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■2016/06/03 (Fri)
創作小説■
第6章 イコノロギア
前回を読む
19
そんな時、電話が鳴った。夜明け前の5時という時間だ。時ならぬ電話だ。こんな時間にいったい誰が……。アトリエにいた全員が、緊張した顔で振り返った。まさか宮川がもうここを嗅ぎつけたのか。
電話はアトリエではなく、隣のキッチンにあった。壁の向こうで、頼子が電話機を取る気配があった。
頼子が電話の相手とやりとりしている。壁の向こうだから、話し声までは聞こえない。
また頼子の気配が動いた。頼子はそっとドアを開けて、アトリエを覗いた。手に子機を持っていた。
「光太さん、警察から」
頼子は、子機の送話口を押さえながら、光太に遠慮がちに呼びかけた。光太と頼子は子供もいないから、今でも仕事していたときの通りに呼び合っている。
光太がヒナを振り返った。「どうしよう」と言いたげだった。
「出てください。でも、私たちはいないっていうことにしてください」
ヒナは小声で光太に注文した。光太は少し考えるふうにしてから、了解して頷いた。
その間に頼子が光太の側にやって来た。光太は頼子を振り返って、子機を受け取る。
「光太ですが……」
光太は緊張で顔が引き攣っていたが、話し方はうまく律していた。光太と電話のやりとりは、しばらく続いた。
唐突に、光太は「本当ですか!」と声を上げた。それからは電話にかじりついて「うん、うん」と頷くばかりだった。
「わかりました。すぐに、そちらに向かいます」
ようやく光太は電話を終えた。
電話の要件は何だったのだろう。ツグミは情報が欲しくて、身を乗り立たせていた。ヒナも同じように1歩前に出ていた。
「警察からや。コルリが救出されたから、来てくれって。家族に連絡がつかんから、俺んところに掛けてきたそうや」
光太が振り返って、ツグミとヒナを交互に見た。光太の顔は緊張していた。ヒナは少しほっとしたような顔をしていた。
「コルリのところには、叔父さんだけで行ってくれませんか。私たちは、まだ警察の前に姿を見せるわけにはいかないんです。事件を本当に解決させられるチャンスですから」
ヒナはほっとした顔から、すぐに毅然とした表情を戻した。
ツグミは何となく杖を左手に持って、ヒナの左掌を握った。ヒナの掌はひどく冷たかった。
ヒナは隠していた心情を気付かれたみたいな顔をして、ツグミを振り返った。ヒナは「大丈夫だよ」と微笑みかけた。ツグミはそんなヒナから目を逸らしてしまった。
「すまんな。こういう時にこそ、男が従いていってやらなあかんのに」
光太は申し訳なさそうにうつむく。
「大丈夫です。この子は私が守りますから。あの、頼子さん、コート貸してくれます?」
ヒナは頼子に向かって、何か羽織るような仕草をした。
そういえばヒナはワイシャツにスラックスという格好だった。冬を前にした今頃では、少し薄着だ。
頼子はすぐに了解して、アトリエから出て行った。
ツグミはもう一度、ヒナを振り返った。「ヒナだって、女の子なのに」と抗議したくなった。
しかしツグミは反論を口にしなかった。簡単にやりかえされそうだった。ヒナから見れば、ツグミはまだまだ子供なのだから。
「ツグミ、行こうか」
ヒナはツグミを振り返った。ツグミは気分を改めて、口の両端に力を込めて、ヒナに頷いて返した。
ツグミとヒナは、アトリエを後にした。光太が見送りに従いてきた。ツグミとヒナは廊下を横切って、玄関まで進んだ。
ツグミはヒナに補助してもらって、上がり口を降り、靴を履いた。
そこで2階から頼子が、急ぎ足で降りてきた。頼子はコートだけではなく、色んなものを両手に抱えていた。
頼子が玄関までやってくる。頼子は、まずヒナにセーターとダッフルコートを手渡した。ツグミには毛糸の手袋を差し出した。ツグミとヒナは頼子にお礼を言って、受け取ったものを身につけた。
「叔父さん、コルリのほうはよろしくお願いします」
準備を終えると、ヒナは改まった感じで頭を下げた。光太はヒナの決意を受け入れるように、深く頷いた。
ヒナが踵を返した。ツグミはその後に従いて行こうとした。が、ツグミは思い付いて、もう一度、光太を振り返った。
「叔父さん、ルリお姉ちゃんが目を覚ましたら、伝えてください。『仇は取ってやる』って」
ツグミにとって、それが決意表明みたいなものだった。
光太はそれとなくツグミの気分を察したらしく、頷いた。口の端が、ちょっと笑っていた。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです
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