あーーはっはっはっは!
私はイカ娘でゲソッ! 私たちの住処である海を汚す人間どもを侵略し、平和を取り戻すために地上にやってきたでゲソ!
私が来たからには、もういい加減なことは書かせないでゲソ。この変なブログは完全に私のものでゲソ。ここを拠点に、電脳世界は私が制圧するでゲソ!

アニメ第2期スタートの前に、これまでの成果を語るでゲソ。
人間たちの悪しき振る舞いに怒りを覚えた私は、海での平和な生活を捨て地上に這い上がり、最初に目に付いた海の家「れもん」を侵略の拠点にしようと飛び込んだでゲソ。……なのに気付けば「れもん」で働くことになっていたでゲソ。
仕事のない時は栄子たちの家で過ごし、漫画を読んだり、セガのゲームで遊んだりしているでゲソ。たけるや清美は大切な友達でゲソ。千鶴は……普段はいい人だけど、怒ると怖い人でゲソ。早苗は変な女でゲソ。一度早苗の部屋に監禁され、変な服を着せられ、恥ずかしい写真を一杯撮られたでゲソ。早苗は危険人物だから仲良くなりたくないでゲソ。シンディーは宇宙人の研究でなぜか日本の海水浴場に居座っている変な女でゲソ。
私の周りにはこんな変なやつらばっかりだけど、私は負けないでゲソ。いつか人類を支配し、もとの美しい海を取り戻すでゲソ!
「侵略者」と自称しつつ、普段の活動は海水浴場のゴミを拾ったり……悪いことはあまりできないでゲソ……。いや、私は人間たちを倒すためなら、どんな極悪非道の手段をためらわず、この世界を煉獄の闇に変える覚悟はできているでゲソ! 例えば……ピンポンダッシュとか……。やっぱり千鶴が怒ると怖いから、おとなしくしているでゲソ。

もしかしたら何もしないで「れもん」で働いているだけに見えるかも知れないけど、侵略活動は着実に進行しているでゲソ。
2010年に私の目覚しい活動の記録がテレビ放送されて以来、あらゆる作品やメディアに進出しているでゲソ。
まずは人間界の学問の中心地である早稲田大学の学園祭を2度も侵略。池袋のナンジャタウンでは私をモチーフにしたメニューが作られているでゲソ。オンラインゲーム「トリックスター」でも私の侵略拠点が出現。「とある魔術の禁書目録」のイン……なんだったでゲソ? とにかく侵略してきたでゲソ。今ではカーペイントで私を取り上げるのは常識! スタジオジブリの宮崎駿も「イカ娘」をお気に入り作品に挙げているでゲソ!
(←これは本当でゲソか?) 私の口癖「~ゲソ」はネット流行語大賞銅賞を受賞しているでゲソ。 私の勢力は着実に人間世界に広まっていっているでゲソ。このまま突き進めば、世界侵略もきっと夢では終わらないでゲソ!
もちろん幕間のコマーシャルも私が完全に侵略済みでゲソ! はじめて「CMをスキップさせない」有効な手段を見たという感慨だったでゲソ。利権団体は一方的に自分たちの利益ばかり主張する前に、どうやったら飛ばさず見てもらえるか、もう少し考えたほうがいいでゲソ。

