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■2010/07/16 (Fri)
シリーズアニメ■
第1章 森島はるか編 アコガレ
階段を駆け上がると、見晴らしのいい広場が現れた。僕は膝に手を置いて、はあはあと肩を揺らしながら、乱れた呼吸を整える。
辺りは暗く暮れかけている。影を落とした雲が、空を早く流れていた。
広場には、若い男女がそわそわした顔で待ち合わせていた。クリスマスだから、広場にはいつになくカップルで溢れている。僕はそんな人たちに混じって、彼女を待った。
次第に辺りは暗い影を落とし、風は凍えるような冷たさを交え始めた。街灯がぽつぽつと煌く。
何となく浮きだった様子の広場は、次第に人の数が減り、静かな寂しい空気を残し始めた。そんな場所に、僕は1人で取り残されてしまっていた。
欄干にもたれかかって、そこから街の風景を見下ろした。もう夜の帳は下りていて、きらきらした光がビルとビルの谷間を巡り始めていた。
風が冷たい。僕の孤独な心に、酷薄に吹き付けてくるみたいだった。
腕時計をちらと見る。僕は約束の1時間前にこの広場にやって来た。それで、今は約束の時間を過ぎてしまっていた。
僕はもう一度広場を振り返った。広場にはもう誰もおらず、何もない空間を、ただ光が照らしているだけだった。
おかしい。時間も待ち合わせ場所も合っているはずなんだけど。
その時、音を立てて渦を巻いていた風が、際立って冷たくなった。振り返ると、雪が降り始めていた。夜の闇の中を、白い雪がちらちらと浮かび上がっていた。
それでも僕は、そこで彼女を待ち続けていた。でも、彼女はついに現れることはなかった。
唐突に、戸が開いた。
「にいに! もおぅ、また押入れにこもって。早く起きないと遅刻しちゃうよ!」
妹の美也の声が飛び込んできた。押入れの中に、鈍い光が射し込んできて、僕の暗澹とした気持が妨害されてしまった。
僕はうんざりしながら重い体を起こし、戸を閉じた。
「うう……。にいに!」
美也が駄々をこねるような声をあげた。
「うるさい。僕はまだ寝ていたいし、ここから出たくないんだ。外は寒いし」
僕はぼんやりした声を漏らし、再び憂鬱な気分に沈む体勢を作った。
「暖房つければいいのに……」
美也が小さく不満を漏らすと、何か思いついたように「にしし…」と笑った。
「じゃあ、にいにが出てこないんなら、にゃあがそっちに入るからねぇ。にいにの押入れプラネタリウム、久し振りに見たいし」
美也が引き戸の取っ手を掴み、開けようとした。
僕は慌てて反対側の取っ手を掴み、閉めようとした。
「こら、やめろ! 入るな。これは僕1人で鑑賞する作品なんだ!」
「作品って、蛍光ペンで描いただけじゃん!」
がたがたと引き戸を揺らしながら、僕と美也は押し合い引き合いをはじめた。
「うるさい!」
「にゃあも入るの~!」
「わかった、もう出るから」
僕は観念して、引き戸を離した。戸がガラッと全開になり、それに釣られて美也がばたんと倒れた。
「どうした、美也?」
僕は欠伸をして押入れから顔を出すと、床に倒れたままになっている美也を見下ろした。
美也が慌てて起き上がり、スカートで剥き出しになった太ももを隠した。
「にいにのバカ!」
美也は髪をくしゃくしゃにしながら、僕に向って頬を真っ赤に膨らませていた。
◇
十代というのは得るものより失うもののほうが多い。それも圧倒的にだ。
空想の物語は、失われた十代を取り戻させ、コンプレクスを癒し、あるいは永続的な思い出として残留させる。
失ったモラトリアムと、モラトリアムの再生。『アマガミSS』は十代にありがちな精神と葛藤、挫折、あるいは幸福の達成を描くであろう作品である。それを象徴するように、主人公の橘准一は何かを喪失した――過去に喪失を経験した少年として描かれている。
言うまでもなく、橘准一の人物像には、見る側が意識を投影できるように設計されている。これは誰かの物語ではなく、あなた自身に向けられた物語である。
制服はブレザーだが、後ろから見ると襟の形がセーラー服風になる。ブレザーでありながらが、セーラー服でもある、というユニークなデザインだ。
