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■2016/07/16 (Sat)
第14章 最後の戦い

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15
 イーヴォールは荒涼とした山中を、彷徨っていた。辺りは草木もつけない荒れた風景が広がっている。砂混じりの冷たい風が吹きすさぶ。
 馬は疲れ切ったという様子でふらふらと進み、乗り手であるイーヴォールも方向を定められず、馬の上でふらりと気を失ってしまった。馬が首の向きを変えた拍子に転げ落ちる。手の中にあったエクスカリバーも転がった。馬も体力の限界を迎えて、倒れた。
 イーヴォールの体力も限界だった。名前を言い当てられて以来、急速に老いが覆い被さってきた。体力が失われ、命が消費していくのが感じられた。
 イーヴォールはしばらく動けなかったが、やっと正気を取り戻し、朦朧としつつも側に転がっていたエクスカリバーを掴んだ。
 しかしすぐに立ち上がれない。地面に手をつけたまま、ぜいぜいと息をした。砂嵐が濃く、砂の粒がイーヴォールの体に被さってくる。
 イーヴォールは立ち上がった。不意に砂嵐が去った。すると岩の間に隠れるように、一軒の小屋が現れていた。

 イーヴォールは小屋の扉を開けて、その玄関口にどさりと倒れた。
 突然の来訪者に、三本腕の鍛工師は驚いて振り返った。

ヘパイストス
「こりゃ珍しい。神の嫌われ者が神を訪ねるとは」

 皮肉っぽく言いながら、ヘパイストスはイーヴォールに近付いた。

イーヴォール
「偉大なるグリシャの神よ。あらゆる鉄を鍛える鍛冶の神よ。……そなたに修復を頼みたいものがある」
ヘパイストス
「修復が必要なのは、あんたのほうじゃねえのか。話は聞いているぜ。ついに死神に見付かっちまったんだろう。オレたちゃ大抵の人間の生き死にには無関心だが、今回ばかりは大騒ぎさ。で、その人間が神サマにどんな頼みごとかね。信仰は絶えたとは言え、こっちは神だ。充分な見返りは用意しているんだろうな」
イーヴォール
「こいつを叩けるだけでも充分だろう」

 イーヴォールは持っていた剣を差し出す。

ヘパイストス
「ちっ。気に入らねえ奴だな。見せてみな」

 ヘパイストスは剣を受け取り、何気ない感じに鞘を抜いた。
 そこに現れた刃に、神の目がかっと見開かれた。

ヘパイストス
「こ、……これは北の神が鍛えし剣、エクスカリバー。ああ、見るのがもったいない。まさかこれを手にするとは……」

 神の手が震え、居住まいを正して剣に頭を下げた。

イーヴォール
「頼めるか」
ヘパイストス
「ああ。こんな幸運は神とはいえど滅多にない。火の神を受け継ぐこの名にかけて、最高の仕事をするぜ。見てな。これが神の最後の仕事だ」
イーヴォール
「すまない…な……」

 言い終えると、イーヴォールは倒れた。

 イーヴォールは夢の中で、ヘパイストスが鉄を叩く音を聞いていた。
 炉が赤く燃え上がり、三本腕を巧みに操りながら、手際よく作業を続けた。真っ赤に燃え上がった刀身が、鎚で叩く度に光の粉を散らした。その度に、剣はかさぶたを剥がすように錆を落としていき、その下から、神々しいまでに光輝く刀身を現した。
 そんな光景を夢うつつに見ながら、イーヴォールは昏々と眠り続けた。

 イーヴォールははっと目を覚ました。いつの間にか、ベッドで眠っていた。体を起こすと、側でヘパイストスがスツールに腰掛け、何かをじっと見詰めていた。

イーヴォール
「どのくらい眠っていた?」
ヘパイストス
「1日だ。憎たらしい奴だが、寝顔は悪くなかったぜ」

 ヘパイストスはイーヴォールを見ずに、ある一点をじっと見詰めたまま言った。

イーヴォール
「エクスカリバーはどうなった」

 ヘパイストスは無言で、見詰めている先を示した。
 そこに、一振りの剣が置かれていた。イーヴォールは剣の前まで進み、柄を手に取り、鞘を払った。

イーヴォール
「――おお……」

 あまりにも美しい刃であった。今まで覚えのない感動に、イーヴォールは不覚にも涙を落とした。
 エクスカリバーは見事に甦っていた。その刃は神の息吹を宿し、堂々たる威風をまとっていた。まさしくエクスカリバーだった。

