物語の発端となる命題(元の体に戻る)を解決させる鍵にまでなっている。
『錬金術』というたった一つの原理をとことん追求した結果、『鋼の錬金術師』は最近の作品では例を見ないくらい世界観を広げ、深度を深めていったのである。逆の言い方をすれば、『鋼の錬金術師』は『錬金術』というモチーフだけを追いかけ続けた作品であるといえる。

8dcba51d.jpg『錬金術』を使用するためのアクションは非常にシンプルである。主人公エドが『錬金術』を使用する場合は、掌を合わせて、何かに触れるだけでよい。すると、その何かの形状が変わる。ただし、その物質が本来持っている《元素》と《質量》は原則変化しない。《元素》と《質量》をそのままに形状だけを変化させる能力が『錬金術』なのだ。
物語の基本構造である『錬金術』は極めてシンプルで、理解しやすい。元素の基礎的な知識は小学校で学ぶはずだから、改めて物語上で解説する必要もない。とにかくシンプルであるため、模倣作品が作られたし、どうやら『鋼の錬金術師』の『錬金術』ルールは変身ヒーローにおける変身くらい普遍的に受け入れられたらしい。

ここで、作品のベーシックを構想する場合に重要と思える二つのポイントを挙げたい。
1・シンプル
2・発展性がある
もし第3があるとしたら、「真似されるほどに魅力的であること」だと思うが、とりあえず取り上げない。
第1にシンプルであること、誰にでも即座に理解できるほどわかりやすい、というものが望まれる。ライトノベルにありがちな複雑奇怪なルール設定を提示しても、読者は誰も理解できず、遠ざけてしまうだけだ。ルール作りに熱心になりすぎて、ルール設定そのものに溺れてはならない。
次に、第1で提示したルールを発展させ、深度を深められること。『鋼の錬金術師』を例にすると、『錬金術』というルールだけで、《人体練成》《キメラ》《国土練成陣》《真理》と、物語上の広がりを与えただけではなく、哲学的な深みすら作品に与えた。
ベーシックは作品全体を支える骨格である。だから、「シンプル」で「発展性がある」ということは、極めて重要である。ベーシックを複雑にすると誰にも理解されないし、(ライトノベルではありがちだが)キャラクターごとに原理が違うとなると、作品における一貫性を疑わねばならなくなる。複雑すぎるルール設定は、まず読者に理解されないし、ルール設定そのものが物語の発展性に制限を加え、妨げる場合もある。直感的に理解できるシンプルさを心がけることが大事だ。当然だが、一度提示したルール設定は、途中での変更、追加はしないほうがいい。
理想を言えば、『スーパーマリオブラザーズ』におけるジャンプアクションくらいシンプルなのがいい。『スーパーマリオ』シリーズでジャンプアクションが提示されてからすでに二十数年の時が流れているが、今でも我々は夢中になって遊んでいる。しかも、基本的な操作はあの時代から、ほとんどまったく変わっていない。初代『スーパーマリオブラザーズ』で遊んでそりきりだったという人でも、最新シリーズを違和感なく遊べるはずだ(つまり、マニュアルが不要であること、が理想的なのだ)。『スーパーマリオ』シリーズくらいのシンプルさであったら、入口の門構えで戸惑う、ということもない。
作者の知性、あるいは本質的資質が試される部分だが、シンプルなベーシックを思想、哲学的な領域まで深化させることができれば、その作品は名作になりうる可能性は一気に高くなる。俗っぽい意識や言語、一過性のニュースに流されず、作品の軸を見失わずテーマ設定を行うように心がけたい。
ベーシックはまだ誰も試みたことがない斬新さが求められる。逆に言えば、ここに新しさを提示できれば、その後の物語展開にも新鮮さが得られる可能性は高くなるし、読者も期待感も高くなる。
「シンプル」であること、「発展性がある」こと、この2つを心得て追求していけば、まだ誰も試みたことのない新しい作品がおのずと見えてくるはずである。

前回:イントロダクション
次回:余談・父性に取り囲まれた物語


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■ キューブリック的なものを作れ!

ベーシックスタイルを作り出すもう一つの必要は、商売上の戦略にも関わってくる。上でしつこいくらいに「シンプル」さを主張したのは、「シンプル」なものは汎用性が高いから、という理由がある。
メディア・トイ社が発売している『キューブリック』と呼ばれる人形がある。方形の胴体を中心に、頭、手、足のパーツが付けられた、6センチほどのシンプルな人形だ。(Wikipedia:キューブリック
キューブリックが素晴らしいのは、このシンプルな素形をベーシックにして、およそ無限のバリエーションが制作可能であるということだ。実際、キューブリックを素体としたおもちゃはすでに無数に売り出されていて、漫画キャラクターをモチーフにしたもの、映画キャラクターをモチーフにしたもの、改めて画像検索してみると、有名芸能人をモチーフにしたものまであるようだ(やはり類似商品も多い)
コレクターなら可能な限りたくさん欲しい、と思うだろうし、そこまで興味がなくても自分が好きな映画や漫画キャラクターを題材にしたキューブリックが出ると、ついつい欲しくなってしまう。シンプルでバリエーションが無限に作り出せるだけではなく、何とコラボレーションするかで、それまで興味を持っていなかった消費者を惹き付ける魅力すらあるのだ。
私ははじめてこのキューブリックを目にしたとき、思わず「うまい!」と声を上げた。こういった素形を一つ作り出す発想力があれば、後の人生は、少々の努力だけで遊んで暮らせるだろうからだ(一生の商売にできる、という意味で)

