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■2010/08/04 (Wed)
映画:外国映画■
スーパーヒーローたちの自警行為を禁止するキーン条例が制定された1980年代。スーパーヒーローの代名詞であったウォッチメンのメンバーは一般人として平穏な暮らしを過ごしていた。
だが、ある夜。ウォッチメンメンバーの一人であるコメディアンが何者かに殺害された。超人的なパワーを持つスーパーヒーローを誰が殺したのか? 警察は自分たちの手に追える事件ではない、とあっさりと捜査を中断してしまった。
そんな最中、ウォッチメンメンバーであったロールシャッハが自ら事件の調査を始める。ロールシャッハはキーン条例が制定された後も、密かに街の自警活動を続けていた。
ロールシャッハは、コメディアン殺人事件をただの殺人事件ではない、もっと根の深い事件であると推測。ウォッチメンメンバーが狙われていると推測したロールシャッハは、警告を与えるためにかつての仲間たちを訪ねていく。
だが、かつての仲間たちはすでに新しい生活を始めていて、ロールシャッハの警告を受け付けようとしなかった……。
ヒーロー誕生の切っ掛けは、悪漢が扮装して銀行強盗などを繰り返すので、それに対抗する手段としてコスチュームヒーローが生まれた、となっている。それが1930年頃、となっているから、物語における歴史パラレルワールドはこの辺りから始まっている。もともとは警官隊がコスチュームを身にまとって戦ったそうだ。
映画『ウォッチメン』を鑑賞するに当たり、まず注意しておくべきことがある。
この物語は、現実世界を丁寧になぞって作られているように見えるが、「スーパーヒーローが歴史に介在している」という前提を取っているので、少しずつ我々の知る歴史と違ってきている。
その大きなところが、「ベトナム戦争の勝利」だ。ウォッチメンたちの戦争参加により、アメリカはベトナム戦争に勝利した、ということになっている。それからニクソン政権はその後も続き、映画冒頭で3期目を就任している。
『ウォッチメン』は、「もしもコミックヒーローのような存在が近代史に介入していたら」というifを描いた作品である。『ウォッチメン』はヒーローと悪の対決を描いた作品ではなく、超人的パワーを持った人たちが社会、あるいは世界とどのように向き合い、干渉しあっていったのか、それを描いた作品である。
『ウォッチメン』の映画化には長い前途の旅があった。はじめはスター俳優中心の単純明快なヒーローものにする構想だったようだ。原作があまりにも長大で複雑難解だったため、どう映画にすべきか相当悩んだらしい。最終的には原作をよく知るザック・スナイダーが監督に就任したことで、作品にとってもファンにとっても望ましい形で映画化された。
映画『ウォッチメン』は悪との戦いを描く作品ではない。“宿敵だった”と呼ばれるキャラクターが登場するから、悪との対決はすでに完了済みようだ。
『ウォッチメン』が描くのは、スーパーヒーローが社会とどのように向き合っていくのか、その姿や生き方である。『ウォッチメン』における社会はより大きく、世相、あるいは政治がスーパーヒーローを圧倒し、その活動や力に制限をかけようとしている。スーパーヒーローとはいえ特別な存在ではなく、あくまでも大きな社会のたった一人でしかない、という描き方である。
ここが、単に子供のヒーローで、同じストーリーを毎年繰り返すだけで、作品が商品解説番組に成り下がっている日本のヒーローものと違うところである。
『ウォッチメン』が描く街の風景は、臭ってくるような重々しさを湛え、スーパーヒーローは通り行く群集のうちの一人として、埋没するように描かれている。あるいは、裏通りの暗部にひっそり佇んで、街の平和を密かに見守っている。
これは、おそらくヒーロー漫画文化の厚みが違いを分けたのだろう。アメリカだからこそ、ヒーロー漫画にここまでの深みを与えられたのだ。日本の漫画技術は間違いなく世界最高のものだが、ここまで大きく複雑な世界を描き、ヒーローの内面的暗部まで描いた作品はおそらく日本には存在しないし、そもそも日本人の発想では到達し得ない。ヒーロー漫画の長い系譜とヒーローそのものへの深い洞察、それから強烈な社会の干渉が『ウォッチメン』という到達点へ至らしめたのだ。
Drマンハッタンを演じたビリー・クラダップはほぼ全編、白スーツを身につけて演じた。実際画面上に残ったのはビリーの顔骨格の一部だけで、あとはほとんどデジタルである。画面に映っている筋肉も、堂々たるフルチンも、すべてデジタル上で作られたものである。
『ウォッチメン』は、決してリアルな演劇を追いかけた作品ではない。どの台詞も不必要に重々しく、勿体つけたような言い回しで語られる。物語の語り手であるロールシャッハの独白は、影を持った陰鬱さをまとい、いかにもなハードボイルド風のニヒリズムが込められている。
