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■2015/08/17 (Mon)
創作小説■
第2章 贋作疑惑
前回を読む
6
ガラス戸の外で、風が重く流れていった。その音を聞いているだけで、身が凍えるように思えた。ツグミは何となくイーゼルに掛けられた絵画に目を向けた。川村の絵は、あれからずっとイーゼルに掛けられたままだった。そういえば、まだ絵のタイトルと値段を決めていなかった。
ツグミは体を折り曲げ、膝に両肘を突いて頬杖をつき、絵をじっと見詰めた。
素晴らしい絵だった。実直にして古典的。今の人には古くさく映るかも知れないが、ツグミはこの絵が大好きになってしまった。見る者の視線を、強引に引き寄せる力が絵にはあった。見ていると、絵の世界に意識が吸い込まれ、その住人にさせられるような実在感があった。単に技法的な絵というのではなく、画家の並外れた感性の強さを感じた。
その一方で、謎めいた絵だった。絵に描かれている細々としたモチーフが、いったいどんな意味を持つのか、なに一つわからなかった。
川村さんに、もうちょっと絵のことで話を聞けばよかったかな……。
ふとツグミの思考が絵から外れて、川村のことに移ってしまった。そうすると、川村の声が、顔が、姿が頭の中でぐるぐると回り始める。
ツグミは何だか胸の中でそわそわするようなもどかしさを感じた。幸福と苦しみが同時に降りかかって混濁するような、不思議な感覚だった。
ツグミは自分でも抑えられない衝動のようなものを感じて、杖を手にした。席を立ち、廊下を横切って台所へ向った。契約書類の棚からファイルを一つ抜き出し、開いた。川村の契約書類が一番上にあった。
契約書をファイルから抜き取ると、ツグミは画廊に戻った。電話棚の前に進み、受話器を手に取った。
そこで、ふっと我に返った。
「……あかんて。私、何やってねん」
素っ気なく呟いて、受話器を置いた。
電話に背を向け、テーブルの方に向おうとした。しかし、何かが強く背中を掴んでいる気がして、立ち止まってしまった。
ツグミは電話機を振り返った。それから、自分の手元の契約書に目を向けた。
絵描きは必ずしも字がうまいわけではない。むしろ字が汚い人のほうが多いかもしれない。だが川村の文字は、流れるような達筆だった。
ツグミは、しばらくじっと契約書の文字を見ていた。再び胸の中で、何かがせり上がってくるのを感じた。それは物凄い力で膨れ上がってきて、ツグミ自身で留められなくなった。
「……声を聞くだけだから。声聞くだけやったら、いいよね?」
自己弁護をしながら、ツグミは電話機を振り返り、受話器を掴み取った。何も考えず、勢いだけでボタンをプッシュした。
……6092―7824―00
受話器を耳に当てて、呼び出し音が鳴るのを待った。その間に、急に息苦しくなってしまった。我に戻ってしまった。やっぱり切ろう。そう考えを改めた。
そう思った直後、電話は素っ気ないテープの音声を流し始めた。
「……おかけになった電話番号は、現在、使われておりません……」
不審に思うより先に、ほっとしてしまった。もし繋がってしまったら、どうするつもりだったのだろう。
しかし、どういう訳だろう?
ツグミはもう一度、契約書に目を向けた。番号を間違えたのだろうか。いや、間違えたのだ。
ツグミは、もう一度、ボタンを押した。ゆっくりと、確実に。
「ちょっと試すだけだから。川村さんの声を聞いたら、すぐに切るから……」
ツグミは自分に言い聞かせるようにしながら、受話器を耳に当てた。
しかし、2回目もテープの音声だけだった。
おかしい。
ツグミは意地になりかけていた。何を話すか、というより、かけることに必死になりかけていた。
ツグミはもう一度ボタンを押した。一つ一つ確実に。絶対に間違いがないように。
やはり、呼び出し音は鳴らなかった。テープの音声だけだった。
ツグミは静かに落胆を感じて、茫然と電話機に目を落としてしまった。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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