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■2010/08/11 (Wed)
評論■
7・クライマックス
当り前の定義を示すが、クライマックスとはそれまでに提示した全てが統括される場面のことである。
だが最近のアニメでは、放送回数を無駄に消費して、最後になって唐突に何かをする、というパターンが目立つ。物語の最後の最後という局面に差し掛かると、それまでの文脈をまったく無視して、唐突に難題が提示され、その難関に対して登場人物たちが何かしようというドラマが作られる。
まるで、夏休みの宿題を、残りの数日になって大慌てで片付けようとするみたいに。
それまで描いてきた全ての要素を足し算していったところにクライマックスは存在している。クライマックスはそこに至るまでの物語の全体像を克明にし、作品の真の姿を示す場面である。
作品はクライマックスに向けて物語を綴っていくべきだし、そこに至るまでの構造に間違いがなければ、クライマックスは確実に素晴らしい瞬間になる。
『鋼の錬金術師』におけるクライマックスは、言うまでもなく『約束の日』である。夜明けのシーンから数えて16話(→第49話親子の情)。通常のアニメなら一つのシリーズを終えてしまうだけの分量を、この『約束の日』というたった一日のために消費された。物語中の時間で見て行くと、夜明けから日食が発生する昼までの短い時間だ。
ここまで長い場面を一つのシーンとして描いてきたアニメはないし、今後においても稀な作品になるのは間違いない。しかもどの場面も息苦しいまでの緊張感に満ち満ちていて、一瞬の隙も油断も許さない名シーンの連続であった。
最近のほとんどのアニメは尻すぼみになって忘れられ、埋もれていくだけだが、ここまで右肩上がりに輝きを放った作品の例は非常に貴重だ。
なぜ『鋼の錬金術師』はあのような傑出した場面を作り出せたのか。それはこれまでの組立ての全てに意味があり、意味を与えようという作者の意識的な意図があり、それが結実するフィールドの構想があったからである。才能と偶然によって作られたものではなく、構想しようという意志力と計算力があのようなクライマックスを作り出せたのだ。
漠然としたキャラクターのアイデアと勢いだけでは後に残る作品は生まれない。作品をどのように発展させていくか、どのような結末を目指して物語を構築していくか、その構想力がなければ、物語創作は確実に失敗する。
そこに、ある程度の思想や理性的な知性も必要だ。物語最初に提示したベーシックを哲学的領域まで深化させられるまでとことん考えぬかれば、物語は広がりと深さを獲得することはできない。
『鋼の錬金術師』という作品を支えたのは、原作者荒川弘の優れた構想力によるものだ。エピソードの一つ一つに物語後半に向けて意味づけをしようという意思があり、それが着実に効力を持ってクライマックスを作り上げた。それから、ふとすると難しくなりがちな物語の背景や構造を、冒険物語の過程の中で順当に解説し、読み手に理解を促していった。物語作りにおいて大切な心構えである「わかりやすく語ること」という当り前の作法を心得た結果である(物語をもっともらしく見せようとして意図的に難しく、わかりにくくしようとする作品と作家は多いが→押井守)。
はっきり言えば、荒川弘は絵がうまい漫画家ではない。アクション描写が優れているわけでも、感動的なドラマに長けている作家でもない。ビジュアル構築を見ても、第1次世界大戦前後ふうのドイツの風景に、今どきなファッションが不自然に混じっている。これならば、今どきの素人のイラストレーターのほうがずっと優れた作品を描くことができる(最近は素人でもやたら絵がうまいのだが)。それでも『鋼の錬金術師』を誰もが認める傑作に押し上げたのは、荒川弘の構想力とそれを支える知性、それから深い洞察力である。そして、ふとすると複雑になりかける物語(あるいは哲学)を、誰にでも理解できるように噛み砕いて伝える能力である。
ただ漠然と物語を作るのではなく、終局的な意図を持って物語を綴っていく、という考え方が大切なのだ。構想しようという意志力そのものが必要な心構えなのだ。
『鋼の錬金術師』相当のストーリーを、あるいは『鋼の錬金術師』を越えたいと思うのなら、キャラクターやベーシック的なものを考え出した後に、それをどのように生かすべきか、どのように深化させられるか、キャラクターとベーシックがスカスカになるまで考え抜く。最初に提示したアイデアでどれくらいのスケールまでイメージを押し広げられるか。その考える力なしには、どんな傑作は生まれない。
前回:伏線の作り方
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