アクションは決めの瞬間ほどスローモーションが多用され、コミックのコマ割を忠実に再現されている。その動きが様式的に見えて、『ウォッチメン』的な仰々しさを補強している。
物語の展開は、「ヒーロー狩り」を本道として何度も傍流に迷い込んでいく。物語の背景にある、あまりにも複雑な背景、それから各キャラクターの過去の解説。
物語の本流だけを追いかければ、もっと短い作品になるはずだが、それでは解説不十分な作品になってしまう。作品における精神的部分まで再現しようとしたら、過去を描くサイドストーリーが不可欠なのだ。
だがその過去はあまりにも複雑で重々しく、しばしば物語の本筋がどこにあったのか見失いかけてしまう。
アクションは肉体破壊や流血を強調的に描かれる。スマートなアクションではなく、暴力の痛々しさを強烈に見せ付けるためだ。
ところで、路地裏で悪漢に襲われるシーン。悪漢たちがなぜかちょんまげスタイルに、「侍」と書かれたTシャツ。何だこれは?
『ウォッチメン』はコメディアン、Drマンハッタンの2人が物語のテーマ的部分を体現している。この2人こそが物語上の最重要人物といっていいだろう。もっと言えば、この2人以外のヒーローはヒーロー漫画としてはありきたりで、平凡な性質を持ったキャラクターたちであると言える。コメディアンとDrマンハッタンの存在が、『ウォッチメン』を『ウォッチメン』たらしめているのだ。
Drマンハッタンはコミックヒーローの中でも異色の存在である。ある実験の事故を切っ掛けに超人的パワーを得た――そこまではよくありがちなキャラクターだが、その力はあまりにも絶対的で、超人的といわず、もはや神がかり的な領域に達している。それがスーパーヒーローの“力の大きさ”を現している。神がかっているからこそ、その力が物語における重要な役割を果たすようになる。
もう一人のコメディアンは、スーパーヒーローの中では平凡なパワーの持ち主だが、重要なのはヒーローとしてはあまりにも特異なその性格、気質である。映画冒頭で死亡するにも関わらず、映画全体を通して最も重要で、コメディアンがいるからこそ、映画に一貫したテーマが与えられたのだ。
『ウォッチメン』の物語の中で主に語られるのは、コメディアンの英雄的側面ではなく、むしろ悪逆非道の数々である。ベトナム戦争では現地人の女を妊娠させた挙句銃殺。戦争から帰った後も攻撃的な性格を変えることなく、デモ隊に突入しては容赦のない暴力行為。さらには、仲間のウォッチメンメンバーへのレイプ。ちなみに、ケネディを暗殺したのもコメディアンということになっている。
コメディアンについて、ロールシャッハはこう語る。
「人間の本質は暴力だ。どれだけうわべを着飾り、ごまかしても、社会の素顔を奴は見抜き、――自らそのパロディとなった」
人間の本質は暴力であるが、しかしうわべでは平和を語ろうとする。これは物語の背景として大きく取り上げられている核による平和――冷戦を現している。平和を得るために圧倒的な暴力を必要とする矛盾。人間は暴力や攻撃性を前にしないと、決して団結しないし、平和を望んだりもしない。自分に向けられる暴力に抗するのも、やはり暴力である。
だからコメディアンは一人、皮肉を込めた笑いを浮かべるのである。
「な、おかしいだろ」と。
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作品データ
監督:ザック・スナイダー 原作:アラン・ムーア
脚本:デイヴィッド・ヘイター、アレックス・ツェー
撮影:ラリー・フォン プロダクションデザイナー:アレックス・マクドゥエル
編集:ウィリアム・ホイ 音楽:タイラー・ベイツ
出演:マリン・アッカーマン ビリー・クラダップ
〇 マシュー・グード カーラ・グギーノ
〇 ジャッキー・アール・ヘイリー ジェフリー・ディーン・モーガン
〇 パトリック・ウィルソン スティーヴン・マクハティ
〇 マット・フルーワー ローラ・メネル
〇 ロブ・ラベル ゲイリー・ヒューストン
〇 ジェームズ・マイケル・コナー ロバート・ウィスデン
だが、ある夜。ウォッチメンメンバーの一人であるコメディアンが何者かに殺害された。超人的なパワーを持つスーパーヒーローを誰が殺したのか? 警察は自分たちの手に追える事件ではない、とあっさりと捜査を中断してしまった。
そんな最中、ウォッチメンメンバーであったロールシャッハが自ら事件の調査を始める。ロールシャッハはキーン条例が制定された後も、密かに街の自警活動を続けていた。
ロールシャッハは、コメディアン殺人事件をただの殺人事件ではない、もっと根の深い事件であると推測。ウォッチメンメンバーが狙われていると推測したロールシャッハは、警告を与えるためにかつての仲間たちを訪ねていく。