『アマガミSS』は漫画・アニメの世界でうんざりするほど作られた恋愛物語のバリエーションの一つである。
主人公の少年を中心に1人置き、その周辺を取り囲むように少女たちを配置する。今どきありがちな作品の構造を、そのまま捻りなく踏襲している。
少女たちは個性的で、自己主張が強く、その造形に作者の強いこだわりと工夫が現れている(そこに、他作品との違いを出そうとしている)。その一方で、ぼんやりと表情の暗い主人公――と必ずいるお調子者の友人(主人公の分割された自我、主人公のもう一つの姿である)。
『アマガミSS』は創作的に世界を構築した作品ではなく、普遍的に作られてきた作品の一形態であるのだ。
背景設定はこだわりをもって描かれている。主人公の住む家屋のデザインや、学校が建っている立地、それから学校そのものの構造。意外なくらい主人公の周辺世界が描写されている。その一方で、どの場面も消失点の位置を曖昧にしてしまっている。
少女たちの描写にこだわりが見られる一方で、『アマガミSS』における絵画の力は弱い。
空間への意識が弱く、キャラクターの立っている位置が曖昧に描かれてしまうことがしばしばある。それに釣られるように、演技も平坦で単調になりがちだ。主人公の目線を意識したクローズアップの多さも、むしろ平坦さを増幅させてしまっている。
人間の四肢の描き方も危うい。場面によって、胴体に対して手足が大きくなったり、小さくなったりと不安定だ。
空間と人物の捕らえ方を漫然と描いてしまっていることが、世界構造の弱さに繋がってしまっている。
トレス線が甘く、並んでいる机の形が歪んでしまっている。原画ではなく動画であるが、梅原正吉の指先がいい加減にトレスされてしまっている。細かいところだが、こういうものの積み重ねが作品の質を落とす原因になる。
廊下のシーンはどれも背景とキャラクターの組み合わせが不安定だ。左の2カットは立ち入りがわかりにくく、危うくキャラクターが巨人になりかけている。
重箱の隅をつつくようだが、橘准一が倒れたのは廊下の中間辺り。しかし、左のカットでは、パンが壁際に飛んでしまっている。森島はるかの左足が右足に見えるのも気になるところだ。
廊下のシーンはどれも消失点の位置が怪しくなっている。試みに補助線を引いてみると、背景の線が一箇所に集らないことがわかる。窓や天井の線も、遠近法に則って描かれていない。
創作の多くは、そこに作家の願望が刻印されている。作家の個性とは、ある意味、コンプレクスの傾向と言い換えることもできる。受け手は、作品に密かに込められたコンプレクスを共有して、作品に楽しみを見出す。
『アマガミSS』には作品に没入させるための多くの風景と、多様で複雑な感情が描かれている。作品に込められたコンプレクスに気持ちを重ねていけば、主人公が得るであろう幸福と、同じものを心のどこかに宿すこともできるだろう。
◇
下駄箱を出ると、夕暮れの光が中庭に射し込んでいた。
石畳で舗装された中庭は、中央で丸く切り取られ、水が張られていた。その水の淵に、森島先輩が1人きりで腰を下ろし、静かな佇まいで水面を眺めていた。
水面に宿した夕暮れの黄金色が、森島先輩の半身をきらきらと浮かび上がらせていた。静かな風が漂い、肩に被さった髪がゆるやかに揺れる。
僕はそんな森島先輩の佇まいを見て、密かに胸をドキッとさせた。それはあまりにも美しくて、僕の気持ちを強く掴んでしまっていた。
不意に、森島先輩がくしゃみをした。そのくしゃみの声で、僕ははっと我に返った。
「先輩。これ、どうぞ」
僕は森島先輩に近付き、おずおずとカイロを差し出した。
森島先輩は僕を見上げて、それからカイロに目を移した。
「橘君。使い捨てカイロ?」
「風邪、ひいちゃいますよ」
「ありがとう。優しいのね」
森島先輩が暖かな微笑みを浮かべた。
森島先輩の手が僕の手に重ねられ、カイロを手に取った。ほんの一瞬、僕は掌に森島先輩の生々しい存在を感じて、ドギマギとしてしまった。
「な、何をしていたんですか」
緊張をごまかすように、なんでもない話題を始めた。
