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■2016/06/25 (Sat)
創作小説■
第7章 Art Loss Register
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10
ツグミは胸に手を当てて、改めてバスの中を見回した。他の乗客は、前のほうにお婆ちゃんが1人座っているだけだった。怪しい人影はない。ツグミはやっと心臓の速度が落ち着くのを感じた。
「ヒナお姉ちゃん、けっ……」
ツグミはヒナを振り向いて「警察に電話を」と言おうとした。が、ヒナがいきなりツグミの頭にタオルを被せた。
ヒナはツグミの髪を、くしゃくしゃと拭った。タオルはすでにかなりの水分を吸っていて、冷たくなっていた。
ツグミの発言は完全に挫かれてしまった。くしゃくしゃにされている状態では何も言えないので、ツグミはヒナが髪を拭い終えるのをしばし待った。ヒナはツグミの髪を拭い終えて、くしゃくしゃになった髪を整え始める。
ツグミはそろそろいいだろう、と顔を上げて、さっきの続きを訴えようとする。が、
「アカンで、ツグミ。まだ警察に電話したらあかん。タイミングを間違えたら、もうチャンスはないんやで」
ヒナがツグミの側に耳を寄せて、警告するように言った。
ツグミは言葉を封じられる代わりに、唇を尖らせて不満顔を作った。そう反論されるとわかっていたが、それでも言いたかった。
ヒナはツグミの不満顔を無視して、シートに立てかけていたデューラーの『自画像』を手にした。
「それよりも、この絵の所見をお願い」
ヒナはツグミにデューラーの『自画像』を手渡した。それから、ヒナは自分の髪をタオルで拭い始めた。
「あっ、ハイ。えっと……」
ツグミはいきなり板画を手渡されて、心の準備がすぐにできなかった。ツグミは冷静になろうと、一呼吸間を置いた。
ツグミは改めて板画に目を向けた。A4サイズの小さな絵だ。デューラー自身の姿が正面から描かれている。もともとが67×49センチの絵画なので、およそ半分のサイズだ。
デューラーが長い金の巻き毛を、胸に垂らしている。視線は真っ直ぐで、鑑賞者を見詰め返すような鋭さがあった。
ツグミはひと目ちらっと見ただけで、どんな絵なのか、すべて理解できた。
「アルブレヒト・デューラーの『自画像』。でもこれは、贋作師キュフナーの精巧な模写やね。1794年、アブラハム・ヴォルフガング・キュフナーは、ニュルンベルク市庁舎から、デューラーの本物を借り受けた。キュフナーはデューラーの本物を借り受け、その後デューラーの本物を2枚に挽き割り、そのうちの一枚に本物のそっくりのコピーを描いた。キュフナーは画家だったし、引き裂いた板にはデューラーの本物が写っていたから、本物を下書きに、色を塗ればいいだけだった」
それに本物を2つに挽き割っただけだから、裏面には鑑定書きが残される。ほぼ万全な贋作だったけど、唯一の難点が「厚み」だった。しかし当時は絵の厚みを測る者などいなかった。
キュフナーは、贋作を作った後、デューラーの『自画像』をニュルンベルク市庁舎に返却した。キュフナーを疑う者は誰もいなかった。
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目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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