この発想を物語創作の場合に置き換えると、どんな作品が理想的であろうか。単純な一つの素形、ルール、ベーシックを原型に無限のバリエーションを作り出せる物語。
例えば、変身ヒーロー、変身ヒロインもの。変身ヒーローと世界征服を狙う悪の秘密結社という構図さえ約束事として作れば、永続的に繰り返しの物語を作れる。というか現実に作られている。物語が単純であるから子供世代の少年たちはみんな視聴するし、長く続けているからマニアックな層も深く、作品はあらゆる年代層に深く染み渡っている。
ガンダムシリーズも、V字型アンテナロボットに、ブルーのイメージカラーというルールさえ守れば、自由に世界、物語を作ってもいいというルールがある。ガンダムシリーズの中には『Gガンダム』のような異色作すらあり、ガンダムユーザーには『Gガンダム』のような異端を受け入れる懐の深さもあるのだ(もっとも、『Gガンダム』は始まった当初は「ガンダムのイメージを壊した」と非難囂々だった。私の場合、唯一面白いと思ったガンダムは『Gガンダム』だけ)。ガンダムシリーズも基本的ルールさえ守れば永続的に作品を作られる素形であるので、作品が作られて以来、アニメ史と歩みを合わせて今に至るも制作され続け、アニメ批評の源流であり、サンライズの重要な収入源になっている。
ニコニコ動画やPIXIVのように“入れ物”だけを提供し、ユーザーがその“入れ物”の中で自由にコンテンツを増殖させていく、というやり方もある。もっとも、この場合のビジネス展開的なものは不明瞭だが。

キューブリック的なものを作り出す利点は、発想の出発点である素形だけを残し、人物とストーリーを入れ替えるだけで、何度も作品を再構築できることだ。経営する立場としては、その度に作品を商品と打ち出すことができるし、消費者の興味を永続的に惹きつけておくことができるので非常に好都合だ。
創作を青臭い芸術論云々としてではなく、ビジネスとして考える場合、作品は「いい作品」「注目される作品」というだけでは力が弱い。素晴らしい作品はもちろん注目されるはずだが、それはどうしても一過性のもので終わってしまう。ビジネスとして創作を「続けていく」と考えた場合、キューブリック的な、一つの素形で無限に商売が可能な“入れ物”を作る発想が必要になってくる。
最近、『プリキュア』を見るようになった(『ハートキャッチプリキュア』)。この作品を見ていて気付くのだが、作品自体が一つの商品宣伝番組になっている。新しい商品が出ると、作品中にこれ見よがしに取り上げられるし、Aパートの終りに入ると必ず実際の商品がコマーシャルに登場する。新しいキャラクターが登場しても、同様に放送終了直後にコマーシャルで宣伝される。
『プリキュア』のベーシックは変身して戦う女の子、ということだけだ。後は作り手の自由な創作に一任されている。「変身して戦う女の子」というルールさえ守っていれば、作品は特別素晴らしいものである必要はない。ある程度のハードルを設定してそれを乗り越えられるだけの作品クオリティさえ維持していれば、同質クオリティの作品をひたすら作っていても許される。新しいシリーズを作るたびに、時代や流行に合わせて豪華にしたり、莫大や予算をかける必要も心配もない。時々、劇場作品が制作されるが、そちらでも特別素晴らしいクオリティが必要とされているわけではない。
同じ努力で作品が永続的に作られていくこと、それが大事なのだ。無理して制作規模を肥大化して、某ファイナルファンタジーのように自滅するのはあまりにも間抜けなやり方だ(スクウェアはまだ滅んでいないけど)

しかし、アニメの作り手、あるいは受け手には創作をビジネスとして考えるのは「汚い」という考え方が深く根付いている。おそらく20世紀のボヘミアン画家の影響だと思うが、創作とビジネスと結びつける考え方を極端に嫌っている(あるいは「拝金主義」という言葉の弊害なのか。「お金儲け=悪い」という図式が子供時代から頭に刷り込まれているようだ)。キャラクターグッズ一つ、CD一つ出しただけでも「儲け主義だ!」と大騒ぎするくらいである(AKB48くらいまでいくと、さすがに汚いとしか思えないが。程度の問題)
だが、儲けは絶対に必要だ。アニメは多くの制作者が作品に参加する。経営者の立場に立てば、その全員の生活を面倒見ていかなければならない。好きなことだけをやっていればいい、では許されない。制作会社、あるいは業界を維持していくためには、プリキュア的な作品が必要なのだ。青臭い芸術論云々言うのは、儲けたその後でも遅くはないだろう。

前回:イントロダクション
次回:余談・父性に取り囲まれた物語


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