だが、かつての仲間たちはすでに新しい生活を始めていて、ロールシャッハの警告を受け付けようとしなかった……。
ヒーロー誕生の切っ掛けは、悪漢が扮装して銀行強盗などを繰り返すので、それに対抗する手段としてコスチュームヒーローが生まれた、となっている。それが1930年頃、となっているから、物語における歴史パラレルワールドはこの辺りから始まっている。もともとは警官隊がコスチュームを身にまとって戦ったそうだ。
映画『ウォッチメン』を鑑賞するに当たり、まず注意しておくべきことがある。
この物語は、現実世界を丁寧になぞって作られているように見えるが、「スーパーヒーローが歴史に介在している」という前提を取っているので、少しずつ我々の知る歴史と違ってきている。
その大きなところが、「ベトナム戦争の勝利」だ。ウォッチメンたちの戦争参加により、アメリカはベトナム戦争に勝利した、ということになっている。それからニクソン政権はその後も続き、映画冒頭で3期目を就任している。
『ウォッチメン』は、「もしもコミックヒーローのような存在が近代史に介入していたら」というifを描いた作品である。『ウォッチメン』はヒーローと悪の対決を描いた作品ではなく、超人的パワーを持った人たちが社会、あるいは世界とどのように向き合い、干渉しあっていったのか、それを描いた作品である。
『ウォッチメン』の映画化には長い前途の旅があった。はじめはスター俳優中心の単純明快なヒーローものにする構想だったようだ。原作があまりにも長大で複雑難解だったため、どう映画にすべきか相当悩んだらしい。最終的には原作をよく知るザック・スナイダーが監督に就任したことで、作品にとってもファンにとっても望ましい形で映画化された。
映画『ウォッチメン』は悪との戦いを描く作品ではない。“宿敵だった”と呼ばれるキャラクターが登場するから、悪との対決はすでに完了済みようだ。
『ウォッチメン』が描くのは、スーパーヒーローが社会とどのように向き合っていくのか、その姿や生き方である。『ウォッチメン』における社会はより大きく、世相、あるいは政治がスーパーヒーローを圧倒し、その活動や力に制限をかけようとしている。スーパーヒーローとはいえ特別な存在ではなく、あくまでも大きな社会のたった一人でしかない、という描き方である。
ここが、単に子供のヒーローで、同じストーリーを毎年繰り返すだけで、作品が商品解説番組に成り下がっている日本のヒーローものと違うところである。
『ウォッチメン』が描く街の風景は、臭ってくるような重々しさを湛え、スーパーヒーローは通り行く群集のうちの一人として、埋没するように描かれている。あるいは、裏通りの暗部にひっそり佇んで、街の平和を密かに見守っている。
これは、おそらくヒーロー漫画文化の厚みが違いを分けたのだろう。アメリカだからこそ、ヒーロー漫画にここまでの深みを与えられたのだ。日本の漫画技術は間違いなく世界最高のものだが、ここまで大きく複雑な世界を描き、ヒーローの内面的暗部まで描いた作品はおそらく日本には存在しないし、そもそも日本人の発想では到達し得ない。ヒーロー漫画の長い系譜とヒーローそのものへの深い洞察、それから強烈な社会の干渉が『ウォッチメン』という到達点へ至らしめたのだ。
Drマンハッタンを演じたビリー・クラダップはほぼ全編、白スーツを身につけて演じた。実際画面上に残ったのはビリーの顔骨格の一部だけで、あとはほとんどデジタルである。画面に映っている筋肉も、堂々たるフルチンも、すべてデジタル上で作られたものである。
『ウォッチメン』は、決してリアルな演劇を追いかけた作品ではない。どの台詞も不必要に重々しく、勿体つけたような言い回しで語られる。物語の語り手であるロールシャッハの独白は、影を持った陰鬱さをまとい、いかにもなハードボイルド風のニヒリズムが込められている。
アクションは決めの瞬間ほどスローモーションが多用され、コミックのコマ割を忠実に再現されている。その動きが様式的に見えて、『ウォッチメン』的な仰々しさを補強している。
物語の展開は、「ヒーロー狩り」を本道として何度も傍流に迷い込んでいく。物語の背景にある、あまりにも複雑な背景、それから各キャラクターの過去の解説。
物語の本流だけを追いかければ、もっと短い作品になるはずだが、それでは解説不十分な作品になってしまう。作品における精神的部分まで再現しようとしたら、過去を描くサイドストーリーが不可欠なのだ。
だがその過去はあまりにも複雑で重々しく、しばしば物語の本筋がどこにあったのか見失いかけてしまう。
アクションは肉体破壊や流血を強調的に描かれる。スマートなアクションではなく、暴力の痛々しさを強烈に見せ付けるためだ。
ところで、路地裏で悪漢に襲われるシーン。悪漢たちがなぜかちょんまげスタイルに、「侍」と書かれたTシャツ。何だこれは?