映像は海水浴場を舞台にしているので、砂浜と海の色彩が背景の中心となり、すっきりした映像に仕上がっているでゲソ。海水浴場を舞台にしているけど、中心的な人物の描写を除いてモブキャラは思い切って背景に追いやられ、映像の密度は最近の作品においては際立って低いでゲソ。ほとんどの背景が砂浜と海、空だけなので、ざっくりとした印象があるでゲソ。しかも登場するキャラクターは水着と海パンだけでも不自然にならないし、その以上に手を加える必要がないでゲソ。
エンディングテロップを見てもわかるように、スタッフ構成も少人数。1つのエピソードに対して原画はたったの5人。第2原画を加えても10人を越えないでゲソ。もしかすると、漫画の制作人数を同じくらいの少なさでゲソ。
シンプルな映像構成でキャラクターが中心にクローズアップされるから、自然とキャラクターの動画と、その精度の高さのみに意識が集中できるでゲソ。もしかしたら、最近のアニメ作品において、もっとも経済効率のいい作品ともいえるでゲソ。
ただ、エンディングの歩き動画はDVD/ブルーレイまでに書き直してほしいでゲソ。動画の7から原画の1へリピートする瞬間の動きがちゃんと繋がっていないでゲソ。上下動のある動きなのに、スカートの高さが変わらないのも不自然でゲソ。何度も繰り返される動画だから、もう少し大切に描いてほしかったでゲソ。

また、『侵略! イカ娘』の舞台は夏に限定されているため、それ以外の季節を描く必要がないでゲソ。来る日も来る日も延々夏が繰り返され、世界は夏に固定されてしまっているでゲソ。もっとも、季節をテーマにしたエピソードを描けないという弱点はあるし、夏以外のシーズンでは作品の雰囲気が現実世界と合わなくなるという弱点もあるでゲソ
(「季節をテーマにしたエピソードを描けない」これは1話完結の日常を舞台にした作品としてはかなり致命的な弱点で、エピソードを練りこむのはかなり大変らしいでゲソ)。
永遠に夏の陽気さが続く作品……それが『イカ娘』でゲソ!
もしも私が「れもん」から去ると……どうやら季節が動き出すらしいでゲソ。なんででゲソか?
秀逸なのが主演を勤めた金本寿子の演技でゲソ。文章にしてもややどころではない奇妙な「~ゲソ」喋りを決して浮き上がらず、自然な言葉の中に見事に取り込んでくれたでゲソ。
……って、私に中の人はいないでゲソー!
世界侵略への道は遠く険しく、果てしないでゲソ。この先、どんな障害が私の前に待ち受けているのか……。
今までも多くの苦難を乗り越えてきたでゲソ。MITの手先と戦ったり、早苗のおぞまし罠にはめられたり、たけるの小学校を侵略したり……。世界侵略達成への道はまだ半ば。始まったばかりでゲソ!
いつか、かつてのような海の美しさを取り戻すために……私は人間世界を侵略し続けるでゲソ!
イカ娘さん、代筆ありがとうございました……主より
作品データ
総監督:水島努 監督:山本靖貴 原作:安部真弘
シリーズ構成:横手美智子 キャラクターデザイン・総作画監督:石川雅一
色彩設計:坂本いづみ 美術監督:舘藤健一 撮影監督:濵 雄紀
音楽:菊谷知樹 音響監督:若林和弘
アニメーション制作:ディオメディア
出演:金本寿子 藤村歩 田中理恵 大谷美貴
○ 伊藤かな恵 中村悠一 片岡あづさ 生天目仁美
○ 菊池こころ 佐々木雄二 勝杏里
[0回]
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ある穏やかな春の朝のことだった。空には雲ひとつないすっきりした青空が広がっている。風が暖かくて、冬の寒さはもう遠くに去ってしまったように思われた。
でも長野原みおの気分は沈みがちで、自分の胸を押さえつつ何度もため息をこぼしていた。
そんなみおの後ろ姿を見つけて、相生裕子――ゆっこが駆け寄る。


「みおちゃーん。スラマッパギ~」
ゆっこは手を軽くあげて、元気に声をかけた。
みおは憂鬱そうな顔をしていたけど、ゆっこの顔を見つけて少し明るい顔を浮かべた。
「ああ、ゆっこ。おはよう」
やはり憂鬱さを引きずっているように、沈んだ挨拶を返す。
――あれ? スラマッパギ素通り?

