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■2015/12/01 (Tue)
創作小説■
第5章 Art Crime
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3
店の裏手に入るが、そこに本の在庫などどこにもなかった。代わりにあるのは夥しい数の画板で、画板はあちこちに放り出されたり積み上げられたりしていた。本はその画板に挟まれたり、下敷きにされたりして、ぐしゃぐしゃになっていた。まるで材木屋のような大きなアルミの棚が部屋にいくつか置かれ、画板がその中に無造作に突っ込まれていた。画板に絵が描いていなければ、いったい何が置かれている場所なのかわからず、うっかりすると廃棄物の山のようにすら見えた。
こんな場所でも、かつては画廊であった。岡田もまっとうな画商であった時期があったのだ。
しかし、バブル崩壊後の危機に直面すると、岡田はさらっと画商を廃業し、同じ店で成人誌専門店を経営し始めた。それがうまくいったらしくて、岡田は今日まで生き延びてこられたのだ。
表のいかがわいしさと較べると、ここはちょっとほっとする。エロ本屋独特の居心地の悪さに較べると、こんな場所でも天国みたいに思えた。
ただ絵の管理は杜撰としか言いようがなく、狭い空間に埃と湿気が渦巻いていた。埃の壁が目の前に立ち塞がっている気がして、ツグミはハンカチを口に当てて奥へと進んで行った。
置かれている絵は無名作家がほとんどだが、掘り起こせば何かしら見付かりそうな雰囲気はあった。調子が良かった当時は、手広く商売をやっていたらしい。あの時代に行方不明になった絵画も、ここでよく探したら見付かるかもしれない。
「岡田さん? いますか?」
ツグミは足元に気をつけながら、奥へとゆっくり進んだ。
「おう嬢ちゃん、来たか。こっちや、こっち」
山積みになった画板の向うから、岡田が顔を上げて手招きした。
「岡田さん、ここ、ちょっと酷いですよ。ちゃんと掃除してください。絵が可哀想です。それに、表のあんな本、悪趣味やわ。ちゃんとしてください」
ツグミは岡田を非難しつつ、床に投げ出された絵画を慎重にかわしながら進む。乱暴に放りだされているけど、もしかしたら行方不明の名品かもしれないし、そうでなかったとしても絵を踏むなんてツグミには絶対にできなかった。
「なに言ってんのや。芸術なんていうのはな、女の裸やで。ルネサンスで革命を起こしたボッティチェッリ(※1)は、おっぱい描いて有名になったんやで。ほら、あれも見てみい」
岡田は左奥を指差した。ツグミはちょっと足を止めて、岡田が指差さした方向を振り返る。
棚の2段目に、絵画が1枚こちらを向けて立て掛けられていた。作者不明の『スザンヌの水浴』(※2)だった。裸の女が泉の前で体をくねらせ、豊かな乳房や尻を挑発的に強調し、まるで誘うような目付きを、鑑賞者に投げかけていた。
ツグミは心から嫌悪を浮かべて、普段は絶対しない舌打ちをした。
『スザンナの水浴』は、もともとは聖書の外典を題材にした作品である。宗教画の一つとして、多くの画家が手がけてきた画題だ。だが、スザンナは本来の聖書中の意味がしばしば無視され、単なる猥褻画になりかける傾向が多かった。レンブラントだけは例外にして、ツグミの大嫌いな画題だった。
「で、どれなんですか。その絵は」
もう、これでもかとばかりに、声に不機嫌を込めた。
「ほら、あれや」
部屋の一番奥に、イーゼルにかけられ、仰々しく紫の布が掛けられたキャンバスがあった。
窓が画板で遮られて、辺りは薄暗い。裸電球の明かりがぼんやりと照らしていた。紫色が、薄明かりの中で、やけに強調的に浮かぶような気がした。
キャンバスの大きさは100号相当。畳み1つ分だ。紫の布はともかく、大きさだけでも大作を予感させるものがあった。
※1 サンドロ・ボッティチェッリ 1445~1510年。イタリアの画家。本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ。ルネサンス初期を代表する画家。岡田が例に挙げている作品は、おそらく『ヴィーナスの誕生』のこと。
※2 スザンナの水浴 聖書の外典であるダニエル書に書かれた短編。スザンナの水浴を題材にした画家たちは、多くは聖書中のストーリーに沿わせて画を作ったが、中には脅迫する2人の長老の姿を省略し、単に人妻の裸を扇情的に描く口実にする画家もいた。
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目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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