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■2016/07/17 (Sun)
創作小説■
第7章 Art Loss Register
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21
ツグミの体が、ガクリとなった。ツグミは自分が気を失いかけたのだと思って、首を振った。しかし違った。ボートのエンジン音が停止していた。どこかに到着したらしかった。周囲で男たちの気配が動いた。
ツグミは体の具合は最悪だった。船酔いだった。それにシートを被せられたといっても、やはり寒かった。頭がクラクラして、周りを囲む足音が、頭の中をグルグルと回っている感じだった。喉元に異物感が這い上がってきたけど、これは飲み込んで我慢した。
シートが外された。どこかの岸壁だった。コンクリートの岸壁が、目の前に立ち塞がった。その向こうに大きな倉庫があった。明かりがなく、倉庫が色を失った暗闇の中に浮かんでいた。辺りは暗くて、どれくらいの大きさなのかよくわからなかった。
男がツグミの腕を掴んで立ち上がらせようとした。しかしツグミは立てなかった。平衡感覚は完全に失われていたし、足下の感覚もなかった。立ち上がろうという体力すらなく、男にもたれかかってしまった。
仕方なく、男はツグミを掴み挙げて肩の上に載せて運んだ。
体が揺さぶられて、気持ち悪かった。視界は感度の悪いカメラのように激しくぶれていた。あまりにも気分が悪くて、誰かの目を通して光景を見ているようだった。体の入口と外側の両方に、異物感を這い上がってくるのを感じた。とにかく、その一線だけは越えまいと意思を保った。
突然、ツグミの体が投げ出された。一瞬、ツグミの意識が暗転した。どこか暗いところから、突き落とされたのだと錯覚した。
ツグミは指先で地面の感触を確かめた。突き落とされたわけではなかった。地面は乾いていた。なぜかその瞬間、ツグミは血が広がっていくのを幻覚の中で感じていた。
意識が戻るまで、しばし時間が必要だった。目元が霞んでいたし、辺りは照明のない暗闇だった。
目の前に明かりが入った。床に提灯みたいな照明が4つ並んでいた。照明が暗闇を淡いセピア色に浮かべる。
ツグミは頭を上げた。明かりの中に誰かいる。すらりとした長身。しかし足下はくっきりしているのに、胸から上が暗い影で覆われていた。
直感と気配だけで、誰なのか想像ができた。宮川大河だ。
ヒナが予言したとおり、宮川が出現した。ということは、今が最後の瞬間なのだ。宮川を捕まえる最後のチャンスであり、本物のフェルメールを手に入れる最終的なタイミングだった。
ツグミは意思を強く持ち、起き上がろうとした。腹を床にくっつけて、手を床に付け、上半身を持ち上げる。たかがそれだけの動作がひどい重労働だった。
それに、ちょっと吐いてしまった。口元を抑えて吐き出すものを受け取ろうとする。ネバネバとした粘液だけだった。
ツグミはやっとのことで上半身を起こして、顔を上げた。やっぱり宮川大河だった。
「立って見たまえ。実にいい眺めだぞ」
宮川は愉快そうだった。宮川の言葉がツグミの頭の中をガンガンと駆け巡り、気持ち悪かった。
ツグミはもうひとふんばり、と立ち上がろうとした。杖もないし、誰も補助してくれない。ツグミは右脚に体重を寄せ集めて、ゆっくり立ち上がった。まるで初めて立ち上がる子鹿のように、フラフラとしていた。
やっと立ち上がって、ツグミは片足飛びで2歩進んだ。宮川が視界の邪魔にならないように、そこを退いた。
照明の光に4枚の絵画が浮かんでいた。いずれもイーゼルに掛けられていた。4枚の絵はきちんと正面を向いて、整列していた。
ツグミはわかっているつもりだったけど、茫然としてしまった。全て『合奏』だった。
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目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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