拳を思い切り振り上げたのに、みっともなく空振りしたような気分で、それでもゆっこはできるだけ気持ちを引きずらずにみおの右隣に並んで歩き始めた。
「どうしよう。学生証付け忘れて来たよ」
みおが再び左胸を気になるように押さえはじめた。

「そういう時は、私は3年生だ~って言っちゃえばいいんじゃない」
ゆっこはさっきの気まずさなど早々に忘れて、元気な声で提案した。
「なんの解決にもなってないじゃん」
軽く非難するように、みおが不満な声を上げる。
とその時、どこかで低く唸る音がした。ゆるい振動が足元を駆け抜け

ていく。
「なに? 雷? 晴れてるのに」
みおが足を止めて、顔を緊張でこわばらせていた。
ゆっこも足を止めた。でもからかう調子で軽く、
「いきなり降ってくるかもよ。夕立とか、雹とか……」

ガツンッ
衝撃的だった。重いショックが頭の上に落ち、痛みが首を通して全身に凄まじい速度で駆け巡っていく。
しかしそれは、ゆっこの頭にぶつかったおかげで勢いをなくし、カランカランと軽い音を立てながら足元に転がった。
こけしだった。

「……こけしが、降ってきた」
ゆっこは愕然と呟いた。
「大丈夫、ゆっこ?」
「うう、まさかのこけしだよ」
痛みとショックで、ゆっこは今にも泣き出しそうな声を漏らした。
「びっくりした。どっから落ちてきたんだろう」
みおがしゃがみこんで、不思議そうにこけしを拾う。
「わかんないよ~」
とゆっこは泣き出しそうな声で訴えるけど、すぐに気分を改めて笑顔を浮かべた。
「でも、人生の中でこけしに当たるなんてなかなかないからね。滅多にないでしょ、そんな人」
ゆっこは元気に喋りながら歩き始める。
「まずいないよ」
みおはまだショックから逃れられないように顔をこわばらせていた。

「逆についているかも……」
ズゴッ
強烈だった。でもそれは、やはりゆっこの頭にぶつかったおかげで勢いをなくし、カランカランと軽い音を立てながらゆっこの足元に転がった。

赤べこだった。
ゆっこは愕然と膝を着き、アスファルトの地面をつかんでうなだれた。
「ついてねぇ……」
絶望がひしひしと伝わってくる暗い声だった。
「ゆっこ大丈夫?」
みおが片膝を着いて、うなだれるゆっこを覗き込もうとする。
「まさかの赤べこだよ……」
それでもゆっこは、気丈にも立ち上がり、再び歩きはじめた。みおは地面に落ちている赤べこを拾い、ゆっこと並んで歩く。
「違う。ついてないんじゃない」
ゆっこは無理に気分をまくしたてるように、半ばやけっぱちの声で主張を始めた。
「こう考えればいいんだよ、みおちゃん。当たったものが生ものじゃなくて良かっ

たって。そう考えれば不幸中の幸いって……」
ぺしょ。
一瞬、世界が色を失くしたように思えた。
痛くはなかった。痛くはなかったけど、それは物凄い勢いでゆっこの頭にぶつかってそのままの張り付き、それきり人としての尊厳とかその

他もろもろの何かを奪い去って、どこか真っ白な知らないどこかに連れ去ってしまうかのように思えた。
ゆっこは茫然とした気分のまま、自分の頭の上に手を伸ばし、それを掴んで目の前まで持ってきた。
「……シャケだー!」
ゆっこは意味もわからず、叫んでいた。
『日常』その表題が示すように、この物語には血肉が踊りそうな冒険もなければ遠大な思想もなく、ビビッドな感情が交差しそうな恋物語もない。ただただ『日常』の一コマ一コマがそこにあるだけだ。
そんな気の抜けそうな作品にも関わらず、京都アニメーションは意味のわからないところで無駄な感性の高さと技術の強さをこれでもかと映像の中に注ぎ込み、『日常』の物語を見逃すべきではない一つの映像作品へと昇華させている。

