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■2015/12/19 (Sat)
創作小説■
第5章 Art Crime
前回を読む
12
ツグミは思考を中断し、本題に戻った。「それで、その男の人と交換した品というのは?」
「蔵の中にあった、2枚の絵画だったねえ。ちらと見たけど、いまいち、ぱっとしない、無名作家の作品だったね。多分、彼自身が描いたものだろう。父は画家に援助もしていたから、彼もその1人だと思う。だから、交換しても構わないだろう、と思ったんだが」
紀明の口ぶりに、何となく懸念のようなものが浮かんでいた。もしかしたら、男が持って行ったものが高額なものかも知れない、と今さら思い始めているのだろうか。
「どんな絵だったか、憶えていますか?」
ツグミはさらに疑問を掘り下げた。
紀明は額や眉間に皺を寄せて、思い出すふうにした。が、すぐに首を振った。
「……すまない。憶えてないな。蔵の中には、あまりにもたくさんの絵があるし、ちらっと見ただけだから」
ツグミはちょっとがっかりした。実物の写真でもあれば、そこから誰が描いたかある程度の判断をつけられるのに……。
「それじゃ、名前は? 憶えていませんか。男の人の名前」
ツグミは質問を変えて、男の正体を探った。少し期待をして、密かにドキドキした。
「それは、はっきり憶えているよ。『国分徹』。ちゃんと領収書も書いてもらったから、間違いないよ」
紀明は頷き、今日一番の自信で断言した。
ツグミは声に出さず、「あれ?」という気になった。高まった期待が一気に冷やされる。別の男性の名前が出ると思ってたのに……。
「お父様は、眞人さんは、美術に詳しいという話でしたけど、どんなふうでした?」
ちょっと間があって、ツグミは次の質問をした。何を聞いていいかわからず、何となく、質問の軸がぶれてきた感じだった。
「父はこの辺の美術商の総元締めだったんだ。よく知らないけど、交換会にもかなり強い影響力を持てたらしい。実は、大原美術館のコレクションは、交換会で動員をかけて集めさせたって話だよ。葬式の時にも、そういう美術関係の人は一杯来ていたな」
初めて、紀明自身の体験とは違う話が出てきた。それでも、紀明は淀みなく話を続けていく。
何も考えずに出した質問だったけど、ツグミは何か「ピンッ」と来るものがあった。
「その時、葬式の時ですけど、ちょっと怪しい人たちって来てませんでした? 何となくヤクザ風、っていう感じの。名前は、そう『宮川大河』って言うんですけど」
急に思いついたことで、言葉を探りながら話した。
紀明は理解してくれて、いちいち頷いてくれた。
「ああ、来てたね。中国語を話していたから、よく憶えているよ」
紀明はちょっと不機嫌そうな顔になった。ヤクザが嫌いなのだろう。
「中国語ですか?」
「うん。そういう連中は皆、身内では中国語を話してたよ。父は手広く仕事していたからね。やっぱりああいう連中にも知り合いがいるんだろうと思ったけど。宮川だったね。今、調べさせるよ」
紀明は手を叩いて、女中を呼びつけた。女中は指示を聞くと、「はい、ただいま」と慌てず、静かに去っていった。
話が途切れた。ツグミと紀明は無言になってお茶を啜り、羊羹を切り崩す。
羊羹の味は絶品だった。一口で高級品とわかる深みのある甘さだった。おかわりが欲しかったけど、それはさすがに遠慮した。
でもツグミは、この羊羹を持ち帰ってコルリにも食べさせたいと思った。言えば、持ち帰らせてくれるかな……。
ツグミは切り出すタイミングを探って、何となくそわそわとしはじめてしまった。
そのせいで無言の間が長く続き、ツグミはちょっと気まずいような気持ちになってしまった。
「あの、その……、ちょっと見ていただきたいものがあるんですけど」
ツグミは羊羹の話題をするつもりだったけど、急に恥ずかしいような気持ちになってしまって、はぐらかすように別の話題を引っ張り出した。
「こういう人は知りませんか。捜しているんですけど」
ツグミはポケットの中に入れていた、川村の肖像写真を紀明に差し出した。
「ああ、国分徹さん?」
紀明は写真を覗き込んで、即答した。
「え? 今、何て?」
予想もしない答えに、思わず身を乗り出して聞き返してしまった。胸の中で、何かが大きく跳ね上がる気がした。
ツグミの反応に、紀明がいくらか怪訝な様子を見せた。
「国分徹さんだよ。間違いなく。それで、この人が何か?」
「い、いえ。別に」
ツグミは取り繕うように言うと、どうにか作り笑顔を浮かべて、写真と体を引っ込めた。
やはり『ガリラヤの海の嵐』を描いたのは川村だった! ツグミの勘は間違っていなかったのだ。
しかし、ツグミは写真を見詰めて、複雑な気持ちになった。
川村――国分――。あなたは誰なの?
心の中で、動かぬ川村の写真に問い掛けた。
1歩でも近付いたら、逆に新しい謎が立ち塞がり、遠ざかっていくような気がした。その度に、ツグミの体内に記憶された、川村の実像が怪しくなるような感じだった。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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