『ウォッチメン』はコメディアン、Drマンハッタンの2人が物語のテーマ的部分を体現している。この2人こそが物語上の最重要人物といっていいだろう。もっと言えば、この2人以外のヒーローはヒーロー漫画としてはありきたりで、平凡な性質を持ったキャラクターたちであると言える。コメディアンとDrマンハッタンの存在が、『ウォッチメン』を『ウォッチメン』たらしめているのだ。
Drマンハッタンはコミックヒーローの中でも異色の存在である。ある実験の事故を切っ掛けに超人的パワーを得た――そこまではよくありがちなキャラクターだが、その力はあまりにも絶対的で、超人的といわず、もはや神がかり的な領域に達している。それがスーパーヒーローの“力の大きさ”を現している。神がかっているからこそ、その力が物語における重要な役割を果たすようになる。
もう一人のコメディアンは、スーパーヒーローの中では平凡なパワーの持ち主だが、重要なのはヒーローとしてはあまりにも特異なその性格、気質である。映画冒頭で死亡するにも関わらず、映画全体を通して最も重要で、コメディアンがいるからこそ、映画に一貫したテーマが与えられたのだ。
『ウォッチメン』の物語の中で主に語られるのは、コメディアンの英雄的側面ではなく、むしろ悪逆非道の数々である。ベトナム戦争では現地人の女を妊娠させた挙句銃殺。戦争から帰った後も攻撃的な性格を変えることなく、デモ隊に突入しては容赦のない暴力行為。さらには、仲間のウォッチメンメンバーへのレイプ。ちなみに、ケネディを暗殺したのもコメディアンということになっている。
コメディアンについて、ロールシャッハはこう語る。
「人間の本質は暴力だ。どれだけうわべを着飾り、ごまかしても、社会の素顔を奴は見抜き、――自らそのパロディとなった」
人間の本質は暴力であるが、しかしうわべでは平和を語ろうとする。これは物語の背景として大きく取り上げられている核による平和――冷戦を現している。平和を得るために圧倒的な暴力を必要とする矛盾。人間は暴力や攻撃性を前にしないと、決して団結しないし、平和を望んだりもしない。自分に向けられる暴力に抗するのも、やはり暴力である。
だからコメディアンは一人、皮肉を込めた笑いを浮かべるのである。
「な、おかしいだろ」と。
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作品データ
監督:ザック・スナイダー 原作:アラン・ムーア
脚本:デイヴィッド・ヘイター、アレックス・ツェー
撮影:ラリー・フォン プロダクションデザイナー:アレックス・マクドゥエル
編集:ウィリアム・ホイ 音楽:タイラー・ベイツ
出演:マリン・アッカーマン ビリー・クラダップ
〇 マシュー・グード カーラ・グギーノ
〇 ジャッキー・アール・ヘイリー ジェフリー・ディーン・モーガン
〇 パトリック・ウィルソン スティーヴン・マクハティ
〇 マット・フルーワー ローラ・メネル
〇 ロブ・ラベル ゲイリー・ヒューストン
〇 ジェームズ・マイケル・コナー ロバート・ウィスデン
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