まず左のカット。物語の冒頭、意味もなく唐突に爆発が描かれる。わずか6秒数コマ。にも関わらず、ロングで描かれた町並みを完全なデジタルで描いている。町を描くということは、描くこと自体の大変さとそれに支払う時間に関わらず、理不尽に安っぽく見做され、大抵の場合、無関心に素通りされてしまう。町の描写は簡単に描くとただの箱と見做されてしまうし、こだわりすぎてしまうと膨大に時間を奪い取られ、仕事として割が合わなくなってしまう。ただの箱と思われるとむしろそこが際立って作品そのものが安く見られるし、逆にきちんと描かれていても、それ自体当たり前だと思われているので誰も特別な関心を見せようとはしない。そんな宿命を背負ったロングでの町並みを、しかも尺にしてたったの6秒のシーンを、全面デジタルで描く。おそらく気付く人は少数だろうに、そんな場面であっても決して手を抜かず、技術の高さを惜しみなく投入する。もちろん手書きで描かれた爆発エフェクトのディティールも注目すべきポイントである。
なんともいえず、素敵な作品である。この一瞬だけで、アニメ『日常』を特別な作品として注目すべきものに仕上げてしまっている。
対象を中心に捉えながら周囲が動いているのは、対象をカメラの中心にぴったりと固定しつつ、カメラをPANさせている状態を想定しているためである。こうすると、画面はフィックス状態で静止しているように見えるのに、周囲の風景が移動しているような映像が作れる。アクションの最中での台詞など、そのシーンが持っている移動感を殺さずフィックスの画面を作りたい時などに利用できる技法である。

次も爆発シーンの続き。
映像としては一瞬だが、凄まじいディティールで描かれている。アニメで爆発を描く場合は、ロングで爆発の泡が広がっていく様子を描き、その大きさで威力の強弱を表現するというやり方がセオリーである。ここまでカメラを低く設置し、爆発の威力を有り体に描写するケースは珍しいし、確実にその効果を上げている。
左のカットは爆発の衝撃が真っ白な津波のような表現でカメラ正面に飛びついてくるように描かれている。はっとするような瞬間を描いているが、その周囲を飛び交うのは場違いに思える奇妙な物体ばかりで、爆発の恐ろしさはどこにもなく、衝撃をむしろシュールな笑いに変えている。

背景は一昔前のアニメで描かれがちだった平面的で記号的な描写をあえて取り入れている。うっかりすると平凡に取られがちな描写だけど、よくよく見るとあちこちに作り手による遊び心とネタ仕込が大量に張り巡らされている。ニコニコ動画で視聴している人は、ぜひコメントなしでその一つ一つを確かめながら見てもらいたい。この作品を見る場合のもう一つの楽しみになるはずだ。

最後に食べるはずだったタコさんウインナーを落とし、それを拾おうとゆっこが覚醒モードを発動する。現実的な時間としてはわずか数秒……「3秒ルゥール」という台詞があるから、おそらく3秒以内のできごとを数分という壮大な尺度に引き伸ばし、ドラマチックな瞬間の数々に仕上げている。
わずか数分だが、あらゆる作画技術が惜しみなく投入された


素晴らしいシーンである。左のカットはタコさんウィンナーを目指して疾走するゆっこ。足の動きがラフな線で捉えられている。これはその通り足の動きを一定の規則性を持ったラフな線を描いて仕上げら


れる。ただし、鉛筆の線は一定の濃さを維持しなければならず
(原則として線の濃さに強弱があってはならない)、ラフに書かれた勢いは、線の流れだけで描かなければならない。原画マンはのびのびとそ


