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■2016/07/01 (Fri)
創作小説■
第7章 Art Loss Register
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13
バスが停留所に停まった。前方の扉が開くと、外から風の音が飛び込んできた。車道の車が水溜まりを跳ね上げる音が混じる。ツグミとヒナは、手を繋いで席を立った。バスの中を進み、ヒナが2人分400円を料金ボックスに入れた。
ヒナを先頭にツグミはバスの外に出た。外に出ると、ツグミは冷たい風を感じた。雨粒の冷たさが、点々と体に当たった。ヒナの長い髪が、向かってくる風を受けて大きく広がっていた。
降りた場所は端岡のバス停だった。標識柱が立っているだけの場所で、雨よけの屋根も、ベンチもない。バス停留所から少し進んだところに、歩道橋が架かっていた。
雨はもうやんでいた。雲が急速に散り始めて、その隙間から光線が差しかけていた。風だけがまだ勢いが強く、湿り気を乗せてびゅうびゅうと音を立てて吹いていた。
バスがドアを開けて動き出した。バスの後ろで滞っていた車も、同時に動き出した。
トヨタ・ブレイドはバスの2台後ろまで接近していた。ツグミとヒナはトヨタ・ブレイドを待ち受けた。
トヨタ・ブレイドがバス停の側で停まった。トヨタ・ブレイドの中から男が2人、出てきた。
1人は長い髪を後ろになでつけた男だった。もう1人は国分駅で見かけた、あの男だった。
2人の男たちは、目の前に立たれると、見上げるほどに背が高かった。それに迫力が凄まじく、より巨大な存在に感じられた。
ツグミは毅然としていようと、ヒナと並んで立っていた。が、ヒナがツグミを庇うように前に立った。
「ツグミ、もう行き。後は私が何とかするから」
ヒナが振り返った。押し殺した声だったけど、ツグミに有無言わせない迫力があった。
ツグミはほんの一瞬、決心が揺らいだ。ヒナを1人だけで残していきたくなかった。
しかしツグミは自分の役割を理解していた。どうするのが一番賢明なのか、理解していた。ツグミは迷いを押し込んで、ヒナに応えるように頷いた。
ツグミは目の前のものを振り切るように、踵を返した。胸の中で自分の役目と想いが対立するのを感じた。振り返ると、意思が挫けそうだった。
だから、ツグミは決して振り向かない、と心に決めて歩道橋に向かった。
すぐにツグミの背後で動きがあった。
「どこへ行く! 待て!」
男の声だ。明らかにヤクザの喋り方だった。
男の声がツグミを捉えるような気がした。ツグミは振り向かず、声に逆らうようにひたすら杖を突いて進んだ。
背後でヒナが動く気配があった。多分、男の前で立ちふさがった。
「あの子はもう関係ない。川村さんの居場所が知りたいんやろ。それなら、ここに書いてある。フェルメールの本物なら私にでも鑑定できる。私がいれば充分やろ。あの子は家に帰したって」
ヒナがヤクザに負けない勢いで、啖呵を切った。多分、偽のデューラーの『自画像』を提示して言っているのだろう。
結局、ヒナにばかり辛い目に遭わせてしまっている。助けられてばかりだ。ツグミはヒナに謝りたかった。振り返って、ヒナを助けに行きたかった。
しかしツグミは全てを飲み込んで、ただ前だけを見詰めて足を進めた。今は最優先にすべき目的があった。
ようやくツグミは、歩道橋の前までやってきた。手摺りを掴んで、右脚の片足跳びで階段を登った。危険登り方だったが、早く登りたかった。
背後の気配は、まだ何か言い合っているみたいだった。それも収束に向かっていた。
歩道橋を登り切ったところで、背後で「バタンッ」と閉じる音がした。ツグミはハッと振り返った。
ヒナの姿がどこにもなかった。男2人の姿もなかった。あったのはトヨタ・ブレイドだけだった。
トヨタ・ブレイドのエンジンが低く唸り、発車した。トヨタ・ブレイドはそのまま進み、歩道橋の下をくぐった。
行ってしまう!
ツグミは、心の中で悲鳴を上げた。歩道橋の反対側に飛びついた。トヨタ・ブレイドが走り去るのが見えた。ツグミはトヨタ・ブレイドの行方を追いながら、歩道橋の端まで進んだ。
トヨタ・ブレイドが左折して、脇道に入っていくのが見えた。琴平駅は反対方向だから、脇道に入ってUターンするつもりだ。
それきりトヨタ・ブレイドは見えなくなってしまった。ツグミはしばらく茫然と、トヨタ・ブレイドが去った脇道を見詰めていた。
ツグミも区切りを付けられた気がした。踵を返し、歩道橋を降り始めた。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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