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■2016/01/19 (Tue)
創作小説■
第5章 Art Crime
前回を読む
27
ツグミは気まずくなって視線を落とした。また泣き出しそうになった。勇気を出して思い切ったつもりが、さらりとかわされて、倍返しされてしまった。もう何かをしようという気力もなくなっていた。しかし、宮川は嘲りを顔に残して、これみよがしにツグミに顔を寄せてきた。
「ならば聞かせてもらいたいね。川村が大原の家から何を持ち出したのか。なぜ我々が、川村が持ち出したものを欲しがるのか。大見得を切るくらいだから、きっと大変なものだったんだろうね」
「それは、その……」
ツグミは間近に迫った宮川から目を逸らし、言葉を濁らせた。
困惑してまとまらない思考で、ちょっとでも自分の立場をよくしてくれそうな言葉を探した。
でも何も思いつかなかった。考えても考えても、思考が定まらず、言葉が意識の中で上滑りしているみたいだった。真っ白な頭の中で、何の繋がりを持たない言葉がふわふわと浮かんでは消え、浮かんでは消え――。
「フェルメール……。そうや、フェルメールの『合奏』や」
でたらめに出てきた言葉を、何の検閲もせずに口にしてしまった。
「……ほう?」
不意に、宮川の目の色が変わった。言葉が重く、慎重さが混じった。
ツグミはえっとなって頭を上げた。隣に座っている大男も、じっと厳しい目でツグミを見ている。
まさか、当たりを引いちゃった?
思わぬ逆転のチャンスに、ツグミは返って動揺してしまった。その一方で、さっきまでまとまらなかった思考が、急に意味を持って連なり始めた。
「そうや、『ガードナー事件』や。最近、『ガードナー事件』に絡んだ絵がやたら出てくる。大原の家に持ち込まれた『ガリラヤの海の嵐』を見た時、おかしいと思ったんや。贋作にしては出来が良すぎる。あの精度で贋作を作ろうと思ったら、図版を横において模写する程度じゃあかん。本物を手本に絵を描かんと絶対にあんなふうにはならへん。経緯はわからへんけど、川村さんはどこかで『ガードナー事件』の盗難美術を手に入れたんや。だから、あんな『ガリラヤの海の嵐』を描けたんや。あんたらの目的はそれや。イザベラ・スチュアード・ガードナー美術館から盗み出された絵……。一番の目的は『合奏』やろ。なんせ、今や幻の絵画や。オークションに出品すれば、150億はすると言われてる絵やからな」
自分でも驚くくらい、次から次へとハッタリが出てきた。初めは自信がなかったが、途中から勢いが出てきた。自分で言いながら、「もしかして」と興奮し始めた。今まで無関係だと思っていた断片が、急に一本の太い糸に紡がれていくのを感じた。
「あんたらが川村さんを追いかけとお理由はそれや。川村さんは『ガードナー事件』の美術品を持っとおはずなんや。去年、大原眞人さんの葬式に顔を出したのは、そのためなんやろ。川村さんは眞人さんとも知り合いやった。だから、葬式に出れば、川村さんを捕まえられるかも知れないと思った。しかし、あんたらは未だに川村さんの行方を掴めずにいる。その代わりに、私にこうやって付きまとってるんや。川村さんはどこかで必ず、私に接触するはずだ、ってあんたらには確信があるからや」
全てを言い終えて、ツグミはハアハアと息をした。体力を使い切った、というより、残っている勇気の全てを使いきったという感じだった。
しかし、宮川の返事はなかった。ツグミが決死の思いで搾り出した啖呵の後にあったのは、気まずくなるような沈黙だった。
宮川は身を乗り出したままの格好で、ツグミをじっと見ていた。目に何の動きもない。表情から、何も読み取れなかった。
不意に、宮川がにやりと口元を歪めた。
「お見事。君は答えにたどり着いた。その通りだ。確かに我々は『合奏』を探している。そして間違いなく、川村は『合奏』を持っている。だから、我々は川村を追っている」
宮川はツグミを抉るような鋭さで見詰めながら、ズシンと重く響く声で、答えを告げた。
ツグミは茫然と息を飲み込んだ。正解だった。あるんだ。あの、『ガードナー事件』の美術品が。『合奏』の本物が。
宮川がさらに続けた。
「しかし、気が付かないほうがよかった。何も知らず、無邪気に片想いの相手を探してさえいればよかった。だが、君は一部とはいえ、こちらの手の内を知ってしまった。これからは、今までのようにはいかない。君は本気になって、川村の行方を探さなければならない。我が身に危険を感じながらね」
その声は今までで一番冷たく、ゾッとする凶暴さが込められていた。
ツグミは慄然として、宮川を見ていた。車内に伝わる騒音が遠ざかり、宮川の言葉だけが異様に際立って、心臓を冷酷に掴んでくるようだった。体が冷たく強張って、なのに汗が噴出していた。何も考えが働かなかったけど、ただただ、恐怖だけを感じていた。
宮川がふっと左に目を向けた。
「帰りたまえ」
ツグミは右を振り返った。いつの間にか、妻鳥画廊の前で車が止まっていた。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです。
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