の場面の持っている力強さを描けるが、トレスして仕上げる動画マンはやや緊張する動画である。
ラフに描かれた線は、形さえ繋がっていれば正確に中割りする必要はないし、そもそも原理的に中割り不可能である。だが、時々ラフに放り出された線の一つ一つをコンピューター並みの精密さで中割りしてしまう神業の持ち主が現れる。あまりに正確すぎる動画ができあがってしまうと、残念だがリテイクの原因となって返ってきてしまうので注意したい。


アイキャッチの前後に小ネタが挟まれる。【起→結】くらいの勢いで展開するのだが、ここは物語のリズムを作るためのものなので、むしろ短くていいだろう。小さなネタを散りばめた作品のいいクッションになっている。


物語の合間合間に挿入されるショートショート。それまでのシーンと比べて線や色彩などが変更され、はっきりと違うシーンであることが意識されている。

この場面では、おそらくトレスに筆ペンを使用し、意図できない不規則さとやらわらかさが出るように表現しようとしたのだろう。色塗り分けには2つの方法がある。1つは筆ペンでトレスした同じ動画用紙に色トレスで塗りわけ線を描く方法。もう1つは別の動画用紙を用意し、塗り分け指示だけを描く方法である。仕上げスタッフはこの2つの方法のいずれかを参考に塗り分け作業を行う。どちらの方法を採用しても動画作業はひと手間多くなるし、後者の方法の場合は使用する動画枚数が増えてそのぶん予算にかかってきてしまう。
見る側には大変さのほとんどは伝わらないが、それでも作り手は決して表現に手を抜いてはならない。作り手の苦労なんて1%くらいしか伝わらず、その一方で見る側の好みに合わないと「手抜きだ!手抜きだ!」の理不尽な大合唱が始まる――それがアニメ制作の宿命なのである。

『日常』で描かれる日常はどちらかといえば超現実的な異空間である。不思議な感性を持った人々に、現実的な演劇を無視し跳躍した描写の数々、そして画面のあちこちに張り巡らされたシュールな笑い。しかし映像が主旨しているのは、奇妙に思えるくらいゆったりと落ち着いた日常という毎日であり、その日常の中で繰り広げられる何でもない

一コマ一コマである。不思議な描写の数々が特別は激しさや恐ろしさを持つことはなく、ゆったりとした展開の中で淡々とした静けさを湛えながら描かれ、なだらかに満たされる背景音楽とともに過ぎ去ってしまう。
我々にとっては超現時的な異空間だが、しかし不安に思うことない。

登場人物たちにとってはあの日々は、飽くまでも「日常」なのだ。
その一方で、『日常』の映像は素晴らしい力強さで描写される瞬間がある。第1話においてはゆっこがタコさんウインナーを手に入れるために格闘を繰り広げるあの瞬間である
(第2話ではノートを巡る走り)。作り手はあのほんの数分のために不条理とも思える技術と労力を投

入しているが、我々が受け取る印象は圧倒される技術力でも美術的な感性でもなく――笑いである。ゆっこがタコさんウインナーに手を伸ばす瞬間、映像はかつてない劇的なクライマックスを描く――しかし作り手がその表現手法にこだわりを込めれれば込めるほどに、我々は唖然と力の抜けた奇妙な笑いを漏らすのである。
圧倒するような技術をほんの一瞬の笑いのために。その制作上の“理不尽”こそが、『日常』という作品に内包された“理不尽”な笑いを効果的に盛り上げている。

『日常』という作品と接していると、ふとスタジオジブリ制作の『となりの山田くん』を思い出す。『となりの山田くん』はそれまでのジブリ作品が描いてきた精緻な芸術的描写を敢えて放棄し、「絵が動くアニメ本来の面白さ」に立ち返った作品だった。その意図は間違いなく成功し、『となりの山田くん』は単純な線画でありながら、動くこと自体のプリミ

ティブな面白さを目一杯詰め込んだ作品となった。
が、そのメッセージは見る側にはまるで伝わらず、「手抜きアニメ」の非難を浴び、興行成績はそれまでジブリが経験したことのない勢いで大敗
(実は『となりのトトロ』よりは稼いでいるが、『もののけ姫』との落差が凄まじかった)。監督の高畑勲はその後、10数年にわたりアニメ監