イーヴォール
「……見事だ」
ヘパイストス
「オレも随分鉄と遊んできたが、そいつは間違いなく最高傑作だぜ」
イーヴォール
「ヘパイストス……。なんとお礼を言ったら……。ありがとう」

 イーヴォールは剣を鞘に戻し、目元を拭った。

ヘパイストス
「らしくもない言葉を使うな。礼を言いたいのはオレのほうさ」

 ヘパイストスは顔を赤くしていた。
 イーヴォールは神に充分なお礼を告げて、小屋の外に出た。すると、倒れたはずのスレプニールが息を吹き返して、イーヴォールを待ち受けていた。

イーヴォール
「何から何まで……本当に済まない」
ヘパイストス
「いいってことよ。……クロースの悪魔と戦うのだろう」
イーヴォール
「ああ」
ヘパイストス
「イーヴォール。人間は神が造ったんじゃない。人間が神を造ったんだ。そしてその神をないがしろにして、自分たちの住み処から追放したのも人間だ。神の支配はもういらねえってな。その代わりに造って、大事にしたのが悪魔、というわけだ」
イーヴォール
「人間は幸福ではなく、不幸に引きつけられる。不幸に集まって団結する。悪魔はその不幸を自ら演出するための道化にすぎん。クロースの奴らは厄介なものを作ってくれた。しかも連中は、あらゆる罪を内部ではなく、外部の人間に見出そうとする。異教徒への虐殺を、正義だと信じて疑っていない。悪魔を作ったのも、自分たちではないと思っている」
ヘパイストス
「錯乱しているのさ。いや、狂っている。悪魔は強すぎだし、その王はもっと強い。俺達ですら、倒せない。倒せるのはその剣だけだ。その剣を正しく扱える人間、ちゃんと見付けているんだろうな」
イーヴォール
「もちろんだ」
ヘパイストス
「……そうか」

 ヘパイストスは溜め息を吐いて、側の石の上に座った。

ヘパイストス
「……なあ、イーヴォール。神はほとんど死んだ。ここいらの神は、もうオレだけだ。人間の時代がやってくる。妖精も死に、闇に住まう者も死に、畏れるものを喪った人間は、自らが世界の王であり、神であると思い込むだろう。――大地は光が覆い尽くし、人間の病と闇だけが払われ、人間を残したすべての獣が世界から絶える。……人間は片足だけで生きていくのさ」
イーヴォール
「預言者のような言い草だな」
ヘパイストス
「言ったのはプロメテウスの野郎さ。ゼウスの奴に殺されちまったけどな。そのゼウスもどこかに消えちまった。みんな消えちまった」
イーヴォール
「最後の神というわけか」
ヘパイストス
「お互いにな」
イーヴォール
「皮肉なものだな。悪魔といえど、人間が造りだした万能なる者。人間が考えた理想の姿だ。その闇を、この手で殺しに行くとは。これも運命か。私も最後の役目を果たしに行くよ。――さらばだ」

 イーヴォールは馬に乗ると、山を駆け下りていった。

ヘパイストス
「……さらばだ、古代王国の魔女よ。さらばだ、人間達よ。この風景にも――さらばだ」

 ヘパイストスは立ち上がり、振り返った。
 砂混じりの風が吹き抜けていった。風が通り過ぎると、神の姿も、岩に挟まれた小屋も、消えていた。
 ただ荒涼とした岩山に、小さな花が一輪、風に揺れていた。


 イーヴォールは何かを感じて、足を止めた。岩山の頂を振り返る。
 イーヴォールはかの者の消滅を感じて、今一度頭を下げると、再び馬の腹を蹴った。

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