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■2016/06/17 (Fri)
創作小説■
第7章 Art Loss Register
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6
次のT字路を左に曲がる。比較的賑やかな界隈へと入っていく。右手の歩道に背の高いビル群が現れる。しかしやはり人通りは少ない。通りを歩く人達は、勢いを増す雨と風に、傘を差したり、雨宿りをする場所を探して走ったりしていた。雨はどんどん強くなっていった。フロント・ガラスに打つ雨が激しく、ワイパーで掻き分けても一瞬のうちに無数の波紋で視界を覆った。周囲の風景は雨に溶け始めていた。すでに下水の水が溢れ返っている。
町の騒音は、小波のような雨の音に飲まれていった。雨が強くなる一方で街は静まり返っていた。
やがて次の信号がやって来た。ダイハツ・ムーブが信号の前で停車する。といっても、横断歩道を渡る人はない。ヒナは慎重に左右を見て、川村らしき人影を捜していた。
歩道側の信号が点滅する。正面の信号が青に変わった。ダイハツ・ムーブが発進する。
バシュッ!
その音は、水量の増えた濁流が、小さな堤を破壊する音のようだった。ふとすると雨の音に紛れてしまいそうな音だったが、異質感を持って体に感じるような気がした。
ヒナが慌てるようにアクセル・ペダルを踏んだ。ダイハツ・ムーブがブォォォと低い音を鳴らす。しかし音は空回りするばかりだった。ダイハツ・ムーブは速度を上げず、ゆるやかにスピードを落としていった。
ツグミは何が起きたかを察して、運転席のコクピットを覗き込んだ。計器類の中央で、ガソリン・スタンドを示すマークが点滅していた。
「アカンわ。この辺りで停めるで」
目の前の角をヒナは右に曲がり、細い路地に入っていった。歩道に沿ってパーキング・メーターが立っているのが見えた。
ダイハツ・ムーブはゆっくり速度を落としていった。あと少し、ぎりぎりというところで、駐車スペースに車を駐める。
ヒナはすぐにダイハツ・ムーブの外に出た。まずパーキング・メーターにコインを入れて、車の正面に回り、ボンネットを跳ね上げた。
ツグミは車の中に取り残されて、不安な気持ちになった。外の雨は、かなり強い。ヒナは1人で大丈夫だろうか、と心配になった。
ツグミは、目の前に立ち上がったボンネットを見詰めていた。ヒナは何か点検しているらしいが、ツグミからはメタル・ベージュのボンネットしか見えなかった。
ふとツグミは、嫌な気配を感じた。まるで銃口でも突きつけられているような、冷たい感触だった。
ツグミは左の窓を振り返った。まさにその時、ダイハツ・ムーブの横を、トヨタ・ブレイドが横切った。
トヨタ・ブレイドの運転席に、長髪の男が座っていた。長い髪を無造作に後ろに垂らしていた。その男が、間違いなくツグミを見ていた。
ツグミは長髪の男と目が合った瞬間、体の中を探られたような、気持ち悪さを感じた。
いきなり正面からバンッと音がした。ヒナがボンネットを閉じたのだ。
ツグミは引き戻されるようなものを感じて、正面を振り返った。しかし恐怖感だけが残った。ツグミは恐怖感を抑えられず、運転席を這って進み、ドアを開けた。
ヒナは今度はダイハツ・ムーブの後部車輪の前まで進み、屈み込んで裏側を覗き込んでいた。服がもうすっかり雨に濡れていた。
ツグミは杖を突いて、車から降りた。すると急にバランスが崩れて、車にもたれかかってしまった。足下が、波の上にいるようにぐらついた。
「ヒナお姉ちゃん、今……」
ツグミは車に手をつきながら、ゆっくりヒナの側に向かおうとした。
その時に、ツグミは車の後ろに点々と液体が漏れているのに気付いた。雨で地面の色が濃くなっているけど、明らかにそれとは違う、油っぽい照かりを浮かべていた。
ヒナがすっと立ち上がった。ヒナはツグミを見て、首を左右に振った。
「あかん。やられた。ガソリン、全部漏れとう」
ヒナの全身はすっかり雨で濡れて、口から漏れる息が白く固まった。
ツグミはヒナの報告に、心臓を掴まれるような気分になった。とっさにあのトヨタ・ブレイドが頭に浮かんだ。あの男だ、と。
ヒナはツグミを押しのけるようにして、運転席のドアを開けた。ヒナは、ダッシュボードの上に置かれた地図帳だけを手に取った。それからキーを抜いて、ドアを閉めた。
「ツグミ。ここから歩いて行くで」
「でも、どこに行くん?」
ツグミは気持ちの整理ができず、ヒナに問いかけた。
ヒナも答えに詰まって、辺りを見回した。すぐにヒナの目線がある一点に定まった。
ツグミもヒナを同じ方向を振り返った。通りを真っ直ぐ行ったところに、開けた場所があった。そこに全面ガラス張りの、大きな建物があった。JR高松駅だ。
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目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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