督をやるチャンスを喪った。
だが、実は『となりの山田くん』は当時最先端だったデジタル技術を投入して制作された作品だった。それまで困難だった曖昧な線を取り込む技術を開発し、やわらかな絵として仕上げるための手法を考案し、その果てにようやく完成した映像だったのだ。制作費はその2年前に

公開された超大作『もののけ姫』を越え
(ほとんどパソコン導入のための予算だが)、そもそも作画枚数の多いジブリ作品の中にあって空前の作画枚数を記録した。また『となりの山田くん』は、アニメはカーボン転写したセルアニメでなければならないという定石を打ち破り、表現そのものへの可能性を開拓した作品だった。

アニメ制作の苦労は、1%でも見る側に伝わればいいほう。『となりの山田くん』のために支払った苦労を理解できたのは本当にごく少数――それも技術に関心を持った人や、アニメの現場を経験した人たちだけであった。
あれから12年の時が流れた。『日常』はふとすると、「手抜き」と蹴り

落とされそうな作品である。それも、線の密度こそが作品を支える絶対的なクオリティと信じる狂信的なアニメファンほど嫌いそうな作品である。
ざっくりと省略された線、奥行きを切り落としたパースティクティブ、単純化した平面的な演劇、記号的な書割のような背景、そしてあまり可

愛くないキャラクター
(『ハルヒ』や『らき☆すた』と比べて)――。しかしそれは、充分に発達した技術的な裏打ちがあり、さらに京都アニメーションならではの繊細な動画作りの感性あってこそ達成し得たものである。むしろ技術を持っているからこその「遊び」が『日常』という作品における醍醐味となっている。

思えば『となりの山田くん』は真面目すぎたのかもしれない。映画館という場所は、日本人にとって厳粛な場所である。映画館という場所に入ると、多くの鑑賞者は黙って映像を睨みつけ、真っ暗闇の全てを削ぎ落とした空間の中で、目の前に映し出される作品とだけ対峙する。そんな厳粛さと『となりの山田くん』は噛み合わなかったのかも知れな

