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■2010/08/10 (Tue)
評論■
1・イントロダクション
アニメーション版『鋼の錬金術師』が終了して、そろそろ2ヶ月が過ぎようとしている。『鋼の錬金術師』がいかなる作品であったのか、総括、分析、それからアニメ史における位置づけ的なものはおそらくもう完了しているだろうと思う。
後半展開における『鋼の錬金術師』は概ね評価が高く、好印象のまま終了した。作品に接したほとんどの人は『鋼の錬金術師』を熱狂的に支持し、傑作であると認めている。ここでその評価に対し、わざわざ異論を唱えようというつもりはない。私自身、『鋼の錬金術師』は最近見たアニメの中でもベストワンに選びたい作品だと思っている。
ところで、ここ近年かびますしく言われるようになった批評に、「最近のシリーズアニメは話が短い」というものがある。大雑把な理由として、制作会社が企画に消極的で、とりあえず試験的な1クール(およそ13話)を制作、放送し、それから続きを制作するか決めるからだ、という。
だが、そういった理由を別にしても、最近のアニメは確かに物語を構成する力が弱く感じる。たった13話という短い期間であるにも関わらず、物語の途上で息切れを始め、退屈な中だるみに気分は冷え切ってしまい、最後はぼんやりした印象で何となく終わってしまう。率直に断じてしまうと、13話も必要ない、といいたくなるアニメ作品は少なくない。
2クール(およそ25話)構成の作品も少なからず存在するが、こちらはもっと無様なありさまで不時着することが多い。エピソード数が増えた分、それだけ中だるみも多くなるだけで、物語の終わり頃には見る行為がとりあえず結末を確かめるための作業となってしまう。必要と思えないエピソードが多く、終わり際になると大慌てで情報が詰め込まれ、無理矢理にクライマックスに引っ張り込もうとする。見ている側は何が起きたかわからず茫然自失で、ラストへのカタルシスなどどこにもない。
最近のアニメは長編の制作が難しくなっている。それは制作会社が尻込みしているから、という理由だけではなく、作り手側に「長編を構成する方法」を理解している人が少なくなったからだ。どんなにキャラクターが魅力的に描けていても、背景がしっかり描写されていても、肝心の物語が中途半端でつまらなかったら何の意味がない。
エピソードをどのように配置し、キャラクターを操作し、物語後半への動線を作っていくのか。それでいて、どうすれば見ている側の興味と関心を維持し続けられるのか。
それを理解して意識的に物語を作っていく力が弱くなっている。「物語は思いのまま書けばいい」などという、日教組教育的な創作論を振りかざしてるあいだは、どんなに頑張っても絶対に傑作は生まれない。
その一方で、『鋼の錬金術師』は物語後半ほど勢いを強めていった作品である。『鋼の錬金術師』後半は、それまで提示されていた全ての要素、キャラクターが集められ、鮮烈な絵巻物を織り上げていった。クライマックスへ至る動線、それからエンディングは、鮮やかと評するしかない見事さである。もはや近代アニメにおける奇跡であるといっていいだろう。
では、なぜ『鋼の錬金術師』がそんな奇跡を描けたのか。『鋼の錬金術師』だから奇跡が起きたのか、『鋼の錬金術師』以外では奇跡を引き起こせないのか。もし奇跡を起こすことができるのなら、それをある程度まで操作できないものだろうか。
『鋼の錬金術師』を教科書と見做し、「いかに長編の物語を作るか」を考えていきたいと思う。
次回:基本の構造を作る
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