「うーん。あのね、水を見てたの」
森島先輩が水面を振り返った。水面は黄金色を宿して、ゆらゆらと揺れていた。水の輝きが森島先輩の顔を白く浮き上がらせ、何となく寂しく見える表情を克明にさせていた。
「水、ですか?」
「うん。私、水を見るのが好きなの。海とか川とか、噴水とか」
「いいですね。何となくですけど、森島先輩には似合っている気がします」
僕は納得する気持で、頷いた。
「そういうふうに言ってくれるのって、響と橘君だけかも。優しいのね。このこの」
森島先輩は顔を上げて、おどけるように僕のお腹を軽く叩いた。
「そ、そんなことないです」
僕はドキドキしながら謙遜した。
「そうなの? じゃあ、私にだけ優しいのかな? もしかして、私のこと、好きなの?」
不意に森島先輩は、まるで僕を試すかのような緊張をまとって、僕をじっと見詰めた。
「――え?」
僕は答えられず、恥ずかしくなって目を逸らした。
「なんちゃって」
森島先輩はふっと噴出した。
「そうよね。残念。……あったかい」
森島先輩は再び水面に目を移し、頬にカイロを当てた。
僕は、ドキドキと胸が高まってくるのを感じた。胸の底から何度も強い意思が浮かび上がったけど、その度にためらいが押し戻そうとした。
風が吹いていた。森島先輩の顔に映った光が、僕の感情を移すように揺れていた。森島先輩は風に吹き上げられそうになる髪を、そっと押えた。
僕は風が吹いて、過ぎ去るまでの間、ずっと葛藤していた。だけどある瞬間、決心が躊躇いを押し返した。
「好きです」
思い切って、僕は口にした。
「え?」
森島先輩が髪を押えながら、僕を振り返った。
「僕、森島先輩のことが好きです」
胸の中がかーっと熱くなっていた。でも、僕の気持ちは、抑えられなかった。
「本気?」
森島先輩は上目遣いになって、じっと僕を見詰めた。大きな瞳が、じっと僕を突き刺すように向けられる。
「はい! 本気です!」
躊躇いなく――というより、勢いに任せて捲くし立てていた。
「そうなんだ」
森島先輩は、まだ上目遣いで僕を見詰めていた。
不思議な緊張が、僕たちを支配していた。森島先輩はふっと緊張を取り払うと、さっきまでのやり取りがなかったみたいに立ち上がった。
「橘君って、思っていたより男らしいんだね」
「そうですか」
照れて微笑を浮かべる。
森島先輩が僕を振り返り、楽しげに微笑んだ。
「うん。ちょっとびっくりしちゃった。ありがとう。凄く嬉しい」
「先輩……」
ということは……。この感じは……。
でも森島先輩は、ふとそっぽ向いた。
「でも駄目。私、年上で頼りがいのある人が好みなの」
森島先輩は、残念でした、という感じで僕を振り返り、笑いかけた。
「そうなんですか」
僕はふらふらと下がり、愕然とする。
「うん。それじゃまたね、橘君。あ、カイロありがとう。凄く暖かいよ」
森島先輩は鞄を手に取ると、カイロを持っている手で、手を振ると、そこから去ってしまった。
僕は茫然とする思いで、ずっと森島先輩の後ろ姿を見送った。森島先輩は向うの建物の陰に消えてしまった。それでも僕は、いつまでも茫然と見ていた。
何となく、冬の風が僕の裸の心をそっと撫でて、そのまますっと過ぎ去った、という感じだった。
それから、少しずつ僕に思考が戻ってきた。
僕、振られちゃったのか? ていうか、告白しちゃった?
いやいや、告白じゃないよ、今のは。今のは……とりあえず、帰ろうか。
アマガミSS 公式ホームページ
作品データ
監督・シリーズ構成:平池芳正 原作:エンターブレイン
スーパーバイザー・構成協力:高山箕犀 坂本俊博 キャラクターデザイン:合田浩章
美術監督:高橋麻穂 色彩設計:松山愛子 編集:廣瀬清志
コンポジットディレクター:加藤友宜 CGディレクター:松浦裕暁
音楽:大森俊之 音響監督:飯田里樹 音響効果:奥田維城
アニメーション製作:AIC
出演:前野智明 伊藤静 名塚佳織 新谷良子
〇 佐藤利奈 今野宏美 阿澄佳奈 寺島拓馬
〇 浅川悠 早水リサ 久保田竜一
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