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■2016/06/19 (Sun)
創作小説■
第7章 Art Loss Register
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7
ヒナがツグミの手首を掴んだ。ヒナは振り返りもせず、早足で進み始めた。ツグミはヒナのペースに従いていけず。転びそうになった。うまく杖を突いて、バランスを保った。
雨は斜めの線を描いて、礫になってツグミの顔にぶつかって来るみたいだった。傘もなしに歩くと、雨の勢いは痛いくらいに強かった。空気の冷たさが、肌に直接びりびりと触れてくるようだった。風も鋭さを持って、雨と共に迫ってきた。
高松駅の正面玄関は背の高いかまぼこ型になっていて、その壁面が全面ガラス張りになっていた。建物の左手に、駅から続くように大きな施設が見えた。
今は回りの景色を見ている余裕はなかった。ツグミとヒナは早足で広場を横切り、高松駅の構内に駆け込んだ。
やっと雨から逃れて、ほっとするような気持ちになった。ヒナが手を離してくれた。広場を横切った程度なのに、コートが雨を吸って冷たくなっていた。
高松駅の入口頭上が、高い吹き抜けになっていた。ガラス張りになった窓に、無数の雨粒を描いている。
ヒナはツグミの手を離すと、何かを見付けたらしく急に駆け出した。見ると、駅構内のコンビニのようだった。
ツグミはヒナに掴まれていた手首を見ながら、ゆっくり後を追って歩き始める。掴まれていたところだけ真っ白になっていた。
ツグミがコンビニに辿り着く前に、ヒナは用事を済ませて出てきた。ヒナの手にコンビニの袋があった。
ヒナはツグミの前までやってくると、袋からタオルを引っ張り出した。ツグミはタオルを受け取ろうとしたけど、ヒナはいきなりツグミの髪にタオルを当てて、くしゃくしゃと拭った。
ツグミは目を閉じて、ヒナにされるがままになった。ヒナはさらにツグミの顔と首についた雨をタオルで吸い取る。最後にくしゃくしゃにした髪を、手櫛で整え直した。
次にヒナは、自分の髪をくしゃくしゃと拭った。それで、ヒナは髪をくしゃくしゃにしたまま、タオルを首に掛けて歩き始めた。お風呂上がりみたいな格好だった。
ヒナは別の目的を見付けて、またツグミの腕を掴んで歩き始めた。
「ツグミ、おいで」
向かった先は乗車券売り場だった。自動券売機がずらりと並ぶ。人の数は少なかった。
券売機の前まで来るとヒナは財布を開けて、千円札を2枚券売機の中に入れた。運賃表など確認せず、迷わず千円分の切符を2枚購入した。ヒナは券売機から出てきた切符を取り、1枚をツグミに渡した。
今度は改札口に向かった。ヒナを先頭にツグミは改札口に急いだ。
改札口は自動ではなく、駅員が立っていた(※)。ツグミとヒナは順番に切符を渡して、切ってもらった。新鮮な経験だった。
改札口を潜ると広いプラットホームに出た。高松駅のプラットホームは6車線もあった。今は電車が4台停車している。
ヒナは目の前のプラットホームに進んだ。そのまま車両には乗らず、車両の様子を見ながら奥へと進んだ。人の少ない車両を選んでいるらしかった。
ツグミはヒナの後に従いて進んだ。ヒナは早足だから、追いかけるだけで必死だった。息が上がりそうだった。
そうしているうちに、発車を告げるベルが鳴った。ヒナは諦めて目の前の扉から入った。
ツグミも、ヒナの後に従いて行こうとした。しかしツグミは、背中に気配を感じた。あの冷たく触られる感触だった。
ツグミは後ろを振り返った。改札口の頭上に、ガラス張りの広間があった。多分、休憩室になっている場所だ。あそこに立てば、きっとプラットホームが一望できるだろう。
そのガラス張りの窓の前に、男が1人立っていた。長髪の男だった。長くよれよれになった髪を後ろに撫でつけている。青いジャケットに、グレーのシャツ。目元が深く窪んで影が落ちていたけど、瞳だけが異様なほどに輝いていた。
ツグミは、男の目線に射抜かれるようなものを感じた。体が冷たくなって足がすくんでしまった。
「ツグミ早く!」
ヒナが警告の声を上げた。
ツグミは急に金縛りが解けたみたいになった。電車の中に飛び込んだ。間一髪、電車の扉が閉じられた。
※ この物語の舞台は2008年。実際には、同年6月に自動改札機が導入されている。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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