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■2015/11/27 (Fri)
創作小説■
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
前回を読む
ヒナの部屋はもう誰も帰ってこない。ヒナがいた頃には、散らかっていてもどこかに生命感があった。それが完全に消えてなくなり、あの部屋は、廃墟のような寂しさが漂い始めた。
新聞では1度だけ、あのミレーの鑑定結果についてベタ記事に小さく掲載された。あのミレーは真画であり、少なくとも70億円の値打ちが付けられ、テレビや週刊誌でバッシングされた必要経費2000万円も、一切の無駄がないどころか、相当に切り詰めたものだということも証明された。
しかし何もかもが明らかになると、「叩くものがないと面白くない」とでも言いたげに、報道は勢いをなくし、この話題について取り上げるメディアは1つもなくなってしまった。
妻鳥家には平和が戻ってきたけど、失われたものは大きかった。あれだけ盛況だった神戸西洋美術館には、誰も来なくなってしまった。ツグミの周りでは話題にする人どころか、1週間前にそんな事件があったことを覚えている人すらおらず、ただただ当事者が深く傷ついただけで、事件は忘れられていった。
それから数日が過ぎた。
ツグミは学校から帰ってきて「ただいま」と画廊の中に呼びかける。いつもの習慣だけど、誰も返事する者はいない。だけどツグミは、壁に掛けられた3枚の絵に微笑みかけ、「ただいま」の挨拶をした。
ツグミは杖をつきながら、画廊の奥の上り口まで進み、腰を下ろす。1日の授業が終えて、ふぅと溜息が漏れる。
それからリュックを下ろそうとすると、電話が鳴った。
ちょっとびっくりした。あれ以来、マスコミ関係から一切電話は来ていない。とはいえ、軽い電話恐怖症になってしまった。
ツグミはリュックを置き、4度、5度、とコール音を聞く。胸に手を当てて、ゆっくり深呼吸をして気持ちを鎮めると、やっと受話器を取り上げた。
「はい。妻鳥画廊です」
そういえば電話も久し振りだ。鑑定の依頼も、そろそろ来て欲しい頃だけど。
「おう、嬢ちゃんか。俺や俺。岡田や」
電話の向うから、威勢のいい神戸弁が聞こえてきた。
落ち込んでいるときには絶対に聞きたくない声だった。一瞬、切ろうかと思った。でも、それさすがに大人気ない。
「何ですか?」
ツグミは喧嘩にならない程度の冷淡さで応じた。
「無事か、そっちは。えらい目に遭うたな。テレビで見とったで」
口ぶりから判断して、一応は心配してくれているみたいだった。
「いえ、あの事件はもう、解決しましたから」
少しだけ、岡田がいい人、と思ってしまった。危ない、危ない。
「おお、そうか。良かったな」
岡田は電話の向うで頷いているかのように、うんうんと言い始めた。
「それで、その……」
用件はそれだけだろうか。ツグミは言葉に感謝を消して、「鬱陶しい」を言外に滲ませた。
「まあ、まあ、まあ、ちょお待ってや。今からウチに来おへんか。ちょっと、見せたい絵があるんや」
「嫌です。絶対に。お断りします」
どうやらこれが本題らしい。岡田はいつもより調子よく誘い掛けたけど、ツグミは即答した。
「いやいや、ほんまほんま。凄い絵が入ったんや。それで、その、ちょっと頼むわ。嬢ちゃんに見てもらいたいんや」
岡田は急にもどかしく言葉を詰まらせた。岡田からの電話で、そういう流れになるのは初めてだった。
「もしかして……鑑定依頼ですか?」
ツグミは自分で口にしながら、ちょっと信じられないような気持だった。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
第5章 Art Crime
前回を読む
1
次の日の朝、ツグミとコルリが目を覚ますと、もうヒナはいなかった。あの夜のヒナが、ツグミにとって最後のものになってしまった。せめて、お別れくらい言いたかった。ヒナの部屋はもう誰も帰ってこない。ヒナがいた頃には、散らかっていてもどこかに生命感があった。それが完全に消えてなくなり、あの部屋は、廃墟のような寂しさが漂い始めた。
新聞では1度だけ、あのミレーの鑑定結果についてベタ記事に小さく掲載された。あのミレーは真画であり、少なくとも70億円の値打ちが付けられ、テレビや週刊誌でバッシングされた必要経費2000万円も、一切の無駄がないどころか、相当に切り詰めたものだということも証明された。
しかし何もかもが明らかになると、「叩くものがないと面白くない」とでも言いたげに、報道は勢いをなくし、この話題について取り上げるメディアは1つもなくなってしまった。
妻鳥家には平和が戻ってきたけど、失われたものは大きかった。あれだけ盛況だった神戸西洋美術館には、誰も来なくなってしまった。ツグミの周りでは話題にする人どころか、1週間前にそんな事件があったことを覚えている人すらおらず、ただただ当事者が深く傷ついただけで、事件は忘れられていった。
それから数日が過ぎた。
ツグミは学校から帰ってきて「ただいま」と画廊の中に呼びかける。いつもの習慣だけど、誰も返事する者はいない。だけどツグミは、壁に掛けられた3枚の絵に微笑みかけ、「ただいま」の挨拶をした。
ツグミは杖をつきながら、画廊の奥の上り口まで進み、腰を下ろす。1日の授業が終えて、ふぅと溜息が漏れる。
それからリュックを下ろそうとすると、電話が鳴った。
ちょっとびっくりした。あれ以来、マスコミ関係から一切電話は来ていない。とはいえ、軽い電話恐怖症になってしまった。
ツグミはリュックを置き、4度、5度、とコール音を聞く。胸に手を当てて、ゆっくり深呼吸をして気持ちを鎮めると、やっと受話器を取り上げた。
「はい。妻鳥画廊です」
そういえば電話も久し振りだ。鑑定の依頼も、そろそろ来て欲しい頃だけど。
「おう、嬢ちゃんか。俺や俺。岡田や」
電話の向うから、威勢のいい神戸弁が聞こえてきた。
落ち込んでいるときには絶対に聞きたくない声だった。一瞬、切ろうかと思った。でも、それさすがに大人気ない。
「何ですか?」
ツグミは喧嘩にならない程度の冷淡さで応じた。
「無事か、そっちは。えらい目に遭うたな。テレビで見とったで」
口ぶりから判断して、一応は心配してくれているみたいだった。
「いえ、あの事件はもう、解決しましたから」
少しだけ、岡田がいい人、と思ってしまった。危ない、危ない。
「おお、そうか。良かったな」
岡田は電話の向うで頷いているかのように、うんうんと言い始めた。
「それで、その……」
用件はそれだけだろうか。ツグミは言葉に感謝を消して、「鬱陶しい」を言外に滲ませた。
「まあ、まあ、まあ、ちょお待ってや。今からウチに来おへんか。ちょっと、見せたい絵があるんや」
「嫌です。絶対に。お断りします」
どうやらこれが本題らしい。岡田はいつもより調子よく誘い掛けたけど、ツグミは即答した。
「いやいや、ほんまほんま。凄い絵が入ったんや。それで、その、ちょっと頼むわ。嬢ちゃんに見てもらいたいんや」
岡田は急にもどかしく言葉を詰まらせた。岡田からの電話で、そういう流れになるのは初めてだった。
「もしかして……鑑定依頼ですか?」
ツグミは自分で口にしながら、ちょっと信じられないような気持だった。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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