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■2015/12/17 (Thu)
創作小説■
第5章 Art Crime
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11
大原紀明の父、眞人は倉敷を代表する財閥一族の1人だった。眞人は科学繊維工業を一から興し、瞬く間に巨大な事業に成長させた(※)。眞人は美術に対する造詣も深く、かの『大原美術館』の建設にも大きく貢献したと言われている。美術館に収蔵されている美術品の何割かは、大原眞人の目利きによって蒐集されたそうだ。
その眞人が死去したのは1年前。77歳の大往生である。
眞人の跡を長男である紀明が事業を引き継ぎ、科学繊維工業は最新の技術を取り入れてさらに発展した。また寄付によって病院や研究所も作られ、地元に大きな貢献をしている。
「父は実業家として本当に有名だったからね。葬式には、それこそ大変な人が集ったよ。対応するだけでも大忙しだったね」
紀明は遠い思い出を話すように、宙を見上げた。大財閥の葬式となると、思い返す必要があるほど壮観なのだろう。ツグミにとって葬式といえば、母が死んで、家族だけのつつましい葬式を挙げた記憶しかない。父の太一はまだ死んだと思っていないから、葬式は断固として拒否し続けているが。
「その時に、誰かが『ガリラヤの海の嵐』を?」
ツグミは続きを促そうとしたが、ちょっと性急だったようだ。
紀明は首を横に振った。
「いいや。葬式から2ヶ月ほど過ぎてからだったな。ある日、ふらっと1人の若者が訪ねてきたんだ。あまり身なりのいい若者とは思えなかったので、追い返そうと思ったんだが、父の知り合いだというし、何となく不思議な感じのする若者だったのでね。それで家に上げたんだ」
紀明は話がうまかった。物語を語る調子で、淀みなく次々と話が流れていくようだった。
「その、男の人が『ガリラヤの海の嵐』を持ってきたんですね?」
ツグミは「若者」を意図して「男の人」と言い換えた。いよいよ核心に近付いてきた、という気分で、ちょっと身を乗り出した。
紀明は、訂正もせず、頷いた。
「そう。その男が『父に絵を預けていたから、この絵と交換して欲しい』と言うんだ。僕は『ガリラヤの海の嵐』を見て、『本物だ!』と思って、つい話に乗ってしまったんだ。ガードナー事件については知っていたからね。でも、まさか、あれが贋物だったとは」
紀明はまだ引き摺っているらしく、苦笑いを浮かべた。
あれなら、プロでも鑑定を見誤っても仕方のない完成度だ。とはいえ、普通、もう少し警戒するものだが。なにせ国際的な犯罪に関わった絵画なのだから。
「紀明さんは、美術にはお詳しいんですか?」
本題から脱線するが、ツグミは気になったので、あえて訊ねてみた。
「いや、美術に詳しかったのは父だよ。僕はさっぱりでね。でも、家に美術品がたくさんあるから、今、勉強中なんだ」
紀明は最近始めた日曜大工の趣味でも語るように、照れくさそうにした。
ツグミは「成程」と納得した。建築のセンスのよさや、女中たちの教育のよさは、紀明によるものではないらしい。
失礼だから心にしまっておくけど、紀明の美的センスは、眞人に遠く及ばないようだ。床の間の贋作だけではなく、他にも真贋の区別を付けられず買ってしまったものがたくさんあるのだろう。
しかし、聞かれもしないのに、わざわざ贋作だと指摘する必要はない。勉強を続ければ、いつかは自分で贋作と気付くはずだから。
※ 実在する大原財閥をモデルにしているが、あくまでも物語中のフィクションである。物語中の眞人や紀明といった人達は実在しない。『大原美術館』も実在する美術館だが、あくまでも物語中の空想である。
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目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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