い。
その一方、『日常』はシュールなギャグやニコニコ動画といった場所が作品の味方をするかも知れない。笑いは見る側の緊張と警戒感を解きほぐし、ニコニコ動画の騒々しさはあらゆる厳粛さを放棄させてしまう。
果たして『日常』はどのように受け入れられていくのだろう。すべての作品が黒字になればいい。それは作り手を含めた全てのアニメユーザーの願いである。『日常』が作り手から解き放たれた時、見る側・受け手はどのような印象を抱き、作品はどのように変貌していくのか。おそらく『日常』は、通常の作品のようにその作品だけで独立し自己完結せず、作り手だけではなく多くの受け手側の意識や印象や時に意識的な改変に作られた膨大な二次創作の全てを内包し、ようやく一つの作品として完結するだろう。その最終的な局面において、『日常』がどのような姿を見せるのか。きっと作り手の想像もしない方向へ飛躍した作品になっているだろう。しかしそんなシュールな状況すらも、『日常』という作品の内包する一つの感性として受け入れられ、語られていくだろう。
この作品は深夜放送であり、ニコニコ動画で配信される作品である。『日常』に限らず、多くのアニメーションがニコニコ動画に集まってきている。『花咲くいろは』
(←私の住んでいる地域ではテレビ放送しないらしい)『シュタインズ・ゲート』『そふてにっ』『30歳の保健体育』そしてまだ完了していない『魔法少女まどか☆マギカ』。
ニコニコ動画では主力コンテンツとして注目を浴びる一方、テレビ放送ではテレビ欄の隅っこのほうで省略して書かれる深夜放送である。これはもはや、テレビの敗北と言うべきだろう。
例えば『けいおん!』はゴールデンタイムで放送すれば、テレビ局は最近経験したことのない数値の視聴率と、莫大な広告費を得ただろう。しかしテレビはそのチャンスをものの見事に逃してしまった。特に『けいおん!』は、第1期の成功の1年後、第2期の放送があったのにも関わらずにだ。テレビはいまだに『冬のソナタ』の成功体験を忘れられず
(言うほど成功していないと思うのだが)、新しい韓国俳優を発掘し、大々的に韓国ドラマの放送を宣伝すれば全ての視聴者の関心を取り戻せると信じている。まるで宗教だ。
しかしテレビの仕事に従事しているほとんどの人たちは、自分たちが大きなチャンスを取り逃していることに気付いていないだろう。アニメという文化そのものを、何か特殊で異常な性癖を持った人たちによるいびつな何かに貶め、大衆的な場面から深夜という隅っこに追いやってしまった。それでいて、自分たちこそが大衆文化の中心で、日本中の関心がテレビに釘付けできるという――いや釘付けにできていると信じている。おそらく彼らの脳内で、厳しい鎖国制度ができあがり、周囲に関心が向けられないのだろう。自分たちの領域からさほど遠くないコミュニティで、どんな変化が起き、新しい社会性が作られているのか。テレビはその全てを知らず、いや何かしらの変化を察知しているからこそ大慌てでレッテル張りをしてアニメを深夜に追い込み、「良心は自分たち」であり、彼らは「異端」であるという印象をより多くの人たちの共通意識にしようとしている。
だからテレビはチャンスを失い、ニコニコ動画がチャンスを得た。もっとも魅力的なコンテンツはテレビからインターネットに移された。まだアニメのいくつかは深夜枠を借りているが、間借りしているだけに過ぎない。遠からず、アニメはテレビを捨てるだろう。アニメユーザーはすでにテレビへの興味をほとんど失っている。もはやアニメユーザーがテレビを捨てるが先か、アニメ業界がテレビを捨てるが先か、といったところまで来ている。
いっそテレビはこのまま鎖国してくれればいい。テレビはとっくに妄言と狂信を振りまくだけの場所になっている
(テレビは常に「ネットは嘘ばかりで信用ができない」と喧伝するが、テレビのほうがよっぽど信用できない。テレビは嘘を吐き散らかす病的な媒体になりつつある)。鎖国して永久にこちらの存在を認知せず、テレビがお気に入りの芸能人のスキャンダルだけを追い回してさえいればいい。そして自分たちが“今も”大衆文化の中心だ、という夢を見続けていつのまにか消えてなくなる。テレビにはそれがお似合いだろう。
「日常」 公式ホームページ
作品データ
監督:石原立也 原作・構成協力:あらゐけいいち
副監督:石立太一 シリーズ構成:花田十輝 キャラクターデザイン・総作画監督:西屋太志
色彩設計:宮田佳奈 設定:高橋博行 編集:重村建吾(楽音舎)
美術監督:鵜ノ口穣二 撮影監督:高尾一也 音響監督:鶴岡陽太(楽音舎)
音楽:野見祐二 音楽プロデューサー:斎藤滋(ランティス)
音響制作:楽音舎 音楽制作:ランティス プロデューサー:伊藤敦・八田英明
アニメーション制作:京都アニメーション
出演:本多真梨子 相沢舞 富樫美鈴 今野宏美 古谷静佳
○ 白石稔 堀川千華 川原慶久 山本和臣 平松広和
○ 小林元子 吉崎亮太 廣坂愛 比上孝浩 玉置陽子
○ 樋口結美 佐土原かおり 山口浩太 小菅真美 稲田徹
○ 水原薫 チョー 中博史 皆口裕子
★★★★(素晴らしい) ★★★☆(すごい) ★★☆☆(とても良い) ★☆☆☆(良い)
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